牧師の名は轆轤川魁江
牧師の名は轆轤川魁江
午後。それも夕闇が広がる中、僕らは教会に辿り着き、重たい木のトビラを開いた。中はひっそりとしており、夕焼けの明かりが、僅かに差し込んでいる。なんというか、哀愁を感じさせる室内であり、ほとんど無音だった。固定された木製の椅子が、十列ほど並んでおり、奥の方には祭壇と、電子オルガンが置いてあった。僕はほとんど教会に来た経験がないから、まじまじと教会内を見つめていた。トートは僕の手を繋いだまま、ゆっくりと前方に歩いていく。
「いるな」
と、トートが呟く。いるというのは、僕ら以外の人間がこの場にいるという意味だろうか? 僕はサッと辺りを見渡す。軽く見た感じでは、誰もいるようには見えない。だけど、トートがこの場で嘘をつくとは思えない。きっと、どこかに誰かがいるのだろう。
「いるって、神々か?」
と、僕は尋ね返す。
神々がいるとすると、話は面倒になる。最悪の場合、戦闘になる可能性があるのだから。
「否、神々ではない。人の気配がするだけだ」
「人か、でも、どこにもいないみたいだけど」
と、僕が言った時だった。教会の右隅にあるトビラから一人の男が出てきた。がっしりとした体格の男で、背か高い。一九〇㎝近くはあるかもしれない。一体、誰なんだろうか? この教会の牧師だろうか?
「ここに何の用かね?」
低く重鎮な声が響き渡る。
とりあえず、何か答えないとならない。
「あの、その、変な話をしますけど、良いですか?」
「変な話だと?」
「はい、実は、王神の闘争について聞きに来たのです。あなたは知っているんじゃないんですか?」
王神の闘争と聞き、牧師の表情が変わった。暗く影が入ったような感じだ。
「王神の闘争か。……君は神々のガーディアンのようだが、それで何について聞きたい?」
「王神の闘争って何なんですか? それに、どこに敵がいるのか分からないんです。知っているのなら、教えてください」
「私自身、神々がどこにいるのかは把握しないない。私が把握しているのは、現在神々が何名残っているかだ」
「今、何名残っているんですか?」
「六名。つまり、一人が敗退している」
一人。それはセクメトのことだろう。セクメトを倒したのは、トートだ。それは誇らしい戦績だが、まだ六名の神々が残っている。まだまだ戦いは続くだろう。だけど、参った。この牧師が神々について知らないのなら、やはり、こちらから探す必要あるのだろう。でも、どうやって探せば良いのだろうか?
「敗退した神々は知っています」僕は言う。「セクメトという神です。僕らが倒しましたから」
「そうかね。なかなか優秀のようだね。少し話を聞こうか」
「話って言っても、言うべきことはそんなにないですよ。ただ、こっちとしては、他の神々について知りたかった。それだけなんです。どこに敵が潜んでいるのか分からないと、いつも怯えて暮らさないとなりませんから」
「確かに、神々との戦闘は危険と隣り合わせだ。だがね、それが王神の闘争なんだよ」
「あなたは何者なんですか? 少し話では聞いたんです。調整者だと」
「そう。私は今回の王神の闘争の調整者。ゲームを速やかに進めるための存在と言えるね。だが、それだけだ。基本的には、敗れた神々の管理をする。それだけの存在だ」
「セクメトはどうなるんです?」
「破れた神々は今回の王神の闘争から脱落する。また、次の王神の闘争になれば目覚めるだろう。しかし、一つの方法がある」
「方法ですか?」
「うむ」そう言うと、牧師は僕に近づいてくる。お互いの距離がかなり縮まる。なぜ、ここまで近づくのか分からないけれど、僕は真っ直ぐに牧師を見つめた。
「敗者復活というシステムがある」
「敗者復活?」
「そう。特殊な事例だが、王神の闘争で最初に破れた神は、ある条件が重なると、敗者復活として、蘇られるのだ。それを、セクメトのガーディアンである劉生院隆は知っている」
なるほど、そこで合点が言った。
だから、劉生院は僕にこの場所を教えたのだろう。きっと、敗者復活にかけているのだ。しかし、その条件とは何なのか?
