「透徹にして愚昧なるドラキュリア〈3〉」
※グロ注意
※一応、百合注意
「ごちそうさまでした」
ザキュラは空になった皿の前で手を合わせ、はきはきと言った。
その声を聞き、メイリが隣の部屋からそっと顔を出す。
皿は綺麗になっているし、それなりの量だったスープの鍋も空になっている。多めにして正解だったようだ。とりあえずホッとした。
ふと、ザキュラの方を見やると、合わせられたままの手や口元は血だらけだ。
予想通りというか、やはりフォークもスプーンも使われた形跡はない。
「…あ、あの、手と顔、拭いておいて下さいね」
目線を逸らしつつ、タオルをテーブルに置く。
「わかった」
ゴシゴシと無造作に顔や、ついでに髪も拭く彼女を横目に、皿を片付ける。
皿は一切食べ残しがなく、綺麗なのだが、触るとべたりと何かが手につく。
…余程念入りに舐めまわしたのだろう。皿はどれもザキュラの唾液でベタベタだ。
「はぁ…」
どおりで綺麗な訳だ。もうため息が尽きない。
ザキュラの秘書、という仕事のはずだが、これでは幼児の保育と変わりないように思える。
とはいえ、本来であれば食事中のマナー指導などもメイリの役目なのだが、先ほどの出来事の通り、ザキュラの食事シーンなどまともに見ていられる訳がない。
そういうわけで、メイリはそれを全くやっていない。もちろん、立派な職務放棄なので、この事はずっと隠し通している。だって仕方がない事なのだ。出来ないのだから。
それに、ザキュラの食事マナーを披露する機会などどこにあるのか。
(そうだよ、今まで誰も追及してこなかったんだから、問題ないでしょ)
「メイリ」
皿を洗いつつ、自己弁護にフル回転していたメイリの思考はその一言で現実に引き戻される。
「あっ、えっ、えと、なんでしょうか」
慌てて返事をしながら振り向くと、ザキュラがすぐ後ろにいた。
引きつった笑みのまま凍り付くメイリを気にすることもなく続ける。
「今日は出かけてくる」
そう言うやいなや、すぐに彼女は踵を返し、扉に向かう。
ザキュラと少し距離ができ、メイリが解凍される。
「……あっ、そ、そうですか。わかりま…って、あっ、そ、その前に!」
つい叫んでしまう。
そういえば色々あってすっかり忘れていた。
「…?」
振り向き首を傾げる彼女の服を見れば、血で真っ赤に染まっている。
というか、血だまりの掃除も忘れていた。
「あ…お、お出かけになるなら…き、着替えて…からに…」
ザキュラに見つめられると、どうしても言葉が尻すぼみに消えてゆく。
「そっか、わかった」
少し間をおいてそう返事すると、ザキュラは途端にその場で服を脱ぎだした。
唖然とするメイリの前で着ていたものを全て放り出して素っ裸になる。
そのまま平然と、彼女は銀の長剣だけ握りしめて自室に入っていった。
つい、メイリはザキュラの予想外な行動に見入ってしまった。
だが、ハッと我に返ると、うんざりとした顔で、脱ぎ散らかされた服を回収していく。
まだザキュラの体温を感じられる服を籠に放り込み、メイリはぼんやりしていた。
先ほどの、ザキュラの裸が脳裏に浮かんでくる。
「…綺麗、だった」
そう、本当に。シミや傷どころかくすみ一つない、新雪のような肌。羨ましいと思わざるを得ない。
(外見は完璧なのに…)
メイリは、今までとは違う理由で、小さくため息をついた。
そうこうしているうちに、バンっと跳ねるように扉が開く。
同時にメイリが小さく飛び上がる。
全く同じ服に着替えたザキュラはスタスタと、メイリの前を通り過ぎる。
「あっ、あの、同行した方がいいでしょうか」
「んーん、今日は一人で行く」
慌てて声を掛けるメイリに、ザキュラは顔を向けずにそう答える。
彼女は扉の脇の帽子掛けにかけてあったマントを羽織る。
真っ黒の、足元まで覆う程長いマントに、頭以外すっぽりと包まれる。
ザキュラは相変わらずの無表情でメイリを見据え、
「いってきます」
と言うと、バタンと扉を閉めた。
メイリがホッとしたのも束の間、視界に、血だまりと、籠に入った血塗れの服が映る。
結局、全部メイリがやらなくてはならないのだ。
「…はぁ…」
今日一番の盛大なため息と共に、うなだれつつもゆっくりと立ち上がった。
カツン、カツンと石畳に足音が響く。
