怪物
痛みが脳を占める。感覚が薄れ、何もかもが空白になる。
きっとこれが"死"なのだろう。最後に何もかもが無くなって、人は死ぬんだ。
隼綛白兎を殺せないまま、オレは死ぬ。結局オレは届かないものを8年間も追って、届かずに死んでいくのだ。
なんてバカらしい。これならば、最初から、8年前のあの場で、唯音を庇って死ねばよかった。
そうすれば、オレは必要以上に何かを失わずに、死ねたというのに。
そうすれば、オレは……唯音との約束も…………。
「音にぃ」
唯音の声。
唐突に思い出した、これはいつだったか。
「最後にキスさせて」
唯音とのくだらない会話。これはいつの事だったか。
「オレとテメェはまた会うよ。だから嫌だね」
唯音の言葉にそう返した。そんなこともあった。
それはいつだったか。
「嘘つき。全て終わらせる気なんでしょ、隼綛白兎のことも自分のことも」
唯音に嘘を吐いたところで意味などないのに、オレはらしくもない嘘を吐いた。
「オレはお前を愛してる。だから信じてくれ」
何のための嘘だったか。覚えてすらいない。つい最近のことだった気がするというのに、思い出せない。
「やだ」
唯音は笑いながら拒絶した。
「だって、私との約束は絶対に破るんだもん。音にぃは」
否定できない。どんなに大事な約束でも、唯音を裏切ってきたオレには、否定できない言葉だ。
「だからさ、キスしてよ。そのくらいいいじゃん」
「嫌だ」
それでも否定する。今振り返れば、別にそのくらいの事をしてもよかった気がする。どうせ、オレは、オトアは死ぬんだから。
でも否定した。それは何故だったか。
「それしたら、オレがここに帰ってくる理由がなくなるだろ」
なんて、なんてくだらない理由。
いつの時だったかは思い出せないが、きっと自嘲してた。こんなくだらい言葉が本心だったかすら忘れたというのに、今でも、内心で嘲笑してしまう。
だというのに。
「分かった。じゃ、今はお預けでいいよ」
唯音は心から、笑いながら受け入れた。
……本当にバカだ…………どうしようもないくらいバカだ。こんな事を思い出すなんて。
「だから。音にぃは必ず、戻ってくるんだよね」
あぁ。そうだ。
思い出した。これはオレが、宿敵と決着をつける前。ほんの少し前。
唯音との最後の会話。
いや、最後じゃダメだ。それじゃ、また唯音を勝手に独りにしてしまう。
そんなことをする自分は、今、ここで…………。
ココで殺す。
◼︎◽︎◼︎◽︎◼︎◽︎◼︎◽︎◼︎◽︎◼︎◽︎◼︎◽︎◼︎◽︎◼︎◽︎◼︎◽︎◼︎◽︎◼︎◽︎◼︎◽︎◼︎◽︎◼︎◽︎◼︎◽︎◼︎◽︎◼︎◽︎◼︎◽︎◼︎◽︎◼︎
「ュィ……ェェェェェエエエエエエッ!!」
オトアが叫ぶ。獣のように、誰かの名を呼ぶように、呑み込もうとする空間すらも喰らうように、叫びを上げる。
隼綛は目を見開く。死んだと思った怪物は再び息吹を返し、自らの命を大きく燃やす。
アレは不死身ではないはずだ。自分と同じ、人の身をした怪物もどきのはずだ。
いや、自分と同じだというのならば……死ぬ保証はないのではないか?
隼綛自身がいくら死を望んでも、死なないように。
「ァァァァアアアアアアアッ!!」
引き摺る。自分を飲み込もうとする空間ごと、オトアは右手を無理矢理に引き摺る。
不可能だ。空間を持って、どこか別の場所にずらすなど不可能だ。
通常の人間ならば。
しかしオトアならば、《不可視の鎧》という空間を遮り歪める雑音拒絶を持つオトアならば、無理矢理にやってみせるだろう。
それは彼が怪物であるから。
「グッ……ァァァァアアアアアアア!!」
空間に異音が響き、オトアの右手が背中の方へと流れていく。
やってのけたる。自身を遮った障害すらも手中に収め、理性を失った瞳は一刻も標的から逸らされない。
論理や才能や経験などは必要ない。唯一無傷の左手に全てを込めた《処刑刃》を纏わせ、隼綛に向かって死を放つ。
その狂気に満ちた姿は、隼綛をその場に縫い付けるかのように止まらせ、初めての感情を抱かせる。
初めて、彼は、死を恐怖した。
心の底から、死を拒絶した。
この死は、今まで隼綛白兎が経験した何物とも合致しない。
回避できない。本能的に、それを悟った。
空間を裂いて異空間へと逃げるには遅すぎる。他の小細工すらも今のオトアなら全て弾いてしまうだろう。
この回避できない死を悟り、理解し、隼綛白兎は恐怖した。
そして。
(……これだ)
そして思い至る。走馬灯のように自身の人生が流れ、自身が求めていたものに思い至る。
(……この"震え"なんだ。これが"死"なんだ)
死の恐怖は、隼綛を震えさせ、そして歓喜させる。
人が、生命が、生まれて一度しか得ることができない死の震え。
簡潔に言えば、隼綛白兎は刺激が欲しかっただけなのだ。とてつもなく大きな刺激が。
たった一回、たった一瞬。その時のためだけに、この時のためだけに隼綛白兎は生きてきた。
このどうしようもない大きな刺激のために、多くの人間を殺し、多くの時間を無為に過ごしてきた。
たった一度の刺激に溺れるためだけに生きてきた。死ぬためだけに生きてきた。
それが隼綛白兎の全て。
故に彼は手を伸ばす。迫る死に向かって、求めたものに向かって、自身の手を伸ばす。
死を具現したオトアに向かって、手を伸ばす。
殺すために生きた者。死ぬために生きた者。
二人の怪物の手は交差し、自身への終着を一撃を受け入れる。
授業のほうで短編書くんで、しばらく更新しません




