第4-5話 『約束』
「あれ、のーりんじゃない」
「・・・歌燐」
「なにしてるのこんなところで?」
「・・・歌燐こそ・・・」
「ああ、えと・・・ドーナッツ買いに」
「・・・私もです」
二人は街のドーナッツ屋に来ていた。昨日から始まったキャンペーンの期間中は一個100円なのだ。そこで歌燐と凛堂は偶然出会っていた。凛堂はその手に大きなドーナッツの箱を抱え、会計を済ませたところだった。
「何個買ったの?」
「・・・21個です・・・全員分です」
「そっか、考えることは一緒だね。うりうり~」
「・・・痛いです」
形の良い頭をわしゃわしゃと撫でる歌燐に凛堂は心底迷惑そうな顔を向けた。当然、そんなことで怯む歌燐ではない。凛堂は歌燐の手を払いのけることを諦めてされるままになる。
「・・・・それで、歌燐はどうするのですか?」
「ああ・・・そうだな・・・私も買おうかな」
のーりんも買ってくれてはいるが、こういうのは気持ちだ。それに食べ盛りが跋扈する『Memory』ならお菓子は多いに越したことはなかった。
「・・・・・・・あの人の為ですか?」
凛堂がそう言った。名前を言われるまでもない。昨日のぎくしゃくした夕食の原因だ。
「ああ・・・うん・・・昨日はちょっと私も言い過ぎたかなって・・・あいつは、ああいう奴だもんね」
歌燐は少し昔を懐かしむようにそう言う。ただ懐かしいだけではない、痛みと冷たさと暖かな気持ちが同居する思い出。凛堂は彼女がそれを思い出していることを鋭敏に察する。基準は簡単だ。彼女の笑顔が作り物のようになる。
凛堂はそこを深く尋ねることはしない。代わりに話題を戻した。
「・・・・・・・私は、詳しいことは知らないんですが。いつもの喧嘩じゃないんですね」
「いつもの喧嘩って・・・そんなに喧嘩してないよ」
「・・・何を言ってるんですか?」
「心底不思議そうな顔しないでよ。そりゃ、『Memory』で一番喧嘩が多いのは私達だけどさ」
「・・・それで?昨日は?」
無理に話を戻された。とはいえ続けていたい話題でもない。
「あいつの『魔法』についてよ」
「・・・馬鹿ですね」
凛堂はほぼ即答する。『魔法』という単語を聞くだけでも嫌だとでも言わんばかりだ。
「本当に馬鹿。私達の為なら躊躇いなく使ってくれるそうよ」
「・・・あの人は・・・何回記憶を飛ばしても変わりませんよね」
「逆じゃない?久々に記憶を失ったせいで、昔のあいつが帰ってきたみたい」
二人の声に苛立ちが混じる。そして溜息が同時にこぼれた。二人はお互いの顔を見合わせる。
「ははっ」
「・・・ふふっ」
そして笑顔がこぼれた。歌燐は唇の端を歪めただけの小さなもの。凛堂は微笑としか思えない程度のもの。だけどお互いに隔意のない自然な笑みだ。
「帰ったら。私から謝ってみるよ」
「・・・好きしたらいいじゃないですか。私には関係ありません」
一瞬で普段の凛堂になってしまった。その変わり身の速さが可愛らしくて歌燐はまた頭をくしゃくしゃと撫でた。
「・・・やめてください」
「それで、のーりんは何買ったの?」
歌燐は軽くヘッドロックをきめながら、凛堂の買ったドーナッツのレシートを探す。凛堂はいつもレシートをビニール袋に入れている。こういうずぼらなところは朧と同じである。
「えーと、チョコとメイプルと・・・」
「いやーこれで海馬と緑がくっついてくれるといいんだけどね」
海馬?一瞬誰のことかわからなかった。だが、すぐに朧の苗字だったことを思い出した。
歌燐が目を向ける。そこにはよく見た学校の制服の生徒が5,6人で座席を一つ占領していた。歌燐には見覚えがある。朧とよく一緒にいる連中だ。歌燐としては嫌いな部類の人達だった。愛想を振りまいて、笑顔で接すればいい友達になれるかもしれない。でも、わざわざそれをしてまで一緒にいたいとは思わなかった。
「・・・歌燐・・・いつまでそうしてるんですか?」
「あ、ごめんごめん」
気が付けばアームロックをかけっぱなしだった。歌燐は慌てて彼女の腕を頭から外した。
「やりすぎちゃった」
「・・・歌燐といい・・・朧といい・・・私の頭をなんだと・・・」
「でもま、体育倉庫とはまたベタだよな」
歌燐と凛堂の顔が一斉に彼らに向いた。
