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ーー何かいる。
ナディルは腰の剣に手を掛け、素早く身構える。
音は大きくなり、緊張した空気が張り詰める。
息を殺して茂みを注視していると、そこから現れたのは葉っぱに塗れた少女の顔だった。
ーー人間……?
音の大きさから大型の魔獣を想像し、戦闘の態勢を整えていたナディルは、あまりに意外な登場に驚いて呆気に取られた。
彼女も人が居るとは思わなかったのか、少し驚いた様子で、アクアマリンの瞳を大きく見開いてナディルを見つめる。
すると彼女のすぐ後ろから少し高い青年の声が聞こえてくる。
「よかった、無事に出られましたねぇ」
少女は後ろを振り返り、うん、と頷く。
後ろにから中性的な顔立ちの青年が顔を覗かせる。心無し行きを切らせている。
「あれ、これはこれは……こんにちは。こんな所から失礼します」
物腰の柔らかそうな青年は、ナディルを見付けてにっこりと微笑み、丁寧に挨拶をした。
「こんにちは」
つられてナディルもにっこりと笑顔で返す。
「カハク、早く」
そう言うと少女は青年を促して、軽やかに崖から飛び降りた。
崖を飛び降りた2人は慌てた様子で道を横切り、ナディルの方に駆け寄ってくる。
「カハクは後ろにいて」
少女が聖職者であろう青年を自分の後ろに促し、庇うように片手を上げる。
彼女はもう一方の手に、白っぽい羽の塊の様な物を抱いていた。
「すみません」
青年は彼女の言葉に素直に従って、後ろに下がった。そして申し訳なさそうにナディルに言う。
「ちょっと厄介な事になってしまいまして……。
魔獣に追われているんです 」
程なくして、彼らの出てきた辺りの茂みが再び音を立てる。
ナディルは少女より一歩前に出て剣を構える。
グルルルル……と唸り声を出して、子供の背丈程ある、大きな銀色の狼が飛び出してきた。
犬狼だ。
この辺りの犬狼は穏やかで滅多に人を襲わないと聞いていたのだが……
琥珀色の瞳に怒りを宿した犬狼は、豊かな銀色の毛を逆立てて唸った。剥き出した牙の間からは唾液が垂れている。一度姿勢を低くした後、鋭い爪を持った太い前脚で、地面を蹴って、こちらに走ってくる。
ナディルは走ってきた犬狼に向かって剣を振り下ろした。犬狼は素早くそれを避けてナディルの横に回り込む。体勢を整えて再度飛びかかってくる。ナディルは身を捻りそれを躱す。犬狼は着地するとくるりと向き直り、ライナとカハクを見た。
ライナは身体を強ばらせる。
「いけないっ」
ナディルは自分に注意を向け様と犬狼に向かって走り出した。犬狼はナディルを一瞥してライナ達の方へ向かおうとする。ナディルはそれを阻止すべく犬狼に大きく斬りかかる。剣は犬狼の胸元を掠めて、犬狼の銀色の毛がほんのりと赤く染まる。
犬狼が一瞬怯んで立ち止まった隙に、ナディルは素早く魔法を唱える。
犬狼の周りに真っ黒な宇宙が広がったかと思うと収縮して弾けた。
キャウゥンと声を上げて犬狼は倒れ込んだ。一瞬気を失ったていた様だが、びくっと身体を震わせて立ち上がり、辺りを見回して、怯えた様子で木にぶつかりながら森の中へ消えていった。
その様子を見送ってから、安堵した様に青年が声を掛けた。
「お強いんですね。ありがとうございます」
ふんわりと花の咲いた様な笑顔を向ける。
青年の前で構えていた少女も居直って、真っ直ぐな瞳でナディルに言う。
「助かった。ありがとう」
ぶっきら棒な物言いとは裏腹に、鈴を振る様な愛らしい声だった。
ナディルは剣を鞘に収めながら優しい声で応える。
「困っている時は助け合わないとね。
怪我とかしてない?」
「大丈夫」
少女は真っ直ぐこちらを向いたまま答えて、青年は笑顔のまま首を振った。
「よかった」
ナディルはにっこりとしてから、先程疑問に思った事を口にした。
「それにしても、この辺りの犬狼は滅多に人を襲わないって聞いていたんだけど……」
何かあったのだろうかと、ナディルは首を傾げる。
その疑問に青年と少女は顔を見合わせる。少女が片手に抱いている羽の塊のに目を落とし、押し黙る。青年は困った様に口を開いた。
「それは、私達がいけないんです……」