二階堂英梨漸との出会い
二階堂英梨漸との出会い。
朝食はサンドイッチを作った。キャベツサラダに、スクランブルエッグを入れただけの簡素なサンドイッチだけど、トートも僕もよく食べた。鍛錬をすると、とてもお腹が空く。特に今まで、食欲がなかったから、食欲が戻って、自分でも意外に思った。片づけを終え、九時には家を出て、雪吹市の聖マリアンヌ総合病院へ向かう。最寄りの駅から電車に乗り、雪吹駅まで向かう。そこから市営のバスが出ているから、バスに乗れば十分ほどで到着する。雪吹市最大の総合病院。それが、目の前に広がっていた。
「ここか……」
と、僕は静かに言う。隣には、トートの姿がある。栗鼠香さんと選んだ衣類に身を包んでいる。戦闘中のあの黒の鎧姿が鮮明に残っているため、今の私服姿が妙に新鮮に映る。人形のような容姿をしているから、基本的に何を着ても似合うのだが、今穿いているスカートはすごく似合っている。年相応の少女のように見える。後で、栗鼠香さんにお礼を言わなければならないな。そう考えながら、僕はトートの手を握り、一緒に病院の中に入った。
総合病院に来るのは、あまり経験がない。厳密には経験はあるのだが、あまり思い出したくないのだ。薔薇事件により、僕は東京の大きな大学病院で長いこと入院していた。だから、病院特有の空気があまり好きになれない。丁寧に作られた監獄のようなイメージがあるのだ。自由は制限されるし、僕は家族を失っていたから、見舞いに来たのは祖父しかいなかった。それゆえに、寂しい思い出しかないのだ。
「栄太郎。不思議な場所だな。妙に老人が多い」
と、トートは言う。
確かに、病院には老人が多い。それは全国で統一されているだろう。年齢が進むと、病気になりやすくなるから、当然病院に行く機会は増える。だから、聖マリアンヌ総合病院も多くの老人で溢れていた。
「トートは病院に来たことあるのか?」
「ない。前回の戦争も、その前も医者にはいかなかったからな。第一、神々が人間の医師の診察を受けるなど、甚だおかしな行為だ」
「そうかもしれないな。体の構造とか違うだろうし……」
「うむ。妾たち神々は、ガーディアンである人間の魔力供給により、生存している。魔力供給がなくなると、妾たちは動けなくなる」
「そうなのか……」
そこまで考えると、一つの疑問に辿り着く。
それは、王神の闘争が始まる前、トートはどこで暮らしていたのかということだ。僕がトートに会った時、トートはギリギリの魔力で戦っていたはずだ。となると、その魔力はどこからやって来たのか、考えるほどに謎になる。これは後で聞くべきなのかもしれない。まぁ、今は二階堂英梨漸に会う。それだけを考えるのだ。
大きな病院だけあって、総合受付が存在した。そこで、二階堂英梨漸の病室を聞く。すると、受付に立っていた事務職らしき女性が、A4の紙を差し出し、そこに名前と住所を書くように指示を出した。何やらセキュリティが高い。今の病院をあまり知らないけれど、誰かの見舞いに行くのに、こんな面倒な手続きをする必要があるとは思わなかった。名前を書き、続柄を聞かれ、迷ったが友達と言うことにした。それしか思い浮かばなかったのだ。怪しそうな目で事務職の女性は僕を見つめていた。だけど、最終的には病室の番号を教えてくれる。どうやら、新しい病棟の四階の部屋らしい。僕と、トートはそこへ向かう。
新病棟はできたばかりらしく、全体的に綺麗だった。白を基調とした外観で、病院と言うよりも、ホテルを思わせる。多分、入院費も高いんだろうな。そんな風に考えながら、僕はエレベーターを待つ。大きなエレベーターに乗り、四階へ向かう。トートはエレベーターが初めてだったらしく、驚いた顔をしながら、エレベーターに乗っていた。
「栄太郎。不思議な乗り物だな」
