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セフィロンの孤島  作者: 凛砂R
1/5

ザキュラ・ヴラド・シュトゥールの場合 「透徹にして愚昧なるドラキュリア〈1〉」

※グロ注意

※一応、百合注意


 

眠りとは、つまるところ睡眠とは、なんであろうか。人間にしてみれば、わざわざ問うような問題ではないだろうから、いきなり聞かれれば大した答えなど出ないものだ。呆けたあとに皆一様な答えを述べるに留まるだろう。


だが、こと人外の者、不死なる者にとってそれが指す意味合いというのは決して共通普遍のものではない。睡眠が必須ではない者も多い中、その人間的な行動をわざわざするのは、大抵の場合、その行為になんらかの意味を見出しているからだ。だからこそ、眠りについて聞けば、個々人それぞれが違った回答をしてくれるはずだろう。

例えば…眠りが死のみを指すというもの、生理的又は精神衛生上必要なものだというもの、趣味として睡眠の快楽を得るためだというもの、

そして……退屈ゆえに暇を睡眠で埋める手段とするもの。


はたして、ザキュラという少女は、その最後の理由を体現したような、そんなドラキュラであった。


そんな彼女の、気まぐれで、異質で、ぼんやりとした、血生臭い、そんなお話。




 石とは、物言わぬ存在。そしてその沈黙は周囲を巻き込んで伝播していく。それは切り出され、建物の一部となってもなお変わらない性質だ。だからこそ、石造りの建築物というのは、他の建材にて構成されたそれよりも、格段に沈黙が際立つ。

それは、この部屋でも同じであった。



耳鳴りがしてくるような静寂。上部にある、その部屋で唯一の小窓から、日光が差し込んでいた。

柔らかながらもはっきりとした日差しは、それが昼の太陽のものだと教えてくれる。ゆったりと舞う埃の粒が光に照らされ、遠くから微かな風の音が聴こえ、暖かく、眠ってしまいそうな、そんな陽気。


その古典的な石造りの部屋は、狭いながらも天井の高い、あたかも独房のような様相だ。ご丁寧に、小窓には鉄格子までついている。石壁の表面は荒く、ゴツゴツとしていて、生活の場としての相応しさはあまりないように見える。

