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ピース・ウォーズ  作者: マカロニサラダ
2/2

ピース・ウォーズ・後編

 では、後編です。

 パルバインや例の人のほかにも、革命家(女子)や貴族を対象にした殺し屋集団とか出したかったのですが、今回はここまでで終了です。

 少しでも楽しんでいただければ、これに勝る喜びはありません。


     4


 これは、更に一月ほど時が流れた頃の話である。

「そう言えば今更ですけど――マハリオは王になろうと思った事はないんですか?」 

「んん?」

 国家間に何の異変も起こっていない今現在、マハリオ達は暇だった。もうここは窓際部署なのではないかと思える程に、退屈だった。

 さもありなん。

 マハリオは、〝鎮定職者〟を集団レベルで育てる教師にはならないと公言している。

 サアシエに至ってはまだ生徒の立場で、だから人に物を教える段階に無い。

 アルセイサとルーアンは、そんなやる事が無い二人を護衛するのが仕事だ。

 だとすれば――マハリオ達がヒマを持て余しているのも当然だろう。

「成る程。君はよほど、手持無沙汰らしい。まさか、そんなつまらない事を訊いてくるとは」

「……はぁ。それほど不評でしたか、この問いかけは?」

 意外かもしれないが、マハリオは不遜だが人を悪く言う事は余りない。そのマハリオにして露骨に〝つまらない〟と言い切るのだから、余程の事だろう。

 ましてや、マハリオは若干サアシエに甘い傾向にある。その弟子の質問を面倒くさそうに対応してくるのだから、サアシエも首を傾げるばかりだ。

 で、椅子に座って足を組むマハリオの答えはというと、実に明快だった。

「ああ。ぶっちゃけ、ないな。何故なら――私には何故か人望が無い」

「……あー。そういう自覚は、あったんですね?」

 ホッとした様に、サアシエは嘆息する。

 この人格破綻者にも、常識的な部分があって良かったとばかりに。

「んん? 寧ろ、今の君の反応の方がよほど面白いな。やはり私は他人の目から見ても、人望が無いか?」

「……いえ。人望が無いというのは、少し違う気がします」

 因みに今この隠れ家に居るのは、マハリオとサアシエのみ。アルセイサはこの近辺で剣の稽古をし、ルーアンはオーザムの宮殿に出かけている。

 その為、先ほどまで一寸した静寂が流れていたのだが、その静寂を破る様に彼女は続ける。

「ただ師のやりようは余りに独創的すぎて、常人はついて来られないと言うか……」

「君にしては、だいぶ言葉を選んでいるな。もっと何時もの様にハッキリと〝アナタはキチ■イだから王になれません〟と言ったらどうだ?」

「――私、そこまでは思ってませんよっ?」

「……認めたな? 今、ある程度〝私の気は狂っている〟と認めたな?」

 珍しく拗ねた様な表情で、マハリオは眉をひそめる。

 サアシエは〝しまった!〟みたいな顔を浮かべた。

「……いえ、まさか。私はマハリオほど、イカしたパンクはほかに知りません」

「パンクって〝不良。青二才。チンピラ。役立たず〟って意味だよな? つまり私は、やはり社会不適合者か?」

「今日は随分からみますね? 何か厭な事でもあったんですか?」

「うん。今さっき、弟子に馬鹿にされた。まさか弟子に駄目だしされるのが、これほどの苦痛とは」

「……偶にマハリオって、無駄に繊細ぶる時がありますよね?」

 仕事をしている時は全くそんな感じはないのに、とサアシエは半ば呆れる。

 お蔭で今度は、マハリオが首を傾げた。

「そういう君こそ、今日は何時になく毒舌だな? 何か厭な事でもあったのか?」

「……いえ、そうではなく、ただヒマだなーと思って。ねえ、マハリオ? 私達って本当に生きていて良いんでしょうか……?」

「――そこまでッ? そこまで追い詰められていたのか、君はっ?」

「だってやる事が無いんですよ! この一月、ダラダラダラダラ過ごして! そんな私達が果たして生存する意味があるんですかっ?」

 弟子の悲痛な訴えを耳にして、師は眉根を寄せる。

「……いや、あるか無いかでいえば、それはある。私達がヒマという事はそれだけ平和という事なんだから。私はこれを〝W(私達はヒマ)=S(世界は平和)の法則〟と名付けた」

「………」

「なんだ? その絶望的なまでに、ヒマな人を見る目は? 世界の終わりを垣間見た様な表情は?」

「……いえ、別に。それより話を戻しますが、なんでマハリオは、王になろうと思わなかったんです? 意外に聞こえるかもしれませんが、私、マハリオなら良い王様になったと思うんですよね」

 殊の外真剣な顔で、サアシエは訊ねる。マハリオは、本当に意外そうな表情を浮かべた。

「まさか。私が王とかありえない。君だって七つの国に赴き、王という物がどういう存在かあるていど知っている筈だろ? そう。王とは〝何かを奪う〟のが前提の仕事だ。彼等は他人の人生を奪い、他人の財産を奪い、他人の命を奪う。ソレを元手に国を動かし、自国を潤すのが王という職種だ。そして、時としてその対象は他国にも及ぶ。己の国を発展させる為に他人の国さえも奪おうとするのが、王の務めだ。けど、そういう野心を秘めた王だからこそ、臣下もついてくる物なんだよ。逆にそう言った意思が欠如した王は何れ臣下に見放される事になる。なにも、誰も、奪わなくなった王など王ではないのだから、それは当然だろう。だが、それって今の私とは真逆の生き方じゃないか?」

「……それは」

「ああ。君が何をどう勘違いしたか知らないが、私としては自分と王は全く別物だと思っている。戦争を阻止する為だけに生きる私と、時には戦争さえ正義とする王とではまるで真逆だ。第一、この大陸には私が王になるだけの空席が無い」

 が、この正論と思しき理屈に、サアシエは異を唱える。

「いえ、それは嘘ですね。マハリオは、アレでしょ? アルベナスに居た時、ニーヴァ王から自分の跡取りにならないかと誘われたんでしょ?」

「……ほ、う? そう言えば昨日、アルベナスから君宛てに書状が来ていたと言っていたな? 自分の口だけでなく、私の近親者も利用するか。ニーヴァめ、また古い手を」

 ま、彼は古い世代の人間だから当然か、とマハリオは得心する。

「ええ。ニーヴァ王の書状には如何にマハリオが王に相応しいか切々と書かれていましたよ。疑問に思う部分も多々あったけど、納得できる個所も多くありました。マハリオならアルベナスを、きっと良い方向へ導ける。いえ、アルベナスだけでなく王と言う立場のアナタが旗を振れば、フォートレムの再興も夢ではないそうです」

 サアシエの話を聴き終えたマハリオは、思わずその時の事を思い出す。

 嘗てあの老王が自分に語った――そのユメを。

「王となった私が今のフォートレムを後押しし、有志を募ってその輪を広げていく。何れその規模は国家レベルにまで及び、フォートレムは再び盤石の立場となる、か。確かにそういう構想を抱いてはいたな、ニーヴァは。だったら、自分でソレをやれば良い物を。なぜ赤の他人である私に、己のユメを託そうとするのか?」

「それは自分にはそれだけの能力が無いから、と書いてありました。自分の器量では、精々アルベナスを豊かにするだけで精一杯だと。でも〝マハリオなら或いは〟だそうです」

 そこで、マハリオは一度口を閉ざす。

 かの者が首を横に振ったのは、それから三秒ほど経った頃だ。

「いや。やはり駄目だな。私が王になれば、パルバインと直接対決しなくてはならなくなる。戦争を以て、彼を封じるしか手はないだろう。それに――王では私の最終目標は果たせない」

「んん? マハリオは本当に、パルバイン王を警戒しているんですね? 正直、私としては過剰に反応しすぎていると思うんですが……?」

 眉をひそめながら、サアシエが訊ねる。マハリオは、憂鬱そうに頬杖をついた。

「だといいのだけどね。でも、アレは――私の目から見ると薄気味が悪すぎる」

「……薄気味が、悪い?」

「そうだな。では一つクイズと行こう。確かにシャーニングは大陸の最も西にあり、外様だ。その為、軍を以て最も東にある皇都オーザム制圧するのはかなり難しい。近隣の国々を味方にしない限り必ず長期戦を余儀なくされ、国自体を疲弊させる。そして古書曰く、〝長期戦を行って利を得た国は無い〟との事だ。だが一つだけそのシャーニングでも、フォートレムを追い落とす術がある。それは何だと思う、サアシエ?」

「それは今まで出てきた情報だけで、推理できるものですか?」

「ああ。君なら十分可能だ」

 そう言い切るマハリオに対し、サアシエは目を細めながら思案する。

 それは五分以上に及び、やがて彼女は一つの答えに辿りつく。

「……まさか?」

「そう。そのまさかだ。私はあの男なら、ソレをしかねないと思っている。ついでに言えば、ソレをされると、私達〝鎮定職者〟はかなり困った事になるだろう」

「確かに……そうですね。でも、そんな事が本当にあり得ると?」

「さてね。だが、それでシャーニングが大義を得られるのは事実だ。後は、周辺国がソレをどう捉えるかだな。仮にソノ大義を他国が認めれば、シャーニングはラジャンを遥かに上回る脅威になるだろう」

 そこまで話が進んだ時、サアシエは少し話題を変えた。

「そういえば、三年前ラジャンは大義もなくオーザムを制圧しようとしましたよね? アレはアリなんですか?」

「ま、アリと言えばアリだな。古来の文献曰く〝家臣が主君の城に入り込み、何時の間にか主従関係が逆転していた〟なんて例もある位だし。ハシバとオダ、トヨトミとトクガワがそんな感じだったらしい」 

「……はぁ。じゃあもう一つだけ。さっきマハリオが言っていた――最終目標って何です?」

 訝しげな表情で、サアシエはマハリオを見つめる。

 マハリオはしばし何かを考えた後、口を開く。

「ま、いいだろう。どうせ話しても信じないだろうし。アルセイサにしか聞かせた事がないが教えておく。実につまらない話だが、私は――こう考えているんだ」

「え……?」

 よって――彼女はもう一度、マハリオの正気を疑ったのだ。


     ◇


「というかマハリオって他人の行動を読めるのに、自分に対する好意には鈍感ですよね? 現に今でもニーヴァ王はアナタに王位を譲ろうとしているって、気付かなかったし」

 まるでさっきまでのイカれ話は無かったかのように、サアシエが問う。

 マハリオは僅かなあいだ沈黙した後、肩をすくめた。

「よくわかったね。確かにそうだよ。どうも私は悪意には敏感だが好意には鈍感らしい。お蔭で私自身を絡めた思考実験をすると、偶に思いもかけない誤差を生む時がある。私に弱点があるとすれば――ソレとアレ位だな」

「アレ、というと?」

「ああ。ぶっちゃけ、私は自分が知らない人間がどう動くか、その人物に接触するまで読めないんだ。今の所、そういう事態に陥った事はないがね。私が件の旅を始めたのは、もう二十年も前になる。そろそろ私が知らない世代の若人達が現れ、私の知らない所で国に影響を与えているかも。そうなると、かなり厄介な事になるな。また国々を回り、有力な若者達に接触する必要があるかもしれない」

「……いえ、それ以前に、マハリオって今幾つなんです? 少なくとも二十代ではないですよね?」

 見かけは十七歳ほどだが、それが違う事は本人も認めている。サアシエにしてみれば年齢も性別も不明なこの人物は、余りに不可解すぎた。

 その不可解に拍車をかける様に、マハリオはここでも話をはぐらかす。

「さあね。そんな面倒な事は、もう数えてもいない。それよりもっと深刻なのは、やはり人手不足だろう。グオールグやシーナは、近隣にあったから助かったがね。仮にシャーニングで何かあった場合、私達は現地に辿り着くだけで二十日は要する。この問題をクリヤーするには、最低でも百人の〝鎮定職者〟が必要だろうな。各国に〝鎮定職者〟を置き、有事の際は直ぐ対応できる体制を整える。こういった理想的な状態に持ち込むには、やはり後五年はかかるか」

 表情も変えず淡々と、マハリオは告げる。逆にサアシエは、些か深刻な顔つきとなった。

「確かに、その通りですね。かなり難易度の高い仕事ですから、〝鎮定職者〟は」

 けれど、マハリオは珍しく呆れたように口を開く。

「かなり? かなりどころではないよ。世の中には〝神算鬼謀〟という言葉があってね。〝人知を超えた優れた策〟という意味だが、私の解釈は少し異なる。戦争で敵国に打ち勝つのは、どこまで行っても鬼謀なんだ。どんな良策でも邪道とも称せるし、最悪の手段とも言える。対して戦わずして勝つ道こそ、正道。つまり神算と呼ぶべき神業だな。要するに、〝鎮定職者〟とは常に神の御業を実行しなければならない職種なんだよ。それ程までに、〝鎮定職者〟という物は苦労しか背負い込まない存在といえる。……それなのに志願者が多いというのは、正直驚きだ。人は何だかんだ言って、戦争をしたがる生き物だと本当にわかっているのかな?」

「そう、なんですか?」

「そうだよ。何せ、白黒がハッキリついてわかりやすいからね。しかも戦勝国は敗戦国を好き勝手に出来るという特典つきだ。勝利した直後は、王も兵も敗戦国から略奪の限りを尽くす。はたから見ればオゾマシイその光景も、彼等にとってみればこの上ない快楽なんだ。それに前にも言ったが、この世はしょせん正義の押し付け合いだ。その正義を最もわかりやすく押し付ける方法が、戦争。今も言った通り相手を完膚なきまでに屈服させる、最悪の下策だな。ソレを未然に防ぐのが〝鎮定職者〟なのだがね。その説で言えば将来的には私はシャーニング専属になるだろうな」

「……つまりマハリオはオーザムを離れる、と?」

 サアシエ自身気付いていないが、そう示唆されたとき彼女は僅かに動揺する。

 マハリオは、気怠そうに相槌をうった。

「そうなるね。また傲慢に聞こえるかもしれないが、パルバインを相手に出来るのは私だけだと思っている。スワン・クワンでさえ戦争を以てしか、彼に対応できないだろう。その場合、問題なのは君だ、サアシエ」

