喜怒哀楽
喜怒哀楽の怒、がなさそうと友人や子ども達からも言われます。
理不尽なことで怒られたりしても、出来ない自分に凹む性質なのは自覚があります。
子ども達には「きちんと注意してくれたり叱ってくれる人は貴重だ」と話していますが、響いているのかいないのか。。
怒りって物凄いエネルギー必要だから、凄いなぁと傍からみていて思ってしまったり。
でもギスギスした空気が苦手なので、自分にも関係ある人達だったら何とか場をとりもとうとしてしまったり。
テレビのお笑い番組の企画で出てた人で、お弁当を買ってきたは良いけど温めのレンジに一個置いてきたり、箸がなかったり、ミスをしたりしたのに全然謝罪がなく、逆に説教されることを嫌がっている芸人さんがいて、仕事場でやってないことを指摘され注意されたら不貞腐れてしまったと言うバイトの子の話を思い出しました。
気をつけよう、次はちゃんとしよう、じゃなく怒られたり叱られたことにしゅんとしても反省して次に活かすことは苦手なのかな、と心配になってお笑いとして見られなかったです。
しかも視聴者から「なんでこんなに怒られてるんだ」と言うコメントも少なくないみたいで、教育制度も変わって今はそういう人多いのかなと思ったけど、年は関係なく色々な人の職場の話を聞くと50代とかでも言われないと動かない、立ち仕事なのにやれることを探したり聞いたりせずに指示があるまで座ってぼーっとしている、と言う方もいるとか。
世の中色々な人がいて成り立っているけど。自分は「こうありたい」って像を実現出来るかは別として、指針としてしっかり持っていたいなぁと思いました。
そしてきちんとそういう人達に注意出来る方達が報われて欲しい。
自分だってミスはするし周りに支えられてばかりだけど、出来ることは増やしていきたいし一度した失敗をまた暫くしたらしてしまうとしても、きちんと「どうしたらしなくなるか」を模索しながら周りに謝意を持って仕事していきたいです。
必ず職場に来る資源ゴミ回収の方々や業者さん、もしくは人がやりたがらない仕事をきちんとしている方々には「有難うございます」と伝える努力を、これからもしていきたいです。
意味がわからない思考回路でも、自分と家族が脅かされない限りは否定はしない。理解はしても共感はできないこともあるかもですが、いまのところ「そういう考え方もあるんだな」と思うだけで忌避感はないです。
自分以外の人生をきちんと生きている人はもれなく尊敬していますが、自分の考え方と合わなければ距離の取り方を考えます。
また色々ごちゃごちゃ考えるだろうけど、今日思ったことをまとめてみました。