「エレベーター、知らないのか?」
「妾は知らぬ。上にのぼっているのか?」
「あぁ。四階に二階堂英梨漸はいる。もう少しだよ」
四階に着く。
降りて病室の番号を確認する。エレベーターの前に、病室の番号が振られた見取り図があり、二階堂英梨漸の病室はすぐに分かった。どうやら一番奥の部屋らしい。なかなか良い部屋なのかもしれない。
四二三号室。そこが二階堂英梨漸の病室であった。
トビラの前には、ネームプレートが掛かっており、そこには英梨漸の名前一つしか書かれていなかった。
「ここか? 僅かだが魔力を感じるな」
不意にトートが呟いた。
魔力。
確かに、何か不穏な空気が漂っている気がする。
「魔力か……。どうしてなんだろう」
「恐らく、いらぬ人間を近づけぬためだろう。エヌルタのガーディアンであった女だ。ある程度の魔力があっても不思議ではない」
「神々と離れても、魔力は継続するのか?」
「うむ。神々とガーディアンは契約によって成り立っているが、神々が消失した時点で、神々との契約は打ち切られる。しかし、契約が切れても魔力は消失しない」
「じゃあ、魔体で体を覆えば、肉体を強固にできるという意味か?」
「その通りだ。実際に、この世界の中には、魔力で武装している人間も数多くいる。二階堂英梨漸がそのような女であるかは、分からぬが、魔力を発している限り、何か理由があるのだろう。栄太郎、念のため、魔体を発生させておけ」
トートの言う通り、僕は魔体を発生させる。朝の鍛錬で大分魔力を消費していたけれど、体を覆うくらいなら、何とかなるだろう。
僕はトビラをノックする。
「コンコン……」
乾いたトビラの音が鳴り響く。緊張感が高まる。数秒の間があった後、病室から声が聞こえてくる。
「どうぞ」
静かな声だった。何というか絶望に満ちているというか、寂しい印象のある声。僕とトートは病室内に入った。病室は個室で、ベッドとその脇に簡素な棚がある。後はクローゼットのようなスペースがあり、さらにトイレもついているようだった。
「初めまして。二階堂英梨漸さんですか?」
と、僕は問う。
キョトンした表情で、英梨漸が僕を見つめる。それはそうだろう。僕と英梨漸は会った経験がない。お互い初めてなのだ。二人を結びつけるのは、同じ王神の闘争の経験者ということだろう。
「あなたは?」
当然の疑問を吐く英梨漸。
僕は答える。
「あの、えっと、僕は霊界堂栄太郎です。高校生をやってます」
「そんな高校生が、私に何の用なのかしら。それに小さな女の子を連れて……」
英梨漸の視線がグッと強くなる。何か力を籠めてトートを見つめている。
「神々……ね。ってことは、王神の闘争がらみの話か……」
「察しが良いですね。その通りです」
「あなたは王神の闘争を戦っているのね?」
「そうです。あなたが前回の王神の闘争の覇者だと聞きました」
「確かに、私は前回の覇者。まぁ闘神には勝てなかったんだけどね。それで、現在のガーディアンが、過去のガーディアンに何の用なの?」
「薔薇事件……知っていますよね?」
そう言った瞬間、部屋が凍り付いたように思えた。どこまでも鋭利な瞳が僕に注がれる。
「確か、あなた霊界堂って言ったわよね」
「ええ。言いました」
「生き残りね」
「知っているんですね」
この二階堂英梨漸は薔薇事件について知っている。もちろん、エヌルタのガーディアンだったのだから、知っていて当然なのだろうけれど、ある程度、その被害者たちの情報も知っているようであった。彼女は、何を考え、闘神と戦ったのか? エヌルタは、闘神に敗れた。最強の神々と呼ばれたエヌルタ。そんな神であっても、闘神には打ち勝てなかった。闘神とは一体何者なのか? さらに言えば、何故薔薇事件は起きたのか? すべてが謎に包まれていて、僕を混乱させる。