「条件って何なんですか?」
「最初に敗れた神を倒した神が、最後の一人まで勝ち残った時、敗者復活として、最初に破れた神が復活する。まぁ下剋上のシステムのようなものだ。このシステムを利用して、闘神に挑戦する権利を得た神々もいることはいる。まぁ極稀な例だがね。きっと、劉生院隆は、その可能性に賭けているのだろう」
「そうなんですか……。闘神って何なんですか?」
「神の中の神。そう言えるだろう。そして、この世界を司る超自然的な存在だ」
「確か、話では、なんでも願いが叶うとか」
「うむ。そのようだね。だが、今まで長い期間王神の闘争が行われてきたが、闘神に打ち勝った神々は一人としていない」
その話は既にトートから聞いていた。それだけ強大な存在が闘神だ。同時に、闘神に敗れると、その神々は消滅する。次回の王神の闘争の参加資格を失う。つまり、闘神には一度しか挑戦できない。そんなギリギリの戦いを、トートは望んでいる。果たして、トートには闘神に打ち勝つ秘策があるのだろうか。
「闘神との戦いは、大きな爪跡を残すのだよ」
静かな空間の中、牧師の言葉が響いた。
大きな爪跡。それは一体何だろうか?
「爪跡ですか?」
と、僕は問う。すると、牧師は切れ長の瞳を何度か瞬かせ、たっぷりと間を取った後、次のように告げた。
「うむ。君は、十年の薔薇事件を知っているかね」
薔薇事件――。
僕はその事件の名を聞き、愕然とした。
薔薇事件とは、僕の家族を根こそぎ奪った、テロ事件の総称だ。原因不明の爆発テロが起こり、多くの人間が巻き込まれた。その中に、僕もいたのだ。決して忘れることのない、負の歴史。僕の体は震えた。
それを見た、トートが不安そうに僕を覗き込んだ。
「栄太郎、どうしたのだ? 凄い汗だぞ」
季節外れの汗が額を伝う。僕は薔薇事件に大きな恨みを持っている。事件の首謀者は未だに捕まっていないし、誰なのかさえ、分かっていないのだ。そんな事件を何故、今牧師が語ったのか、それに大きな興味を覚えた。
「薔薇事件がどうかしたんですか?」
僕は食い入るように牧師を睨みつける。牧師が犯人ではないのは自明。だが、何か怒りを向けるための存在が欲しかった。トートを睨みつけるわけにはいかない。となると、必然的にこの牧師に対し、怒りは注がれることになる。無駄だと分かっていても、僕は怒りを抑えられなかった。
「君は、薔薇事件について何か知っているようだね」
と、牧師は言った。それを受け、僕は答える。
「あなたの方こそ何か知っているんじゃないですか?」
「君の名を教えてくれるか?」
「霊界堂、霊界堂栄太郎」
僕の名前を聞き、牧師は驚いた顔を浮かべた。
「事件の生存者か……」
薔薇事件の生存者はごく僅か、数千名の犠牲者の中、数名の人間が生き残ったのだ。その中の一人が僕だ。事件は大きく報道されたから、僕の名前も発表されたと聞く。僕は霊界堂と言う珍しい苗字だから、覚えている人は、きっと覚えているだろう。
「そうです」僕は答える。「僕は薔薇事件の生存者です。教えてください。薔薇事件について」
「なるほど、奇妙な因果だ。よろしい、説明しよう。まずはこちらの自己紹介をしようか。私は今回の王神の闘争の調整者。轆轤川魁江。この教会の牧師をしているが、縁あって調整者になった。必要な情報は君に与えよう。協力者と思ってもらって構わない。まぁ何か特別なことができるわけではないのだがね」
轆轤川魁江。当然だけど、そんな名前は聞いた経験がない。どういう理由があり、調整者になったのだろうか。そもそも、調整者の役割だって曖昧だ。何をするのか、具体的に良く分からない。ただ、神々のガーディアンを管理しているのは分かる。確かに、王神の闘争を管理する人間がいないと、色々面倒だから、やはり調整者は必要なんだろう。
「薔薇事件と、王神の闘争。何か関係があるんですね?」
僕は強い気持ちを込めて尋ねる。
薔薇事件については、未だに分からないことが多く、謎に包まれているのだ。家族を失った手前、僕は薔薇事件について知りたいと考えている。しかし、今までほとんど情報がなかったため、半ば諦めていたのだ。
「薔薇事件は、前回の王神の闘争の覇者、エヌルタと闘神の戦いの結果、起こった事件だ」
「どういう意味です。闘神との戦いがどうして……」
「簡単だ。君は、既に神々と戦った経験があるだろう?」
