表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

龍(ドラゴン)の生き血  ドラゴンスレイヤー族誕生秘話 

作者: 時輪 成


洗礼


 来た!

暗がりの中、罠を張って待っていた男たちは、手に持った盾や槍に力を込めた。

しかし低空飛行をしながら近づいてきた大翼龍は、繋がれた牛を確かに見たにも拘わらず、そのまま飛び去ってしまった。行く手は、、、

「野営地にむかっている!」

マックスの背筋に悪寒が走った。盾は捨て、槍だけを握りしめて岩山を駆け下りた。仲間が後に続く。野営地には女や子供がいる。

 遠くに煙が立ち昇ったのが見えた。今夜は火は使うな、と言ってある。大翼龍が火をかけたのだ。充分な距離は取ったと思ったが、、、甘すぎた。

 ミリアン!ハンス!マクシー!

 家族の顔や名前が頭の中で渦巻いた。マックスは先頭に立って必死に走り続けた。


 マックスたちは家畜のために草を求めて移動する遊牧民族だった。越冬のため宿営地に戻ってきたところを突如、大翼龍に襲われた。噂でしかなかった巨大な翼龍の攻撃が現実のものとなった。

 牛まで襲うというのはただの誇張、と皆、高をくくっていいた。だが、ウサギやネズミを食う、よく見かける翼龍とは確かに違った。ともかく大きさが違った。そして凶暴だった。武器を持ち、家畜を守る人間を恐れず攻撃した。

 ただ次の攻撃をを待っている訳にはいかない、準備し先制攻撃をかけることになった。だが、初めて経験した大翼龍の攻撃。色々な噂はあっても彼らに対する知識は少なく、まさか人間の裏をかく知恵があるとは誰も思っていなかったのだ。


 心臓がもうこれ以上、速くは打てない、と音を上げる寸前、マックスの足は止まった。

 眼の前に広がる惨状に足がすくんだ。味さえするような血の強い匂い。自分の妻が、、子が、、この中にいる、、、のか?。

「ミリアン!ハンス!マクシー!」

 繰り返し叫んだ。妻が着ていた服を探した。息子が研いでいた刃の欠けたダガーを探した。娘の小さな靴を探した。

 ああ、、。足が萎えて地面にへたり込んだ。血にまみれているのは、、、

  妻の肩掛け、、、

 「ドラゴンがまだいるぞ!」

 その叫びにマックスは槍を握り直し、立ち上がり走り出した。


 大翼龍には遠方の絶壁を背に、輪になり集まっている人々が見えた。近くの罠の牛を取ってやろうかとも思ったのだが、槍や剣を持ち、待ち構えている男たちにひと泡吹かせてやろうと、ひとっ飛びのところにいる人間を襲うことにした。

 小賢しい!ニンゲンの分際で!

戦いにも出られないひ弱なニンゲン、罠を張った連中の家族だと思うと残忍な喜びが龍の心を満たした。舌なめずりをしながら龍は飛んだ。


 巨大な岩山の麓で冷たい食事を終えて、人々は大翼龍狩りに出ている夫や若者たちを思って静かに寄り添っていた。距離を取っているとはいえ鋭い嗅覚や聴覚を持っているという大翼龍が相手、会話はなるべく控え話すときは短く囁いた。

「ドラゴンが来るぞ!」

 見張りが飛んでくる龍に気付いた。人々は立ち上がってバラバラになって走り始めた。固まっていては狙われやすい。その一方で数人は槍と盾を持って一ヶ所に集まり、そのまま超低空飛行でやってくる龍を待ち受けた。

龍はふわりと彼らをかわし、そして尾の先で薙ぎ払った。その勢いですっ飛んでいった体は無視した。

柔らかそうな肉を見つけたのだ。柔らかそうなニンゲンが更に柔らかそうな子供を抱えて、絶壁に開いている隙間に走り込もうとしていた。

巨大な口を開けて龍は二人を襲った。

 ぐぁ!

 龍は激しい痛みを口に感じて怯んだ。気にも止めていなかった小さなニンゲンが彼の開けた口にダガーを投げつけたのだ。首を振ると刺さっていた刃物は抜け、血が飛び散った。

龍の血がそのニンゲンにも降り掛かったが、彼は臆しもせず今度は槍を構えた。

 小さくとも敵だ、と大翼龍は悟った。鋭い爪のある前足を振り上げ、そして下ろした。手応えがあった、と思ったが、その時までに子供を岩穴に置き、槍を持って戻ってきた女に反対側から突き刺された。女は槍はそのままに、怪我した子の手を引っ張って穴の中へと逃げ込んだ。子供の顔は血まみれだ。

龍は怒って火を吹き付けた。肉の焼ける匂いを待ったが、それはなかった。遅すぎたのだ。

数回さらに火を吹いてから、前足を岩穴に突っ込んだ。今度は鱗の薄い平を刺された。

ならば、と穴の入り口を広げようとした。岩は脆く、簡単に崩れ落ちる。

 これは好都合、龍はほくそ笑んだが、誰かに後ろから突き刺された。だがそれは尾を一振りすればよかった。

 しかし身も心も劣ったニンゲンの逆襲に龍はますます怒り狂い、肩まで穴にぶつけて前足を突っ込んだ。また刺された。龍はもうかまわず、そうすれば全身が入るほどの穴が開くのだ、と言わんばかりの勢いで体ごと岩山にぶつけた。それは間違いだった。入り口が広がるかわりに、上から巨大な岩が落ちてきて龍の頭を押しつた。


「ミリアン!ハンス!マクシー!!」

 マックスははかない望みを抱きながら、龍の体が塞ぐほら穴にわずかな隙間を見つけて入り込んだ。答えはない。

誰かが松明を持ってきて内部を照らした。 

頼りない火に照らされて、呆然と立ちすくむ人影が浮かび上がった。

 女が血まみれの手で剣を握りしめ、もう一方の火傷した手で小さな子を抱いていた。その子はぐったりとし、泣くことすらしていない。そしてそのそばには男の子が槍を持ったまま佇んでいた。顔にも手にも怪我をして肩で息をし、父親にも気づかぬようにただ立ちつくしていた。

