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第5-2話 Memory Energy

「っ!黙れ!」

 朧は叫ぶ。静かすぎる住宅街に朧の吠え声が木霊した。

「成長段階で度重なる実験を繰り返した結果、君の脳にある記憶領域は著しい損傷を負った。そのせいで君は極近い記憶を保持することができない。そうだね」

『おい!これじゃあ使い物にならん!』

『やはり一人の被験体を連続して行う実験には無理があったな』

「うるせぇ!」

 それを語るな。それを論じるな。

「その為、実験は路線を変更。君は運動記憶を使用するタイプの『ME』 使用のモルモットとなったわけだ」

『お前は必要ないんだ!今日はこの子を使う!』

『いやっ・・・いやぁああああ!』

「うるせぇって言ってんだよ!」

 聞きたくない。思い出したくもない。だが、事実故に朧は口を閉じさせることができない。

「そして、君のお仲間が本筋の実験に使用されたんだったな」

『まってよ!まっで!ぼくが!ぼくが!ぼくが実験台になる!だから・・・だから!・・・おねがい・・・おねがいじまず・・・ぞのごを・・・そのこを』

「だまれぇぇええええ!」

『そのこを・・・づれでいがないでぇえぇえぇえええええ』

 朧は一気に駆け出した。魔法も格闘技も何もかも投げ出して、やぶれかぶれに殴りかかる。

「おらぁあああああ!」

 振りかぶった拳は風圧の城壁に阻まれた。喋局所的に吹く暴風が朧の拳を押し返す。これが空気の盾の正体だ。

「ちくしょおおおおお!」

 右がだめなら左の拳。再び振り抜いた拳はやはり空中で勢いが死ぬ。

「ははは、君の経歴は全て見たよ。笑うじゃないか。君は自ら実験体を志願し、真っ先に潰れた。君は率先して仲間の盾となり、真っ先に脱落した。君がもっと優秀だったらあの施設で廃棄されたモルモットの数はもっと少なくて済んだ!君が不良品だから、君が何もできないから!君の仲間は死んでいった!」

「だまれぇえええええええええええええ!」

 拳が振り抜けない。蹴りが押し戻される。目の前の男が憎かった。ただひたすらに憎かった。『Memory』も歌燐ものーりんもメモリさんも関係ない。ただ、過去を穿り返すこいつの顔面を醜く歪めてやりたかった!

「いいね。憎悪の顔だ。愛憎は紙一重。愛憎は人間の最も強い感情だ。それは強い印象となって脳に刻まれる。さぁ、お前の中にもっともっと『記憶』を蓄えろ!」

「やかましいんだよ!!」

 朧は埒が明かないと、間合いをとった。

 相手は魔法使い。ならばこちらも魔法を使う!

 そう思い、足を踏み込んだ。

 何度も繰り返した動きだった。

 左足を踏み込み、自分の中に越えてはいけない支点を築きあげる。足裏でコンクリを掴む。右足を蹴りだし、勢いを左足で抑え込む。二本の足でため込んだパワーを下半身で育て上げ、上半身、腕、そして拳へとひねり込む。

 それは頭と体が覚え込んだ動き。

 メモリさんに教えてもらった動きだった。

『踏み込む足じゃない。蹴りだす足だ』

『全身を使え、腕だけで拳を振るな』

『ほら、軸がぶれてるぞ。体幹に力を籠めろ』

 メモリさんとの思い出がよみがえる。それを皮切りに頭の中をいろんなことがフラッシュバックした。見上げた歌燐の顔、迷惑そうなのーりんの顔。『Memory』の皆の笑顔。そして、悲しげな顔をするメモリさん。

「・・・・・・」

 拳を振る朧。だが、それはただの正拳突きだった。魔法は発動しない。

「最悪だ・・・」

 魔法で消費される記憶は最も表層の記憶。

「くそっ・・・ああくそっ・・・」

 悪態をつきながらも、朧は唇の端で笑う。

「ちくしょうが・・・」

 皮肉な話だ。

『魔法』それは犠牲の果ての力。

誰かを守ろうとすればするほど、その人の記憶が消えていく。

「・・・本当に・・・メモリさんは良い親だ」

今撃てば大切なものが吹っ飛ぶところだった。大事な人の笑顔も、大切な思い出も、心に溜まった感情も何もかも消えてしまうところだった。

「おや?『ME』を使わないのですか?」

「・・・・・・・」

 一発の正拳突き。放たれたのは自分の中で沸騰しすぎた感情だったのかもしれない。

 朧の心は極めて冷静なものになっていた。朧はもう一度相手の様子を確認する。

ここで戦って勝てる可能性はあるだろうか?

相手は魔法を使うのになんの躊躇いもない奴だ。この世の全てを忘れてもかまわないぐらいに魔法を連発している。それ程の余裕。それができる奴を朧は知っている。

「のーりんと同じタイプなのか?」

 瞬間記憶や永続記憶などの類。頭の中で本を一冊読める程の記憶力を持つ奴ならあるいは可能かもしれない。そうなると、朧と戦ってもジリ貧になるだけだ。

「・・・・・」

 だったらいっそ後退するのもありだろうか。

 さっきは『Memory』を戦闘に巻き込むことを考えたが、よくよく思えばメモリさんがこういった相手の対策をしていないとは思えない。既に歌燐とのーりんは向かっているんだ。俺がこいつを無理に追い払わなくてもいいかもしれない。

「・・・・どうしたんですか?」

「てめぇの講釈に付き合う気はない。前にも言ったろ?覚えてないのか?」

「無駄なことは忘れる主義でして」

「へぇ・・・」

 朧は逃げる準備にとりかかる。こいつは自分の背後で空気を爆発させて加速してくることもできたはずだ。背を向けることになるのはやっぱり危険だった。

 ならばどうする?大声を出すか?

