第5-1話 Memory Energy
帰り道、俺はのーりんの隣を歩いていた。歌燐と緑さんは俺らの前で楽しそうにお喋りしていた。
「朧の失敗談で有名なのは宿題全滅事件かな。宿題全部やったのに机の上に忘れて全部学校で一からやり直させられたことがあってね」
「本当に忘れっぽいんだ」
「8時まで小学校に残されて、泣きべそかきながら帰ってきてね」
仲が良くなったのはいいことだ。だが、話題が俺の失敗談と言うのがいただけなかった。
「舞姫さんって意外と喋るんだね」
「そいつは本来お喋りだぞ。『Memory』では一番お姉さんしてるしな」
「うっさい、あんたは口出すな。ややこしくなるでしょうが」
「へぇへぇ」
触らぬ神に祟りなし。朧はのーりんの頭の上に肘を乗っけた。
「・・・重いです」
「お前の頭が肘置きにちょうどいい位置にあるのが悪い」
「・・・なんですかそれ」
前を行く二人の間に友情が芽生えるならそれもいい。
「ああ、もう私のことは歌燐でいいよ。苗字で呼ばれ慣れてないから反応遅れちゃうんだよね」
「じゃあ、私のことは明日香って呼んでいいよ。友達もみんなそう呼ぶから」
「そう?でも学校で仲良くするのはまずくない?」
「ああ・・・でも・・・ん~・・・」
「私は気にしないからさ。あっ、そうだ。たまに『Memory』に来たらいいんじゃない?子供は好き?」
「うん!好き」
「じゃあそれでいいじゃん。朧にも会えるし」
「歌燐にも会えるし」
「あれ?私にも会いに来てくれるんだ」
「そりゃそうだよ。また、昔の話聞かせて欲しいし」
大きな十字路。目の前の信号機が青から赤に変わった。
「あっ、私こっちだから」
緑さんはそのまま角を曲がる。朧達の『Memory』は直進方向だ。
「遅いから送っていこうか?」
「いいよ。歌燐達だって子供達待たせてるんだから、早く帰った方がいいんじゃない?」
「ん~・・・でも、ほら最近この辺通り魔でるし」
「大丈夫、大丈夫」
送ろうとする歌燐、断ろうとする緑。朧は助け舟を出した。
「家まで遠いのか?」
「えっ、ああ・・・すぐそこではないかな」
「遠いのか?なら送ってく。女子一人帰らせるのを心配する時間帯になってきてる」
ちなみに『すぐそこ』と答えたら『ならすぐすむ』で送り届けるつもりだった。
「でも・・・」
「なんなら、俺だけでも付いて行こうか?」
「それは!今日こんなに迷惑かけたのにこれ以上迷惑かけられないよ!」
「じゃあ決まりだ。皆で送ってこ」
朧はそれ以上有無を言わさずにのーりんの背中を押して角を曲がった。
「・・・・・・む」
「私は関係ないって言いたげだなおい」
「・・・・・・まぁ、いいです」
全然納得していない顔だが朧は強引に頭に肘を置いた。
「さぁ、案内してくれよ」
「あ、うん。ありがと・・・それと、ごめんなさい」
「もういいって言ってるだろ。何回も謝るな」
「でも・・・」
「いいのいいの、こういうのはね、言ってなかった朧も悪いんだから」
歌燐が後ろからそう言った。
「何、その目?事実でしょ。今回は特に何もなかったからよかったけど。あんたの場合下手すりゃあのままパニックで呼吸困難になっててもおかしくないんだから。そういうことはあらかじめ言っとかないと。あんたたち友達なんでしょ!」
「正論だな」
その為に腹が立つ。
「だったら、お前だって高所恐怖症だろうが」
「そうなの?」
緑が言い、朧はほくそ笑んだ。
「ほら、友達に言わなくていいのか?」
「あんたね」
小さな意趣返し。肘の下からも「性格悪いですね」なんて聞こえてきたので朧は体重をしっかりかけてやった。
「・・・重いです」
「自業自得だ」
「・・・気分屋に言われたくありません」
「ああ、もう。それはもう謝ったろ」
昨日の図書館での八つ当たりの件だ。
「・・・何回でも言ってください」
「お前は完璧に記憶できるんだろうが、自分の頭で反芻してろ」
「・・・いやです・・・もったいない・・・」
「なんだよもったいないって?頭の容量か?」
「・・・いえ、朧の謝る姿をほくそ笑みながら上から聞くことができるのが一回というのがもったいないのです」
「二度と謝らないからな」
「・・・礼儀がなってませんね」