マックスは我が子に触れそっと揺すったが、それにも子供は反応しない。

途方に暮れてミリアンを向き、彼女の髪に触れ何事かささやくと、妻はようやく我に返った。その目に涙が溢れた。

 子供はおぼろげに、父のたくましい腕が彼を抱きしめるのを感じた。

「よくやった、よくやった!ありがとう!ハンスよくやったな!」

「父さん、僕は家族を守ったよ」

 それだけ言ってハンスは倒れた。

 追い詰められても、なおも槍や剣で龍を追い払おうと懸命なな努力を続けた気丈な子も、父の感謝の言葉に心が萎えて気を失った。


 大翼龍の血を被った、というハンスの話を聞いて、マックスは驚いた。

龍の血は毒だ。大翼龍と戦う時は、肌に油を塗ったり、獣の皮で残さず覆って血に触れないよう細心の注意を払わなければならない。それがただの噂ではない、と前回襲われた時に実感した。龍の血に触れたものは、たとえ死ななくとも気が触れた。


「何をする!」

 バルは怒りの声を上げハンスに殴りかかった。子供はギリギリのところで彼の拳をかわした。

地面にのんびり横たわっている大翼龍を見つけ、皆で囲んだ。バルがクロスボウで丘の上から矢を射ろうとした時のことだった。前回の活躍で大翼龍狩りに加わることを許されたハンスが、バルの腕を押したのだ。大した力ではなかったが意図的であるのは明白だった。

 矢は標的をそれて大翼龍の直ぐ側の地面に当たった。驚いた龍は反撃もせずに飛び去った。

「あのドラゴンは無害だ」

 ハンスは言った。

「無害なドラゴンなどいるものか!」

 なおも彼を殴ろうとするバルをマックスがなだめた。

「兄さん、ハンスはまだ子供だ」

 バルはマックスの兄で、ハンスにとっては伯父にあたる。勇ましく強い男だった。部族のリーダーで、何でも先頭に立って指揮にあたっていた。

「ハンス、なぜそんな事を言うんだ?バルの言う通りドラゴンはみな、危険だ」

「あれは、、、牛や僕たちを襲ったりしない、ただの翼龍だ。年を重ねて大きいだけの」

「俺には同じに見える!」

「でも違うんだ!」

 バルの怒声にもハンスは怯まなかった。

「何故わかるんだ?」

 マックスは不思議に思って息子に聞いた。

何故と聞かれても答えようがなかった。

「見えるんだ。わかる。母さんもそう言った。ドラゴンたちの心が聞こえるって。あの龍には人を襲うような激しさはなかった」

 ハンスは父親をまっすぐ見て言った。バルとマックスは顔を見合わせた。


 ハンスは変わった。いや、彼だけではない。ミリアンもマクシーも変わった。

手にも背にも火傷を負ったにも関わらず、ミリアンは驚くほど早く回復した。ハンスの傷も間もなく癒えた。しかし幼いマクシーは声を失った。火傷の傷はすぐに治ったのだが、快活で笑いを絶やさなかった子供が物言わぬ子になった。

怪我が回復するまでは当然のことのようにも思えたが、三人とも元気になってからもどこか上の空でいることが多くなった。彼らはなにか他の人々には聞こえない音を聞き、見えないものを見ようとするかのように、しばしば緊張して黙り込んだ。


「ミリアン、何が気になるんだ?教えてくれ」

 三人の共通の沈黙に耐えられなくなって、ある晩マックスは妻に聞いた。

「ヒトのものではない何かの声が聞こえるの」

 気が触れたのか、とマックスは思った。ハンスだけではなくミリアンたちもまた、大翼龍の血を被ったのではないか?やはり龍の血は毒なのだ、、、。

「気が触れた、と言われても仕方がない。あなたもそう思うのね」

 それは問いかけではなく確認だった。夫は言葉に詰まった。

「でもハンスも何かが見える、と言った。マクシーは何も言わない、、でもわかる。何か感じているのよ」

「その声はなんと言っている?」

「言ってるわけではないの。でも聞こえるの。わかるのよ」

 彼女は聞き耳を立てるかのように黙った。夫は疑い深そうに顔をしかめたが、それでも妻が言葉を続けるのを待った。

 暫くして、彼女はようやく口を開いた。

「、、、ここから、北の山脈に向かって人の足で三日ばかりのところにあるほら穴にドラゴンがいる。眠っているけれど、何故かこの近くにいたドラゴンが死んだのを知っている。広がった彼の縄張りを夢に見ている。お腹が空いてきたから、もうすぐ目を覚ましてここまで餌を探しに来るでしょう」


ハンスに確認すると同じことを言った。彼らが正しいかどうか調べる方法は一つ。マックスは息子を連れて眠っている、という大翼龍を探しに行くことにした。

「他の者をつけてやることは出来ない」

 バルに言い渡された。

彼は雄牛の角に突かれて大怪我をしていた。注意深い彼にしては珍しいことだったが、誰にも隙をつかれる、ということはある。牝牛たちが仔を産む時が近いのだ。小さな子供も手を貸すこの時期に、いるかいないかわからない龍の探索に人手を割くことはできない出来ない。第一、わざわざ探す必要もない。大翼龍はやって来る、というのだ。守りを固める必要があった。マックスが宿営地を離れる、ということ自体がバルの気に入らなかったのだ。

「見に行くだけだ。妻や子の言っていることを確かめたい。眠っているなら戦う必要もない」

 そう言ってマックスは息子と旅立った。


別離


 春先のこと、山はもちろん平野でもまだ雪が残っている。わずか三日の道のりとはいえ容易ではなかった。大翼龍を遠くから見るだけのつもりでも、実際は何が起こるかはわからない。荷物となっても武器は欠かせなかった。


 山越えでは季節外れの吹雪に襲われた。三日どころかその倍以上かかった。それでもあと一息のところまで着いた時、ハンスが突然足を止めた。

「ドラゴンが目を覚ました!」

 何故わかる?マックスは息子を見た。しかし訳も分からぬうちに、下に広がる森の木々が大きく揺れ動くのが見えた。

「まずい!見つかった!」

 ハンスは父親の腕を掴んで反対側の谷へと斜面を走り下りた。

しかし間もなく大翼龍の翼の音が真上に聞こえた。

「先に行け!」

 マックスは息子の手を振り払って叫んだ。

「父さん、小川まで行けば隠れる場所がある!」

 しかしそこまでたどり着ける時間があるとも思えなかった。マックスはクロスボウを構え、素早く一発放った。目を狙ったのだが外れた。威力あるクロスボウとはいえ体に当たっただけでは鱗に跳ね返されてしまう。龍は尾を大きく振った。ハンスは難なくそれを避けた。予期していたのだ。しかしマックスは避けきれなかった。

 倒れかかる父の腕を再び掴んで、ハンスは斜面を転がるように下った。大翼龍が火を掛け、あたりの茂みからも火の手が上がる。身につけていた雄牛の皮で頭を守ったが、厚い皮を通しても焼けるような熱さを感じた。

