132.あるはずのない物
夜の闇の中、月明かりだけが建物を白く照らしていく。その光に自分たちの体が照らされないように物陰に隠れ、中を伺う。
建物の中には多くの椅子と、一番奥には立ったまま物を置くための小さな机。それは教えを語るための場所だ。その机の上の方、大きく作られた窓の前には光の神を模したとされる大きな像。
その像を窓越しの月光が照らし、幻想的に思える光景を作り出している。
窓、像、そして床へと月光による道が出来る中、建物を歩く人影が1つ。照らされたその顔は白髪と白いひげばかりの……老人だ。
彼はゆっくりと歩き、ちょうど月光が床を照らすところにたどり着くと膝をついて祈りを捧げ始めた。祈りは詠唱であり、詠唱は魔法となる。
老人の小さなつぶやきが建物の中に響き、それは柔らかい光を産む光の玉となって無数に建物の中に浮遊し始めた。
腕の中で同行者……ルリアが息をのむのがわかる。気持ちはよくわかる……まるせ神樹の根元で見た夜の光景のようだからな。
俺はその光を生み出した老人、こちらの大陸で勇者として過ごし、常識や倫理観という物が足りていなかった自分を導いてくれた人生の師匠の一人、ベルネット司祭が変わっていないことに安心していた。
だからこそ、ルリアを伴って教会の入り口の扉を静かにくぐった。
夜、しかも他に人がいない状況だからこそ俺たち2人の足音も妙に響いた気がした。
司祭は祈りの姿勢のまま、気配だけはこちらに向けたようだった。その伝わってくる気配のなつかしさに、自然と俺の頬も緩む。
「夜分に何用ですかな。迷える者であればお話を聞くのは構いませんが……ね」
「相変わらずですね、司祭」
声だけは首輪の力では変わらない。だからかベルネット司祭は驚いた様子で振り返り、俺とルリアを見た。
その顔は驚きに染まっていき、そして疑問を含んだものになった。
「はて……懐かしい声がしたかと思いましたが、別人の様ですな……」
「ははっ、この格好ですからね。司祭、光の神様は何故正義で、闇の神様は邪なのですか?」
唐突に聞こえるかもしれない問いかけ。現にルリアは俺の方を何か言いたそうに見上げてきている。
だけど、これは俺の司祭にとっては別の意味を持つのだ。小さい頃、勇者だ、神の使いだ……光の英雄だと言われ、正義を旗印に戦いに沈んでいた俺。
司祭と関わり、話すようになったのは偶然だ。しかし、その出会いは今の俺の重要な糧となっている。
彼は、教会の関係者にしては異端に近い考えの持ち主だった。だからこそ、今もこうして大きくない街の司祭に収まっているのだ。
「光も闇も、見方の問題。そこに正義も邪も善悪すらありませんよ。大切なのは何のためにその神様に力を借りるかです。その証拠に、夜に赤子が産まれるとなれば人は闇の神様に祈ります。教会では教えない祈りなのに……ね。ふむ……随分と様変わりしましたね、ラディ」
「悪い方向には変わっていないと思いたいですよ。お元気そうで」
促されるままに近くの椅子に座ると、司祭は手を振るい、周囲に漂う光に何事かを呟いた。その途端、いくつかは扉の方へと向かいそれを閉め、いくつかは壁のランタンに飛び込んで灯りとなった。
見事なまでの魔法の制御。滅するという力はほとんど持たず、それでいて稀代の魔法使い、それがベルネット司祭だ。
彼が昇進できないというのはいまだに信じられない俺がいる。もっとも、出世していないからこそこうして会いに来れたのだから難しい問題だ。
「彼女は……ふむふむ。よくわかりませんが貴方を信頼しているのだけはわかります。
人間の勇者ではなく、真に勇者の道を歩んでいるようですね、喜ばしい事です」
「エルフのネスフィアが娘、ルリア。今はにーにの妹をしています。初めまして」
立ち上がり、ちょこんとお辞儀する姿に俺だけでなく司祭も笑顔になっていく。月光の中、ルリアの仕草はどこか演劇のような美しい物を感じたのだ。
多くの若者を導き、それとの別れを経験している司祭ですら、微笑むほどの物。
その緩んだ顔が引き締まったものとなり、俺とルリアを射抜くように見つめた。
自然と俺達も姿勢が改まってしまうほどの眼光だ。この視線に昔の俺は動けなくなったのだ……すべてを、見抜かれた気がして。何のために生きて力を振るうのか、ミィのためにどう生きるべきなのか、悩んでいた時の事だったな。
「何のために、とは聞かないでおきましょう。ラディのことです。今から街を吹き飛ばしに行く、ということもないでしょう。ああ、アルフィア王は今、王城にはいないと思いますよ。南に遠征していますからね」