「ありますけど。それが何か?」
「それなら話は早い。良いかね、この世界での神々の戦闘は、人にも映る。だが、魔力は映らないのだ。つまり、戦闘をしていても、通常の人間には魔力が映り込まない。そこに、薔薇事件の秘密がある」
秘密。
一体何を言っているのだろう。
否、何となくだけど、理由は分かる。つまりはこういう話だろう。神々同士の戦いは、一般の人間にも見える。だが、神々が放つ魔法までは見えないのだ。きっと、トートの得意技である風の魔法は映り込まない。となると、どういう現象が起きるのか? これは考えるとすぐに分かる。
例えばトートが風の魔法を使って、相手の神々を攻撃した場合、魔力を持たない人間には、旋風が起きたようにしか見えない。魔法が映り込まないから、その本質が見えないのだ。きっと、薔薇事件も同じことが言える。薔薇事件は、一般的にテロと呼ばれている。大きな爆発騒ぎがあったからだ。だけど、その犯人は未だに謎に包まれている。大きな反社会勢力という話もあるが、結局は謎のままなのだ。恐らく、犯人は魔法だ。魔法による弊害が、あの薔薇事件を引き起こした。つまり、爆発に近い魔法を、前回の王神の闘争の覇者、エヌルタという神々が放ったのだろう。もしくは闘神が放ったのだ。その結果、テロのような爆発騒ぎが起きた。こう考えらえるのではないか。
「爆発の魔法が行われたという意味ですか?」
と、僕は持論を展開する。それを聞いた轆轤川さんは、うむと、深く頷くと、話を始めた。
「君の言う通りだ。あの爆発事件は、神々であるエヌルタと闘神の魔法が関係している。エヌルタは火系の魔法を得意としていから、薔薇事件は引き起こされた。あの時、テロだと思われたのは、実はテロではないのだ。簡単に言えば、神々と闘神の戦いの爪跡。その影響が現世にも表れた。不幸だったとしか言えない」
不幸――。
そんな二文字で、僕の感情は抑えられない。
何故、あんな人が入り乱れる中で、戦闘をしたのか。神々と闘神のとの戦いがなければ、僕の両親は死ななかった。僕だって、こんな風に生活していなかっただろう。それが、闘神と神々の身勝手な戦いの所為で、多くの命が失われた。これは許してはおけない。一体、エヌルタのガーディアンとはどのような人間だったんだろうか?
「エヌルタのガーディアンとはどんな人です?」
と、僕は震えながら言った。恐怖で震えているのではない、怒りから震えているのだ。
「知っていたとしたら、どうするのかね?」
「教えてください」
「余計に混乱するだけだ。知らぬ方が良い話もある」
「そうは言っていられない。僕には知る権利がある。ガーディアンを教えてください」
「確かに、君には知る権利があるだろう。だがね、まぁ良い。会えるのは最後のチャンスかもしれぬからな」
と、轆轤川さんは意味深なセリフを放った。最後のチャンス。これはどういう意味なんだろうか?
「エヌルタのガーディアンは、二階堂英梨漸。十年前の王神の闘争の覇者。しかし、闘神には敗れている。今は、雪吹市の総合病院で入院している。もう、十年以上入退院を繰り返している。二十歳の女性だ」
二十歳。となると、十年前の王神の闘争の時は、十歳だったはず。それだけの若年で、王神の闘争に参加していたのか。確かに、子どもが参加する可能性だってある。今回の王神の闘争にも子どもが巻き込まれている可能性もあるのだ。
「雪吹市の総合病院ですね」
「聖マリアンヌ総合病院。知っているかね」
僕はその病院へ行った経験がないが、場所は知っている。雪吹市最大の総合病院だ。雪吹市なら、ここから電車に乗れば行くことも可能だ。今日は無理だろうけれど、明日、学校を休んで行ってみよう。僕はそう考えた。
「明日、行ってみます」
僕が言うと、轆轤川さんは、嘆息し、次のように語った。
「言っておくが、彼女を責めても何も始まらぬ。薔薇事件がなかった話になるわけではない」
「分かっています。ただ、会いたいんです。どんな気持ちで闘神と戦ったのか、それを知る必要がある」
「ならば、私は何も言うまい。君の自由だ……」
僕は轆轤川さんにお礼を言い、教会を後にした。
聞きたいことは山のようにあるけれど、今は、二階堂英梨漸に会うのが先決だ。