ザキュラは、黒いマントを揺らし、長く広い、石造りの廊下を歩いていた。
あの部屋だけでなく、ここら辺一体が全て石材でできているようだ。
片側の壁には、小さな小窓が等間隔に開けられており、チラチラと青空と流れる雲が覗く。
緩くカーブを描く廊下を情動的に見せるかのように、日光が差し込んでいる。
暖かい陽気のなか、ザキュラはぼんやりと歩いていた。
しばらく歩いていると、前方に鉄格子が降りている場所が見えてくる。
それは門のように道を塞いでいた。
その鉄格子の向こうに、なにやら少女が二人立っており、談笑しているようだ。
ザキュラが近づくと、その足音に気が付いたのか、口を噤み、二人同時に振り向く。
誰も言葉を発さぬまま、鉄格子を挟んで向かい合う。
黒く、華美な軍服らしきものに身を包む彼女たちは、ザキュラの事を胡乱げな目で見ていたが、目つきの悪い片方が口を開く。
「お出かけですか。どちらまで?」
少女は低い声で警戒するように尋ねる。
「ユカのところ」
威圧するような態度の少女に対し、やはりというか、ザキュラは平然として答える。
「…そうですか」
そう言って少女が目配せをすると、頬に傷のあるもう片方が、壁につけられたレバーをガタンと上げる。
鉄格子はガラガラと音を立てて上っていった。
「「お気を付けて」」
何も言わずに通っていくザキュラに対し、二人は声を重ねつつ、めんどうくさそうに敬礼をする。
だが、脱力しているように見せかけながら、常に目を光らせ、ザキュラの一挙手一投足を見逃さぬようにしていた。
そうして、ザキュラが視界から消えると、やっと彼女たちは腰に吊ってある拳銃から手を離す。
談笑を止めた時には既に手を置いていたようだ。
頬に傷がある方が口を開く。
「…統帥閣下に連絡した方がいいですよね」
目つきの悪い方はチラリと窓の外を見ると、
「あぁ、当たり前だ」
と言いつつ、ポケットから携帯端末を取り出した。
ザキュラの足音は続く。
しばらく石畳が続いていたものの、ある所で床材がコンクリートに変わり、分かれ道が急に増え始めた。何かの地下施設とでもいうような見た目であり、天井や壁には無数のパイプやコードが張り巡らされている。
景色の変化に伴い、今まで一切無かった人通りが増え始め、賑やかになっていく。
様々な制服や軍服に身を包んだ少女達が至る所にいる。
髪や瞳の色、肌の色、外見さえ様々な少女達が、ある者は忙しなそうに、ある者は楽しそうに、歩いている。
そして、多種多様なのはどうやら見た目だけではないようだ。周囲から聞こえてくる言葉も、同一のものではなく、いくつもの言語が交わされている。
道すがら、ザキュラに気がつき、あからさまに避ける者もいるが、大半は気にも留めていないように見える。
ザキュラ自身も、特に気にするでもなく、無数の入り組んだ路地にも惑わされず、迷いなく道を進んでいった。
その先も、金属、リノリウム、木材と、床材が変わるたびに景色も変わり、どんどん人が増えていった。
工場のような金属の通路、病院や学校のように扉の連なる白い廊下、暖かみのあるこじゃれた木造の建物の中、と、様々な建物の中を旅しているかのように錯覚する。
そして、少女、少女、少女。どこを見ても少女ばかりだ。時々、若い男が何人かまとまって歩いていたりするが、それ以外はみんな少女だ。それもやたらと容姿の整った者ばかり。
人形のように整った美貌のザキュラさえ、この中ではそれほど目立たなくなるレベルだ。
これだけ見ても、この場所はどうにもおかしいと訝しがりそうなものだが、誰一人として気にする素振りはしていない。
それどころか、皆どこか充実していそうな、満足気な雰囲気すら感じられる。
既に30分程は歩いただろうか。
また、周囲の様子が段々と変わってくる。
行き交う人の数が目に見えて減っていき、周囲は、いつの間にか格式高い様式の城の内部というような様相を呈してきた。
黒塗りの柱には金の装飾が施してあり、石壁には金の燭台が並んでいる。それらは、決して派手ではなく、上品な雰囲気を醸し出している。
もう人通りはほぼ無い。
時々、鉄格子の番をしていた少女達と同じ、黒く華美な軍服をまとう少女が、すれ違いざまにザキュラに敬礼をしてくるぐらいだ。
ふと、大きな扉の前でザキュラの足が止まる。
