07.令嬢と令息達のこれから
背中から冷たい汗が伝うのを感じる。令嬢に命令する事ではないだろう。
「王家を監視しろと?」
「ふふふ」
優雅に笑う王妃は、つい先程、物騒な依頼をした人物とは思えない。
「でも、アレはダメよ。下ごしらえから始めたのだもの。仕上げまで自分で終わらせたいわ」
「アレって国王ですね?」と言わなかった自分を褒めてあげよう。もう、何も言うまい。エリザベスは無言を貫く事を決めた。
「“嫌だ”とも“出来ない”とも言わないのは、その意思があると言うことね」
なんて事だ。言質を取られてないのに了承した事にされてしまった。王妃は怪物だ。とんでもない人に目を付けられてしまったと思う。
「お嬢様ぁ、お手紙が届いておりますよぉ」
青い目の怪物と対峙した時間を思い出していると、ニマニマと笑うサラから手紙を渡された。
「誰から?」
「愛しの旦那様からですよぉー」
「捨てて」
「えー何て書いてあるか知りたーい」
サラがただをこねるので、仕方なくペーパーナイフで手紙を切る。
ハリードはウェル・ドーナへと発った。これで、やっと縁が切れたと清々しい気持ちで小躍りしていたのに、手紙が届いたのだ。内容はただの近況報告なのだが。何故か「我が親友エリザベス」から始まる。まるで幾千もの戦いで共闘しあった戦友かのような距離感。お前と共同作業を行なった覚えはない。
最近、高位貴族3家の離婚の影響か長年の連れ添った夫婦の離縁が増加しており「熟年離婚」と言われている。それにともない復縁願いと呼ばれる手紙が流行っていると聞くが。
「アレとは違うけど、この鬱陶しさもまた厄介ね」
セスト、ジャスティン、ファエルの3名からも手紙が届いた。何なのだ、この幼馴染達のシンクロニシティは。1通目はまだ理解できた。減刑嘆願についての感謝の内容だったからだ。だが、それ以上の返信はいらん。
ちなみにだが、セストは孤児や生活に困った女性たちが身を寄せる救護院の職員として働く事になったらしい。手紙には「ゴミカスのような父親の息子である自分が生きていて良いのだろうか」と書いてあったので、ゴミは再利用出来ると返信したら「エルドラの堆肥になる覚悟を決めた」と返ってきた。汚物などと読み取られると思っていなかったので、さすがのエリザベスも動揺した。
ファエルはというと各地の神殿を巡礼し、己の至らなさや罪と向き合うとの事。エリザベスへの慈悲への感謝を示すべく各神殿で、エリザベスの幸せを祈るとあったので「勝手に幸せになるので、お構いなく」と返信すると「気高く不屈の精神に感服致しました」などとエリザベスを讃える分厚い報告書のような返信がきた。筆まめなところは父親に似たのか。毛根の弱さまで似ないといいねと思った。
ジャスティンは国境付近の砦に兵士として入隊する事になった。ちなみに騎士を目指さなかったのは「騎士道がわからなくなった」からだそう。親父のせいだろうな。それから詫びと感謝の印に給金を送るとあった。婚約破棄騒動の時に慰謝料はがっぽりもらっているし、お金にも困ってないので「貯金しとけ」と返信すると「いつか妹と仲直り出来たら、何か買ってやりたい」と返ってきた。まだ口を利いてもらえないらしい。
「あら」
ハリードの手紙を読んでいると、友達が出来たとある。前回、セスト達と離れ離れになり、人恋しくて手紙を送ってくるのだと思ったエリザベスは「新しく友人をつくれ」と返信したのだが、無人島で誰と友達になったのだろう。
「カカシでも作ったのかしら」
「エリザベス様ぁ、あんまりウザいなら消しますぅ?」
サラは育ってきた環境が殺伐としていたので、時々、物騒な判断になりがちだ。
「わざわざ蟻を潰しに行く必要はないわ」
「じゃあこいつら観察しててもいい?」
「“遊ばない・壊さない・殺さない”が守れるならいいわ」