 小川が見えた。躊躇せず飛び込んだ。マックスは唸り声を上げた。調べなくとも父が大怪我を負ったのはわかった。ハンスはそのまま彼を引きずるようにして、川のそばのほら穴に潜り込んだ。

 ある、と知っていた。守りがあるとわかっていた。なぜ、と聞かれても答えようもない。

狭い入り口、しかしほら穴は深く、内部は広かった。二人は沢山の目に囲まれていた。地龍だ。龍とも言えない小さな生き物。

 大翼龍から逃げて、地龍なんかに殺されるのだろうか?と思った瞬間、ほら穴に火が吹き込んできた。大翼龍がすぐそこにいる。入り口は大翼龍が入れるほどの大きさではないが、このまま火が入り込んでくれば空気は薄くなり息ができなくなってしまう。

 ああ、前に起こったことが繰り返される、ハンスは凍りついた。

その時、マックスがクロスボウで矢を放った。大翼龍が頭を突っ込んできたのだ。今度は手応えがあった。唸り声が聞こえた。

そしてそれが合図のように、暗がりで人間と同じように縮こまっていた地龍たちが一斉に穴の入り口へと走り大翼龍の頭を攻撃し始めた。ハンスも父の手からクロスボウを引っ掴みもう動くこともできないような彼のかわりに矢を射った。矢がなくなると槍を取って突き刺した。それが折れると剣を使った。


 どのくらい経ったかよくわからない、入り口を塞いでいた大翼龍の頭が消えていた。光が差し込んできた。ハンスは父親を見た。酷い怪我をしていた。

 ハンスは何を思ったのか急に立ち上がって外に走った。大翼龍の死体が転がっていた。地龍たちは傷を舐めたり、あるいは呆然としているようなものもいて、ハンスが近づいてもなんの反応もしなかった。

成り行きとはいえ一緒に戦った仲間、その仲間を襲うつもりはないようだった。ハンスはシャツを脱いで大翼龍の血に浸した。それを持って父親のところに戻った。

「父さん、気をしっかり持って」

 そう言って父親の傷を布で拭った。だがそうした瞬間にハンスは悟った。この血には力がない、と。

「すまなかった。お前を信じなかった報いを受けた」

「そんなことない。そんな事、言わないでよ」

 ハンスは持っているはずの薬草の袋を探したが、そんなものはいつの間にかなくなっていた。為すすべもなかった。もしかすると薬草は川岸で見つかるかもしれない、、、。

「そばにいてくれ。長くはかからん」

 父親はハンスの心を読み取ったかのように言った。

[大丈夫だよ、父さんは強いもの。少し眠ればよくなる」

「お前は強い子に育ったな。母さんや妹を頼む」

 それからマックスは静かになった。彼の身体からぬくもりが消えて行く。ハンスは静かに涙を流した。

 地龍たちが集まってきた。ハンスの膝にも届かないような小さな龍たち。今までなんの注意も払わなかった心など持たないような、地面に穴を掘り隠れ住む龍たちが何故か人間の死を悼んでいる。気のせいかもしれなかった。それでも、音も立てずそばにいる地龍たちがなんとも愛しかった。


 しばらくしてハンスは父の遺体を埋めなければならないことに気がついた。

道具無しで穴を掘るには労力も時間もかかったが、ふと気づくと地龍も穴掘りに協力していた。意識的にしているのかどうかはわからない。ただ地中の虫を探しているのかもしれないが、ともかく穴を掘るのを手伝っているように思えた。

地龍の協力で獣に掘り返されない深さの穴ができ、ハンスは父の亡骸を埋めた。


 泥と血にまみれた自分の手を眺め続けた。手の痛みに集中しなければ悲しみでどうにかなってしまいそうだった。しばらくして心に浮かんだのは、なんと母に伝えればいいのだろうか、だった。

考えていると人の気配に気がついた。顔をあげると母と妹の姿が目に入った。一瞬、亡霊かと思った。青ざめた二人の顔。

「どうしたの?いったいなにがあったの?」

 母親は黙って自分とマクシーの手や腕を見せた。いくつもの傷が並んでついている。

「なんなのさ?」

 嫌な感じがした。聞きたくないことを聞かされる気がした。

「バルが怪我をしたのは覚えているでしょう?何日経っても少しもよくならなかったことも。あなたたちが出発して少しして、誰かが言ったの。私の血が傷に効くって。それで、、、私だけ、と思って我慢した、、皆が寄ってたかって、、古傷にもつけ始めた!それだけじゃない!マクシーまで!私たちの血を!人の血を!あんなの人間じゃない!」

 静かに話し始めた母親の声がしまいには叫び声に変わって、彼女は泣き崩れた。ハンスは頭が混乱して、ただ泣き続ける母親を見ていた。

 やがて母親は顔を上げてハンスが新しく作った塚を見た。ハンスは黙っていた。父の最期について言う言葉が見つからなかった。

「バルは厳しいけれど強くて公平な人だったよ」

 ハンスはようやく口を開いた。

「経験したことのない極限状態に追い込まれたとき、人は試される。とても勇敢なバルだけど、いつまで経っても治らない怪我にきっと心が弱っていたのよ。弱い人間は聞きたいことしか聞かない。見たいものしか見ない」

 訓練をつけてくれても、たまによくやったと褒めてくれても、父はどこか遠い存在だった。ハンスは彼がどんなふうに家族を守っていたかを理解していなかったのだ。

強くて勇敢な父親がいる、というだけで家族すべてが敬われ守られていたなど知る由もなかった。毎日、共に家畜の世話をし助け合ってきた仲間が、同族の人たちが、、自分たちを傷つけるなどとは夢にも思わなかった。

 極限状態に追い込まれたとき、人は試される、、。父さんは大怪我しても死ぬ直前まで戦った。僕が恐怖で凍りついていたとき、矢を放った、、。

それが頭が空白になり何もできなかったハンスを奮い立たせたのだった。

 危機を目の前にしてどうすれば的確な行動がとれるのだろう?

わからなかった。

 

 三人はほら穴で地龍たちと暮らし始めた。地龍はハンスだけでなく他の二人のニンゲンの存在にもすぐ慣れ、別に気にもとめていないようだった。

マクシーにも変化が現れた。彼女がまた話をするようになったのだ。それでミリアンとハンスは気づいた。彼女は大翼龍に襲われて恐怖のあまり言葉を失ったのではない、と。彼女が恐れていたのは、周りにいる人間、仲間であるはずの人間たちを、言葉を発するのもできなくなるほど恐れていた。

人の世界から離れ地龍たちの間で、彼女は言葉を取り戻した。

 地龍は大翼龍の死骸の、川とは反対方向に溝のようなものを掘っていた。虫やら木の芽などを探して食べる以外は溝を彫るこのに集中していた。

 何をしているのかはすぐにわかった。大きすぎて動かせない大翼龍の身体を、穴をほって埋めようというのだ。川のある方が坂の下だ。そちらを掘る方がずっと楽なはずなのにそうしないのは、少しでも水から離れたところに埋めようとする知恵の現れなのではないか?

