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第4-2話 『約束』

 キッチンにいたメモリは外の二人の会話をずっと聞いていた。そして、朧が歩いていく音を聞き、力尽きたように椅子にへたりこんだ。そんな彼女に黒助は躊躇いながらも声をかけた。

「まぁ・・・なんだ・・・お疲れ様だな」

「はぁ・・・」

 メモリの口からこぼれるのは溜息ばかり。それは朧への苛立ちではない。それは不甲斐ない自分に向けてのものだった。

「どうしてこう・・・子育てってのは・・・」

 朧のあの態度。あれは彼と最初に出会った時からまったく変わっていなかった。朧にまだ名前も無かった時だ。マジックミラー越しに隔離された部屋で遊んでいる彼を見た時から全く変わっていない。あれからもう10年以上の時間が経っているというのに、彼を変えることができていない。

それは子供が意固地なだけだろうか?

そうじゃないだろう。背中を見せ、手本を見せてきたはずの親の方が問題なのだ。

「自信を無くすな・・・」

 項垂れるメモリ。そこにはいつもの毅然としたメモリはいない。いるのは教育方針に悩む一人の母親だった。

「まぁまぁ、お前は立派にやってるよ」

「形だけの慰めなどするな。あそこで『お前は私が護る。お前は引っ込んでいろ』と強く言えない私も悪いんだ。そもそも、私がもっとこの研究を徹底的に潰していればこんなことには・・・」

「そう責めるな。実際俺だってデータは追ってたが、どこかで復活しているなんて思いもしてなかったんだ。それだけ徹底的に潰したはずだった」

 黒助は手近にあったピッチャーで水をコップにいれてメモリの前に置く。

「ありがとう・・・はぁ・・・」

「メモリさんが落ち込むことないですよ」

 そう言ったのは食堂に入ってきた歌燐だった。

「すまないな。立ち聞きしてしまった」

「いいんです。私も聞かせるつもりだったし」

「歌燐ちゃん、朧の奴は?」

「・・・・・・・・黒助さん、私に話しかけないでくれませんか?」

 黒助は思わずがっくりと机に顔を付けた。相変わらず嫌われたものだった。

「メモリさん。朧は多分、図書館だと思います。のーりんを探しにいったんでしょう」

「だろうな・・・はぁ・・・どうしてあんな子に育ってしまったのか。他の子もあんな意固地になったらどうするか・・・」

「大丈夫ですよ。私から見ても他の子達はみんな素直ですし」

 メモリは疲れた声で「そうだよな、そうだよな」と呟いた。極々まれにみるメモリの落ち込んだ姿。歌燐はこんなことになった元凶を恨む。朧の奴は馬鹿だからこの程度は仕方ない。それよりももっと根本的な元凶だ。例のサラリーマン風の男。あいつさえ現れなければ良かったのだ。

「歌燐、お前まで『魔法』を使うなんて言い出すなよ」

「・・・わかってます」

 歌燐の答えの間のわずかな間。それをメモリは見逃すことはない。

「・・・歌燐」

「ご、ごめんなさい」

 朧と違い素直に謝る歌燐。だが、メモリはわかっていた。結局のところ、朧も歌燐も本質では何も変わらないのだ。彼等はきっと大事な人を守る為だったら迷いなく『魔法』を使ってしまう。

決して誰も連れていかれないように。

彼等はまだ『あの場所』から逃げ続けている。

「謝罪はいい。それよりも、食事の準備を手伝ってくれ」

「はい、わかりました」

「メモリ、俺も手伝うよ」

「黒助さんは座っていてください。食器や皿や箸に触られると私が生理的に嫌なので」

「そこまで言いますか・・・」

 再び落ち込む黒助を見てメモリは背筋を伸ばした。これ以上落ち込んだ姿を見せられない。メモリは気を取り直す為に頬を軽く叩く。そして椅子から立ち上がった。そこにはいつもの彼女がいた。

「よし、今日の食事はカルボラーナとエスカルゴだ。自信作だぞ!」



 朧は一歩ごとに溜息をつく勢いで図書館へと歩いていた。

 メモリさんと喧嘩するどころか、歌燐とも喧嘩になってしまった。『Memory』の子供達が羨ましかった。小さな喧嘩をしてもすぐに仲直りが出来る彼等は朧には無い純粋さがあった。意固地に凝り固まった自分にはできない芸当だった。

