風桜の一番長い夜 ヒーローの場合
その夜、コンビニに行った帰り道に僕の長い夜は始まった。
間抜けなことに愛用していた歯磨き粉が切れていたことに直前で気づいた僕は恭弥にでも借りて一日ぐらい我慢しようかとも思ったが、その日はなんとなく外に出てみたい気分に駆られた。
「あざっしたー」
店員の雑な送り出しを背に受け止め、足早に寮へ戻る。寮長に許可を貰ったとはいえ、あまり長く不在でいるのは申し訳なく思ったからだ。
「きゃっ」
「うわっ」
急いでいたためか曲がり角にいた人影にぶつかるまで気づかなかった。
「すみません!急いでいたもので……え?」
「いえ、別に……っお前は!」
ぶつかった相手は紅石さんだった。その姿は普段の制服姿とは違い真っ黒いライダースーツのような衣装だ。
どういうわけか敵意のある視線を僕に向けている。そりゃぶつかったことは悪いと思ったけど、ここまで酷い扱いをされるいわれはない。
「あの……」
どのような相手にせよダイアログは必要だ、という凛の教えに従い言葉を掛けようとしたが、
「チッ」
舌打ちと共に彼女は寮とは反対の方向へ駆けて行く。
「えっ、ちょっと!」
僕の言葉は虚しく響き、彼女は足を止めることなくすぐに路地から消えた。
「………」
状況が何も分からない、というのが今の僕の状況だった。
しかし、そうしかしだ。
彼女の最後の表情は焦っていた、困っていた。
ならば、黒木悠人は何を為す?
僕は買ったばかりの歯磨き粉をポケットに詰め込み、寮とは反対の方向へ走り出していた。
◆ ◆ ◆
「あの!紅石さん!」
猛烈なスピードで街を駆け抜ける彼女にようやく追いついたのは、彼女とぶつかって10分後のことだった。
どうやら彼女はまだこの街の地理に疎いらしい。
「……何の用だ」
普段の彼女とは結びもつかないつり目がちの瞳は冷たく、一瞬彼女を紅石瑠璃とは思えなかった。
「……紅石さんだよね?」
「………」
返答は無言だったが、その相貌はこの一週間見ていた紅石瑠璃そのものだった。
「えっと、何か困っているんだったら手助けしたいんだけど……どうかな?」
僕の言葉に底冷えする視線はさらに冷たさを帯びる。えっ、何か間違えた?
「……お前か……いや、違うな。それならばノコノコ私の前に姿を現すはずがないか……」
何やら僕の知らないことで納得しているようだ。こちらの理解が追いつかないのは変わらないが自身の決心にかわりはない。
「僕は君を助けたい。クラスメイトとして、友人として」
「ハッ!風桜の住人がそれを私に言うのか!何も知らないくせに!」
初めて見る彼女の嘲笑に怯んでしまいそうになったが、凛との鬼の特訓に比べたら恐怖など感じない。
「それでもだ!君が何を抱えているのかは知らない!それでも、僕に何もできないという言われはない!」
自身のギフトすらまともに発動できない僕だけど、生きている限り何かを為すことはできるはずだ!
くしゃりと彼女の顔が歪む。
「……お前は最初からそうだったな。ギフト持ちでありながら、周りからの侮蔑に負けようとはしなかった。折れなかった」
「それは僕に手を伸ばしてくれる人がいたから、それならば僕は彼女らに恥じぬよう、この歩みを止めることはできない」
フッと紅石さんは頬を緩める。
「羨ましいよ、心から。心の赴くまま歩みを進めるお前が。……それ故、悲しいな。この場でお前の生を終わらせないといけないことが!」
紅石さんが右手を後ろにまわしたとき、パンッという乾いた音が響いた。銃声の音だ。それを彼女は身体をひねり避ける。
えっ?ちょっと待って、銃声?
「チッ!予想以上に相手に情報が早い!」
複数の足音が背後から聞こえてくる。紅石さんは苦虫を噛み潰したかのような表情をつくり、この場を離脱する。
あれー?おかしいなー?不良学生を止めるつもりの心持ちだったんだけどなー?