 ハンスが父の墓を掘っていたとき、彼らは意識して手伝っていたのだ。彼らは人の遺体を大翼龍より早く埋めなければならない、と知っていたのだ。

小さな地龍は人間が思っているよりずっと賢いのだ、とハンスは驚き呆れた。

ハンスたちも彼らに協力しようと思ったが、ただ埋めたくなかった。大翼龍の死骸を観察し知識を得るチャンスだった。


 大翼龍の頭は血まみれだった。確か地龍たちが攻撃していた。自分も手伝った、とおぼろげな記憶が蘇ってきた。槍が折れたのは覚えているが、どこをどう攻撃したのかは思い出せない。無我夢中だったのだ。

 しばらくしても大翼龍の死骸には動物はおろか虫さえ寄ってこなかった。もしかすると大翼龍の肉を食べるものがいないのではないか?

なぜかと不思議だったが、地龍も野獣も食べない肉を食べたいとは思わなかった。

皮を剥ぐことにとに決めた。

 人々は血に触れることを恐れて、誰も大翼龍の死骸を解体などしなかった。利用したのは、時々出くわした日晒しになった大翼龍の屍。牙や、胸の一番大きな鱗。

牙は鋭く刃物として重宝したが、鱗は美しいから、というだけの飾り物にすぎなかった。部族のリーダーだけが身につけることを許された輝く巨大な鱗。クロスボウも歯が立たない程の強い鱗なのに、死んだ龍の鱗は何故か脆かったのだ。

 だが、ハンスたちはもう龍の血などでは怯まなかった。実験できる材料を手に入れ、止めるものがいない今、何かを試みることは、当然のように思えた。



遭遇


「おやおや、ヒトが地龍と一緒に暮らしているのか」

 という声を聞いて三人は驚いて跳び起きた。夜はまだ若かったが、ハンスたちはほら穴の中で寝そべっていた。何かあれば地龍たちが警戒音を発する、と油断していた。武器も手元になかった。

「何もしないよ」

 男は言った。背の高いたくましい男だ。月の光のような髪はハンスが見たことのない色だった。ハンスより少し年上の男の子を後ろに従えている。

「俺はシュリンクという。息子はエダー」

 ハンスたちも名乗った。

 男には邪気がない。危険はない、と感じたのだが、一方では仲間すら信用できくなったという意識が強く残っていて、油断はできないと思った。

地龍たちは無視している。いや、それどころか仔龍たちは男の足元にある袋を破こうと、噛んだり引っ張ったりしている。男の存在に慣れているようだった。

「袋を破るな。今、開けてやる」

男は袋を開けて逆さまにした。木の実のようなものが地面を転がった。仔龍のだけではなくオトナの地龍も寄ってきた。

「地龍のひすいを取りに来たんだ」

 エダーは小刀を取り出して岩壁を削っている。見れば壁のあちこちが淡く光っている。今まで気づかなかったのが不思議だ。

「普通は光らない。これが地龍ひすいを光らせる」

とシュリンクは小さな袋をポケットから出した。袋自体が淡く光っている。取り出した中身は琥珀色のクリスタルのように見えた。

「これはドラゴンのクリスタル。龍族にはこんなものを作る特殊な臓器があるんだ。地龍たちが作る白濁した黄色いものを地龍ひすいと呼んでいる。今日はそれを集めに来たんだ」

 地龍たちは木の実を齧りながら、たまにニンゲンの行動を見ていた。

「ただ持っていくと攻撃される。木の実で取引ってわけさ」

 ハンスたちがなにか言う前に

「手懐けるには苦労したんだ。でもその価値はある。地龍ひすいには守りの力がある」

 やはりそうか、ハンスは自分が正しかったことを知った。小川のそばのほら穴が安全だ、という心に浮かんだイメージは正しかったのだ。

「お前たちは地龍と一緒に大翼龍を倒したんだな。堂々仲間入りを果たしたわけだ。大したものだ」

 ほら穴の前に未だ鎮座している大翼龍の解体途中の死骸から推測したのだろう。

「ドラゴンの新鮮な肉を食うものは少ない。大抵のものは避ける。だがしばらくすると変化する。まあ、腐るんだよ。そうなると普通の肉と同じだ。獣を惹きつけるからその前に何とかするんだな」

 男は知識の宝庫のようだった。

「新鮮な肉を食うものは少ないって、でもいるっていうこと?」

「一部のドラゴンと俺たちが食う」

 シュリンクは大胆不敵に笑った。

「生肉は覚悟して食う。場所によってはドラゴンの不可解な力が残っていて、毒にも薬にもなる。その力は俺には熱いように感じるよ。安全に食えるようになるのは干したり塩漬けにしてからさ。試行錯誤だ。お前らも色々研究しているようだな?鱗は熱処理をすると強くなるって気づいたか?」

 ハンスは首を横に降った。

「新鮮なうちに熱処理するんだな。今のは親切な人間からのアドバイス、と思え。皆が皆、敵というわけではない」

 緊張したままのハンスを見てそう言った。ミリアンも疑い深そうにマクシーはをしっかり抱いて、シュリンクたちを睨んだままだ。

「お前らは人間の仲間に追い出されたか?龍の生き血でも飲んだのか?」

 シュリンクは訳知り顔で言った。

「飲んでなんかない」

「被ったか?」

 何もかもお見通しのようだった。三人は頷いた。

「俺たちはここからも見える三角の山を超えたところに住んでいる。妻はずっと前に死んだ。二人暮らしだ。気が向いたら遊びに来い。ドラゴンの血を被ったお前らには、心を澄ませれば俺たちの住んでいるところはわかる。この辺を縄張りにしていたドラゴンが死んだから、守りの力は抑えているんだ。省エネっていうやつさ。次のが来るまでひと息つける。

お前たちのおかげのようだ。だからもう一つアドバイスしてやる。ドラゴンの血は毒、というわけではない。俺たちの知らない力があって、それに耐えられる人間は少ない。大抵のやつは血に負ける。気が狂う。狂死する」

 それはハンスたちも気づいていた。

「ドラゴンが死ぬとその血も間もなく死ぬ。生き血だけに力が宿るんだ」

 父を救おう、と考えてシャツを浸したちには力はなかった、ハンスは思い出した。

「俺たちはその力を手に入れた。そしてこの力を使いこなせれば、人はドラゴンに対抗できる、と考えている」

 そう言ってシュリンクとエダーは去っていった。

 

