05.もっと踊れエリザベス
「セスト様、おやめください。お手が傷付きます」
エリザベスはセストの肩に触れる。宰相はどうでもいいけど、宰相のかけていたメガネが割れて、セストの手が血まみれだ。
「エリザベス嬢、止めないでください。この男は」
「貴方の御母堂は弱い方ではありません」
「ですが!」
「それに、逆です。貴方がたの御母堂がお父上達を捨てたのですよ」
そう伝えると、ようやくセストの動きが止まった。エリザベスはセストの手を取り、ガラスの破片が刺さっていない事を確かめハンカチを巻き付ける。
「母が、父を……」
ややあって、そう呟くと、ハリード王子がセストに声をかける。
「大丈夫か、セスト」
それからジャスティンとファエルが彼に駆け寄り立ち上がらせた。
「立てるか?」
「さ、私達につかまって」
大丈夫ではないのは宰相の方だが誰も手を貸さない。ボロクズの宰相は一人でのそのそと起き上がる。口の中を切り、話しにくいようで、宰相は黙ったままだ。重要な時は大抵、この男がベラベラと話すのだが、そのような様子はない。それを見た騎士団長がエリザベスに問いかけ、大神官も訂正の言葉を紡ぐ。
「何かの間違いではないか?」
「そうです。我々は離縁など」
「いいえ、真実です。数ヶ月前に、御三方の家から離縁届が出されたと小耳に挟みまして、気になったもので王宮の担当部署に確認させて頂きましたの」
当初、エリザベスは息子の不始末の責任を取らせて、母親を離縁させたのかとも思ったが、それぞれの当主にとってメリットがない。彼女達は夫に代わり当主代行を務めているのだ。
また、後継問題もある。ジャスティンには妹のミリヤ嬢がいるので、婿を取って爵位を継がせれば良いが、この父親のために母親のいない家を継ぐ選択肢を取るだろうか。それにセストやファエルは兄弟や姉妹はいない。後を継がせたい者、例えば宰相の愛人の子供を後継にしたい場合、正妻の養子にしなければならない。しかし、そうするためには、また貴族女性と再婚しなければならないが、養子をとる事を前提とした結婚など、例え相手が宰相と言えど、まともな家ならば了承しないだろう。
また奥方達は届出を出した後も婚家を離れる様子はなかった。今思えば、秘密裏に離縁準備を進めていたのだろう。夫達が離婚届の差し止めをしないよう、気付かれないよう細心の注意を払いながら。
「そして、本日の夕刻の鐘の音の時間を以て、離縁届け差し戻し期間が終了致しました」
エルドラには様々な届け出に対し、停止をさせる事が出来る期間がある。それが今日までだったのだ。
「これにて離縁は正式に受理されましたわ」
そうは言っても提出先は王宮だ。要職に就いている夫達の耳に入らないようにする事は難しい。それを可能に出来るのは国王以外に王妃しかいない。
これは妻達の復讐だ。
「この後、御三方が出来る事と言えば、奥方、いえ元奥方に縋り付くしか御座いませんわね」
そして国王派の筆頭である彼らの失脚を狙った王妃の策略。突如、領主代行を失った家を放っておいて、その職を続けられるだろうか。
エリザベスはさらに踊る。
「陛下」
ことの成り行きをただ見守るしかしていなかった国王に向かって、深く首を垂れる。
「先ほど、私の願いは全て聞き届けて下さるとのお言葉を頂きまして、つきましてはエリザベス・バーナードは偉大なるエルドラの父に願います。ハリード殿下、並びにセスト様、ジャスティン様、ファエル様、4名に寛大なる処置を」
無言ではあるが国王の驚きが伝わってくる。なんせ、エリザベスとハリード王子はとても良好と言える関係ではなかったし、無実にも関わらず「真実の刑」にかけられるという屈辱を受けた。
「此度の事、さらに今までの事に対し、私、エリザベス・バーナードとハリード殿下とお三方との間で、すでに和解は済んでおります」
「無罪放免とは出来ぬ」
「もちろん、理解しております。ただ、彼らに償う機会を与えて欲しいのです」
国王が迷っているのには理由がある。ハリード王子達の罪を軽くするならば、他で調整をするしかない。この場合、彼らの家だがハリード王子の事があるので、王家が領地を没収する事は出来ない。ならば当主に責任を負わせる事になるのだが、当然、それにも国王が含まれる。
「だがバーナード嬢、そなたは彼らに辱めを受けたのだろう」
往生際の悪い国王だな。エリザベスはムカムカと腹が立ってきた。責任を放棄するな。父親だろう。国王だろう。
