紙切れ一枚
「ひさしぶり」
目の下にクマができた男がベンチに座り、先に座っていた女へと声をかけた。
「うん、久しぶり」
顔色が悪く少しやつれている女は覇気がない。
「元気だった?」
茶色のショルダーバッグを膝の上に置いた。
「よくそんな事聞けるね」
女性は砂場のほうを見ているが表情が無い。
「……ごめん」
男は女性への視線を逸らす。
「謝られても困るよ、今に始まったことじゃないんだし」
ジーンスのポケットをがさごそしている。
「ついうっかり言ってしまった」
男も砂場のほうを見る。
「だからいいって、そういう無神経なところ慣れてるから」
手にとったタバコの箱から一本取る。
「ごめん、俺が全部悪い」
男は頭を下げている。
「だからそういうのいいって、それで気が済むならやっとけばいいよ」
口に咥えてライターで火をつけた。
「……」
何も言い返せないのか、頭を下げたまま黙っている。
「ふう、たばこ美味しいね」
女の口からは白い煙が出て、それは空中と混ざって消えた。
「えっ」
男は驚いて顔を上げ、女のほうを見る。
「せっかくやめたけどまた始めた」
携帯灰皿に灰をトントンと落としている。
「……俺はそこまで追い詰めていたのか?」
今にも泣きそうな、そんな表情で問いかける。
「何言ってるんだかアナタは」
フフっと笑う、しかしその笑いはぎこちない。
「スマン、何回謝っても俺は許されないだろう」
今度は女のほうへちゃんと頭を下げる。
「わかってるじゃん自分で」
ハハっと笑う、何が可笑しいのだろう。
「もう許してくれないのか?」
俯きながら言う。
「それはさ、態度次第だよ」
また口から煙が出る、それはリングとなって出てきて空中に消えた。
「態度?」
恐る恐る顔を上げる。
「この先どうなるかを決めるためにね」
ポケットに手を入れて、携帯を取り出す。
「じゃあ態度が良かったら許してくれる?」
男は少し表情が良くなった。
「そういうことになるね」
タバコを左手、携帯を右手に持つ。
「最後のチャンスってこと?」
額に汗が浮いている。
「私はさ別にいいんだけど、色々考えたらね」
女は砂場のほうへ目をやる。
「……俺は嫌われてるよね」
男も砂場のほうへ目をやる、しかしすぐに違う方を見た。
「そりゃそうだよ、アナタが自己中だからそうなるのも当然」
タバコを吸いながら携帯を操作している。
「それは本当に悪いと思っています」
また頭を下げる。この短時間にこの男は何回頭を下げるのだ。
「謝られるたびに可笑しくなっちゃう、それはギャグですか?」
携帯をポケットに戻して、タバコを携帯灰皿に入れた。
「謝罪に決まってるじゃないか! ふざけていると思っていたのか」
男は声を上げた、様子を伺うかのように横目で砂場のほうを見る。
「いやいや思っていないよ、でもそんな態度は無いと思うよ」
欠伸をして口蓋垂が見えた。口の奥でだらんと垂れている。
「……すみません。態度が悪かったです」
頭をぐしゃぐしゃっと掻いた。
「何にイライラしてるのよ、焦っても仕方ないよ」
五百ミリリットルのペットボトルを持ってラベルを見ている。
「そうだよね、チャンスをくれたのにこんなんじゃもう……」
男は俯いてまた表情が曇る。喜怒哀楽が激しい男だ。
「頑張ってよね、じゃなきゃ全てが無くなるよ」
ラベルを見終わったのかキャップを開けた。
「まあアナタの私たちに対する行いからすれば、全てが無くなってもどうにも思わないんでしょうけど」
そう言ったあとゴクゴクとスポーツ飲料水を飲む。
「……そうなったら悲しいに決まってるじゃないか」
小さな声でそう言った。
「美味しいねコレ、久しぶりに飲んだからかな」
もう一飲みゴクゴク飲む。
「放ったらかしにしてたのは悪かったよ」
「うん」
「何処かに連れてったり、遊んだりしなかったのも悪かった」
「うんうん」
「忙しいのを理由に全部任せて、俺はいつも口だけ番長で」
「わかってるじゃん」
キャップを閉めてそこに置いた。
「わかってはいたけど逃げていた、だからそのツケが来た」
男は顔を上げて涙を拭った。
「どうですかツケは?」
女は空を見上げて眠そうだ。
「辛い、物凄く辛い。でも俺以上に辛かったんだよな? あいつだって辛かったんだろ」
目を赤くしながら言った。
「辛かったかはわからないけど、毎日アナタの帰りを待っていたかな」
目が少し潤んでいるのは眠いからだろうか。
「……そうか俺はあいつにも辛い思いをさせていたのか」
男はじっと砂場のほうに視線を送る。
「私も辛かったんだよ、それで可笑しくなったんだよ、だからこうなったんだよ」
ロングTシャツの裾を捲って腕を見せた、そこには痛々しい傷が幾つもある。
