菊池恭弥
菊池兄妹の始まり、あるいはトラウマは彼らの生まれる前から語らなければならない。
菊池兄妹の父親はそこそこ大きな会社の社長で恭弥はその御曹司だ。
恭弥はというのがみそで茜は愛人の娘らしい。つまり恭弥と茜は異母兄弟となる。
茜の母親は菊池父に認知を迫ったが菊池父はこれを拒否。立場上、社会的体裁を気にしての結果らしい。
これにより茜母、つまり愛人は絶望し酒に溺れる日々を送り茜に辛く当たることもあったらしい。
翻って恭弥、彼は会社を次ぐ御曹司として英才教育をほどこされていた。年相応の不満はあっただろうが誇りを持ち勉学に勤しんだ。自身の未来に一点の曇りも感じることのないまま。
転機があったとすれば、茜の母親の死だろう。
酒に溺れた身体でフラフラと家を飛び出し交通事故で亡くなった。
ここで問題になるのが茜だ。身よりもない彼女が頼れるのは顔も知らぬ父親だけだった。
菊池父は嫌々ながら彼女を預かることにし、扱いには天と地ほどの差はあったが恭弥と兄弟関係であることを認めた。
恭弥は喜んだが、これに怒り狂ったのが恭弥の母親、つまり菊池父の正妻だ。
彼女はとにかく茜を冷遇した。菊池の名を名乗ることは許さぬ、恭弥を兄などと呼ぶな。
自身の母親の豹変にさすがの恭弥も気がついたのだろう。
この家はおかしい。自分には勉学の結果ばかりを求め、考えてみるとそれ以外で褒められたことはない。妹と呼ばれる少女は生きる上で最低限の生活を強いられており、部屋から一歩も出してもらえない。なによりそれを当たり前と思っている両親。
菊池恭弥は賢かった。それは英才教育の賜物か、個人の気質かは分からない。それゆえ、まず頭に浮かんだことは妹を守らねば、という強い思いだった。
妹はこのままの生活をしていると心が衰弱し、あとは緩慢な死を迎える。
守らなければ。
彼は幾度となく妹の生活改善を両親に嘆願したがすげなく断られる。御曹司といえど幼いこの身になんの力もない。次に感じたことは強い怒りだ、運命への、両親への、自分への。
極限まで高まった燃えるようなそれはギフトとなって現れる。
妹である茜は諦めていた。
生まれてこの方、家族の暖かみなどなく誰も自分をかえりみない。唯一、兄は自分を真っ直ぐ見てくれたが期待するには至らなかった。
なにもない部屋で1人、時を過ごす。空気のように、物のように。人が来るのは食事が運ばれてくる時のみ。
ある時から兄がドア越しに話しかけてくるようになった。
そんなとこにいちゃダメだ。必ず出してやる。
部屋に入ることは許されなかったであろう兄の言葉に微かに心が震える。交流は続いたが兄はついに両親に立ち入りを禁止されてしまう。そしてまた1人になった。
無限に続く孤独を感じる生活はギフトの発現により終幕を迎える。
部屋から出た彼女を待っていたのは兄の抱擁とこれからは俺が守るという力強い言葉だった。
◇ ◇ ◇
「おい、お前!茜をいじめたな!」
「待ってお兄ちゃん!ちがうの!」
談話室でココアを飲んでいると、菊池兄妹が現れた。兄の方はどうやら私に文句があるらしい。
「おや、今日はずいぶんと饒舌だね。それに相当おかんむりとみえる。どうかしたかね?」
「どうしたじゃねえ!お前、茜を泣かせたな!」
どうやら茜は私との話の後、涙のあとを恭弥にみつかり、怒り狂った恭弥に説明もできず、ここに来たということみたいだ。
「どうして私だと?」
「あの時間、俺と黒木はテレビを見ていた!亜矢子さんはまだ寝てる!あとはよく分からねえお前だけだ!」
なにやってんだ亜矢子さん、あの人ここの館長だろ。そんな人が子ども達より遅く起きるって……まあ日曜日なのだから大目に見ていいか。
「素晴らしい推理だ、ワトソンくん。その通り、私が茜を泣かせた」
「お前っ!」
彼の身体からゆらりと白炎が立ち昇る、ギフトか。
「まあ、落ち着きたまえよ」