「いいえ、このエリザベス・バーナードは辱めなど受けておりません。“真実の刑”それが何だと言うのです。私に疾しい事など御座いません」
エリザベスは己を恥じない。エリザベスの信念は揺るがない。貴族なら清濁併せ呑む事もあるだろう。それが何なのだ、恥ではない。
「本当にそれを望んでいるのか」
ハリード王子達はエリザベスにとってはもはや無害だ。ならば、生きていようが死んでいようが、どちらでも構わない。むしろ有害なのは、お前達だ。
「はい、どうか。どうか、彼らに減刑を」
国益よりも民よりも、己の欲を優先させるお前達をエリザベスは潰したい。
「何卒、ご慈悲を」
そのためなら、その張本人に頭を下げる事など――。
「陛下」
ずっと、無言を貫いていた王妃が動いた。緩やかに手を頬に当て悩ましげな姿はひどく美しい。
「バーナード嬢には今もなお“真実の刑”が執行されております。その真の願いをどうして退ける事が出来ましょうか」
「だが、王妃よ」
「被害者の悲痛なる声を無視するなど、王家の信頼失墜にも繋がりますわ。宰相と騎士団長はもはや、その地位のままとはいきません。大神官様につきましては王家が進退を決める事は出来ませんが……」
王妃が大神官を見やると、彼は瞳を閉じて思案する顔をつくる。
「妃殿下の仰る通り、私も進退について考えるべきですね」
王妃はうなずくと、さらにハリード王子達を見た。
「彼らは貴族籍から抹消し、平民と致しましょう。またハリードにおいては、平民の管理官としてウェル・ドーナへ10年の任期を与える事とします」
ウェル・ドーナはエルドラの最西端にある孤島だ。あるのは森と山と野生の動物。人は住んでおらず、時折、王家から派遣された役人が訪れるのみ。そのような無人島に王族が送られる。もはや島流しや幽閉と言っても過言ではないだろう。温情を与えているようで、ハリード、一人だけ厳しい沙汰と言える。ならば、王家の償いはこれで十分ではないか。国王は心の中だけで、ほくそ笑む。
「よかろう」
満足そうに鷹揚にうなずく国王だが、これは悪手な判断だ。己の身に降りかからない形で、部下を切り捨てたのだ。ここには騎士も文官も、大神官とともに訪れた神官もいる。国王の振る舞いは皆に広まるだろう。
短絡的な国王は、己の権力が削がれてしまった事に気が付いてさえいない。それは特に致命的であると言える。
ハリード王子は馬鹿だが素直な性格だ。ハリードなら簡単に御せるだろうが、第二王子は革新派だ、王に迎合する事はないだろう。王宮で勢力を伸ばしつつある王妃にどう対抗していくのか。
国王の権威はその地位にある限り永遠に続くと信じているのだろう。だが今は……
「感謝致します」
再び、エリザベスは首を垂れる。
王妃様、貴女の手のひらの上で踊ったダンスは如何でしたか?
エリザベスは退出を許可された。さっさと帰ろうと思ったが、呆然と佇む、ハリード王子を見付け、せっかくだから声を掛けてやろうと近付いた。
「ハリード様」
もう平民になったので「殿下」の敬称は付けない。己がただの「ハリード」だと言う事を自覚しろよという気持ちを込める。ハリードは返事をしない、そういうのダメだからな。こっちは貴族でお前は平民だぞ。
「ウェル・ドーナの気候は比較的温暖だと聞きます」
割と過ごしやすいかもしれない。“住めば都”という言葉もある。ハリードはただエリザベスを見つめ返すだけだ。王妃に似た紺碧の瞳で。
「どうか、お元気で」
せいぜい頑張れ。もう二度と会うことはないだろう。
エリザベスが背を向け、扉から出ようとした時。
「エリザベス!」
ハリードの声が聞こえたが無視だ。貴族を呼び捨てにするな、無礼討ちされるぞ。呆れたエリザベスはそのまま部屋を後にするのだった。
「エリザベース!」
酷い婚約者だったことを自覚したのは、ほんの数時間前だった。にも関わらず、国王に深く首を垂れ己のために減刑を求めたエリザベス。死を覚悟していたのに、救われたのは傲慢だと思い込んでいたかつての婚約者おかげであった。
別れ際に、ハリードに激励の言葉を伝えるエリザベスに、自分は、ただ見つめ返すことしか出来ず。最後は背を見せる元婚約者の名を呼び続けるだけだった。
「エリザベスウゥゥゥ!」
廊下にまで聞こえるハリードの絶叫に、エリザベスは「うるさいなー」としか考えておらず。最後の最後まで相性の悪い二人であった。
これにて決着。
このあとは、その後の話しが少々あります。
気になるあの子はどこ行った?