影の無い鳥
一部にグロテスクな表現がありますので注意してください。
机に座って一人、小説を書いていたりすると、なんだか世界が自分に向かって閉じてくるような気がします。それでもやっぱり、外に出て、太陽の光を浴びて、高いビルを見上げたりなんかすると、なんだか急に寂しくなってくるんです。まあそんな事はどうでもいいのですが……。今日は、ある少年の、ある体験について、書かせてもらいたいと思います。時間があれば……読んでみてください。
7月23日
強い風が吹いていた。太陽からの日差しと、熱せられたコンクリートの地面からくる体を包み込むような熱気は、その強い風によって少しも和らげられなかった。風からは廃棄ガスの臭いがする。風は体を通り過ぎず周りをぐるぐると渦巻き、吸い込むと肺の中にいつまでも残った。目に映る景色が歪んで見えた。それに酷く気分が悪かった。熱で柔らかくなったコンクリートの地面や周りを囲む熱い空気の層が、ネロを苛立たせた。
歩道に数人の男が座っていて、にやにやしながらこちらを見ている。通ろうとしても道を空けようとしなかったので、男達の間をすり抜けるようにして通ろうとすると、一人の男の肩に足がかすった。男が舌打ちをすると、その隣の男が、おいおい、そんなに苛めるなよ、と言ったので男達は大声で笑った。無視して通り過ぎようとすると、舌打ちをした男が、おい待てよ、と言って肩を強く引っ張ったので、転びそうになってしまった。男の方を振り向こうとすると、男がネロの頬を強く殴った。ネロは地面に倒れた。最初何かにぶつかったのかと思ったが、しばらくして男に殴られたのだと気付いた。それと同時に頬が酷く痛み始めた。頬を押さえていると、男の腕が伸びてきて首を掴まれた。男はにやにやしながらこちらを見ている。ネロは腰から15センチ程のナイフを取り出すと、首を掴んでいる腕の手首に突き刺した。男が気が触れたように金切り声を上げた。男が手を離して逃げようとしたので、手を伸ばして男の指を掴み強く引っ張ると、気味の悪い音がして男の手の肉が剥がれた。男の手から思い出したように赤黒い血が噴き出した。男がさらに高い声で叫んだ。生暖かい血が顔にかかるとぬるぬるして気持ちが悪かった。地面に血の落ちる音がした。隣にいた男が、おい、こいつやべえぞ、と言って逃げ出すと、他の男も地面に転がっている男を残して逃げていった。ネロの頭はすっかり混乱してしまっていた。必死になって冷静になろうとしたが無駄だった。頭の中で何かがまとまろうとしても、次の瞬間それは弾けてばらばらになってしまう。頬が酷く痛んだ。ネロは手に持っているナイフをその場に捨てると走り出した。このままここにいてはいけないような気がした。同時にどこかにいかなければならないような気もした。そしてとにかく頭が混乱していた。急な坂道をネロは全速力で走った。軽く頬に触れると激痛が走った。骨が折れたのではないかとネロは思った。その痛みをかき消すようにしてネロは思い切り走った。坂道を登りきると急な下り坂になり、ネロは躓いて転んでしまった。転んだ拍子に地面に殴られた頬を強く打った。物凄い激痛が走り目から涙が溢れた。頬が心臓のように脈を打った。痛みに耐えながら深く息を吸い込むと肺が熱かった。深呼吸をしながら空を見上げると、ネロは灰色の空に黒い影のような細い線が走っているのを見つけた。それは空の隙間のように思えた。よく見ると、黒い線の中に小さな灰色の何かがあるのが見えた。それは少しずつこちらに近づいてくるようだった。それは少しずつ大きくなり、やがて黒い線を覆い隠すまでになった。鳥だ、とネロは思った。大きな灰色の鳥が、黒い線の中から少しずつこちらに近づいて来る。やがてそれが鳥である事がはっきりとわかるまでに、それは大きくなった。それは恐ろしく大きな鳥だった。それは太陽を覆い隠してしまったけれど、不思議な事に影を作らなかった。それは鳥がとても高い所を飛んでいるからかもしれない、とネロは思った。ネロはいつのまにか冷静になっていた。頬の痛みが消えていた。そしてそれは突然に光を放った。何かが爆発したかと思うほど、それは激しい光だった。その光は建物を一瞬で溶かした。溶けたのは建物だけではなかった。道路もその白線もガードレールも空も雲も全て溶けていた。しかし、ネロは溶けていなかった。どうしてだろう、とネロは考えた。どうして自分は今こんなに冷静なんだろう、そう考えた。溶けた街は時間を掛けてゆっくりと混ざり合っていった。それは一瞬虹色になった後、緑色になった。深く濁った緑だ。ネロは左手に生暖かい物があるのを感じた。見ると、千切れた男の手を握り締めていた。頬がまた痛み始めた。……
ところで、嵐って不思議だと思いませんか? 夜嵐が来ても、嵐は大きな存在なのに、夜明けには、消えてしまいます。嵐は一体、どこに消えてしまうのでしょうか。多くの小さな風に変わってしまったのでしょうか。しかし、風は大きな存在ではありません。嵐の夜には、大きな嵐という存在が、確かに存在したはずです。風が集まる事によって、嵐という新しい存在が生まれるのです。これは、人間の社会に当てはめる事もできると思います。風は個人、嵐は集団、です。集団という存在を形成したとしても、個人という存在は無くならないのだから、個人が集団に変わったのではありません。個人という存在が、集団というまったく新しい存在を、何も無い所から生み出したのです。そしてそれは、いずれまたどこかへ消えてしまうのです。私は運良く何かで賞を頂いたりする度に、こんな事を考えるのです。そしてこの事に、私は大きな希望と不安を感じているのです。
話が長くなってしまいましたが、ここまで読んで頂いてありがとうございます。機会があれば、また、どこかで。
拙い文章ですが、楽しんで読んで頂けたなら、幸いです。