「薔薇事件。あれは、不幸な事件だった」
英梨漸は、あっさりと言った。まるで他人事という響きがある。僕はそれを聞いていて、耐え切れない感情が吹き出してくるのを感じ始める。どうして、こんなにもあっけらかんと薔薇事件を語れるのだろう。エヌルタが闘神と戦わなければ、薔薇事件は起きなかった。薔薇事件が発生しなければ、当然だけど僕のような被害者は出なかった。それに、多くの人間が死ぬ必要がなかったのだ。薔薇事件がなければ、今頃僕は両親と共に生きていただろう。それを奪ったのは、他でもない薔薇事件なのだ。無視するわけにはいかない。沸々と怒りが湧き上がってくる。
「あなたが起こした事件なんですよ」
と、僕は強い口調で言った。
英梨漸は少し驚いたように僕を見つめると、フンと鼻を鳴らした。
「そうね。確かに、私が起こした。だけど、あんな甚大な被害になるとは思わなかった。私はそれまで、王神の闘争で、一般人を巻き込まなかった。あれが初めてだったのよ。それだけ、闘神は強かった。何か、余裕がなかったのね。周りを見る余裕がなかったのよ。だから、薔薇事件は起きた。王神の闘争で起きた爪跡は、基本的に現世では認知されない。だから、薔薇事件は、一部の武装組織が行ったテロだと今でも思われている。本当は、闘神と神々との戦闘の結果。そうは言っても、誰も信じないと思うけれど……」
「あなたは闘神に負けた。さらに言えば、薔薇事件を起こした張本人でもある。罪を償う必要があるんじゃないですか?」
「罪……か。罪と罰ね」
「は?」
言っている意味が分からなかった。『罪と罰』というのは、ロシアの文豪、ドストエフスキーの長編小説だろうか。
「私は既に罰を受けている」
「どう言う意味です?」
僕は問うた。
すると、英梨漸は何の躊躇もなく、その場で服を脱ぎ始めた。ずっと入院しているからなのか、着ている服は簡素なパジャマ姿だ。シャツを脱ぐと、以上に細い体があらわになる。二〇歳の女性だけど、ブラジャーはしていなかった。というよりも、女性特有の胸のふくらみがほとんどない。あばら骨や鎖骨がくっきりと浮き出し、発展途上国の難民のような肉体をしていた。
「な、何をしてるんですか! ふ、服を着てくださいよ。誰か来たらどうするんですか?」
僕は慌てて言う。
しかし、英梨漸は全く慌てた素振りを見せない。なんというか、独特のペースで行動している。細く研ぎ澄まされた肉体。僕はスッと目線をそらす。女性の裸を見るのは、嬉しくないと言えば嘘になるけれど、英梨漸の肉体は異常だ。極限まで肉がそぎ落とされている。無駄な脂肪が一切ついていないのだ。
「私をよく見て……」
と、英梨漸は言う。だけど、僕は凝視できない。恥ずかしそうに俯くのが精いっぱいだ。そんな中、僕の隣にいたトートが口を開いた。
「龍刻の爪跡か……」
龍刻の爪跡? 僕の頭の中で、そのフレーズが繰り返される。
「霊界堂君と言ったわね。私の胸を見てごらん。別に見ても構わないし、あなたが変態だとも思わないから安心してほしい」
「で、でも……」
僕はゆっくりと、視線を英梨漸に向ける。英梨漸の胸には、龍の紋章が刻まれていた。黒く入れ墨のような刻印。これは龍刻だ。つまり、神々のガーディアンの証。今の僕の胸にも同じものが刻まれている。同時にトートの胸にも刻まれているはずだ。
「ドラゴンディスティニー。それが龍刻よ。そして、私の命を吸い取る負の刻印」
英梨漸は言う。重たい言葉であるが、声ははっきりとしている。既に諦めの口調が感じられる。
「命を吸い取るってどういう意味ですか?」
と、僕は問う。龍刻と言う紋章には、まだ何か、僕の知らない秘密が隠されているようである。
「龍刻について、霊界堂君はどこまで知っているの?」
「ほとんど知りません」
