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第4-3話 『約束』

「それじゃあ、俺は帰るな。晩飯御馳走さん」

「ああ、情報収集の件。頼むぞ」

 黒助の見送りに来てくれたのはメモリ一人だけだ。黒助はなぜかここの子供達に嫌われている。多分、トップの三人が黒助のことを嫌っているせいだ。人の悪意ってのは簡単に伝染するものだ。

 黒助は上着のポケットに入れたメモを取り出した。そこにはいくつかの大学と企業の名前が書かれていた。中には有名国立大学や国が出資している有名企業もある。

「絞りきれなかったな」

「なぁに、ここまで来ればあとは虱潰しに追い込めばすぐに見つかるさ。明日も有給をとってるからな。一通り探りをいれてみるさ」

「できるのか?」

「現役営業マンの交渉術を舐めるなよ。なぁにコネもあるし、最悪な場合も考えてある」

 メモリは余裕を見せる黒助に鍵を投げた。

「これは?」

「格闘場、奥のボクシングマットの下。好きなのを持っていっとけ」

「武器庫か」

「最低限の備えだ」

 黒助はそれをポケットにいれる。

「俺がこれから行く企業には出入り口に金属探知を設置しているとこもあるんだぞ?そんなとこにわざわざ不法所持している拳銃を持っていけってのか?」

「嫌ならそれもお前の自由だ。私は選択肢を示しただけだ」

「そもそも魔法を使える研究者に銃なんか」

「いらないなら返せ」

「そうは言わないさ。ありがたく頂戴しておくよ」

 黒助はポケットの鍵を弄りながら『Memory』に背を向けた。

「それじゃあまた連絡する。周囲の警戒はしておけよ」

「言われなくてもそうする。ほら、さっさと行け。子供達に見つかるとまたいじめられるぞ」

「そいつは勘弁だな」

 黒助は楽しそうに笑う。黒助のことを皆は嫌っているかもしれないが、彼はここの子供達のことが好きだった。

 黒助はそのまま体育館へと向かった。

「あれ?」

 中に電気がついている。

 表の扉を開けると、何かを殴っている音が聞こえてきた。

「いや?蹴ってるのか?」

 音の一発一発が重い。黒助は奥の格闘場を覗く。そこにはボクシング用のリングが造られていた。床より少し高い位置に作られたリング。その周囲にはサンドバックが三本吊り下げられ、筋トレ用のマシンが並んでいた。そして、吊られたサンドバックの一本が揺れていた。

「おやおや」

 ボクシングにおける上手なパンチというのは衝撃とダメージを相手の中に置き去りにする。拳が触れるのはほんの一瞬。素早い引きで次の行動に備えるパンチはダメージ効率も次の展開も有利にする。そんなパンチをサンドバックに叩き込むと驚く程に揺れないのだ。

それに対してこのサンドバックは揺れまくりだ。打っている人間はただ振りかぶった拳を振り切っているだけだ。これは格闘技のパンチではない、憂さ晴らしに喧嘩をする人のパンチだ。

「朧か?」

「あぁ?」

 サンドバックの向こう側から不機嫌な声と不機嫌な顔が出迎えた。それは黒助の姿を見ると不機嫌さを五割増しにした。

「失せろ!」

「開口一番にそれはないだろ」

「俺は今・・・」

「機嫌が悪いんだろ?どれ、憂さ晴らしの相手になってやろうか?」

「なんだと?」

 黒助はスーツを脱ぎ、ほどいていたネクタイを床に落とした。

「お前は俺を殴ってスッキリできるんだ。どうだい?1Rぐらい付き合ってくれてもいいだろ?」

「・・・いいだろ」

 黒助はシャツとスーツパンツを脱いで下着一枚になる。

「・・・・・・・」

「悪いね、こんなことになるとは思わなくて」

「別にかまわねぇよ」

 朧はヘッドギアをつけてマウスピースを口にはめた。それに対して、黒助はグローブだけだ。

「・・・怪我するぞ」

「1Rだけならたかが知れてるさ」

「ボこる」

 二人でリングに入り、タイマーをセットする。

「レフリーストップはないけど。いいよな」

 朧は聞いていないようだった。コーナーの端で体を伸ばしていた。

 黒助は軽く肩を回した。

 そして鐘がなる。

 猛烈に朧が突進してきた。

「甘いね」

 その突進力のまま振りかぶった一撃。黒助は冷静にかわし、全力のクロスカウンターを叩き込んだ。

「ぶふっ!」

 全体重を乗せたクロスカウンター。一発で朧がたたらを踏んだ。

「そんなんで誰を守る気なんだ」

「なんだと!」

「メモリが鍛えてると聞いていたんだがな。まるで駄目じゃないか。そんなのはボクシングとは言わないぞ。守るんじゃなかったのか?」

「・・・ボこる!」

 殺意8割増しといた具合だった。朧は既に頭に血が上っているようだった。ジャブやストレートのコンビネーションを放ってきたが、初動も腕の引きもまるでできていない。体をのけぞらせるようにしてかわし、引き際に顔に一発パンチを放り込む。