今は硝煙の香りが目に染みる。
「ああもう、なんでこんなことに!」
静寂な路地に僕の絶叫が響いた。
◆ ◆ ◆
拝啓 姫咲凛様
爽やかな風薫る初夏の候、いかがお過ごしでしょうか。
とは言いましても本日お会いしているため、お変わりはないと存じ上げます。
さて、そんな僕ですが絶賛命の危機に晒されています。
ぶっちゃけピンチです。かつてないほどに。
なぜこんなことになったのかは僕にも分かりません。
正直泣きたいです。というより既に涙目です。
無事にこの危機を乗り越えられたら語って聞かせましょう、この一夜の冒険譚を。
そのためにはまず、目の前の難題を乗り越えるとしましょう。
無事生き残ることができたら、また。
敬具
「おい、何をいっているんだ?」
「いや、ありえない現状についてちょっと……」
「はあ?」
「いや、何でもない」
慌てて彼女を追いかけた僕はどうにか紅石さんに追いつくことができた。辺りを警戒しているのか、その足並みは先ほどよりも遅い。
思うべきことは多々あれど向かうべき道に狂いはない。この少女を救う。この身にはそれだけあれば十分だ。
「それで、君はどこに向かうつもりなのかな?」
「……この街の悪が蠢いてる場所に」
「……どういうこと?いや……それ以前に君の目的は一体……?」
「悪いがこれ以上のお喋りは受け付けない。呑気に話しなどしている暇などない。……それじゃあね、悠人くん。今夜のことは忘れて早く寮に帰って、あったかくして眠るんだよ?」
それは普段、学校で見慣れていた紅石さんの声、表情、仕草。これ以上関わるなという明確な拒絶を現していた。
クラスメイトとして最後の気づかいをみせた彼女はその言葉を最後に再び走りだす。
もちろん僕もそれに続く。
「おいっ!なんでついてくる!いま完全に別れるシーンだったろ!」
「い、いやー、性分というかなんというか……」
「バカか貴様は!私はお前を殺そうとしたんだぞ!それについてくるバカがどこにいる!」
「こ、ここに……」
彼女から怒りを通りこし、呆れたような視線を感じる。
「それに確かに君は僕を殺そうとしたけど、じゃあなんで今は殺さないの?」
「それは……メリットがないからだ。既に敵対勢力に存在を知られてしまった以上、リスクに見合うリターンはない」
「それなら安心だ。よく分からないのに殺されないでよかった」
「つくづく愚かだな!今言ったことは現状に限ってのことだ!状況が変われば私はお前を人質にだってするぞ!」
「だったら君にも好都合じゃない?手元に手札が増えるんだから。まあでも、人質はやだなー」
「誰がこんな得体の知れない手札なんかいるか!」
「それにさ」
「なんだっ!」
「凛の……僕の大切な幼馴染からの教えに、困っている女の子を助けない男は生きてる価値などないって言われてるんだ。
だから、足は引っ張らない程度に手助けするよ?」
ちなみにこの凛の言葉には「男?男は別にいい。自力で助かるくらいの気概がないとな」と続く。
「お前は……」
紅石さんはどこか脱力した声を漏らす。
「はあ……言っても聞かぬようだから、ついてきたくば勝手にしろ。そして勝手に死ね」
「あはは、流石にまだ死ぬ予定はないなー」
会話は軽妙に、だが空気は緊張を孕みつつ、僕らは夜を駆ける。
◆ ◆ ◆
「ここは……ギフト研?」
「ああ、その第二研究所だ」
着いた場所はギフト専門の研究施設。自身の記憶からここはその中でもギフトの能力向上に重きを置いた施設だと思い出す。
「警備は2人か……」
殺る気(誤字にあらず)満々な紅石さん。その相貌に凶暴な笑みを浮かべる。
ああ、学校でのほんわかした紅石さんはもういないんだなあ、とまるで遠い昔を思い出すような感覚になる。
「最終警告だ。ここで引き返さないのだったら、お前は死地に入ることになるぞ」
「……ここで君を見捨てて、明日何食わぬ顔で君のいない教室に行くことはもうできないよ」
僕のその言葉に少しの沈黙ののち紅石さんはついに諦めたように、はぁとため息をつき、
「潜入する」
短い言葉の後、駆け出す。
