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セフィロンの孤島  作者: 凛砂R
5/5

「透徹にして愚昧なるドラキュリア〈5〉」

※グロ注意

※一応、百合注意



コンコンコン、とノックが響く。



「どうぞ」

ユカは、パソコンのキーボードを打つ手を止めずに答える。


執務室に入ってきたのは、暗い顔をしたミューリであった。



「…メイリは、ドラキュラ化したよ。今は落ち着いている」

ひどく沈んだ口調だ。


「ミューリ。薬の効果は?」

ユカは、手を止めて顔をあげると、そう尋ねた。


「多分、効果あった」

ミューリは俯いたまま告げる。

「そうですか、それならよかった。明日にでも精密検査をしましょう」

安堵したような、めんどくさそうな、微妙な顔をしている。



「しかし、意外でしたね。あの精神薄弱がこんなことを言い出すとは思いもしませんでした。」

それはもちろんザキュラのことだ。

「それは…うん。私も、びっくりしたよ」


少なくとも二人の認識では、ザキュラが他人への接し方について相談しにくるなど、あり得なかった。正直なところ、ミューリもザキュラには社会的行動などできる訳がないと思っていたのだ。



「あれは…どういう感情なんだろう。友情にしては…」

ミューリはぼんやりと、先ほどのザキュラとメイリのやり取りを思い返す。

友情にしては、愛の告白じみていた。



「ああ、そもそもあの魯鈍(ろどん)には快感情の区別なんてつきませんから。友情も恋情も劣情も、ごちゃ混ぜなんですよ。あんな感情、もし私に向けられたらと思うと…絶対嫌ですね。怖気がします」



あからさまに鼻で笑いつつ、そう言った。

ユカの口ぶりからは、ザキュラを心底見下していることがよくわかり、その態度にミューリは顔を顰める。

ユカはため息を挟みつつ、続けて話す。


「しかし、これで取り敢えずはザキュラの秘書候補を見繕わなくてよくなりました。それに、メイリが人間を辞めたから、今までの介護じみたサポートももう要らないですね。ようやく…ようやく仕事が減らせます」


