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短編 『虚空蔵山』

作者: 小川敦人

『虚空蔵山』


昨年の七月、日本平の中腹にあるレストランの大きな窓辺で、奈緒子は駿河湾の青い水平線に視線を泳がせながら、ふと指差した。

「あの小さな山、虚空蔵山が見えますね」

その横顔に宿る晴れやかな微笑みは、まるで懐かしい友人を見つけたときのような温もりを湛えていた。

「私たちの干支――丑年生まれと寅年生まれの人の守り本尊が祀られているんです。私が丑で、主人が寅なの」

奈緒子の声に込められた親しみが、私の心に静かな波紋を広げた。

"虚空蔵山"という美しい響きが、まるで古い詩の一節のように胸の奥深くに沈んでゆく。

……いつか、あの山に足を向けてみたい……

そんな想いが、心の片隅にそっと宿った。


---


駿河湾の青い腕に抱かれた焼津の南端、浜当目の大地から静かに立ち上がる小さな聖峰がある。

虚空蔵山――標高わずか百二十六メートルながら、その端正な円錐は古来より人々の心に深く刻まれ、海を行く船人たちの道標として、また祈りを捧げる者たちの灯台として、時を超えて佇み続けている。

瀬戸川河口の東の岬のような位置に鎮座するこの山は、悠久の流れを湛える瀬戸川とは地形的にも切り離せない深い関係を結んでいる。

川の恵みが海へと注がれる聖なる境界に立つその姿は、水と大地、そして天空を結ぶ架け橋のような存在感を放っている。


弘仁の昔、弘法大師の錫杖がこの峰に響いた年から数えて千二百の歳月が流れた。

山頂に鎮座する香集寺には、無限の智慧と慈悲を司る虚空蔵菩薩が静寂の中で微笑まれている。

丑と寅の星の下に生まれし者たちの守護神として、学問の道を歩む若人から商いに勤しむ者まで、様々な願いを胸に秘めた参拝者たちの足音が石段に響く。


この山は、信仰の聖地としてのみならず、近代日本の歴史にもその名を刻んでいる。明治三十六年、日本で初めて国産の無線通信機を用いて船舶との交信実験が行われた場所――それもまた、この虚空蔵山であった。海を見渡すこの峰から放たれた電波は、新しい時代の扉を開く鍵となり、古き祈りの山に新たな使命を与えたのである。

如月の頃、「虚空蔵尊大祭」の幟が春風にはためけば、だるまを求める人波が山麓を彩り、焼津の街に温もりと活気をもたらす。この祭りもまた、この小さな山が紡ぎ続ける物語の一章である。


浜当目の海岸から始まる参道は、まるで天への階段のように緩やかに弧を描く。三十分ほどの歩みの後、訪れる者を迎えるのは、眼下に広がる紺碧の駿河湾と焼津港の営み、そして晴れ渡った日には遠く霊峰富士の白い峰が空の彼方に浮かぶ、まさに絶景の舞台である。

山頂の風は海の記憶を運び、鐘の音は雲間に消える。この小さな山は、ただそこに在ることで、焼津に暮らす人々の心の拠りどころとなり、日々の喧騒に疲れた魂に安らぎと慰めを与え続けている。


虚空蔵山――決して雄大ではないかもしれない。けれど、その慎ましやかな姿の中に、人の世の営みと祈りの全てが込められている。

海と空の間で、永遠に変わることなく、焼津の人々を見守り続けるその姿は、まさに母なる山の慈愛そのものなのである。


---


思い返せば、息子がまだ小学校の低学年だった頃、瀬戸川河口は浚渫工事の手が入る前で、中程度の波が白い泡を立てて押し寄せていた。あの頃、息子の小さな体をボディボードに託して波と戯れさせた海だった。


それよりもさらに昔――もう五十年以上も前のこと、独身時代の私は"修ちゃん"や"下村"と連れ立って、静波かここ瀬戸川でロングボードを抱え、夏の陽射しと潮風の中で青春を謳歌していた。けれど、あの頃の私たちは、東の岬に"虚空蔵山"という名の聖なる峰が静かに佇んでいることなど、露ほども知らずにいたのである。


あの夏の景色は五十年以上経った今でも鮮明に心にある。修ちゃん、下村、メーメ、ミトコ(後の妻)、そして私。五人で深夜のドライブに繰り出し、海沿いの道を風と共に駆け抜けた。夏祭りの夜には浴衣姿の少女たちの間を縫って歩き、花火大会では寝転んで夜空に咲く大輪を見上げた。バーベキューでは潮騒をBGMに、焼けた肉と魚の匂いと仲間たちの笑い声に包まれて、時の流れを忘れていた。

将来などまるで何も考えることなく思いっきり楽しんだあの日々――それは間違いなく人生の喜びの瞬間の一つだった。


今、虚空蔵山の存在を知った私は、あの青春の海を見守り続けていたその小さな聖峰に、深い感謝の念を抱かずにはいられない。私たちの無邪気な笑い声も、恋の悩みも、友情の絆も、すべてを静かに見つめていてくれたのだろう。