「このぉ!」

 唐突に朧がバスケのダックインのように姿勢を落とした。なりふり構わずタックルに走ったらしい。

 黒助は冷静に膝蹴りでカウンターを決める。本人の勢いと膝蹴りの威力が同時に乗って朧の顔面を襲った。余りの威力にマウスピースが吹き飛んで行った。

「まったく、魔法を使う相手にもそれをする気か?」

「うらぁああああああ」

「聞いちゃいないな」

 ただ闇雲に振るわれる拳。黒助は朧のガス抜きの為にあえて受けることにした。

 もちろん、腕でガードしながら勢いを殺している。さすがに鍛えている相手の全力のパンチをまともに受けて怪我をしない自信はなかった。

 しばらく殴られるままにしている。最初は血気に溢れていた朧も途中から徐々に殴らされていることに気付いたのだろう。ラウンドが終わる頃にはそのパンチに力が無くなってきていた。そして彼は最後の鐘が鳴る前に殴ることをやめてしまった。

「あれ?もういいのか?」

 黒助がそう言ったのと鐘が鳴り響くのは一緒だった。

「・・・・・・・ありがとうございました」

 どんな相手にも礼を欠かさないのはメモリの教育の賜物だろう。

「とはいえ、ボクシングでタックル仕掛けるのはどうかね」

「お前だって蹴りで迎撃しただろ。ってか、ボクシングで1Rと言われた覚えはねぇ」

 生意気で可愛げのない意見だった。朧はそのままリングを後にして、タオルを取りに行く。

「・・・なぁ、黒助さん」

「なんだい?」

「・・・魔法は・・・悪か?」

「魔法は手段だ。そこに善か悪を問うのはナンセンスでしょ。君が誰かを守りたくて魔法を使ったとしても、それが善とは限らない」

「正論なんざ聞きたくない」

 黒助はほんの少しメモリの気持ちがわかった気がした。この年頃の少年の親になるのは大変だ。

「どうして聞きたくなんだね?自分が間違っているのを認めるのがいやなのか?」

「そういうわけじゃない」

「じゃあどういうことだ?オジサンに話してみたらいいじゃないか?」

「うるせぇ野郎だ」

 朧は肩にタオルをかけてサンドバックを一発殴った。サンドバックは一切揺れなかった。

「君はまだ守られる存在だ。メモリの保護の下で勉学に励み健やかな生活を送るべき年齢だ。そんな君が誰かを守り、誰かの為に命を懸けるというのは少し早すぎる。メモリは君たちを守りたくて、余計な心配をかけたくないんだよ」

「そんなことはわかってる!」

 鋭い蹴りがサンドバックを直撃した。激しい音がしてサンドバックが軋んだ。相当に重いはずのサンドバックが左右に揺れる。

「でも!俺はもう何度も命をかけてきた!あいつらを守る為に」

「そういう風に考えるから『あの場所』にとらわれていると言われるんだ」

「・・・・・・・」

「君はもう何も守らなくていいんだ。背負わなくていいんだ。そうメモリは言いたいんだよ」

「・・・わかってる」

 絞り出すように朧は呟く。

「でも・・・くそっ・・・わかんねぇよ。また、あいつが襲ってきたら・・・俺はどうすりゃいいんだ?」

 メモリに任せろ。黒助はそう言いたいのをこらえた。それだけではきっと朧は納得しない。彼の過去を知る黒助は彼の性情というのを少しは理解していた。

「メモリと話すといい。彼女は君の母親なんだから」

 瞬間、殺意にまみれた視線が向けられた。黒助はそれを笑って受け止める。

「・・・お前に言われなくてもわかっている」

 朧は最後にもう一発蹴りをかました。サンドバックが揺れる。そのまま、朧は出口へと向かった。

「・・・黒助」

「なんだ?」

「・・・・・・・ありがとうございました」

 心底言いたくないとわかる声で言われてもあまりうれしくなかった。

「どうも。またスパーリングに付き合ってくれよ」

「次はボこる」

 朧はそう言い残して、その場を後にした。

 黒助はそれからリングのマットを外して地下への入口から下に入った。そこにはショットガンから拳銃まで色とりどりの銃が揃っていた。黒助は自衛隊時代に使っていたSOCOMピストルと弾丸、そして肩から下げる為のホルスターを持ち出した。

 できれば使いたくはない。だが、そうも言ってられないだろう。黒助は服を着て、シャツの下にホルスターを下げた。気合を入れ直す為にネクタイを締め直す。昔はこれが犬の首輪みたいで嫌だったものだが、こうしてみると確かに気が引き締まるな。