「すみませんでした。これしか言えない自分が情けない」
男は頭を下げた、もう見慣れた光景だ。
「そんな情けないアナタだったかな? もっと格好良くて、優しくて」
また空を見上げている。
「頼りがいがあって、可愛いところがたまにあって、人の悪口言わなくって」
そしてゆっくりと目を閉じた。
「好きで、好きで、誰よりも好きで、大好きで」
「……」
男は何も言えなかった。
「それなのに今はこんな状態で。アナタは今まで気づかなかったわけで」
「……」
男は何も言えないが、女をしっかり見ている。
「こんな時泣いたらスッキリするのかな、でもまあ泣くほどドラマチックじゃないし」
目を閉じているが口だけで笑っているのがわかる。
「こんな俺にチャンスをくれたこと、泣いてくれたこと、とても有難いと思っています」
意を決して男は言った。
「うん」
目を閉じて聞いている。
「辛い思いをさせた時間は取り戻せないけど、これから先一生懸命頑張ります」
砂場のほうからベンチへ視線が送られている。
「もうこんな思いはさせたくない、したくもない、もう逃げたりしない」
そこには小さな女の子と、中年の男女が二人いる。
「改めて家族を大切にします」
中年の男が小さな女の子の頭を撫でて、中年の女が優しい目で見守る。
「それって口だけじゃないよね」
青空が広がるその下で、ベンチに座って女が言う。
「口だけならなんだって言えるよ、それを行動に移して実現しなきゃ意味ないよ」
目を開ける様子はない。
「有言実行してもらわなきゃ終わりだね」
このまま眠ってしまいそうだ。
「それぐらいの気持ちで頑張ってほしいよ」
女は目を閉じながら横になった。
「うん……」
自信なさげな返事だ。
「ここで寝るわ」
そう言って仰向けになった。
「ちょっと、ここで寝たら風邪ひくよ!」
男は女のほっぺたを軽く叩く。
「眠くて限界なんだよー。少しだけ寝させて」
呼吸でお腹が膨れる。
「ダメだって、寝るなら帰ってからにしよう」
男は欠伸をした。
「そっかアナタも疲れてるよね」
鼻がピクピク動く。
「ああ、最近ゆっくり寝てない」
目を擦って眠そうだ。
「毎日お仕事お疲れ様」
眠そうに目を開けて男と目を合わした。
「毎日育児と家のことお疲れ様」
女と目が合って照れる。
「久しぶりにアナタの顔を見たかも」
「俺だって久しぶりだ」
「なんか老けた? 少しぐらい休んだらどう」
「老けたのはお互いだよ、苦労かけてすまん」
「ヤメテよ老けたとか言うな、アナタは良いけど私は若くいたい」
「何で俺は良いんだよ」
「童顔だから老けてもいいのよ」
「そうかな? まあ若く見られるけど」
「私はシワが増えたと言われる」
「すみません、俺のせいです」
「またそうやって謝る、そんなに何回も謝ってたら安っぽく感じるよ」
「癖なんだよな、謝ったら丸くおさまるかなって」
「時と場合によるよ」
「うん……」
「とりあえず少し寝たい。その鞄どけて」
女は男の膝に乗っている茶色のショルダーバッグを指さした。
「ホントに寝るの?」
茶色のショルダーバッグを横に置いた。
「嘘言ってどうすんのよ、眠たいのに!」
この時初めて声を大きくした。
「どうぞ綺麗にしました」
男は自分の膝を手で払った。
「ここで寝るの久しぶり、何だか懐かしい」
女は男の膝に頭を乗せた。
「俺らまだ若いのに懐かしいのはそれぐらい離れていたのか」
男はため息をついた。
「わかってるなら静かにしてね、私もう寝るから」
女は目を閉じた。
「おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
そう言って会話は終わって、男も女も何も喋らなくなった。
男はじっくりと女を見て笑った。
砂場では中年の男女が小さな女の子と砂山にトンネルを通している。
小さな女の子はトンネルを覗き込み、向こう側が見えて嬉しいのか笑顔だ。
その様子を見ている中年の男も笑顔で、中年の女も笑顔でデジカメで二人を写している。
三人の笑顔をベンチから見ている男も笑っている。
手を上げて、左右に降る。
それに気づいた小さな女の子はパパと声を上げて手を振っている。
中年の男は笑顔から鋭い目つきに変えて、ベンチに座っている男を見た。
二人は目が合って、そこから何分だろうか、お互いをじっと見ていた。
そして男が頭を深々と下げた。
これもまた長くて、いつまでも下げていて、中年の男はじっと見ていた。
そしてもう帰るぞという中年の男の声が聞こえた。
小さな女の子はパパとママはと騒ぐ、しかし振り向くことなく中年の男は歩いていく。