「どうする?夕方って言われてたけどさ下校ギリギリでいいか?」
「ん~とりあえずは状況次第かな。これ食べてから行ってみようか」
「耳をそばだてて、中の様子を探るんだな。うお、楽しみ!」
歌燐と凛堂が話の概要を理解するまでそう時間はかからなかった。
「ちょっと!」
机が激しく叩かれる。ドーナツ屋の店内が静まり返った。突然の歌燐の乱入。朧の友人達は怯えたように叩いた張本人を見上げる。それが歌燐だと気づくとすぐに彼等は態度を横柄なものへと変えた。
「あぁ?なんだよ」
「舞姫さん?なにあんた?この話はあんたには・・・」
「朧を閉じ込めたって本当なの!」
それを上回る歌燐の声量。店の中が騒然となる。
「・・・歌燐!・・・そんなことをしてる場合じゃ・・・」
「わかってる!でも!」
凛堂が今にも駆け出さんとしている。歌燐もまた動き出したくて仕方ない。
「学校!体育館!それでいいの!」
「え、えあ、そうだけど」
それだけの言質。それだけを聞き取り、歌燐は駆け出した。
「のーりん!」
「・・・わかってます」
ドーナッツの箱を机に投げ捨てて、凛堂も駆け出す。
静まり返った店内に残された彼等は視線を右往左往させていた。
「え?な、なにあれ?」
「そんなに海馬君を取られるのがいやな・・・わけなのかな?」
単なる恋愛の話ではない剣幕があった。
「私達も・・・いく?」
お互いの顔を見合わせる。気まずい空気。誰かが『行こう』と言い出すのを彼等は待っていた。
「・・・行こうか?」
「え、あーそうだね」
一人が言いだし、机の上を片付ける。どことなく危険なことになっているのではないかという雰囲気。面倒事をしでかしてしまった予感が彼等の中に流れていた。
歌燐と凛堂は全速力で走っていた。学校の手前の坂に差し掛かり凛堂が遅れる。
「・・・先に・・・行って・・・くださ・・・い」
息も絶え絶え。普段の運動不足が響いていた。
歌燐は返事も返さずにさらに速度をあげる。すれ違う生徒はいない。校門を駆け抜け、体育館の扉を体当たりする勢いで押し開けた。
異変はすぐに気付いた。
「ああもう!やっぱりか!あのバカ!」
物を叩きつけるような音が静かな体育館の中に響いていた。それと同じくして誰かの悲痛な叫び声が聞こえる。
「だせよ・・・出せよぉおお!出せっていってんだよ!」
かすれ気味だが、決して途切れることのない悲鳴。授業が終わってからずっとあの中で暴れていたのだろうか。歌燐は唇をかみしめ、また駆け出した。
体育倉庫の扉が揺れていた。中からゆっくりとしたリズムで扉を叩く音がしている。
「だせ・・・だせって・・・だせよ・・・」
声が弱弱しく、そして泣いているように聞こえる。
「朧!朧!聞こえる!」
歌燐が叫ぶが返事はない。聞こえていない。中から漏れる声や音に変化はなかった。
「・・・歌燐・・・鍵・・・借りて・・・きまし・・・た」
肩で息をし、今のも倒れそうな様子になりながら凛堂が転がりこんでくる。歌燐はその鍵をひったくるように受けとり、体育倉庫の鍵に差し込もうとする。
「出せって!出せ出せ出せだせぇぇえええ!」
「こんな時に息を吹き返すな!」
再び扉が震える速度がました。鍵が上手く刺さらない。
「朧!朧!私よ!歌燐よ!今開けるから落ちつけって!落ち着けっていってるだろ!」
「出せぇえええええええええええ」
全力で叫ぶも声は朧には届かない。
「ああ、もう!このバカ!」
歌燐は苛立ち紛れに扉に前蹴りをかました。
「ハァ・・・誰だ?」
不意に中からやや正気を取り戻した声がした。歌燐はしめたと思い、更に蹴りを一発。
「誰かいるのか!出してくれ!出してくれよ!」
「私よ!のーりんもいる!」
「・・・か・・・りん?」
朧の泣き顔が目に浮かぶようだった。歌燐は体育倉庫の扉に鍵を差し込んで回す。ガチャリと音がした直後、朧が扉を開けて外に飛び出してきた。
「おっと・・・」
それを胸で受け止める。歌燐の膨らみの少ない胸部に朧が縋りついてきた。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」
息も荒く、全身が冷や汗でべとべとだ。そんなことおかまいなしに歌燐は朧の背中に手を回した。