と指をパッチンと鳴らす。すると彼の周りの白炎はたちまち霧散する。
「お前……何を……」
恭弥は呆然とした顔で私を見つめる。
「なに、ちょっとした手品さ。さて、落ち着いたかい?」
人に向けてギフトを使ってはいけないということを思い出したのだろう。未だ怒りはあるがばつが悪そうな顔だ。
「どうやら、私たちの間には些細な誤解があるらしい。結果的に彼女を泣かせてしまったが、私は彼女と話をしただけだよ。
それに最初に言ったじゃないか、私は君たちと仲良くしたいと」
恭弥は疑わしそうな視線を私に向け、次に心配そうな顔で茜に問う。
「本当か?」
「うん……」
その言葉に彼はホッとしたようだ。だが恭弥、私と君たちにとってはここからが本番だ。
「私は茜に君たちの事情を聞いただけさ」
その言葉に強い怒りを顔に浮かべる。
「お前……!」
再び白炎が生じる。
「だからそれはやめなって」
指パッチン。白炎フェードアウト。
「っああもう!なんなんだお前!」
発動しないギフトに苛立ったような声をあげる。
「さて、私が何者かは私が知りたいところだが」
本当にな。
「ともあれ、彼女に君らの事情を聞いたわけだ。知ってしまったわけだ。だが君たちが求めているのは同情でも憐れみでもないのだろう?」
「………」
菊池兄妹は私の語りに静かに耳を傾ける。
「正しいよ」
その言葉にハッとした表情で私を真っ直ぐに見つめる。
「君たちの行動は正しい、妹を守るため他の家族に反発した恭弥も、虐げられながらも自暴自棄にならず耐えしのんだ茜も。
悪いことなんて一つもないんだよ」
彼らが求めていたのは肯定だ。
2人は周りから否定されて生きてきた。それゆえ、兄である恭弥は自分たちしか信じられず周りに反発し、妹である茜は兄のみを信頼し世界を閉ざした。
だから、君たちの行動は善なのだと、正義なのだと言うだけでいいのだ。
「それに兄が妹を守り、妹が兄を慕うなどというのはどこの家庭でも当たり前にしてることだ。
なあ、シスコンブラコン兄妹?当たり前のことなんだぜ。君たちがしていることは」
「……なら放っておいてくれ、俺たちは正しいんだろう?」
恭弥が呻くように言葉を吐く。
「ならいいじゃないか、今のままでも誰も困らないんだから」
「ほざけクソガキ、いつまで意地を張ってるんだ。それに困っている人はいるぞ、何を隠そう君の妹だ」
その言葉に恭弥はショックを受けたような顔になる。
「彼女は言ったぞ、皆で遊びたいと、2人だけでなく4人でと、お兄ちゃんもみんなと仲良くして欲しいと」
恭弥は視線を茜に向ける。その視線に何を感じたのかは分からないが、彼女はこくりと頷いた。
「……そうか」
恭弥はそのつぶやきで穏やかな表情になった。
では締めだ。
「それにつまらないだろう?2人より4人で遊んだほうが面白いに決まってる。ボードレールもそう言ってた、言ってたに決まっている!」
グッと意味不明な主張をする。ここまできたらノリで乗り切る!
「……なんだよそれ、ぜってえ言ってねえからな」
恭弥はフッと笑みを浮かべる。
この10日間で初めて見せるその表情に無事に対話が済んだことを感じた。
「では、改めて自己紹介をしようか。私は姫咲凛、好きなプリティキュアはスマイルだ。これからよろしく」
それはまるで10日前の出会いを仕切り直すように。
「あっ、あの菊池茜です!私もスマイル好きです!よろしくお願いします!」
これからの未来に期待するように。
「菊池恭弥だ。嫌いな女は生意気な女だ。……よろしく」
この日始めて彼らと本当の仲間になれた気がした。
「あれ、みんなで集まってなにしてるの?……ってあれ!?凛ちゃんと恭弥くんが握手してる!?あんなに仲悪かったのに!?えっ、なんでみんな笑うのさ!
もう!凛ちゃん説明してよ!」
1人蚊帳の外だった黒木が混乱している。
すまん黒木、わざとじゃなかったんだ。許せ。