07 目撃
私のとても優秀な出来る従姉妹のラウィーニアは幼い頃に王太子妃候補の一人として選ばれた時から、毎日城に通い厳しい教師たちに囲まれて勉強漬けだった。めでたく候補ではなく、王太子妃となる事が決まった今でも、それは当たり前のように続いている。
そんな彼女からランスロット・グラディスの訓練姿を一度見に行ってみましょうよと誘われたのは、彼と初めてちゃんとした会話を交わせた夜会から少し経っての出来事だった。
あの後も彼から何通か素っ気ない手紙は来ていたものの。あの規模で大きな夜会となると、社交期だとしても毎週のように開かれているという訳でもない。そして、正式にお付き合いをしている訳でもない、まだ検討段階の未婚の男女が集える場所もそう多くない。
だからこそ、少ない機会に合わせて皆尋常ではないほどに気合いを入れることになる。
クレメントと付き合っていた頃には、そんなこと言われたこともなかったんだけれど。彼女はランスロットの事は、余程気に入っているのかもしれない。
「あら。可愛いじゃない。新しいドレス?」
晴れて王太子の婚約者となった彼女のために、用意されている王族の住む内宮に近い部屋を訪ねれば、準備万端だったラウィーニアは早速城中にある訓練場へ行きましょうと私に素早く目配せをした。
ラウィーニアが着ているドレスはすっきりとした、光沢のある灰色。黒髪が色っぽさを醸し出す上品で、とても彼女らしいデザイン。
「そう。この前に、いつものメゾンで仕立てたところなの」
私が着ているデイドレスは、明るい黄色で目にも鮮やか。
三人ほどの専属護衛騎士を引き連れたままのラウィーニアと並んで歩きながら、彼女がこちらに向ける意味ありげな視線は見ない振りをした。新しくて気に入っている様子のドレスを着ているからって、その人が気合いを入れているとは限らない。
「とても似合ってるわ。ディアーヌ。もう、王宮騎士団の面々は集まって訓練を開始している時間なのよ。団長も兼務しているコンスタンスは、気まぐれでお忍びに観戦しに行ったりもするから。私も何度か一緒に観た事があるけど、本当に圧巻よ」
「……圧巻なの?」
「ええ。流石はこのレジュラスの誇る、主力の面々だわ。訓練場が壊れないようにと筆頭魔術師リーズがいつも結界を張っているんだけど。実戦でもないのに、所属している騎士たちの魔法が余りに威力が強いから何度も何度も重ね掛けしないといけなくて、人使いが荒くて参るって、この前にぼやいていたわ」
「すごい……そうなんだ」
私は、そう言ってから小さく溜め息をついた。
我が国の王宮騎士団は主力と呼ばれているとは言え、実戦にと駆り出される事は少ない。何故かというと、彼らはこの国の切り札であり周辺国の抑止力となる存在だから、王が居る王都を離れる事はよっぽどの事だからだ。
軍事国家である大国レジュラスに喧嘩を売るような国は少ないけれど、それは彼らが居るという理由も大きい。
ラウィーニアがさっき教えてくれた訓練場は、広い城から出て詳しい特徴を聞いていない私にもすぐに知れた。大きな丸い円錐状の白い建物。何かを切り裂くような攻撃魔法の音が、中から聞こえたから。
「今日も、とても激しそうね。ディアーヌ。私達の観戦する場所は、絶対に大丈夫だとは思うんだけど……もし気分が悪くなって倒れそうになったなら、言ってね」
ラウィーニアは歩きつつ、隣の私の顔を覗き込んだ。確かに、私はこういった戦闘を観戦するのは初めてだ。けれど、見ただけで倒れてしまうまでの戦闘……?