「私……?」

「ああ。果たしてその頃、君はどうなっているのだろうな? 私としては自立している事を願っているが、君としては将来的に何を望む? どの国に赴き、どんな仕事をしたいと思っているんだ?」

「それ、は」

 サアシエが、露骨に言い淀む。その様子を見て、師はいくぶん矛先を緩めた。

「ま、良い。今のは私が少し性急すぎた。プレッシャーをかけすぎたとも言えるが、まだ時間はある。その間に君は自分が何を成すべきか、定めておいてくれ。だが、決して今の状態がベスト等と言う甘い考えだけは持たないでくれよ。寧ろ、今の状態は私にとって最悪の体制なのだから」

「……最悪、ですか?」

「ああ、最悪だ。唯一の弟子は未だに芽が出ず、だから実質的な〝鎮定職者〟は私だけ。これの何処が、理想的な状態と言える?」

「確かに、そうですね。でも、聴いて下さい、マハリオ」

 サアシエが俯き、何かを言いかける。

 その様をマハリオが怪訝に感じた時――隠れ家の扉が唐突に開かれた。

「何だ、ルーアンか。どうした、そんなに血相を変えて? その様子だと、吉報を届けに来たという訳ではなさそうだが」

 いや、ソレは前提からして間違っている。

 かのマハリオが、何が起きたのか予知できないとすれば、答えは一つだろう。

「まさか、シャーニングが……?」

 漸くその事に気付いたマハリオが、席から立ち上がる。

 ルーアンは――ただ事実だけを一気にまくしたてた。

「……はい。先ほどシャーニングからオーザムに書状が届きました。あろう事かパルバイン・シャーニングは――高祖フォートリア・フォートレムの末裔を名乗る女性を〝皇帝〟に立て、新政権の樹立を宣言したそうです!」

「やはりそう来たか―――!」

 そしてマハリオ・ルペル・ルクスは――まなじりを決しながら奥歯を強く噛み締めた。


     ◇


 では、ここで話を二十日ほど前に戻そう。全ての発端は彼女の唐突な登場にあった。

 シャーニングの新王――パルバインは、ある日、臣下の前に十七歳程の少女を連れてきた。

「皆、静粛にしてもらいたい。実は、少し重要な話があってね」

 相も変わらず公の場にあっても、仮面を被った新王はそのまま少女を王座に招く。身長百六十センチ程の、端正な顔立ちをした少女を。

 その上で王の間に佇む彼は、大言を口にする。

「この度このシャーニングは――帝国を名乗る事になった。フォートレム皇朝とは決別し、新たな政権の樹立を担うつもりだ。皆もそのつもりでいてもらいたい」

「は……?」

 ソレは、真に馬鹿げた発言と言えた。確かに、シャーニングは大国である。だが、未だ人心はフォートレムから離れ切った訳ではない。絶頂期には遠く及ばないが、それでも大義はまだフォートレム皇朝にある。

 そのフォートレムから離脱すると言う事は、他の国々もまた敵に回すという事。下手をすればフォートレムが諸国を結集し、シャーニングの討伐に動く可能性もある。

 ならば、それはただの自殺行為だ。国を滅ぼされても、文句は言えないだろう。

 だが、彼は躊躇う事なく続ける。

「いや、大義ならある。私はこの度――高祖フォートリア・フォートレムの末裔足る、フォートリア二世と邂逅した。この方こそ新世代の〝皇帝〟であり、我がシャーニングの新たな君主である。私ことパルバインはこれよりかの〝皇帝〟を支える、一臣下になるつもりだ。その事を、皆も肝に銘じてもらいたい」

「な――ッ?」

 この場に居る殆どの貴族や騎士達が動揺する中それでもパルバインは笑みを崩さない。

 それ処か――彼は平然とそのフォートリア二世とやらに玉座を譲る。

「では――〝皇帝〟陛下、皆にお言葉を」

「ええ。大儀です、パルバイン。皆様お聞き及びの通り、私ことフォートリア二世は今よりこのシャーニングの君主になります。この大陸を新たに統一し――シャーニングこそ唯一の帝国とする所存です。その為には、皆様の力添えが何より必須。皆が私に力を貸してくる事を、切に願うばかりです」

 王座に腰かけた金の髪を三つ編みにした黒衣の少女が、高らかに宣言する。

 何も知らぬ者にとっては茶番にしか見えないこの状況を、しかし彼女は一笑した。

「皆様方が驚かれるのも、無理からぬ事。なら私がするべき事は、真に私が〝皇帝〟に相応しい存在であると証明する事でしょう。さしあたっては三日以内に――リグレストを落してごらんにいれます」

「は……っ?」

 この騎士達の驚愕は、正常な反応である。なぜならシャーニングの近隣にあるリグレストはラジャンに匹敵する大国。ラジャン同様、この大陸でも指折りの先進国といえる。

 そのラジャンをフォートレムは逆心ありと見ながらも、未だに討伐出来ずにいる。それ程までに、ラジャンの国力と他国に対する影響力は高い。これと同様にリグレストの存在感は、シャーニングでさえ無視できないほど大きな物である。

 そのリグレストを……三日以内に陥落させる? 仮に本気なら正気を疑うし、ハッタリだとすればその時点であの少女は終わりだ。パルバイン共々、国を混乱させた罪で断罪されて然るべきだろう。

 いや、問題はそういう事ではない。

「……お待ちください」

 この場に居る誰もが、パルバインの有能さを知っていると言う事。その彼がこの様な暴挙に出る?  それはもう、乱心したとしか思えない。実際――彼の態度に変化はない。

「本気、なのですか、陛下は……?」

「いや、その呼び名は、もう私には相応しくないな。これからは、〝パルバイン宰相〟とでも呼んでもらえると助かる。ああ、ついでに言えば、私を王と崇める者はこれより何者でも処断するつもりだ。私自らその首を叩き斬るので――そのつもりでいてもらいたい」

 このたび重なる暴言を前に、シャーニングの貴族や騎士達は最早亜然とするほかない。

 王の間が騒然とする中、彼はやはり普通に告げた。

「まあ、先ずは陛下のやりようを高みの見物と行こうじゃないか。仮にリグレストに負けてもその時は私と陛下の首を差し出せば、済む話だ。何の問題もあるまい――?」

 果たしてこの場にマハリオが居たら、何と口にしたか? サアシエあたりなら、真っ先にそう疑問を抱くだろう。

 しかしこの場にかの人物は居らず、その為パルバインの暴挙はとどまる所を知らない。

 彼は素知らぬ顔で、フォートリア二世に全権を委ねる。

「では速やかなる勝利を――我が帝国に」

 皇歴二百二十八年六月一日に至り――遂にロウランダ大陸で再び戦争が始まった。


     ◇


 だがその勢いとは裏腹に――シャーニングはひたすら負け続けた。

 奇襲をかけ、一気にリグレスト本国に迫ったが、かの大国はソレを見事に迎撃する。八万もの大軍を以てリグレスト王ブローパズは、シャーニングを迎え撃ったのだ。

 一方、国内の混乱を収めきれていないシャーニングの兵は、四万程。その四分の一を最初の交戦で、フォートリア二世は失う事になる。

 兵達はフォートリア二世を見限る様に、次々とリグレストに降伏。攻守は逆転し、リグレストはシャーニングに対し追撃をかけた。

 続けて更に二万五千もの兵が息も絶え絶えで降参し、フォートリア二世は窮地に陥る。残りの兵は五千にまで減り、彼女は陣を構えて防御姿勢をみせるほかなかった。

 しかもこの時点で、フォートリア二世は既に二日もの時間を費やしている。彼女の残り時間は、あと一日にまで迫っていた。

 そのため彼女の側近達は躊躇しながらも、進言する。

「……陛下。その、ここは一度本国に撤退しパルバイン宰相の御手を借りるべきでは?」

 確かにシャーニング本国にはまだ、パルバインが残されている。彼はこの件には全く手を出さず、有言通り〝高みの見物〟を決め込んでいた。

 だが、そのパルバインの手を借りれば、逆転も可能では?

 陣中の騎士達は当然の様にそう訴え――彼女もそれに類する言葉を漏らす。

「……確かにこの戦の勝敗は、既についています。私の運命は、早々に決する事でしょう」

 ただそれだけ告げ、フォートリア二世は沈黙する。彼女は陣に籠ったまま動かず、八万に及ぶリグレスト軍と対峙する事になる。ブローパズ王はその翌朝にも総攻撃をかけ、かの侵略者達を一掃する腹積もりでいた。

 ならば、詰みだ。ここまで追い詰められたフォートリア二世に、勝機など疾うに残されていない。齢五十の老練なるブローパズ王は自身の勝利を確信し、ほくそ笑みさえした。

「ほう?」

 更にこの現実を裏付ける様に、フォートリア二世は暴挙に出た。彼女はたった五千の兵で八万に及ぶ大軍に夜襲をかけたのだ。

 この悪手にリグレスト軍の指揮官モウドリナ・ルッチェは半ば呆れ、進軍を開始。夜明けを待たずにシャーニング軍を滅ぼすべく、一気に兵を進めた。

 ただ、戦況にちょっとした変化が訪れたのは、そんな時である。

「はっ? なぁ?」

 本当に、嗤える話だ。喜劇と言って、良いかもしれない。それ程までにモウドリナやブローパズにとって、ありえない事が起こった。

 あろう事か――城を背にしたリグレスト軍の背後を何者かが襲撃したのだ。

 正門を開け放ち――出現したその兵の数は三万ほどに及んだ。

「……なんだっ? 何が起きているッ? まさか、謀反か――っ?」

 リグレスト軍が混乱する中、軍の最も後衛に居た指揮官モウドリナは、討ち取られる事になる。この時点でリグレスト軍の指揮系統は、完全に破綻した。指揮官を失ったリグレスト軍を蹴散らしながらフォートリア二世は、一気に城内に侵攻する。

 いや、フォートリア二世の予言通り、この時点で疾うに勝敗は決していたのだ。

 何故なら、彼女が入城した時には、既にブローパズ王は囚われていたから―――。

「お初に目にかかります、ブローパズ王。我が名は――フォートリア二世。この名をお認めになるなら、お命はお助けいたしましょう。ですが飽くまで我らを賊軍と称するならそのお命、頂戴しなくてはなりません」

 ならば、見知らぬ男に剣を突きつけられている王は、こう問うほかない。

「……待て。その前に、一つだけ訊きたい。そなたは一体どんな魔法を使った? なぜ、予はこうして囚われの身に……?」

「簡単な事です。第一に、あなたはパルバインを警戒し、他の砦の兵を温存して、それを遊兵にしてしまった。第二に、あなたは主力を、城外に集中させすぎました。その為、城の中の兵は手薄となり、千にも及ばなかった。その上で我等は五千の兵を以て城塞都市内を襲撃し、この城の要所を押さえた訳です。無論――それはあなたの私室も含まれていました」

「だ、だからその兵は一体どこから湧いて出たと言うっ? まさか――?」

「ええ。御明察の通り。かの三万五千に及ぶ兵は、あなた方に降伏したシャーニング軍です。あなた方は降伏した彼等を当然の様に城内の牢に繋ぎ、厳重に監視していた筈。ですが我らに対し勝機を見出した時点で、僅かに慢心した。その心の隙を衝き、些か施錠を解くのに長けた兵達が牢を破りましてね。一気に都市内へと雪崩れ込んだという訳です。その彼等が大きな建物の家主を押さえ、城にも攻め込み、あなたをも捕えた。内側より城門を開け、背後からリグレスト軍を襲撃したという訳です。私が今ここに居るのも――その彼等の力があるからこそ」

「牢の鍵を、解いただと? そんなバカな事、が……」

「ええ。そこら辺の業は、徹底して訓練してもらったので私も彼等を信頼しておりました。その技術を生かす為だけに、私は彼等をあなた方に降伏させたのですから。ああ、因みに彼等が錠破りに使った針金は、彼等の脇の中に埋め込んでおいたものです」

 ここまで聴いて……ブローパズはただただ忘我する。

 そんな彼を、フォートリア二世は微笑みながら見つめた。

「それで返答は? まさか尚も抵抗する? この様な詐欺まがいのやり口で敗北した挙げ句命まで失うおつもりですか、ブローパズ王?」

 彼女の最後通告を前に、ブローパズも最後の質問を投げかけた。

「……もう一つだけ、訊きたい。これは、そなたの計略か? それとも、あのパルバインめの策?」

「信じてもらえるかはわかりませんが、前者です。あの薄情な宰相は全てを私に一任し、一切手も口も出してはくれませんでしたから」

「ああ……」

 途端、ブローパズは眼を広げながら、呼吸さえ乱す。

「……その姿、その智謀、その強さ。だとすれば確かに貴女はかのフォートリア・フォートレムの再来かもしれぬ。十五の国をたった数年で平定した、あの〝皇帝〟の――」

 それで、話は終わった。齢五十の王は、まだ十七歳になったばかりの少女に跪く。

「貴女の申し出通り――リグレストは降伏する。もし何者かを罰するというなら、予の首一つで全て収めてもらいたい」

「結構。ではその旨、城外の兵達にもお伝えください。我らがこれ以上、争う意味はないと。我らの共通の敵は――飽くまでフォートレム皇朝なのだから、と」

 こうしてフォートリア二世は宣言通り――たった三日で大国リグレストを落した。

 自国の兵を一兵も損なう事なくリグレストを味方につけ、十万以上もの兵を吸収する事になる。

 この〝皇帝〟の偉業は瞬く間に噂となり――周辺国へと流れた。

「……はい。少なくとも、ガナックとパナカッタもシャーニングに降ったとか。シャーニングは他の国も自国の傘下におさめる為、調略を進めている様です。いえ、これは二十日前の情報ですから、事態はもっと深刻かも……」

 ルーアンの報告を前に、マハリオは目を細める。

 まるで、何か別の重大事を思案するかの様に。

「つまり、今降伏すれば、本領安堵は約束するとシャーニングは謳っている?」

「……ですね。リグレストを三日で落された上、そう約束されれば、他の国も聞く耳を持たざるを得ない。いえ。フォートリア二世の実力が予想以上だった為、シャーニングの混乱も終息したそうです。国内にいる十二万の兵全てを、〝皇帝〟は掌握したとか。加えてリグレストとガナックにパナカッタの兵をあわせれば――その数は三十万以上になる」

