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第3-2話 変わらない日々

「・・・お弁当」

「のーりん!行ってきまーす」

「・・・お弁当」

「それじゃあお先です、のーりん」

「・・・お弁当」

「なんだかマラソンの給水みたいだな」

 時間が押したせいでいつも以上に慌ただしい朝食になった今日。朧としてはイナゴの佃煮がやはり強敵だった。

 だが、皆々の努力があり誰も遅刻しないであろう時間に出かける準備は整った。

 そして、朧が玄関のところにいくと凛堂がお弁当を出かけていく中学生に手渡していた。

 その手際は朧が喩えた通りマラソンの給水場のスタッフのようだった。

「・・・朧で最後」

「幼稚園組のは?」

「・・・もう歌燐に渡した」

 凛堂は最後に残った弁当箱を自分の鞄に入れた。

「・・・戸締り」

「OK」

「・・・火の用心」

「見回った」

「・・・なら・・・いこ」

「おう」

 最後に朧は大声で『Memory』の中に呼びかけた。

「いってきまーーーす」

 『Memory』 の中には幼稚園組と歌燐が残っている。幼稚園は9時からなので、歌燐は少し遅れて学校に向かう。多分遅刻になるが仕方ない。

「いってらっしゃーい」

黄色い声の合唱。朧と凛堂はそんな声を背に受けて『Memory』を後にした。

 朧達が通う高校は歩いて20分程度の場所にある。小高い丘の上にある学校だ。つまり学校に行く為にはその丘を登らなきゃならない。

「ああ・・・くそ」

「・・・どうしたんですか?」

「きついんだよ」

 どうしてこう坂の上に学校を建てるんだろうか。平地でいいだろ、平地で。

「・・・・・・仕方ありません。この山は土地が安いんです」

 心を読んだ?いや、普通の会話の流れだったよな今のは。

「・・・それに・・・朧は鍛えてるのにきついんですか?」

「運動にはな筋肉痛というものがあってだな」

「・・・・・・そうですか・・・」

 嘘だった。本当は筋肉痛ではなく体幹に力が入らないのだ。昨日の戦いが響いていた。

「・・・・・・・・・」

 凛堂の視線が刺さる。こいつにこうやって見られていると、心の奥底まで見られているような気分になる。彼女は俺にとって大事な人だが、こういう時は少々気まずい。

「・・・・・・強がりも・・・大概にしてください」

 冷たい声音だった。でも、朧は強がりを止めることはしない。それがいろんなことを失いながらも手に入れた朧のアイデンティティなのだ。

 朧が朧である為に『強がり』というのは大事なものだった。

「・・・・・・はぁ・・・・背中・・・押しましょうか?」

 おや、と思う。

 彼女にしては随分と積極的なことだ。普段ならこのまま突き放され、先に歩いて行ってしまってもおかしくはない。

「・・・・・どうします?」

 その言葉は嬉しい。だけど、問題があった。

「遠慮しとくよ。お前の細腕じゃあ猫の手にもなりゃしない」

「・・・そうですか」

 凛堂の顔に別段変化はない。怒っている様子はなかった。

「・・・猫の手・・・・・・にゃあ」

 思わず怪訝で凛堂の方を向いてしまった。

「・・・なんですか?」

 わずかに凛堂は頬を赤く染めていた。

「いや、気のせいだ」

 聞かなかったことにしてやった。

 その時、朧は後ろから名前を呼ばれた。

「おーい、海馬ぁ!」

「・・・・・それでは」

「おう」

 まだ坂の途中。だが、朧は立ち止って友人を待ち、凛堂は先に進んでいく。

 朧が後ろを振り返ると髪を金色に染めあげた長身の高校生が坂を上ってきていた。向こうから声がかかる。