頬杖をつきながらそう言うユカには、二人に対して申し訳なく思う気持ちなど欠片も見えない。

ミューリは、自分でも気が付かないうちに、両手を握りしめていた。


「メイリの人生をこんな簡単に変えておいて、そんな言い方するの?」

いつになく柳眉を逆立て、睨みつける。

ユカにはその言動が面白くなかったようで、冷たく睨み返した。


「感謝はしていますよ?あの役立たずが、やっとこちらの足を引っ張らなくなったのですから」

ギリ…とミューリが歯噛みする。


「私の前で…友達の事を悪く言わないで」

今すぐにでも飛び掛かりそうになるのを、ぐっと堪える。


執務机を挟んで、お互いのひりつくような怒気がせめぎ合う。

今はメイドの少女もおらず、部屋には二人だけだが、もしこの場に第三者がいれば、たちまち胃を痛めることになるだろう。


一触即発の雰囲気の中、沈黙が続いた。




そして、先に口を開いたのはユカだった。

「じゃあ、“あなた”がメイリを手助けすればいいでしょう。あなたにあの二人に関する全権を委任します。私はもう関わりたくないので、あとはご勝手に」

ユカは憮然として、そう言い放つと、椅子を回し、背を向けてしまった。


大きな椅子の背もたれに隠れて、小柄なユカは見えなくなる。


「なに…それ…そんなの、無責任じゃん!!」

我慢の限界に達し、ミューリは叫んだ。怒りでわなわなと震え、つい、手が、ポンチョの中の小刀にのびる。


「これ以上話すことはありません」

姿は見えずとも、ユカの言葉には有無を言わさぬ威圧感が込められていた。



ミューリは、一度深呼吸をすると、小刀から手を離す。

もう一度背もたれを睨みつけると、すぐに踵を返し、黙って部屋から飛び出した。



手の甲で目元を擦りながら、黒と金の廊下を駆け去っていった。




広い執務室に一人残されたユカは、彼女の小柄さが際立つ大きな執務椅子の上で、膝を抱えて蹲っていた。

「やっぱり…ミューリも、“そう”なんですか…?」

酷く弱弱しい呟きは、華美な部屋の中に埋もれて消えていった。






________________________________________



石に囲まれた静けさの中、時計の音だけが響いていた。

視界が捉えているのは、天井だけ。

いい加減、天井の石材の凹凸を数えているのも飽きた。



ベッドに寝転んでいたメイリは視線を天井から横へ。

ベッドの傍の椅子には、ザキュラが座っていた。メイリの視線に気が付くと、どことなく嬉しそうな顔で、見つめてくる。

相変わらず、その赤い瞳から目を背けてしまう。そこは変わらないようだ。




ミューリが出て行ってから1時間程経った。

既に痛みはなくなり、記憶の混濁や知能の低下とやらもなさそうだ。

少し身体が熱いが、ドラキュラになった実感などは特にない。

本当に人間じゃなくなったのか、メイリは未だ信じられずにいた。


窓を見やれば、とっくに太陽は沈み、黒い天球に無数の星が瞬いている。

流れ込む風は、少し肌寒い。

今日はなんだか星がよく見える、と思いつつも、カーテンを閉めた。



何とはなしに振り返ると、ザキュラはまだメイリを見つめていた。

彼女はもう1時間くらい、ずっとここに座っている。これまでずっと感じていた恐怖はだいぶ軽減されたが、それでもやはり居心地は悪い。



「あ、あの…ザキュラ様?私、そろそろ寝たいと、思っていまして、その…」

メイリはおずおずと話しかける。


今日一日で様々なことがありすぎて、精神的に疲れ切っていた。

ザキュラの前でも、笑みで取り繕うこともなく、ぼんやりとしている程だ。


ザキュラは、それを聞くと不思議そうな顔をする。

「どうして寝るの?わたしたちは寝なくてもいいんだよ」

「えっと…」

メイリは言葉の意味を計りかねて、戸惑う。

だが、疲れているし、悪いが今は一人にしてもらいたい。



「す、すみません、疲れているので…寝たいと思います」

ちらりとザキュラの顔色を窺う。


ザキュラにしては非常に珍しく、あからさまに残念そうな表情をしている。

「んー…わかった。じゃあ、わたしも寝る」

そう言うと、おもむろに立ち上がり、とぼとぼと扉へ向かう。

思い出したように振り向き、

「メイリ、おやすみ」

と一言。


「あっ、おやすみなさい、ザキュラ様」

少し呆けていたメイリも、慌てて返事をする。

ザキュラはそのまま出て行った。



メイリはしばらく、ぼんやりと扉を見ていた。

(なんか…ザキュラ様の距離が…近い)

明らかに、距離が近いし、今でも乏しいとはいえ、表情もかなり豊かになった。会話の頻度も目に見えて増えた。

これも、相談の結果なのだろうか。



とはいえ、今優先すべきは寝る事だ。

メイリは立ち上がり、部屋の電気を消す。



すると

「…えっ」

暗くならなかった。



驚いて、電気のスイッチを入れる。すると、電気が点く。

また、消す。電灯は確実に光を発していない。


なのに、周囲が暗くなく、むしろ電機が点いている時以上に、細かい所までよく見える。

「…これが…ドラキュラの、眼」

そうとしか思えなかった。今までも、ずっと暗闇の中にいれば、徐々に周りが見えてきたが、それとは比較にならない。



ふと、カーテンを開け、空を見上げる。

そうだ、よく見れば、明らかに星の数が多い。


メイリは、嘆息する。夜目が効くというレベルではない。

ドラキュラが夜に生き、夜に適応した存在であることを、改めて理解した。



ようやく、ドラキュラになった実感が湧いてきた。



とはいえ…

「眠い…」

メイリは目を擦る。

ドラキュラの能力について確かめるのは明日でいい。今はとにかく寝たいと、ベッドに寝転んだ。

明日になるのが楽しみという感情を抱いたのは、いつぶりだろうか。

そんなことをつらつらと思いながら、メイリは目を閉じた。



のだが…



(…どうしよう、眠れない)

