約束
隼綛の姿が消えた。
止めを刺される寸前であった小月は、最初は驚愕していたが時間が経つにつれ事態を把握していた。
だがもう一人、シキには事態を把握することが適わない。
小月はこの事態について事前の知識があるが、シキにはそれが無いのだから。
だからこそ、シキはすぐさまに小月の元に近寄り、彼の服の裾を掴んだ。
「小月、また……」
言葉が続かない。続けたくない。
シキには何が起こっているか、そして、これから何が起こるのかを理解するのは難しい。
だが、一つだけ分かっていることがあった。
直感的に一つだけ理解してしまっていた。
だからこそ、それを否定してもらうために、小月に問いかけたい。
しかし、シキはその期待と同時に怖れていた。
だからこそ躊躇う。彼がまたシキの元から離れていってしまうのではないかという恐怖に呑まれ。
「……じゃあな」
そして小月はその恐怖を後押しするかのように、言い捨てた。
彼女の期待も、彼女の恐怖も理解しながら、彼は一言、言い捨てた。
「ダメ! ダメだ、動いちゃ……どこかに行っちゃダメ!!」
裾を握る手に力がこもり、彼女の口から感情が溢れだしてくる。
それは欲望に酷似していた。独占という言葉も当て嵌まるかもしれない。
小月に傍に居てほしい。小月の傍に居させてほしい。
小月の意思を無視した自身の欲望は、独占や支配といっても過言ではない。
シキの言葉を受け、小月はただ溜息を吐いた。
別に子供の駄々のように言うシキに呆れたわけではない。
今にも泣きそうな顔をしているシキから目を背けるためでもない。
ただ、自分の気持ちに区切りをつけるためだ。
「……お前の任務は、ここで終了だ。狐狩りはここで終わり。あとはこっちで勝手にやるから、お前は帰って、普通に暮らせ」
普通、という言葉が自身の口から出たことに、小月は内心で笑っていた。
【蒼い死神】と呼ばれ、生死を司る少女に向かって普通という言葉を掛ける。
それに似たことを夏にもやった気がする。今ではその意味も、自身の立場もまるで正反対だが。
シキは小月の言葉を聞き、目を見開いていた。
それは怒りに似た感情を表している。だが怒りとは違う。
それは、拒絶だ。
「嫌だ! 小月がいないのに普通に暮らせるわけないだろ!」
今現在、彼女の日常は欠けている。
いつも一緒にいる少年が何か目的を持ち、どこかへ去ってしまった為だ。
彼女はその少年を取り戻す機会を今、得ている。
それだというのに少年は、その機会を捨てろというのだ。
「アタシは――――」
この機会は二度とない。これが最後で、これを逃せば永遠に少年は自分の元へは帰ってこない。
だからこそ口を開こうとしたその時。
「俺はさ、お前とは一緒にいられない」
決別の意思を少年は口にする。
「金は毟り取ってくるし、我儘言っては俺を振り回してくる。その上、暴力が酷い。俺はお前のオモチャじゃないんだぞ。何度も殺して、何度も生き返らせて……。お前と一緒にはいられない。いたくない」
まるであの夏の日みたいだ、と少年は感じた。
しかし本当に正反対。彼女を肯定するために放った言葉の数々を、彼女を拒絶するために放っている。
彼女を守るはずだった言葉は、彼女を傷つけるための矛となって彼女に再び降り注ぐ。
シキは何も言えなかった。何も返せなかった。小月の服の裾を握っている手の力も抜けていた。
心の中、どこかで悟ってしまったのだ。
『きっと彼は、何を言っても、何をしても、アタシを拒絶してしまうんだ』と。
シキは刻々と放心していく。
呆然と、少年を見つめたままで立ち尽くす少女。
そんなシキに小月はただ一言掛ける。
「安心しろ。お前は帰るだけでいい。それで、すべて終わってる」
「そんなこと……」
小月の予想とは反した反応だった。