置かれている家具はどれも木製だが、装飾など欠片もない無骨なもの。クローゼットと小さなテーブル、おまけに小さな椅子のみ。



そして…そんな部屋の中央に、棺桶が堂々と鎮座している。

真っ黒で、金色の縁取りがされた、木製の、六角形の、棺桶。


どう考えても異質で、場違いなものだ。それ一つあるだけで、部屋の静寂と暖かさが薄気味悪く思えてしまうような代物だ。



だが、その静寂を破ったのは棺桶だった。

ふいに、蓋がガタンと動き、ズレる。

中から色白の細い手が伸びてきて、蓋を押しのけた。


むくりと中から体を起こしたのは、血のように赤く、長い髪をした少女。大きな瞳も、同じように赤い。

少女は目を擦りつつあたりをぼんやり見回すと

「…くぁ…」

と欠伸をひとつ。


そしてすぐに毛布を除け、棺桶からするりと抜け出すと、白い肌に白い下着姿が露になる。

見た目どおりだとすれば歳は10代前半くらいか。容姿は驚くほど整っている、と言える。なのだが、表情の無さも相まって、まるで冷たい人形のような印象を受ける。


彼女はまた欠伸をしながら、おもむろにクローゼットを開ける。無表情のままながらも、めんどくさがっているのがわかるほど、億劫そうに着替え始めた。


白いシャツを着て、黒い靴下を履き、黒いズボンを履き、赤と黒の2本のベルトを締め、最後に黒いブーツを履く。

どれもこれも、一切装飾がなく、はっきり言って地味だ。

だが、着替えを終えた彼女の姿には、地味とはいえない、どこか統制された凛々しさがあった。…つまるところ、よく、似合っている。


開いたままのクローゼットの中にはそれぞれ同じものだけがいくつか、雑に並べられていた。




手で適当に髪を梳かした後、少女は何気なく、さっきまで自分が寝ていた棺桶に、手を突っ込む。探る間もなく、すぐに目当てのものが取り出された。

そうして取り出したのは、銀色に輝く長剣。鞘から柄まで、全てが銀色だ。


少女は慣れた手つきで、身の丈に合わない長さの剣を抜く。

もちろん刃も銀一色。

必要最低限の装飾で実用的な構造ながらも、どこか優美さを感じ、誰が見ても業物であると、そう言える程のものだ。


窓から零れる日に当てるように、顔の前に掲げる。

鏡のように滑らかな表面に、少女の真っ赤な髪と瞳が映っていた。その様は、さも、剣が血に塗れているかのような錯覚を見る者に与える。



「…うん」

その煌めきを眺め、少女なにか満足したようにそう呟いた。

剣を鞘に納め、ベルトに差すと、そのまま、この部屋ただ一つの扉を無造作に開けた。



古びた木製の扉は、見た目より軽いようで、バンッ、と音を立てて勢いよく開く。

と、同時に。



「ひゃあああっ!?」


その声の主は悲鳴と共に、ガタンと椅子から転げ落ちたようだ。その拍子に、頭をテーブルに打ち付けてしまう。ゴンッと、盛大な音が鳴る。

「あいっ!?……う…痛たたた…」


ここも変わらず石造りだが、隣の部屋より天井が低く、その分、倍くらい広く、そして薄暗かった。


そこで頭を押さえ、床にうずくまっているのは、緑色の髪をボブぐらいの長さで切りそろえた少女。メイド服のように見える簡素な服を着ており、こちらは10代半ばくらいの外見に見える。


打ち所が悪かったようで、随分と痛がって呻いているが、赤髪の少女はそれに一切なんの反応も見せず、うずくまる少女の前に立ち止まる。



緑髪の少女がふと目をあげる。茶色の瞳が目の前のものを捉える。

すると、真っ赤な双眸が、何の感情も読み取れない赤が、こちらを見下ろしている。

ただ、見ている。


それだけのはず。

だが、目が合ったその瞬間、少女の端正な顔から血の気が引いた。

即座に、姿勢を正し、足元に平伏し、額を床につける。

「あっ!し、しし失礼しました!!お、おはようございます!ザキュラ様!ああ、あの、大声を出して、す、すみませんでした…け、決してなにか、その…不都合があった訳では…」



慌てて叫んだ謝罪の言葉は震えて、尻すぼみになって聞こえなくなっていく。

少女の顔は、明らかに恐怖で凍り付いていた。

嫌な冷や汗が流れ、心臓がバクバクと早鐘のように鳴っている。

徐々に、体も震え出した。…動けない。

こういうのを蛇に睨まれた蛙のようだと、言うのだろうか。

石畳の冷たさが、いやにはっきりと感じ取れた。


恐怖による緊張により、それ以上言葉を発せられないようで、少女はただ、震えて沙汰を待っている。


だが、ザキュラ様と呼ばれた赤髪の少女がなにか反応したそぶりはない。



しばらく待っても何も言われない。さすがに訝しく想い、まさに恐る恐る、といった感じでそ~っと顔を上げる。

「…あ、あの…ザキュラ、様?…」

少女は、引きつった、卑屈な笑みを浮かべて、様子を伺う。



そのザキュラは、本当にどうしてここまで無表情でいられるのかという程、反応も見せず、ただこちらを見下ろしているばかりだ。

これは仮面なのではないかと、そう思えてしまうほど、ピクリとも動かない。


少女の方も、引きつった笑みのままでいるしか、取れる選択肢はなかった。



しばらく両者共にそのままだった。時間にすれば数分の出来事だったのだが、恐怖に震える哀れな少女にとっては、永遠に続くかのように感じられたというのは、想像に難くない。


とはいえ、やはりというか、唐突に沈黙を破ったのはザキュラだった。


ふと、ザキュラが口を開いた。

「メイリ」

「…あっ!は、はい!」

一瞬、言葉が耳に入ってこなかった。数秒遅れて名前を呼ばれたのだと理解し、震えを堪えて姿勢を正す。

一体何を言われるのか、何をされるのか、それだけのことで頭がいっぱいになっていた。



「メイリ、ご飯用意して」

それだけに、何事もなかったかのように発せられたその言葉が理解出来なかった。


「…ふぇ?…え?」

メイリと呼ばれた少女は、ポカンとして間抜けな声を上げた。


ザキュラは無表情のまま、付け足すように続ける。

「ご飯。お腹すいた」


メイリは、張り詰めていた緊張の糸が解けたようで、その場にへたり込んだ。

…一体あの沈黙はなんだったのか。



「あ、はは……あっ、はい!お、お食事ですね!わかりました、今作りますからね!」

また一瞬呆けてしまったが、すぐに返事をして、よろよろと立ち上がる。



(そうだ、気が動転しちゃって反射的に謝ったけど、考えてみれば何も悪いことはしてないし。大丈夫、いつも通り。ちょっと驚いただけ。きっとザキュラ様は気にしてすらいない。気を揉みすぎ)

