第6-2話 魔法使い
図書館へと向かった朧。図書館の入口のガラスは粉々に砕け散っていた。というか、ガラス戸に残っていた破片を綺麗に片付けた痕があった。多分、補修してドアとして用いるより、安全に通り抜けることを選んだらしい。
「えと・・・」
外はまだ明るいので電灯はついていない。声をあげてもいいのだが、返事はないであろう。
朧はのーりんを探して歩き回る。
そして朧は二階の奥で小さな机に向かっているのーりんを見つけた。
「よう」
「・・・・・・・」
のーりんはこちらをちらりと見ただけですぐに本へと戻ってしまう。
いつものこととはいえ、朧は少し面白くない。いつものように頭をぐりぐりするだけでは足りない。熱々のコーヒーを頭からかけてやろうか。いや、それをやったらさすがにこいつもキレるか。
「・・・・・なんですか?」
「コーヒーを持ってきた」
「・・・私の豆ですか?」
「ああ」
「それを早く言ってください」
久々にのーりんの即答を見れたので朧はそれでよしとした。
朧は魔法瓶を机に置き、そのままその机に寄り掛かった。
「・・・・・・記憶はどうだ?」
「・・・別に・・・なんともありません。そもそも・・・忘れて困る記憶なんて持ち合わせていませんし・・・」
机には六法全書を始めとした法律関連の本が転がっている。数日前にこれを読み込んでいたことは朧は覚えている。だが、のーりんは忘れているらしかった。
「・・・読み終えたのか?」
「・・・丸一日かかりました。とても退屈です。人の欲望の数が書いてあるだけですから」
「あ、そう」
「108個じゃ足りません」
「まぁ、そりゃそうだろ」
「除夜の鐘は1008回突いた方がいいと私は思います」
「・・・・・・」
この会話もしたことがある。彼女は覚えていないらしい。
「で、今はなによんでんだ?」
朧は話題を変えることにした。このまま話していてもあの時の記憶が蘇ることは永遠にないのだ。
「・・・・・なんでもいいじゃないですか」
のーりんが読んでいるのはカラフルな表紙の本だ。よくよく見ると似たようなデザインの本が彼女の隣に積まれている。
「まぁ、なんでもいいけどさ。気になってな」
朧はのーりんが読んでいる本に手をかけた。
「・・・・・・おい」
「・・・・・・・・」
のーりんが抵抗していた。ギリギリとした力比べ。本はびくともしない。こいつのどこにこれ程の握力があるのかと思うぐらいだ。
朧はのーりんが読んでいる本を諦め、似たデザインの本に手を伸ばした。ひっかかれた。
「おい!そこまで読まれたくねぇのかよ!」
「・・・ふしゅー・・・」
「ネコかてめぇは・・・」
朧は「仕方ねぇ」と呟いて、諦めたように見せた。
「いただき!」
「・・・・・あっ!」
一瞬の隙をつき、積み重ねてあった本の下の段を抜き取った。
「・・・・・って、これ・・・」
「・・・いけませんか?」
そう言ったのーりんの声はくぐもっていた。彼女は自分の持っていた本に顔を隠していた。
「メモリさんの部屋のだな。借りたのか?」
「・・・あなたには関係ありません」
「まぁな・・・」
朧は拗ねたようなのーりんの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「・・・痛いです」
「いいじゃねぇか。これぐらい」
「・・・・・・・」
のーりんは更に深く顔を本に沈めた。だが、その真っ赤になった耳は隠しきれていない。
「・・・忘れてないか。確認してたのか?」
「・・・あなたには・・・関係ありません」
のーりんが開いていた本はアルバムだった。
「思い出の確認か。やっぱ大事だもんな」
そして、朧はアルバムをめくる。何枚も撮られた写真。これは一昨年の夏休みだろう。海に山に動物園に水族館。小学生の自由研究の為にいろんなところにいった。
朧も懐かしくなってアルバムをめくる。
その手がふと止まった。
「・・・だからあなたには関係・・・どうかしましたか?」
「あ、ああ・・・いや・・・」
そこには三人の写真があった。ピースをする朧、楽しそうにウィンクをする歌燐、その間で不機嫌そうにしているのーりん。
場所は多分、どこかの遊園地。
「・・・・・・これ、どこだ?」
「・・・それは静岡の・・・・・・覚えていないんですか?」
アルバムをめくる。だが、わからない。
まためくる。やはりわからない。
他の場所で遊んだことはなんとなく記憶が残っている。なのに、この遊園地のことだけがぽっかりと抜け落ちていた。
「・・・仕方ないですね・・・」
「・・・ああ・・・」
