クラス委員長
小一時間後、俺は陽菜の家の、客間のソファーに深々と沈み込んでいるという、まことに不可思議事態のただ中にいた。
駅前で出会ったものの、俺に気の利いた対処の用意があるはずもなく、まごついていると彼女の方から誘ってきたのだ。バスで15分。刷毛山市典史2丁目。どうでもいいことだが、ここらも町並みは整っているものの、生活する人の数が少なく、どこか寂しさを感じさせる区域だった。
陽菜がキッチンから湯気の立つコーヒーを運んでくる。
「ちゅうき、あ、平くん……」
「いやもう、“ちゅうきち”でいいよ委員ちょ」
「じゃ、わたしのことも――」
「陽菜で」
「エヘ……どうぞ」
笑うとさらに可愛くなった。そんな彼女と彼女の家の中。俺は、さぁどうしたものかと思うのだ。もじもじ(笑)。
「いちおう聞くけど、親はどうしてんの?」
「お母さんは、明後日の昼までお仕事。お父さんは、もう1年以上単身赴任中……」
しまった、と思った。ということは、今は俺と、
「二人っきり、てことかよ? ワオ!」俺はせめて明るくおどけるしかない。
それに乗っかってもらって、彼女にも健康的な、真面目でお利口さんな委員長的ツッコミを期待したのだが――そうならなかった。彼女は、そういうキャラじゃなかった。正直がとりえの気弱な女の子。一瞬にして泣きそうな、暗い顔になる。そして、決意をこめて顔をあげるのだ。
「そうだよ、中吉くん! なんなら、泊まっていく……?」見るからに痛々しい。
「ホンキですかい」あくまで茶化そうとするピンチな俺。
「寂しいんだ……」
棒読みでそういうと、彼女はこわばった表情から無理に笑い、眼鏡を外した――
息を飲んでしまった。
古典マンガであるだろう? 眼鏡を外したら、ビックリ美人だったって話。まさにそれだった。長いまつげ、大きなつぶらな瞳。それが俺の語彙力で精一杯の表現だったのだが、陽菜はそれを軽く超えて、今、進行形で花開いていく。
三つ編みをほどく。美しく整える。一人の少女が、いったいどれだけ美少女になっていくんかと誰かに教えを請いたくなるほどの変化を今、目の前に展開させつつあった。
成田陽菜――
まじめで気弱で、それでクラス委員を押しつけられたクチの女の子。
その陽菜が、ワンピースのボタンを外しにかかって――たまらず俺は、両手で両肩をガッキと掴んだのだった。
こんなマネさせる前に、さっさと問題を解決すべきだった。反省すると同時に、速攻、挽回にとりかかる。
「君の魅力に本気になっちゃいそうだよ……」できるだけ優しく。
「……」
「だからこそ、誤魔化しはナシだ。君は、直截的にいうけど、“ウリ”をしてた」
口に出してしまった。もう後には引けん。
こればかりは今も昔も変わらない。現実が、社会が実際どうであれ、“これ”は、『本校の生徒として相応しくない』の一条に、もろ引っかかる。厳格に、処罰対象だった。
「……わたし、退学かな?」
軽く考えてはいけない。“MZ学園”を追放されるのだ。これは、三島グループから家族ごと弾き飛ばされることを意味する。
お父さんは失職である。当事者の陽菜にとっては恐怖以外の何者でもなかろう。
俺は言葉に力をこめた。
「俺を信じろ! 誰にもチクらん」
「でも、ちゅうきち君て、三島様でしょう? 気分しだいでなんとでも自在に処分できる王様ご本人」
「真面目に考えるのもバカらしいほど遠すぎる親戚ってだけで、実際は他人だ。俺に何の権限もない」
「でも、瑛さまの第一のご友人」
「誤解だ。もう一度いう。ゴーカーイ!」
「でも、貴方は“ゆゆしきこと”、と思ってる」
でもでもでも──で、とうとう泣きだした。ああ、こーゆーキャラだったなぁ。もう俺はもう、どうしたらいいのかこちらも泣きたい気分だった。
いっとくが、こっちだって、けっしてほめられた人間じゃないんだ。
だから今は、ともかくも彼女を平静に戻す。そのためには事情を聞いて、理解を示すかたちで宥めるのがベストであった。
「生活が苦しいのか?」
首を横に振る。これで頷いてくれれば、そうかわかったがんばれよ、で終わらせられたのに。俺は一層の、暗鬱とした気分にさせられる。
「じゃ、ただの遊びかよ?」
首を強く横に振った。これで頷いてくれれば、俺は知らんかったことにする、で終わらせられたのに。
それにしても困った。あと理由が思いつかない。
ふと、口調に気をつけて、訊いてみた。
「誰かに脅迫、強要された?」
あきらめたように首を横に振る。それはよかったとして、本当にわからなくなる。少し角度を変えた。
「もう何回もやってんの?」
「今回が初めて。信じて」
これはポイントだった。声に出して答えてくれた。俺はさっそく言葉尻を利用する。
「信じろっつったって。どうやって?」
「私の口座を調べてもらったらわかる」
……なるほど。そうか。
さすが委員ちょ。頭いい。
俺は感心してしまう。それが伝わったか、彼女も、だいぶんに砕けてきたように思えた。もう俺は、本人に直接いってもらうことにした。
「なあ陽菜。なんでだよ?」
「――お金がほしかった」彼女ももう、すっきりしたかったに違いない。はっきりと言葉に出したのだった。
俺とはいうと、自分の頭を叩きたい気分。あっそうか、それだったか。
「お小遣いか。なにかほしい物があったんだ」
「ほしい物には違いないけど、より正確に表現したら、実現させるための寄付かな。一種の投資ね」
「――」
なんだか急に力がこもった彼女の口調に、一瞬、俺の方がしゃべれなくなる。そして彼女は――
はじめてはっきりと──
こちらをみつめ、逆にこう聞いてきたのだ。
「ちゅうきち君。今の世の中、間違ってると思わない?」
もう、ソファーがなかったら、後ろにひっくり返っていただろうさ。