「龍刻はね。ガーディアンと神々を繋げる契約の証なの。それは知っているわね?」
「それくらいなら、まぁ知っています」
「龍刻には、ガーディアンの魔力を神々に供給する仕組みがある。だけど、それだけじゃないの。実は、龍刻にはもう一つ使い方がある」
英梨漸は言う。
すると、トートが口を挟んだ。それもかなり慌てて。
「やめろ、英梨漸。それを言ってはならない」
しかし、英梨漸は止めない。
「あなたは、言っていないのね。ガーディアン思いなのね。エヌルタとは違う。だけど、きちんと説明しないとならない。それが神々とガーディアンの信頼関係をより強固にする」
「栄太郎。行くぞ、ここにいてはならぬ」
トートは僕の手を取り、この場から離れようとする。だけど、僕はその場に根を張ったように動けない。龍刻について何か秘密がある。それならば、聞かなければならない。
「待ってくれ、トート、君は何かを隠しているのか?」
そんな中、英梨漸が口を開いた。
「龍刻には、ガーディアンの生命力を燃やす役目がある」
「生命力を?」
僕は言う。
「そう。そして生命力を吸い取られると、ガーディアンは死ぬ。まさに命を燃やして神々のエネルギーにするの。私はね、闘神に打ち勝つために、この生命力を使った。失った生命力は二度と戻らない。私に残された寿命は一〇年になった。つまり、もうすぐ私は死ぬのよ」
あまりの現実に、僕は愕然とした。
龍刻には生命力を燃やす役割がある。命を燃やし、神々を助ける。そんな諸刃の剣。使えるわけがない。だからこそ、トートは僕に言わなかったんだろう。言えば、いずれの戦闘で僕が生命力を燃やす行為に出るかもしれないと考えたから、あえて言わなかったんだ。トートは優しい。その気持ちが良く分かる。
「ど、どうして、そこまでして、エヌルタに……」
と、僕はうな垂れながら言った。すると、英梨漸は不気味に微笑んだ。
「エヌルタが好きだった。私にとって、初めてで来た友達であり、恋人でもあった。エヌルタは闘神に打ち勝つため、鍛錬を重ねていた。彼の願いは、聖剣の復活。伝説の聖剣であるブレイルソードを復活させるため、闘神に勝とうとしていたの。私はその願いを聞き届けるために、彼と共に戦いを続けた。エヌルタは強かった。他の神々に負けないくらい、大きな力があったのよ。最強の神と呼ばれていたからね。それでも、闘神には勝てなかった」
「その結果、薔薇事件が起きた……」
「そう。あれは、私の生命力が引き起こした事件。多くの人間が亡くなった。それと同時に、私は罰を受けた。多大な生命力を使ったため、私には一〇年のという寿命しか残されていなかった。肉は削げ落ち、ほとんど動けない。私は闘神との戦闘を終え、ずっと入院をしているのよ。死ぬまで病院の中にいる。それだけで、罰を受けていると言えるでしょう」
確かにそれは辛い状況だ。一〇歳の段階で、余命が一〇年となれば、人は生きることに絶望するだろう。それでもこの英梨漸と言う女性は生きてきた。薔薇事件の罪の重さを知りながら、罰を受けながら、懸命に生きてきたのだ。そう考えると、僕はこの人をこれ以上問い詰められなくなる。
今まで、英梨漸はどんな気分で生きてきたのだろうか? 神々のために、生命力を使い、残された余命は一〇年。あまりに短い。一〇歳で王神の闘争に参加するだけで、激動の人生であるのに、その結果が余命一〇年だとしたら、あまりに悲しすぎる。僕は呆然とする。依然として、英梨漸は上半身が裸のままだ。胸の龍刻の証が、痛々しく見える。今日ほど、龍刻が恐ろしいと思ったことはない。
「二階堂さんはもうすぐ死ぬの?」
と、僕は問う。分かっていながら、聞くしかなかった。それが、彼女を苦しめる原因になったとしても、僕は彼女の口から真実を聞きたかったのだ。
