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第6-1話 魔法使い

 翌日、朧は額に包帯を巻いて学校へと続く坂道を上っていた。

「ふあぁあああ・・・・」

 大きな欠伸が漏れる。昨日あんな戦いがあったせいで一睡もできなかった。

「おーーーっす、海馬ぁ!」

 背中を強く叩かれ、朧は溜息を一つ。

「・・・てめぇ、誰だっけ?」

 そんなことを言った朧に彼はキョトンとした顔を浮かべた。

「おいおい。やけにきつそうだな」

「・・・うるせぇ、桐花。ちょっと黙ってくれ。昨日の徹夜で眠くて仕方ねぇんだよ」

 また大きな欠伸が出た。

「眠いのか?普通徹夜したらテンション一周して逆に眠くなくなるもんじゃないのか?」

「まぁ・・・普通の一晩じゃなかったからな?」

「えっ?なに?緑さん?それとも舞姫さん?」

「どっちかっというと・・・両方かな」

「はっはっはっは!お前も冗談とか言うんだな。あっ、そういや聞いたよ。昨日体育倉庫の件。皆に言ってなかったんだったなお前の閉所恐怖症。俺が言っときゃよかったよ。俺のミスだ。悪いな」

「・・・昨日?」

「ん?ほら、緑さんの可愛い悪戯で体育倉庫に閉じ込められたんだろ?まぁ、海馬からすれば災難だったんだろうけど」

「・・・・・・・あぁ・・・封印してたわ」

「そりゃそうか。トラウマもんだよな」

「・・・あ、ああ・・・」

 朧は自分の眉間を揉んだ。こんなとこにも影響が出ていたか。

「おっ、噂をすればそのトラブル姫だ」

 ふと、顔をあげると昇降口のところに緑さんがいた。

「おはよ」

「おーーっす」

「・・・おはよ」

 緑さんはいつも通りの笑顔を向けてきた。決して記憶を消去したわけではない。そもそも、そんな器用なことが出来る技術はない。

 彼女は黙ってくれている。それだけだった。

「あれ?歌燐は?一緒じゃないの?」

「ああ・・・あいつは・・・リハビリ中。多分、今日は休みだ」

「あっ・・・」

「えっ?なに?なに?舞姫さん怪我したの?ってか、緑ちゃ~ん!何時の間に舞姫さんを名前で呼ぶようになったんだ~い」

「うるせぇ・・・ちょっと黙れ」

「ひどい!」

 朧は靴を履き替える。律儀に待っていてくれた緑さんに朧は少し笑いかけた。

「まぁ、明日には出てくるさ。友達でいてくれるんだろ?」

「・・・うん。学校では・・・もうちょっとかかるけどね」

「そりゃすぐには無理だよな。今までの友人との関係も大事だし」

「・・・うん」

「え?なになに?なになになになになに?二人がなんかいい感じになってる!これってやっぱりあれ!体育倉庫効果!吊り橋効果!ゲシュタルト崩壊!」

 ついに二人は桐花を無視することにした。

「おいっ!シカトするなっての!」

 桐花から少し離れた瞬間、朧は小さな声で呟いた。

「ありがとな。変わらないでくれて・・・」

「何言ってるの?私はなにも覚えてないんだから」

「そうだったな」

 朧は肩の力を抜いて教室へと歩いていった。

「あぁあ!ちょっと待ってって!一体なんなんだよぉぉー」

 いつもと変わらない一日が待っている。

 朧はその日常に感謝する。知ってなお迎えてくれる緑 明日香。知らずとも日常を作ってくれる桐花 哲司。

 小さな戦争から帰ってきた朧にとってはこの平穏な日々が懐かしくすら思っていた。

 そして、二人のフルネームを覚えているとこに朧は安堵する。

 昨日の戦いで朧は幾つかの記憶を失っているらしい。何を忘れたのかのさえわからないのは記憶が完全に消失したからだ。思い出す為のとっかかりすらないのだから当然と言えば当然だ。