 彼らを信じていいものかわからないが、数日経ってハンスは決心した。

「シュリンクを探しに行く。聞きたいことが山ほどある」

 一緒に行く、という母を止めた。どこまで信用できるかわからない。

「まず僕が言って確かめる」

 しかし母親は反対した。

「もう残されるのは嫌なの。近くまで一緒に行って隠れるわ。危険があるようだったら助けに行く」

 そのほうがいいのかもしれない、とハンスも考え直し三人で三角山を目指して出発した。


 シュリンクの言った通り、山に入り心を澄ますと人の気配を感じた。母たちに待つように言い、一人で歩き出した。少し進むと小屋が見えた。シュリンクがその前に立っていた。

「用心深いのはいいが、家族と来たのはわかっている。呼んでやれ。香草茶くらい淹れてやる」

 そう言って外にあるテーブルやベンチを指し、自分は家の中に入った。

注意深く辺りを見回してからハンスは母と妹を呼んだ。三人がテーブルにつくとどこからかエダーが現れて、やあ、というような挨拶をしながらテーブルの反対側に座った。人の気配を調べたはずなのにハンスは気が付かなかったのだ。

 間もなくシュリンクがお茶やら食べ物を持って来た。エダーが早速、手を出した。

「お客が先、と言いたいところだが毒が入っていると思われると困る。お前が先に食べろ」

 エダーは肩をすくめて

「つぶつぶの入ったのが一番美味しい。これは美味しくないけど栄養があるから食べないと怒られる」

 と小さな丸いものを一飲みにした。

「ちゃんと噛んで食べろ」

「だってまずいもの」

「ドラゴンの乾燥肝。栄養がある。味は保証しない」

 とシュリンクは自分でも手にとって口に放り込んだ。彼はちゃんと噛んで食べた。ミリアンはおそるおそる、といった様子で彼に続いたが、できる限り小さくかじった。

「苦い!」

「苦いところいいのさ。良薬、口に苦しと言うだろう」

 ハンスとマクシーはその苦いものは遠慮して、エダーが一番美味しい、と言ったビスケットのようなものを食べた。本当に美味しかった。

「これは何?」

「香草の種入のビスケット」

「はちみつも入ってる。僕が見つけたんだ。こっちははちみつ入り香草茶」

 と自慢気に白く濁ったお茶を飲んだ。

ハンスもようやく緊張を解いて飲んだり食べたりしていると、地龍が一匹寄ってきた。前足の先の部分がなかった。エダーが立ち上がって地龍を連れて近くの草むらに行った。マクシーもついて行った。ミリアンは彼女を止めなかった。

「手を怪我して死にかけていた。手の先がなくて土を掘れないんだろうな。虫を探せないんだよ。草は食えても栄養失調みたいになって、やせ細っていたのを息子が連れて帰ったんだ。俺は放っておけ、と言ったんだがエダーは自分が面倒を見ると言った。役立たずのものを飼う余裕はないんだが、まんざらそうは言えないことがわかった。知らないものが近づくと警告してくれる」

 それでハンスたちが来たのを知ったようだ。

「シュリンクさんはどうしてドラゴンの、、、存在を感じられるようになったの?血を、、、飲んだの?」」

 さん、はやめてくれ。シュリンクでいい。と彼は言った。

「俺じゃない。俺の母親が被ったんだ。口にも入ったらしい。他にも二人、、、一人はすぐ死んだ。俺の父親さ。俺を身ごもった母を守ろうとしたんだろうな。だから父のことは知らない。母のこともあまり覚えていないが、よく緊張して耳を澄ませていた。ドラゴンの心が聞こえる、と言った。皆は彼女が大翼龍の血に触れて気が触れた、と言った」

 同じだ、とハンスは思った。ハンスの仲間たちもそう考えたのだ。

「だが母は、俺にも聞こえるなら、聞こえないふりをしろ、と言った。彼女は正気だったんだよ。ドラゴンの、、、心の声のようなものが聞こえるようになって、自分でも気が狂った、と初めは思ったのかもしれない。しばらくするうちにわかったのだろう。だが周りの人間は彼女の気が触れた、と決めつけた。血を被って生き残ったもう一人の男は本当におかしくなったから。微妙なところなんだよ。自分でもわからないくらいに。

 第一、聞こえるというのは適切な表現ではない。俺には何かが触れているような気がする。エダーはイメージが見えるという。人によって体感の仕方が違うようだ」

 地龍と戯れているマクシーの笑い声が聞こえた。奇妙な感じがして、そういえば龍に襲われほら穴に追い詰められてから、彼女の笑い声は聞いていなかったのだ、とハンスは気づいた。

シュリンクも彼らを見て頬笑み、笑い声を聞くなんて久しぶりだ、いいものだな、と言ってから、

「日が経つとさすがの大翼龍の肉をも腐り始める。その前に切って動かさないと獣がやってきて危険だよ」

 とハンスを見た。

ハンスは、実はその事もあってシュリンクに会いに来たのだ。母と小さな妹では大翼龍の尾を切るのもままならなかった。

 話を聞いてシュリンクは

「ま、賢明な判断だ。一度裏切られたからといって人を全く信じない、というのでは苦労が増えるだけだ。俺たちの直感は正確だ。特に危険な物に関しては。でも、、信じたくないことってあるよなぁ。一度自分の直感を疑い始めるとわけがわからなくなる。歪んでしまった直感を正すのは容易ではない。経験から言うんだ。よく覚えておけ」

 シュリンクは苦々しそうに言葉を切った。彼も仲間に失望したのだろうか?ハンスは考えた。

「ドラゴンに関して言えば、同じに見えても危険なやつもいればそうでないやつもいる。危険のないやつを攻撃する必要はない」

 あ、とハンスは思った。危険はない、とハンスが判断した大きな翼龍。大きいだけで危険のない翼龍もいるのだ。

「経験があるようだな。その直感は正しかったはずだ。攻撃されなかったろう?」

 再び言葉を切ったがハンスが答える前に、

「手伝ってやる。肉や鱗を分けて貰えるとありがたい」

 そんなものは山ほどあった。ハンスたちは同意した。


 日が暮れる前にほら穴に戻った。緊張して出かけたのに、戻ってきた時にはしばらく無かったほどくつろいでいた。おみやげに貰った干し肝を少しだけ齧って、マクシーが苦い、と顔をしかめた。