「やったあ」
私達のやりとりを見ていたクレアの口元が緩む。
「亡くなられた奥様が言っておられましたものね」
「何よ?」
「“ありがとう”と“ごめんなさい”が言える子は良い子なのでしょう?」
エリザベスは耳が熱くなる。公爵家の使用人達は時折、優秀過ぎて主人を困らせるのだ。
「覚えてないわ」
「エリザベス様も良い子ですわよ」
柔らかに笑うクレアにエリザベスは答える事はやめて、ジャム入りのガレットを口に入れた。中身はママレードだったらしくほろ苦い。
「最近の社交界の話題はどう?」
こう言う時は、さっさと話を変える事にする。
「やはり“レディ・ボットンの再来”でしょうね」
クレアの言う「レディ・ボットン」とは、国王の元愛人である。それからレディ・ボットンは愛人の通り名だ。
彼女は国王とは学園時代から恋人同士で、当時王太子だった王が結婚しても関係は続いていた。彼女はそれなりに力のある伯爵家の令嬢だった事と、寵愛が自分にあるとの自信から、王妃に遠慮など一切しなかった。
そして、王と王妃の間に第二王子が誕生した後、側室妃となる話が持ち上がる。王妃が産後の休養のため療養中であった事を良い事に、王宮で逢瀬を楽しみ、あたかも己が正妃であるかのように振る舞っていた。ところが、ある日、彼女は行方不明になる。
一日とたたず、彼女は発見されたのだが。なんと汲み取り式のトイレに落ちてしまっていたのだ。
平民が“ボットン便所”と呼んでいる。
あのトイレである。
令嬢が発見されたと聞いて、王はすぐさま駆けつけたが、令嬢は風呂も着替えも出来ていない状況だった。涙で化粧が落ちた顔、糞尿まみれの体。愛しい恋人を見つけて令嬢は駆け寄ろうとするが「臭い!汚い!」と王は拒絶。側室妃となる話もなくなった。
令嬢の父親もさすがに抗議した。令嬢は王に青春を捧げ、行き遅れとなる年齢まで待っていたのだ。もちろん王家と縁を繋ぎたいという下心もある。しかし王は「王家に嫁ぐためには清い体でなければならない」と反論。もちろん令嬢は純潔だ。清い体とは、そう言う意味ではない。単に令嬢の汚い姿を見て冷めてしまっただけだろう。
このような理不尽な理由で令嬢は捨てられた。普通なら憐れみの目を向けられるだろう、しかし令嬢はそれまで王太子からの寵愛により、相当増長していたようで、周囲から反感を買っており、誰も同情しなかった。社交界では「レディ・ボットン」などと不名誉な通り名で呼ばれ、笑い物になりエルドラから去る事となる。
それから、若い女性達は王に近付かなくなる。当然だ、昔からの恋人をあっさり捨てたのだから。一連の流れを見ていた親世代の貴族達も、娘を当てがい権力を得ようとする動きもなくなった。
そう、ララはボットン便所に落っこちていたのだ。
だが、初代レディ・ボットンとは違う部分がある。王妃の温情で、ハリード達はララと対面する事が出来た、その際、彼らはベチョベチョのララを抱きしめた。
衝撃だ。私には無理、絶対無理。
何なら、ちょっと感動さえした。
彼らなりにララを本気で愛していたのだろう。
しかしながら、感動は続かない。
ララはブチ切れていた。剥がれたのは、化粧だけではなく化けの皮もだった。泣いて喜ぶハリード達をぶん殴り大暴れだ。
「ふざけんな!テメー!何やってんだよ、さっさと助けに来いや、クズどもがぁ。こっちはクソまみれで死ぬとこだったんだぞ、役立たず!贅沢させてやるって言ってたくせによぉ。挙げ句の果てに勉強勉強勉強勉強ってよぉ。お前らクソだ!お前らがクソだ!はぁ?平民?舐めてんの?はい、お別れですぅ!たった今から他人でーす!二度と、そのクソみたいなツラ見せんじゃねーぞ!」
そして、罵詈雑言を浴びせかけた。