「……なら今の時点でロウランダ大陸は二分され、一触即発の状態か。パルバイン・シャーニング。やはりアレは人じゃない。私でもしないであろう事を――本当にするとは」

 サアシエが呆然とする中、マハリオは椅子に腰かけ――嘆息する様に息を吐き出した。


     ◇


 そこに、もう一人の人物が話に加わる。

「あ? なんだ、このお通夜みたいな雰囲気は? 何か厭な事でもあったのか?」

 今まで剣の鍛錬をしていたアルセイサが、隠れ家に戻ってくる。

 その彼にサアシエが件の話を聞かせ、この間にマハリオはルーアンに問うた。

「で、自称フォートリア二世の容姿というのはどんな物? まさか本当にフォートリア・フォートレムに瓜二つとか言うんじゃないだろうね?」

「……えっと、噂ではそうみたいです。少なくとも、肖像画に描かれた高祖フォートリアに、ソックリだと」

 それを聴き、何故かマハリオが息を呑む。これに気が付かぬまま、ルーアンは続けた。

「……で、ルペル・ルクス殿はどう思われます? かの者は本当に、高祖の血筋の者なのでしょうか?」

 マハリオに問うても、正しい答えが返ってくる事はないとルーアンもわかっている。何せ誰一人として、彼女が高祖の末裔であるかは証明できないのだから。

 いや、逆を言えば末裔ではないと証明する事も出来ない。

 つまり彼女の素性は本当の意味で、肯定も否定も出来ないのだ。それは人それぞれ、彼女から受けた印象に左右されるだろう。

 だが、少なくともリグレスト王は、彼女を高祖の子孫と認めた。パナカッタとガナックも同じである。それ程までにフォートリア二世という少女は、余りに鮮烈だった。

 反面、ルーアンの立場としては、何があろうとソレは認められない。仮に彼女を高祖の末裔だと認めれば、フォートレムの立場は危うくなる。フォートレム皇朝は大義を奪われ、瓦解する可能性さえ出てくるのだから。

 だが――マハリオは言い切る。

「いや、間違いなく彼女は本物だ。フォートリア二世は、本当の意味で、フォートリア二世」

 ソレを聴いて先ずサアシエが眉をひそめ、アルセイサが目を細める。ルーアンに至っては、ただ愕然とした。

「……は? 一体、何を根拠にそんな事、をっ?」

 かの者の断言を聴いて、ルーアンは思わず声を荒げる。殺気さえ撒き散らしながら、彼女はマハリオに食ってかかった。

 故に、マハリオは告げる。実に事もなく、まるで明日の天気を占う様に。

「だって、そのフォートリア二世というのは――私の従妹だろうから。そう。フォートリア二世の正体は――私の親戚であるあの少女に違いない」

「い、意味が、わかりません。あなたは、何を言って……?」

「そういえば言ってなかったか? 私は――高祖フォートリア・フォートレムの末裔だと。私の本当の名は――マハリオ・フォートレム」

「……へっ?」

「な……っ?」

 ルーアンだけでなく、サアシエも些か間の抜けた声を上げる。

 二人は、一斉にマハリオに向かって身をのり出した。

「そ、それは、まさか、本当に―――っ?」

「こんな時に、冗談など口にしないよ。ほい。証拠になるかはわからないが、これは私が母から継承した一品だ」

 マハリオがサアシエに向かって、無造作に指輪を投げてよこす。それからマハリオは窓に虫眼鏡をかざして日の光を集め、ソレを件の指輪に浴びせる。

 指輪にはめられたダイヤから光が反射され、ソレは天井に映った。

「……これは、フォートレムの紋章……?」

「らしいね、どうも。ストックゲイの王族じゃないが、フォートレムの血族もこういったモノを作っていたらしい。〝金に困ったら売りさばけ〟と言って」

「じゃ、じゃあ、本当にマハリオはっ? だからこんなに偉そうなんですか――?」

「ま、そういう事。けど、今はそんな話はどうでもいい。問題は、フォートリア二世もまた真に高祖の血縁という事だ。パルバインが彼女を見出した以上――彼には本当の意味で大義がもたらされた。フォートレム皇朝にとって代わると言う――大義が」

 かの者の宣言に、サアシエは思わず体を震わす。彼女は今――心から戦慄した。

「……確かに、師の言う通りでした。私が……浅はかだった様です。パルバイン・シャーニングは、真に危険視するべき人物でした……」

 悔いる様に、サアシエが地面に視線を落す。その様をマハリオは、無表情で眺めた。

「いや、私の見込みも甘かった。まさかあの娘がロウランダ大陸に渡来していようとは。なら私がするべき事は一つだな」

「それは、一体、何……?」

「決まっているだろ。勿論――あの腹黒白髪娘に会いに行くのさ」

 そしてマハリオは例の指輪を手に取り――この隠れ家を後にした。


     ◇


 マハリオが、件の少女の執務室を訪れたのは、午後三時を回った頃。

 マハリオはノックもせず、無遠慮に執務室の扉を開ける。

「あら、マハリオじゃない。またわたくしに、何か御用?」

「………」

 机に設置された椅子に座するスワン・クワンに、変わった様子はない。彼女は常の通り、笑顔でマハリオを迎える。この或る種、異常な状況にマハリオは苦笑した。

「驚いた。まさか本当に、こんな所に居るとは。今頃フォートレムのお歴々は、シャーニングにどう対応するかで大わらわだろうに。政務公の首席補佐官が、こんな所で油を売っていて良いのか?」

 スワン・クワンはといえば、やはり微笑みながら肩をすくめる。

「ええ。確かにそう言った類の会議は行われているけど病欠という事にしてもらったわ。だって、どうせ出た所で右往左往するだけだもの。だったら――あなたとお喋りしていた方が遥かに楽しそうじゃない?」

「……相変わらず、食えないな。私が君を訪ねる事さえ、織り込み済みか?」

「そうね。来るかどうかは五分五分だったけど、やはりあなたはわたくしを訪ねた。つまりは〝そういう事〟で良いのよね?」

 スワン・クワンが指を絡めながら、両肘を机に立てる。

 マハリオは目を細め、ただ彼女を見つめた。

「でも、初めにハッキリさせておくわ。あなたの出る幕は――既に無い。フォートレムから決別した事で、かの国はあなたの管轄から外れたから。飽くまで宗主国の支配下にある国々しか〝鎮定〟出来ないあなたは、あの国を相手に出来ない。それでもあなたは――シャーニングをとめたいと?」 

 そうだ。これはマハリオ自身が、言っていた事。〝鎮定職〟なんて物がなりなっているのはフォートレム皇朝が権威を失っていないから。その権威に他の国々が、まだ辛うじて従っているからである。

 仮にこのファクターが無くなれば、〝鎮定職者〟もまた権限を失う。十五の国々に対して、何の発言力も無くなるだろう。

 そしてシャーニングは現在、フォートレム皇朝から離反している。〝皇帝〟を得て、フォートレムの影響下から外れた存在となった。

 なら、そこに〝鎮定職者〟がつけ入る隙など、微塵も無い。

 スワン・クワンの言う通り――この時点でマハリオの出番は終了したのだ。

 けど、それでも、マハリオはこの場を離れようとはしない。

「ああ、これ以上被害を広げないのが、私の仕事だ。これ以上、戦争を起こさせないのがこの私の責務と言って良い」

「随分な越権行為ね? まさかそんな人に、わたくしが非難されるとは」

「それは非難もするさ。君は仕事をさぼり、私は仕事をしたくてたまらない。ほら、私達はこんなにも噛み合わない」

「成る程。では噛み合わないついでにシャーニングの立場に立って話させてもらうわ。彼等の大義はこう。〝力が衰えたフォートレムがこのまま宗主国であり続ければ、何れ国家間の諍いは戦争に至る。大陸は再び乱世に突入し、大混乱となって民草の安寧は打ち砕かれるだろう。ソレを防ぐ唯一の方法は、フォートレムより遥かに権威のある国が新たな宗主国になる事。正当なるフォートレムの末裔に宗主国の座を譲れば、大乱は避けられる〟と、そういった事らしいわ。確かにルーゲン皇の祖先はフォートリア一世の養子だし。彼等の言い分は一理ある」

 だが、マハリオは別の所で気分を害していた。

「……このままでは大乱に至る、か。完全に私達〝鎮定職者〟に対する宣戦布告だな」

「かもしれないわね。でも、わたくしやマハリオ的にはそれでも良いのではなくて? いっそシャーニングに再就職するのも手なのだし。まあ、船頭は四人も要らないとばかりに消されるかもしれないけど」

「かもな。けど仮にそうなっても、君はカース・テッドが守ってくれるからいいだろう?」 

「あなただってアルセイサがいるのだから、いいじゃない」

 が、マハリオは冷静に言い切る。

「いや、彼は私を命懸けで守ったりはしないよ」

「……案外、自己評価は低いのよね、マハリオって」

「ん? なにか言ったか?」

 純白の少女は、首を横に振る。それも、この状況だと言うのに楽しげに。

「いいえ、何でも。では、ここで一つ現実的な話もしておきましょうか。戦争になれば――実質的にはパルバイン対わたくしという事になるでしょう。そしてわたくしが十年早く生まれ、十年早くこの役職についていたら、勝てたかもしれない。でも、今のわたくしでは勝てるかは確約しかねるわ。それでも吉報があるとすれば、ラジャンは恐らくこちらの味方という事」

「だな」

「ええ。ラジャンはルーゲン皇の方が扱いやすいとみて、フォートレムにつくでしょう。というより、フォートレムに勝ってもらわないと今度はラジャンが外様という事になる。そうなると、宗主国になったシャーニングを落す事は至難の業だわ。つまりラジャンに経済制裁などの処置をしてこなかったのは、かの国を味方にする為の布石ね。何時かこういった事態になると見越したから。遺憾にも――それが現実となった。更に言えば、アルベナス、マーニンズ、グオールグ、シーナ、ストックゲイ、カシャンもわたくし達の味方となるでしょう。彼等はフォートレムに、多大な貸しがあるもの。あら? でもこれって、誰かさんがちょっかいを出した国ばかりじゃない?」

「……だったかな? そんな事は、もう忘れた」

「ええ。わたくしに比べたらもう歳だものね、マハリオは。いえ、これは失言だったわ」

 クスクス笑いながら、スワン・クワンはかの者を揶揄してみせる。

 そんな彼女を鼻で笑いながら、マハリオは口を開く。

「要は西の国を纏めたシャーニングと、東の国に支えられたフォートレムの大戦になるという事だ。これを〝鎮定〟するには、先ずパルバイン等のもとまで赴かなければならない。だが、既に彼は兵を挙げているだろう。このままでは、後十日ほどで彼等は東軍と衝突する事になる。私はまず、それを回避しなくてはならない。その為の策が一つだけあるが……」

 マハリオが、珍しく言い淀む。

「ええ――わたくしも一つだけある」

 逆にスワン・クワンは、ハッキリとそう告げる。

 マハリオはやはり眉間に皺を寄せながら、続けた。

「だが、これは策とは言えない、暴挙だ。反吐が出そうな程の」

「そう? わたくしとしては、十分すぎる資源の活用だと思うのだけど?」 

 平然と断言するスワン・クワンに、マハリオは初めて鋭い視線を向ける。

「そうか。それが、君の本質か?」

「いえ、今のもただの失言よ。聞き流してもらえると、助かるわ」

 この人の悪い微笑みを前に、マハリオは顔をしかめた。

「でも、あなたの立場としては、そうするしかない。反面、それだけの用意をする権限はあなたには無い。なら、あなたにはやはり何も出来ないという事。違って?」

「……だな。なので、その為の準備は君にしてもらいたい、と言ったらどうする?」

 かの者の提案を聴き、スワン・クワンが口を閉ざす。

 彼女は、笑みを消してマハリオを視界に収めた。

「つまり、わたくしに不戦を貫くあなたの片棒を担げと? フォートレムが滅亡しかけている、この状況で?」

「ああ。君の活躍の場を奪うのは心苦しいが、それが君の為にもなる。なにせ君がこの要求を蹴るなら、私は今後なにもしないつもりだから。そうなると――君は少し不遇な立場に追いやられるのでは? なにせ、パルバインとフォートリア二世を同時に相手にしなくてはならないのだから。それとも、この劣勢にあってなお彼等に打ち勝つナニカが、君にはある?」

 マハリオがそこまで言い切った時、白い少女は更に喜々とする。

「やはり、待っていた甲斐があった。あなたとの会話は、面白い。いいわ。では、本題に入りましょうか? マハリオは、わたくしに訊きたい事があるのではなくて?」

「そうだな。確かに、一つ訊ねたい事がある。実の所、君の正体は見当がついているが、パルバインはよくわからない。あれは――一体何者だ?」

「なぜそれを、わたくしに訊くのかしら?」

「別に。ただ、君なら知っていそうな気がしただけの事」

 これ以後二人は沈黙し、ただ見つめ合う。

 やがてスワン・クワンは、もう一度微笑んだ。

「いいわ。ならわたくしもパルバインに倣い、まずはあなたのお手並みを拝見する。その為の情報も提供しましょう。マハリオ・ルペル・ルクス、彼はね、恐らく――『■■■■■■■』よ」

「は……?」

 そしてマハリオは――生まれて初めて我が耳を疑った。


     ◇


 事態が動いたのは、それから二時間ほど経ってから。

 スワン・クワンの執務室を出たマハリオは――何故か数名の兵に囲まれたのだ。

「マハリオ・ルペル・ルクス殿ですね? 故あって、あなたを拘束しなくてはならなくなりました。どうか、抵抗なきようお願い致します」

「……私を、拘束? それは、面白い冗談だ」

「いえ。冗談ではなく、ルーゲン皇は本当にそうお望みです」

「容疑は? 私が一体、何をしたと……?」

 眉をひそめながら、マハリオが問う。部隊長らしき青年は、言葉を選びながら告げた。

「実は、ある噂がルーゲン皇の耳に届きまして。三年前、あなたがラジャンをオーザムから追い払った事件の事です。あれはラジャンがあなたを中央政府に潜り込ませる為の芝居だった。ルーゲン皇の信用を得る為にああいった真似をしたと、陛下は耳にされたのです。故に即刻あなたを投獄しろと、陛下はお命じになった次第で。何か反論はありますか?」