帰りにカレーの買い物をして帰り、直ぐに作る。だけど、僕は上の空だった。普段は美味しいカレーのはずなのに、味がぼやけて良く分からない。ただ、トートだけが美味しそうに頬張っている。カレーが好きでたまらないらしい。それはほほえましい光景で、僕の高ぶった精神を幾分か収めてくれた。
「栄太郎。どうかしたのか?」
トートはカレーをキレイに食べ終えると、そのように告げた。
「あ、いや、ただ、ちょっとな」
「薔薇事件か? 妾には良く分からない。妾は前回の王神の闘争で敗れているからな。エヌルタはよく知らないのだ」
「そうか。明日、エヌルタのガーディアンに会いに行こうと思う」
「がっこうはどうするのだ?」
「休むよ。一日くらい問題はない。会う方が先だ」
「ならば、妾も付き合おう。それで良いだろう」
トートがついてきても、問題はないだろう。どこで戦闘が起きるか分からない。ならば、なるべくトートと一緒にいた方が良いし、家に一人で置いておくのは、なんとかく気が引ける。
「分かった。一緒に行こう」
カレーはほとんど残っていない。トートは小さな子どものような容姿をしているが、かなりの大食漢のようで、三杯も食べてしまった。ドラゴンボールかよ! そんな風に突っ込みたくなったけれど、僕は何も言わなかった。食器を洗っていると、テレビをまじまじと見ていたトートが、僕のそばにやって来た。
「栄太郎。薔薇事件について知りたいのか?」
トートの口から薔薇事件という言葉が出てきたので、意外に感じられた。心配しているのだろうか? トートは優しい神様だ。だから、僕を励まそうとしているのかもしれない。
「もちろん知りたいよ」
僕は大方の洗い物を終え、食器を布巾で拭きながら告げる。「今までずっと謎だったんだ」
「謎か。薔薇事件は前回の神々と闘神の戦いの爪跡。それは妾も初めて聞いた。王神の闘争は一般人も巻き込むのだな」
「そうみたいだ。いくら神々の戦争だからといって、一般人を巻き込むのはいけないことだ。絶対にあってはならない。だから、トート、僕らは決して一般人を傷つけない。それを誓ってくれ」
「もちろんだ。妾も、一般人を巻き込むのは本意ではない。栄太郎の意見に賛成だ」
「それなら良いんだ。僕のような犠牲を、二度と出しちゃいけないんだ」
「明日、エヌルタのガーディアンに会うのだな」
「うん。そのつもり」
「会ってどうするのだ?」
「分からない。ただ、話を聞きたいんだ。どんな思いで戦ってきたのか? それを知りたい。別に恨みのために殴るとかそう言うわけじゃないから、安心してほしい」
「エヌルタという神は強かった。妾は実際に戦っていないが、史上最強と謳われた実力者だ。その神でさえ、闘神には勝てなかった。闘神は無敵。妾は勝てるのだろうか?」
トートの言葉が不意に小さくなる。
僕は闘神を知らない。確かに、薔薇事件の被害者だったけれど、あの時、闘神とエヌルタが戦っていたとは思えなかった。大きなテロだとずっと思っていた。テロ同じくらいの破壊力を持つのが、闘神の力。かなり強大だ。事実、甚大な被害は出てしまった。多くの人がなくなり、涙が流れた。大きな傷跡残した事件。それが薔薇事件。
でも、僕は何がしたいんだろう。
トートに言われ、僕はハッと我に返った。いくら、エヌルタのガーディアンに会うからと言っても、その人間に責任を問えと言っても無理な話だ。ガーディアンの手を離れると、神々はどうなるのか? 荒れ狂う神として、制御不能になるのか? エヌルタは、史上最強の神として認知されていた。そんな神でも闘神には勝てなかった。トートは強いと思うが、史上最高というわけではないだろう。何しろ、ガーディアンが僕なんだから、力を上手く引き出せないかもしれない。
「大丈夫だよ」
と、僕は言った。それくらいしか言えなかった。これは決して嘘ではない。トートは誰にだって負けない。僕は応援するし、今後は弱気にはならない。僕が弱いままだと、トートも強くなれない。力を十二分に発揮できないのだ。そのために鍛錬をするのだ。毎日少しずつで良い。強くなっていこう。弱気になるのを止め、精神的に強くなる必要がある。魔視を広げ、その感覚を体全体に広げる。そうすれば、魔術的な防御が可能になる。簡単にやれるようにはならないだろう。明日も今日と同じように鍛錬をするのだ。それしかない。恐怖を消すには、僕もトートと同じように戦う覚悟を決める必要があるのだ。