ララのあまりの剣幕、あまりの口の悪さ、あまりの変わり身の早さ。糞を付けたまま呆然とするハリード達をよそに、彼らが雇ったメイド達が手袋をはめて登場した。
「では、お帰りください」
ララの左右から腕を掴むと、乱暴に引きずって行ったという。
「はぁ?風呂と着替えを用意しなさいよ」
「ハリード様と他人でいらっしゃる方はお引き取り下さい」
「ああ?アタシを誰だとおもってんのよ!」
「不法侵入者です」
「ふざけんな、アンタ達、散々、アタシに憧れてるとか、美形の令息に愛されてて羨ましいとか言ってたじゃないのよ!雇い主に対してこんなこと許されると思ってんの!」
「主人はあなたではありません」
ララはウンコまみれのまま、王宮から追い出された。そしてメイド達は世話をする相手がいなくなったからと、3人とも暇をもらうと言って姿を消した。
はい、確定。
メイド達は王妃の手駒だ。
初代レディ・ボットンとララが落ちたトイレは同じトイレだ。場所はそう、ララの滞在していた館であり、王と愛人が逢瀬に使用していた“エリンジウム館”である。
エリンジウム。
花言葉は「秘密の恋」。
エリンジウム館、不倫の館。
そもそも、人が全身すっぽり入ってしまう汲み取り式トイレなど、そうはない。わざわざ改造したのだろう。
おそらくだが、宰相達と奥方達の離婚が確定するタイミングで、何かしらの方法でララをボットン便所に落とす。後はハリード達が勝手に騒動を起こすであろう事は分かる。宰相達の意識を騒動へ逸らしつつ、離婚を成立させると共に、彼らを互いから引き離す事と、父親達から遠ざける事に成功した。
「いつから、下ごしらえを始めていたのかしら」
エリザベスはあの怪物の首を獲るなど出来る気がしない。だが、その怪物が暴れ出したら?止める力は蓄えておくべきだろう。
「まずは、お父様と話を付ける事からね」
元々はハリードと結婚し、第二子以降の子供がバーナード家を継ぐという約束だった。それがなくなった今、エリザベスが婿を取り、爵位は婿が継ぐ事になる予定だ。しかし計画変更だ。
ただ、その前に1つやりたい事がある。
「ねぇ、クレア。ララの実家は爵位を返上する事になったのよね?」
「はい、王宮に届け出がされました」
婚約破棄騒動の際、当然、ララの家にも慰謝料は発生している。しかしララの父は高位貴族に見そめられた娘に浮かれ、ハリード達がどうにかするだろうという希望的観測で、借金を重ねながら贅沢に走っていた。金銭的事情でどうにもならなくなり、爵位を返上するに至る。
「ララの家名は確か……」
「パットンでございます。“ララ・パットン”」
「ウヒャ!なんか、似てるぅ」
元貴族は爵位を返上しても、家名の使用が認められている。たとえ、ララの家が男爵でなくなってもララはパットンのままだ。
「聞いて、サラ。王宮は、今、大規模な人事改革で慌ただしいわ」
「あちゃー。文官もてんやわんやですよねぇ。申請書類、書き間違っちゃたりしてぇ」
「そうなったら、大変ね」
訂正申請にも改名申請にも、相当な額の金と時間がかかる。借金を抱えたパットン家には厳しいだろう。
「万が一の事があったら、可哀想だから確認してあげてちょうだい」
「はーい、かしこまりでございまーす」
そう言って、サラはサンルームテラスを出て行った。きっと、王宮に紛れ込ませている文官に連絡を取って、書き換えるよう伝えるのだろう。本当に優秀な侍女だ。
手足とはこう言う人材ですよ、ハリード様。
エリザベスは学園時代、ララに一切関わっていない。にも関わらず「キャ!エリザベスさんが睨んでるぅ」「エリザベスさんが怖ぁい」「エリザベスさんが意地悪するのぉ」などど言われていた。むしろ自分が名誉毀損などの虐めを受けていたと思う。
「“ありがとう”と“ごめんなさい”が言えない子は悪い子よね」
こうして、ララは本物の「レディ・ボットン」となる。




