第3-3話 変わらない日々
朧達が通う学校から遠く離れた都市部。スーツを着た人達が男女問わずに歩く大通りを眺めながら、メモリは手元のコーヒーに口を付けた。
「ふぅむ・・・」
この店の売りはブレンドらしいが、メモリは家で飲むコーヒーの方が好きだった。ここは酸味がぬるい。
家で飲むコーヒーは凛堂が豆やらブレンドやらを全て取り仕切っている。小学校6年生にして『我が家にコーヒーメーカーが必要なわけ』という作文まで作って訴えてきたのは良い思い出だ。
思い起こせば凛堂が『本が欲しい』以外に言った初めてのわがままじゃあないだろうか。
そんなことを思いだしながらもメモリの目はせわしなく大通りを行き交う人達に注がれている。何度も時計を確認するが、待ち合わせ時間を過ぎているという事実はひっくり返ることはない。
「・・・相変わらず時間にルーズな奴だ」
メモリは気を紛らわせるように持ってきたノートパソコンをネットに繋げた。登録してあるサイトの中から有名玩具店のサイトを開く。特売はやっていないか?子供達が欲しがりそうなものはないか?できれば教育的に良好なものがいい。
「・・・娯楽室に新しいゲームソフトでも置いてやるか?」
ただ、そんなものを買うよりも折り紙かトランプを与えてやれば皆楽しそうに遊んでくれるのだ。上級生は下級生に丁寧に教えてやったり、勝ちを上手く譲ってやったり。最近はTRPGなるものを歌燐が買ってきて大好評だった。RPGをアナログでする遊びだ。自分がアメリカにいた頃はメジャーな遊びだったが、日本ではマイナーらしい。
歌燐がいればああいったアナログな遊びの方が子供らは夢中になる。歌燐の得意技だ。笑顔を忘れず、節度を守らせ、誰しもが入りやすい輪を作る。
「学校じゃ無愛想にしていると聞くがな・・・反動かねぇ」
子育てとはつくづく難しいものだ。実験用のラットを相手にしていた時の数百倍難しい。
メモリはTRPGのゲームブックを探しているうちに、子育て教法を調べだしていた。
それはすぐに止め、続いてネットで検索をかける。ネット上に転がっている体験談はメモリにとってほとんど役に立たない。調べている内容はいつの間にか英語に代わっていた。そして、最終的には世界中で発表されている論文を掲示してあるサイトへと移っていた。
「・・・・・・・・・」
虐待を受けた子供成長過程の調査。同一性解離障害患者の追跡調査。記憶喪失時における行動パターンの解析。
実のところメモリが一番手を焼いているのは朧達の三人だった。
特にメモリが困っているのは朧だ。あいつは大きな問題をその身に抱えている。
「いやーすまねぇな。待たせたメモリ」
「遅いぞ。黒助」
メモリはノートパソコンを畳み、脇にどける。目の前に座ったのはボサボサの髪に無精ひげを生やした男。スーツにくたびれたネクタイ姿だが、そのどれしもがだらしなく着崩されている。疲れ切ったサラリーマンといった格好だ。彼は大きめのジュラルミンのケースを脇に置いた。
「ああ、水をください。ピッチャーで。喉乾いてしょうがなくて」
店員に水を頼み、何杯も煽る。5杯目を飲みきったところで黒助は世間話でもするように話を始めた。
「どうだい、子供達の様子は?しっかり母親できてるか?」
「お前に言われたくないな。未だに独身だろう」
「俺の隣はいつも空けているのさ。相手は決まっている、目の前にもいる。だが、どういう訳かめぐり合わせが悪い」
メモリは特に表情を変えることなくコーヒーに口を付けた。
「告白もプロポーズも。俺が一世一代の大勝負に出る時はその直後に大事件が起きる」
「その自覚があるなら二度と大勝負には出るなよ。私は今の生活が気に入っている」
それから少し間が空いた。お互いの間に流れる空気が微かに張り詰める。緊張感とは少し違う気まずい空気。それを破ったのは黒助の方だった。
「そうかい。ならまぁ、言うことはない・・・いや、言うことはあるな。メモリが気に入っている今の生活を脅かす連中についての情報を持ってきたんだった」
