12
ティレットが呼んでいる。
光差す彼女の庭で手招きをする。彼女の小さな白い手はひらひらと蝶みたいに揺れる。木漏れ日が影を落とし、爽やかな風が吹くと甘い花の匂いと共に金髪が光を孕み踊る。
今日は特別な日。ウォーラが出掛けて居ない日。北東の方の遠い大陸に行くと言っていた。そして、何と今日はセファまで居ない。セファはアレもやっちゃダメ、これもやっちゃダメと口煩い。だから、今日は特別な日なのだ。少し不安だけど、とても自由。何をやっても怒られない。素晴らしい開放感と何かが起こるかもしれない、わくわくドキドキした気持ちで心が弾む。
ライナはわくわくしながらティレットに駆け寄る。
何だろう?何か素敵なものでも見つけたのかな?秘密のお菓子があるのかな?
「ライナ、付いてきて」
ティレットはライナの小さな手を引く。
どこに行くのだろう?冒険かな??
ティレットは振り返り、ライナの両手を握り、しっかりと目を見て言う。キラキラと輝く瞳は宝石を閉じ込めたキャンディーみたい。
「絶対に忘れないでね」
ティレットの真剣な眼差しにライナは何だか不安になる。そんなライナの気持ちに気付いたティレットはふんわりと微笑む。まるで大輪の花が綻んだみたいだ。空気も甘くなったみたい。
「大丈夫。“ライナなら”覚えられるから」
ライナは根拠の無い自信に満ちて大きく頷く。ティレットを失望させたく無い気持ちもあった。じゃあ、とティレットはライナの手を引き、世界樹の根元にやってきた。
「最初は世界樹から始めよう」
世界の最初と同じで覚えられるでしょ?とティレットは優しく微笑む。うん、とライナも微笑み返す。
「まず最初は世界樹を北西」
そう言ってティレットはずんずんと歩き出す。冒険の始まりだ。ライナはスキップしたい気持ちを抑えて、ティレットに付いて行く。
緑が心地良く、小鳥達の楽しそうな歌声も聞こえる。普段の庭が違って見えた。空気がひんやりとしている。
ティレットは急に立ち止まる。彼女の足元には小さな白い花が沢山咲き乱れていた。まるで粉雪が散らばったみたいだ。
ティレットはその花を指差して言う。
「コールナを見つけたら南」
そう言うと、ライナの手を引き、南へと歩き出す。ライナは状況がよく分からなかったが、彼女に従い後をついて行く。
沢山歩いて少し身体が火照ってきたのか、ライナは汗ばむ。すると、また彼女が立ち止まる。其処には見た事の無い花が咲いていた。コロンとした丸みを帯びた茎に細かく小さな棘が幾つも生えている。そしてその天辺には幾重にも花弁の重なった白い花が咲いていた。まるで頭に飾りを乗っけておめかしをしているみたいで可愛らしい。
「かわいいね」
ライナがその花の側にしゃがみ込んで見惚れていると、ティレットはにっこりと微笑んで花を指差す。
「覇王樹の花が咲いていたら西」
そしてライナの手を引っ張り歩き出す。
今度は緑が濃くなり、足元よ石に苔の蒸してくる。湿度が増し、湿った土の暖かな匂いがしてくる。頭を垂れたラッパ状の真っ白な花が凛と咲いている。
またティレットが足を止める。
「百合を東」
また呪いの様に唱えて次へと歩き出す。
ーーどこに行くんだろう……?
答えに検討も付かず、ライナは胸が不安と期待が一杯になる。でもティレットには何故か聞けない気がしている。彼女の揺れる髪を眺めながら無言で歩いていると、そんか空気を払うかの様に風が吹き抜けた。白く小さな花弁が空を舞う。目の前に現れたのはグルグルと大木に巻き付く蔦に咲く菱形の花弁の花。
「木蔦を南東」
森が濃くなっていくのが分かる。ジャングルの様に鬱蒼とした木々の間を進むと派手な植物が増える。
「時計草を南西」
ティレットの金髪を追う。置いていかれないようにしないと。躊躇なく歩む足取りを必死に辿る。水音が近い。心地良い風が冷気を孕んでやってくる。
「アカンサス=モリスを北東」
ライナはティレットを追うのに精一杯になる。この森に繁る木々の様な不安と小さな期待で胸がドキドキする。
「クリサンチウムを見つけたら奥へ進んで」
先程まで辛うじてあった獣道の様な歩きやすさは無くなってしまい、ティレットは道なき道を進み、躊躇いなく深くなる緑を掻き分ける。
「ほら」
そこは緑が一層濃く、むせ返る様な匂いがする。木の枝が幾重にも重なり、蔦が絡まり合い、足元には草が所狭しと生え、苔がむしている。有りとあらゆる緑の中、一筋、光が射していた。
柩だ。
真っ白な、一切の汚れの無い柩が其処にひっそりとあった。
彼女がそれを開けると、其処には秘密が眠っていた。
彼等の視線から逃げ、身を隠す様にひっそりと。誰にも侵されず、清らかに。幾重にも張り巡らされた扉の奥に硬く護られてきた秘密が。
ティレットは人差し指を立てて小さく麗しい口元に持っていき、小声で話す。
「これ……次……ーー」
そこで映像がブツリ、と途切れる様に消えてライナは覚醒した。ライナの頬には一筋の涙が伝う。