 この言い草を聴いて、マハリオは見るからに呆れ果てる。

「……反論どころか、バカバカしすぎて相手にする気にもなれない。この緊急事態を前に私を投獄する? ルーゲン皇は本当に国を滅ぼすつもりか? 言っておくが、それで利を得るのはシャーニングだけだぞ?」

 その直後、サアシエとアルセイサ、ルーアンがこの場に駆け付けてきた。

「マハリオっ? 話はルーアンさんから聴きましたが、まさか本当に――?」

「……これは驚いた。よもや弟子にまでこうも信頼されていなかったとは。良いからスワン・クワンと話をさせろ。彼女なら、私の無実を証明してくれるから」

「いえ、これ以上、要人とは接触させるなと陛下からの御命令です。それで、どうなさいますか? 大人しく同行願えれば、我らも手荒な真似はせずに済むのですが?」

「だ、そうだ、アルセイサ。いっそ君に……彼等を皆殺しにしてもらいたい所だ」

「……つッ!」

 この不穏当な発言を聴き、この場に居る兵士全てが抜刀する。

「……が、そういう訳にもいかんか。良いよ、同行しよう。何処へなりとも連れて行くがいい。だがそれで後悔するのは、君達だぞ」

 マハリオは自ら腰にさした剣を差し出し、両手を上げ、降伏の姿勢を見せる。

 その時――一人の女性が此方に歩み寄ってきた。

「……あら、マハリオ・ルペル・ルクス殿ではないですか」

「ベルナーマ・ラジャン……」

 それはまるで、闇をヒト型にしたかのような女性だった。

 黒い髪と、黒いドレスを纏った二十歳程の女性は、その美貌に笑みを形作る。

「……馬を走らせいま漸く皇都に駆け付けたのだけど、これは一体何事? ……オーザムの英雄足るあなたが、なぜこのような目に?」

「……やはり噂の震源地は君か、ベルナーマ。だが、自ら首を絞めたな。私抜きでは間違いなくシャーニングは降せないぞ」

「……それは一体何のお話? ……私には、まるで見当がつかないのですが?」

 ベルナーマのこの態度に、いい加減マハリオは辟易とする。

「相変わらずお伽噺に出てくる、キロ・クレアブルのような人だな君は。……ま、良い。私の身柄と引き換えに、ラジャンがフォートレムの味方になってくれるなら御の字だ。君にとっては実に皮肉な話だが、精々フォートレムの為に骨を折るがいい」

「……ええ。あなたの代役は私が勤めます。……あなたはどうぞ心穏やかなまま、獄中生活を満喫してください」

 ベルナーマは早々に立ち去り――マハリオはその後ろ姿を見送るしかなかった。


     ◇


 それから、話は一気に進んだ。

「そうだな。ではマハリオ・ルペル・ルクスは〝皇帝〟を欺いた罪で処刑されたという事で。その旨、ルーゲン皇にも伝えてもらいたい」

「了解いたしました」

 城の地下にある牢獄で、マハリオとマハリオを捕えた部隊長はそんなやり取りをする。

 この様を、同行してきたサアシエは瞬きしながら眺めた。

「……え? それって、どういう? マハリオは、投獄される事になったんじゃあ?」

 意味不明と言った感じの彼女を前にして、マハリオは目を細める。

「まさか。仮にそんな事になったら、私は事前に逃げ出しているよ。言っただろ? 私は人の行動が読めて、その上悪意には敏感だと」

「じゃ、じゃあアレは芝居だったんですかッ? マハリオは裏切り者じゃない――?」 

「前から感じていたのだがね、君は私を何だと思っている?」 

 ニッコリと微笑みながら、マハリオは問い掛ける。サアシエは、露骨に視線を逸らした。

「……えっと。これってやっぱり、シャーニング対策?」

「そういう事だ。無駄だと思うが〝六月二十一日を以てマハリオ・ルペル・ルクスは死んだ〟と言う噂を、シャーニングに流す。仮にパルバイン達がルーゲン皇の事を、私を殺す程の痴愚だと思っていれば幸いだな。もしかすると有効な手かもしれない。ま、十中八九不発に終わるだろうが、何もしないよりは良いだろう。因みに、ベルナーマもこの事は了解済み」

「つ、つまり、あのやり取りも芝居……?」

「ああ。人を欺く事には長けているからね、彼女は。お蔭で助かったよ。少なくとも、君の目は誤魔化せたみたいだし」

 アルセイサがニヤついたのは、その時だ。

「てか、ベルナーマ王って若くて美人なのな。こう、ツリ目で偉そうなのをイメージしていたんだが。実際はおっとりした雰囲気で、良い感じだった。まじい。割と好みかも」

「……アルセイサさんは節操が無さすぎです。さっきまでスワン・クワン贔屓だったクセに」

「いや、アルセイサが節操無しなら――君はただの不忠者だが」

「スミマセンでした……っ!」

 ――謝った。サアシエさんは――普通に謝った。

「で、でもそれじゃあ、これからマハリオはどうするつもりなんです? その姿じゃ、もう表には出られないでしょう?」

「だね。なので今日から私は――〝謎の女軍師、テェシア・ネッチェ〟と名乗る事にします。キラ☆」

「キ、キラ……?」

 マハリオは紐を解いて髪を下ろし、纏っていた服を脱ぎ捨てる。そこから現れたのは、ネメントを欺いたとき着ていた白いドレスだった。

「と言っても、私の出番はもう暫くありませんが。スワン・クワンさんが全ての用意を整えるまでは、待機する他ありません。それまでに、後五日はかかるでしょう」

「そ、そうですか。と言う事は、師匠はそれまでそのキャラで通す、と?」

「その通りですが、何か問題でも?」

「いえ。何か、普通に気持ち悪いなって」

「そう言うと思っていましたが、我慢して下さい。マハリオは既に死に、私はテェシアに生まれ変わったのですから。さしあたっては、シャーニング軍の動きがわかるまで昼寝でもしていましょうか」

「……うわ。本当にやる事ないんですね、マハ……いえ、テェシアは?」

 ソレで話は終わった。テェシアはさっさと地下牢から出て城内に戻り、そのまま隠れ家に帰る。本当に昼寝を始め、サアシエとルーアンを閉口させた。

「……あの。今って、フォートレム存亡の危機なんですよね? それなのに、これで本当に良いでしょうか、サアシエ殿?」

「申し訳ありませんが、返答しかねます。私もこんなやる気のない師を見るのは、初めてなので……」

 かくして六月二十一日の夕刻――マハリオ・ルペル・ルクスは死んだのだ。


     ◇


 だが状況はテェシア・ネッチェの予想とは違った。何故かシャーニングは挙兵せず、そのまま十五日程も時間が流れる事になる。さすがのテェシアもこれには眉をひそめた。

「とか、そろそろそう思っている頃でしょうね、マハリオは。いえ、かの者が処刑されたと耳にした時は、さすがに笑わざるを得ませんでした」

「同感です。存外、陛下と私の笑いのツボは同じなのかもしれません。だとすれば、非常に光栄の至り」

 自分同様、馬車に腰かける〝皇帝〟に、彼はそんな返事をする。

 顔を包帯で覆ったパルバインは目を細めながら、周囲を眺めた。

「と、そろそろフォートレム連合の国境に入りますね。どうやら、流石のマハリオも此方の手を読めなかった様です。それとも噂は事実で、かの者は本当に死んでいるのかも」

「ソレはかの者を過大評価しながら、過小評価もするという二律背反ですね。マハリオが貴方の策を読めなかったのは事実でしょうが、処刑まではされていない筈。私のいとこはそれほど愚鈍ではありませんから」

 平然と〝皇帝〟は言い切り、逆にパルバインは眉をひそめる。

「前から疑問に思っていたのですが陛下がかの者をいとこと断言なされるのは何故です? マハリオと言う名と、その優秀さがやはり理由なのでしょうか?」

 この問いに、フォートリア二世は苦笑いする。

「それもありますが、決め手はかの者の行動原理です。マハリオという者は、戦争を心から憎んでいる。そんなマハリオならば、必ず戦争を阻止する様な職種に就くと思っていました。だとすれば、私はマハリオにとって憎悪の対象でしかないのでしょうね。そんなマハリオと早く再会したいと感じるのは、やはり変だと思いますか?」

「いえ、失礼ながら陛下はもとより変かと」

「また、言い辛いであろう事をハッキリと」

 クスクス笑いながら、フォートリア二世は耳につけたピアスを指で弾く。

 パルバインも微笑み、平然と告げる。

「陛下の御気性で私の企みに乗る、という事はそういう事かと。確かに野心家なら、喜んで私の誘いを受けるでしょう。ですが、陛下は異なります。貴女は別に、この大陸の覇権など興味が無い」

「よく見抜くこと。だとしたら――私の目的は何?」

 まるで試す様に、彼女は問う。パルバインは、躊躇なく両手を上げた。

「それがわからないからこそ――陛下は私を魅了するのです。この私に心中を読ませない貴女だからこそ――私は貴女に興味を抱いた」

 と、この時フォートリア二世は、初めて自国の宰相から視線を切る。

「存外、つまらない理由かもしれませんよ?」

「なら、尚のこと結構。その時は――落胆する私の姿を楽しんでいただければ幸いです」

 不敵に笑いながら、パルバインは誰かの様にしれっと言い切る。

 余程その様が可笑しかったのか、フォートリア二世はもう一度声を上げて笑った。

「ええ。その時は貴方の道化ぶりを、心から堪能する事にしましょう」

 こうしてかの二人は――テェシアとスワン・クワンをも出し抜こうとしていた。


     ◇


 東軍、いや、ティシアの用意が整ってから既に五日が過ぎた。

 先鋒隊の総大将はガシャラ・スカニの養女――クン・スカニに決定し、彼女等は対面する。

「はじめましてクン・スカニ将軍。私はテェシア・ネッチェ。謎の女軍師です。キラ☆」

「………」

 テェシアの前には、黒髪をポニーテールで纏めた軍服姿の少女が居る。

 シャーニングの意図が読めないまま、テェシアは齢十八のクンと挨拶を交わす。

 オーザムの城内で顔を合わせた二人は、握手とかしてみた。

「というか貴公はルペル……いや、良い。何となく事情はわかったので。それで、そのテェシア・ネッチェ殿が私の参謀という事でいいのかな?」

「ええ。誠心誠意ご奉仕する所存なので、どうか可愛がって下さいませ」

 このかわい子ぶりっ子を前に、クンは思った事を正直に口にする。

「……サアシエ殿は本当に大変だな。いや、わかった。総将は何故か貴公の事が気に食わない様だが、私は頼りとしよう。貴公が私の事を生かせる人材だと切に願うばかりだ」

「ですね。予言しておきますが、私はあなたを最大限生かす事になるでしょう。その覚悟が、本当におあり?」

「ほう? 一体何を企んでいるのかな、ネッチェ殿は?」

「いえ、私の事は〝テェシアちゃん〟とお呼び下さい!」

「……成る程。総将が貴公を嫌う訳が、少しわかった気がする」

 無表情で呆れながら、クンはそう察する。テェシアは眉をひそめながら、訊ねた。

「そのガシャラ・スカニ〝皇家守護将総将〟は、やはりオーザムに残ると? 飽くまでオーザムに留まるルーゲン皇の傍に、つき従うおつもりですか?」

「だ、そうだ。暗殺者が城内に忍び込む危険もあるし、迂闊には動けないとの事。仮に総将が戦場に立つ事があるとすれば、それは私達が敗れた後だな」

「そうですか」

 一応頷き、テェシアは眉根を寄せる。まるでこの条件でかの大国を降せるか思い悩む様に。

 その時――事態は思わぬ方向に進んだ。

 一人の兵が大広間まで駆け足でやってきて――あろう事か彼はこう告げたのだ。

「申し上げます! たったいま伝令がありました! ここから五日の距離に突如、シャーニング軍が出現! かの兵の数は五十万に及び、後方の国や砦を取り囲んで攻略を図っているとの事! 彼等がどうやってこの距離まで我らに気付かれずに迫ったのかは全くわかりません! ですが、こ、このままでは――非常に危険かと!」

 伝令役の兵が言う通り、テェシアは嘗てないほど危機感を募らせながら息を呑む。

「……ええ。このままでは、一気にフォートレム領内にまで攻め込まれる可能性があります。確かに不味いですね。やはりパルバイン・シャーニングは――人ではない」

 そう呟きながら、テェシア・ネッチェは喜悦したのだ――。


     ◇


「……な、に? シャーニング軍が、たった五日の距離にっ? どういう事だッ? かの国が兵を挙げたなどと言う報告は、一切上がってなかったぞっ?」

 兵から件の報告を聴いた大臣の一人が、声を荒立てる。

 いや、明らかに彼は動揺し、浮き足立っていた。

「……待て、待て、待て。では、我が軍の防衛線は突破されたという事か? 敵軍は既にその内側にある、と……?」

 ならフォートレムは、キーファやミストリアと分断されたと言う事。フォートレムに味方すると表明していたかの両国は、既にシャーニング軍に包囲されている。このままではシャーニングに各個撃破されるのは、明白だ。

 事実、キーファとミストリアは、籠城を余儀なくされていた。

「ですね。このままでは、フォートレムがどういう状況になろうと、ほぼ援軍は期待できません。孤立させられた我々は、早晩シャーニングの総攻撃を受ける事でしょう」

「な――っ?」

 テェシアは、普通に事実だけを告げる。

 それから、彼女は誰にも聞こえない様、独りごちた。

「……尤も、フォートレム以外の国々には、敵と遭遇しても守りに徹しろと通告済みですが」

 飽くまで戦争回避が目的であるテェシアとしては、そう図ってもらう他ない。フォートレムが動くまでは、決して軽はずみな真似はするなと他国には伝令してある。

 その反面――テェシアもまさかこんな状況になるとは想定していなかった。

「ですが、彼等が用いた手品なら解説可能です。恐らくシャーニングは、兵を武器商人にでも扮装させたのでしょう。〝東の方で戦争がはじまりそうだから、其処で商売をする〟と言って彼等は国境を越え続けた。実際、本当に戦争が始まりそうなのだから、彼等の言い分に嘘はなかった。彼等が、自分達の身分を偽っていること以外は」