「本当にもう・・・もう大丈夫だって」
子供をあやすように背中を軽く叩く歌燐。よく見れば朧の手や肘や膝はすりむけて血が滲んでいた。特に指は見るも無残な姿になっていた。多分、この拳で扉を殴り続けたのだろう。
朧は泣きじゃくる子供のように強く歌燐の服を握りしめる。彼の震えはおさまらない。過呼吸のように繰り返される吐息にしゃくり声が混ざる。
歌燐はしばらくこのままになりそうだと、溜息をもらした。
「・・・・・・ふぅ・・・世話をかけますね」
凛堂もようやく息が整ったのか、朧の隣によってきた。
そしてその小さな手を朧の背中に置く。
今も震える彼の背中は大きいはずなのに、とても小さく見えていた。
「まったく。これで私達を守ろうなんてね」
「・・・・・・情けないです」
皮肉がこぼれるのも彼の安全を確保したからだ。
とりあえず、命に別状はないし救急車が必要な事態ではない。
二人の表情に安堵の微笑みが浮かぶ。
それにしても朧がこの状態ということは・・・
「あ・・・」
「ああ、やっぱり中にいたんだ」
歌燐は穏やかにそう言った。
体育倉庫から恐る恐るといった具合に出てきたのは緑だ。彼女の顔は真っ青だ。血の気は引いているし、指先も真っ白だった。
朧はきっと一心不乱に叫びながら扉を殴り続けていたはず。いつもと違う錯乱した彼を前にずっと同じ空間に閉じ込められていたのだ。怖くないわけがない。
「ごめんね、こいつ錯乱してたから怖かったでしょ?」
歌燐は優しく彼女に微笑んだ。本当は言いたいことも五万とあったし、張り手の一発でもお見舞いしてやろうと思っていた。でも、脅えきった彼女を見たらそんな気は失せていた。もう彼女は十分に怖い思いをしたのだ。そこに追い打ちをかけなくてもいい。彼女も同じことはしないだろう。
「出来心だったんでしょ?こいつももう大丈夫だから」
「で、でも・・・血が・・・」
「血?これぐらいなら平気平気。絆創膏じゃ・・・ちょっと無理だけど」
出血はひどくない。過度にすりむいた程度だ。少し右拳に白い筋肉が見えているのが痛々しいとはいえ、骨まではすりむけていない。病院にまで連れて行くほどじゃなかった。普通に生活しているぶんにはお目にかからない怪我であることは確かだが。
歌燐は一定のリズムで朧の背中を叩きながら緑に話しかけた。
「こいつね・・・閉所恐怖症なの」
「閉所・・・」
「そう、狭い場所に閉じ込められることがものすごく怖いらしいの。中にいるだけなら大したことないんだけど。『出られない』って思ってしまうともうダメ。すぐにこんな風になっちゃってさ。ちょっとしたトラウマのせいでね」
トラウマ。そんな生優しい経験ではなかったがそれを今言っても仕方ない。歌燐は朧の短い髪に手を突っ込んだ。後頭部の歪な凹凸に触れる。
「だからさ・・・その・・・また、仲良くしてくれると私は嬉しいかな」
「・・・うっ・・・うう・・・」
不意に緑が顔を覆った。
「えっ、あっ、ちょっ、緑さん!?」
「うわああああああぁああああん」
その場にしゃがみこみ、子供のように声をあげて泣きだした。
「えっと・・・はぁ・・・」
緑は朧を片腕に抱きながら、体をずらして片側をあける。
「のーりん、お願いしていい?」
「・・・こういうの、久々ですね」
「あっ、覚えてたんだ」
「・・・忘れたりしませんよ」
凛堂はしゃがみこんだ緑の傍に寄り、背中を支えながら歌燐の傍に誘導する。
歌燐は最後の一歩を自分の腕で引き寄せ、緑を自分の胸に収めた。
「もうこういうことしないでね」
「・・・うん・・・うん・・・ひっく」
片腕に震える朧、もう片方にはしゃくり声をあげる緑。両手に泣き虫を二人抱えて歌燐は疲れたように微笑んだ。
「・・・相変わらず似合いますね」
「嬉しくないけどね」
両手で二人の背中を一定リズムで叩く歌燐。
「あ、あのー」
「誰かいますかー?」
体育館の入口から聞こえる声。ようやくご友人の到着だった。
「あっちにはちょっときつく言っていいかな?」
「・・・さぁ?私は彼等のことをよく知りません」
「私もそこまで知らないんだけどな」
歌燐は説教の内容を考えながら二人の頭を撫でた。