「そんなに……倒れそうになるの?」
「見れば、すぐにわかるわ」
肩を竦めたラウィーニアに続いて、私は大きな訓練場の中へと歩を進めた。私たちが案内された場所は透明な硝子で前方が大きく開かれた、いわゆる貴賓席のような場所。
「……すごい」
パッと見ただけなのに思わず絶句してしまうほどに、激しい戦闘だった。
これって、単なる訓練だったよね。そう何度も聞いているけれど、実戦さながらに繰り出される攻撃魔法も凄まじく、剣戟の音が鳴り響き、余りに動きが素早くて目で追うのも苦労するほどだった。
私たちが入ってきてすぐに丁度彼らは休憩時間に入ったのか、全員が所定の位置へと戻って行く。
「私も、初めて見た時は驚いたもの。あら。お目当ての氷の騎士は……着替え中かしら?」
ラウィーニアが見た方向には、王宮騎士団でも有名な筆頭騎士三人が集まって居た。いつもなら、そこに他の二人……ランスロットやクレメントも居たはずだったんだろう。
ラウィーニアは、訳がわからないという様子で首を傾げて困り顔だ。如才のない彼女がこうして不思議そうにしているという事は、彼女が私に見に行こうと言ったランスロットは、この訓練場には来ているはずなのに今この場所にいないと言うことになる。
「あの……私が、ちょっと見て来るから。ラウィーニアは、ここにいて」
なんとなく、ざわざわと胸騒ぎがした。良くわからない形容しがたい勘のようなもので、虫の知らせがしたと言っても良い。
ひどく、悪い予感だ。
ラウィーニアの応えを聞く前に、部屋を出た私はさっき上がってきた階段を下りて、そこで聞き覚えのある低い声に辿り着くことになる。
「……俺のお古の女と、ようやく仲良く出来ているようで良かったな。まあ……先に目をつけていたのは、確かにお前だったけど? ディアーヌは外見は可愛いかも知れないけど、俺が話しても肯定するばかりでつまらなかった。あんな女と、良く付き合えるな」
「もう二度と、ディアーヌ嬢に近づくな」
「……あー? そんな事、言って良いのかよ。別に俺は、言ってやったって良いんだぜ。俺がディアーヌと付き合ったのは、ランスロットに嫌な思いをさせたかっただけだってな。また傷つくだろうなー?」
付き合っていた事実をあげつらうような言葉に、ランスロットは苦しそうな声で返した。
「……お前の事が好きだった過去の思い出は、綺麗なままで居させてあげて欲しい」
クレメント……本当に、私が思っていたより中身が酷くて驚いた。彼が放った最低な言葉に傷ついているかと言われれば、否だ。
私の初恋は今ここに完全に終わりを告げ、なんなら彼との思い出全部全部、暖炉に焚べて火をつけたいくらい。
「ちょっと! クレメント! そんな脅しなんて、通じないからね!!」
剣呑な様子で対峙していた二人はここに居るはずのない私の声を突然聞き、本当に驚いた顔をした。
「ディアーヌ?」
呆気に取られた表情のクレメントが、私の名を呼んだ。出来る限り、心の奥底から湧き上がってくる侮蔑の気持ちを余すところなく視線に込めて睨んだ。
「本当本当。私も、偶然だけど聞いてしまったわ。これは大問題よ。王宮騎士団を統括するコンスタンスに、炎の騎士の騎士らしからぬ非道な悪行について。お知らせしなくては、いけないわね」
いきなり血相を変えて飛び出した私を追いかけてここまでやって来たんだろうラウィーニアは、のんびりとした声で言った。
「ま……待ってください。俺は……」
騎士らしく凛々しく端正であると言えるクレメントの顔は、目に見えて青ざめた。
いくら国を守る要となる筆頭騎士で仕事さえ出来ていれば、ある程度の行いは許されるとは言え、王太子であるコンスタンス様もこれを聞けば眉を顰めるだろう。
人に悪印象を与えるには、持ってこいな非道なる行い。
「貴族が権力を持つ理由はいくつかあるけれど、良識を持ち不届き者を裁く事も含まれているわ。女性を弄び、遊び道具にするようなクズの下手な言い訳など、何ひとつ聞きたくもないわね。クレメント・ボールドウィン。これからもこの国に仕える騎士の一人で居たいなら、もう二度と、ディアーヌの前に姿を現さない事ね。もう、二度とよ。私の言葉が聞こえたかしら? もし……その何もかもが足りないお気楽な頭では、理解が不可能なら。もう一度、ゆっくり言ってあげても良いわよ」
「いいえ。申し訳ありません。ライサンダー公爵令嬢。仰せの通りに致します」
ラウィーニアは殊更優しい声で言ったのだけれど、それがプライドの高い彼には耐え難い事だったんだと思う。苦い表情で跪き一礼をして、クレメントは去って行った。
「ディアーヌ嬢……僕は……」
ランスロットは、立ち尽くす私に遠慮がちに声を掛けた。
「どうして……言ってくれなかったの!?」
「貴女を傷つけると、思った。君は、彼に恋をしていたし……ボールドウィンは、あの時まで別れる気はないと言っていた。傷つけたくはなかった」
ランスロットは、わかりにくくはあるものの。苦い顔をして、辛そうに言った。
「私。そんなに弱くないわ……それに、もっと早く言ってくれたら……」
私はそこで、言葉を止めた。そうだ。さっきの話を思い返すと、あのクレメントが私に声を掛けて来た理由はきっと、この彼。ランスロットが、私に興味を持ったからだと思う。
なんてことはない。
このところ心配していた事は、もう起こっていた。一年前の社交デビューの時に、私は既に二人の争いに巻き込まれていた。
美しいはずだった初恋はどこか遠くに奪い去られ、もう跡形もなく何も残っていない。