「成る程。そのまま個々に東へ移動した彼等は大陸の三分の二辺りまで達した後集結したと? 売り物と称していた鎧や剣で武装し、準備を整え、我らの鼻先まで迫った訳か?」

 クンの推理を、テェシアは肯定する。

「はい。シャーニング軍がまるで瞬間移動でもしてきたかのようなやり口は、そんな所でしょう。これぞ――正に鬼謀。これで彼等は自分達に敵対する砦を取り囲み、孤立させ、自軍の有利を確保しました。逆にこれ以上軍を進めれば、兵が不足となり後方の敵を押さえ込めなくなります。包囲を突破され私達と、後方の軍に挟撃される恐れがでてくる。だとしたら現時点では――コレがベストの戦略でしょうね。孤立した砦の軍もシャーニングの勢いに押され、彼等に寝返るでしょうから。そうなると――後顧の憂いも無くなる」

 実際シャーニングの兵は五十五万に膨れ上がり、フォートレムは三十五万にとどまる。西側の兵を吸収したシャーニング軍と、分断されたフォートレムではソレだけの差があった。

「またパルバインに、してやられましたね。我らは完全に、後手に回りました」

「な、何を、呑気な事を! そなたは、フォートレム皇朝が危急にあると、本当に理解しておるのかッ?」

「無論です。このままでは後七日もしない内に、フォートレムは世界地図から消滅する事でしょう」

「なっ、はぁ……!」

 ならば、テェシアはクンへと振り返る他ない。

「それを避ける為にも、我が軍は一刻もはやくシャーニングと接触する必要があります。クン将軍、今こそ出陣の時だと進言させていただきますが――いかがでしょう?」

「是非もない。早急に兵を進め――事態の改善を図ろう」

 クンは速やかに決断し――二十万もの兵を引き連れオーザムを後にした。


     ◇


 クンの動きは確かに素早かった。彼女はルーゲン皇に謁見する間も惜しみ、挙兵して、西へと進軍する。テェシアはスワン・クワン推薦の軍師として、これに同行。

 更に、そこには見慣れた面子も揃っていた。

「やはり、貴女もついてくるのですね、サアシエ。私としては、気が進まないのですが」

「進まなくて結構です。私にはテェシアを見張るという、重要な任務があるだけですから」

 サアシエとルーアン、それにアルセイサもこれに追随する。シャーニング軍の侵攻を阻止する為、共に馬を走らせながら彼女達は行軍を開始した。

 その最中――サアシエは一つの疑問を口にする。

「というか、テェシア的にはどう考えているのでしょう? シャーニングは本当にフォートレムを滅ぼすつもり? それとも軍で圧力をかけ、フォートレム側から政権を放棄するよう迫る気でしょうか?」

「そうですね。前も言いましたが私はこれまで様々な人間に接触してきました。それで得られた結論は幾つかあります。その一つが『ある人間とは対極的な考えを持った人間が必ず居る』という事。平和を望む者がいるなら、戦争を望む者もいるというのはその典型です。つまり私が平和を望む以上、戦争を望む人間も必ず居ると言う事ですね」

 とすれば、サアシエとしてはこう解釈する以外ない。

「要するに、パルバインは飽くまでフォートレム皇朝を根絶やしにする、と?」

「ええ。彼の事はまだ良くわかりませんが、ソッチの可能性が濃厚です」

「……そうなると、父も死ぬまでシャーニングと交戦するでしょうね。あの人は、そういう人だから」

 嘆息混じりに、サアシエは項垂れる。それはルーアンも同様らしい。

「はい。お互い武骨で不器用な父親を持った物です、サアシエ殿」

 と、サアシエは苦笑しながら頷く。ルーアンはというと、テェシアに視線を向けた。

「で、あなたは一体どうなさるおつもりですか? これからあなたは、飽くまで〝テェシア〟として振る舞うつもり? それとも、何か考えが?」

 そんなルーアンに、サアシエは言い切る。

「ええ。そんな事は、決まっています。だってこの人は――骨の髄まで〝マハリオ・ルペル・ルクス〟なんだから」

「………」

 この彼女の容赦ない断言を聴き――テェシアは僅かな胸の痛みを覚えたのだ。


     ◇


 そのままフォートレム軍は西進しながら、五日程かけ西側の軍を集結させた。

 彼等は、アルベナス、マーニンズ、グオールグ、シーナ、ストックゲイ、カシャンの兵を吸収する。その兵力を三十五万にまで膨れ上がらせ、遂にシャーニング軍と対峙する事になる。彼等は敵軍まで、後十キロという距離まで迫る事になった。

 この間に、テェシアはクンと何やら密談を行い――クンは思わず声を荒立てる。

「本気か、貴公、は? だとしたら、貴公は一体、何様だ……?」

「そうですね。言うなれば〝スワン・クワンが全責任を負ってくれるので、自由に振る舞える謎の女軍師〟といった所でしょうか?」

「……な?」

「とにかく、今はソレしか手段がありません。スワン・クワンがこの場に居ない以上、これよりさき、進軍しても結果は見えています。なら、今はこの策に懸けてみるのも手ではないでしょうか? いえ、違いますね。確かにこれは、実行したなら決して失敗させてはならない暴挙です」

 笑みを消し、訴える様にテェシアは告げる。

 こんな表情のテェシアなど見た事がないと言い切れる程の様子で、彼女は謳った。

「そうか。これでも想像はしていたつもりだがここまで過酷な職種か――〝鎮定職者〟とは」

「それはお互い様でしょう。実際に手を汚すのは、あなた方なのですから。恥知らずにも私はそんなあなた方を、遠方からただ見届けるだけ。……でも、そうですね。これで唯一の弟子には、確実に見放されるでしょう」

「……わかった。やってみよう。……そうだな。いま私に出来る事があるとすれば、それは貴公等の決意に準ずる事だ」

「感謝します――クン将軍」

 それで話は決まった。

 テェシアは、そのまま西に向かって馬を走らせる。

 その後を、サアシエとアルセイサ、ルーアンが追う。

「何です、テェシアっ? どこへ行くつもりですかッ?」

 いや、そんな事は、決まっている。テェシアはそのまま十キロほど進み、遂にはシャーニング兵と接触する。彼女は堂々と、数十万に及ぶ敵軍に目を向けた。

「私はフォートレムの使者、テェシア・ネッチェという者です。重要な話があるので、誰か然るべき立場の方を呼んでいただきたい」

 フードを目深に被ったテェシアが、訴える。

 彼女の申し出は速やかに了承され、将軍クラスの女性がその場に現れた。

 このノウビス・ケルストラという将軍に対し――テェシア・ネッチェは告げる。

「はい。我等フォートレムは――シャーニングに降伏いたします。その証拠に、我が軍に属した戦争推進派であるホービット砦を落してご覧にいれましょう」

「な、は?」

 驚嘆の声を上げたのは、サアシエとルーアン。

 そしてロウランダ大陸に――再び血の雨が降ろうとしていた。


     ◇


「ホービット砦を落す? あの二千は兵が居るであろう砦を、味方である貴公等が?」

 怪訝な様子で、ノウビスが問う。サアシエとルーアンも、今は息を呑むしかない。

「ええ。講和派の我らにとって、戦争推進派である彼等は、正に獅子身中の虫。仮に我らが降伏を願い出ても、彼等はシャーニングとの交戦を続ける事でしょう。その彼等を我らが掃討する代りに、フォートリア二世との謁見をお願いしたい。最高責任者であるフォートリア二世と直接交渉し、フォートレムの存続を願い出たいのです」

「陛下との交渉、か。確かにそれ位の事なら、私の権限でどうにかなる話だが」

 しかし、ノウビスは目を細める。

「なら、此方も条件がある。そのホービット砦に居る人間は――皆殺しにしてもらう。捕虜になる事は許さず――一兵たりとも逃すな。それが出来ぬのなら、我が方としても貴公の言葉は信用しかねる」

「……皆、殺し?」

「そうだ。貴公等が何かを企んでいる可能性もある。そこまでしてもらわなければ、貴公等の身の潔白は証明しきれまい?」

 ノウビスの容赦ない要求に、テェシアも思わず息を呑む。

 が――彼女は項垂れながら、ただ呟いた。

「……わかりました。その旨、総大将にお伝えします」

「……ちょ、マハリオっ? それは、本気で言っているッッ?」

「……マハ、リオ?」

 サアシエの発言を聞き、ノウビスが眉をひそめる。だが、その頃には既にテェシアは馬を転身し、自陣に引き返していた。それから、話は坂道を転がるように進む。

「では、参ろう。我らが敵は――ホービット砦にあり」

 クン・スカニ将軍は、何の躊躇もなくここから北西にあるホービット砦に攻め込む。百倍以上の兵力を以て門を破壊し、兵を進行させ、自身も砦内へと突入する。このとき彼女は、比喩なく一人で五百もの兵を斬り捨てた。

 対してホービット砦の兵は、この奇襲に色めき立ちながらも、必死に抵抗を試みる。

 それでも、多勢に無勢なこの状況を彼等は遂に覆す事が出来ず――全ては終わった。

「我らを裏切ったフォートレムにぃぃぃ末代まで呪いあれぇええぇ―――ッ!」

 ホービット兵は口々にそう罵りながら、命を奪われる事になる。

 ノウビスとの確約通り、クンは徹底してホービットを蹂躙する。

 一兵も逃さず、彼女達は彼等を皆殺しにした。

「な、に? なん、なの、これはぁぁぁ……っ?」

 この地獄の様な光景を目撃したサアシエは――ただ忘我しながらその場にへたり込んだ。


     ◇


 ノウビス・ケルストラが眉をひそめたのは、それから数時間は経ってから。

 彼女はクンの軍が十キロは離れたのを見届けた後、五千の兵を引き連れ件の砦に入る。

 死体が累々と転がるその砦を見て――ノウビスは素直に驚愕した。

「……まさか味方相手に、本当にここまでするとは。どうやら私は、貴公等を見くびっていた様だ」

「はい。ここまでしなければ、私達はフォートリア二世どころか、あなたとも交渉出来なかったでしょう。違いますか?」

「かもな。宰相閣下は飽くまで、フォートレムを滅ぼすおつもりの様だから……」

 思わず、彼女はそんな本音を漏らす。ソレを受け、テェシアはノウビスを見据えた。

「けど、これで我が軍は、シャーニング軍の味方である事が証明された筈。仮にこの条件で折れなければ、この先シャーニングに降伏する国は無くなると思いますが? それとも全ての国を根絶やしにするまで、シャーニングは戦い続けるおつもりですか?」

 言語を絶する暴挙を成した者が、正論を吐く。

 この矛盾に内心呆れながらも、彼女は頷いた。

「わかった。約定通り、陛下にとりなすとしよう。だが、その前にもう一つ要求がある」

 が、それをテェシアは遮る。

「いえ――武装は解けません。私達はまだ、あなた方を信用してはいませんから。私達を信用させる手は、一つだけ。このままあなた方が軍を反転させ、祖国に戻る事だけです。その見返りに、フォートレムは政権をシャーニングに献上いたします。私がフォートリア二世に対して要求する事は、それだけです」

「いいだろう。そこら辺は勝手にするがいい。但し私が出来るのは、貴公等の代表と陛下を引き合わせる事だけ。それ以上の事は一切しないので、そのつもりでいてもらう」

 ノウビス達が馬を転身して自陣に戻った為、その場にはテェシア達四人だけが残される。

 よって、シャーニング軍が去った事で、遂にサアシエのタガは外れた。

「………マハリ、オ。………マハ、リオ。これは、一体、どう、いう……?」

 彼女は、ただ手を伸ばす。師に向かって、彼女は右手を突き出すしかなかった。

「どうもこうも、ない。見たままだよ。私は彼等の命と引き換えに、フォートリア二世と交渉する機会を得た。ただ、それだけだ」

「マハリオぉおおおお―――ッ!」

 平然とそう言い切る師に対し、サアシエはありったけの絶叫を上げる。

 そんな彼女に対し、腰に大剣を帯びた彼が進み出た。

「……アルセイサ?」

「バカかオマエは。コイツの事を本当に弟子だと思っているなら、本当の事ぐらい話ておけ。ソレを聴いてサアシエがどう判断するか選ばせる位の責任は、オマエにはあるだろうが」

 故に、アルセイサは告げる。数日前この砦で起こった事実を、今日この砦で殺された彼等の正体を、アルセイサは明かした。

「ああ。十五日前、俺とマハリオはサアシエ等に黙って、遠出した事があったろ? アレはスワン・クワンがたった五日で全ての準備を整えたからだ。東のほぼ全ての国から――死刑囚をこの砦に集める為の準備を」

「……し、死刑、囚?」

 そう。それは十日前の事。あろう事か、スワン・クワンは事前にこうなる事がわかっていたかの様に、暗躍した。密かにミストリアやキーファ、アルベナス、フォートレム等の死刑囚全てを、このホービット砦に集結させたのだ。

 ついで、マハリオは彼等に宣告した。

「そう。君達の、処刑日時が決まった。君達は後数日前後の内に、ここホービット砦でフォートレム軍に斬り殺される事になる。このホービット砦の兵に、扮して」

「は……?」

 この一方的な通達に、死刑囚達は色めき立ち、理解と言う物を失った。

「……意味が、わからねえ。なんで俺達が、そんな死に方をしなくちゃならねえ? なんで俺達が今更、そんな茶番に付き合わなくちゃなんねえんだ……?」

 そこでマハリオは、偽る事なく全てを話た。

 ホービット砦にいる兵の命で、フォートリア二世と交渉権を得る。その為には、絶対にこの砦を落さなければならない。そうしなければ、フォートレムは滅びるであろう事までハッキリとかの者は告げた。

 だが、そんな話を聴いた所で、彼等の納得が得られる筈もない。

「ふざけるなッッッ! 最期までフォートレムは俺達を物として扱う気かっっっ? 死に方さえ人間らしい扱いをしねえってそう言いやがるのかよッッッッ?」

 だから、マハリオは心底から、彼等の言い分に納得したのだ。

「そうだな。スカラは家族を養う為に、強盗。テッチェは娘の薬代を手にする為に、やはり山賊に身を窶した。ナーラはお偉いさんの息子を過失で死亡させただけで、死罪。確かに君達は死罪人だが、君達には君達なりの理由があった。全く、皆が皆、極悪人なら救いもあるのに、本当にやり切れないな」

