03 田所くんと和泉くん、の話。
――和泉明良。
翌朝、席に着く前にさりげなく、教卓の上に置かれた席順の名簿を見てみると、そこにはそう書かれていた。
うん、やはり聞き覚えも見覚えもない名前だ。少なからず、ここ数年で会った記憶はない。もちろん、私の記憶なんて当てになるのかという問題もあるが、ここ数年で『会った』と言えるような人物などほんの数人しかいないので、これはほぼ間違いないだろう。
というわけで、和泉明良。それが昨日、私に話しかけてきたクラスメイトの名前――そして、本日の要注意対象である。
「それじゃ、また明日!」
昨日の帰り際、彼は確かにそう言った。それはつまり、今日も私に対して何らかのアクションを起こしてくるという宣言である。
だが、何かあると前もって分かっていれば、対応もしやすいものだ。とりあえず、昨日のように何も答えられないということにはならない。
何故なら、彼はまだ登校してきていない。そして、今の時間帯は朝。つまり、彼の第一声は「おはよう」で確定だからだ。
故に、私も「おはよう」と返せば、とりあえず間違いはない。さらにはスマイルもセットにできれば百点満点なのだろうが、生憎そんなものは私のメニューには存在しない。いくら¥0でも、無いものは売れないのである。
だから、とにかく挨拶。それさえ交わしてしまえば、もう一安心だ。そのあと会話が続こうが続くまいが、礼節を欠くという事態だけは避けられるのだから。それに、もし会話が続いたとしても、もうすぐ朝のHRが始まるし。
と、ひとまずの対策がちょうどまとまったタイミングで、私の目は対象の入室を確認した。
その距離、およそ十歩。対「おはよう」弾、装填完了。対象接近、まもなく接触します――!
「なあ。田所は目玉焼き、醬油派? 塩コショウ派?」
――何ですとおおおっ!?
朝一、開口一番がそれですか!? 目玉焼きに何かけるか論争ですか!?
まずい、斜め上過ぎる。そんな予想はしていない。というかこの場合、どう答えるのが正解なわけ?
醬油? 塩コショウ? パンと一緒に食べるか、ゴハンと一緒に食べるかで変わるかな?
いやいや、質問が二択である以上、どちらか一方で答えるべきだろう。だが、もしその選択が彼の派閥と違った場合、一体どうなる? 戦争か? よろしい、ならば戦争か?
いやいやいや、無理無理無理。昨日初めて会ったクラスメイトと、二日目にして舌戦を繰り広げるとかありえないし。というか、私の舌はそんな高性能じゃない。かろうじて味を感じるくらいの機能しか搭載していない。
というわけで、アレだ。平和的解決を果たすため、ここは質問を質問で返すという禁じ手を発動せざるを得ない。
「え……っと。あの、い、和泉くん、はどっちなの?」
「ん? 俺はケチャップ派」
――えええええぇっ!?
まさかの第三勢力。危ない、どっちを選んでも戦争だった。
というか、この場合こそどう答えればいい?
たまごとトマトの相性が良いのは、どう考えても明らかだ。オムライスが証明してくれている。しかし、目玉焼き feat.ケチャップというのは、完全に私の未体験ゾーンである。だが、わざわざそれを伝えて下手に派閥に勧誘されても困る。争いからは何も生まれない。私は鳩の次に平和を愛し、スイスの次に中立を――
「なのにさ、妹のやつ勝手に俺の目玉焼きに醬油かけてきやがってさ、もう朝っぱらから大ゲンカ。しかもアイツ、目玉焼きにケチャップとかバカじゃないの、とか言いやがるし。バカはそっちだっつーの。ケチャップさえかけときゃ、何でも美味くなるの知らねぇのかよ。なあ、田所?」
「う……うん……」
勧誘とか、そういう以前の問題だった。私がケチャップ派――いや、さらにその上のケチャラーという前提での話だった。
だがまあ、これはこれで良いのかもしれない。おかげで無用な争いは避けられた。あとは何とか話を合わせていけば、とりあえずこの場は乗り切れる。
と、一息ついた矢先だった。
「ていうか、覚えててくれたんだ、俺の名前」
「はい?」
「いや、あれから八年も経つからさぁ、さすがに忘れられてるんじゃないかと思ってたんだよ。昨日も、少し反応薄かったし。だけど、余計な心配だったな。やっぱ友達だもんな、俺ら」
「…………」
さて、派閥どころの話じゃなくなってきたようだ。
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