友人と僕
やっぱり、子供の前じゃかっこいい大人でいたいよね、って話です。
これは、僕がある友人を訪ねた時の話だ。
その友人は、思慮深く、思索が好きな変わった男だった。金儲けに精を出す昨今の社会では、なかなかに珍しい人物である。僕は彼以外に、彼ほどくだらないことで思案する人間を知らない。学者をする傍ら作家もしていたから、彼は根っからの学業人だったのだろう。僕よりも十は年上の彼は、それゆえに人生経験も豊富で、その中で得た気づきや考えについて語るのが好きだった。
そんな彼の話は凡人の僕からすれば興味深くて、月に一度か二度、子供たちが寝静まる時間に彼を訪ねては、昔話を聴いている。
今日も、月が空の支配者となったくらいのころに、僕は彼の家へと向かった。カラカラとした空気が髪を揺らす。気持ちのいい夜風を感じながら、そう遠くない彼の家まで歩いていった。
とんとん、とドアをノックすると、しばらくして足音が聞こえてくる。ガチャリと音がして、アンティークのような扉が開いた。
「こんばんは、僕だ。毎度、夜遅くに申し訳ない。」
帽子を脱ぎながら告げれば、彼は破顔し、微笑みながら返してくれた。
「気にするなといつもいっているだろう。私の都合がつくのは、この時間しかないものだから。さあ、入りたまえ。」
「ああ、ありがとう。」
十も年が離れていることなどまったく感じさせないこのやりとりは、今となっては定番だ。僕だって最初は敬語を使っていたが、彼がやめろというものだから、こうなった。
そのまま彼はいつもの部屋に案内してくれて、僕は彼と向かい合って座る。
「少し待っていてくれ、酒とつまみを持ってくるから。」
そう言いながら調理場の方へ向かった彼は、五分と経たずに戻ってきた。調理場の勝手はわかっているらしい。彼はあまり人を使うことを好まないのである。彼の家はかなり名の知れた名家で、もちろん使用人もいる。だが、毎度自ら酒やつまみを用意しては、片付けまでやっている。
僕はそんな彼の性格も好ましく思っていて、近頃はひそかに、彼の真似事をしてみていた。我が家の使用人はそんな僕を良くは思ってはいないようだが。慣れないことはするものではない、とでも言いたいのだろう。
そうやって少し宙を眺めていると、酒を注ぎ終わった彼がこちらにグラスを寄越しながら、続けた。
「さて、今日は何を話そうか。」
じんわりと光るオレンジ色だけがこの部屋の灯りだ。どこか妖しい雰囲気すらするこの独特の空気感が、僕はたまらなく好きだった。過去をゆっくりと思い出し、そして未来へもゆっくりと思いを馳せる場所。急かすことなき橙はただ光っていて、結論を急ぐ外界なんてまるで関係がないとでもいっているようだ。
どうやらこの空間は彼の好みなようなので、だいぶ毒されてきたということか。
「うーん、前に言っていた、1番の後悔とやらについて聞きたい。」
「ああ、いいとも。そうだな、どこから説明すればいいものか。」
ことり、と酒をグラスをテーブルに置き、過去を思い出すように顎に手を当てた彼は、同時に少し気取って足を組んでいる。語ってもらう僕は流石に足を組むことなどできなかったので、いつも通りグラスを両手で持って礼儀正しく座った。
そうやってしばらく、彼のグラスの中の酒が揺れるのを眺めていると、彼は顎に当てていた手を外した。そしてもう一度グラスを持つと、その側面をノックする。これが、どう話すか考えがまとまった時の合図だ。
僕は少し身を乗り出して、一言とて逃すまいと彼の声に集中した。
とてもくだらない話なんだけど、ね。私が君くらいの頃、つまり学生の時分のことだ。私は今と違ってどちらかといえば品行方正で従順な生徒を演じていた。しかし、思春期の少年らしく心では反骨の炎が燃えていて、従順を演じる自分自身を馬鹿らしくも思っていた。
そのころは何もかもがチグハグで、本当の自分は何をしたいのか、何を思っているのか、全くわからなかった。心の中で、社会的な正解を演じろという優等生の言葉と、大胆不敵な革命者の言葉が火花を散らし、私は引き裂かれてしまいそうだったんだ。君は、そんな経験はないかい?ふぅーん、ないと来たか。まあいい、きっとこれから経験するだろうし、べつにしなくったって構わないさ。
さて、話を戻すが。とにかく、哀れな少年時代の私は、揺れに揺れていたのさ。その事件は、そんなときに起こった。
君、クリスマスというイベントを知っているかい?ああ、当たり前だったね、すまない、何も悪気があったわけではないのだよ。語りかけてしまうのは私の癖でね。ほら、そんなにすねないでおくれよ。そう、キリストの誕生を祝う、それはそれはお目出度い日だ。