「てめぇにだけは言われたくねぇよ」
そんな馬鹿な話をしながら道を行く。
ふと、朧は前を見た。
後で思い返せばそれは虫の知らせだったのかもしれない。
危険を知らせる何かがあったのかもしれない。
それは一瞬だけぶり返した後頭部の痛みだとか、鼻にくる嫌な臭いとかそんなわかりやすいものじゃない。それはある種の勘だった。
「あ・・・・・・・」
朧の足が止まる。
「・・・どうしたんですか?」
朧の隣を歩いていた凛堂が次に止まる。
「なになに?なんかあった?」
「どうかしたの?海馬くん」
後ろの二人もまたすぐに足を止めた。
「・・・・・・・逃げろ」
「え?」
「走れ!今すぐだ!」
歌燐が一番行動が早かった。緑さんの手を掴んで駆け出していた。次いでのーりんが走る。
一瞬だった。たった一瞬で目の前に男が移動してきていた。背を向ける暇も構える暇もありはしない。一瞬で肉薄され、頭部に手が伸びる。
咄嗟のことだった。朧の頭部の奥でチップが熱を帯びた。鼻の奥に独特の酸味をぶちまけられたような不快感。それと同時に何かが流れ出していく感覚。全てを瞬時に体験し、そして世界に働きかける。
朧の目の前の空間が突如膨れ上がり、爆発する。
「ぐうっ!」
男の声がした。それが誰かなど確認している余裕は無い。
朧は自分の中で何かを使った感覚を味わいながら距離を取り、相対する。わずかに視界がぼやける。魔法の反動だった。
「やぁ、海馬朧君」
「てめぇ・・・あの時の!」
サラリーマン風の男。そいつがゆっくりと立ち上がるところだった。だが、今日は前回と恰好が違っていた。バイクのライダースーツのようなものに身を包み、その上から白衣を羽織っていた。
「どうして俺の名を・・・」
「そうだな。説明しなくてもいいんだが。まぁいい、今君が使った『ME』の補充といこう。これから私が言うことをしっかり『記憶』するんだよ」
「ああ?」
「君のことは調べたよ。すぐに結果は出なかったがね。昨日、とある男が教えてくれたんだ。記憶を奪わずに泳がせて正解だった」
情報が漏れた。一体どこから?
朧の疑問はすぐに氷塊する。
「いやーあれで元自衛官だって言うのだから驚きだ。まぁ、平和ボケした国の部隊だ。腑抜けても当然か」
元自衛官。朧達の知り合い。泳がせることで『Memory』のことが割れるような人物。
黒助だ。
「・・・・ッチ」
殺意のこもった舌打ちだった。
あいつがひょこひょこしているせいで俺達のことが知られたというのか。
朧の中の『嫌いな人ランキング』1位を長いこと譲らないばかりか、『殺したい奴ランキング』にまで名前を連ねるつもりらしい。
「くそったれのド畜生が・・・」
「口が悪いね。それじゃあ頭の方も悪いだろう?」
「大きな世話だ」
朧はじりじりと足先を前進させた。戦うか、逃げるか。だが、この男がここに現れたということは目的は俺のはずだ。だったら、逃げたら『Memory』にまでこいつは追ってくるかもしれない。明らかに何か準備をしてきた様子だ。逃げかえってくれることは期待できない。
白衣をまとった姿を朧は睨みつけた。
「見た目は露出狂のくせに」
「ははは、だが、これが『ME』の効率には最もいいんだよ」
「『ME』ね・・・」
朧はそれが『魔法』の正式名称であることを知っている。簡単な略語だ。『Memory Energy』 要するに『記憶力』って奴だ。
「センスの無い名前だ」
「名前はわかりやすければいい。名が体を表すぐらいがちょうどいいのさ」
「だからお役所の付ける名前はダサいんだよ」
会話をしながらも朧は間合いを測る。自分と相手との距離、魔法の届く長さ、そして自分の身体能力。
戦うことはもう大前提だった。
「しかし、君に批判されたところで何ともおもわんね。どうせもう君との会話も間もなく終わる。うちの大学は君のような落ちこぼれが来れる場所じゃないからな」
「・・・・・・・落ちこぼれ?だと」
朧の表情が硬くなる。
その言葉を聞いたのはいつのことか。
忘れられない思い出が、脳裏を抉る。
「そうだろ?」
その男は両腕を広げ、仰々しい仕草で話し出した。
「被験体179。短期記憶に著しい欠陥がある不良品だ」