「……ま、まさか、てめえ、俺達の名前や罪状を皆、覚えている……?」

「ああ。そんな事が何の慰めにもならないのは、わかっている。だが、私だけは決して君達の事は忘れない。更に言えば、君達の家族はフォートレムが相応の援助をさせてもらう」

 かの者がそう告げると、囚人の一人が己の現実を言語化する。

「……だから、俺達は、ここで死ななければ、ならねえのか?」 

「ああ。だから、君達はここで―――死ななければならない」

「……………」

 だが、それでも、怒号は鳴りやまない。

 囚人達は口々に何かを訴える。マハリオ達に対する怨嗟を、声高に口にする。

 そんな中、彼等の代表者はマハリオの目を見ながら問うていた。

「……待て。本当にそれでこの大陸は救われるのか? 俺達の家族は平和に暮らせる、と?」

「ああ。これが上手く行けば―――君達こそ救国の英雄だ」

「…………」

 マハリオには、彼が何を思ってそう問うたのかはわからない。

 ただ、歴史的な事実を挙げれば、彼はこの時、胸を張ってこう断言した。

「いいぜ……なら、やってやろうじゃねえか」

「フェイゼム……っ?」

「……そうだ。どうせ何れは吊るされる身だ。シャーニングの連中がフォートレムを滅ぼすっていうなら、ソレを追って殺されるのが俺達だ。なら、考えるまでもねえ。……そうだ。今まで一度だって人の役に立てなかった俺達が国を救った英雄になれるんだぜ? ただ死ぬだけだった俺達が、家族を救う事が出来る。こんな俺達が、笑って死ねる道を、こいつはつくるって言うんだ。ならよ、どこに断る理由があるってんだ―――?」

 彼は――フェイゼム・ニーゼは、後ろを振り返り、訴える様に彼等に告げる。

 ソレを聴いて、囚人達は、初めて口ごもった。

「……君は、本当にバカだな。私を恨んだ方が、遥かに楽な筈なのに」

「バカ野郎。人生最後の強がり位、格好良くきめさせろってんだ」

 きっと、マハリオはその彼の笑顔を、死ぬまで忘れない。

 いや……忘れてたまるものか。

 フェイゼム・ニーゼとマハリオ・ルペル・ルクスはそうして全ての囚人達を説得し続けた。それは、果てしなく困難な作業だったに違いない。

 多くの人々に軽蔑され、罵倒され続けた事だろう。

 だが、それが成功したか否かは、この累々と広がる死体の山が物語っていた。

「ああ。ソレが、この件の裏事情。このロクデナシが思いついた、悪魔その物の暴挙だ」

「ああ――」

 アルセイサの説明を聞いて、サアシエはもう一度だけ絶句する。

 その間を埋める様に、テェシアは口を開いた。

「そうだな。敵が並みの人間なら、こんな暴挙に頼る必要はなかった。だが、相手があの二人である以上、私の能力ではどう足掻いても犠牲が出てしまう。だから私は、何れは殺されるであろう彼等を、切り捨てた。彼等の命と引き換えに、こんな策とも言えない策を成立させた。全てを話してしまえば、そういう事だ」

「…………」

「だか、君が感じている通りだ。こんなのは〝鎮定職者〟がやる事じゃない。例え彼等が死刑囚であろうと、私が彼等の命を奪う権利なんて、なかった。戦争で失われる二千の命と、彼等二千人の命にどれだけの差があるって言うんだ? そうだ。差なんて微塵も無い。私は結局、戦争を回避する為に、人命を犠牲にするという矛盾を行った。そんな私が弟子などとる資格なんてないだろう。だから、今度こそ君は私を見放すべきだ」

 サアシエが、テェシア、いや、マハリオの前に回り込んだのはその時だ。

 何時もと変わらないマハリオの姿を見て、彼女は涙を流す。

「……そう。そう、なんです、ね。私は、貴方の事を、絶対泣かない人だと思っていました。でも違った。貴方は、誰かの為に涙する事ができる人だった。いえ、きっと貴方は何時だって誰かの為に涙してきた筈なんです」

「私が、泣いている? まさか」

「それなに、私は貴方を信じ切れず、ただ貴方を責める事しかしなかった。私が同じ立場ならただ国を滅ぼす事しかできなかっただろうに、それなのに私、は」

「な……?」

 そう告げながら、サアシエはマハリオを抱擁する。

 ただ力一杯、彼女は師を抱きしめる。

 その彼女に応える様に、マハリオも思わず呟いた。

「ああ、そうだな」

〝こんな俺達が、笑って死ねる道を、こいつはつくるって言うんだ〟

「私はもう、彼等の為に泣く事しか、できない」

〝ならよ、どこに、断る理由があるってんだ―――?〟

「本当に、そんな事しか」

 そして、マハリオはあの日以来、もう一度涙して、吐露していた。

「私は、人殺しだ」

「はい」

「私は、本当に、最悪だ」

「はい。でも、それでも――絶対に貴方は、この大陸を救ってくれます。私達の父や母、友人や、私や貴方に笑いかけてくれたあの人達を――救ってくれます」

「……………」

 周囲に響くのは、慈愛に溢れた、声。

 こうしてマハリオ・ルペル・ルクスは、生まれて初めて他人に救われたのだ―――。


     ◇


 そして――遂に最後の幕は上がる。

 現在、西軍の陣中では、フォートリア二世がパルバインの構想を聴く最中にあった。

「成る程。やはり、まだ進軍はしない方が良いと?」 

「ええ。恐らくこのまま進んでも、東軍の国々は籠城するだけでしょう。ソレを落すのは容易ですが、時間の浪費は否めません。なら、いっそ彼等を集結させた後、一気に纏めて殲滅するのが上策かと。幸い計算通り、キーファ、ミストリアとフォートレムの分断は成功いたしました。なら、彼等の兵力はどう絞り尽くしても、三十五万程。対して我が方はまだ落せる砦があり、そのため降伏する兵も残っております。これを吸収しつつ東進すれば、自ずと勝利は我が軍に傾くでしょう。まぁ、正直私としては正攻法すぎて、余り気が進まないのですが」

「フフ。それは本当に、貴方らしい意見ですね」

 と、フォートリア二世がそう納得していた時、状況が変わる。ノウビス・ケルストラが〝皇帝〟に謁見を願い出たのだ。これは速やかに了承され、ノウビスは一礼しながら陣中に赴く。

 その様を見て、フォートリア二世は眉をひそめた。

「先鋒隊の指揮官である貴女自ら顔を出すという事は、余程の事があったのでしょうね。よもやフォートレムが、降伏でも願い出ましたか?」

「正に、御慧眼の通りです。フォートレムは果断を以て、わたくしめにそう要求してまいりました」

 ノウビスが、一連の出来事を報告する。ホービット砦の一件と、それと引き換えに〝皇帝〟との直接交渉を許可した事を説明する。

 だがその一方で、彼女は真逆の事も口にした。

「ですが無論、陛下がお望みでないならこの件は白紙といたします。逆にこのまま軍を進め、フォートレムを滅ぼしてご覧にいれましょう」

「……そう。そうきましたか。だとすると、そのテェシアという軍師が或いは? で、貴方はどう思います、パルバイン?」

 フォートリア二世は、自国の宰相に目を向ける。彼は、表情を消しながら断言した。 

「確かにテェシアなる者の言う事は、筋は通っております。そこまでして尚要求を呑まなければ、今後我等に降伏する国は無くなるでしょう。みな死に物狂いで戦う様になり、調略は困難になるかと。なので、一応あちらの言い分も通さねばならないかと存じます。いえ、私としては、その先にこそ私にとっての利があると思っておりますが」

 しかし〝皇帝〟は彼の意見を初めて否定した。

「また嘘を言いますね。ただ単に事実を噂にして流せば、それだけでかの軍師の策は潰せるというのに」

「さすがは、陛下。既にかの者のやり口を、看破しておいででしたか。ですが、それでも話は五分五分でしょう。世間は〝フォートレム側の要求を蹴る為に、我らがそんなデマを流した〟と考える可能性もあるので」

「成る程。だとすると、流石はテェシアないし、スワン・クワンと言った所ですか。我等に行動選択の余地を与えない、というのは」

 よって、フォートリア二世は一考し、結論する。

「なら、是非もありません。そのテェシア・ネッチェなる者の顔を拝ませてもらいましょう。きっと見覚えのある顔に違いありませんが、なればこそ何をしでかすか興味があります」

「――御意」

 フォートリア二世はパルバイン共々笑みを浮かべつつ、件の交渉に臨んだ。

 時にして皇歴二百二十八年――七月十一日の事である。


     ◇


 シャーニング軍本隊が、ホービット砦に入城したのは、それから二時間後の事。

 というのも、他でもない。フォートリア二世が、是非ともホービット砦が今どうなっているか知りたいと要望した為だ。故に、謁見の場はかの砦という事になっていた。

 その惨状を見て、彼女は眉をひそめる。

「……やはり死刑囚とはいえ、あのマハリオがこれだけの死者を出すのは意外でした。だとすれば、かの者は私が知るマハリオとは、少し違っているのかも」

 怪訝に思いながらもフォートリア二世一行は、砦内へと歩を進める。その数、実に六千名ほど。更にホービット砦の周囲を、四十五万にも及ぶ兵が囲んでいる。

 この光景を遥か十キロ先に居るクン・スカニは、ただ見つめる事しか出来ない。

 一方テェシアと言えば、いち早くホービット砦に入っていた。

「……というか、なぜ貴女がここにいるんです、サアシエ?」

「そんなの、決まっています。私が貴方の、弟子だからですよ。だから私はこの〝鎮定作業〟を最後まで見届ける義務がある」

「……ま、良いでしょう。パルバイン達ともあろう者が貴女に手だしはしないでしょうから」

 既に砦内の領主の間に入っているテェシアとアルセイサは、フォートリア二世達を待つ。いや、そこにサアシエも加わり、三人はただ其処で棒立ちしていた。

 当然ながら、彼等に帯刀する事は許されていない。砦にやってきた兵に剣を預け、彼等は徒手空拳となっている。今、彼等三人に武力という物は皆無に等しい。

「おや、やっと来ましたね」

 そのためテェシア達は身一つのまま――フォートリア二世達を出迎えた。

 まず十名ほどの兵が部屋に入り、それからフォートリア二世とパルバインが後に続く。その様を見て、テェシアは当然の様に部屋の壁に肘を打ちつけた。

 それだけで部屋の壁は崩れ、ソノ壁の中からは、直径一メートル程の球体が二つ現れる。

 更に――其処には剣や槍が置かれていた。

「なっ、は……ッ?」

 この余りに馬鹿げた光景を見た時、兵士の一人が驚愕の声を上げる。そんな彼等の驚きを無視して、テェシア達は行動を開始する。

 テェシアは油を塗った短剣に火をつけ、アルセイサは球体の一つをフォートリア二世等に投擲する。同時にテェシアは周囲に響き渡らん限りの声で、こう告げた。

「皆――逃げて下さい! 爆発します――!」

「なぁ――っ?」

 現にテェシアが投げた件の短剣が例の球体に突き刺さった途端――その一帯は爆発する。

 天井が崩れ、この部屋唯一の出入り口が瓦礫で塞がれる。

 だが、それはそれだけの事だった。

「さすが。今のを躱しますか」

 パルバインとフォートリア二世は、この不意打ちを当たり前の様に、回避する。横へ飛び、部屋の上座へと逃れていた。十名の兵も皆無事だったが、爆風に吹き飛ばされ、気を失っている。

 即ち、今この場で意識を保っているのは、五人だけ。

 テェシアとアルセイサにサアシエ――それにフォートリア二世にパルバインのみ。

 そう悟った時、フォートリアは初めてテェシアの意図を理解した。

「――そう。そう。これが貴方の策? 私達と、兵を分断させる、というのが――?」

 テェシアが後ろ髪をヒモで縛り、白いドレスを脱ぎ捨て、何時もの服装に戻る。

 かの者は――今漸くマハリオ・ルペル・ルクスとして、フォートリア二世達の前に立ちふさがった。

「ああ。〝特殊大気〟という物を使わせてもらった。その〝特殊大気〟が詰まった容器を起爆させ、私達は君達と兵を分断した訳だ。因みに、上階の床には鉄の板が敷き詰めてある。この階の天井の穴からこの部屋に侵入する事は、何人にも不可能だ」

「いえ、待って下さい。これだけ周到な準備は、私達がこの砦を謁見場所に指定すると事前にわかっていなければ出来ない筈。まさか、マハリオは私の思考さえ読んでみせた?」

「だな。私と同じ体質である君の思考を完全に読む事は出来ないがね。それでも頭を働かせ、何とかそう誘導する事には成功した。そう。君なら必ず、興味を持つと思っていたよ。私が本当に、ホービット兵を虐殺したか否かとね。つまりはそういう事で、私がこの策を用いた本当の理由は――ここに君達を引っ張り出したかったから。仮に〝君達の陣地で話をする〟という事になっていたら、この手は使えなかった」

 その時、フォートリア二世はパルバインに目を向ける。

 彼女は半ば言葉を失いながら、彼に問うた。

「もしや……貴方はソノ事に気付いていた?」

「はい。その可能性だけは。ですが、残念ながら好奇心に負けました。かの者は本当に、私の考え通り動くか否か知りたかった」

「……全く、貴方という人は」

 完全に呆れながら、フォートリア二世は嘆息する。

 そんな彼女を守る様に、パルバインは一歩前に進み出る。

「やはり君達の目的は、私達の暗殺か? だとしたら――下策だな」

 そしてマハリオ・ルペル・ルクスは、今、パルバイン・シャーニングを正面から迎え撃つ。

 ただの一〝鎮定職者〟が、一国の宰相相手に食ってかかった。

「そう。なんの面白味も無い、下策だ。だがこの戦争を止めるにはそれしかない。何しろ相手は、何の損得勘定も抱いていない君だからな。ルーゲン皇はフォートリア皇朝の存続を願い、レミトフは自国の自治権を維持しようとした。ベルナーマとハーケンは〝皇帝〟の座を欲し、カマストロフは金銭を求め、トラストスはワービンの首を望んだ。ニーヴァは私に自分のユメを託そうとし、フォートリア一世は悠久の平和をユメ見た。だが同じ王だった筈の君は――何の欲も無い。その君の何処に、どんな執着を見出せと言うんだ?」 

