森の中の出会い
さらに森を抜けて三日経ち――アイン達一行は一つ目の中継地点である『ハブロク』に到着した。カーム地方は四方を森に囲まれており、地方原産の木々を売ることで生活をしている。よって、自然と林業を営む者も多くなり今ではハブロクの木と言えば外国でも名を聞くほどであった。
一方、この地は自然が豊かということで近年観光地としても名を知られつつある。
人の行き来で少し陥没した道を歩きながら、二人は呑気に会話などをしていた。
「あー、ここはのどかでいいねぇ。静かだ。都会特有の喧騒がないっていうのは心地良いものなんだな」
「僕は結構、これが普通だと思いますね。今まで森の中で住んでいた分、前の街なんか目を回すかと思いましたよ」
あっはっはっは。とお互い笑い合う姿から、どうやらアインは少なからずサックスに打ち解けているようであった。アイン自体が人との関わりに飢えていた、ということもあるかもしれないが、ひとえにこれはサックスのあけすけな性格によるものが大きいのだろう。
アインの肩の上でそう分析しながらキャシーは麗らかな陽気に釣られて欠伸をした。誰か旅の道連れが出来れば今までよりアインとの会話が減るだろうとは思っていたが、ここ数日まともに会話をしていない。
不振がられないように、なるべく会話を最小限にするように言ったのはキャシーの方からであったが、こうも会話がないと寂しいと感じる。
(いや待て、今『寂しい』と思った?)
幾星霜の間、行くあても無く放浪していた時は一度もそう思ったことなどないのに、どうしてそのようなことを思うのか――?
自分の心の機微に少しばかり動揺していた時――ズン、と空気を震わせる振動が耳に届いた。
「なんだぁ!?」
サックスとの会話中、突如聞こえた謎の音――音と言うにはいささか大きすぎる音だったが――にアインは驚きの声を上げた。
この時、音の正体にいち早く気づいたのはサックスだった。彼の記憶と経験から類推するに、魔法を使った爆発――それは近くに人がいる、ということに他ならなかった。
「アイン、音のした場所に行くぞ! もしかしたら人が巻き込まれたかもしれねぇ!」
「は、はい!」
すかさず走り出したサックスを追う形でアインも走り出す。幸い、問題の場所はすぐに分かった。
黒煙の根本。道を外れて再び森の中に入る。今度は舗装も何もされてない上に人の通った跡がないため、方々に生えている木々に服をあちこち引っ掛けて進む羽目になった。
駆けてすぐ到着したあたり、そう遠くない位置関係だったらしい。森の開けた空間にぽつりと一軒家が立っていた。石積みの、意外としっかりとした作りに二人はしばし驚きと疑問で立ちすくんでいたが、扉が軋む音でふと我に返った。
黒煙の噴出場所はその不可思議な一軒家の中かららしく、煙突からだけでなく開かれた扉からも黒炭色の煙が漏れていることから分かる。そこから咽るように出てきた人影に、二人は慌てて近寄った。
「大丈夫か!? 怪我とかしてないか?」
「それよりサックスさん、火元を消さないと――!」
森の中で長年住んでいたことはある、と妙に感心してサックスも「そうだな、まずは水を――」と、同意した時だった。
「あーー、もう最っ悪!! また失敗した!」
突然の大声にビクリ、と肩を竦めさせた両人は声する方へ首を巡らせた。
そこに居たのは一人の少女だった。シュバリツォリネ人特有の金髪。光の加減で少し緑がかるところを見ると東方の血が少し混ざっているのかもしれない。切れ長の瞳やスッキリと癖のない髪。もし花で彼女を例えるとしたら、バラでなくユリの花――華麗と言うよりは美麗というべきだろう。だが悲しいかな、今の彼女は煤を頭から被ったかのような惨状だった。
「何がいけなかったのかしら……。理論上は出来たはずなのだけれど……」
一人ぶつぶつと呟くさまははっきり言って不審人物のソレだった。
「あ、あのー? ダイジョウブですかー?」
「いや、でも……それだったら……」
「もーしもーし?」
「それじゃあこうだったら……?」
「あれ? 無視? 無視なの?」
「ぶつぶつ」
「…………」
「よし! 次はあれで行こう!」
「よしじゃねぇよこのヤロウ」
サックスは思わずいつものノリでツッコミを入れていた。
すぐ正気に戻ってしまったと思うも後の祭り。どうしようかと叩かれて頭を抱えている少女に目を向ける。ちなみにアインは展開に着いて行けずにオロオロとしていた。
「いきなり何するのよ!」
叩いた本人であるサックスを上目使いに睨んだ少女はやっとその場に見知らぬ人物が二人もいることに気が付いた。
「誰……、アンタ達? 村の人……では無いみたいだけど」