 とはいえ、忘れたことが自覚できるものもあった。

 空手をメモリさんに習っていたはずなのに基礎が全くできてなかったり。カポエラを使えた記憶はあるのに体の動かし方やリズムの取り方がわからなかったり。なぜかボクシングのストレートの打ち方だけ忘れたり。

 そのどれもこれもが、また覚えれば済む話だった。

 でも、昨日体育倉庫に閉じ込められたことはもう二度と経験できないだろう。

 内容が内容だけに再現して欲しいとは露も思わないが、会話を合わせる必要があるのが手間だった。それも、友人達に開口一番に謝られたらなおさらだ。

 困った朧は適当に閉所の怖さについて語ることにしたのだった。



 放課後、朧は緑と一緒に帰っていた。凛堂も歌燐も今日は学校にいない。自主休校と言う名のリハビリで、実質サボりだった。

 他の人達も気を使ったらしい。いらぬ気遣いだが、今日ばかりは嬉しかった。冷やかしにまで気を使う余裕が朧の方になかった。

「海馬君、あの人たち・・・どうなった?」

 名前で呼ばれ、一瞬反応が遅れる。

「朧でいいよ」

「そう?」

「それと、あいつらだが・・・警察じゃあどうにもならないしな。かといって放り出して研究を再開されるのもやばいし・・・今日朝からメモリさんがご機嫌な様子で火炎瓶を作ってたから、多分研究データをぶっ壊しにいってると思う」

「火炎瓶って単語、リアルで初めて聞いたかも」

「テレビで海外のテロリストがよく使ってるだろ。あれだってリアルな話だぞ」

「・・・そう・・・か・・・それで?結局、あの相模って人は?」

「ああ、メモリさんがなんとかするとは言ってた。俺は特に知らねぇけどさ」

 とはいいながら、朧は昨日のメモリさんの言葉を思い出していた。

『こいつらが単体の研究機関でここまでの成果を上げられるとは考えにくい。必ず協力者がいる。昔の友人に預けることにした。お前らが記憶を失う天才共だとすれば、そいつは記憶を蘇らせる天才だ。対象が『殺してくれ』と懇願するほどにな』

「ああ・・・」

「ど、どうしたの突然」

「いや、なんかどっと疲れがな・・・」

 メモリさんは昨日のことについて相当怒っていた。というか、メモリさんの立場なら怒らなきゃならない。俺らは決して正しいことしたわけではないのだから。

 人を殴りつけ、危害を加え、そしてメモリさんを裏切った。

 そして朧に至っては暴言を吐いている。

「やっぱ、『ばばぁ』がまずかったのかな」

「それだけじゃないでしょ」

「まぁ、水に流してくれたけどさ」

「一晩の説教で不問してくれたのは温情と言えるのかな?」

「あれぐらいしかできないんだろ。なんだかんだ不器用な人だからな」

「・・・そっか」

 緑はそれ以上のことは聞かなかった。彼女がメモリと朧達の関係について触れたのはほんの少しだけだった。それでも、彼等の間に他者の入る余地のない関係があることはなんとなく察していた。

「それじゃあ、私はここで」

「ああ、たまには遊びに来いよ」

「うん」

 朧と緑は交差点で別れる。

 朧は『Memory』 へと帰る。敷地は荒れ果て、建物は壊されたけどそこは確かに朧の家なのだ。

 敷地の入口にはもう工事の為の業者の車が止まっていた。今日は下調べや見積もりを行うと言っていた。改めて見る『Memory』はボロボロだった。外装は穴が開き凹みだらけ。中学生の部屋は壁が吹き飛び、ブルーシートで応急処置が施されている。