英梨漸は脱いだシャツをもう一度着なおした。そして、視線を僕から、窓辺へと変えた。目を細め、どこか遠い景色を眺めている。前回の王神の闘争から一〇年が経っている。となると、英梨漸はいつ死んでもおかしくないのだ。それなのに、彼女は何故ここまで冷静でいられるのか、それが分からなかった。
「そう。もうすぐ死ぬわ。それは避けられない……」
僕は何も言えなかった。もうすぐ死ぬ人間に対し、薔薇事件の責任を取ってくれなどとは言えない。完全に怒りの矛先を見失う。怒りが宙に霧散し、煙のように消えて行く。怒りがないといったら嘘になる。だけど、この人は責められない。そう、責めてはいけない。もし仮に、僕が闘神と戦うようになって、トートが窮地に追いやられたらどうなるか? 命を燃やし、トートを助けるだろうか? 自分の魔力の他に協力する手段があるのなら、命を擲って生命力を燃やすかもしれない。となると、僕と英梨漸の立場が丸っきり逆だったとしても、不思議ではないのだ。あの場に僕が寝ている場合だって、十分考えられる。
「薔薇事件は申し訳ないと思ってる。だけど、私には何もできない。もう終わった事件だから。でもね、可能性がないわけじゃない」
「何を言ってるんですか?」
「王神の闘争の覇者は、願いが叶うのよ。そういう話。それなら、闘神に勝って、薔薇事件で亡くなった人たちを蘇らせれば良い。闘神を倒せばそれも可能よ」
「だけど、闘神に勝った神々は、これまで一人もいない」
「そう。それがネックね。闘神は強い。圧倒的に……。あの最強であったエヌルタでさえ勝てなかったんだから、勝てる神々が、今後出てくるかは分からない。でも、可能性がないわけじゃないと思う。君とそこにいる神々の気持ちが繋がり合えば、奇跡は起こせると思う」
奇跡……。
信じる気持ちが奇跡を起こすのだ。闘神は圧倒的に強い。それでも、まだまだ先の話になる。僕は今、アータルとの戦闘を控えている。まずは、あの神に勝たなければ、その先に待つ闘神との戦闘は見えてこない。アータルは強い。以前のように、恐怖で動けなくなるわけではないと思うけれど、やはり自信はない。それでも、トートを信じて戦うのだ。闘神に勝ち、願いを叶える。ん、待てよ。だけど、トートにはダグラスという中世の騎士を蘇らせる目的があるはずだ。ならば、僕の願いは聞き届けられない。
「一つ聞いても良いですか?」
と、僕は言った。
スッと、窓辺から視線を僕に向けた英梨漸は不思議そうに顔を顰めた。
「何かしら?」
「願いっていくつ叶うの?」
「一つよ」
「そう。それなら良いんだ。迷いはない」
「もう、願いがあるのね」
「あぁ、それは僕の願いではなく、トートの願いなんだ」
「それなら、私は特に何も言わない。願いは一つよ。よく話し合って決めることね」
そう言うと、英梨漸は徐に、ベッドから起き上がった。そして、クローゼットに行き、そこから一着のコートを出した。それを着ると、僕の手を取り、こんな風に言ってきた。
「ここまで話したんだから、協力してほしいのよ」
「協力ですか?」
「そう。私をここから出して……」
雪吹市の住宅街。
その中に、ひと際大きな屋敷あった。手入れが良くいき届き、上品な印象がある。ここは、英梨漸の自宅なのだそうだ。そう、僕は今、英梨漸と共に、この家の前にいる。しかし、不思議なのは、表札の名前だ。「二階堂」ではなく「田中」という表札が掲げられている。
「苗字が違うみたいだけど」
と、僕は言う。
それを聞いた英梨漸は「うん」と一言呟くと、勝手に庭の方へ入っていった。僕はどうしようか迷ったけれど、仕方なく後に続く。豪華な邸宅だが、今は誰もいないようだった。同時に、庭もよく手入れされている。定期的に整備しているのだろう。大きな花壇があり、クリスマスローズやシクラメンの花が咲き乱れている。また、大きな木も生えている。何の木だろうか? 僕が立ち尽くしていると、英梨漸が小さく言った。