時は流れ、仲間たちとの絆も様々に変化した。

けれど、虚空蔵山は今もそこにあり、新しい世代の青春を、そして私たちのような年老いた者の追憶を、変わることなく見守り続けている。

いつの日か、あの山に登ってみよう。山頂から見下ろす瀬戸川の河口に、あの夏の面影を探してみたい。

そして虚空蔵菩薩に、あの美しい青春の日々への感謝を捧げたいと思う。

海と空の狭間で、永遠に微笑み続ける小さな聖峰よ。きっと、すべての人の心の中にある大切な何かを、静かに照らし続けているのだろう。


---


今年になって、日本平の夢テラスに足を向けた。

六月の陽光に包まれたその日、海が見えるベンチに腰を下ろした奈緒子が、まるで時の輪廻を確かめるように、そっと指を差した。


「あの小さな山、虚空蔵山が見えますね」


同じ言葉だった。けれど、その響きは私の心に、去年とは違う深い共鳴を呼び起こした。

奈緒子の声に込められた温かさ――それは、ご主人への深い愛情が自然に滲み出たもののように感じられた。

丑年の自分と寅年の夫、二人の守り本尊が祀られた山を見つめる時の、彼女のまなざしには夫婦の絆への静かな感謝が宿っている。

その優しい心根が、何気ない一言にも表れて、見る者の胸を打つのだった。


虚空蔵山を指差すその仕草の中に、私は夫婦という名の深い愛の形を見た気がした。

歳月を重ねても変わらぬ想いを、山への親しみに託して語りかける――そんな奈緒子の心の美しさに、改めて胸が熱くなるのを感じていた。

六月の日本平は、新緑が青々と輝く季節の絶頂を迎えていた。茶畑の緑は若竹色から深翠へと階調豊かな絨毯を織りなし、薫風が山肌を撫でて行く。展望台を渡る風は、茶の葉の香りと山野草の甘い息吹を運んでくる。遠く駿河湾は初夏の陽光を受けて銀鱗のように煌めき、その向こうに虚空蔵山の小さな姿が、まるで水墨画の余白に描かれた一点のように、静謐に佇んでいた。

風は優しく、雲は白く、そして私の心に宿った小さな聖峰への想いは、この一年の間に静かに根を張っていたのである。


---


そして今年の敬老の日――九月の第三月曜日の午後、ついに私は虚空蔵山への歩みを決意した。

午後二時、浜当目海岸の駐車場に愛車を滑り込ませた時、アスファルトから立ち昇る陽炎が夏の名残を物語っていた。

九月とは思えないほどの暑さである。空調を切ってドアを開けた途端、潮の匂いと共に熱気が頬を撫でて行く。

海水浴場はすでに夏の終わりと共に閉鎖されていたが、それでもなお、家族連れが二組ほど波打ち際で戯れている姿が目に映った。

子どもたちの歓声が潮騒に混じって聞こえてくる様子は、まるで私自身のあの遠い夏の記憶を呼び覚ますようだった。


五十年前、修ちゃんや下村と共にロングボードを抱えて走り回ったこの海岸。

そして息子がまだ幼かった頃、ボディボードで波と戯れさせたあの日々。

時は巡り、季節は移ろい、それでも変わることなく寄せては返す波の調べは、すべての想い出を優しく包み込んでいる。

車から降りて振り返ると、東の岬の向こうに、あの小さな聖峰の姿がある。

虚空蔵山――奈緒子が二度にわたって指差した、あの懐かしい友のような山が、午後の陽光を浴びて静かに微笑んでいた。


「敬老の日」というこの日に山登りを選んだのは、単なる偶然ではないような気がしていた。

歳を重ねた今だからこそ、あの小さな聖峰から見下ろす風景に、人生の軌跡と重ね合わせる何かを見つけることができるかもしれない。

浜風が頬を撫でて行く。潮の香りが鼻腔を満たし、海鳥の鳴き声が空に響く。私はゆっくりと参道の入り口へ足を向けた。

この一歩が、長い間心に宿していた想いを現実にする瞬間であった。


参道は思ったよりも緩やかで、石段と舗装された道が交互に現れる。両脇には夏草が茂り、時折聞こえる虫の音が残暑の中にも秋の気配を運んでくる。歩を進めるにつれて、海からの風が心地よく汗ばんだ額を冷やしてくれる。

