さるかに合戦 1
時は、今、花見のシーズンたけなわな頃である。
浦島探偵事務所の所長の浦島太郎は、自分の事務所の窓から外の景色を眺めてみた。
事務所の窓から見渡せる桜並木の桜の木は、満開になりつつあった。
花見には、最高の時期である。
浦島は、桜の花の賑わいに、なぜか、うら寂しい気持ちになった。
「流行病で、今年も花見の酒宴は開けそうもないな」
流行病のこの何年かは緊張に縛られて、浦島は羽目を外してしまうことが少なくなっていた。
桜の花を愛でることを浦島に負けず劣らず好む、人物がいる。事務所を浦島とシェアしている。女性実業家もその一人であった。
実を言えば、浦島はこの女性の大きな事務所に間借りさせてもらっている。
まともに、それでいて部屋代を払ったことがない。新米探偵の浦島には、部屋代を払えるだけの稼ぎがなかった。
* *
いまから、浦島太郎や、彼の探偵としての活躍ぶりを話していこうと思うのだが、説明すべき多すぎることに気づいてしまった。
浦島太郎については、話すべきことが多すぎる。
浦島太郎の人生というのは、数奇に満ちていて、常識では、まったく理解不可能な生きざまであるのだ。おそらくは。
さらに問題なのは、浦島太郎が自分の人生についての記憶の大半を喪失してしまっているようなのだ。
傍目から見るとまともな社会生活を送るのが困難なほど、浦島太郎の現在の記憶は壊れている。
浦島太郎というのは、ある意味、まともな人物ではないのは、確かである。これも説明するのはむずかしい。
浦島太郎のことについては、たくさんのことを語って、やっと、読者諸氏にも浦島太郎の現在が少し理解できるという具合だ。
しかも、用心して語らないと、浦島太郎のことについては、しどろもどろの話になってしまいそうであるも恐い。
しかし、それでも大事なことは、浦島太郎のことについて、知っている限りの話は、語っておかなければならない。
浦島太郎は、そもそもの始まりを思い出そう。あの日の出来事のことを!
浦島太郎は、あの日のことを完全に覚えているというわけではない。というか、実は、浦島太郎自身は、その日のことはなにもおぼえてはいないのだ。
浦島太郎は、縛られた自分が巨大な亀の背中に乗せられて、海岸の砂浜に運ばれてきた。
浦島太郎は、このことでさえも覚えてはいない。
浦島太郎は、巨大な亀が立ち去った。
その後、浦島太郎は、両手、両足を、そして体全体を縄で縛られて、海岸の砂浜に放置されていた。
繰り返しになるが、浦島太郎は、巨大な亀のことも、自分が縄で縛られていたことも覚えてはいない。とにかく、自分が誰であるか、自分はどこからやってきたのか、浦島太郎はよくわからないでいた。
浦島太郎が、巨大な亀の甲羅に載せられて、砂浜の海岸に現れたと証言するのは、浦島太郎ではなく、その日砂浜の海岸で遊んでいた子供たちである。
浦島太郎を最初に見つけた子どもたちは、当時砂浜の海岸で遊んでいたわけだが、子供たちはバスほどの巨大な亀が海岸に上陸するところから、そして、その亀が海に戻っていくところから、巨大な亀が海岸を立ち去るときに、海岸の砂浜に、浦島太郎が縛られたままで、砂浜に転がり落ちて行くところまで一部始終を目撃していた。
一方、浦島は、あのとき自分に何が起こったのが今でもまったく思い出すことができない。
浦島太郎が、あの日の出来事について知っていることと言えば、つまり、巨大な亀のことなどは、自分のことなのに覚えている内容というのは、他人から聞いた話ばかりである。
ある人は、浦島太郎がら完全に記憶を喪失してしまっていると判断した。
一方、浦島太郎は、完全に記憶を失っているにしては、彼は
普通に、日常生活を送れている。
浦島太郎は、移動のために電車にも乗れるし、スタバで注文出来たりもする。
正体不明の浦島太郎ではあるが、この世界に現れて最初の頃はいろいろあったが、とある人物が現れて、この浦島のことを引き取っていったということだ。
浦島は、数ヶ月を過ぎた頃には、まともに社会生活を送っていた。
そんな浦島太郎を引き取った人物がいる。
浦島を引き取っていった人物は、なにかの知恵を彼に授けたのかもしれない。
浦島が、正気に返る治療を浦島に施したのかもしれない。
確かに、その頃、しばらくするとどういうわけか、浦島は、社会の一員となるために、浦島太郎は、探偵業をはじめた。
そんな最初の頃である。浦島太郎の元に、ひとつの書類が届いた。