「アオダモって言うのよ。なかなか大きい木でしょ。まだあったんだ」
「あったって、自分の家じゃないんですか?」
「昔はね。でも今は田中さんの家みたい。会ったことないけど」
「じゃあ、勝手に入っちゃ不味いんじゃ」
「うん、不味いね。でも、ちょっとだから……」
そう言うと、英梨漸はアオダモの木の麓を素手で掘り始めた。
せっせと掘り進める。その姿は何かに取り憑かれたようで、完全に異常だった。何か、強い目的を持って行動している。
「何をしている。英梨漸?」
と、トートが尋ねる。
しばらく無心に掘っていた英梨漸だったけれど、やがて掘るのを止めた。
「ねぇ、神様力を貸してくれない。ここを深く掘ってほしいの」
「なぜだ?」
「ここにタイムカプセルを埋めたのよ。死ぬ前にそれを取っておきたいの」
トートはタイムカプセルが分からず、僕に困った顔を向けた。
「栄太郎。妾は、どうすれば良い?」
僕に聞かれても迷う。でも、あまり長居をしているわけにはいかない。万が一家主にこんな姿を見つけられると、いろいろ面倒である。ここは手伝うしかないか。
「トート、魔法で穴を開けられないか?」
と、僕はトートに提案した。
「それなら可能だ。英梨漸、下がっているんだ」
トートはそう言うと、腕を広げ呪文を唱えた。
風の高鳴りを感じ、大きな風の渦が生まれる。その渦がドリルのように回転し、アオダモの木の麓を深く掘り進めた。そうすると、銀色の缶で覆われた異物が出てきた。これがタイムカプセルなんだろうか?
英梨漸は銀色の缶を取り出すと、それを大事そうに抱えた。
「まだ、あったんだ……良かった」
「目的はこれで達したみたいだね。早くここを出よう。人に見つかるといろいろ問題がある」
「えぇ。そうね。帰りましょう」
僕らは聖マリアンヌ総合病院へ戻った。
勝手に抜け出してきたため、トートが英梨漸を背負って空を飛び、窓から病院内に入る。人に見られる心配があったけれど、なんとか上手くいったようである。僕は普通に正面口から病院に入り、そして英梨漸の病室へ向かった。時刻は午前十一時。もうすぐお昼になる。その前に帰ってこれて良かった。抜け出したと分かると、きっといろいろ問題になるだろう。
病室へ入ると、トートと英梨漸が待っていた。英梨漸は缶を開き、中身を確認している。その中には、人形や原稿用紙のようなものが入っていた。
英梨漸は、それを見つめながら、涙を流した。僕はそれを見て、どう答えるべきか迷っていた。励ますと言っても、それは不可能だ。英梨漸の死は避けられない。そんな人間を前にして励ますなんて無理だ。僕には絶対にできない。ただ、英梨漸の涙を見つめているしかなかった。
「これ、いつ描いたのか知ってる?」
と、英梨漸は言った。
「分からない。大切なものなの?」
「そう。私が闘神と戦う前に描いたのよ。死ぬ前に読めてよかった。私の選択は間違っていなかった。私はエヌルタが好きだった。それ故に、命を差し出して、エヌルタを助けようとした。それが、ずっと正しかったのか分からなかったの。もしかしたら、間違いだったのかもしれない。元々、後悔なしでは選択できない問題だったから、今更後悔しても遅いんだけど、一〇歳の時の私は、覚悟があったのね。その思いが、この文面から伝わってくる。最後にこれが読めてよかった。もう、私は何も恐れない。もう少しで、エヌルタに会える。その日を待つだけ……」
涙を拭く英梨漸。読み終わった手紙を、丁寧に銀の缶に戻すと、ベッドに横になった。大分消耗したようである。僕はもう、ここにいるべきではない。ここにいても、何も生まないだろう。英梨漸を問い詰めたところで、何も元には戻らない。失われた時間は二度と復活しないのだ。復活する手段があるとすれば、ただ一つ。