「おはようさん」

「おはよう。なんか御機嫌だな」

「そうかい?そうかい?ぐふふ、実はなオレな」

「ああ、言わんでいいや」

「えぇっ!聞けよ、なぁ聞いてくれよ。昨日の合コンでな・・・」

 聞きたくもない話を垂れ流す友人。名前は桐花 哲司。数少ない朧の友人だった。

「それで俺はミカちゃんを狙うと合図を出してたわけよ。それを横からかっさらいやがって大輔の野郎。いやいや、ミカちゃんはもういいんだよ」

 学校に歩く人の列。朧はそれに流されながら友人の話を聞き流す。

「で、ユキコちゃんってのがなもう俺にアタック仕掛けまくってきたわけよ!これぞまさに春到来!俺の頭の中が花畑だったぜ」

「お前の頭はいつもお花畑だろうが」

「まぁまぁ、でな・・・」

 いつまでも続くこいつの武勇伝にうんざりするうちに朧は教室についた。凛堂の姿は無い。彼女は別のクラスだ。

「おっはよー諸君!」

 テンションが振り切ったまま教室に入る桐花。朧はその横にくっつくようにして教室のグループの会話の中に入って行った。

 適当に相槌を打ち、適当に笑う。気楽なもんだった。

 チャイムがなる。綺麗に7:3に髪を分けた初老の先生が入ってくる。ホームルームが始まり、出席が取られる。

「舞姫・・・あれ・・・」

 歌燐の返事に代わって返事をしておく。

「遅刻してきます」

「はい、わかりました」

 彼女が遅刻すると聞き教室の周囲でくすくすと笑い声があがった。それはおそらく嘲笑と分類されるであろう笑い。

「また遅刻だって・・・」

「あの人出席危ないんじゃない?」

「留年とかしたらウケるんだけど」

わずかに聞こえる陰口は朧が聞いていて感じの良いものではなかった。

 朧と舞姫、それと凛堂が同じ施設で暮らしていることは教師含め皆が知っている。だが、朧にあのような嘲笑が向けられたことは無かった。

 授業が始まる。一限は英語だった。

「あぁ・・・つまりこの文章は・・・」

 教室の一番窓側、真ん中あたりの席に座っている朧は黒板に羅列されるアルファベットをぼんやりと眺めていた。

「はいそれじゃあ、訳してもらうぞ。海馬」

「えー・・・なんで俺なんですか?」

 口から洩れる不平不満。日付でも順番でもなく唐突に名ざしされた。教師の憎たらしいまでの笑顔が向けられる。

「口答えするなら先に訳を言え」

 厳しい口調。眼鏡の奥にある意地汚い目を睨みつけ、朧は一言だけ。

「私は・・・・・・・・・あとはわかりません」

「わかったのはIだけか?中学一年のレベルだな」

 笑いが起こる。さっきの歌燐の時とは違い、純粋な笑いだ。バラエティ番組を見た時のような笑い。とはいえ、人一人晒し者にしておいて起こる笑い正しいかどうかは疑問だった。

「先週の単語テストの復習をしていないようだな」

難しい単語だけを羅列した複雑怪奇なテストだった。朧の口から溜息が漏れる。

「しましたよ。でも、忘れました」

「それじゃあ復習と言わんだろ」

 反骨精神を見せるのも面倒で朧は「すみません」と頭を下げる。

「よし、座っていいぞ。これの訳はだな・・・」

 席に座った朧に周囲の生徒が「気にするな」とジェスチャーを送ってくれる。特にしつこくジェスチャーを送ってくるのが二人。一人は桐花の奴。からかうような笑顔のおまけ付きだった。

そしてもう一人。

長い黒髪をした女子。苗字は緑、名前は覚えていない。朧は両方を無視して自分のノートに視線を落とした。

 そこには黒板の板書が癖のある字で写されている。要所要所には先生の話した内容もメモしてある。試験前に見直せるぐらい出来の良いノートだ。朧も英語の文法とか、訳し方なんかは理解していた。だが、わからない。

