第3-1話 変わらない日々
翌朝、朧は目覚ましの音で目を覚ました。時間を見ると朝の6時前である。朝礼が6:30、準備の為に早めに時計をセットしたのだった。朧は頭の上にある時計に手を伸ばそうとする。
「っつう・・・」
節々の痛みが朧を襲った。痛みをこらえながら時計を止める。
朧は小さく唸ってベットから起き上がる。ベットと机と小さなクローゼットがあるだけの小さな部屋だ。高校生になると個室が貰えるのが『Memory』の規則である。
朧はジャージをめくって腹を見る。贅肉の無い腹部に青あざがいくつも浮かんでいた。こうしてみると昨日の戦闘の激しさがよくわかる。
だが、一日見つめたところで怪我が治るわけではない。
朧は欠伸をして立ち上がった。
カーテンを開けると綺麗な青い空が広がっていた。
朧は肩を回しながら、机の上の日記を確認する。下手くそな字で昨日の出来事が書かれていた。楽しかったことではなく、きつかったことや辛かったことが主に書かれていた。
道場でメモリさんにボコボコにされたこと。晩飯のイナゴの佃煮。そして、昨日の魔法使いとの戦い。
昨日の部分を流し読んでいる間に眠気は覚めていった。
「さてと・・・」
ジャージのまま朧は部屋を出て行く。廊下はまだ静かだが、ちょっと早めに起き出した子がうろうろしていた。
「おはよ」
「おはーーよう・・・朧兄」
「おはよう」
まだ寝ぼけてるような返事を受けながら、朧は『Memory』 の表玄関に向かった。
「おう、朧。起きるのが遅いぞ」
「メモリさん」
パンツスーツのメモリさん。その姿は金髪碧眼白い肌のキャリアウーマンだ。
「久々に見ましたけど、似合ってますね」
「ふっ、褒めても何もでんぞ」
それでも履いているのはハイヒールではなく軍用ブーツなのだから、色気も何もあったもんじゃない。
「後は任せた。朝食はまとめて作ってある。あぁ、ちょっとご飯が足りなくなるかもしれないから、冷蔵庫の冷や飯をだな」
「こっちでなんとかしますよ」
「そうか?頼むぞ。これが今日の予定表だ」
「ういーっす」
メモリさんは表玄関の鍵を開けた。
「あっ、そうだ」
だが、メモリさんは何かを思い出したかのように朧の方を振り返った。
「今日の晩飯は何がいい?エスカルゴの他にもう一品加えたいんだが」
「ああ、そうですね・・・」
朧は自分の腹の虫と舌の根に染みついた味を思い出した。
「・・・カルボナーラとか」
「ほうほう、私の得意料理だな」
「お願いします」
「いいだろ。楽しみにしておけ」
メモリさんは後ろ手に手を振りながら歩いていく。昇ってきた朝日が朧の視界を覆う。メモリさんは白い光の中に消えるように出かけていった。
「本当に・・・天使みたいな人だよな」
あの人のそんなところに何度救われてきたことやら。
朧は大きく伸びをした。
「くぅぁ・・・っつ」
痛めてた箇所を再確認。バカなことをした。
「って、これからラジオ体操だよな」
これだけ打撲やら痛みを抱えているとラジオ体操といえども憂鬱になる。まぁ、ぼやいていても始まらない。朧は玄関脇の宿直室からラジカセを持ち出して外に出た。
『Memory』の外はちょっとした公園みたいになっている。メモリさんがコンクリを引っぺがし、建物一つ破壊してまで改造して作り上げた場所だ。
カラフルなゴムのパネルが円状に敷き詰められ、遊具もまた円形に並ぶ。中央部分は広いスペースが設けられており、ここでバーベキューやら、カレーやらを作って食べたこともある。『Memory』のプライベートパークである。
朧がそこの中央に立つと正門までの道が一直線に続いていた。大型車両も通れそうな大きな道。その両脇に図書館や教室、講堂なんかが並んでいる。だが、見えている建物で使われているのは図書館だけだ。
朧はラジカセのコンセントだけを繋ぐ。後はラジオ体操のテープを確認して準備完了だった。
朝礼といっても特に何があるわけでもない。今日の大まかな予定を皆で確認して、ラジオ体操をするぐらいだ。