「素直というか、もう少し世渡りが上手くならないとな・・・」

 世の中嘘と方便だ。メモリさんや歌燐に嘘をつく気はないがもう少し上手いこと言えないものだろうか。

 朧はそう思いながら図書館の扉を開けた。

「よう、のーりん」

「・・・・・・・」

 のーりんは珍しく一階の読書スペースにいた。小さな電灯を机に置き、分厚い本で顔を隠していた。

「飯だとさ。戻ってこいよ」

「・・・・・・・」

「のーりん、おい!聞いてんのかよ!」

 声が自然と苛立つものになっていた。さっきあれだけ失望やら嫌味を向けられたのだ。今は彼女の無視するような態度すら気に食わなかった。

「・・・・・・・・」

 彼女は一瞬だけこちらを見て、また読書に戻ろうとする。

「はぁ・・・」

 のーりんのこういう態度はいつものことだ。ここで声を荒げても完全に八つ当たりだ。

 自分の言葉を冷静に見つめ、朧は一度深呼吸をする。そして、もう一回声をかけた。

「のーーーりん」

「・・・・・うるさいですよ」

 いつもの態度。だが、反応はしてくれた。それが朧の中のガスを抜いてくれる。

「いいから、お前がいないとご飯が始まらないだろ」

「・・・ちょっと待ってください。もう読み終わりますから」

「あと何ページだ?」

「・・・159ページです」

「待てるかよ」

 朧は無理やりその分厚い本に手をかけて引っ張り上げた。

「・・・・あ・・・・」

 玩具を取り上げられた幼子のような可愛らしい顔。それは瞬時に暗殺者のようなものに変わった。

「わかりました。あなたは自殺志願者ですね」

「物騒なことを言ってんじゃねぇよ。飯だって言ってるだろ!」

「関係ありません。私は私の読書が大事なんです」

 朧は頭を抱えたくなった。ここでこういうことを言いだすかこいつは・・・

「あるだろうが。晩飯は用事がない限り全員揃ってってのが」

「・・・これが用事です」

 凛堂は本をひったくるようにして朧の手から奪い取った。ほとんど不意打ちだったので朧も反応ができない。

「あのな・・・いい加減にしとけよ」

 今度こそ声に正真正銘の怒りが籠った。凛堂はそれを聞き、朧に視線を向ける。そして、何かを諦めたかのように目を伏せた。

「・・・・・・・わかりました」

 そして何を思ったのか、パラパラと残りのページをめくりだす。

 朧はその様子に露骨に顔をしかめた。それは嫉妬。持つ者に対する持たざる者の嫉妬だった。

「・・・・・・・・・・・・・」

 そしてすぐに最後のページまで凛堂は目を通した。

「・・・あとは食事中に読みます」

「へぇへぇ、最初からそうすればいいんだよ」

「・・・疲れます」

「そうかよ。頭の中で読むんだから一瞬だろうが」

「・・・私は内容を記憶しただけです・・・読んでません」

「写真記憶だったか?便利なこったな」

 目の前の光景を写真のように一枚の絵で記憶する。一般人でも訓練すればできるようになるという。ただ、凛堂の場合は覚えることのできる量や速度が全く異なる。文字通り一瞬で大量の記憶を脳に刻み込む。それは400ページに渡る長編小説を一瞬で頭に収めることができるレベルだ。

たった一個の英単語を覚えるのにも苦労する朧にとっては羨ましい限りだった。

 二人揃って図書館を後にし、彼女が鍵をかけるのを確認する。『Memory』へと歩く道すがら、横に並んだ彼女が抑揚に欠ける声で呟いた。

「・・・・・・朧」

「なんだよ」

「・・・なにがあったかは知りませんが・・・私に当たらないでください」

 朧は口の中に溢れかえる百万語を飲み込んだ。「そんなことてめぇに言われたくない」「関係ねぇ場所で好きなことしてたお前に何がわかる」どれもこれも完全に八つ当たりである。朧が口を噤んだのは自分の言わんとしていることの理不尽さを感じたからではない。これ以上誰かと喧嘩する気力が残っていなかっただけだ。

「・・・迷惑です」

 奥歯を噛みしめた音が自分の耳に届く。

 歩幅に差が産まれ、凛堂が前を歩く。彼女は振り返らない。彼女の歩き方がすり足になり、動きが一定のものになっていた。どうせ頭の中で覚えた本に没頭しているのだろう。

 握りしめた自分の拳が震えていた。

『守る』と誓った。それが『俺』が『俺』である唯一の存在意義だった。

でも、彼女らはそんなことをもう望んではいない。『あの場所』とはもう何もかも違っているんだ。何もかも。それは幸せなことのはずだった。

『あんた、まだ『あの場所』にいる気なの?』

 歌燐の声が脳裏に響く。漢字の書き取りは覚えられないのに、こういうことばかり頭の中にこびりつく。

朧は全てに見捨てられたような気分だった。

自分の考え方はもういらないのだろうか?一人よがりな強がりは周囲と喧嘩するだけにしかならないのだろうか。

 熱くなってくる目尻を必死にこらえる。惨めだった。自分の決意も、自分の存在も、自分という十数年が惨めだった。

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