「はい、次の文章を・・・桐花」

「えーと、私達が世界を把握する為に必要なのは広大な社会の情報を集めた時にそれらを理解する為の土台と・・・なんですかこれ?」

 桐花がわからなかった単語。朧もわからない。一度覚えたような記憶はあるのだがどうも思い出せなかった。

「hypocrisy、『偽善』だ」

 その単語ってメジャーなのだろうか。朧は一応紙の辞書を開き、意味をチェック。ノートのメモにも書き込んでおく。

「さて・・・次は・・・」

 何度もその単語を流し読み、雑紙に手遊びのように書きなぐる。もちろんその間にも先生の授業を聞くことを疎かにはしない。

 これだけ真面目に授業を受け、家に帰っても勉強には手を抜かない。だが、それでも朧の英語の成績は振るわなかった。

 英語だけじゃない、古文も漢文も歴史も地理も生物も化学も苦手だった。現代文も漢字の書き取りだけをピックアップすれば成績は酷いものだった。

「それでこの関係代名詞の後ろに主語と動詞に見える単語が続いてだな・・・」

 苦手なのだ。

 覚えるという作業が。自分でも嫌になるぐらい。

 授業の内容が文法の話になってきて、朧の手が空く。朧はまた雑紙に今日出てきた単語を書きなぐる。何度も何度も何度も。

 それでも、ふと気を抜くと綴りや意味がわからなくなってしまう。

 朧は授業が雑談に入ったのを確認してノートの前のページをパラパラとめくった。授業を受けた記憶は微かに残っている。内容を復習したことも覚えている。なのに、所々に出てくる新規単語の意味は思い出せない。

 朧は自分の後頭部をさすった。指で頭蓋骨に触れる。髪の下を丁寧になぞると、一部だけ不自然な凹凸があるのがわかる。その周囲の皮膚は何度も縫合と切開を繰り返された痕が無残なまでに残っていた。

周囲の髪で覆っているため目立たなくなってはいるが、いくら隠してもそこが常軌を逸脱していることは事実だった。

 わずかな傷を残しただけで医者が訴えられる世の中。これ程に汚らしく、適当に、やっつけ仕事のような痕を残す医者はいない。これは明らかに違法な者の手で治療された痕だ。

 この頭皮をめくりあげ、頭蓋を開き、中の膜を取り除いて脳をどける。きっとそこには小さくて精巧なチップのような機械が埋め込まれていることだろう。周囲にコードを張り巡らしたチップ。不気味な駆動音が今にも耳鳴りとなって聞こえそうだった。脳の内側に突き刺した針先から情報を奪い、そしてエネルギーとして変換するチップ。

 こいつだ。こいつのせいだ。

 朧は自分の髪をぎゅっと握りしめた。

 皮膚を掻き毟り、頭蓋を砕いて、脳を穿り返してこいつを抜き取れたらさぞかし痛快だろう。

 唐突に馬鹿笑いが起きた。

 朧は驚いたように顔を上げた。

 憎たらしい顔でドヤ顔をしている教師。バカな冗談に笑っているクラスメイト。

何が面白いのだろうか。朧には笑っているクラスがどこか遠い景色のように感じた。

多分、朧が『魔法』を出せばこの教室を血の海という言葉が生温い程の状態にまで変えられる。空気の爆発で何人かを圧殺、大砲を周囲に全力で放ち続ければ動く人間はいなくなる。

 そして朧は全てを失う。地位や立場だけではない、自分の名前も今までの記憶も何もかも失い抜け殻になる自分を思い起こす。

「・・・遅れました」

 ふと、その声が笑い声の収まった教室に響いた。その声が朧を現実に引き戻した。

「舞姫か。随分と遅い登校だな」

「家庭の事情です」

 教師相手にも一歩も引かない強い声。彼女は堂々とした様子で自分の席についた。

 ふと、彼女と目が合う。こっそりと中指を立ててきた。

 いい度胸してやがる。朧は親指を下に向けて挨拶を返す。

 さっきまでの鬱屈した気分はどこかに行ってしまった。

アホ臭いことを考えていた。あんな妄想をするのは中学二年までで充分だ。現実逃避をする前に目の前の問題を解決することが先だ。具体的には今日の授業内容だ。

朧はようやく終わった雑談を尻目に板書の内容を辞書で調べていった。


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