主人公の回想
鍼灸師として屋号『煙丸』をかかげる俺こと平中吉が、お袋とともに東京都刷毛山市、阿久間4丁目のごく普通の賃貸一戸建てに引っ越してきたのは忘れもしない、4月の3週目のことだった。賃貸といってもその家賃は三島持ちだし、それ以前に不動産会社も、引っ越し業者さえもが三島グループだったものだから煩雑な手続きなんかまるでなく、役所への転入申請をはじめとする諸々の届け出なんかも三島の方で万端もれなく処置してくれたもんだから、俺とお袋がやったことといえば、身一つで移って来る、ただそれだけのことだった。
月々の家賃、光熱費は、三島側が保障してくれる。それ以外のお金、すなわち食費や必需品、娯楽などに関わる、一般に生活費と呼ばれる金高は、説明は省くが、5月から毎月、お袋の口座に振り込まれるコトになっていた。まぁ、お袋は、あてにせずパート仕事みつけるつもりらしいのだが。
最後にもう一つ付け加えておこう。俺の学費は無料だ。ほんと――
何から何まで至れり尽くせり。
引っ越しの片付けをすまし、向こう三軒両隣に挨拶をすまし、畳の上に寝転がって天井の模様を眺めたときなんか、ひょっとして俺は何年も昔から、ここ、この町で、ずっと生活を営んでいたのであったのではなかろうかという感覚に陥ったものだった。
英布20年、新年度。
学費無料の新しい学校は、4月のラスト週からスタートさせてもらった。
葉桜の風、光り輝く私立MZ学園高等学校――
思い出す。あのときはさすがに緊張した。
なんたってこっちは地方出身の山猿だったし。いや、そこまで自分を卑下するつもりはなかったけどさ、田舎者にとって、“東京”のネームバリューは、他人が想像する以上のものがあったんだよ。実際、緊張せざるをえない超現実が、ここから荒波のように連続して襲いかかってきたわけだし。
まずは校内応接室。挨拶が終わった校長と入れ替わりに入ってきたのが、担任の久美だったという現実だ。
巻き髪の似合う山崎久美。もうね、光り輝いていた。
無邪気な明るい声で、貴方の学級担任です宜しくネと自己紹介されたときなんか、ホント、担いてんでショ、と疑ってしまったくらい。そして間違いなくそうなんだと感得したときなんか、東京の女ってスゲーッ、て窓から大絶叫してしまいそうになったくらいの、それほどの美人教師だった。しかも巨乳。しかも数学の世界的天才。しかも一見少女のように見え、聞いたところたった3歳しか年齢が違わないと言うし、もうね、頭、ここら辺から、クラクラし始めたんだ。
どっこい、まだまだ、これからだった。
いい匂いの久美の後にフワフワ従って教室、1-Aクラスに入ったんだよ。そしたらさ――
ここは天国か極楽かって――
GTB40が、そこにおった。
もうよ、俺にどうしろと? ペンライト振れと?
見渡す限り女子制服の海原で、男子制服ったら、俺の他あと一人きりしかおらん。つまり、男女比がこのクラスだけ突出して異常で、しかも――
その、俺以外の男子制服ってのが、三島グループ総帥の実子、引っ越し騒動の張本人たる三島銭右衛門瑛だったという現実さ。
三島銭右衛門瑛!
イケメン度でいえばこのクラスのセンター、いや、全校ナンバー1、いや、地球トップクラスのティーンエイジャーであろう。その氷のようなマスクを溶かすのは、いったい誰に可能なんだろう、てなくらいの美人で――
さらにはこの学校の最高権力者であり――
その御方の隣が、俺の席だったというオチである。
ところで今、『厳選された美少女が40人』といったが、その言葉の通りである。なんたって瑛と御学友になる人選なのだから。容姿以上に性格、思想などが厳重にチェックされていたんだ。
だから、皆、“天使”。
そんなパラダイスの中に足を踏み入れ、古式に則り黒板に名を記したそのあと、自分がどう自己紹介したものか、まったく記憶にない。
まぁ、それほどの緊張体験だったということさ。
それから月末まで。嵐のような7日間が過ぎ去り――
俺にとってもちょうどいいインターバル。
春週連休を迎えたってわけなんである。