翌日からシュリンクとエダーが加わって本格的解体を始めた。

動かせる程度に切ることから始めた。龍の内部を見ようと切り裂いたのは「間違いだ」と言われた。コントロールして血抜きをしなければ、地面に染み込んだ大量の血はいずれ獣を引きつけるからだった。ある程度小さく切ると地龍たちがそれらを動かした。彼らだとて大翼龍の死体がほら穴の前にあるというのは嫌だったろうが、ともかく大きすぎて動かせなかったのだ。それで穴をほって埋めようとしていた。溝は穴といえるほどの大きさになっていたが、,それでも大翼龍の体全体を埋められるほどではない。

「龍の頭、貰っていいか?」

「どうするの?」

 牙は刃物として使うために、ハンスたちがとっくに抜いてしまっていた。

「頭蓋骨を除いて砂や香草で湿気を取るとミイラになって縮まる。売るんだ。魔除け、といって金持ちたちが高い金を出す。俺の家の前にもあっただろう?杭に載っている。獣よけにはなるが魔除けになるかどうかはわからん」

「龍の頭を縮めて売る?」

「だから父さんはシュリンクって呼ばれているんだ。シュリンクヘッド。頭、縮めるから。縮めた頭や頭蓋骨を肩にかけて市場を歩くと皆がそんなふうに呼ぶ。注目の的さ。シュリンカーやドラゴンスレイヤーって呼ぶやつもいる。僕はドラゴンスレイヤーが一番カッコいいと思う」

 エダーが言った。

「ドラゴンスレイヤー?」

 たしかにシュリンクより勇ましそうだ。

「僕はそう名乗っている」

「お前はドラゴンスレイヤーの息子だ」

 エダーはまだ大翼龍を殺したことはない、と白状した。

「でも、同じ血筋だもん。ドラゴンの血を被ったおばあちゃんの血統。ドラゴンスレイヤーの一族だ」

「それだったら僕らも同じだ」

 正確には一番はじめの大翼龍を殺したのは落ちてきた大岩だった。二番目のはハンスが父や地龍たちと共に倒した。まあ細かく言ったらきりがない。家族、皆がドラゴンスレイヤーだ、と言ったほうがインパクトがある。それに皆、毒だと言われる大翼龍の血を被って生き残った。

「自称、ドラゴンスレイヤー」

 シュリンクは息子を諫めるように言った。

「機会があれば父さんを手伝って、ドラゴンを倒す!」

 胸を張ったエダーはハンスには本当に勇しく見えた。だがハンスは自分がどんなに恐ろしかったか、そして、ただただ必死であったのを思い出して身震いした。エダーが大翼龍に立ち向かうとき、彼は今のように平静でいられるのだろうか?


 腐る前に大翼龍の死体をすべて処理できた。一部は地龍たちが埋め、他の部分は人間たちが利用した。

 この大仕事のあとの地龍の生活はのどかなものだった。

草や虫を食べ、腹がくちくなると日向ぼっこなどしてゴロゴロしていた。それに飽きると追いかけっこや掴み合いをして遊ぶ、というような生活ををしていた。

 家畜を育てるために草の豊富な土地を探して放浪し、有力者の土地を通る時は頭を下げ多額の通行料を払い、大翼龍から家族や家畜を守るために逃げ回り、時には戦う自分たちの今までの生活を思って、羨ましくもあり馬鹿馬鹿しくも感じた。仲間のもとに戻って、こんな馬鹿げた生活はもうやめよう、と言ってやりたくもあったが、それはもうできないのだと思うと心が冷たく重くなった。


 ある日ハンスはシュリンクとエダーの「訓練」というものをみせてもらった。

刃先は研ぎ出していない、というが剣を使っての真剣勝負。全力で振り下ろされる鉄の刃だ。骨が折れても不思議はないが、当たる直前で止めるのがルールだと言われた。しかし注意していても当たってしまうことはあり、そうすると防具をつけていてもメチャクチャ痛い、とエダーは顔をしかめた。二人ともスピードがあって相手の動きをよく見ているのは、しばらくして目が慣れてくるとハンスにもわかった。

 エダーの戦い方に目を見張った。シュリンクは大人だし強くて当たり前のような気がしたのだ。エダーはシュリンクのように力はなかった。大人ほどの筋力はないのだから当然だ。だが、それにも拘わらず、彼の振り下ろす剣には威力があった。

「柔軟性を活かして腕だけでなく体全体を使うんだ」

 エダーは身体をムチのようにしならせて剣を使う。全身の力が刃に集中する、という。僕にもできるだろうか?ハンスは考えた。

「僕にも教えてくれる?いえ、教えてください!」

 とシュリンクに頭を下げた。

「この戦い方には敵から目を離す瞬間がある、という短所もある。それを知って、それでも教えてほしいと言うならエダーに頼め」

「お願いします!教えてください」

 今度はエダーに頭を下げた。

「僕の初弟子としてしごいてやる」

 エダーは笑って言った。


 シュリンクの体の訓練だけではなく精神の鍛錬にもハンスは参加した。何度めかのチンプンカンプンな話のあと、思い切ってエダーに聞いた。

「エダーはシュリンクの言うことがわかるの?僕、全然わからないんだけど」

ハンスの父親は訓練はつけてくれたが、精神の話などはしなかった。精神エネルギーなどという言葉自体が摩訶不思議に聞こえた。

「はじめは全然、分からなかった。父さんはそれでいい、と言った。大切なことは繰り返す、そのうち分かるようになる。分からなくても覚えておけばいつか役に立つ、って」

 ハンスは半信半疑だ。何度聞いてもわからないものはわからない。

「今日の話に限って言えば、龍族には体の中に特殊な腺や臓器があって、そこで作られるものにはそれぞれの龍族の力が宿る、ということ。例えば地龍には口の中に特殊な腺があって、そこから出てくる液体は空気にふれると硬くなる。それを彼らは自分の住処の壁に塗るんだ。この地龍ひすいには守りの力があって、自分たちの精神エネルギーが外にもれないようにできる。大翼龍はクリスタルを作る。解体するとき見ただろう?これらを龍の貴石、と僕らは呼んでる。」

 ハンスたちが倒した大翼龍のクリスタルは、解体の時、大切に持っていろ、とシュリンクに言われた。きれいだったのでマクシーがそれを宝物のように大事にしていた。

「ドラゴンクリスタルには精神エネルギーを蓄える事ができる、と父さんは思っているけどそのやり方や使い方は研究中。君がわからないのは当然だ」


 食事の後はミリアンが教える番。読み書きや計算の仕方を彼女は子どもたち皆に教えた。ハンスには退屈なものだったが、エダーは知らなかった、といって熱心に聞いていた。

 ハンスたちはシュリンクの家で過ごすことが多くなった。季節が変わる前に、とミリアンたちが住めるようにそばに小屋を建て始めた。雪が降るようになったら行き来するのが困難になる。春が過ぎ夏も終わり、秋になっていた。