「くあぁ・・・」
公園のベンチに座り、メモリさんからもらった予定表を確認。
「えーっと、幼稚園の送り迎えと、ハウスキーパーが来る時間、後は・・・」
目で文字を追いながらも内容が頭に入ってこない。読み上げればいいので問題ではないが、少しだけ自分の脳みそを呪う。
こんな程度も暗唱できないのか俺は・・・
予定表をポケットにしまうと、ポツリポツリと人が集まりだす。その大半が遊び盛りの低学年達だ。中学ぐらいになるとギリギリまで布団で惰眠を貪る。
「あいつら、まだ寝てるのかな」
寝坊助な中学男子が二人いる。その二人の相部屋を見上げると、朧の目の前で窓が勢いよく開け放たれた。
「おきろーーー」
「ねぼすけーーー」
すぐに女の子の黄色い声が降ってきた。
「災難だな、よりもよってあの二人か」
この『Memory』の子供達の中で最も過激な起こし方をする双子の声だ。中学男子の呻き声が聞こえてきそうだった。
ここで起きるのに目覚ましはいらない。どんなに布団を盾にとっても、どんなに完璧な言い訳を用意しても、元気な小学生に叩き起こされるのがこの『Memory』での日常だった。
それでも喧嘩が起きないのはメモリさんの教育の賜物だろう。
実際、これだけの子供が同じ場所で生活しているのに、喧嘩がなかなか起きないというのは凄いことだと思う。
自分らはあんな場所でも喧嘩をしていたのに・・・
「くそっ・・・」
嫌なことを思い出した。
少し精神的に脆くなっている。朧は自分の眉間を揉みほぐす。普段はこの程度で感傷的になったりしない。唇を噛みながら拳で自分の額を殴った。
あいつのせいだ。
教師のような話し方をしていたサラリーマン風の男。鼻の奥に何かの刺激が走った気がした。
いやだ・・・いやだ・・・
残像のように頭の中で繰り返される風景がある。白い部屋、白い人、白い記憶。そして・・・
「朧、朧!」
「ん?なんだ?」
顔を上げる。歌燐が上からのぞきこんでいた。
「なぁに?寝てたの?」
反射的に眠そうな顔を作り上げることができた自分を胸の内で褒めた。
「ふぁあああ・・・やっぱ数分でも睡眠って大事だわ」
「まったく、ぼぅっとしてないで皆を集めてよ。ほら、立った立った!」
不安な顔も、嫌な顔も押しとどめて朧は眠そうな顔を装う。
「もう!ほらっ!」
背中に貼り手をもらった。
「っつぁあ!てめぇ!こっちは怪我人だぞ」
「目は覚めたでしょ。それなら問題なし」
「ったく・・・」
打ち身があるのは主に腹。背中に怪我は負っていない。とはいえ、衝撃が全身に響いていた。こいつは手加減って言葉を知らないのか?
「なによ」
こっちを睨む釣り目の歌燐。
「ああ、知らなかったよな」
「なにそれ」
今度は尻を蹴られた。
「おまえなぁ!」
「・・・二人共・・・」
凛堂だ。彼女はいつも眠そうな顔をしているが、今日は2割増しで眠そうだ。そして6割増しで機嫌が悪そうだった。
「・・・早くして・・・時間がない・・・」
「え?あ、本当だ。朧!」
「よぉぉし、みんな集合!」
よく通る声が公園に響き渡る。見渡せば全員の顔が確認できた。
『Memory』に暮らす子供達。番上は高校二年の俺ら最年長組だ。そこから一つ学年が開いて中学生がいる。一番小さい子は今年幼稚園に通いだした。今その子達は凛堂が手を繋いであげていた。総勢20名。
「おはようございます」
朧が大声でそう言うと大合唱が起きた。見渡しても元気のない子はいないようだ。
「それじゃあ、今日の予定を発表します」
メモを取り出して内容を読み上げる。歌燐が幼稚園に子供達を送り、朧が迎えに行く。子供達に弁当を手渡すのは凛堂の役目だった。その他の朝食の配膳や後片づけは中学生の持ち回りである。最後に戸締りやら、火の始末やらの注意事項なんかを読み上げて終わりだった。
「それじゃあ、なんか質問は?」
声はあがらなかった。
「それじゃ、ラジオ体操隊形に・・・ひらけーーー」
慌ただしく子供達が広がる。朧はラジカセのスイッチを押した。