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ライナはセファと一緒に神殿に戻る。揺れる水面の光刺す中に、左腕を押さえて座り込むナディル、茫然と立ち尽くすシロガネ、互いの腕を抱え込む様にして怯えるイーヴァとエルヴァが居た。幻想的で美しい風景と傷付いた彼等がとてもミスマッチで滑稽に思えた。
ライナはナディルに近寄り、しゃがみ込む。ナディルは俯いているので表情がわからない。彼の強く押さえた右手の下からは黒く禍々しいものが見え隠れしている。ライナはそれが何かは分からないが、良くないものだという事だけはひしひしと伝わってくる。
「大丈夫?」
ライナが恐る恐るナディルの腕に触れようとすると、ナディルは右手でライナの手を勢いよく払い退けた。見た事の無い、強く鋭く冷たい目にライナは驚く。その顔は冷や汗をかいていて土気色をしている。戸惑うライナの顔を見て、ナディルは直ぐにいつもの笑顔をつくる。
「ごめん、でも大丈夫だから」
取り繕った辛そうな笑顔にライナはどうして良いか分からず、しゃがみ込んだままだ。ナディルの初めて見せる顔に、ライナは彼のほんの一部しか知らない事を思い知らされる。
ーーナディルは優しくて穏やかでいつも笑顔を絶やさない。少しお節介で心配性で、でもしっかりしていて頼りになる私の初めての本当の兄。
彼の事をとても大きな存在だと思った。自分より世界を知り、一人で生き抜く強い力を持っている。でも、その力の根源や代償、笑顔の裏の辛さや怒り、そういったものは何一つ知らない。
ーー私は彼の上辺しか知らない……本当は彼の事、何も知らないんだ
出会って間もないのだから無理も無いはずなのに……いつも間にか、常に隣りに居てくれる彼の事を知った気になっていた。そんな自分を恥ずかしく思い、何も知らない事実に愕然とした。それはライナが彼の事を知ろうとしなかったからかもしれない。誰かに深く関わろうとしてこなかった当然の代償だ。
「強がりはおよしなさい」
いつの間に後ろにはセファが立っており、溜息混じりにナディルに言う。そしてしゃがみ込むライナの肩にそっと手を置き、耳元で囁いた。
「シロガネの処へ。彼のフォローをお願いします」
ライナはセファの整った横顔を見た。彼の冷静さがライナの心に落ち着きを取り戻させる。ライナは頷き、ナディルを見つめた。ナディルは土気色の顔のままライナに微笑む。ライナは立ち上がり足早にシロガネの処へ向かう。
セファはライナが遠のいたのを確認してから、ナディルの腕を掴み大きく溜め息を吐いた。
「全く貴方は……もう少し賢いと思っていましたよ」
ナディルは何も言い返さず、笑顔のまま押し黙る。
「ライナには何も告げてないのでしょう?この左手の呪いの事」
「伝える必要は、無いですから」
ナディルの事だ。多分自分の事は殆ど話していないのではないだろうか。余計な心配はかけたく無いのだろう。しかし、それは状況によっては相手をより不安にさせてしまう。彼は上手くやるタイプだと思い任せていたが、やはりまだ未熟なのであろう。何せ人間の青年だ。妖精や精霊、竜族の様に長命ではない。彼に頼りすぎていた部分を否めず、セファは反省した。
「隠すのは構いませんが、もう少し上手くやりなさい」
「仰る通りですね」
ナディルは情け無くハハッと乾いた笑い声を出す。
「竜妃に言わなかったのは何故です」
「……あまり御手を煩わせたくなくて。すみません」
ナディルは情け無さそうに俯き、悲しげに目を伏せる。セファにはその気持ちが痛い程良く分かる。ナディルも彼女に魅了された1人なのであろう。ウォーラは何者をも圧倒する威厳と人を魅了するカリスマ性を持ち合わせており、女王に為るべくして為った人物だ。しかし同時に壊れてしまいそうな繊細さを隠しており、自分が支えてやらねばと思う。彼女を想っての行動であるのであろうが……
「こんな事になっては元も子もありません」
セファは彼の禍々しく黒く染まった左腕を自分の方へ引き寄せる。呪いは唸りながら確実に彼の腕を喰らっていく。悪意を持ったの蛇の様で気味が悪い。セファは胸元のポケットから包帯取り出しナディルの腕にぐるぐると巻き付けた。ナディルの様子にどこか違和感を感じたウォーラが、旅立つ前にセファに持たせたものだ。包帯の内側には古代文字がびっしりと書き込まれていた。
「これは応急処置にしか過ぎません。城に戻ったら必ず竜妃に見てもらう様に」
きつく言うセファにナディルは素直に黙って頷いた。