第5-5話 Memory Energy
朧は再び空手の構えを取る。
「ふふふ、それで、君は今何を犠牲にした?何を忘れた?短期記憶の構築に難のある被験体197」
「何も忘れちゃいねぇよ。その為に俺はここまで努力を続けてきたんだ」
「・・・・・・ほう?ならばもう一度試しますか」
風が吹き荒れる。相模はまたさっきの奴を作る気だ。
「・・・メモリさん」
「・・・命乞いか」
朧は状況を忘れてずっこけそうになった。目の前に命の危機があるのに、後ろにもあるのはいかがなものか。
「今魔法を使ったのは謝りますよ」
「・・・謝ってすむ問題か・・・下がれ・・・と言っても聞きはしないんだろ」
メモリさんは銃を杖のように使い、ようやく立っている状態だ。多分、さっきの空気の光弾を何発も防いだんだ。大量の光弾が浮かんでいる光景が朧の頭に蘇る。
「やっぱり・・・おかしくないですか・・・あれ」
「ああ・・・いくらなんでも連発しすぎさ。空気の盾にしたってそうだ。簡単にやってのけているがあれも相当量の記憶を喰う」
朧達がこうして会話していられるのは相手が光弾を作り上げるのをただ見ているしかできないからだ。貴重な体力を消費して相手の光弾の構築を遅らせたとしても、魔法を消失させることはできない。
だったら少しは建設的なことをしよう。
「・・・何か種があるはずだ。あいつは記憶力に関しては至って平凡な男だ」
「えっ・・・」
「どうした?」
「いや・・・そんな・・・だってあいつ・・・町一帯の人間を酸欠に・・・」
空気を操る『魔法』の中でもトップクラスに記憶力の消費が激しいものを使っているはず。本当に相模が平凡な男ならとっくに記憶喪失で戦う理由すら失っていてもおかしくない。
「ああ、あそこまでの魔法を使っていながらこれまでも行動を躊躇う素振りがまったくない」
メモリの眉間に皺が寄る。メモリには思い当たる節があった。
「あいつの所属していた研究グループの発表で最も非人道的なシステムがあった」
「・・・・・・非人道的?俺達を消費すること以上にですか?」
不当な人体実験以上に非人道的な研究があるのだろうか?
朧のその言葉にメモリは疲れた表情のまま笑った。
「そうだな。だが、あれに勝るとも劣らないぞ」
「そうでしたね」
相模が会話に入ってくる。
「あの研究発表の場で私達のグループは高い評価を得た。あなた方を除いてね。ですが、そこまで言われる程に酷いものではなかったはずですよ」
「『ME』を外部記憶として保持するシステム。そこまで悪用のしがいのある研究もなかなかないだろう」
「悪用のことを考えていては我々は研究開発などできはしないですよ」
「ちょっ、ちょっと待ってくれメモリさん!」
「言いたいことはわかる」
メモリさんは足を引きずるようにして前に出た。朧を守るようにメモリさんは震える体に活を入れた。
「・・・あの魔法は・・・他人の記憶を使って作られている」
「その通り!」
暴風で白衣が巻き上がる。その裏地には煩雑な機械がぎっしりと並び、大量のコードが血管のように張り巡らされていた。
「まさか・・・他人の記憶を奪ったのか」
「・・・外道め」
「私ではありませんよ。私には優秀な生徒がたくさんいますからね」
朧は最近流れているニュースを思い出した。
「通り魔事件・・・」
「被害者は皆記憶喪失・・・つながったな」
「そうか、あの時言ってた黒字ってのは使う記憶と奪う記憶の量の問題か」
「正解だ。君から記憶を奪う以上に『ME』を消費しては意味がない。それでは正解者には賞品を与えよう!」
相模が腕を振る。それに合わせて光弾が走る。
「させんよ!」
「そうはいかねぇっての!」
庇おうとするメモリさんの前に出る朧。彼女の腕が朧を引き戻そうと伸びる。その指先は朧の服の裾さえも使うことはできなかった。もう、メモリさんにそれを止める力は残っていない。
朧は先程と同じ構えをし、同じ動きをする。正拳突きだ。
だが、その技にはやけに無駄が多かった。乱雑で、威力の乏しい撃ちこみ。空手の初心者が見よう見まねで作り上げたような幼稚さがあった。喧嘩のように振りかぶり、振り抜かれた拳。その先からやはり光弾が飛び出し、両者がぶつかりあう。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」
「やはりか・・・」
相模が顎に手を当てて呟く。
「やはりお前は我々の研究を完成させていたのだな!すばらしい!すばらしいぞ!やはりここにきて正解であった!」
「すばらしい」と連呼する相模。彼は悦に浸って饒舌になっていた。
「肉体を動かす際、同じ動きを繰り返すと通常の記憶領域とは異なる部位が体の動きを記憶する。体性記憶と呼ばれるそれは通常の記憶とはそもそもの質が違う。貴様はそこから『ME』を取り出しているんだな」
その通りだ。
朧はその為に格闘技をいくつも身に着けてきたのだ。
研究の段階で物事の記憶を保持することが非常に困難になってしまった朧。それは記憶をエネルギーとして取り出す実験では致命的な欠陥だった。だが、役に立たなくなった朧を的にして新たな研究が始まったのだ。