「あの研究は潰さなきゃならない。それが大人の責任だ」

 弾倉が空のSOCOMピストルを脇にさげ、黒助は格闘場の電気を消して外に出た。

 外はもう暗く、夜も遅くなってきた。遠くに見える『Memory』は明るく電気を灯し、今にも子供達の騒ぐ声が聞こえてきそうだった。

 黒助はそこから背を向けて表通りに向けて歩く。

 少し歩いて国道に出ると、黒助は片手をあげてタクシーを止めた。そして告げたのは国立大学の名前だった。

「お客さん。大学の先生ですか?」

「どうしてです?」

「いや、こんな時間に大学に行く方なんてそれぐらいじゃないですか。あそこを目印にするんだったら『どこどこの方』って言いますでしょ」

 なかなかに喋る運転手だ。そして、勘もいい。このタクシーの乗客は飽きないだろうな。

「そうなんですよ。今から研究の仕事でして。今日は朝までですね」

「大学の先生も大変なんですね」

「いや、自分なんて。子育てしながら大学で講義している先生の方がよっぽど大変だと私は想いますけどね」

「確かにそうですね」

「運転手さんはお子さんはいらっしゃいますか?」

「ええ、2歳になる娘がいましてね」

「可愛い盛りじゃないですか」

「いやー本当にね」

 話を誘導し、話題を変える。黒助は適当に話を合わせながら大学の裏口にやってきた。料金を払い、タクシーが行ったのを確認して黒助は歩き出した。

 この大学を選んだのはここの連中が被験体である子供達の行方を調査していたからだ。他の連中が『ME』 のシステムやマシンを調査しているところでこいつらは人を追っかけている。危険度で言えば星三つだ。

車が入れるような通用口は門が閉まっていたので人が出入りするような場所を探して大学の周囲を歩いていく。

「なかなか見つからないな」

 もしかして逆方向だっただろうか。

 そんなことを思いながら黒助は道を曲がる。大通りを外れ、閑静な住宅街に入っていく。やけに静かだった。

「・・・・・・・・・・・おっと」

 ふと、後ろを誰かが歩いている気配がした。一般人ではない。ただ、プロでもなさそうだ。一般人にしては足音がかなり歪だ。目的を持って足音を消そうとしている。だが、そのせいで逆に呼吸が不自然になっていた。人を尾行したり、不意打ちを仕掛ける相手の特有の呼吸法だった。

「・・・いきなりビンゴかもな」

 黒助は拳銃の弾倉を取り出して弾を一発ずつ込めていく。足音を大きくして音をごまかしながら歩く。そして、全弾を込め終わり、拳銃に装填した。

 とはいえ、こんな玩具が役に立つとは思っていない。

黒助はヘッドフォン型の装置を頭につける。

本命はこちらだった。

 黒助が手をかざすとその間に小さな雷が走る。頭の奥が痺れるような感覚を味わいながら、黒助は背後の様子を伺う。

 タイミングを計る黒助。その前方にふらふらと歩く人影が現れた。

「なっ・・・・」

 一般人か?それにしては様子が・・・

 そしてその人影は崩れるようにして、うつ伏せに地面に倒れた。

完全に予想外だ。このまま後ろの人物に気が付いていないふりを続けるか?それともここで攻勢を仕掛けるか?

黒助は前者を選んだ。

「大丈夫ですか!」

 わざと大きな声をあげてその人影に駆け寄る。当然、この人物が演技をしているという可能性も捨てていない。

「もしもし、大丈夫ですか!」

 人命救助の要領で肩をゆすり、声をかける。反応はない。黒助はその人の肩を掴み仰向けにする。

「あ・・・・うあ・・・・」

「・・・これは・・・」

 視点の定まらない目、涎を垂らした口、口から洩れるうめき声、わずかに震える手足。

 意識が混濁している。

 黒助はこういう状態の人間を知っている。これは『魔法』で全ての記憶を失い、廃人になってしまった子供達の状態によく似ていた。

 直後、周囲から猛烈な風圧が訪れる。

「こいつは・・・」

 その数は三。まるでこっちが足を止める場所がわかっていたかのような奇襲。瀕死の人間を用いた罠。戦場ではよく経験したものだった。

 三度に及ぶ空気の爆発。その風に乗って後方にいた相手が黒助の頭上を飛び越えた。

「くそっ!」

「ふんっ!」

 黒助の行動より早く、そいつは黒助の頭を鷲掴みにした。

「ぐっ!」

 目の前に手のひらが翳される。顔面のすぐそばで空気が爆発した。あまりの衝撃に脳が揺れ、鼓膜が破れる。

「このっ・・・」

 脳震盪のせいか、『魔法』の制御がきかない。放とうとした魔法は記憶を消費せず、不発に終わる。

「お前・・・鍛えているな?」

 さらに目の前の者が拳を振りかぶった。そして振り下ろすように右拳が叩きつけられる。だが、黒助を直接殴ったのは空気の塊だった。一撃で気を失う黒助ではない。その直後、左右から同時に空気が叩き込まれた。無音で蠢く空気が音も無く黒助を殴り倒す。そして繰り返されるラッシュ。放たれた『魔法』の数は優に20を越えた。

 なぜだ・・・なぜこいつは・・・ここまで躊躇いなく魔法を使える。

「さぁ、これで終わりだ」

 空気が渦巻く音、そして自分の頭蓋骨が割れるような音。それを聞き、黒助は自分の意識を手放した。

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