しかし、学生の関心事はそんな神聖なことではない。友人間のプレゼント交換という、ある意味の大イベントだ。君もするだろう?ああ、学校で禁止されてるって?優等生だなあ。
私は優等生ではなかったから、悪友たちとともにこっそり学校に持ち込んで、プレゼントを交換したんだ。とはいっても、菓子だったのだがね。もちろん、菓子の持ち込みも禁止されていたから、ある意味ではこちらのほうが悪質かな。交換したのは昼食時間で、昼飯に紛れ込ませてその菓子も食べた。教師だっていたが、何食わぬ顔でね。周りも同じようなことをしていたし、禁止されていたとはいえ、そのルールもあってないようなものだと思っていた。
しかしその予想に反して、その日の帰りのホームルームでなんとも面倒くさい話があった。「プレゼントやそれに準ずるものをやりとりした者、見ていて止めなかった者は、放課後指導室に来い」とね。私がそれを聞いた瞬間、例の優等生と革命者が、言い争いを始めたんだ。
『ここは正直に報告して、従順で子供らしい生徒を演じるべきだ。普段から取り繕っているのだし、問題はないだろう。』
と優等生。
『従順を演じるなんてつまらないこと、するもんじゃない。ここは思いっきり反抗すべきだろ?教師に弁論を挑みにいくべきだ。それすらダサいな、無視しろ。』
と革命者。
『そんなことをしては、ここまで苦労して積み上げてきたイメージが崩れてしまうじゃないか。』
『そんなもの知ったことか。ダサい馬鹿野郎に成り下がりたいのか?』
優等生が最もらしいことを述べては、革命者が信念でもって否定する。私は板挟みになって、どうすればよいのかわからなくなった。そのうちに、心のうちからひどい不快感がこみ上げてきた。とにかく不快だった。足がどうしても動かなくて、指導室に向かなかった。そうやって迷っている内に、いつも反抗しっぱなしの悪友たちが指導室へ向かった。私と同じような立ち位置の優等生も、問題児も、ほぼ全ての人間が指導室へ向かっていった。
皆がぞろぞろと叱られにいく様子はどこか滑稽で笑いがこみ上げてきそうだった。これが協調性とやらか、社会性とやらか、とね。しかしだんだん、その列が長く長くなるうちに、焦燥感が滑稽さを上回ってしまった。どくどくと心臓がなって、全身から血の気がひいていたと思う。
だが、私はやっぱり動かなかった。動けなかった、いや動かなかった。
そのまま、私は帰る準備をした。貰った菓子の包装が入っている弁当袋を鞄にしまい、そそくさと準備をして、学校の敷地から出た。
その間、私の心にはどんな言葉が浮かんでいたと思う?後悔?ああ、確かにそれもある。だが、私が語りたいのは、社会に適応するための極意、寓話ではないのだよ。
私の心には、卑怯者という字が浮かんでいた。後悔とそう変わらないじゃないかって?確かにそうだが、だとすれば、私と君の間で「卑怯」な対応をしたと考える対象がズレている。
私が自らを卑怯だと感じたのは、何も嘘をついたからではない。友が行くのを見ながら行かなかったからでも、教師の目を欺いたからでもない。
では、何か。私が、私の考えを裏切ったからだ。思い出したまえ、私は教師の言葉を聞いたとき、二つのことを考えていた。
一つは反抗すること、一つは従順にやり過ごすこと。
私の信念に沿うならば、この二つの選択肢しかなかった。賢き悪党は、このどちらかを選ぶだろうから。
しかし、私はそうはなれなかった。ただ無視して、社会にも、自分にも嘘をついて、何もしなかったのだ。
ただ、恐怖心に駆られて。ただ怖かったから、私は悪党となることを、自らの信念を全うすることをせずに、帰路についた。
これではただの臆病者であり、愚か者だ。
そしてその後一月ほど、私は悪心の呵責に悩まされ続けた。
なぜ反抗しなかった、なぜ行かなかった?お前が目指す人間になるのなら、どちらにせよ指導室には向かわねばならなかったのに。卑怯者、臆病者、愚か者。お前は悪党になどなれるのか?と。
私はその後も教師に怒られなかったから、私が無視して帰ったことは露見していなかったのだろう。それを実感した時、私は心底ほっとして、そして同時にどうしようもない自己嫌悪にも駆られた。
やはり私は卑怯者、と。
叱られず、反論せず、何もせずにただ恐怖に支配されてその場をやり過ごし。聖者にも悪党にもなれず、その間で揺れ動き、愚か者として生き延びたのだよ、私は。