メイリは努めて平静に見えるよう、恐怖を押さえつけ、思考を切り替えようとした。


冷や汗も震えも止まったが、精神的な疲れが、どっと出てきて、小さくため息が零れる。



その時



「あ」

そう呟くと共に、急にザキュラがメイリの右腕を掴んだ。

「えっ、あっ、…な、なんでしょうか?」

困惑と、緊張、疲れの混ぜこぜになった、引きつった笑みで彼女の顔を見る。


突然、ぐっと引き寄せられた。

ずいっと、赤い双眸が近づく。


また心臓が、バクンと跳ねる。

ザキュラから、血の臭いが香ってくる。



「…ッ!…あ、あの…?」

目の前に迫った赤に、反射的な忌避感で顔を背けてしまった。だが、僅かでもザキュラの機嫌を損ねまいと、必死に笑みを顔に貼り付ける。

喉の奥から、酸っぱいようなえぐみが、ジワリと広がる



「ん…血、出てる」

「…ぁっ!…ゃ…」

ザキュラは、触れられる度にビクリと怯え、悲鳴を押し殺そうとするメイリの頭を掴み、緑の髪を、そっとかき分ける。

見れば、彼女のこめかみ辺りの髪に、血が滲んでいる。


恐らく、先ほどテーブルに頭をぶつけた時に、切ってしまったのだろう。少量ながら、血が垂れてきている。



傷に触り、血の付いた自分の右手を、ザキュラはじっと見つめていた。その間も、左手はメイリの頭を鷲掴みしたまま。




目をぎゅっと閉じて、言葉を絞り出す。

「ち、血?…あ、あああの…それくらいなら大丈夫です…で、ですから、あの……」

離してください、という言葉が、喉でつっかえて出てこない。



傷なんてどうでもいい、とにかく触らないで欲しい。そう言えれば…。

だが、緊張が、恐怖が、震えが、その言葉を許さない。



またもや沈黙だ。目を開けると、ザキュラはまだ右手を見つめていた。

もうメイリにはどうしていいかわからない。


この目の前の赤い少女は、理不尽が擬人化したようなものだ。メイリはそれを痛いほど理解しているのだが、何度でも、改めてそう思うのだ。



静寂を、震えながらじっと耐えるしかない。

目じりに、涙が浮かんでくる。



と、不意に、ザキュラは右手についたメイリの血を、ペロリと舐めた。


目の前、距離にして10㎝の出来事。ザキュラの舌が、自分の血を、舐めとった。丁寧に。


「…ぁ」

メイリは戦慄した。それは、彼女のトラウマを呼び起こすのに、十分すぎるモノだった。




早鐘のような心臓が、更にひと際ドクンと跳ねる。

「ハアッ、ハッ」

息が乱れ、不規則な、過呼吸になる。焦点が合わない。

脳裏に、赤が、真っ赤な光景がちらつく。



血飛沫。目の前で、唐突に、何の前触れもなく、血飛沫が。

優しかった人が、腕が、飛んで、銀色の一閃が、血飛沫、白い肌に、白い牙が。



あの日見たものが、次々に、ごちゃ混ぜに、フラッシュバックしてくる。

あの時から、真っ赤な双眸が、何も読み取れないのに、いやに爛々と輝くその赤い瞳が、脳裏にこびりついて、離れない。



身体は動かず、声も出せない。メイリはただひたすら、目を見開き、涙を浮かべ、ガタガタと震えることしか出来なかった。



また、ふと、瞳がこちらを見据える。血のような赤色が、茶色の瞳を覗き込んでいる。



そして、顔が近づいてきた。

メイリにはその瞬間が、スローモーションで見えた。

まるで、身体が死を予期したかのように。



ザキュラの人形のように整った顔が迫る。一切の感情を見せない瞳。

口が、ゆっくりと開く。白い、牙。

牙としか言えないような、人間ではあり得ない長さの犬歯が、口から覗く。

血の臭い。


「…ッ!?~~ッ!!」

メイリの声にならない叫び。


ザキュラは、メイリの頭を引き寄せ、こめかみに垂れる血の筋に、舌を這わした。



れろり。



メイリは硬直する。

ぺろ、れろ、と血を、丁寧に、慈しむように舐めとる。

傷口も、優しく、舐める。


唾液をべっとりと付けられた場所が、すうっとする。