「あー、それはだな……」
と、事情を話そうとしているとアインがサックスの服のちょいちょいと摘まんだ。
「何だよ、アイン」
「火、広がってきてますけど……」
アインの言葉に二人はギョッとして振り返る。そこには、アインの言葉通り徐々に広がっていく火の舌がすぐ近くまで伸びている。慌てて三人は消火活動に乗りかかったのだった。
やや一悶着があったものの、火はそれほど広がらずに消化できた。どうやら魔法的な火だったようで、勢いは見た目だけで実際は床が軽く焦げた程度の被害だった。
三人とも取り敢えず安堵のため息を付いて、お互い落ち着いて事情を話し合おう、という事になった。
「へー、観光者と旅人ねぇ……」
そう言ってルーナと名乗った彼女はしげしげと二人を見比べた。
「正直言って、逆の方がしっくりくるのだけれど……『旅人の証』を見せられたらそう信じるしかないのよね……」
そう言ったルーナに対してサックスは、
「ほう、こいつが持っている証が偽物でアンタを騙そうとしているとは考えないのか?」
と、挑発するように質問した。
その言葉に一番動揺したのはアインだ。まさか自分が疑われるような言葉を言われるとは思いもしなかったのだろう。わたわたと手を振って慌てる様をニヤニヤと見ながら、サックスは「で、どうなんだ?」と試すように聞いた。
「それはないわね」
ルーナはそう断言した。
「『旅人の証』は一見分からないような印があると聞くわ。本物の証には魔素に反応して発光する特殊な染料を使っている……さっき見せてもらった時、微かに縁が光っていたわ。それが彼を旅人と認める根拠よ」
そう言われてみると確かに『証』の縁が淡く光っていることに気が付いた。
「へぇ……よく知ってるな、そんな事。たぶんほとんどの、それも一般人は知りそうにない情報だと思うが?」
「私の中では常識と言うだけの話よ」
言葉の応酬に着いて行けないアインはただ何が何だか分からずに翻弄されるがままだったが、サックスはどうやら何かに思い当ったようで、納得したように頷いた。
「なるほどな……アンタ、魔女か」
魔女。または魔術師と呼ばれる彼らは、魔法専門の学者――と言っていいだろう。しかし、彼らは普通の学者と違って、とことんまで俗世と関わろうとしないという特徴がある。隠者のように人里離れた山や廃墟に居を置き、人知れず魔法の研究に邁進する。
その自ら異端の道を行く彼らを魔女や魔術師と特別な言い方で呼ぶ人間は多い。実際、そう呼ばれる彼等もその辺りの異端性を自覚しているらしく、自ら「己は魔術師である」と名乗る酔狂な人物もいるくらいだ。
この国の創設にも魔女が関わっていると(それこそ言い伝えレベルではあるが)この国の住人は知っているためそれ程忌避感はないが、しかし他国では差別の対象となっていたりする。
アインは長年森の中で孤独に生活してきたためあまり世界情勢のことを知らないが、サックスは外国の、それも特殊な場所で生活していた為彼等魔術師、魔女を狩る『魔女狩り』という差別がある事を知っていた。
それだからだろう、彼女が魔女と知ってこのような人の住む気配のない森の中で一人でいることに一応の納得を見せた。
未だ現状を飲み込めていないアインに軽く教えてやると、ルーナは呆れたように今まで閉ざしていた口を開いた。
「あなた……旅人なのにそんなことも知らないのね」
呆れた声と視線。思わず萎縮しそうになってしまうアインにサックスは、
(コイツはもう少し対人能力を鍛えた方が為になるな……)
と、年長らしい心配をした。とにかく、今は状況の整理をするべきだと
判断して話を進めることにした。
「で? 魔女様はいったいこんな辺鄙な所で何の研究をしていたんだ? 爆発なんて危険なことをしているんだったら、この旅人さんが許さないかもしれないぜ」
旅人は様々な依頼を受ける特殊な職業ゆえ、特定条件下では武力での無力化が合法とされている。もし、今行っている実験が有害なものだったならその特権を利用してしょっぴいてやる、と暗に仄めかした。
しかしルーナもさるもの、その言葉に動揺することはなく、むしろ堂々とした態度で応じた。
「ふん。残念だけど、アンタが思っているような危険なことは一切していないわ。アンタの警戒心は行き過ぎてる気がするけど」
「ほう、だったらアンタが一体どんな研究をしているか、勿論俺達に聞かせてもらえるよな?」
アインは正直、自分はこの場にいらない子なのではないかと少し泣きそうになっていたが、彼女――ルーナの口から出た言葉にそんな疎外心も吹き飛んでしまった。
「私が研究しているのは魔法の奥義――〝概念魔法〟についてよ」