誰かを守る為に魔法を使った。例えいくら自分の技に集中していても想いは必ず表層に浮かんでくる。
朧は諦めたように溜息を吐いた。
それを横目にのーりんは自分の見ていたアルバムをパタンと閉じた。
そして、朧の見ていたアルバムをその手から抜き取った。
「・・・仕方ないので・・・私が教えてあげます」
朧の顔に笑顔が戻る。
「・・・そいつはありがたいな」
「・・・別に・・・いいです・・・コーヒー豆・・・ひと月分で勘弁します」
「そいつはありがたいな!」
結構割高な豆を使っているのだ。コーヒーに小遣いの大半を費やしているのーりんの豆は財布のダメージが大きい。
「・・・交渉成立ですね・・・」
「ああ、はいはい。それじゃ教えてくれよ。ここでなんかあったのか?」
「・・・そうですね・・・それじゃあまず、経緯からお話しします」
そしてのーりんは話し出した。昔の思い出を、大切な記憶を。もう二度と感動を共有できない写真を前に、凛堂は自分の頭に残る完全な記憶を語る。
それは寂しくあり、楽しくもあり、少し物悲しい昔話だった。
朧はもう二度とその経験を思い出すことはできないのだから。
のーりんと話し込んでいたら夕方になっていた。朧は話疲れたのーりんを連れて体育館へと向かった。中からは子供達が遊ぶ騒がしい声が聞こえる。キャンプを前にはしゃぎまくっているようだった。
朧の今日の寝床はもちろんこっちだ。のーりんも当然ここで寝ることになるだろう。
「あれ、二人共」
ちょうどその時地下からあがってきた歌燐と遭遇した。
歌燐は汗をタオルで拭きながら、驚いたようにこっちを見た。
「なにしてるの?」
「それはこっちの台詞だ。頭はいいのか?」
文字通り、朧は頭の心配をしている。
「もう大丈夫」
「どうだか・・・朝はほとんど倒れかけてたじゃねぇか」
「それはメモリさんの徹夜のお説教のせいでしょ」
強がっているのはわかっていた。あれほどの魔法を放って無事なわけがなかった。昨日だって深夜近くまで意識が朦朧として、視界もかなり怪しかった。
改めてこいつの魔法はリスクがでかすぎる。それでもこういった魔法しか放てないのは歌燐に埋め込まれたチップの問題だった。彼女はこういった魔法を放つ以外のことができない。
「朧、私は甘い物が食べたい」
「ああ?」
「私の心配してくれてるんでしょ。だったら、お見舞いの品ぐらいあってもいいんじゃない?」
「強欲な奴め。そんな持ち合わせはねぇよ」
「エクレア一個ぐらい勝ってきてくれてもいいじゃない」
唐突に出てきた単語に朧は不思議そうな顔をした。
「エクレア?なんでそんなもんがいいんだよ」
「いいでしょ、なんとなく食べたくなったんだから」
「お前、エクレア好きだったか?」
「別にそういうわけじゃないけど、気分よ、気分」
そんな会話をのーりんはやけに冷たい目で見ていた。
「ん?」
「ん?のーりん、どうかした?」
「・・・いいえ・・・なんでもありません」
不機嫌そうにそっぽを向くのーりん。二人の頭には疑問詞が浮かぶばかりだ。
「そんな変なこと言ったか?」
「・・・もしかして・・・何か忘れてる?」
朧と歌燐は恐る恐るといった感じでのーりんの方を見る。彼女は溜息と共に施設の外へと歩き出した。
「・・・エクレアなら・・・私が買ってあげます」
「えっ?いいの?」
「・・・朧も付いてきてください・・・それで解決します」
「そうなのか?」
「・・・そうなんです・・・」
「じゃあ、のーりんのは私が買ってあげる」
「じゃあ俺は・・・あれ?俺はどっちに買っても意味ねぇな」
「そんなことないじゃない。私達が二個食べられる」
「アホ言え。まぁ、俺は自分の分を買うよ」
「・・・・・・どうせなら全員分買っていきますか?」
「箱買いになるなそりゃ」
そんな会話をしつつ、朧達は敷地を出る為に大きな道を歩いていく。
ふと、風が吹いた。
朧はなんとなく足を止めた。
感傷に浸ったわけではない。その風がどことなく昨日の戦闘を思い起こさせたのだ。
魔法を使い、魔法を使われた。
相模は子の力のことを『ME』 と呼び続けた。
これは摩訶不思議な事象でもなんでもない。れっきとした科学と技術の集合体である。
「・・・・・・・・・」
自分の掌を見つめる。少し意識を集中させ、朧は今朝のニュースの内容を思い出していた。
どこぞの動物園でラクダのあかちゃんが産まれたとかなんとか。
頭の奥でかすかな駆動音が聞こえた気がした。鼻をつく酸味を感じながら朧は掌につむじ風のような小さな竜巻を起こした。思っていた以上に簡単にできた。