 街路樹は根こそぎ掘り起こされたままだし、『Memory』以外の建物の窓は割れたまま。昨日の戦闘の爪痕だった。

「ただいまー」

「おかえりー」

 返事があったのは一人分。メモリさんのものだけだった。声は食堂から。

「メモリさん。帰ってたんですか?」

「ああ、ついさっきな」

 メモリさんは頬に煤をつけながら、手を洗っていた。

「コーヒー・・・飲むか?」

「あっ、俺淹れますよ」

「・・・そうか・・・」

 朧は鞄を適当な座席に置き、キッチンへと入って行った。

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 コーヒーメーカーが立てる音が静かなキッチンに響く。

「あの・・・他の奴らは?妙に・・・静かですけど・・・」

「今日は体育館でキャンプごっこをするそうだ。今はその準備と称して遊んでいるだろう」

「ああ・・・そうですか・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 会話が続かない。

 朧が続けられない。

「あぁ・・・その・・・」

「朧」

「・・・はい」

「すまなかったな」

「え?」

 謝られる理由が朧にはよくわからなかった。むしろ朧が謝らなければならないことだらけだというのに。

「お前はもう戦えるんだな」

 そう言ったメモリさんはどことなく寂しそうな表情をしていた。

「私は・・・お前らをずっと守っていかなければならないと思っていた。私が世話をしなければならないと思っていた。だが、お前らも自分で決断して行動できるようになっていたんだな」

「・・・・・・・・」

 なんと言葉を返せばいいのだろうか。朧は言葉に詰まった。

「お前を一人前の人間として見ていなかったのは・・・私の方かもしれないな」

「そんなことないです!」

 口から言葉が飛び出ていた。

 メモリさんが驚いたような顔をしていた。

「いや、その・・・俺はまだ、その、間違えてばっかで。今回だって感情で行動して先走って危険に突っ込んだし。魔法の腕も、格闘技の腕もまだまだで・・・その・・・まだまだ、メモリさんが・・・その・・・なんていうか・・・えと」

 適切な言葉が見つからない。

傍にいて欲しいと言うには少し朧は幼い。守って欲しいと言える程に朧は子供ではなかった。

 そんな朧を見てメモリさんはくすぐったそうに笑った。

「ふふふ、お前は私を励まそうとしてくれているのか?」

「そりゃそうだって!なんか、落ち込んでるみたいだし・・・だいたい俺のせいだし」

「まぁそうだな」

 改めて言われると少しぐさりと来る。

「だが、私が朧とのーりんと歌燐に助けられたのも事実だ。私も甘かったんだよ。私だけでどうにかできると高をくくっていた。まぁ、お互い様だな」

「でも、任せてもなんとかなったんだろ?」

「・・・まぁ・・・な」

「だったらやっぱり」

「あのな、朧」

 メモリさんは朧を真正面から見据えた。力強い瞳が朧を射抜く。

「私は、感謝しているんだ。悪かったところは今朝全て叱り飛ばした。だから、今は自分の行動に自信を持て。お前は正しいことをしたんだ。もちろん、やり方は間違っていたし、無謀とも言えることもした。だがな、大切なものを守りたいという思いは決して間違っていなかったと、私は思う」

「そう言われると、なんか・・・めっちゃ悪いことをした気分になるな」

「褒めてるのにか?」

「褒められているからだ」

「あまのじゃくな奴め」

「メモリさんに似たんですよ」

 メモリさんは声をあげて笑った。

 そして、ふと

「私も子離れしなければならないのかも・・・しれないな」

 そんなことを言った。

 いつの間にかコーヒーを抽出する音が消えていた。朧はコーヒーをカップに注ぎ、メモリさんに渡した。

「・・・さて、今日は時間があるが。どうする?稽古をつけてやろうか?」

「今日はやめときますよ」

「・・・そうか・・・」

「今日の晩御飯はなんです?」

「ん?牛の・・・」

「あっ、もういいです。だいたい想像ついたんで」

 聞いたことを後悔する。あの食材は聞かない方が幸せだった。

「それじゃあ、俺は体育館の方にいます」

「ああ・・・あっ!図書館にコーヒーを持っていって・・・」

「わかってます」

 朧は魔法瓶を取り出した。

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