これが今の私にとってどんなに恥ずかしいことか、わかるかい?そしてそれを君に話すことの恥ずかしさも。
君は私を尊敬してくれている。それはそれは素晴らしい人間だと、賞賛に値する人間だと。だが、そんなことはない。
私はただの愚か者であったし、今だってそうだ。
社会への反抗心は衰えていない、策略知謀を愛する心も、学問を愛する心も。だがそれと同じくらい、私の心には恐怖が巣食っている。いや、人間である以上、皆が恐怖をその心に飼っているのだ。
今日私が、多大なる羞恥心を抱きながらもこの話をしたのは、君にそのことを知って欲しかったからだ。
どれだけ強い信念を持とうと、いざというときには恐怖が邪魔をしてくる。そんな時には、その恐怖がどこから出てきているものなのか、そしてそれがどれほどくだらないものなのかを分析するといい。そうすればきっと、恐怖の使い道がわかるだろう。
そして、その恐怖はぜひとも書き留めておくべきだ。それはきっと、君のためになるだろうから。私はどうかって?もちろん書いたが、とても見せられるものではないのでね。ああ、無理だと言っているだろう?諦めてくれ。
とにかく。私が思うに、恐怖には二つある。一つは本能的な恐怖、つまり熊に襲われそうになったときに感じるもの。二つめは、社会的な恐怖。人として生きたい、皆に嫌われたくない、評価を落としたくない、まあ、そういうもの。
このうち、抑えられて、しかも抑えるべきなのが後者だ。社会的な恐怖は、社会で生きていくためのものにすぎない。周りと衝突せず、良い評価を手に入れて、集団の中で成功するためのもの。だから、君がもしそういう人間として成功したいなら、この恐怖心を信じるがいい。
しかし、君はそういう種の人間ではなかろう。いや、君のことだから、そういう成功も、そして私がこれから語る成功も、どちらも手に入れたいと思っていそうだ。ん?こら、そこで頷くんじゃない。欲張りめ。
とにかく。もし社会での成功だけでは満たされないというなら。金儲けだけではなく、肉体だけではなく、理性も満たされていたいと望むのなら。君は、社会的な恐怖心に打ち勝ち、自らの心の奥底から響く声に耳を傾けねばなるまい。聖者にしろ、悪党にしろ、金儲けにしか興味のない臆病者とは違う心を持つのだから。社会の物差しよりも信念とやらを信じ、行動する人間こそが、聖者や悪党になれるのだ。
君はどちらになりたいのかな?悪党?食い気味で即答しないでおくれよ。私に憧れたって?私は悪党ではないのだがねぇ。
ほら、私の話は以上だ。どうだい?面白かったか?それとも、失望しただろうか。さて、次は君の番だ。君は何を話してくれる?
まだ夜は始まったばかりなのだ。呑もうではないか。
番外編ーかの日の彼の日記よりー
(いってしまえば長ったるい言い訳だ。)
きっかけは、至極くだらないものだった。ただ、己が犯した罪について訊かれ、くだらないと考えて無視した。何が悪いのだ、と反論まで考えて、その上で無視することにした。
なんとなく、社会に屈してしまうようで厭だったのである。規則に則って、秩序の中で、これからずっと生きていかなければならないのだ、と暗に示されているようで、気に食わなかったのである。思ってもいない反省の言葉を並べて何になる?何が変わる?そう思わずにはいられない。意義を見出せない。
だから私は今なお、その罪自体を、糾弾されている罪自体を、罪であると思っていない。そのこと自体に罪悪感を抱いたり、悔いたりはしていない。
しかしながら、どこか胸にしこりがあるようには感じている。罪悪感という感情自体はもっている。だがそれはその罪自体に対するものではない。では、一体なんなのだろうか。
友がおとなしく糾弾されたからか。まるでその背が、
「お前は卑怯者なのだ。」
とでも言っているようだったからか。高尚な理由を並べ立てても、怒られたくないがゆえに逃げたという思いがあるのだろうか。
私は、その罪自体によって糾弾されるいわれはないと思っている。それが規則でだめだと言われていようと、いいじゃないかと思っている。繰り返すが、つまり私はその罪自体を悪いものだとは考えない。
ただ、糾弾を「無視する」という己の選択に、罪悪感を抱いているのではなかろうか。それが、いろいろと考えてみた結果だった。
無視するということはすなわち、戦闘放棄と同じである。そして、その対象をより高いところから見下ろして、対応する価値なしと断じているということでもある。