木製だが、重厚な観音扉だ。脇には「親衛隊統帥 執務室」と書かれたプレートが付けられている。
扉の前には、これまた黒く華美な軍服の少女が二人、小銃を肩にかけたまま姿勢よく立っていた。
彼女らは立ち止まったザキュラに敬礼をする。
「シュトゥール様、連絡は届いております。統帥閣下がお待ちです。どうぞお入りください」
鉄格子の番の二人とは違い、落ち着いた微笑みを浮かべ、そう言う。
少女は、すぐに扉に手を掛けたザキュラを手で制しつつ、ノックをする。
ザキュラが“ノックをする”というようなマナーを身につけていない事を察したのか、知っていたのか。
ともかく、すぐに中から
「どうぞ」
と返答がある。
彼女はそれを聞き届けてから、改めてザキュラに小声で
「お入りください」
と伝えた。
「うん」
ザキュラはそれだけ言って扉を開けた。
その部屋は、廊下と同じような、黒と金を基調としながらも上品さの感じられる内装だった。
本棚を背にし、中心に、大きく重厚な執務机が鎮座している。おおよそ体格に合わないような大きな椅子に座り、書類に何かを書きつけているのは、もちろんユカだ。
そして、執務机の前には応接用であろう、低いテーブルとそれを挟むように置かれたソファー。そこには白く長い髪の少女が寝転んでくつろいでいる。
他にも、壁際にはメイド服姿の少女が一人、目を瞑り微動だにせず立っている。
部屋に入ってきたザキュラと目が合った白髪の少女が、驚いた表情を浮かべる。
ユカは一言も発さず、目線を書類に落としたまま、ペンを走らせ続けている。
彼女も華美な黒い軍服を着ている。しかし、外の少女達と似ているが、明らかにそれより階級が高い事がわかるような装飾とデザインだ。
ザキュラは扉の前で黙って立っていた。それ自体はいつも通りだが、今回はどうにも、話しかけるのを躊躇するかのようにモジモジとしている。
部屋の中には4人もいるのに、妙な沈黙が続いていた。
それを見てか、それまで黙っていた白髪の少女がユカに声を掛ける。
「ユカちゃん、お客さーん」
ユカはやっと手を止め顔を上げたが、赤い瞳と目が合うと露骨に嫌そうな顔をする。
「…あなたでしたか、ザキュラさん。一体なんの用ですか?」
ため息混じりの、冷たい口調だ。
メイリと話していた時は、形だけでも柔らかで丁寧な表情と物言いだったが、今は取り繕いもしない。
ザキュラは俯きがちに答える。
「んと…相談がある」
「はあ、そうですか。なんでもいいですけど、手短にして下さいね。あまりあなたに構っている時間はないんです」
ユカはあからさまにめんどうくさそうな雰囲気を出しつつ、威圧するような視線を向けた。
「わ、ユカちゃん冷たーい。酷くない?」
白髪の少女が体を起こしながらおどけた調子で言う。
よく見ると、少女の頭には、髪と同じように白い、犬のような耳が生えている。その上、腰元からは、白くふさふさとした大きな尻尾が二本伸びており、ゆらゆらと揺れている。
薄緑色のポンチョに、デニムのショートパンツ、素足に編み込みのサンダルという姿の彼女はこの場では異様なほどラフな装いだ。
「…ミューリ」
ユカが睨みつける。
ミューリと呼ばれた少女は、いたずらっぽく笑って誤魔化す。
「でもさ、ちゃんと聞いてあげたっていいじゃん。ほら、お茶くらいだそうよ。ね?」
ふと、真剣な表情でそう言うと、ミューリは執務机に空になったティーカップを置いた。
睨む茶色の瞳と、まっすぐな翠の瞳。
「……はぁ…」
ユカは根負けしたようにため息をつくと、壁際の少女に声を掛ける。
「紅茶を三つ。茶葉はいつもので構いません」
ミューリはこっそりとガッツポーズをした。
メイド服の少女は目を瞑ったまま、
「かしこまりました」
と一礼すると、隣の部屋へ入っていく。
「それで、相談とはなんですか?」
ユカはザキュラの方に向き直り、訝しげに尋ねる。
なにせ彼女がわざわざ執務室まで来て相談など、初めてのことだ。
ザキュラの態度も変だし、なんだか嫌な予感がする。
当のザキュラも、乏しい表情ながらもどことなく不安そうにしていて、らしくない。
それから少し間をおいて、おずおずと口を開く。
「メイリの事…相談したい」
「……」
「……」
ユカとミューリは、予想外の言葉に、キツネにつままれたような表情で、顔を見合わせた。