因縁と影
しばしして。少女の邪気が無い故の無邪気な腕で撫で回されたキャシーは、息も絶え絶えになる頃に漸く開放された。
無残なまでに毛並みがぐしゃぐしゃになったキャシーの姿に、アインは少なからず子供特有の無垢さに恐ろしさを感じたが、キャシーを躊躇わずに犠牲にした当たり、人の事をどうこう言える立場ではない事にアインは気付いていない。
レンは一通り撫で回してご満悦なようだった。手を何度も閉じ開きして、感触を確かめている。今がチャンス、とアインは早速レンに会話を試みた。
「僕の名前はアインって言うんだけど……レンちゃん、皆が心配していたよ? こんな、人気の無い場所に居たら何かあったら危ないし、早く村の方に帰ろう?」
アインがそう言うと、レンははっ、と気を取り戻して再び顔を不機嫌そうに歪めた。
「別に……あたしがどこにいようと勝手。あなたにはかんけーない」
刺々しい態度にアインは軽く押されかけたが、女の子ひとりでこんな村の外れに居させてはいけない、と思い直し、何とかしようと考えを巡らせる。ふと視線を下げるとレンの足下に散らばる物に気が付いた。
赤や橙に輝く大小様々な石ころ。アインはそれが――魔力は非常に弱いが――魔石だと分かった。
「それは魔石?」
アインが欠片大の魔石を指差してレンに尋ねると、レンはまずい物を見られた、といった表情をして顔を反らした。
「ち、ちがうもん。ただの石ころだもん」
「いやいや、魔石でしょう? それ。少しだけど魔力を感じるし」
首を振って否定するレンに、アインは容赦なく突っ込む。レンの様子から隠したい事がありありと分かるはずだが、察する事にアインはまだ慣れていない。
横にぐったりとして倒れているキャシーから見れば、子供同士が問答しているようにしか見えなかった。
「(この当たり、アインはやっぱりまだまだ精神的に幼いわね。……もう少し何か別の、新しい刺激を与えないと成長は見込めそうになさそうだわ)」
アインを観察しつつそう評価を下したキャシーは、あーだこーだと言っているアインに助け船を出す事にした。大概、キャシーも何だかんだ言いつつアインには甘い。
「(アイン。彼女は何か隠し事があるみたいだし、今はその事は後回しして良いわ。それより、レンが何で此処に居るか聞いた方が良いと思う)」
キャシーからのアドバイスに成る程、とアインは頷き、「レンちゃんは何で此処に居るの?」と、尋ねた。
馬鹿正直な聞き方だが、効果はあったようさで「そ、そんなのあんたにかんけーないじゃない……」と、押され気味の様子だった。
やはり、対人経験的に見れば同じようなものなのだろうが、年齢差というのがはっきり出たのだろう。レンはころころと変わる話題に頭が追い付かないのだ。
その点、アインは一応はレンより年上なのでレンより頭の回転が良い。キャシーというブレインが隣に居る、という事もあるだろうが。
「こんな村の奥の、それも村に住んでる人も来なさそうな所にレンちゃんは一人で来たんだよね? だったら、それなりに理由がある、と思うんだけど……違う?」
アインの推測はどうやら当たっていたようで、レンはアインの推測を聞いてぐっと黙り込んだ。そして、しばらく迷うような素振りを見せた後、レンは思いきったように口を開いた。
「……お姉ちゃんのお手伝いをしてるの。」
「お姉ちゃん?」
聞き返したアインに、レンは頷き返した。
「お姉ちゃんは、この村のためにまほーのおべんきょうをしてるの」
レンはある程度話始めると、堰を切ったように口が軽くなった。どうやら、レン本人は今まで誰にも相談する事も出来ずにいて、大分神経を磨り減らしてきたようだった。
最後の方には泣き出してしまい、アインは泣くレンにどう対応したらいいかあたふたしていたが、結局、泣き疲れたレンを背負って村に戻った。
そしてその晩、キャシーと軽く話し合った結果、アインはサックスに相談してみる事にしたのである。
「……成る程な。そういう裏があった訳か…………」
サックスはアインの話を聞いて、ある程度予想はしていたのだろう。頷きながら何か考えるような仕草を取った。
「サックスさん……あまり驚かないんですね」
「あぁ? まあな……アインからしたら、あんまり理解出来ない話かもな」