遂に、限界を迎え、感情が噴き出した。

「いやぁぁッ!!やめてッ!!」


メイリは恐怖に泣き叫び、強硬に抵抗する。


ザキュラの頭を引きはがそうと無我夢中で藻掻くも、動かない。

「あぁぁぁぁッ!!」

万力のように頭を押さえつける腕は、メイリの必死の全力でもビクともしない。

「いやっ!いやぁっ!」

全身をバタつかせ、身を捩っても、体勢を変えることすらできない。


叫び声が、石壁に反響して、吸い込まれていく。



当のザキュラは、メイリの抵抗など、悲鳴など、全く気づきもしないかのように、目を瞑り、平然とただ舐め続けている。

やはり、全く敵わない。


抵抗すら無意味。理不尽だ。

絶望を、感じる。



諦めが頭を過ってもなお、腕はザキュラを押しのけようとする。既に涙はボロボロと零れ落ちている。


「…やめてよぉ…!」

泣きじゃくる声は震えて、弱弱しい。


恐怖はずっと限界を超えていて、遂に、メイリは失禁してしまう。

じわぁ…と、尻に、脚に、暖かい液体が、広がった。べちゃりとした不快感が下半身に纏わりつく。

だが、その感覚も、羞恥すらも、今は恐怖に上塗りされていく。



一瞬、頭の拘束が解け、ザキュラを思い切り突き飛ばす。だが、倒れたのはメイリの方だ。

「うぁっ!」

ドサッと床に倒れ伏すも、すぐに頭を抱えて蹲った。



「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」

ガクガクと震え、壊れた機械のように何度も叫ぶ。


「ごめんなさいごめんなさい、た、たたた食べないで、食べないで食べないでごめんなさい食べないで!」

泣きながら、震え声で、連呼した。


「お、おっ、おね、お願いします!わ、私をっ!ひぐっ…た、食べないで…下さい…」

我を忘れる程の恐怖に駆られ、絞り出した命乞い。



彼女が、メイリがずっと抱いていたもの、それは、生物全てにおける、恐怖の根源。

原初の感情。すなわち、捕食される恐怖。



彼女がザキュラに対して過剰なまで怯えていたのは全て、それによるものだ。


目の前の、人の形をした、理不尽の具現化のような、化け物に、いつ喰われるかわからない恐怖。


彼女は痛いほど理解していた。この赤い少女の異常性を。

自分と、全てがかけ離れている、抗いようのない厄災。



こいつは、人間を喰う。

それも、好き好んで。

特に、ひと際、少女を好んで食すことも、知っている。



それなのに、自分はずっとこの、人間の上位存在である捕食者と共にいなくてはならないのだ。


あの日から、毎日が恐怖の連続で、全てが恐ろしくて、なのに誰も助けになってくれなくて。

気が狂いそうだった。


どうしていいか、ずっとわからないまま、恐怖の渦中に放り込まれたままだった。

ザキュラが、少女を生きたまま食らい尽くす様を、何度も見た。

食事にされた少女の、悲鳴と、助けを乞うような目と、断末魔と、沈黙。無残な亡骸。


〈食べ残し〉の処理はメイリの仕事だった。

ただただ、食べられたくなかった。他の誰を犠牲にしても、死にたくなかった。

そんな思いが、走馬灯のように過っていく。



……それきり、メイリは言葉を発さなくなった。

ただ、すすり泣く声だけが、石壁に吸い込まれていった。




そんな哀れな少女の醜態を見ても、ザキュラは口を閉ざしたままだった。

時折、手についたメイリの血に舌を這わせ、味わいながら。



だが、ここにきてようやく、一切感情を見せなかったザキュラに、変化があった。



「…?」

今日、彼女が初めて見せた感情は、困惑、だった。


どうしていいかわからない、といった表情で、蹲るメイリを見つめていた。

おもむろに立ち上がるも、特に何かするわけでもなく、ただ、そんな顔でメイリを見下ろしていた。



そのまま、沈黙の中、しばしの時が流れた。




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