「つまり君達は――〝皇帝〟殺しの汚名を被ると? 降伏を申し出た身で、我等を騙し討ちするという訳か? それではフォートレム皇朝の信頼は――地に落ちるぞ?」

「ああ。確かに君達がフォートレム皇朝に属していれば、私は皇殺となるだろう。私がカマストロフあたりを殺害したら、とんでもない大罪を犯した事になる。だが、君達は既にフォートレムから離脱した身だ。だったら、そんな君達を殺した所で、私達が咎められる謂れは無い。それにこれは全て、テェシア・ネッチェなる乱心者が行った事だ。彼女はフォートレムの了解もなく、勝手に降伏を求めた精神錯乱者。少なくとも私はそう認識しているよ。それにフォートレム皇朝の信頼については、残念ながら私の管轄外だ。きっとスワン・クワンあたりが、何とか挽回するだろうさ」

 この詭弁を前に、パルバインは殊の外嬉々とする。

「成る程。私達が君の管轄である〝鎮定対象〟から外れた事を逆手にとるか。更に、全ての責任を架空の人物に押し付けると? それは割と面白い」

「嘘を言う。そこまでの策や道理は、君も事前に読んでいた筈だ。その上で、私達と相対するつもりだったのだろう?」

 と、マハリオ達は剣を手にし、パルバインは少し話題を変える。

「そうだな。君達にとっての不遇は、クン・スカニをこの場に参戦させられなかった事。彼女を軍から遠ざければ、フォートレム軍は抑止力をなくす。一度に五百の兵を斬れる彼女があの場に居るからこそ、我が軍も軽々に兵を動かせずにいる。故に君達は最小の戦力である――君とアルセイサ・スオだけで私達に挑まなければならない。そういう訳だ?」

「ああ、そして私達が負ければ、フォートレム軍は瓦解する。逆に君達が敗れれば、〝皇帝〟を失ったシャーニングは崩壊する。私達が君達を倒した後、フォートレム軍がシャーニング軍を制圧する手筈だから。……そう。元々この征服劇は――君達の主導で行われた物だ。なら、その君達さえ倒せば――シャーニング軍もほとんど抵抗する事なく降伏するだろう」

「かもしれないな。だが君は本当にそれで良いのか? 今の権威が失墜したフォートレムが宗主国で構わない? 真に民草の事を考えるなら、我らの様な強国が主導権を握るべきでは?」

 そうだ。マハリオも、この意見には賛同せざるを得ない。この大陸の事を考えれば、その程度の荒療治は必要なのかも。

 そう考える一方で、マハリオは反論する。

「ああ、それは君の言う通りだ。確かに今のフォートレム皇朝では、如何にも心許ない。早晩フォートレムは本当に滅びるのかも。だがその政権移譲を成し遂げるには――どうしても戦争という道を辿らなければならない。君は間違いなく、フォートレムの降伏を許さず徹底抗戦するだろう。なら私は〝鎮定職者〟として――何が何でもソレを阻止する」

「ほう? その根拠は? なぜ私が、フォートレムの降伏を許さないと思う?」

 喜悦しながら問い掛けるパルバイン。片やマハリオは、口から大きく息を吐き出した。

「簡単だよ。ソレが〝最も――私を困らせる手段〟だからだ」

 それは、完全に自意識過剰とも言える発言だ。だが、とりあう価値が無いであろうこの推理を、パルバインは微笑しながら受け止める。

「戦争が君を困らせる手段? 些か笑えるな。それではまるで、私は君だけを相手にこの戦争を始めたかの様じゃないか?」

「……〝様〟ではなく本当にそうなんだよ、君と言うやつは」

「ほ、う?」

「そうだ。嘗てないほど頭を働かせ、やっと君の正体がわかった。何故って、君は私がフォートリアの末裔だと知っていた筈だから。なのに君はその事をルーゲン皇に告げ口しなかった。仮にそうなっていたら、私は今度こそ危うい立場になっていた筈なのに。それをしなかった理由があるとすれば、一つだけ。君はさ――ただ私と遊びたかっただけなんだよ。私と知恵比べをしたかっただけなんだ。……ああ。ハッキリ言ってしまえば、私は君の掌の上で弄ばれていただけだ。仮に君が真っ当な野心家だったら、本当にこの大陸を征服していたと思える程に。つまりパルバイン・シャーニングは、ただ、ヒマつぶしがしたかっただけなのさ――」

「……ヒマ、つぶし? この征服劇、が?」

 思わず、サアシエは呆然とする。

 それも当然か。彼はこの侵略行為を起こす為に、多くの国を危機に陥れた。何の罪も無いリグレスト等の国々を征服し、マハリオに二千人もの人間を虐殺させた。

 このパルバインのやり様が、ただの遊び? 

 だとしたら、それが本当なら、サアシエ・ラブラクスはもう憤慨するしかない。

 だが――それをマハリオは右手をあげて制する。

「で、フォートリア二世殿の目的は何だ? パルバインの正体は読めたが、ぶっちゃけ君の目的は良くわからない。君が彼に手を貸す理由は、何?」

「へえ? 相変わらず自分に対する好意には鈍感ですね、貴方は」

「な、に?」

「いえ、そうでもないのかも。だって確かに私の理由は既に変わってしまったのだから。そう考えると、貴方が私の意図を見抜けないのも道理です」

 彼女の話を耳にし、マハリオは半ば愕然とする。

「……まさか、君の目的も私と同じか? 私にその機械を与える為に、君はこの大陸にまでやってきた?」

「ええ。仮にこの大陸で大きな争いが起きれば、貴方の目的は叶うかもしれない。そう思って私は適当な君主をつかまえ、その上に君臨するつもりだった。フォートリア二世を名乗ってその国のトップとなり、戦争を始める気でした。でもまさか、私と利害が一致している国王が居るとは思ってもいませんでした」

「……それがパルバイン・シャーニングか。だとしたら、私にとっては最悪の引き合わせだ」

 かもしれませんと、フォートリア二世は楽しそうに頷く。

「いえ、もう語るべき事は、全て語ったでしょう? なら、後は決着をつけるのみ。後五分もすれば、我が兵が出入り口を塞ぐ瓦礫をとり除く筈。貴方としては、それまでに全てを終わらせたいのでしょう? 違って――マハリオ・ルペル・ルクス?」

「だな。ではアルセイサは、パルバインを倒してくれ。私は、フォートリア二世と決着をつける。と、その前に一つだけ忠告がある。あの男は――比喩なく人じゃない」

「……あ? 何だって?」

「だからアレは人じゃないんだよ。スワン・クワン曰く、彼の正体は――『平行多重人格種』との事だ」

「なに……?」

 この意味不明な発言を――アルセイサ・スオは素直に訝しんだ。


     ◇


 そう。確かに、彼女は告げた。

〝彼はね、恐らく――『平行多重人格種』よ〟

〝……『平行多重、人格種』? それは、アレか? 乖離性人格障害的な物?〟

〝いえ、そうではなく、生まれつき彼は人格が無数に分かれているの。話は少し変わるけど、あなたはキロ・クレアブルという名を知っていて?〟

〝知っている。お伽噺に出てくる、『頂魔皇』の事だろ? 何でも自国の領民に共食いをさせたという、皇どころか人にあるまじき存在〟

〝ええ。仮にそのキロ・クレアブルが、実在していたとしたら? その彼女とパルバインが同一の存在だとしたら、どうする?〟

〝……確かキロは世界をも滅ぼせる力を持っている、とかいう話だよな? パルバインは、そこまでの化物なのか?〟

 だが、スワン・クワンは幸いにも首を横に振る。

〝まさか。彼にはそれだけの力はない。ただ生態のあり方が同じ、というだけよ。そう。彼はその身に複数の人格を抱えている。その人格達と協力しながら、彼は物事を進めているの。例えば、誰かがある法則に気付いたとするでしょう? でも、一つの人格では限界がある。ニュートンが重力を発見しながらも、ソレ以上先に進めなかった様に。一個の人格だけでは、全ての事象を解き明かす事は、余りに困難なのよ。でも――彼は違う。その身に複数の人格を有する彼には、限界がない。一つの発想を他の人格達と共に多角的に検証できる彼は、私達の発想限界を超えているの。マハリオが彼の思考を読めないのも、その所為。パルバインしか見えていないあなたには、その他の人格達が彼にどんな影響を与えているか読めない。彼の全てを知らない限り、あなたは一生彼が何を想い、どう考えるのかわからないでしょうね〟

「だそうだ。私も信じがたいが、スワン・クワンが言っている事が事実なら――アレは人じゃない」

「……ハハハ。オマエはそんなのと、俺を戦わせる気か?」

「ああ。健闘を祈る。もし無理だと感じたら、その時は私に回せ」

 本心から、マハリオはそう望む。けれど、アルセイサは微笑みながら首を横に振った。

「冗談。俺はこれでもプロでね。雇い主を標的と戦わせるなんて不出来な真似は、死んでもしねえ。ではやろうか――パルバイン・シャーニング。女は女同士、野郎は野郎同士で盛り上がろうぜ」

 この言い草に、パルバインは些か意外といった表情を見せる。

「ほう? マハリオ・ルペル・ルクスは、性別不詳だった筈だが?」

「だったな。だが、俺は何時だってこいつを女だと思って、守ってきた。男としては、その方が断然燃えるだろ?」 

「同感だ。私も早急に君との決着をつけ――〝皇帝〟陛下をお守りする事にしよう」

 無駄口は、今度こそ終わった。

 この場に居る四人は、己が正義を他人に押し付ける為、行動を開始する。

「は――ッ?」

 直後――サアシエが己の目を疑う。

 気が付けば、四人の姿が何処にもない。彼等は一瞬で、この場から消失する。

「――冗談でしょうっっ?」

 いや、その気配を感じ取った時、彼女はもう一度、愕然とした。

 床や壁から何かが跳弾する気配を、サアシエは感じる。

 姿は見えないが、確かに何かがこの一帯を飛び跳ねている感覚だけはある。

(……いえ、待って。私はこれでも、武門の名家、ラブラクス家の娘。だから、一通りの武芸は叩きこまれた。その私が、動きを見切る事さえできない――?)

 実際、サアシエはその武力を以て、五度ムーベンバッハの兵隊を撃退した。ユーカリカを抱き抱えると言う状況にあって尚、彼女はその荒技をなしえたのだ。

 ならば、そんな自分さえ戦力外だと突きつけるあの四人は、一体何者なのか?

 この現実に、サアシエは思わず唇を噛み締めた。

「……私はまた、見ている事しか、出来ないっていうの?」

 正に――その通り。

 人ならざる者達の狂乱は、いま火蓋を切ったのだ―――。


     ◇


 宙を舞い、肉薄して、剣を打ち付けあう両者。床だけでなく、壁や天井をも足場にして彼等は己が凶器をぶつけ続ける。

 アルセイサとパルバインは、そんな非現実的な戦いを、当たり前の様にこなしていた。

 同時に、アルセイサは喜悦する。

(これで――五度目)

 彼は以上の様に五度目の、脳内処理速度の加速を図る。

 その度にアルセイサの体は鈍い痛みを覚えるが、彼はそれ以上に感心した。

(成る程。今の俺について来られるって事は、本当に化物か――)

 人の事は言えないが、あの仮面の男の動きも、既に人外だ。並みの人間では、知覚できない領域にある。

 その理由は、一つ。彼の意識は、文字通り五つに分かれているから。つまり彼の脳は五つあり、手足が自身の危機を感じると、勝手に迎撃を始めるのだ。

(今のも受ける? 確かにこれは脳を通した動きじゃない)

 そう理解して、アルセイサは剣を振う。最速を以て、彼は手にした得物を振り下ろす。

(そうか。これが人外同士の殺し合いか。初めて行ってみたが――これは面白い)

 だが、やはりパルバインの四肢は、脳を通さず勝手にアルセイサの攻撃を防ぐ。人の認識レベルを遥かに超えた初動を見せ、アルセイサの必殺を回避する。

(これで、六度目――)

 けれど、アルセイサ・スオは、確信する。それでもまだ、今は自分の方が強いと。確かにかの者は人ではないが、アルセイサは彼にはない物を持っている。

 それは正しく――人外との戦闘経験。パルバインは、フォートリア二世と模擬戦を数回しか行った事がないが、彼は違う。

(ああ。俺は――その十万倍はあの女と斬り合った)

 ついで、アルセイサ・スオはその日々と、そうなった切っ掛けを思い出す。あの地獄の様な日と、彼の師となったヨマ・クーパラとの出会いを。

 それから――かの人物との邂逅に彼は思いを馳せた。

 そう。彼は何処にでもある、商家で生まれた。彼が物心ついた時には既に商売は軌道に乗っていて、彼は比較的裕福な生活を送っていた。父や母、二人の兄妹に祖母や祖父達に囲まれ、きっと幸福な毎日を過ごしていた。……いや、彼自身それは当たり前の事だったから、その幸せを実感する事はなかった。