「……はい。何で村の人達は、ルーナさんを村の外れに追いやったんでしょうか?」
アインの口から出たのは先日、森で出会った少女の名前だ。何故彼女の名前が出てくるのか。
それは、彼女――ルーナが魔女である事と深く関係する事でもあった。そもそもの始まりは今から遥かに昔の出来事。教会の権勢がシュバリツォリネまで拡がってきた事に起因する。
話は逸れるが、シュバリツォリネの国旗は赤地に金の縁で彩られ、中心に鷲が据えられた物である。これは、かつて戦乱の時代に戦士達に信じられてきた神の姿が鷲の姿を取って戦場に現れたから、とされる。
初代シュバリツォリネ国王が出た戦場は常に鷲が飛んでいた、といった伝説が国内各地に残っていて、かの鳥が国を象徴するものになったのはそう不思議な事ではなかっただろう。
勝利を約束する苛烈なる空の王者――そのイメージは、現在でも民間人にまで強く根付いている。
しかし――内乱が終わったとはいえ内部は衰えに衰えていた。血が流され汚れた大地は植物の育たぬ不毛の土地となり、痩せた人々は力の入らぬ体を引き摺りながら宛もなくさ迷い、国は治まれど危機は去ってはいなかった。
そんな時――現れたのが教会からの使者だった。『我等の教えをうけいれよ。さすれば神の御加護を得られるだろう』。
シュバリツォリはその言葉を受け入れざるをえない状況だった。結果として、彼等は教会の援助もあって国が滅ぶのを回避出来たが、その代わり、別の物を失う事になる。
暁の軍神にして火星を司る火の神。彼等が気が付いたときには、彼等が信仰していた神は教会の手によって教会の一柱となってしまっていた。
「この国の人間は教会を嫌っているし、教会が定めた『魔法は神からの贈り物』という定義もまた不満に思っている……かなり昔のはなしだが、此処みたいな辺鄙な村じゃ今でもその差別は強い。だからこそ……あのルーナって奴はあんな村から離れた場所に追い出されたんだろうな」
彼等にとって魔法はシュバリツォリネが見つけた、あくまで『技術』であるというのが彼等の弁だ。魔女である事は許せても、魔法を真っ正面から肯定しているルーナを、少なくともこの村の人達は理解出来ないし許しもしないのだろう。
だからこそこの村には、魔法の痕跡が驚く程少ないのだろう。
話を聞き終えたアインは、「……そんな」と、絶句するばかりだ。
想像を絶する話ではある。少なくとも、『現実』に今まで触れる事の無かったアインからすれば、自身の知る価値観からは隔絶された世界だと思ってしまう。
「何か……方法は無いんでしょうか?」
絞り出すように出したアインの質問は、サックスの眼差しから否、という答えが読み取れた。
「忘れちゃいけねぇ。アイン、お前は旅人なんだ」
アインは胸に仕舞われた『旅人の証』を思わず強く握った。その裏に書かれた言葉を思い出す。
一、旅人は一所に居続かぬべし。いずれは旅出すべし。
二、旅人は利をもたらし、そして次の利を運ぶべし。
三、同じ旅人に危害を加えるべからず。旅の道連れは得難き友為り。
四、迂闊に内輪に入らぬべし。旅人は村人に非ず街人に非ず。
五、以上を以て、汝は旅人として恥じぬ旅をすべし。
旅人に決められた、最初の旅人の言葉だ。旅人としての心構えであり、全ての旅人が守るべき模範である。必ずしも守らなければいけない訳ではないが、この言葉は旅人を守る訓戒であり、そして村人を守る為の言葉でもある。
この村の問題は所詮、アイン達には関わりの無い事。サックスの言外の言葉はアインにも痛い程理解出来た。
苦悩に顔を歪めたアイン――それを見つめるキャシーの瞳が、ランプの灯りで妖しく輝く。その事に二人は気が付かないまま、朝を迎えた。
そして出発するその日の朝、レンの行方不明がアイン達に伝えられた。
何とか目標にしていた今週中に更新をする事が出来ました。内心ひやひやしております(^_^;)
次もなるべく早く更新をしたいところです。また、お気に入り登録をしていただいた方、ありがとうございます。
日々の活力になっています。まだまだ未熟者ですがこれからも暖かい目で見守って頂けたら、と思います。
この章も佳境に入って来ました。後数話かかると思いますが、やっと書きたかったシーンにまで来たかと思うと何だかワクワクします。