178.いつかの空のように
「朝……か」
今の私にとって、朝は夜とあまり変わらない。ただ単に、周囲の光景が変わる……それだけだ。
いつものように体を起こし、鎧を着こもうとして腕に重さがあることに気が付く。
熱といったものを感じない今の体でも、その重みは感じる……目を閉じて死んだように眠る少女、イラである。
こうして寝床で寝るということ自体、ようやく最近自分で出来るようになったのだ。そのことが薄くなった感情を思い出させる。出会った時、彼女は崩壊しかけた遺跡のような場所で、棺桶同然の箱の中に孤独に眠っていた。
正しくは、起きているが自分を示す自我という物がほとんどない状態だった。
「それを思えば、随分と変わったものだ」
つぶやきながら、変わったのは自分の方もそうであろうか?と思う。人間としての体を神々への祈りの果てに捨て、こうして長い長い時を生きながらえている自分、現代の勇者のいうところの、初代勇者。
かつてのような少年でもなく、世の中の隠された真実に絶望した頃でもない……躯のような姿。
威圧感を与えることを目的とした鎧を着なければ、人前に出ることも出来ないだろう。さすがの魔族とて、不死者のような姿の男についてこようとは思えないだろうからな。
「……」
「起きたか。食事をとろう」
こくりと、小さく頷くイラ。ここまでくるのにも時間がかかった。歩くということすら、彼女は最初できなかったのだ。ただ立ちすくみ、ぼんやりと空を見るだけ。最初は自我があったのが失われたのか、最初からこの状態だったのかはわからない。しかし、彼女のいた場所には自我や感情といったものは不要だったに違いない。力を引き出すためだけの場所には……な。
何か原因があったのか、偶然だったのか、彼女はそのくさびから解き放たれていた。ハーラルト、あの魔族が結界を破壊する前に。
私は長い時間を、かつての戦いの本当の意味を探るために費やしてきた。命尽きる前に、私に出会えてよかったと呟いたイシュレイラ。出来るのならば、これを封印するかくだけと言われた髑髏杖は自らどこかに飛び去り、追いつけなかった。
あるいは、既にイシュレイラは限界が近かったのかもしれない。それを悟った彼女は、彼らのように強力する時間もない現状で最善の手を打ったのだ。この大陸そのものを、強力な結界で覆い、色々な原因を世界から隔離するために。
そう、ダンドランを覆っていた結界は人間を侵入させないための物、そう思われている。事実、私も探索を進めるまでそう思っていた。だが、事実は違ったのだ。人間が入れないのは副作用に過ぎない。本当は天竜の介入を防ぐ、あるいは外に出さないための物だったと考えている。天竜のほうが一枚上手だったのか、競り合いの末なのか半端な結果になったようだが。
(イシュレイラ、何とか間に合ったようだよ)
私はもういない彼女の笑顔を想い、忘れ形見であるかのように扱うイラの顔に視線を戻す。
最初は全くと言っていいほど反応が無く、目の前で食事をして見せ、口を私の手で開け、食べ物を咀嚼して見せた挙句、さらに顎を手で動かしてなんてこともしなくては食事もとれなかったイラ。
それが今はどうだ。少々無口が過ぎるが、自らの意志で動き、食べ、そして生きている。まだ感情が表に出てくることはないようだが、真に自我が宿るのもそう遠くはないように思えた。
「終わったら領内の視察に向かおう。まだ魔物は多くいる」
伝わらないだろうなとは思いながらも、こうして話しかけることが少しでも彼女の成長の助けになると信じ、今日も私は彼女に話しかけることを辞めない。それは私の彼女への憐みなのだろうか……そんなことを思うことがある。
自分で着替えることもまだできないイラの手助けをし、彫刻のような綺麗さを陽光の元に恥ずかしげもなくさらす姿に息をのむ日も少なくない。そこには確かに命があり、彼女は生きて、そこにいる。
