死の覚悟
隼綛がオトアの背後に現れると同時に炸裂する、暴風の鉄槌。
それは確実に隼綛の体を叩き潰すに足る威力を持っていた。
だというのに。
「なッ!?」
驚愕の声を上げたのはオトアだった。
理由は単純。負傷を負わせるはずだった鉄槌のすべてが隼綛を傷つけることすら叶わなかったからだ。
実際、隼綛自身もオトアの奇襲を完全に回避することは不可能だと判断した。
だから、隼綛はその場からできるだけ動かずに対応した。回避せず、能力を使用せず、対応した。
対応は単純。自身がオトアの背後に現れるために裂いた空間の後ろに身を置く。それだけ。
放たれた鉄槌はオトアを中心として炸裂し、隼綛を仕留めようとするが、その前に裂かれた空間に飲み込まれ別の場所へと放たれる。
隼綛も意図してこの対応をしたわけではない。ただ嫌な予感が過ったため、オトアへの攻撃よりも安全の確認を優先するために、オトアの背後に現れる際、裂いた空間を壁にするように出ただけなのだ。
言えば、ただの偶然でオトアの奇襲は失敗に終わった。
「次はこっちの番だなァ」
その声をオトアが聞き届ける寸前に、隼綛の蹴りが宙に浮いているオトアの体を打撃する。
《不可視の鎧》を通り越して伝わる衝撃に、顔を歪めながらもオトアは、どうにか地に着き、体勢を立て直そうとする。
だが、隼綛の猛攻はそれを許しはしない。
オトアの体が地に着くと同時に、オトアの顔面に裏拳を放ち、それによってオトアの行動が遅れ、さらなる追撃を許してしまう。
隼綛に腕を掴まれ、力任せに投げ飛ばされたと感じた次の瞬間には脇腹に隼綛の振り下ろされた蹴りの衝撃を受ける。
自身の体が衝撃のあまり少し跳ねると、そこに隼綛の大きく振りぬかれた蹴りの猛襲。
体勢を立て直すどころの話ではない。意識を保つだけで精一杯だ。
今まで均衡していたはずのオトアの隼綛の力の差が一気に開き始める。
隼綛の拳からの打撃を受けて吹き飛ぶ、オトアの体。
「なァ、オトア。お前とオレの力量の差はどこにあると思う?」
隼綛からの問い。オトアにそれを答えることはできない。
口の中に溜まった血を吐き出して、這いつくばるような姿勢から隼綛を睨み上げることしかオトアにはできない。
「オレはなァ、単純に心持ちだと思う」
地に伏せ自身を睨み付けるオトアに近付きながら隼綛は言う。
「オレとお前じゃァ、今ここにいる気持ちに圧倒的な差がある。だからお前は地べたに伏せて、オレはお前を見下している」
そんなわけはない、とオトアは反論の声を上げようとする。
彼の心情がどういったものなのか、どれほどのものなのかオトアには分からない。
しかし彼に対する殺意は確固たるものだ。彼を殺す意思は、彼を殺す気持ちは何よりも強い。
そのオトアの反論を遮るように、隼綛は問う。
「オトア、お前はここに何故いる。オレを殺すためか、それとも、お前自身を殺すためか?」
その問いに、オトアは答えられない。質問の意味が分からない。
「お前はさっきオレに訊いたな。生き残った後どうする、と」
殺し合う前、オトアは確かに隼綛に訊いた。
『今宵オレはここで死ぬけど……お前はどうなんだ隼綛。生き残った後、どうする』と。
しかしそれは。
「オレが生き残ったあと、どォするかを考えて殺し合ってるとでも思ったか。後も先も変わらねェ。オレは死ぬまで殺し続けるだけだ。そんな事、お前も分かってただろ」
そう。分かりきった質問だ。
そんなことは問うまでもない。何故なら隼綛は殺されるために、殺しているのだ。
だから彼が死ぬまで、彼は誰かを殺し続ける。
なのにオトアが何故それを隼綛に訊いたのか。その理由もまた単純。
「お前は迷っているんだ。お前の妹がまた現れて、また懐かしの日常に戻れる希望が出てしまったが故に、迷っている。今のお前は弱い。8年前よりも遥かに弱い。迷っているから弱くて話にならない」
そうなのだろう、とオトアは隼綛の言い分に納得してしまった。
きっと自分は迷っている。どうしようもなく迷っている。
今だって、殺し合っている最中でさえ、唯音のことで頭が一杯だ。
いくら眼前の敵を見据えても、隼綛への殺意を滾らせても、オトアの心は唯音に向いている。
8年前は断ち切れていた迷いが、今は断ち切れていない。だからオトアは隼綛に届かない。
「オトア。お前は何のためにここにいる?」
そんな単純な質問にすら答えられないほどオトアは迷っている。
そんなどうしようもない心のままで殺せるほど、隼綛という存在は甘くないことを知っていたのに。
「オレを殺すためか、お前自身を殺すためか。どっちにしろ殺す気があるんなら、死ぬ気でやれよ」
隼綛が目の前にいる。今、止めを刺そうと足を上げている。
彼の足が振り下ろされた時、きっと自分は死ぬのだろう。
彼はきっと死ぬ気なのだ。死ぬ気でこの場に現れ、死ぬ気で殺し合っている。
だから誰も勝てなかったのだろう。だから誰も殺せなかったのだろう。
隼綛白兎という人間は、誰よりも死を望み、誰よりも死を直視して、誰よりも死に精通していたから。
だから誰も彼を殺すに至らなかったのだろう。
「なァ、オトア。どうせお前はここで死ぬんだろォ……だったら、死ななかった後のことなんて捨てちまえよ。全身全霊で、すべてを失ってでも、死にに来いよ。それができないお前にオレは殺せねェぞ」
隼綛白兎の言葉が終わる。
それと同時に彼の上げていた足が静かにオトアへと落とされる。
それは死へのギロチン。
止めなければ死に、止めたとしても致命傷を受けてしまうような一撃。
それが静かにオトアへと落とされ――――。
「そォだな」
―――――怪物はそれを受け止めた。
「そォいう単純な話を、なんでオレは忘れちまったんだか」
受け止めた足を払いのけ、立ち上がりながら、呟くように、されどハッキリと言い放つ。
「よォは死へのチキンレースってわけだ。まァ、オレもお前もとっくの昔にブレーキなんざ壊れてるがなァ」
「あァ。そォいうわけだ、オトア。オレもお前もアクセルだけを踏み続けて、どちらが早く死に近づけるかの勝負ってわけだ」
隼綛が眼前にいる。それもすぐに手が届く位置に。
先程は逃げ出したこの距離を、今度は逃げ出さずに立ち向かう。
ようやく怪物同士の殺し合いが始まる。死への戦いが始まる。
全滅という終止符が打たれるまでの闘争が幕を開ける。