その選択は、果たして「誠実」であったのか。糾弾する大人に対して、ではない。そのくだらなすぎる罪の、是非に対して、つまりはその論自体に対してである。私はそれに、真剣に向き合ったのか。いや、そもそも真剣に向き合う必要があったのか。
大人からの評価は未来に必要である。したがって、このことに関しては、大人にしたがって怒られに行くのが「処世術」であり、正解だった。
くだらないと見下した存在の評価が必要、つまり自分はその存在よりも下、と社会的には言われている。当たり前であるが。
すでに述べたように、私はこれが気に食わなかったのである。とにかく厭だった。別に、対象の大人が嫌いなわけではない。組織をまとめる者としては、まあそれも一つの解なのだろう。うえからの圧力が、面倒臭いのだろう。
ただそれを理解する一方で、それがどうしようもなく厭なのである。たとえそれが、善良なる苦労人を少しばかり困らせることになろうと、自分の評価が少し下がろうと、厭だったのである。それに屈した己をつくるのが、ただ素直に反省するいいこちゃんに成り下がるのが、どうしようもなく厭だったのである。
かなりわかりづらいことを述べてきた。残念ながら、私自身よくわからない。ただ、厭なのである。
そしてまた、このようなことを述べながらも、私は明日言い訳をしようと考えている。そういう私も存在する。
なぜかといえば、先に述べた罪悪感と、そしてこの問題が起こってから全ての人の目が怖かったからである。「お前は逃げた」「罪人だ」と訴えているようにみえて、まあ多分気のせいだろうから、私の意識の問題だろう。罪悪感が、そういう気にさせていると考えるのが自然だ。蝶を盗んだすぐ後の、誰もが知るあの少年のような感じだ。
だから、わからないのである。私は、社会的な正解者になりたいのか。それとも、自分自身にとっての正解者になりたいのか。
極論、怒られにいっていれば楽だったのだろう。不特定多数の中の一人として目立たず怒られ、少しばかり不快な時間を過ごしながら、しかしどこかすっきりとして、またどこか気持ちの悪いまま思ってもいない誓いの言葉を述べるのだ。私が悪かったです、もうしません、と。
そうしたい自分がいるようで、しかし「ダサい」だとか、「くだらない」だとかいう自分もいる。大人に屈していいのか?お前も、処世術を扱う者の一人に成り下がっていいのか?と。思ってもいない言葉を並べる、真の嘘つきになっていいのか?と。
怒られていいのは、きっと素直な者だけだ。ああと頷き、改心できる、清廉潔白な人間だけだ。それ以外は怒ったって意味がない。残念ながら私はそちら側であるから、反骨精神の塊であるから、こうやって反論の言葉を書き連ねているのである。大人からすれば言い訳に過ぎないこれを、書いているのである。
私は悪人が好きだ。悪役が好きだ。既存の正義に自らの意志を持って立ち向かうその気概が、それを貫き通す強さが好きだ。
しかし、今の私はそうではない。行かないという選択をした時点で、わたしは悪党ではない、聖人でもない。聖人なんてくそくらえだが、悪党にはなりたい。 しかし悪党というのは、無視するのではなく立ち向かうのである。世の正義に、己の正義を持って立ち向かうのである。
私はそれをしていない、しようとしていない。
立ち向かうのは、それはそれでダサくも見えるのだろう。しかし、こうやってほぼ誰にも見せないつもりで本音を書き連ねている私は、それよりもダサい。悪党のダサさは確かに格好悪いが、しかし悪党自身からすれば格好いいし、私から見ても格好いい。
しかし、貫き通す悪党足らず、簡単に折れる聖者たらず、その中間で揺れ続け、うまいところで落とし前をつけようとしている私は、格好悪い。私から見ても、他人から見ても、格好悪い。
私は明日、理由を述べるべきなのだろうか。怒られに行かなかった理由を、正直に述べるべきなのだろうか。そうやって、聖者になるべきなのだろうか。
それとも、己の選択を貫き通して、反論するなり無視を突き通すなりして、私の考えを示すべきか。
至極滑稽で、くだらない話だ。罪の内容も滑稽で、そして私の悩み事も滑稽で、滑稽だらけのこの文章。最後まで読めたあなたは、心底すごいと思う。なにしろ書いた私でさえ、途中でリタイアしたくなるから。まあ、それは個人的な感情からくるものなのかもしれないが。エッセイとも、作文とも、なんともいえぬボロボロのこれは、一体何なのだろうなぁ。
笑えるのは、その罪の内容というのが、「学校で菓子を食べた」(それも一応、昼食の時間に)ということであるということ。そしてその日が、バレンタインであったということ。笑えてこないだろうか?
