月夜の襲撃者
一夜明け、朝。アインとキャシーは昨夜突如として倒壊したという建物の前に居た。街から少し離れた位置にあったその建物は、かつてとある貴族が住んでいたという話がある。
住んでいた、という言葉通り現在は空き家となっているはずのその建物が不自然な倒壊をしたという話を聞き、念の為と調査に来たのだった。
往来にはぽつぽつと人影が見え、瓦礫の山の撤去作業をしている様子だった。
「どう? キャシー」
『思った通り、ね』
周囲に居る人に聞こえないよう、ある程度探索してから離れた場所に移動したアインは、肩に座っている旅の相棒に話しかけた。
『予想した通り、サックスの匂いが残っていたわ──あの場にいなかったから、死んではいないんでしょうけど』
そう言ったキャシーに、アインは表情を曇らせる。彼らは、あそこで大量の血の跡を見つけていた。匂いからはそれが誰の血なのかは判別できないが、残っていた匂いがサックスの物しかなかったからにはそれが誰の血なのかは一目瞭然だろう。
「一体、誰がこんな事を……」
『さぁ……。ただ、一つだけ分かる事があるわ』
「それは……?」
『考えてごらんなさい。貴方でも、少し考えてみればすぐに分かるはずよ』
そう言われると、無理に聞き出すことも出来ない。アインは顎に手を当て、今回の件は一体誰が行ったのか考え始めた。
「うーん、……そんな事言っても、容疑者はこの街に居る人全員でしょ? しかも、その全員に会った事はないし、外から入って来た人の事も考えると、それこそ無限の可能性があると思うんだけれど……」
『別に、いきなり犯人を答えろとは言ってないわよ。それじゃあヒント。〝誰があれをやったのか〟、ではなくて〝誰だったらあれをやったのか〟、を考えなさい』
「〝誰が〟、じゃなくて〝誰だったら〟、か……」
うむむ、と唸りながら頭を捻る。
「〝誰だったら〟とすると……」
『うん?』
「それは、サックスさんを目の敵にしている人じゃあないかな」
キャシーは視線で話を続けるように促した。
「だって、じゃないとサックスさんを襲う必要が無いし……。そもそも、この街に来たのを知っている人じゃないと襲おうという事すら考えないよね?」
しかしだとすれば、この事件はますます不可解な事になってしまう。そもそも、サックスはこの国に旅行に来たのだ。そんな運よく──運悪く、サックスと遺恨のある人物がたまたまこの街にいたとは考えにくい。
だとしたらどうなのか。
そもそも、この考えが間違っている事はないか。
思考の袋小路に入ってしまったアインは、それでも考える。〝考える事を止めるな〟。それは、数少ないアインを拾ってくれた人物の教えでもある。そして──一つの可能性に気付いた。
そもそも、サックスが単独行動をする事になった理由。
そのきっかけについて。
もしかすると────、
「サックスさんは、〝幽霊〟について何か知っていた……?」
『良く出来ました』
人とは似つかぬ笑みを浮かべ、彼女は機嫌よく尾を左右に振る。
『だとしたら、その幽霊についてもっと良く知る人物に聞いてみる必要が出てきたわね』
「良く知る人物……、か」
『そう……聖女クォリア。そもそもの、今回の依頼を受ける事になった原因。彼女に、より詳しく幽霊について質問してみる事にしてみましょう』
帰り際に、お土産という事でラゴール原産の魚で作られた饅頭を買って戻った。魚で饅頭とはこれいかに、とアインは首を捻ったがキャシーが内心喜んでいるようなので良しとする。
日は小屋を出た時より位置を変えていて、今は天の真上まで移動していた。ちょうど時間的にも良い頃合いなので、お土産を見て喜んでくれるだろうとノブに手を掛けた時だった。
『待ってください、ルーナさんそこは──、あっ……!』
『成る程、ここね』
『っ……、待っ、あ、あああ……、触っ……』
何やらおかしな会話が聞こえた気がした。この目の前のドア一枚挟んだ向こう側は、一体何が起こっているというのか。
ゴクリ、と喉が鳴る音が聞こえた。それが自分の喉から聞こえているという事にすら気づかずに、アインはそっとドアノブを回す。
ゆっくり、ゆっくり。音を立てないよう慎重にドアを押す。小さな隙間に、目を当てた。そこに何が起こっているのか、アインはその真実を知るために目を見開く!!