「ああ、話が遠回りで助かるよ」
皮肉を織り交ぜつつもメモリは真剣な眼差しで黒助を見つめる。
「朧の奴が襲われたんだったな。怪我はどうだ?」
「今日も普通に起きてきていた。瞳孔も歩行も正常だ。大丈夫だろう」
「そうか・・・あいつらは普通に学校に?」
「ああ、もちろん。学費を払っている以上、学べるものは学んできてもらわなくてはな」
「だけど、襲われたのは昨日の今日だろ?朧に監視とかがついたら『Memory』の場所が割れる危険があるぞ」
「その理屈なら朧はこの事件が解決するまで地下にでも監禁しなければならないだろうが」
黒助はコップの水を飲みほしてピッチャーからまた水を注ぐ。これで3杯目だ。
「その理屈は極端すぎるだろ。せめて家の中にいてもらうとか」
「それはできんだろ」
黒助は困ったように頭をかいた。
「確かにできんな」
「私はあいつの保護者だ。あいつの日々に負担をかけたくない」
黒助はまた水を飲み干す。
「・・・母親らしくなってきたな」
「・・・私なんかまだまださ・・・それより」
「ああ、わかっている」
黒助はコップを脇にどけてテーブルを空ける。そして、懐から大きめの端末を取り出した。
「俺達が潰したあの研究施設。一応、その後に解体した組織や在籍していた研究者の足取りは全て追っかけている。今回はそれをかき集めてきた。検証している暇が無かった。少し手伝ってくれ」
そんな黒助にメモリは皮肉な笑みを向けた。
「おや、仕事が遅いじゃないか」
「俺は情報屋でもスパーハッカーでもない。そこらにいるごくごく普通の会社員だ。今日も有給を取ってこういうことをしているんだぞ。そうそう簡単に仕事が終わるか」
そんなことを言いつつも黒崎はテキパキと端末に端子を繋いだ。メモリのノートパソコンに接続してデータを送信する。
「目撃者の一人でもいれば探すのも楽なのだがな」
「ぼやいても始まらん。朧も魔法の使用で記憶が曖昧になっている。今は一から全てを追いかけていくしかあるまい」
「こっちは金の流れを追っかけている途中だ。メモリ、お前は人の流れと研究データの移動を追ってくれ」
「いいだろう。もとよりそのつもりだ。それで、狙いは?」
「今の俺達と同じことをしている奴。つまり・・・」
「あの研究のデータを追跡している連中を探し出せばいいわけだ」
送信された大量のデータ。PDF化された資料や、予算を書き連ねた表やグラフの数々。全部に目を通すだけでも一日そこらで終わる量ではない。当然、時間がかかる作業だ。
「昔の仲間はどうなっている?」
「もちろん手伝わせている。時差ってこういう時に便利だな」
仕事を依頼してから今まで10時間以上たっている。日本では夜の時間でも、国を隔てれば働き時になる。だが、他の仲間に頼るだけでは心もとない。なにせ、いざと言う時に朧達の隣にいてやれるのはメモリと黒助しかいない。
メモリたちが相手の所在をつかむのが先か、それとも例のサラリーマン風の男がこっちの所在をつかまえるのが早いか。
今はとにかく、情報を追いかけるのみだ。
「ああ、言い忘れていた。最近この辺りで通り魔が出現するのは知っているか?」
「もちろんだ。被害者が記憶喪失だというのなら目につかないわけがないだろう」
「被害のあった場所を一応確認しておいてくれ。何かの訳に立つかもしれない」
メモリは画像フォルダと思しき場所を開く。地図にいくつもの赤い点が示された。その点は首都圏一帯に点在していた。
「このご時世なら、犯人が都心にいるとは断定できないだろう?」
地方都市からでも2時間かければ首都圏には余裕で入れる。これだけで犯人が近くにいると考えるのは難しい。
「それでも、一応な」
メモリはアプリを使用しその地図に新たな印をつけた。場所は昨日朧が襲われた場所だ。
「・・・・・・・」
メモリは少しの間それを眺めて閉じる。今はやるべきことがあった。そして、メモリは渡された資料に目を通しはじめた。