「格闘技の技から『ME』を引き起こすのもその為だな。お前は格闘技の技の記憶を『ME』 として抽出している。だから先程の攻撃で君の行動はいささか不器用になった」
朧は今、『正拳突き』の記憶をエネルギーに変換したのだ。
「となると、次は何を使う?上段突きか?回し蹴りか?」
魔法を使えば使うほど朧は格闘技が頭から抜け落ちていく。いや、知識としては頭の中にあるのだ。だが、実際に体を動かすとまるで付いて行かない。それでも、自分の大切な記憶が無くなってしまうことに比べればいささかましだった。
とはいえ・・・
「くそっ・・・」
朧に格闘技を仕込んでくれたのはいつだってメモリさんだ。格闘技を忘れるということはメモリさんと学んできた時間を捨てるのと一緒だった。
頭が霞むような感覚を味わいながら、朧は必死に何か大事なものが消えていないかを確かめる。俺は誰の顔も忘れていないか。『Memory』の皆の顔を思い出せるか。
だが、相模は待ってはくれない。
「さぁ、もっと見せてくれ!貴様の『ME』を!」
彼はそう言って光弾を作り上げた。今度は三個だ。
「『ME』 なんてセンスのねぇ言い方をするな!こいつは『魔法』だ!」
「センスね・・・私に言わせればそれこそナンセンスだ。これは魔術や呪術などの曖昧な存在ではない!我々が知識をくみ上げ、事象を分解して作り上げたれっきとした技術であり、科学だ。科学と魔法は相容れない。子供でも知っている話だ」
「くだらねぇ。実にくだらねぇ。こんな技術が確立なんてしたら・・・」
「世界のエネルギー事情は一変する。まさに天国だ!」
「地獄に決まってるだろ!」
「朧、もうやめろ!」
メモリさんの静止を無視し、朧は動き始めていた。
「くそっ!」
メモリがなんとか朧を止めようと前に出て、膝から力が抜けおちた。地面に横たわり、それでもなお、朧に手を伸ばす。
「やめろ・・・やめろ!」
「そういうわけにはいかねぇんだ!」
放たれた三つの光弾。朧は左足を踏み込み、足の裏で大地を掴んだ。そのまま大地を蹴り、槍のような鋭さで真っ直ぐな蹴りを放つ。足刀と呼ばれる空手の蹴りだ。
足が空気を纏い、風が蹴りに乗って放たれる。風圧に乗って圧縮された空気が光弾を迎え撃った。朧はそこから更に二度の蹴りを放つ。一発ごとに足が曲がり、体幹が崩れ、無様な蹴りになる。
「ほう・・・なるほどなるほど」
相模はあろうことかメモを取り出して何かを書き込んでいた。
「ふざけやがって・・・」
朧は拳を握りしめた。
魔法を一発撃つごとに朧の中で箍が外れていく。一発目の魔法には覚悟が必要だった。二発目の抵抗感はそれほどでもなかった。今撃った時、躊躇いは一切なかった。
もう朧には『魔法』を温存する理由や記憶の損失の恐怖なんてものは無くなっていた。
「朧!どうして前に出た!」
メモリさんがふらふらになりながらも、朧の肩に手をかけて揺さぶる。
「後は私がやる!お前ははやく下に・・・」
朧はその腕を無理やり振りほどく。
「メモリさんの魔法は知ってますよ!あれで、この攻撃は防げない!」
「そんなことはどうでもいい!お前はこれ以上魔法を使うな!」
朧が奥歯を噛みしめる。
蓄えていた感情が、内に秘めていた想いが、ずっと溜めていた心が湧き上がる。
「うるせぇんだよ!」
朧は吠えた。
感情に任せて吠えた。
その姿は子供が母親に反抗するかのようにも見えた。
「うるせぇんんだよ!ばばぁ!いつまでも母親面すんじゃねぇ!」
「っ!」
メモリの顔に動揺が広がる。襲撃にも眉一つ動かさず、銃口を向けられて笑顔さえ浮かべていたメモリの目が見開かれる。
「てめぇに守ってもらわなくたってな、俺は生きていけんだよ」
「・・・・・・・・」
メモリの目に涙が浮かんでいた。
「育ててくれたことには感謝してる!でもな、この人生も、この頭も、この記憶の俺のもんだ!指図すんじゃねぇ!」
彼女は学者でも兵士でも、天使でも悪魔でもない。彼女だって一人の人間だ。
喜びもすれば悲しみもする。そして、今は母親になろうとしていたのだ。
そのメモリにその言葉は一本の杭となって深々と胸に刺さった。
「・・・・・・・・・うっ」
メモリの口から嗚咽が漏れた。涙があふれた。
そして自分で自分に驚いた。自分がこれほどのショックを受けたことに驚いていた。
「・・・・まて・・・まってくれ・・・朧・・・わたしは・・・わたしはな・・・」
メモリの全てを賭けていたとは言わない。でも、この短い時間を子供達の為に捧げてきたのだ。愛情の注ぎ方は下手だったかもしれない、独りよがりな苦労もしてきたかもしれない。
だが、その結果がこの言葉というのはあんまりではないか。
「反抗期ですか?」
「うるせぇんだよ!もとはと言えば全部お前のせいだろうが!」
「責任転嫁は感心しませんね。それはあなた方の家庭の問題でしょ」
「なめんなよ!俺はな、てめぇを追っ払うまで、もう止まらないからな!!」
朧は再び足を一歩踏み込んだ。
その箇所を音を立てて何かが抉った。




