072.魔王賛歌
なんて、愚か。その時の私の頭を占めるのは、警戒を怠った自身への自己批判。
かつての私も感じたことの無い異質な気配が投擲した槍は、竜種の一撃すら防ぐはずのお兄様の障壁を貫き、その腕に突き刺さった。
お兄様の腕を貫き、飛び出た穂先は不気味な光沢をまとっている。
「お兄ちゃん!」
ミィの、最愛の家族の1人の声に頭に冷静さが戻ってくる。
そうだ、今の私は肉体を持たない。ならば、筋肉が硬直して、だとか血が回っていない等という世迷言は通用しない。
全て、自分自身の考え方、思考次第だ。
うずくまるお兄様。その表情は痛み以外の何かで苦渋に満ちた物になっている。
『ギギギッ、生きているか、しぶとい奴ダ』
風のようにお兄様のそばに駆けつけ、槍を引き抜こうとして気が付く、この輝き……毒だ。
『対海竜用の毒でも即死しないとはナ。化け物メ』
耳には不快な、この槍の主の声が届く。50歩も歩けば届きそうな場所に、奴はいた。
感情のまま、体中の毛穴が開き、髪の毛が舞い上がるような感覚を覚える。
今の私はそんな体の再現すら惜しみ、お兄様に刺さった槍を引き抜いた。
途端、何かの力で槍は空を舞い、海魔の手元へ。
(お兄様の魔力障壁すら貫いた。いえ、これは……食べたんだわ!)
ほんのわずかな時間にそこまでたどり着き、反撃のために時間を稼ごうとした時のことだ。
──世界に、新たな魔王が戦いの声を上げた
「お兄ちゃんは……やらせないっ!」
『ミィ!』
本当は声を出すのもつらいほどの、魔力の風。
人に直接体を押されているような感覚さえある濃密な魔力。
『ギ、貴様!』
1歩、1歩とミィが前に出る。その体を赤黒い光が覆い、目には真紅の光。
典型的な魔王の力の発動状態だ。勇者の、お兄様の真の力を使う時の青白い物とは対極にある光。
「とんでけええええ!!!」
それは原初の祈り。叫び、声が祈りとなりどこかの神とミィがつながる。
突き出した両手から生み出される属性の無い単純なる衝撃波。
それは扇状に一気に広がり、無数の海魔と、海水と、海底を沖へと吹き飛ばしていく。
それはただの衝撃波ではなく、魔力を込めた破壊力の塊そのもの。
ええ、確かにこんなことが出来るのは魔王か勇者ぐらい。
だけど……。
先ほどのお兄様の驚愕の表情が今ならわかる。
砕け散ったはずの海魔が、遠くの視線の先で気持ち悪いぐらいの速さで再生している。
新しい命を使ったかのように、ね。
『ミィ、まだよ。終わってない! ルリア、お兄様をお願い!』
「うん。毒の解析、得意」
すぐそばで、顔色を悪くしながらも耐えているルリア。この場にいて正気を保っているだけでも立派な物だ。
お兄様の事だから、大事には至らないだろうけど、何もしないわけにはいかない。
荒い息を吐き、立ち上がれないのだから相当な物だ。
少なくとも、私では解毒できそうにない。
ルリアの真実の瞳は、病気やその正体、あるいは複数の毒物による症状の組み合わせによるややこしさも、見抜く。
お兄様をルリアに任せ、私は手負いの獣のように息を荒げるミィの肩にとりつく。
『ミィ』
「イアちゃん、ミィ、どうしちゃったのかな。なんだか、怖いよ」
ああ……ミィは優しい子だ。
こうなってまで、力のままに暴れることを良しとしない。
正しく、使いたいのだ。自分の兄に嫌われないためにも。
ミィに親はいない。ミィと今の私にとってお兄様が兄であり、父であり、すべてだ。
もしもお兄様がこの世を去るというなら、きっと2人とも、あるいはルリアも後を追うだろう。
なんてことをするんだ、と叱ってもらうために。
だからこそ、ここで終わらせるわけにはいかない。
『いい? あいつの槍は何でも食べるわ。きっと、魔法すらね。
でも、全部いきなり食べられるわけじゃない。そして、あいつは倒した相手の命を抱え込んでるわ』
視線の先で、再生した体を確かめるように肩を動かす奴が見える。
魚顔の瞳が、笑った気がした。
「うん。そうみたい」
力に持って行かれそうになったのは僅かな時間。
すぐに心を取り戻したミィは強い子だ。
大丈夫、ミィには、貴女には今……私がいる!