昼食時、朧は弁当を持ち寄って教室の中心付近で食べていた。人に囲まれ、適当に笑い、適当に過ごす。居心地がいいとは言えないが、過ごしやすいことは間違いなかった。輪の中には桐花も黒髪美人の緑さんもいる。だが、歌燐はここにはいなかった。教室にもいない。あいつがどこで弁当を食べているのかは知らなかった。いつも、気が付いたらいなくなっているのだ。
多分、あいつは軽いイジメに合っているように朧は思っている。無視されているわけでも、嫌がらせを受けているわけでもない。ただ、クラス全体と歌燐の間にわずかな疎外感があるのは朧も気づいていた。
「そういやさ。気づいた?舞姫、裾のとこ濡れてたよ。黄色く」
「うぇえ!もしかして小便ひっかけららたんじゃない?」
「私触っちゃたかもぉぉ!」
歌燐が連れて行った子共達のおしめはとっくに取れている。ただ、それを指摘しても藪蛇なので黙ったままにしておいた。
歌燐はいない時の方が話が盛り上がる。噂話に尾ひれがつくことも陰口を叩かれることも歌燐は断トツで多かった。
誰にも物怖じしない態度で友達を作る努力をしないあいつも悪いと言われればそれまでだが、朧としてはあまり面白い話題ではなかった。
「マジかよ・・・ありだな!!」
桐花に視線が集まった。
「桐花、今のはさすがに」
「ちょっと引いた」
「うぇええ!」
大袈裟なリアクションを取る桐花。
「俺、友達やめた方がいいかな?」
「なぁあ!海馬までぇ!俺が何を言ったってんだよ!」
「いや、だって子供のおしっこが好きって・・・」
「違う!俺は舞姫が穢れているのが・・・・・・・あぁ、もうやめとこ」
何かを察したのか桐花は口を噤んだ。とはいえ、手遅れだ。
そこに新たな話の種が産まれ、桐花が話のネタにあがる。
話のやり玉を自分に移した桐花。朧も桐花の間抜け面を指摘して笑いを取る。
「ひでぇえ!誰か俺を弁護してくれる奴はいねぇのか?」
もしかして・・・狙った?
そんな疑問もすぐに朧は脇に流した。どうでもいいか・・・
その日の桐花の話題は授業のチャイムが鳴るまで続いた。
午後の授業は物理と数学。公式を何種類か使えるようになれば解ける科目は得意だ。というか、逆にそれ以外が苦手で仕方ない。
知っていることばかりで簡単な授業を聞き流し、朧は放課後を待つ。
「起立!礼!」
その瞬間、朧はすぐに鞄をひっつかんだ。
「おぉーい、海馬!海馬!俺も一緒に帰るよ!」
「今日は迎えに行かないと」
「だから俺も行くっての。妹のお迎え」
そういえば、こいつの妹も幼稚園に通っていたな。
「そっか、お前がお迎えなんだな」
「そうなんだよ。せっかくのデートの約束が取れそうだったのになぁああ」
それでも妹を優先するあたり、兄貴としての最低限はこなしているようだ。
教室を出てやや速足で廊下を歩く。
「あっ、海馬君!」
後ろから名前を呼ばれて振り返る。
「それと・・・桐花、二人共みんなと一緒に帰らない?」
緑さんだった。
「今日、駅前のドーナッツ屋が100円セールしてるからみんなで・・・」
「悪い、今日幼稚園の迎えにいかなきゃならないんだ」
「俺も!そう言うわけでゴメンっちゃい!」
「あっ・・・そう・・・じゃあ、早く迎えに行ってあげないとね」
「またな」
「お疲れちゃーん。また明日ね~緑ちゃーん」
階段を降りてすぐ桐花に小突かれた。
「残念だったな。だが、まぁこれで俺らは仲間だな」
「なんのはなしだよ?」
「決まってるだろ。俺はユキコちゃんとのデートがなくなり、お前は緑ちゃんとのデートを棒に振った。ここに悲しき男の同盟が設立された」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ」
「あのなぁ・・・お前、緑の好意に気が付いてるんならはっきりと言ってやるのも。って、ちょっと待ってくれって」
靴を履き替えて先に行ってしまう朧を桐花は追いかける。