「なっ!侵入……」
伺っていた場所からおおよそ7、8メートル。接敵ののち拘束、そのまま意識を刈る。鮮やかな手並みだ。
ドサッという音が2つ。
「お前……」
驚愕したような視線を感じる。
「ふう……ああ、やっちゃったー。怒られるよなーやっぱり、いや怒られるだけならいいんだけど」
自分で言うのもなんだが、僕はこういう性分のため荒事はそれなりに場数を踏んでいる。それにプラスして凛から誰かを助けたいなら強い男にならなくてはな、と地獄の特訓を……。
「ど、どうした?なぜ震える?」
「い、いや、過去のトラウマが……」
「なぜ泣き出す!?」
「や、やめてくれ凛……!人体はそんな風には曲がらないっ……!………はっ!」
刻まれた(物理的に)思い出から帰ってくるとドン引きした紅石さんの顔。
「と、とにかく先へ進むぞ」
「……了解。でもこれで足手まといにならないことは証明できたかな?」
「……フンっ」
そっぽを向いた紅石さんからは返事はなく、いよいよ内部へと侵入する。あらかじめ用意していたらしいカードキーを差し込む寸前。
「そこまでだ!」
静寂を切り裂く第三者の声とともに複数の足音が僕らを囲む。振り返ると武装した集団が銃器を僕らに向けている。
「侵入者が子どもとはな……」
リーダー格の男が驚愕したような声をあげる。
この数はちょっときついな……。
「紅石さん」
彼女にのみ聞こえる声量で声をかける。
「……なんだ」
「ここは僕が受け持つ。だから先に行って」
「なっ!お前は!」
「為すべきことがあるんだろう?ならば僕など捨て置け、目的を見誤るな」
さりげなく彼女を背中に庇いながら、先へと促す。
目視できる人数は12、3人。やばい、マジで死ぬかも。
「どういう目的かは知らんが、おとなしくしてもらおう。子どもとはいえ、ここに踏み入った以上手心は加えん」
ジリジリと彼らと僕らの距離は近づいていく。
その時、ゴォという音とともに炎の壁が武装集団と僕らを分断する。
「よお悠人、夜のデートとは洒落てんな。だがこんな辛気臭え場所はねえだろ」
紅蓮の壁を背に世間話でもするような軽い口調で現れたのは、
「恭弥!」
「ったく、帰りが遅えと思ったらまた女といちゃついてたのかよ。これを凛が聞いたら……いや、あいつは喜ぶだろうな」
「分かっていたけど非常な現実!」
がっくりと肩を落とす僕に恭弥は続ける。
「おら!雑魚は引き受けるからさっさと行け。やることあんだろ」
その声で心に喝が入る。そうだ、恭弥みたいに僕を助けてくれる人がいる。助けられる僕もそれに値する人間でありたい。
「……ごめん、ありがとう!」
未だ混乱している紅石さんの手を引き研究所内へと進む。おう、というぶっきらぼうながら暖かな声を背に受け止めながら。
◇ ◇ ◇
「さて、どうすっかね?」
初撃で半数は潰した、残りは。と考えを巡らせていた瞬間、炎が霧散するように消える。
「なにっ!」
炎の壁の奥からニヤついた笑みを浮かべた男が小型の端末らしきものを掲げている。
「何をしたっ!」
「なに、対ギフト用のアンチフィールドだ。半径10メートルだがギフト持ちには致命的だろう?効果は3分と短いが君だけを仕留めるには十分すぎる時間だ」
「あの腕輪と似たようなもんか……!」
思い出すのはギフト発現前、医者につけられた腕輪を連想する。
たらりと汗が頬を伝う。武装した相手が6人、こいつぁちと覚悟を決めないといけないかもな。
問題解決の鍵は相手が阿呆みたいに自慢げに語った半径10メートル。しかし、研究所の入口を背にしてるため距離はとりずらい。
「美しい友情ごっこはこれまでだ。運がなかったな、恨むならあの少年を恨め」
クソッ、万事休すか……!最後の悪あがきに前傾姿勢をとり一か八か敵中を駆け抜けようとする。
その時、
ありえない声を聞いた。
「ああも格好良く登場しておきながら、息を吐くように死亡フラグを立てるとは呆れを通り越して見事だ。そこが君の魅力で私は好ましいのだがね。
ただ君が死んだら私を含め悲しむ者も多い。悪いがそのフラグ叩き折らせてもらう」