もうシキは諦めたと予想していた分、まだ食い下がるシキに少し驚いた。
しかしこうなると小月に打てる手は一つしかなくなる。
嘘という一手以外の全ては出し尽くしてしまった。
だが、打てる手があるのならば打つしかない。
「つーかさ、正直、どうでもいいんだよ。お前のこと」
嘘だと認識しながらも、それでも小月は『嫌い』という一言を放つことができなかった。
「いつまでも、しつこく付き纏うなよ。貧乏神が」
その一言を受けて、シキは、俯いた。
小月にはシキにどう伝わったのか、分からなかった。
自分自身でも下手糞だと思う嘘を、シキは一体、どういう風に受け取ったのか。
その答えは数十秒の沈黙の後に訪れた。
「……小月。約束してくれ」
「できない」
シキの要求に、小月は即答した。
事実、小月に約束はできない。
約束をしても、それが必ず破られることが確定してしまっているから。
だが、小月の答えを聞いてもシキは口を動かすのをやめようとはしない。
「また逢えるって、約束してくれ……」
彼女は諦めきれない。張空小月のことを。
時間という単位に置き換えれば、彼女の人生の3%に満ちるかどうかだ。
彼との関係はそこまで長くはない。
ただ、時間ではない。そんな物では人の想いは測りきれない。
そんな物で、その程度の物で測りきれるのならばシキは約束を求めはしない。
今にも泣きそうで、それでも必死に堪えるように涙を流さずにいる状態になど、なりはしない。
「仕方が無い、か」
小月は呟いた。いつものように。
彼は彼女の想いに応えられない。応えたくとも、応える道を断ってしまっている。
だが、せめて、嘘でもいいから約束だけでも。
彼女の願いは、少年のその感情を引き出すことはできた。
「小月……?」
「約束してやる。俺とシキは、また、逢える」
不思議そうに見つめる彼女に対し、いつものように彼は言い放った。
それは大きな嘘である。破りさられしまう、儚き嘘である。
だが、少女に一つの覚悟を決めさせる程度の言葉でもあった。
「そうか……なら、約束の証だ」
小月がその言葉を疑問に思っていると、シキの両手が彼の顔へと当てられた。
次の瞬間、小月は起こった事態を受け入れることが不可能になった。
とりあえず、シキの顔がとても近い。それに何故か体温が熱い。
自分でもそれを疑問に思うが、今、一体、自分が何を疑問に思っているのかさえ分からなくなっていた。
ただ刻々と時が経てば、シキと口づけをしていることが自然と理解できていた。
数十秒の口づけの後、シキはようやく小月から離れて一言。
「貧乏神からの呪いだと思って受け取れ。文句があるなら、次に逢った時に聞く」
「なっ……」
小月は思わず絶句した。
だが、これだけ鮮烈な記憶なら、この約束も忘れられないかもしれない。
破られないのかもしれない。
「だから、終わらせてこい。小月。お前の目標とやらを達してこい」
「……今度逢ったときに言っておかなきゃいけないことも増えたしな。さっさと終わらせてくるよ」
シキからの強烈な激励に、小月もはっきりと言葉を返した。
目的を達するため、改めて覚悟を決める。
シキは何故か、笑っていた。
きっと彼女には見えているのだろう。小月が帰ってきて、また一緒に暮らす光景が。
小月には見えない、そういった幸福な未来が。
だからこそ小月も微笑み返した。
それは未来に向けてでの笑みではない。
今までの、ほんの少しの時間に対しての感謝の気持ち。
「またな、小月」
「あぁ。今まで楽しかったよ。ありがとう……シキ」
二人は想いは満ち足りて、互いの言葉が、ようやく、互いに伝わる。
そして彼は、『死』へと歩み出す。
童貞の彼女いない根暗野郎に、キスシーンの描写できるわけないじゃん(開き直り)。
とりあえず、次回はオトアパートからです。