二人はあとで来るよ先に帰ってお風呂入りましょう、中年の女の優しい声が聞こえる。
小さな女の子は手を繋がれて歩く。
しかし振り向いてパパと呼ぶ、ママと呼ぶ。
迷子にならずに帰ってきてねという声を残して、帰っていった。
「……」
男は誰もいない砂場を見ていた、さっきまでそこにいた笑顔を思い出すかのように。
小さな声で名前を呟く、その名前は小さな女の子の名前だろう。
遊んでやらなくてゴメン、カッコ悪いパパでゴメン、頼りない俺でゴメン。
砂山が勇ましくそこにできている、トンネルもある。
これからは一緒に遊ぼう、かっこいいパパになる、頼りになる俺になる。
小さな手で、顔を砂まみれにさせて、ドロドロに汚れて完成させた砂山。
「もうこれはいらないな」
男の表情がかわった。
砂山を見て、膝で寝ている女を見た。
そしてショルダーバッグのファスナーを開けた。
そこから取り出されたのはクリアファイルで、その中には一枚の紙切れが入っていた。
紙切れを手に取って、そこに書かれた文字を見る。
女の名前があって、男の名前もあった。
これをある場所に持って行ったら終わる、家族から他人になる、そんな紙切れだ。
「紙切れ一枚で縛られてたまるか」
男は紙切れを破った。
二つになった紙切れは、その役割がなくなりただのゴミとなった。
二つの紙切れを重ねてさらに破る。
ビリっと音がなって細かくなって、風が吹いたら宙に舞い上がってしまいそうだ。
細かくなった紙切れ、いやゴミを丸めた。
そして近くにあるゴミ箱へと投げた。
ゴミは放物線を描きペットボトルやお菓子の袋などが捨ててあるゴミ箱へと落ちた。
「俺は最低だ、だから頑張るしかない。頑張って信用を取り戻して、お義父さんにも許してもらう」
男は女の頭を優しく撫でる。
「お前と、娘も守らなくちゃいけない」
女はスヤスヤ寝ている。
「いつまでも家族でいよう」
口から涎を出していて、男がそれを手で拭く。
「改めてよろしく」
そして男も目を閉じた。
こくりこくりと上下に頭を揺らし、このまま寝てしまいそうだ。
ベンチで男と女、いや夫婦が寝ている。
砂場では砂山、ゴミ箱にはただのゴミ。出入口から子どもたちが走ってきた。
子どもたちは何して遊ぶとお互いに聞いて楽しそうだ。
縄跳びかな、ブランコかな、滑り台かな、鉄棒で逆上がりの練習かな。
そう話し合っていると子どもたちの視界に砂場が入った。
そこには夫婦の娘が作った砂山があるけれど、子どもたちは何とも思わずに足で壊した。
砂山は小さくなっていく、トンネルが潰れて山と一体となった。
そして山は山ではなくなり、ただの砂となって砂場に広がる。
何作ろうかな、子どもたちは各々作りたい物をあげていく。
一番上手に作ったヤツが優勝だ、一人が言ってルールが決まった。
子どもたちはそれぞれ何かを作る。
スコップを使ったり、バケツを使ったり、自分のやり方で作る。
その時男はイビキをかいた、女はイビキをかいていない。
それに子どもたちが気づいてビックリした。
ベンチでお昼寝かな、ラブラブだー、ひょっとしてさっきの砂山あの二人が作ったのかな。
子どもたちはどうしようと焦る。
一人が小声で何かを言って、それに皆が頷いて何かを作り始めた。
スコップを使ったり、バケツを使ったり。
そして完成して、子どもたちは走っていった。
夫婦はまだ寝ている、起きる様子は今のところない。
しかし起きたら驚くだろう。そして笑顔になるだろう。
砂場に出来たハートマークに。
(=゜ω゜)ノぃょぅ
読んで下さってありがとうございます、後書きまで読んでいるかたはさらにお礼を言いたいです。
今回は別れる寸前の夫婦をちゃちゃっと描いてみました!
タイトルが先に思いついてそこから書きました、なので書きやすかったです。書きやすかったのはちゃちゃっと書いたからですがw
夫婦の何も知らないのでそこらへは適当です(おい まあでも夫婦ってのは紙切れ一枚での関係でしょうし、本当はお互い他人のわけですし。
それを愛とかで高めていって紙切れ一枚の関係ではないってことになるんでしょうか?
今作には夫婦に子どもがいたので別れなかったです。子どもにとってはどんな事があってもお父さんお母さんです、それなのに別れたら何だか無責任ですからね。子ども悲しむじゃんって。
今作の嫁さんは旦那を許してやったって感じで大人です、子どもがいるのが一番大きいですが。
まあアメリカとか離婚率高いらしいし、嫌な思いしてストレス溜めるぐらいなら別れてスッキリしたほうが良いんでない?とも思えるしわからないすね。
前作から間をそんなに空けず投稿できて良かったです!次回投稿した時も読んで下さると嬉しいです。ではv(゜▽^*)ノノノ☆マタネ