「それで気まずくなるのは御免なんだよ。折角できた友人の輪を乱したくない」
「まぁ、なぁなぁで卒業してしまえばいいってのもわかるけどさ。恋愛なんていつでもできるしな」
朧は桐花をちらりと見る。恋愛がいつでもできるってのは違うと思っていた。『命短し恋せよ乙女』あながち間違っていないと朧は思っている。人の命は短く、軽く、そして容易だ。
まぁ、朧がそれを言っても若者の病をこじらせているとしかとられない。だから言わない。
朧は適当に話を合わせて桐花と共に幼稚園に向かった。
その頃、教室では残った人達が緑を中心に話合いをしていた。議題はずばり朧のことだった。
「ガード固いよなあいつ。施設のチビを盾にされたら強引には迫れないしな」
「空気読めよって感じだけどね。もしかして、体のいい逃げ道なんじゃないの?」
「それだったら、緑ちゃんは対象外なのかね。諦めたら?」
話を振られた緑 明日香は微妙な表情で唸った。
「でも・・・アタックしないうちに諦めるのは・・・ちょっとな。なにごともやらずに諦めたくない」
緑はそう言って目に闘志を燃やす。
「じゃあ校舎裏にでも呼び出してコクっちゃえば?」
「ええ・・・それは・・・無理でしょ。校舎裏も体育館裏もないし」
ベタが嫌いな緑ではないが、それにしたってシチュエーションというのは大事だ。一人の女の子としてロマンチックを追い求めるのは間違ったことではない。
「じゃあ、どういうのがいい?」
「・・・体育倉庫で二人きりとか・・・」
途端、黄色い声や冷やかしの声があがった。
「うわー緑ちゃんだいたーん」
「俺と、俺と体育倉庫行こうぜ」
「うっさい!猿は黙ってろ」
「そ、そういう意味じゃなくて!ちょっとああいう場所で海馬くんと同じ思い出をね」
緑は言わなければ良かったと少し後悔。だが後悔しても口にした言葉は帰ってこない。
「思い出、かっこ意味深ですね」
「違うって!そういうのじゃなくて、普通に!普通の!」
好奇心旺盛な高校生にそういう話題を振れば話がヒートアップしていくのはある種の必然だ。少女マンガを読んでるだけで頬を赤らめることのある緑にとっては藪をつついて、蛇を呼び出した結果になってしまった。
「ああ、でもそれなら舞姫に邪魔されることもなくていいかもな」
ふと、その名前が出て緑の表情がやや曇った。
「別に邪魔されたことはなくない?」
「まぁそうだけどさ。どうなんだろうな。その辺って海馬にも突っ込んで聞きづらいしな」
あまり海馬と舞姫が学校で仲良くしているイメージは無い。だが、緑はあの二人が時々一緒に登下校している姿をみかける。するとどうしようもなく暗い感情が湧き上がるのも事実だった。
『あなたに入り込む余地はないのよ』
そんな風に言われている気がしてしまう。多分、あの人は私よりも海馬君のことをわかっている。たくさんの彼を知っている。それを突き付けられるような二人に緑はいつも嫉妬してしまうのだ。
緑の中に負けたくない、取られたくないといった想いが湧き上がる。
「告白してみようかな」
ポツリと言うと周囲が冷やかすように感嘆をあげる。
「いいねいいね!恋愛なんてどうせ早いもの勝ちなんだから」
「だね、お試し期間だとでも思ってやっちゃいなよ」
「だから、私そういうのは・・・」
「体育倉庫なら俺達がおぜん立てしてやるからさ。大人の階段をのぼっちゃえって」
「違うって言ってるでしょ!そういうことはしません!」
「かまととぶるな!」
「リアルで初めて聞いたよその台詞・・・」
一度話が始まるともう止まらない。唐突に始まる緑の告白へのおぜん立て。だが、緑は悪い気はしていなかった。
どうせ私は彼が好きなのだ。
ここらで腹をくくるのも悪くない気がしていた。それに彼との思い出を一つ作れるのならそれに越したことはない。特に舞姫さんの知らない彼との思い出が増える。それだけで良い。緑は彼女の優位に立てる瞬間を待ち遠しく思っていた。