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カハクが案内してくれた宿は、質素だが、隅々まで掃除の行き届いた小さな宿だった。
宿の主人は大らかで気さくな人だった。
「カハク様の頼みなら断れないなぁ」
と、脂肪のついたお腹を揺らしながら、二つ返事で快諾してくれた。
よろしくおねがいします、と愛想のいい笑顔で挨拶をしたナディルと世間話を続けている。
「ここは奥様のパンも絶品なんですよね」
カハクは奥にいる、大人しそうな女性を見て微笑みかける。
女性は軽く頭を下げて、宿帳の整理を続けた。
受付の横の部屋は食堂になっている。扉のない入口から、木製の簡素なテーブルが6つ程並んでいるのが見える。
「ぜひ明日の朝、食べてみてください」
そう言って今度はライナに微笑みかけた。
ライナは小さく頷いたが黙ったままでいた。
普段とあまり変わらない表情ではあったが、不安と不満を湛えているとカハクには分かった。
ライナは感情表現が下手くそだ。人の些細な感情も読み取る事が上手なカハクでも、最初は何を考えているのか分からない事が多く、怒っているのかな、と思う事が度々あった。その度に、彼女の顔を覗き込むと、真っ直ぐな、澄んだ水の様な瞳を返してくる。今思うと、彼女が怒っていた事など一度も無かった。
一緒に居る時間が増えるにつれ、彼女の気持ちが汲み取れるようになった。彼女は様々な気持ちを内にため込んでしまう。そして自分で何でも背負おうとする。
カハクにはそれが不安だった。
誰かが気づいて、彼女の負担を減らしてあげないと。彼女は決して弱音を吐かないから。その内側に、強い意志と底知れぬ深い闇を感じる時がある。
彼女が潰れてしまいそうで怖かった。
「大丈夫。明日、話をたくさん聞かせてください」
カハクはライナにこっそり耳打ちする。
ーー私は話を聞いてあげる位しかできないけど。
カハクはライナの事を妹のように愛おしく、大切に思っている。
でも彼女を救ってあげられるのは、決して自分では無い。カハクには、ライナではなく、一番にしなければいけないものがあるから。
ナディルはきっとライナに良い影響を与えてくれる。ナディルの、ライナを見つめる目には愛情が籠っているから。
ーーきっと大丈夫。
願いを込めるように、祈るように、カハクはライナに微笑みかける。
ーー貴方が私を見つけてくれたように、彼が貴方を見つけてくれるはず。
カハクは後ろ髪を引かれつつも、2人を残し宿を後にした。