「栄太郎が言うのなら、それが正しいのだろう。妾は負けない。ありがとう。栄太郎、力が出たぞ」
「それは良かった。明日も鍛錬するんだよね。なら、今日は早めに寝よう」
夜空は最高に澄み切っており、僅かだが星が煌めいて見えた。
翌日――。
朝五時。僕とトートは河川敷へ向かい、そこで鍛錬を開始した。
昨日と同じように、魔視を体全体に広げる。難しいけれど、一度コツを掴むと何となく分かってくる。トートの放つ、微弱なウイングライザーが飛んでくる。体中に力を籠め、それを手のひらに持っていく。そんな感覚だ。少しずつだけど、体に流れるオーラのようなものを感じ始める。魔視は体中に広げられる。そして、それは一部位に集中させられるのだ。つまり、手のひらに魔視を集中させれば、ある程度魔術を防御できるのである。
僕はトートのウイングライザーを手のひらで封じた。何度か試してみて、ようやく上手くいった。体は傷だらけだけど、少しずつ進化している。
「栄太郎。魔視を体全体に広げると、それは魔体となる。魔体は体全体に魔法のオーラを広げる技術だ。魔体は特定の部位のみを守ることもできる。今、栄太郎は魔体を手のひらに広げた。それ故に、妾のウイングライザーを防げたのだ。その感覚を忘れるな」
トートの言葉を聞き、僕は頷く。もっと鍛錬が必要だ。今の攻撃は、弱の弱。微弱なのだ。最低でも通常状態のウイングライザーが防げるようになりたい。これは、高望みだろうか? だけど、そのくらいの防御力がないと、神々の前では意味のない力だろう。これまで生きてきて、僕は力を欲した経験がなかった。だから、今こうして力を欲している事実に、意外な印象を覚えている。僕は今まで、喧嘩すらしたくなかった。争いはしない方が良い。だけど、今、僕は争いに巻き込まれている。王神の闘争と言う戦争だ。戦争なのだ。力がなければ生きていけない。トートは僕を守ると言っているけれど、なるべくなら、自分の身くらい自分で守りたい。それができれば、ようやくガーディアンとして一人前になれるような気がした。今の自分は半人前。まだまだ実力が足りない。
魔体を極めるのだ。トートの言葉では、僕にはある程度の魔力が備わっているらしい。どういう因果か知らないけれど、僕には人よりも魔力が高いのだ。それが才能かどうかは分からない。だけど、生かしていく必要がある。そのために、僕はここにいる。同時に、トート共に戦うのだ。
鍛錬は続いていく。ただ、ひたすらにトートのウイングライザーの攻撃を受ける。次第に体力は削られていく。少しずつだけど、体を覆う魔体が減っている。感覚として分かる。どうやら、魔体という状態は、かなりの魔力を消費するらしい。徒に使っていると、直ぐに魔力が底をついてしまう。どうすれば魔力の消費を防げるのだろうか?
「栄太郎。魔体をとどめるように意識するのだ。今の栄太郎は、魔力が体に止まらず、垂れ流しになっている。だから、魔力を消費するのだ。魔体をとどめる感覚を養うのだ」
と、トートは言う。
いとも簡単に言ってくれるけれど、それがなかなか難しい。どうやって魔体を体に維持するのか、その調整が難しい。トートは待ってくれない。とにかく微量のウイングライザーを連発してくる。休む暇がない。そろそろ、魔力がつきかけている。魔力がなくなれば、魔法に対する防御力は激減する。相応のダメージを受けるだろう。そうならないためにも、何とか魔体を体にとどめる感覚を得るんだ。
僕はスッと目を閉じた。なんで目を閉じたのか分からない。ただ、感覚的に目を閉じることで、神経が研ぎすまされるような気がしたのだ。鋭敏な感覚があるのなら、視覚を封じると、きっと別の神経が研ぎ澄まされるはずだ。簡単に行くかどうか分からないけれど、ただ、目を閉じて、ギュッと神経を高ぶらせる。
徐々にだけど、体を纏う、膜のようなものを感じる。海の中に漂っている感覚だ。水の中に浮かんでいるかのように錯覚する。この感覚が正しいのだとたら、きっと、魔体を体に留める感覚のヒントがあるはずである。ウイングライザーが体に当たる。魔体が体を覆っているため、ほとんどダメージは受けない。良い調子だ。何となくだけど、感覚を掴みかけている。僕に、戦う才能があるかは分からない。多分、才能はない。魔力が人よりあるのだって、きっと何かの間違いだろう。才能なんてない。僕は弱い。だから、努力しなければならない。なんとしてもトートの役に立ちたい。トートを失いなくない。そして、共に闘神に打ち勝つのだ。それが、今の僕の目的。同時に、存在意義だ。