ゆっくりと、ゆっくりと…身体をいたわるように登っていく。

十分ほど歩いただろうか。ふと振り返ると、眼下に広がる駿河湾の青さが一段と深みを増して見えた。

水平線の彼方には雲がゆったりと浮かび、その下を行き交う船舶の白い航跡が糸のように細く引かれている。

焼津港からは漁船の汽笛が微かに響いてくる。


「ああ、これが虚空蔵山から見える景色なのか」

心の中で呟いた。

「奈緒子たちも、この景色を見ながら、仲睦まじく歩いたのだろう」


私は改めてこの小さな聖峰の恵まれた位置を実感していた。

海と陸の境界に立つこの山は、まさに自然が与えた展望台なのである。

石段が続く。一段、また一段と踏みしめる度に、心の中で何かが静かに整理されていくような感覚があった。

日頃の雑念が汗と共に流れ落ち、代わりに清らかな何かが胸の奥に宿っていく。

やがて山頂付近の境内が見えてきた。香集寺の屋根が木々の間に覗いている。

弘法大師が錫杖を響かせたという、あの古き時代からの聖域が、ついに手の届くところに現れたのである。

鳥居をくぐる瞬間、不思議な神秘的な沈黙が私を包んだ。下界の喧騒が嘘のように消え、代わりに風の音と木々のささやきだけが耳に届く。

ここは確かに俗世を離れた聖なる空間なのだった。


最後の石段を上がる。足音が石に響く度に胸の鼓動が早くなる。

そして――ついに山頂へ。

その瞬間、私の肺からは思わず深い息が漏れた。

「はあ…」と、まるで魂が身体から抜け出すような、長い長い吐息であった。

それは疲労の息ではなく、何か大きなものと対面したときの、畏敬と安堵が入り混じった息づかいだった。


風が――。山頂を渡る風が、私の汗ばんだ頬を優しく包み込んだ。その風は単なる大気の流れではなかった。

駿河湾の波の記憶を宿し、遠い富士の雪解けの清らかさを運び、そして千二百年の歳月をこの峰で過ごしてきた無数の祈りの残響を含んだ、聖なる風であった。


風の音が耳朶を撫でていく。「さあ…さあ…」と、まるで慈母の子守歌のような優しい調べで。

その音は下界の喧騒を完全に遮断し、私の心の奥深くに眠っていた静けさを呼び覚ました。

風は語りかけてくるのだった。長い間、この山を慕い続けたあなたの想いを、私たちは知っていますよ、と。


そのとき、どこからともなく響いてきたのは――鐘の音であった。

「ごーん…」

深く、重く、そして限りなく美しい響き。その音は空気を震わせ、私の胸を震わせ、魂の最も深いところを震わせた。

鐘の音は山頂の聖なる空間に広がり、やがて駿河湾の彼方へと消えていく。

その残響が心の中で何度も何度も反響し、まるで私という存在の全てを浄化してくれるようだった。


一音、また一音。鐘の響きの度に、私の内面に変化が起こっていた。

最初の一音で、日常の雑念が払拭された。

二音目で、胸の奥に眠っていた安らぎが目覚めた。

三音目で、五十年前の青春への感謝が溢れ出した。

そして四音目で、奈緒子夫婦の美しい絆への深い理解が心に宿った。


風と鐘の音に包まれながら、私は虚空蔵菩薩の御前に立った。

この瞬間、私の心は完全に変容していた。

山麓で感じていた単なる好奇心や懐かしさは、今や深い畏敬と感謝の念へと昇華されていた。

呼吸は自然と深くゆっくりとしたリズムに整い、胸の奥には言葉では表現できない充実感が満ちていた。

それはまるで、長い旅路の果てについに故郷の家の扉を開いたような、魂の帰郷感であった。

虚空蔵山は、私にとってただの観光地でも信仰の対象でもなく、人生のあらゆる瞬間を見守り続けてくれた、もう一つの故郷なのだと悟ったのである。

凛とした静けさに満ちた本堂の前で手を合わせながら、奈緒子の言葉が心の奥深くに響いてきた。

「私が丑で、主人が寅なの」

その時、ふと一つの深い理に気づいた。

丑と寅――この隣り合う干支には、古くから伝わる神秘的な意味が込められているのではないだろうか。


日本の伝統では、北東の方角は鬼門と呼ばれ、邪気の入りやすい不吉な方角とされてきた。

この鬼門は、十二支の方位で言えば、まさに丑(北北東)と寅(東北東)の間に位置する。

そのため鬼の姿は、牛の角を持ち虎の皮のパンツを履いた姿で表現されるのだという。

これは偶然ではない。丑と寅が力を合わせて鬼門を守護するという、古来からの深い信仰なのである。


奈緒子とご主人――丑年の彼女と寅年の夫は、まさにその鬼門を守る一対の守護神のような存在なのかもしれない。

夫婦として歩む二人の間には、邪気を寄せ付けない神秘的な結界が張られているのだろう。

虚空蔵菩薩の御前で、私はその美しい真理に深い感銘を受けていた。


山頂を渡る風が再び頬を撫でていく。

眼下に広がる駿河湾は午後の陽光を受けて静かに輝き、焼津の街並みが薄紗のようにかすんで見える。

五十年前の青春も、息子との想い出も、そして奈緒子夫婦の美しい絆も、すべてがこの小さな聖峰に見守られていたのだ。


虚空蔵山よ。海と空の狭間で、永遠に微笑み続ける慈愛の峰よ。

今、私は心から理解した。あなたが守り続けているのは、ただ人々の願いだけではない。

夫婦の絆、家族の愛、友情の契り、そして人の世のあらゆる大切なものを、鬼門を守る丑と寅のように、静かに、そして確かに守り続けているのである。


風の音が、鐘の響きが、そして自分自身の静かな呼吸の音が、聖なる三重奏を奏でている。

この瞬間、私は確信した――この山への想いを胸に宿したあの日から今日まで、すべてが意味のある道のりだったのだと。

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