そこには──、
クォリアの足をマッサージしているルーナが居た。
何だか、とても残念な気分になった。
そっとドアを閉めるアインに、キャシーは慰めるようにポンポンと尻尾で彼を叩いた。
◆
取り敢えず、先程の事は見なかった事にした。気を取り直してドアノブを回す。何食わぬ顔で「ただいま帰りました」と言ったが、顔に何か出ていないか非常に気になった。
「おかえりー」と、ルーナは何やら上機嫌な様子だったがアインは敢えて無視した。と、いうか無視しないとぼろがでそうだった。
「それで? 何か分かった事はあるのかしら」
「はい、少なくとも……サックスさんが関わってそうな事は分かりました」
アインは事件現場の様子やそこで見つけた血痕について。他にはキャシーと話し合った事を掻い摘んで話した。
「(勿論、キャシーの事は話せないけどね)」
口の中でそう転がしながらルーナの返事を待つ。こっそりとクォリアの反応も窺って見るが、表情からは深い意味は読み取れそうに無かった。
「で、アンタはそれでどう思ったわけなの?」
「どう、とは」
「どうも何も、そう言う事をわざわざ私達に言って反応を観察しているでしょ?」
いきなり腹芸を使うなんて、よっぽどの事態だと思うしね。と、なかなか鋭い指摘をしてくる。うっかりするとキャシーの事がばれてしまいそうだ、と冷や冷やしながらアインは口を開く。
「……正直、さっき言った以上の事は僕には判断が付きません。でも、サックスさんが僕たちから離れた理由。そして襲われた理由。それは決して、関係性の無い事だとはどうしても思えないんです」
「成る程、ね。まぁ現場を見に行ったのはアンタだし、そこらへんは納得するわ。じゃあアンタはそこから何を知りたいの? あのバカが離れた理由? それとも狙われた理由?」
「僕が知りたいのは──」
そこまで言って、アインはルーナがこの解まで誘導しているのではないか、と気が付いた。はっきり言って、これは本来依頼とは関係の無い話である。なのに、彼女はアインの気が済むように、とここまで付き合ってくれているのだ。
(敵わないな)
そう内心苦笑を浮かべながらアインは視線を横にずらし、椅子に座った彼女を見据えた。
「クォリアさん」
アインがそう呼んだだけで、彼女の肩が目に見えて震えるのが分かった。
罪悪感が無いとは言わない。しかし、これはもしかすると彼女にも関わりがあるかもしれない事なのだ。
だからこそ、今ここで躊躇をしてはいけない。ここで躊躇してしまっては、到底真実には辿り着けないだろう直感があった。
「貴女に聞きたいことがあります。────そもそも、幽霊とは何なのですか?」
痛いほどの空白があった。
部屋に満ちる沈黙がやけに痛い。しかし、ここで引く気はアインには無かった。絶対に聞き出して見せる──。
もしかすると、ここまで意思を貫き通しているのは彼にとって初めての事だったかもしれない。それが一体、どういう意味を持つのか──キャシーは、その事に期待と不安が入り混じる思いで彼の肩の上でじっとしていた。
と、その時だった。苦悶の表情を浮かべていたクォリアは、何かを決断したように伏せていた顔を上げた。
「アインさんのお気持ちは分かりました。……依頼と関係している可能性もある、という事も理解します」
──良かった、とアインが胸を撫で下ろす。が、しかし。
「ですが──、それとこれとはまた話が別です。……残念ですが、幽霊の事について詳しくお話しすることはありません」
話しはこれまで、と言うように彼女はそれきり口を噤む。それから彼女の決意の表情は、些かも揺るぎはしなかった。
◆