闘神に勝つ……。それだけなのだ。だけど、そうなると、トートの希望であるダグラスは蘇らない。僕も家族を蘇らせたい。それでも、トートの願いも叶えてあげたい。そう考えると、微妙な気持ちになる。そうこう考えていると、トートが僕の手を握りしめた。
「栄太郎。行くぞ。妾たちはここにいるべきではない。英梨漸を救う手段はないのだ。英梨漸は自分の命を賭けて戦った。それは誇るべきだろう。その誇りをほんの少しだけ分けてもらおう。妾も命を賭けて戦う」
「そうだな……。行こうか」
僕らは英梨漸に挨拶をして病院を出た。
十一月の秋の空。すっきりと青空が広がり、どこまでも平和だ。
こんなにも世界は平和なのに、英梨漸はもうすぐ死んでしまう。いくら自分で選んだ決断としても、何か居心地が悪い。すっきりとしない。
家へ向かう途中、トートが静かに言った。
「栄太郎。良いか?」
「何だ?」
「栄太郎は英梨漸のようになるな。つまり、自らの生命力を使ってはならない。約束してくれ」
「あぁ、そのつもりだけど」
「つもりではダメだ。必ず約束してくれ。妾は栄太郎を失いたくない。過去、妾は闘神と戦うところまで行けなかった。神々に敗れ、妾は無となった。結果、ダグラスは死んだ。だからこそ、妾はあの時のような思いはしなくないのだ。栄太郎。生命力をつかってはならない。良いな」
「分かったよ。使わない。約束だ……」
僕はそう言い、小指を出した。
トートは意味が分からなかったようで、キョトンとしている。
「栄太郎、何の真似だ?」
「約束の証。こうやって小指同士を絡めるんだ」
僕はトートと小指を絡める。そして、生命力は使わないと約束をする。
「不思議な契約方法だな。だが、約束だぞ」
「もちろんだ」
こうして、僕らは家に戻った。
鍛錬を開始してから一週間が経った。大分魔力を使えるようになっている。魔体のコントロールもかなり巧みになり、ある程度の魔力による攻撃なら、防御できるようになっていた。鍛錬を終え、食事をすると、学校へ向かう。いつも通り、学校で授業を受け、放課後になると、直ぐに帰宅する。……はずだった。しかし、そこで僕は意外な人物に出会う。
それは、アータルのガーディアンだった。
名前は知らない。だが漆黒のスーツ姿で、僕の前に現れた。通学路にいたということは、僕を待っていたのだろうか? 僕が歩いていくと、向こうの方から近づいてきた。
「トートのガーディアン。少し良いか?」
すれ違う時、そのように声が聞こえた。
無視するわけにはいかない。僕は立ち止まり、キッと視線を合わせた。
「何ですか?」
「再戦をしたいのだが、どうだ?」
「再戦。つまり、戦うって意味ですか?」
「そうだ。場所はそちらに合わせる。あの河川敷でも構わない」
「なんで急に……」
「我々は王神の闘争をしている。常に戦闘の可能性はあるのだ」
確かにその通りだけど、急に戦闘をすると言われても、僕は困惑するだけだ。今すぐ、トートを呼んだ方が良いだろうか?
「今日、戦うんですか?」
「うむ。今日の夜。どうかね?」
戦闘は避けられない。王神の闘争しているのだから、どこに戦い待っているのか分からない。戦いを宿命づけられているのだ。ここは受けるしかないだろう。断っても、向こうは強引に話を進めるだろう。
「分かりました。じゃあ、場所は前回と同じ場所。河川敷で良いですね」
「構わない。では、時刻は夜九時にしよう。待っている」
「あ、あの、名前……。名前教えてください」
去り際に、男は静かに言った。
「二階堂隼人……。少年は?」
「僕は霊界堂栄太郎です」
「霊界堂か。では、今夜待っている」
そう言い残すと、二階堂は消えて行った――。