規則とは何なのだろう。罪とは何なのだろう。案外、くだらない問題にこそ答えが転がっているのだろうか。とりあえず、ここに一つ盛大な反論を置いて、当日の悔いは終わりとしたい。
「規則には例外がつきもの」である。
二日目。
あの騒動から一日経ち、私は一度学校に行ってきた。結果から言おうか。私は何もしなかった。教師に正直に弁明することも、言い訳することもしなかった。
まあまず、そもそも機会がなかった。教師に話しかけられる機会が、である。そして第二に、やはり私は怖気付いた。めんどくせぇなぁ、と訴える自分が昨日よりもうるさく囀っていた。
これで自分の評価は下がるのだろうか、チョコを食べている時、担任と目があった気がするんだよなあ。
今日のお昼ご飯の時、前に座る担任の目が痛かったような気がするんだよなあ。めんどくさいなぁ。
今の気持ちを正直に吐露すれば、こんな感じだ。未だ私の中で「こうする」という対応は決まっていない。たぶん、教師の視線に居た堪れなくなれば言い訳を述べるのだろうし、そしてその最中に心の中では「滑稽だ、ダサいぞお前」と誰かが囁くのだろうし。明日の担任の出方次第であろうな。
ただ、一つ。今の私がヴィランになり得て、しかも無視したという行動を肯定する方法がある。担任と目を合わせて、大胆不敵に笑うことである。明日はそれを目指そうと思う。
少し経ってから。
かの事件から、数日が経った。これまで書いてきたものを少し見返してみたが、やはり滑稽である。それに、今出てくる「滑稽」は、当日や翌日のそれと違って、どこか冷めている。強がりの言葉ではなく、本当にそれをくだらないと感じて投げ出す言葉だ。
厭だ、ものすごく。いったい何が?もちろん、自分がそういう言葉を吐いたことが、である。まるで大人になったみたいで、癪に障るではないか。
しかし、そこについて記すのが主題ではない。ここでは、開き直った後の感想でも書いてやろうと思っていたのである。書き出してみると、自分への愚痴が出たものだから驚いた。不思議なものである。
さて、前項にて、私は「大胆不敵に笑う」と言った。しかしながら、明確にそのような機会が訪れることはなかった。担任が私にあからさまな疑惑の目を向けることは、なかったのである。
なので、私は何のきっかけもなしに担任ににやりと微笑んでやることにした。相手が訝しんでこずとも、態度で示しておくことぐらいはできる。
相手が後で私の行動を思い返して、堂々としていればそれで勝ちなのだ。くだらないと思っていることを示せるのだ。
こうやって強がってみたが、しかし実際にはチクチクとした思いがなかったわけではない。
いわば、蝶を盗み、挙句壊したというのに、怒鳴られることすらなく悪漢となってしまった彼のような心持ちであった。
もとより示しているように、罪自体を悔いてはいないし、それで怒ることなどくだらないと思っている。怒られに行ったってどうせ改心などしないのだから、意味がないと思っている。
ただ、それで己の意を示せたかが不安であったのである。そしてもっといってしまえば、ただの臆病者と目されるのが嫌だったのである。本質として、対して変わらぬというのに。
今振り返れば、行かないという決断をした時の私の心の大半を占めていたのは、正義感ではない。ただの、恐怖心だ。怒られたくないわけでもない、侮辱を受けたくないわけでもない。ただ、怖かった。これといった理由はない、いや、それを言語化することはできないだろう。
私は罪を悪いとは思わない、怒られに行く必要はないと思う。
だがそれとは別に、相手をバカらしく思う気持ちとは別に、何かしらの不安があったはずなのである。
一体何だったのやら、見当がつかないのである。
お読み下さりありがとう御座います。下の星やリアクションなどで評価して頂けると嬉しいです。ブックマーク登録等も宜しくお願い致します。
また、誤字等の報告も受け付けておりますので、ばんばん御指摘下さい。拙い文章ですので、今後の糧として頑張ろうと思います。