血の契り


「エダーたちはどうして二人で暮らしているの?」

 今までの話の様子から、彼らも昔は仲間と一緒に生活していた、とわかった。

不思議に思って聞いてみた。

「僕の母さんは僕を産んですぐ死んだ。僕は母さんの妹、つまり叔母さんに育てられた。父さんはいつも忙しかったから。頼られていたんだ。すっごく強いし、傷を負っても治るのも普通より早いんだ。

 でもある日、父さんは大怪我した。助けてくれるはずの仲間が出てこなかった。それを責めると皆は、お前の傷は治りが早いのに、なんで自分たちが怪我する必要があるんだ、と言い返された。

それで父さんは気がついたんだ。頼られているんじゃない、利用されているんだって。治りが少しくらい早くたって、痛いものは痛い。辛いものはつらいよ」

 エダーは自分が怪我したかのように、悔しそうに唇を噛んだ。

「利用するだけ利用して、助けてくれない仲間なんて仲間じゃないよ。それに父さんは僕も同じように扱われるんじゃないかって、心配し始めた」

 直感を信じたくないこともある、とシュリンクが言っていたのをハンスは思い出した。狂った直感を正すには時間がかかる、とも言った。

「僕たちは仲間から離れることを真剣に考えた。でも、僕は叔母さんが大好きだった。彼女をおいてなんて行けない、と思った。迷っているうちに彼女は病気になった。

 その時、言われたんだ。自分はもうすぐ死ぬ。遺灰は遠くの雪山に撒いてほしい、そしてそれを口実に皆から離れろって。ただ、出ていくなんて言ったら殺される。部族の長老たちは父さんがいずれ彼らの地位を横取りするって恐れている、そう言った。、、、僕らは彼女の助言に従ったんだ」

 僕の部族の人たちは助け合って暮らしていた。それが変わったのは僕たちがドラゴンの血を被ってからだっただろうか?はっきりその日を境に、とは言えない。覚えていない。しかしなんとなく周りの人々の態度が変わったのは感じた。自分が近づくと皆が突然、話を止める、そんな事が増えていた。

なにか大翼龍に呪われているんじゃないか、とハンスは思った。

「呪いなんかじゃない!この力はドラゴンに反撃することが可能な、そのチャンスを与えてくれる力だ!心の強い仲間を見つければいいんだ。共に戦い、助け合える仲間だ。そして彼らを見つけられる力も僕らは持っている!」

 それはきっとシュリンクがエダーに繰り返し言っている言葉なのだろう。

「君たちは僕らの仲間だ。だから父さんは君たちのための小屋を建てているんだ」

 仲間?ううん、違う、とハンスは思った。エダーはハンスにとっては兄のような存在になっていた。そう言うと、彼もそうだねといった。急に弟ができた、と笑った。


 痛!!とエダーが叫んだ。

「全く!誰のアイデアだ!?」

 二人のアイデアだった。マクシーの誕生日に、彼女の大好きな木苺パイの材料を手に入れようと藪の中に入った。つい夢中になって、いつの間にか密集した藪の真ん中にまで入り込んでしまったのだった。

「手も顔も引っかき傷だらけだよ」

「僕も同じだ」

 ようよう藪の中から抜け出した。僕のほうが重症だ、いや、僕の怪我のほうが酷い、と二人で傷を見せあった。

「絶対、僕のほうが傷が多い!」

 エダーがハンスの手を掴んだ。

 あっ!二人は同時に叫んで跳び上がった。

「い、今の何!?」

 わからない、とエダーは不思議そうに自分の手を見ている。

一瞬の衝撃。突然見た閃光、鋭い口笛の音、あるいは香草の種を噛み潰したときのきつい味。なんとでも表現できる不思議な感覚だった。その衝撃とともに自分の中に何かが流れ込んできたようにも感じた。何かははっきりしない。試しにもう一度手を握りあった。何も感じなかった。なにか悪いことをしたような気がして、誰にも言うのはやめよう、と同意した。


 しかし間もなく大人たちは二人の今までと違う様子に気づいた。

言葉をかわすことが少なくなったにも拘わらず、急に一緒に笑ったり、ものも言わず同時に立ち上がって二人で外に出る、というようなことを度々する。

 子供たちは問い詰められて何が起こったか白状する羽目になった。話を聞いてシュリンクは腕組みして考えていた。


 また少しして二人の大人は、マクシーを含めて子どもたちを呼んで言った。

「俺たち、、、ミリアンと俺も実験してみた。実験段階だが、これだけはわかった。傷と傷を血でつなぐと互いの力が流れ込むようだ。俺は今まで聞こえなかった音のようなものが聞こえるようになった。耳にではなく心に届く音だ。喋らなくても、遠くにいてもミリアンの声が聞こえるようになった」

「私は、、心になにか触れるような感覚が芽生えた。時に柔らかくて、時にざらざらしたものを感じるの」

「ドラゴンの血に触れて芽生える感覚は個人差がある。聞こえる、見える、味がする、、なんと言ったらいいかわからない新しい感覚だ。血が結ばれると、その感覚を人間同士で共有することができる。この感覚をもたらす力をサイキック能力、と呼ぶことにした。

 血を交わすルールも作る。血の繋がった者同士でではこの実験はするな。同じドラゴンの血を被っていたらなおさらだ。俺たちは家畜の改良をしてきたからその経験から言う。血の繋がりのあるものが交わると血が濃くなって災いが訪れる。交配をするわけではないから同じだと考える訳では無いが、危険は冒したくない。つまり親子、兄弟、、妹も、、血の繋がった家族、同じ龍の血を被った者との間では血の契りは結ぶな」


 エダーと外のベンチに座ってぼんやりと遠くを見ていたハンスは、あっと叫んだ。

「煙が上がっている!あれって、、地龍のいるほら穴の方向だよ!」

 何かとても嫌な感じがした。地龍たちが、、、

「襲われている!」

 じっとしていられなかった。一緒に戦った仲間だ。地龍といえども仲間だ!

