満ちない日常、欠けない想い
人は夢を見る。
人は様々な夢を見る。
将来のことを考えてみる夢や、眠ってる時に見る夢、悪夢とか。
様々な夢には、様々な欲求が含まれているのだろう。
だからきっとこの夢には、ある日を境に見続けているこの夢には、俺のある欲求が含まれている。
ただ、もう一度だけ、あの少女に会いたいという欲求が。
「…………最悪だ」
悪夢を見たわけでもないのに、何故か自然とそんな言葉が口から出た。習慣になっていたんだろう。
不機嫌な気持ちで、朝日を一度だけ睨み付け、朝の支度へと取り掛かる。
服を脱ぎ、制服に着替え、軽い朝食を作り、食べた後に洗濯機を稼働させて、学校の準備をした後に洗濯物を干して、部屋を出て、鍵をしっかり閉めたことを確認して学校へと向かう。
世界は嘘をついている。そして俺、張空小月はそれを知っている。
《他人事》の影響によって俺や俺の周りの人間の環境は大きく激変したといえる。
でもそれを覚えているのは俺だけだ。それを知っているのは俺だけだ。
この世界は俺のせいで歪められ、そして全人類はそのことを知らずに生きている。
俺個人としての変化としては、まず義妹がいなくなった。まあ、当然といえば当然である。
次に、兄貴は死なずに未だにどっかで生きている。たしか海外にいるはずだけど、大して興味が無いからどの国にいるかまでは覚えちゃいない。
あとは通う学校と住んでる場所が前とは変わってる。その程度だ。
でも普通の人からしてみれば激変してるといえるだろう。朝目が覚めたら知らない場所にいるようなものだから。
それと、裏の世界との関わりが一切なくなってしまったからシキやオトアや魔神なんかがどうなったかも一切詳細がつかめていない。仕方が無いことではあるんだけど。
この平穏で平凡で平和な日常にも慣れてきたが、それでもやっぱり俺は夢を見る。
悪夢ではなくて、普通の、ごくありふれたような夢。
少女と再び出会うだけの夢。
それを見続けている。
多分、シキと会うことだけなら叶えられるはずだ。彼女に記憶がなくても、会うことだけなら、彼女が生きていれば叶うはずだ。
最後の約束を守れるはずだ。
でも、どうやったら会えるのかは分からない。どうやってシキを探すか。その策はない。
だからあんまり約束嫌だったんだよ。世界は大きく変わらなくても、俺の人生は大きく変わるんだからシキを探せるはずが無いって、分かりきってたのに。
だいたい、シキって俺に約束ばっかさせるよな。いや、俺が勝手にした約束もあるんだけどさ。
「あぁー、最悪だ」
考えを振り払うように空を仰ぐ。
蒼い空には雲が少なく、日の光を塞ぐものなど何も無い。
ずっと霧がかかり曇りきった俺の気分とは真反対と言ってもいい空模様。
そして季節すらも冬のような凍えた俺の心とは真反対の、暖かな陽気が包み込む、春である。
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シキはこの春、高校入学をすることになった。
魔神、篠守唯音がその力でおかしくした鑑優斗が正気に戻り、シキには一般常識が欠けていると思ったらしく、高校入学の準備を勝手にされていたのだ。
当初、シキは入学に乗り気ではなかったが唯音の口車に乗せられ、せっかくなので、という理由で高校入学を決意した。
同伴として唯音も同じ高校に入学することになったため、一緒に登校するしようという話になったのだが、その前に唯音が寄りたい場所があるというからシキは唯音について行くことにした。
唯音が寄りたいといった場所は病院の一室。
そこには全身を包帯で覆われているミイラがいた。唯音の兄、篠守音亜である。
おおよそ二ヶ月前にあった狐狩りのさい、隼綛白兎という人物と戦闘になり、全身に大怪我を負い、唯音から逃走すること叶わずに病室に入れられたそうである。
「音にぃ! どうこれ? 学校の制服なんだけど、似合う?」
「あァ、はいはい似合うよ。スッゲー似合ってる。さすが唯音だよ」
「マジで! やったぁ!!」
心の籠っていない音亜の言葉に笑顔で喜びを示す唯音。
シキの立場からしてみれば、何をやってるんだこの兄妹バカなんじゃないの、という気持である。
「魔神、早くしないと入学式に間に合わなくなるぞ」
「シキ、ここじゃ別にいいけど、学校じゃ魔神じゃなくて唯音って呼んでよ」
「わかってる。さっさと行こう」
「じゃあね、音にぃ! また後でね!!」
大きく手を振りながら、唯音たちは病室を後にする。
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四月半ば頃。
そろそろ学校や、新しいクラスなどにも慣れ始めたころ。
学校にて、張空小月はある少女を発見した。シキはある少年の姿を目にした。
シキにしてみれば、こんなことは些細なこと。
小月にしてみれば、こんなことは奇跡に近いようなこと。
学校の廊下。進行方向から向かってくる少女。黒く長い髪に蒼く澄んだ瞳。間違いない。
小月が想像していたよりも遥かに早く、約束は果たされた。
少女は小月の姿に覚えがないだろう。それでいい。それで構わない。そうでなくてはいけない。
小月も歩みを進める。あと数秒もしないうちにすれ違う。
声を掛けるか、それとも無言で去るべきか。そんな迷いが小月の頭の中に浮かんだが、それらを選ぶことはなかった。
ただ独り言のように。
「最悪な呪いだな」
すれ違い様にそう言った。
約束のついでにかけられた、シキからの呪い。それを思い出した。
だからその事を口に出した。文句は次に会った時に聞くと言っていたから。
これで約束は果たした。シキに記憶は無いだろうけど、小月の自己満足に過ぎないであろうけど、それでも最後の約束だけは守れた。
そのことだけで小月はもう満足だった。
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「最悪な呪いだな」
その言葉を聞いた瞬間に、アタシの中で何かが響いた。
それは雑音のようにデタラメで一言でいえば気分を悪くさせる。
なんでそんな気分になるのかも分からない。そもそも自分の頭で鳴り響くものが何なのか分からない。
アタシの声のようにも聞こえるし、他の誰かの声のようにも聞こえる。
これはずっと何かを連呼しているようにも聞こえるし、バラバラなことを言っている気もする。
分からない。何かを吐き出してしまいそうな気持になる。
もう抑えきれない。何なのか分からないこの何かはアタシの口から勝手に出ていった。
「もうアタシの傍から勝手にいなくなるなよ。小月」
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「もうアタシの傍から勝手にいなくなるよ」
言葉が聞こえ、驚いて振り返る。シキはこちらを向いていた。
ありえない。シキがそれを覚えてることがありえない。
俺との関わりがないこの世界で、俺と過ごした記憶など一つもないはずの少女が何故、そんな言葉を口にできる。これは幻聴か、それとも、他の誰かに向けられた言葉だ。
他人事にしようとして、俺がシキに背中を向けようとした時。
「小月」
聞き間違えだと思った。何かの言葉を都合よく、俺の頭が解釈しただけだと思い込もうとした。
だけど当然無理だ。なんでこんなことが起こるのか分からないけど、これは俺の聞き間違えなんかじゃない。シキの言葉だ。
返す言葉は何もない。
神様の想いには、俺ごときの人生が変わった程度じゃ太刀打ちできないということなのか。
それともこれは神様からの新たなる試練の開幕を意味するのか。
シキは自分の口から出た言葉に少し戸惑いを感じているように見えた。戸惑っているのはお前だけじゃないよ。
まったく…………最悪だ。
駆け足だったけど、これで終わりです