その顔が笑顔となったら、どんな顔になるだろうかと思うと、とても見捨てることも出来なかった。お礼を言われることは無くても、私は彼女の世話を続けるだろう。戦いの最中、イシュレイラは狂気に近い表情で私を見つめていた。そんな彼女が、私の手にした名も無き名剣により力尽きる直前に浮かべた笑顔。その笑顔の意味と、彼女のように笑うことがイラにもできるはずだという気持ちと共に。
「ああ、ドーザ様!」
「問題はないか」
屋敷を出、街に出るなり領民が次々と集まってくる。私はあまり長く接するということをしていない。理由はやはり、鎧の中身だ。長い時間を外で過ごせば宴の1つにも誘われようという物だ。
毎回、魔物の襲撃があったときに動けないから、などと断るのもあまり良くはない。では食事だけでも、と言われてもそれはそれで面倒だからな。
「海のほうは海魔……ええと、協力関係にある海魔のおかげで順調です。先日も嵐の中を無事に抜けてきました」
「それはよいことだ。しっかりと報酬が出ているか、確認をするように」
「はいっ!」
元気に答え、走り去っていく若者を見送りながら私の胸には温かい気持ちが沸いてくるのを感じる。この体になる時に代償として失われた様々な感情、それらが全くなくなったわけではないのだと感じる瞬間であった。
私は後ろにイラを従えた状態で次々と報告される内容を聞き、1つ1つ答えていく。討伐が必要そうであればそれを後で行うためだ。とはいえ、戦士も私たち以外にいないわけではない。問題のある物だけにせねばいけないところだ。
「ドーザ様。贈り物が……その、ラディ様より」
「またか。まめなことだ」
私の代わりに街の顔役の役目を果たしてもらっている老人からおずおずと差し出されるのは、かさばりながらも軽いであろう荷物。中身は種類はわかっている。恐らくは、服だろう。ラディ、正確には彼の妹達の選んだイラ用の服だ。私が女性が着飾るというものをわかっていないと知った時から、こうして度々この街にわざわざ贈られてくるのだ。無下に突き返すわけにもいかず、こうして受け取るほかない。
「この前の服装のイラ様は女神のようでした……」
「……」
正面からの誉め言葉に、イラに反応は無い……ように思えた。私と服を運んできた老人とが見つめる先で、イラはその無表情だった顔にわずかな微笑みを浮かべていた。
驚く私と老人とが見ていることも気にしないかのように、イラはそのままそっと服を……抱きしめた。
「ドーザ様、ようございましたな」
「ああ……」
老人はうっすらとだがイラの正体にも気が付いている。その上で放っておいてくれているのだ。そんな彼も、感嘆のような声を出すほどの状況だった。イラの瞳が見つめる先には……装飾品。何の変哲もないように見えるそれは、どうやらイラの何かに引っかかったようだ。
そっと手にし、ゆっくりと日を透かすように持ち上げるイラ。この時点でも驚きなのだが、事態はそれで終わらなかった。
「僭越ながら……お付けしてほしいのではないですか?」
「だろうか? ふむ……」
老人の言葉に従い、そっとイラの手からその装飾品、髪飾りを手にするとそのままイラの髪につける。
その結果、自分では見えなくなったはずだがイラはそれが嬉しいようにまたわずかに表情を変えた。
(まったく、私が長い時間をかけてやってきたことをこうも簡単に飛び越えてくるとは……やってくれるな、ラディと妹達よ)
私がそんなことを思っているとは思わないだろうが、これでこの後の視察も順調な物になるだろうという予感はあった。
無表情に戻ったイラの手を取り、老人を従えて私はそのまま領内の視察に向かうべく歩を進めた。
彼女に、この先の未来を見せるためにも頑張らねばなるまい。それが、私が生きながらえる理由になったのだから。
空は、そんな私たちの目指す未来のように、青く青く澄んでいた。
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増えると次への意欲が倍プッシュです。
リクエスト的にこんなシチュ良いよね!とかは
R18じゃないようになっていれば……何とか考えます