「南に? ということは……パラケルンへの侵攻は……」
静かに頷く司祭の姿に俺は驚きを隠せない。この国、アルフィアの南には2つの大国がある。1つ1つで比較するとアルフィアの方が国力は上だが、温暖な地形と広い大地により2国ともレイフィルド中に食料を輸出する要の国同士だったはずだ。片方は火山も抱えているけどそれでもまともに噴火したことはないはず。
軍事力という面では普通だがその分、利益にならないと判断したら戦争めいたことはしないし、魔族以外の誰とでも交易をしてもかまわないという考えだ。
獣人すら、お金さえ払うのなら追い出すことはしないと聞いている。
そんな国が、商売上問題になるパラケルンのドワーフを攻め込む理由は普通には存在しない。
あるとしたらただ1つ。アルフィア王国や他の国でも国教となっている光の神、ラエラの名のもとに行われる邪悪の討伐だ。ラエラの神託に抗えば、救われないという今思えば強引なしきたりが皆を縛っている。
それを判断するのが人間の1人である教主やその下にいる奴らなのだから笑えない。
「何をどう考えたのか、最初は魔族領への進軍のはずでしたが……どうも怪しいですね。遠征したのはつい最近ですよ。普段は遠ざけている私にすら参戦の誘いが来るぐらいですからね……相当な力の入れようでしょう」
「でもおじいさんは行かなかったの? どうして?」
素朴な疑問を口にしたルリアに、司祭は鋭かった眼光を最初に出会った時のような優しいそれに変え、彼女を覗き込んだ。
優しいながらも、何か見抜かれそうな瞳がルリアを見つめる。だけどルリアはひるむことなく、嘘を見抜くその真実の瞳で見つめ返した。
「……なるほど。力を感じますね。ラディ、しっかり守るんですよ。さて、理由は簡単です。ラエラ様はそんな神託を授けてはいない。その証拠に、戦争を否定する私の元にまでちゃんと祈りに応えて降りてきてくれるではないか、と目の前で実演して見せたのですよ」
「さすが司祭だ。その時の相手の顔が見てみたいもんだ」
戦争の大義を否定する相手が実際にその神から力を借りて魔法を行使するとなれば、周囲から見てどっちが正しく映るかは言うまでもない。王や教主にとっては頭の痛い事だろうな……。
だからこそこうして今も司祭はここにいるわけだ……。それにしてもだ。
「ドワーフだって特別戦えない種族という訳じゃない。むしろ鍛冶技術という点で人間より上のはずだ。なのに戦争を仕掛けるってことは何か切り札があるのだろうか?」
「ふふ。地が出てきましたね。それでこそラディです。それも簡単。まあ、噂程度で私は直に見ていませんがね。いるんですよ、教主の元に切り札が」
「いる……人?」
そう、今司祭は─ある─とは言わず、─いる─といった。ということが物ではない……人だ。
切り札と言い切るだけの実力を持った戦士が現れたということだろうか?
首をかしげる俺に、司祭は体を向け、正面から俺を見つめる。
「ラディ、そしてルリア。アルフィア王は宣言しました。魔王と共に古き勇者は大地に沈んだと。そして、神は我らを憐れんで新たな勇者を遣わされた、とね」
「勇者……!? 馬鹿な! 聖剣はここに、間違いなくある!」
もちろん、聖剣だけが勇者の証というわけではない。だが、少なくとも聖剣なしに勇者の力を、あの青い光を発現させるのは俺にすらできなかったことだ。思わず叫ぶのも無理はないと思う。だが、そんな俺に向かって司祭は首を振った。
「まったく、よく聞きなさい。勇者は1人、そのはずです。ですが話に聞こえる勇者は確かに青い光と剣を構えていたそうです。ただ……随分と君の持つ聖剣より短いようですが。それでも皆が疑問を口にしないのには理由があります」
「短い聖剣……それが不自然じゃないほどに、使い手も小さい?」
つぶやかれるルリアの言葉に、司祭は頷いた。その通りということだ……。
「夜も更けてきました。今日は泊まっていきなさい。どうせ南はしばらく動きませんからね」
「あ、ああ……」
いくつもの疑問が胸を渦巻き、俺は戸惑いのまま、ルリアと司祭とで夜を過ごした。
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増えると次への意欲が倍プッシュです。
リクエスト的にこんなシチュ良いよね!とかは
R18じゃないようになっていれば……何とか考えます