寝ようとしてから、どれだけ経っただろうか。

普段は寝付きのよいメイリが、全く眠れない。


疲れているのに、周囲を暗く感じないせいで、中々眠りにつけない。

それだけでなく、どうやら眼以外の感覚も鋭敏になっているようだ。


今まで気にならなかった僅かな物音が、よく聞こえる。

木材の軋み、風の音、遠くから聞こえてくるよくわからない音。

全てが気になって仕方がない。


その上、極め付きは、血の臭いだ。

人間だった頃は、微かに臭うくらいだった部屋に染みついた血の臭いと、死臭。

それが今でははっきりと嗅ぎ取れる。


その上、全く不快感がないどころか、それを嗅いでいると、徐々に体が熱くなってくる。

そんな自分の感覚の変化にも驚いたが、とにかく、そんなこんなで眠れないのだ。




「どうしよう…」

早く寝たいのに、眠れない。こんな落とし穴があるとは思っていなかった。


覚悟を決めるしかない。疲れ切ったメイリは、なりふり構っていられなかった。



自室から出ると、更に強く血の臭いが香る。

換気をしたから臭いが薄れたと思っていたのだが、ドラキュラの嗅覚の前では関係なく、全く意味をなしていなかった。

メイリは鼻をつまみつつ、ザキュラの部屋の前に立つ。

ザキュラが中にいる状態でこの扉を開くのは初めてだ。



メイリは、唾を飲み込み、意を決してノックをする。


返事はない。

だが、疲れ切っていたメイリには、ここで諦めるという選択肢はなかった。



仕方がなく扉を開く。中央に鎮座する棺桶に動きはなかった。

メイリは深呼吸を一つ。

そして、棺桶に声を掛ける。


「あ、あの…夜分にすみません、ザキュラ様。お話があるのですが…いいでしょうか」

少し間をおいて、蓋がガタンと外れ、メイリはビクリと跳ねた。



中からザキュラが、むくりと起き上がり、メイリを見る。

彼女は意外そうな顔をしつつ目を擦る。


「メイリ…?どうしたの?」

「あ、起こしてしまってすみません…あの、私、ドラキュラの感覚に慣れなくて…眠れなくて…こ、こういう時って、どうしたらいいのでしょうか」



ドラキュラの事なのだから、ドラキュラに聞くしかない。ザキュラ以外に頼れる者はいなかった。


「寝られないの?」

ザキュラは一瞬キョトンとするが、すぐにどこか嬉しそうな雰囲気になる。


「じゃあ、一緒に寝よう」

そう言って、メイリの腕を掴んで引っ張った。


「えっ、えっ?」

突然のことに戸惑うメイリを見ながら、続けて言う。

「この中なら、寝られるよ」

ザキュラは手を離してくれない。



「そう…なんですか。お、お邪魔します」

メイリは少し躊躇しながらも、靴脱いで棺桶の中に身体を収める。

意外にも、二人なら余裕で入れそうな広さだった。



…思っていたより寝やすい。棺桶で寝るなんて、硬くて身体が痛くなりそうだと思っていたが、どうやら毛布の下にマットがひかれているようだ。


すぐに、ザキュラが棺桶の蓋をした。



「…あ…暗い」

不思議なことに、蓋を閉めると棺桶の中は真っ暗で、何も見えなくなった。

その上、物音も遮断されているようだ。


理由はわからないが、ドラキュラ専用ともいえるような造りに、メイリは、いたく感心する。

血の臭いもしない…と言いたかったが、若干ザキュラから香ってくる。とはいえ、我慢できるレベルだ。


しかし、血よりも強い、なんともいえない匂いが、充満している。


これは…ザキュラの匂いだ。確証はないが、確信がある。

今まで、ザキュラからは血の臭いしかしないと思っていたが、本来はこんな匂いがするのかと、変な感心を覚えつつ、メイリはすんすんと鼻を鳴らす。


なんだか、癖になる匂いだ。それに、ザキュラの匂いで全身が包まれていると思うと、途端にドキドキしてくる。

(私、なんでこんなにドキドキしてるんだろう)

メイリはその思いをかき消すように、ぎゅっと目を瞑る。




不意に、ザキュラが

「メイリ、おやすみ」

と囁く。

ほぼ密着して寝ているので、暖かい吐息が耳元にかかる。


そして、いきなり、メイリの頬にキスをしてきた。


短いものだったが、暖かく、柔らかなザキュラの唇の感触が頬に残る。


心臓がドクンと跳ね、メイリは硬直した。いきなりの事に、頭が真っ白になる。


速くなる鼓動を感じつつ固まっていたが、ふと気が付くと、隣からは寝息が聞こえていた。

やはり、ザキュラは何も感じていないのだろう。


今のも、特に意味のない行動だったに違いない。

そう心の中で繰り返し、深呼吸で心臓を落ち着かせる。



今度こそ寝よう。

メイリは、暗闇の中で、目を閉じる。



密着しているザキュラの身体が、とても暖かい。メイリは吸い寄せられるように、それを更に求めるように、抱き付いた。


心地よい暖かさと、ザキュラの寝息だけが聞こえる空間。


メイリは、安らかに、暗闇の中に溶けていくように、意識はとろけていく。


「…おやすみなさい、ザキュラ様」

そう囁くと、すぐに、メイリも寝息を立て始めた。




二人のドラキュラは棺桶の中、穏やかな寝息を重ねていた。

石すら眠りにつくかのような、静寂だった。



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