風が頬を撫でる。
初めて出会った『魔法』はもっと暖かかった。
「朧、なにしてんの?」
「・・・おいていきますよ?」
朧はその掌の風を握りしめた。
「ああ、悪い悪い」
『魔法』は俺の手の中にある。これを使うことへの躊躇いはもうない。
朧が戦ったあの相模モドキは今も捕まっていない。きっと情報は漏れた。
この先、また俺達を狙ってくる奴が来るかもしれない。
「ねぇ、朧。カポエラの約束覚えている?」
「約束は覚えてるけどよ。カポエラを忘れちまったんだよ」
「ああ、そっか。じゃあさ、メモリさんからカポエラを覚えなおす時は呼んで。私も一緒に教わるから」
「ああ、それならいいか」
「・・・約束は・・・覚えてるんですね?」
「そりゃそうさ。俺はな、『約束』だけは忘れないようにできてるんだよ」
胸の中に居座る大事な『約束』朧はそれをもう一度心に刻み込む。
『僕は皆を守らなきゃならない。たとえどんなことをしても』
「おーーい、お前ら!」
敷地を隔てる門のところで後ろから声をかけられる。
振り返ると公園のところからメモリさんが大きく手を振っていた。
「牛乳3パック程買ってきてくれないか!足りなくなりそうなんだ!」
「はーーーい」
歌燐が代表して返事をする。
それを確認して、メモリさんは『Memory』へと戻って行った。
「なぁ、オレらさ。メモリさんのこと、いつまで『メモリさん』て呼ぶんだ?」
「え?」
「・・・は?」
「いや、だからさ・・・」
朧がもう一度言おうとしたところで、二人は察したように頷いた。
「ああ・・・『母さん』か」
「・・・『ママ』でもいいですね」
「『おふくろ』ってのもあるぞ」
いつまでも、『メモリさん』というのは他人行儀な気がする。とはいえ、少し気恥ずかしい。
「今更かな?」
メモリさんに拾われてもう10年以上。ずっと『メモリさん』と呼んできたのだ。それに習うようにこの施設の下の子らも皆『メモリさん』と呼ぶ。
「・・・・・・私はそうは思いません・・・メモリさんは私達の保護者ですから・・・むしろそう呼ばなかった方が不自然なんです」
そう言ったのはのーりんだった。
「なんか事務的だな」
「・・・そうでしょうか?」
無表情で見上げられた。
「・・・それに・・・呼んでみたいですし」
「感情的だな」
「・・・そうでしょうか?」
「いいんじゃない?私も呼びたいし」
「歌燐もか?」
「今回でわかった」
「なにが?」
「人が人を守るのって・・・大変なんだね」
「・・・・・・まぁな」
「なにわかったような顔してんの!あんたも守られてた口でしょ!」
思いっきり背中を叩かれた。だが、言われた内容は概ね同意である。今回だって朧が戦えたのはメモリさんのお膳立てがあったからだ。最初から一人で全員を相手にしたわけじゃない。
「メモリさんはさ。一人どころか20人まとめて守ってるんだよ。やっぱこれってすごいよ。だからさ、感謝をこめてさ『母さん』って呼んでみたい」
歌燐はそう言って歌を口ずさんだ。
「お前、それ・・・」
「メモリさんがさ、また覚えろって。ダンスも歌も全部」
「・・・そっか」
交通量の多い道路の傍ではそんな小さな歌声は容易に掻き消える。だが、この日は決して消えない。
「・・・では・・・なんと呼びますか?私は・・・『ママ』に一票です」
「お前、なんでそれにこだわるんだよ」
「・・・メモリさんは多分英語圏の方だと思うので・・・それと私の願望です」
「ああ、なるほどな。でもメモリさんは日本語達者だし」
「『母さん』がいい!」
「いや俺は『おふくろ』って呼んでみたい。なんか親近感が・・・」
「それで親近感がわくのは男の子だけ!私は断然『母さん』」
「割れたな・・・他の奴らにも聞くか」
「皆体育館で寝るからちょうどいいね。絶対『母さん』にしてやる。子供達の票は集まる・・・問題は高学年以上の男子」
「・・・『ママ』と割れますからその計算は間違いですよ」
「ほほう、のーりんは私が子供達からどれだけ支持を得ているか知らないらしいね」
「・・・その薄っぺらい笑顔でどれだけの子供を騙せているのか見ものですね」
なぜか火花を散らしだした二人。朧はというと「メモリさん自身はなんて呼ばれたいんだろうか?」と考えていた。
「でも、なんか、家族らしくなってきたな」
「・・・なにを今更・・・でも、そうですね」
「『家族』か・・・やっと・・・って感じだね」
また風が吹く。仄かに暖かい風が三人の体に熱を残して去って行った。
それはいつの日か彼らを救ってくれた『魔法』の温もりに似ていたのだった。