エダーが、ハンスの肩をギュッと掴んで止めた。

「とめないでよ!ほっとけない!そんなことしちゃいけない!」

「大翼龍が火を掛けた」

「なんだっていい!助けなくちゃ!」

 エダーは肩を離さなかった。

「冷静になれ!考えろ!助けに行くならそれなりの準備をしなければ意味がない」

「準備?」

 シュリンクに知らせた。まだ小さなマクシーを連れていけない。当然、ミリアンも残ることになった。できる限りの準備をして三人は出発した。途中、シュリンクに言われた。

「俺の言うことに従え。口答えするな。走れと言ったら走れ。止まれと言ったら止まれ」


 地龍の住処とは違う方向の斜面を駆け下りた。なぜかと聞きたいのをなんとか我慢した。シュリンクが止まった。地面に耳を押し当てた。

「掘れ!」

 皆で土を掘りながらハンスはかすかな音に気づいた。地龍がたてる音、、、今までより懸命に掘った。

穴が急に開いた。地龍が転がり出てきた。十匹ほどいた。怪我をしているものもいる。

「このトンネルはあの川辺のほら穴に通じている。地龍のほら穴にはいくつものトンネルがあるんだよ」

「引っ張って!」

 エダーのくぐもった声がした。彼はトンネルの中に入り込んで足の先だけが外に出ていた。

「だめ、途中が狭くなってる」

「二手に別れて攻撃しよと思ったんだが。だめか」

「僕が行く。僕のほうが小さい」

「ハンス、条件は同じだ。俺の言うことに従えるか?」

「一字一句従うよ」


 トンネルの中は息が詰まりそうだった。一字一句従うとは言ったものの後退りして戻りたくはなかった。ハンスは自分を叱咤しながら進んだ。

ようやく馴染みのあるほら穴に着いた。何時間も這っていたような気がしたが、シュリンクは斜面を登って降りるくらいの時間だ、と言った。

音を立てないように入口に向かった。倒れて動かない地龍たちは無視した。悲しんではいられない。

入り口からは、川のそばに横たわっている大翼龍が見えた。満足気にくつろいでいた。地龍たちを食ったのだ。

こみ上げる怒りと悲しみを身悶えして抑え込んだ。大翼龍に気取られたらおしまいだ。幸いシュリンクに言われていにつけていた龍ひすいが守りの力を発動した。ハンスはシュリンクたちが攻撃するのを待った。

はやる気持ちを抑えて、待った。


 攻撃が始まった。ハンスはすぐにほら穴から跳び出し、言われた通り大翼龍の翼の付け根を狙ってできる限りのスピードでクロスボウを打った。下からでは頭は狙いにくい。翼の付け根は鱗が薄く狙い目だった。するとハンスが気づいてもいなかった地龍たちが彼の後ろから跳び出して来て、鱗を破って突き刺さった矢の周りを攻撃した。地龍たちはハンスを追ってトンネルを戻ってきていたのだ。

シュリンクとエダーは斜面の上から大翼龍の頭を攻撃していて、龍はハンスにも地龍にも構わなかった。矢がなくなると槍を使った。

 地面を揺るがす激しい衝撃。恐ろしい音。時間の感覚がなくなった。視界を遮る土埃、石や岩まで飛んできた。それらをなんとかかわしながら、必死に攻撃した。


 やがてハンスは土埃を割いて目の前に崩れるように倒れてきた大翼龍の頭を見た。

 やった!走って近づいた。

「よせ!」

 遅かった。いきなり龍が目を開け、口を開け、ハンスに襲いかかった。

 殺られる!ハンスは目を閉じた。

 

「心の目は決して閉じるな!」

 エダーの叱責の声に目を開けた。

 ああ!ハンスは恐怖の声を上げた。エダーの片手が血まみれだった。


 シュリンクが血止めの応急処置をしているのを手伝いながら、ハンスは後悔で胸が一杯だった。ごめん、ごめん、と繰り返した。倒れたからといって何も考えずに大翼龍に近づくなどは馬鹿げたことだった。龍はそんなやわな生き物ではないのだ。十分知っているはずだった。

「まあ、これで僕もドラゴンスレイヤーだ」

 エダーは胸を張った。危険に直面しても彼はひるまなかった。彼はハンスを責めるようなことは何も言わない。弟の命と引換えだから仕方ないよ、と言った。

 どうすれば咄嗟に後悔のない判断ができるのだろうか?わからなかった。

ハンスの心にエダーに対する今までの親愛の情とは別の、尊敬の念、といったようなものが湧き上がってきた。

 ああ、きっと、エダーが後で教えてくれるだろう。

 何週間経っても新しい大翼龍は現れなかった。現れても倒す自信はあったのだが。 


 季節は変わり時は過ぎ、ハンスは成長した。好奇心と冒険心に満ち溢れ、勇敢でありながらしかも冷静に考えることもできた。辛いことも、それに耐えることも知っていた。それでも夢や希望を持ち続けることができる、強い心も備えていた。


「一緒に行けなくて残念だ」

 シュリンクが言った。そばにはミリアンが寄り添っている。

「頼むから一人で大翼龍に立ち向かおうなどとは思わないでね。旅の目的は被害の調査、情報の収集なのよ」

 村や町の市場では、大翼龍の攻撃が頻繁になり被害も人口の多い地域にまで広まっている、という噂が流れていた。入念な準備をしての出発だ。ハンスは心を引き締めた。

「俺たちのような力と志を持ったものを探すことも忘れるな」

 とエダー。彼のそばでマクシーは涙ぐんでいた。

「必ず戻ってくる。俺がいないからって羽目、外すな」

 マクシーは肩をすくめてエダーを見た。彼も肩をすくめた。

皆と固い握手を交わし、抱擁を交わし、最後にハンスは小さな子供の前に跪いた。

「セリーナ、兄ちゃんは旅に出る。俺のこと、忘れるなよ。父さんや母さんの言う事よく聞いて、大兄ちゃんやお姉ちゃんの手伝いもちゃんとしろ」

 月光のような色の髪の女の子は頷いた。

愛する人たちとの別れは辛かった。しかし新しいものとの出会いに、期待で胸が高鳴っていたのも事実だった。

 歩きだすとハンスはもう振り返らなかった。まっすぐ前を見て進んだ。

昇ってくる太陽が行く手を照らす。

未知への旅だったが高揚感に包まれ、不安などはカケラもなかった。



                      完   















本編は2024年3月発売の「ドラゴンのささやき」の前身となる短編です。


ドラゴンのささやき」は本編より数百年後、大翼龍との戦いに圧勝しながらも時代の変化の中で彼らとの関係を見直すことを強いられるドラゴンスレイヤー族の物語です。

 龍族との共存繁栄を目ざすスレイヤー族のゼフィアス(通称、浜野高師)の前に現れる古の謎を中心に繰り広げられる冒険ファンタジーミステリー。この本に関しては下記のリンクをご利用ください。

https://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-24840-0.jsp

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