体を覆い込む魔力が、強まっていく。残り少ない魔力を総動員して、僕は体を強固にする。何としてでも、感覚を得るんだ。あまり悠長に言っている暇はない。アータルとの再戦も近いだろうし、後に、まだ見ぬ神々との戦いが控えているのだ。ここで躓くわけにはいかない。なるべく早く、自分の身を守れるようになりたい。
その思いが通じたのか。僕は自分の魔力を体に留める感覚を掴み始めた。ゆっくりだけど、確実に身体を流れるオーラが感じられる。一度魔力を感じると、それは次第に大きくなる。体を纏い、確実に守っているし、取り巻いている。後は、この魔体を体に留めるために、集中を途切れないようにするだけだ。ゆっくりと目を開ける。すると、自分の体が白い光に包まれていることが分かった。
「栄太郎。今は、お主は魔体に包まれている。その感覚を忘れないようにするのだ。最後に、一撃、強い攻撃を放つ。それを防いでみよ」
と、トートは言う。
強い攻撃。それはどんな攻撃なんだろうか? 多分、今までのウイングライザーとは比較にならないだろう。それでも、不思議と恐怖はなかった。ただ、何となくだけど、耐えられるような気がした。これは傲慢だろうか? 今の僕なら、ある程度の魔力に対応できる。その自信があったのだ。
トートは素早く呪文を唱える。
異世界の言葉が囁かれ、先ほどの倍以上の風の塊が発生した。もちろん、トートが神々と戦闘する時作る、ウイングライザーと比べれば、大きさは小さい。だけど、僕が鍛錬で経験した大きさとは比較にならないくらい巨大だ。僕と同じくらいの大きさがある。ひゅるひゅると鋭い音を上げている。
「栄太郎、行くぞ!」
トートはそう言うと、勢いよくウイングライザーを放った。
目をしっかり見開き、僕は両手を前に向ける。ウイングライザーを受け止めるために、腰を落とし、体勢を防御の姿勢にする。手のひらに、圧倒的な圧力を感じる。ウイングライザーを受け止めているのだ。さっきまでの微弱な攻撃とは全く違う。一瞬でも気を抜いたら、忽ち吹き飛ばされるだろう。僕は懸命に力を振り絞り、徹底的に防御する。ウイングライザーがめり込むように、僕の体に近づいてくる。もう、駄目か。否、限界まで戦うんだ。それしかない。僕は諦めなかった。掲げた手のひらでウイングライザーを押しとどめ、懸命に戦う。その成果が、ようやく表れた。シュンと静かに音を上げ、ウイングライザーは粉々に砕けた。
「やったな、栄太郎。二日でここまでくるとは、なかなか才能があるぞ」
トートが自分のことをように喜びながら、駆け寄ってくる。
僕はそれを見て、一気に力が抜けた。ガクッと膝を折り、その場にへたり込んだ。終わったんだ。なんとか、防げた。圧倒的な解放感と達成感。自分はやりおおした。だけど、これはまだまだ初級だろう。本当の神々の戦闘力はこんなものではない。もっと鍛錬を積み、防御できるようにならないとダメだ。
「僕が防いだのか?」
僕には実感がなかった。本当に自分が防いだのか、未だに信じられない。手のひらは軽くではあるけれど、すりむいていた。多分、魔体で体を覆っていなかったら、こんなダメージでは済まないだろう。それならば、僕は確かにウイングライザーを防いだのかもしれない。
「そうだ、栄太郎、やったな」
「少しは強くなったかな?」
「うむ。このままいけばすぐに魔体を使いこなせる。栄太郎は優秀だ。後は、如何にして毎日鍛錬を積むかだ」
「鍛錬か。そうだな。毎日行おう。そうすれば、今よりも強くなれるんだよな」
「そうだ。栄太郎には高い魔力がある。だから、今よりも強くなれる」
「だと良いけど、せめて、トートの足手まといにならないように頑張るよ」
「実際に戦うのは妾だ。しかし、栄太郎の魔力が高まれば、妾も有利に戦闘を進められる。妾たちは誰にも負けない。お互いを信じる力が、魔力を高めるのだ。栄太郎、毎日鍛錬をするぞ」
「あぁ。明日も頼む」
そう言い、腕時計で時間を確認する。既に七時を回っている。そろそろ家に帰って、食事の準備をしなければならない。あまり長いこと河川敷にいると、不審者扱いされかねないからな。