04 田所くんと椿くん、の話。
自由。
それは、とても素晴らしい響きの言葉である。特に、私のような団体行動に不向きな人間にとっては、その恩恵は計り知れない。
しかし、全ての物事には表と裏がある。善と悪があり、光と影があり、プラスとマイナスがある。つまり恩恵が大きければ大きいほど、その代償もまた大きいものとなるのである。
例えば三年生三日目、ただでさえ憂鬱な一限目からの体育にて、
「よし! それじゃあ、自由にペアを組んでストレッチ!」
と、先生からグラウンドに響き渡るほど大きく告知された場合。
まったく、なんと制限された自由行動だろう。自由という名の不自由が、そこにはある。
だが、この程度でうろたえる私ではない。だてにこれまで学校生活ソロプレイを続けてきたわけではないのだ。なめてもらっては困る。
というのも、私のように零れてしまう人間は、どのクラスにも一人や二人はいるもの。そして次々とペアが決まっていく中、そういう人間同士そこはかとなく通じ合い、自然とペア(あるいはトリオ)を組めるという仕組みなのである。
だから二組合同の体育は、安心して、安心して、安心して……安心……あん……あ……
「……よろしく」
「あ、あの、よ、よろしく、お願いします」
気付けば、私の目の前には巨大な影が立ちはだかっていた。
優に一八〇はあるであろう身長に、唸る獣のような低い声。そして何と言っても、その鋭過ぎるほどに鋭利な目付き。これが野生であれば、私は今この瞬間にも彼に狩られていることだろう。
――椿翔一郎くん。
他校の生徒とケンカしていたとか、ご老人相手にカツアゲしていたとか、もうすでに結婚していて子どももいるとか。そんな噂がまことしやかに飛び交い、人付き合いが一切ない私の耳にもその名は届いている。というか、たとえこの耳に届いていなくても、私はこの目でその名を見ている。
何故なら、彼の席は私の真後ろなのだ。新しいクラスになったばかりで、席が五十音順のままだから。
だから昨日、和泉くんの名前を確認する際に、自然とその名前も目に入ってきた。というか、入れざるを得なかった。何故、そんなアグレッシブかつエキサイティングな噂のある人物が、真後ろの席なのかと。何故、私は田所姓なのかと。何故、このクラスには千葉くんはいないのかと。
というか、そのきっかけである和泉くんは何故今日いないのだ?
彼さえいれば、こんな事態にはならなかったはずなのに。そして昨日の夜、ついうっかり手に取ってしまったばかりに「あれ? あのキャラが仲間になるのは何巻だったかな?」と気になり全十二巻を気付いたら読破してしまうというマンガの持つ魔性の罠に引っ掛かりつつも、クローゼットの奥から引っ張り出した卒業アルバムについての諸々を、確認しようと思っていたのに。
……って、そんなことを考えている場合ではなかった。
「…………」
椿くんにめちゃくちゃ顔を見られてる。ガン見されてる。というか、完全に睨まれてる。
まずい、何か気に障っただろうか。それとも、別の意味で『障る』ように見えただろうか。「何だ、この男版貞子は?」とか「触ったら呪われそう」とか思われてるんじゃないだろうか。いや、大丈夫ですよ。人畜無害ですよ。私には二次元に出入りする能力はないし、呪いにも祝いにも全く関係のない人生を送ってきた人間ですから。というか、むしろそんな能力が欲し――
「……えっと、どっちからやる?」
――ひいいいぃっ!
やるって、まさか『殺る』って書くやつですか!?
確かに私なんかいなくなったって社会的には何の問題もないけど、椿くんの社会的立場には問題が出ますよ。人生テスト、八十点配点くらいの大問題ですよ。それに、さすがにこんな公衆の面前で命のやり取りをするのはいかがなものだろうか。もっと影に隠れてひっそりとやった方が、どちらの立場的にも目立たなくて良いのではないでしょうか。
というか、『どっちから』って何? 何故に選択肢があるの? もしかして私以外の誰かの姿が見えているの? え、やだ何それ怖い。もうバイオレンス的にもホラー的にも怖すぎるよ。全米が恐怖しちゃうよ。興行収入歴代一位を記録しちゃうよ。
「……俺から先にお願いしていいか?」
そう言って背を向け、芝生の上に座り込む椿くん。そして、両手両足をグッと前に突き出した。
……なるほど。落ち着け、私。取り乱すな、私。
いくら様々な噂を持つ彼も、さすがに校内で事件を起こすわけがないじゃないか。いや、逆にそんな噂を持つからこそかもしれない。そんなことをすれば最悪、退学になる可能性があることを重々承知しているのだろう。そして高校三年にもなって、そんなことを望むはずもない。
しかし、ここでまた新たなる試練である。
彼の今の体勢は、コの字型。それはつまり、後ろから背中を押されるのを待っているという証。そして、その役目は私に一任されている。
だが、その行為は眠れる獅子に触れるも同然。決して力加減を間違えてはならない。
もしそんなことになれば、お怒りのカウンターアタックをいただくことも充分にあり得るだろう。そしてそんな事態に陥ってしまえば、つまようじの尖ってない方くらいの防御力しかない私は病院で、彼は自宅で、これからの高校生活を送ることになってしまう。
だから両者の平穏のために、ここは極めて慎重に、いっそ春のそよ風が撫でたんじゃないかと疑うくらいの力で臨まねばなるまい。
と、決意を固め、彼の背中に触れようとしたときだった。
ふと、フェンスの向こうを歩く野良猫の姿が見えたのは。
「あ、猫……」
ああ、なんて優雅に闊歩する猫だろう。本物の自由を満喫している。
まったく、叶うことなら獅子でなく猫に触れたいものだ。思う存分モフモフしたいものだ。というか、いっそのこと猫に生まれ変わりたい。そして、人の世のしがらみなど気にせず、自由気ままに我が道を歩んでいき――
「……ホントだ、ニャンコだ」
――ん? 今、ニャンコって言ったの、誰?
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