結局──あれから何度質問しても彼女は口を開く事は無かった。アインも最初の内は根気よく必要性を語ったが、ついには『何故理解をしたのに話そうとしないんだ』と、苛立ちが募り、最後には険しい顔をして外に出た。
空を見てみると時間は思いの外過ぎていたようで、太陽が沈みかかってオレンジの空がアインを照らした。苛立ちを紛らわす様に、ズカズカと足音を鳴らして目的も無く歩く。
肩に留まっているキャシーは何か考えているのか先程から無言を貫いている(他の人の目がある事も理由だったが)。
どうにか怒りが覚めてきた頃、ようやくキャシーが話しかけてきた。
「どう? 少しは頭は冷えた?」
「……なんとか」
「ふふふ、貴方が珍しく腹を立てているから見てて少し面白かったわ」
「……他人事だと思って……」
とん、と地に降り立ったキャシーは流し目を寄越しながら愉快そうに笑う。
「そう言いながら、貴方はまだ諦めていないんでしょう?」
そう言われて少し罰が悪くなる。そう、今彼らが居るのは例の崩れ落ちた屋敷の前に居た。陽も落ち、周囲が暗くなってきたからか人の気配は無い。今なら、好きなだけ調べ物が出来るはずだ。
「頑固って言うか……負けず嫌いなのね、貴方」
「そうだね、僕もついさっき知ったよ」
つられて苦笑しながら、袖を捲る。とにかく、今はまた別の証拠を集めるべきだろう。そう考えながら、彼は瓦礫の山に入って行く。目の前には、無残にも粉々になったかつての屋敷の残骸ばかり。一度キャシーが調べたのだから、新しく、かつ重要な証拠は出てくるとは考えにくいとは思う。
だが、こんな所で諦めたくない、というのがアインの今の気持ちだ。
「ここが、サックスさんが居た場所か……」
粉々になった木々に、所々血の跡が薄暗い中でも分かる。残った後からは、怪我を負ったが致命傷と言うほどではない量だった。その事にほっと一安心する。暗闇の中で作業をするのは危ないので、魔法で小さな火を灯した。
パチパチ、と爆ぜる音が静寂の中小さく聞こえる。アインはその小さな灯りの中で黙々と何か新しい手掛かりは無いかと探した。手当たり次第に周りの物を掴み、火にかざす。それが何もなかったら放り出して次の破片に手を伸ばす。
その作業で周りがぽっかりとなり、完全に日が落ちた頃に彼はふと顔を上げた。集中していた所為か、時間がかなり過ぎていたようだった。周囲は完全に静まり返っていて、聞こえてくるのは、すっかり小さくなった火種の爆ぜる音と雲一つない夜空の下で演奏をしている虫たちの夜のコーラスだけだ。
はぁ、と溜息をついた。これだけ探しても、特にこれといった物は見つかっていない。それこそ、最初の血の付いた破片ぐらいだ。その一つを、何とはなしに掴んで目の前にかざしてみた時だった。
「…………ん?」
ふと、違和感のようなものを覚えた。
「キャシー」
『……何か気が付いたの?』
「いや、ただの考え……なんだけど」
『言ってみなさい』
「うん」
違和感を口に出す事で、その正体を探る。
「ねぇ、これって本当にサックスさんの血なのかな?」
そう、思えば。この血痕が誰の物なのかなんて事は、どだい現代の技術では──無論、魔法でも同定不可能な事だ。ただ単に、ここにサックスの臭いが残っていたというだけの話だ。彼だったら、わざと血の跡を残すのはありそうだとアインは思う。なら──何故そんな事をしなければいけなかったか、という考えに至る。
だとしたら──、と。
アインがそこまで考えた時だった。
『アイン!!』
月が雲で隠れたのか、足元の影が飲まれた──いや、それは間違いだ。今日は雲が出ていない。月が隠れるはずがない──。
アインは背後を見た。そこに存在したのは──、
──全身が真っ黒な、影が立ち上がったような人型の何かだった。