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ヴィートグードの森は大きいが穏やかな森だ。人を襲う様な凶暴な魔獣が少ない。森の西の端に大きな教会が建っているので、鎮守の森としての役目を果たしている所以かもしれない。
東西に伸びる道は長く、馬や馬車で移動する者が多い。その為、馬車の通れる太い道と、参道としての少し細い道とが並行して作られている。元々は参道が主に使われていたのだが、今では太くより安全な道の方が主流になっている。細い道は何ヶ所も左右への枝分かれしているので、森に迷い込んでしまう者が後を絶たない事も、太い道が主流になった所以だろう。
ナディルは太い道を西へと向かって歩いていた。西の端の大きな教会のある街、パラスロットを目指している。このまま順調に行けば夕暮れ前には着けるだろう。艶のある黒いマントを翻し、旅慣れた様子で歩みを進めて行く。
ナディルには“探し物”があった。その“探し物”の為に、小さい頃から1人であちこちを旅している。もう、彼此10年以上経つ。全く家に帰らない訳ではないが、何度も旅を続けて、気が付いたらもうそんなにも経ってしまっていた。
最初は彼が6歳の頃。
ある日忽然と“それ”は消えてしまった。
彼の両親は混乱し、嘆き、憔悴していった。
彼の父親は感受性が豊か過ぎて、些細な事でも敏感に感じ取ってしまう為、精神的に打たれ弱い。この時の彼の取り乱し様は酷かった。
いつもはそんな父親を母親が気丈に支えていたのだが、今回の“消失事件”では、彼女まで自分の落ち度を責め続け、塞ぎ込んでいた。
ーー僕が頑張らないと。
小さなナディルは一大決心をした。
僕はお兄ちゃんだし、男の子だから。
僕が必ず見つけ出そう。
強くなって守ってあげるんだ。
ナディルは、家中のありとあらゆる場所を探した。屋根裏、浴槽、テーブルの下、戸棚の中、冷蔵庫の裏、お菓子の入った籠の中、玄関のラグの下… おもちゃ箱をひっくり返して、本棚から本を全て取り出して、ベットの布団は全て退けて木枠だけにした。“それ”がおよそ入り込みそうに無い隙間まで隈なく探したのに、見つからなかった。
家の中を探し尽くした後は、家の庭を探した。鉢の中を覗き込み、植え込みの裏側に入り込み、植えてある木の根元から幹の窪みまで舐める様に探した。小さな畑は掘り返して、大きな石はひっくり返し、花壇の花の間を這う様に進みながら目を凝らした。
ひょんな所に隠れているかもしれないから。
何かの手掛かりが息を潜めているかもしれないから。
次の日は家の前の林まで。次の日は街の中心まで。次の日は隣の街まで。
そうやって少しずつ探す範囲を広げていった結果、世界中を旅して回る羽目になったのだ。
それでもまだ“探し物”は見つからない。でも決して諦める事はできない。
昔の事を思い出しながら、変わり映えのしない緑の道歩いていると、ひと際大きな木が目に入った。
予定通り進めているので、少し休憩しようかな、と木の麓で立ち止まる。
立派な木を見上げると、幾重にも広げられた幹には、楕円形の薄い葉が豊かに繁っていて、風が通り過ぎる度、さわさわと葉を揺らしながら木陰を作ってくれる。
苔の生した太い幹には、金と銀の糸を依って編まれた細い縄が巻かれている。その縄からは金と銀の房と真っ白な紙垂が幾つか垂れていた。
教会の神木の1つだろう。手袋を取って硬い幹に直接触れると、澄んだエネルギーが身体の中に入ってくる様な感覚を覚える。この木はきっと想像も出来ないくらい、途方も無い時間を生きているんだな、と感慨深くなる。
ナディルは幹に触れた自分の右手を見つめる。
ナディルの父親は優しすぎて弱い人だが、とても優秀な力の持ち主だ。
“探し物”が見つけられる様にと手の甲に印を付けてくれていた。
普段から何かわかる様な印が見える訳ではないが、こうゆう場所ーー精霊の力の溜まっている場所に来ると薄っすらと青白い光を帯びる事がある。
普段は他人に見られると億劫なので、魔力の込められたエクリュの手袋をして隠している。
ナディルは今も薄ぼんやりと光っている手の甲を黙って見つめる。いつもより光が強い気がするが、辺りを見回してもただただ深い緑が覆い茂るだけで、道に人の気配は全くない。きっとこの木が大きな力を溢れさせているのだろう。
ナディルが手袋をはめるのと同時に、道を挟んで奥にある、小さな崖の上の茂みからガサゴソと音が聞こえてきた。