『だからね。こうするのよ!』
高らかに叫び、私は1つの魔法を行使する。
お兄様も、かつての勇者も得意としたという決まり手の1つ。
炎の上位魔法、イグニファイア。ただし、いつかのお兄様のように手加減はない。
そしてそれは10を超す数となって海魔へと飛んでいく。
『ギギッ!』
さすがにまともに受けるつもりはないのか、別の軌道で迫る火の玉を処理にかかる海魔。
やるなら、今だ。
『時間稼ぎをお願い! 大きいの行くわ!』
「承知! 貴様らぁ! ここが踏ん張りどころだ!」
私の叫びに答える影、影。それは近くで状況を見守っていたヴィレル率いる一隊。
彼女らはそのまま突撃し、海魔と、周辺に戻って来た他の奴らを蹴散らしにかかる。
彼女らにもわかっているのだ。あの海魔が武器に頼っている、と。
でなければ2度も体を失う様な戦い方はしない。
今も、いくつかの火の玉を受けてしまい、炭のようになった体が復活している。
『ミィ、ぎゅっと自分の中に圧縮しなさい』
「ぎゅっと……」
かつての自分が幾度も経験した戦いの果てに身につけた技術。
それは口でいってわかる物でもないのだけど、こういうしかない。
それでもミィなら、ずっと一緒だった彼女ならわかるという確信がどこかにあった。
私のその賭けは、成功する。器からこぼれるようにあふれていたミィの魔力が、収まったのだ。
だけどそれは弱くなったという訳じゃない。
「そっか。必要な時に、一気に……」
『ええ。さあ、一緒に唱えなさい。カーラ! 出番よ!』
視線の先ではヴィレルたちがトライデントに気を付けながら海魔たちを翻弄している。
決め手に欠けた、時間稼ぎの戦闘だ。
海魔にはそれすら見抜けないのか、私たちの事が眼中に無いように周囲を睨みつけている。
後ろの森からやってくるカーラにすら気が付いていない。
だからこそ、これで終わりだ。
対海竜の毒? いいじゃない。
だったら私たちが対海魔の魔法を使っても、良いわよね?
『集え、天の輝き、大地の怒り、空の叫び、時の果てまで穿て、流星のごとく!』
ミィの小さな口から、私と同じ言葉が魔力をこめて紡がれる。
小さい頃から一緒だった私達。ちょっと意識してみれば容易に感情だって一緒。
そう、私たちは怒っている。
お兄様を傷つけたあいつのことを、助けられるだけになった自分の事を。
だから、力を貸してちょうだいよ、神様たち。
こちらの力を感じ、呼びかける前に射線からどいてくれるヴィレル達。
いつの間にか、私たちの前には……海魔しかいない。
「『セレスティアシューター!!!』」
それを感じ取り、私たちは最後の言葉を紡ぐ。
重なり合った2人の手のひらから飛び出した魔法陣は巨大な砲台となり、陽光を逆に光で照らし返すかのような輝きで無数の光の槍を打ち出した。
この魔法は一発では終わらない。
魔法陣に撃ち込まれた他の魔法や、四散した自らの力の残滓自体を魔法陣が吸収し、さらに打ち出すのだ。
『カーラ、全力であれに撃ち込んで!』
『ガウ!』
頼もしい叫びと共に、赤い光が視界を焼く。
それは空中に浮いた魔法陣に突き刺さり、術に力を与える。
すると、白い光だった槍に赤さが混じる。だけど、本質は同じ。
数の多い、対海魔用の集団用魔法。今それは、たった1人の海魔に注がれる。
きっと光の中で幾度となく再生していることでしょう。でも、それすらも焼き尽くす。彼の、命が尽きるまで。
長いような短いような時間の後、光のとおった後には、海魔がやってくる前の海辺と、突き刺さったトライデントだけが残った。
ブクマ、感想やポイントはいつでも歓迎です。
増えると次への意欲が倍プッシュです。
リクエスト的にこんなシチュ良いよね!とかは
R18じゃないようになっていれば……何とか考えます。