「言っとくが、この周囲一帯は私が制圧している。誰も眼が覚めることはない」

「・・・お前が?」

「ああ、そうだ」

 体に怖気が走った。そういう方法は朧も知っている。風圧を調整することで家一軒分ぐらいの空間の酸素量を下げて意識を刈り取る魔法だ。だが、あれは相当の記憶量を奪う大技だ。朧も一度だけやったのを覚えている。何を失ったかは忘れたが、今やりたいとは思わない。それをここ一帯に行ったっていうのか。

「・・・お前・・・バケモノかよ」

「いいや。私は至って普通の人間だ」

 お前のような人間がいるか。

 言ってやりたかったが、今は無駄口を叩くより先にやることがあった。

 接敵は危険だ。『魔法』を連発されてダメージを負えば逃げるのにも不利だ。かといって逃げるにしたって相手の機動力がありすぎる。それに酸素量を下げられたらどう抵抗することもできない。

「・・・・・・ん?」

 だったらなぜ、こいつは今すぐ俺の周囲の酸素量を下げようとしないんだ?

 朧は自分の中の疑問に首を傾げた。

「・・・まったく、こっちも時間がないんだがな」

 そもそも、どうして俺達はこうして睨みあっている?なんであいつは仕掛けてこない。以前高架下で戦った時はもっと問答無用だった。それがどうしてこう俺がゆっくりと考える時間がある?

 一つ疑えば次々と胸の内に謎が膨れ上がる。

「・・・・・・・」

 朧はほんの少しの間、意識を別のところに向けた。直後、背を向けて駆け出した。

 後方から暴風に近い風が吹き荒れた。朧の頭上を飛び越え、白衣の男が目の前に着地する。

「どけよ!」

 朧は走る勢いに任せ、サッカーボールを蹴るように相手の着地したての足首を狙った蹴りを放つ。当たり前のように空気の壁にぶち当たり、威力が消える。だが、朧はそれぐらい想定していた。蹴りの威力はもとから落としていた。蹴った足を引き、軸足を回転させ、朧はサッカーのマルセイユ・ルーレットのように体を半回転。そのまま白衣の男の脇を抜けてかわそうとした。

「はっはー!」

 無防備な背中を向ける荒業。白衣の男が笑ったような声がした。それでも朧はお構いなしに全力で足を振る。

 男はその背中に向けて拳を構えた。体の前に拳を縦に構えるボクシングのファイティングポーズ。そこから初動などの無駄な動きが一切ないパンチが放たれた。ノーモーションから繰り出される最速の拳。そこに『ME』による超局所的な風圧の嵐が乗る。人一人を容易に吹き飛ばしかねなない一撃だった。それを受ければ体は風に揺られる木の葉のように吹き飛び、ブロック塀に無残な血のりを残す。そんな拳が朧の背中に迫る。

もらった。

男がそれを確信した瞬間、拳の動きが急激に止まった。腕を振る速度が落ちる。たった数センチの距離を伸ばすのが重い。まるで、柔らかく、重いゼリーの中に手を突っ込んだような感覚。

朧は背中越しにそれを確認する。

空気の盾だ。

 朧は一つの確信を得た。こいつ相手なら逃げ切れる。

『魔法』を使用した際に生じる記憶の曇りと視界のぼやけ。それらを無視して朧は次の行動に入る。追撃を繰り出されるより先に足元で小さな爆発を起こす。駆けるというよりは、飛ぶと言った具合に体を吹き飛ばし朧は更に加速した。

「逃がさん」

「そうはいくかってんだ!」

 再度爆発で追いすがってくる男。朧はそれを後ろ回し蹴りで迎え撃つ。激突したのは朧の踵と男の脛。

「ぐうっ!」

「おらぁあ!」

 腹部を守るために脛でガードしたのだろうが、空気の盾を造りだす余裕は無かったらしい。回し蹴りの勢いと自分の加速の両方の勢いをその脛一つで受ける。朧は骨にヒビを入れたような手ごたえを感じる。

 そのまま、朧は足を振り切った。吹き飛ばされる白衣の男。朧はその男に見向きもせずに駆け出した。目指す場所は『Memory』 だ。



「あいてて・・・」

 朧に吹き飛ばされた男はコンクリに摩り下ろされた顔を撫でる。

「ったく、このイケメンになにするんだよ。時間稼ぎならこれぐらいでいいか。ってか教授も勝手だよな」

 白衣を脱ぎ、ライダースーツのチャックを下げると男の顔は瞬く間に変容した。疲れた中年のサラリーマンのものから、若い金髪の好青年へと変わる。

「『ME』がタダで撃てるとはいえタダじゃないんだからな。まぁ、単位とバイト代には代えられないってわけで」

 男が脱いだ白衣の裏には小型のハードディスクのような機器が付けられていた。それらは緑色のランプを激しく点滅させては、激しくファンを回していた。

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