 彼がその小さな幸福に気付いたのは、全てが終わった後。彼が十歳になったある夜、彼の家に盗賊が押し入り、彼の家族を皆殺しにしたのだ。

 その最中にあって、彼の母は背中を斬られながらも、布団に隠れた彼に覆い被さる。

〝大丈夫よっ、アル! 貴方達だけは、貴方達だけは、絶対助かるから――ッ!〟

父も妹の身を庇って、背中を刺され、絶命した。

 十四歳の兄は果敢にも賊達に立ち向かい、彼に向かって絶叫した。

〝逃げろッ――アル! ナルチャを連れて――はやくッ!〟

 母が物言わぬ状態になった時、兄はそうやって二人を逃がした。

 僅かに躊躇いながらも彼は兄の言葉に従い、五歳の妹を抱えて我が家から駆けだした。

 彼がその異変に気付いたのは、それから間もなくの事。

〝ナル、チャ……?〟

 彼が抱えていた妹は、父が背中を刺された時、既に心臓を貫かれていたのだ。

 彼の妹は――既に彼の腕の中で息絶えていた。

〝あああぁああぁッッ、ああああああああああぁぁぁ……っ!〟

 あの時ほど苦しかった時間を、彼は知らない。あれほど自分の無力を呪った瞬間を、彼は知らない。

 そして決死の想いで彼が自分の家に戻ってみれば、其処には倒れ伏した兄が居た。

〝……ナルチャ、は? ナルチャは、逃がした、か、アル……?〟

〝……………〟

 この時、彼は兄に最後の嘘をついた。

〝……ああ。ナルチャは、無事だ、兄ちゃん。……ナルチャは、俺がちゃんと逃がしたから〟

〝……ああぁ。なら、良かったぁ〟

 その余りにも大きな満足と共に、彼の兄は笑顔で息を引き取っていた。本当に幸せそうに、彼の兄は、亡くなった。

〝………あああああああああああああぁぁぁぁッッ!〟

 もし慰めがあるとすれば、本当にそれ位だ。

 彼の兄が、笑ってこの世を去った事だろう。

 だが、彼はそうはいかなかった。あの母の励ましや、あの兄の笑顔が余りに鮮明に脳裏に焼きついた彼は、何もせずにはいられない。

 以後、彼は親戚である、ヨマ・クーパラという女性に引き取られる事になる。彼女曰く〝スオ家には子供の頃に借金し、恩があった〟との事で彼女は彼の面倒をよく見た物だ。

 そんな彼女に、彼は告げた。

〝……私に剣を習いたい? それは、復讐の為?〟

 いや、彼女が問い掛けた時、彼は既にその手に剣を握っていた。

 ソレからは、ただひたすら腕を磨いた。並みの人間ではなし得ぬ業を身につけ、この十四年後、彼は宿願を果たす事になる。百十五人もの人間を擁する大盗賊となった彼等を、彼は遂に見つけ出す。彼と彼等は、このとき一度だけ言葉を交わした。

〝あ? スオ家の何だって? そんなやつ、てめえら、知っているか?〟

〝ああ――〟

 彼が人でなくなったのは――その瞬間だったのかもしれない。

 師が予言した通り、彼はこの日、修羅と化したのだ。

〝ええ、君の家族が本当に望んだ事は、君の幸せだと私は思う。決して君が、人の道を踏み外す事じゃないと思うけど、ね〟

 だが彼はこの日、一日で百十五人もの人間を殺した。最初の一人目で彼は初めて人を殺し、後はもう彼等を皆殺しにするまで止まらなかった。なぜ自分はあの日、これだけの力を持っていなかったのかと悔みながら、彼は剣を振り続けたのだ。

 だが、その後になって彼は気付く。

〝ああ、そう、か。こいつ等を殺した所で、意味はねえの、か〟

 もう誰も自分の事を〝アル〟とは呼んでくれないのかと彼は思い知り、もう一度後悔する。

 それ程に、目的を果たした後、彼には虚しさしか残らなかった。これなら、盗賊達と斬り合った時、死んでいれば良かったと思うほどに。

 そう思い悩む中、彼はある日、酒場で一人の人物と出逢う事になる。ソレは一見する限り、男か女かわからない風体をした人物だったが、彼は即座に判断した。

〝今、確信した。俺はアンタを抱くために、今日まで生き長らえてきたと〟

 彼は土下座までして、その人物と情交を結ぶ事を懇願した。それほどまでに、その人物は鮮烈だったから。だが、その人物は酒瓶を片手に言い切る。

〝なら、私と勝負と行こう。仮に私が飲み負けたら、君の言う通りにする。けど、君が私に飲み負けたなら、君は私の用心棒になってもらう〟

 この申し出を彼は当然の様に受けた物だったが、勝負は直ぐに決した。

 何故ならその人物が酒を飲んだあと彼も酒を口にしたが、その途端、彼の意識は混濁したから。

 同じ酒を瓶ごと回し飲みしたのに、その症状が起きたのは何故か彼だけだった。

〝と、言い忘れていたが、その酒には毒が入っている。私は何度もその毒を服毒して耐性をつけているが、君はそうはいかないだろう。このままでは、死ぬ事だってあるかもしれない。ソレ避ける手は、さっき言った通り私の用心棒になる事だけだ〟

 この余りに馬鹿げた脅迫を前に、彼は露骨に顔をしかめた。

〝んん? 何だってそんな真似をしたか? だって君、今にも死にそうな顔をしていたじゃないか。もう何も思い残す事はないみたいな、つまらなそうな顔を。だから私は、君にとってはありえないだろう現実をつきつけてみただけ。その方が、君も楽しめると思って。ああ、そうだ。もし君がこの世はつまらないと嘆くなら、私が面白いと思える物に変えてやる。君が思い悩む間もない程こき使ってやるから、ここは一つ私に騙されてみないか?〟

 それから、その人物は自分の目的を語る。全てを聴いた後、彼は思いっきり呆れた。

〝……驚いた。こんなバカが、この世に居たんだな?〟

〝うん、そうさ。君の頭の中にある情報が、この世の全てじゃない。この世はまだ君の知らない娯楽で溢れている。君を満足させる何かが、絶対にある筈だ。それを私が証明してやろう〟  

 この傲慢を耳にした時、彼は何故か瞼に熱い物を感じた。

 その理由はきっと、この世にはまだ自分を必要とする人間が居ると知ったから。自分と繋がりを持とうとする物好きが、居てくれたからだ。

 その全てを振り切り、彼は罵る様に告げる。

〝言っとくが、俺は高いぞ。そんな俺を、オマエなんぞが雇えるか?〟

〝ああ。そんな事は、造作もないよ。何せ私は、国をも手玉に取る器だから。それにしても、アルセイサか。アルの方が、通りが良さそうだが?〟

〝いや、それだけはありえねえ。俺をそう呼んでいいのは――俺の家族だけだ〟

〝そうか。では、宜しく――アルセイサ〟

 これが、マハリオと彼の出会い。彼がもう暫く、剣を握っても良いかと思った日の出来事。その後、彼はマハリオの弟子と、もう一人の護衛役と邂逅を果たす。

 その末に、彼は思ってしまった。

(ああ、本当に厄介な奴等と、関わっちまった物だ。お蔭で、死にたくなくなっちまったじゃねえか――)

 彼は今、口角を上げ、あの日の自分に心から感謝する。

 あのいけ好かない男女の申し出を受けた、自分自身に。

「故に、もう二度と人は殺めねえつもりだったが、てめえだけはここで死んでもらう。彼奴にあんな真似をさせた、てめえだけは――」

「ほ、う!」

 ソレは正に――パルバインの反応速度をも上回る一撃。

 事実、彼の面は、側頭部が削れる。

「ああ。その芸は、既に見切った。あんたはあの女より――遥かに弱い」

 確かにパルバイン・シャーニングでは、ヨマ・クーパラには及ばない。その彼女に一矢報いたこの自分ならば、後千回は彼を斬り伏せてみせよう。

 つまり――詰みだ。次の一撃を以て――この戦いの決着はつく。

 アルセイサがそう確信した時――彼は本当に平然と告げる。

「そうか。できればこの業はマハリオに見られたくなかったのだが。やはり真髄を披露せねばアルセイサ・スオを退ける事は無理か」

「な、に……?」

 よって彼は、刮目する。パルバイン・シャーニングの動きが、変化する様を。彼の動体視力を以て尚見切れない、ソノ偉容を。

「そう。この身は五体の人体を内包している。ならば、その筋力を一点に集中すればどうなるか? 果たしてまっとうな人間である君が、考えた事があったかな――?」

「――はっっ?」

 よって、かの動きは――正に雷。

 そう比喩できる程の超速を以て――パルバインは空を走る。

「パルバイン・シャーニングぅううう―――ッ!」

 そして彼が突き出した剣は、事もなくアルセイサ・スオの左胸部を貫いていた―――。


     ◇


 その数分前。

「全く、よく避ける事」

「ああ、そうかい?」

 やはりパルバイン達と同様に、壁や天井さえ足場にし、彼女達はぶつかり合う。

 マハリオは何時も腰にさしていた剣を――フォートリア二世は戦鎚を構えながら。

 フォートリア二世はソレを鮮やかに回転させながら、膂力に遠心力を加え打ち放つ。

 マハリオは剣では受けず、ただひたすら逃げ回る。体術を以て彼女の一撃を回避し続けた。

「フ。君こそ、実のいとこを本気で殺す気か?」

「当たり前です。今や貴方は――私達の敵。ここで葬り去るのが、妥当でしょう?」

 マハリオにしてみれば、逃げ続けるのは当然だ。フォートリア二世の戦鎚は、元から剣を粉砕する為につくられた物。その一撃を受けよう物なら、受けた剣ごと体を破壊される。

 事実、たった一撃で彼女の戦鎚は床をも砕く。

 お蔭でマハリオは苦笑いし、その様をフォートリア二世は愉悦しながら見届けた。

「なら、もう一度訊こう。なぜ君ともあろう者が、こんな暴挙に出た? アレほど聡明だった君が、何で戦争なんて愚策を用いたんだ?」

「またお得意のお惚けですか? 私と同じ役割を持ち、同じ体質である貴方なら、私の気持ちぐらい見抜いているでしょう?」

 彼女が言っている事は、正しいのかもしれない。彼女と同じフォートリア一世の血族であるマハリオなら、その事に気付いている筈。フォートリア二世と同じく常に脳が加速状態にあるマハリオなら、彼女の真意はわかる筈だ。

 フォートリア一世が密かに自分の血族を残したのは、訳がある。そこには、明確な理由が存在していた。

 なんという事もない。彼女達の血族はフォートレム皇朝が腐敗し、滅び様とした時、コレを正す為に存在している。

 国々が争いはじめ、収拾がつかなくなる前に、速やかに大陸を再統一する。

 大乱になる前にその才を以て、最小の被害でロウランダ大陸を再征服する。

 それこそが彼女達の存在理由であり――生まれる前から定められた宿命だった。

 実際、いまフォートレム皇朝は衰退し、滅びつつある。

 これを覆す方法をマハリオは〝鎮定職〟に求め、フォートリア二世は戦争に求めた。

 両者の目的は同じだが、ただその方法論だけが真逆なのだ。

「ええ、確かにそうですね。戦争など、愚か者のする事かもしれません。ですが、貴方自身もわかっている筈です。フォートリア一世の体質を受け継いだ私達は、人外だからこそその寿命もまた短いと。恐らく貴方は――後十五年も生きられないでしょう」

 この酷薄な宣告を前に、それでもマハリオはただ無表情を貫く。

「そしてソレは私も同じ。後三十年ほどしか生きられない私には、時間と言う物が無い。ただの大乱を防ぐ道具として存在している私には、余りにも時が無い。貴方もその事は、実感しているのではなくて?」

 そうだ。それは、子供の頃から言われ続けた事。

 自分達がなぜ存在しているか、彼女達は何度も何度も聞かせられた。その中にあって特別である自分達の命数が短い事も、彼女達は教わってきた。

 そんな境遇にあって彼女達は自分の為でなく――他人の為に生きろと要求され続けたのだ。

 事実、フォートレムは衰退し、自分達の出番は訪れた。マハリオはロウランダに渡り、ソレを追う様に彼女もこの大陸へやってきた。

 その宿命をこの上なく嫌悪していた筈の――この彼女も。

「ええ。私は、自分の宿命とやらが憎くて仕様がなかった。短い寿命を他人の為に使わなければならない己自身の役割が、どうしようもなく厭だった。でも――貴方は違った。貴方は――自ら進んでこんなバカげた事に従事した。他人の為に――自分の人生を犠牲にしたんです」

 彼女の戦鎚が壁を破壊する中、フォートリア二世は口角を上げる。

 それはまるで、マハリオを蔑んでいる様にも、憧れている様にも見えた。

「だったな。君は確かに、フォートリアの血族を嫌悪していた。……だから安心してもいたんだ。そんな君なら、その生涯を自分の為に使い切ると。己のしたい事だけをして、悔いのない人生を全うすると。正直言えば、そう生き様としていた君を私は羨望していた。その君が、なぜ戦争なんて物を始めたんだ?」

「――決まっています。それは、私も気付いたから。この私でさえ自分の役割を果たそうとする貴方に、心の何処かでは敬服していたと。だからせめて、私も貴方の役に立ちたかった。ええ、そう、会った事もない高祖の為に尽くすよりその方が遥かにマシな生き方でしょう?」

「まさか――その為だけにこんな事を?」

「……いえ、違いますね。私はただ、何かを遺したかっただけなのかも。誰かの記憶に残る様な何かを、成し遂げたかっただけなのかもしれません」

 然り。彼女はその短い寿命の中で、何かを刻みつけたかった。

 マハリオの様に――誰かの為になりたいと、彼女は心から願ったのだ。

「ええ。その為にシャーニングを利用する気だったけど、これは私が浅はかでした。だって私は気が付けば、本当に彼等をこの大陸の覇者にしたいと思ってしまったのだから。私の様な女を信じ、その策の手助けをしてくれたあの人達を、私は多分愛してしまった。あの人達が思い描く〝皇帝〟になれればと、本気で願ってしまったんです」

「だから、君の目的は変わってしまった、と? 私の為に起こした筈の戦争は、何時の間にか君自身が望む物に変わったと言うのか?」

「そう。これはきっと、そういう事。これこそ私が、初めて心底から望んだ願い。自分の命を懸け成し遂げなければならない――私自身が選んだ大道です」

 ついでマハリオは、初めて彼女を悲哀に満ちた目で見た。

「哀れだな。そんな君を最も支えなければならないパルバインは、君を気にかけた事もないのだから。あの男が考えている事は、どうやって自分の暇をつぶすかだけだぞ」

 だがフォートリア二世は、それでも首を横に振って言い切る。

「いえ、だからこそよ。そんな彼を変えてみせるのが――私の目的。私と同じユメを彼にも見てもらうのが――この私の人生を懸けた望み。私は必ず私と同じユメを――彼に見させてみせる」

 だから、例え彼につまらないと落胆され様と、彼女はそんな彼をも一笑する。自分の命が続く限り、そんなささやかなユメの成就を願いながら、生き続けてみせる。

 故にいま自分はこうして戦っていられるのだと――フォートリア二世は微笑んだ。

 その決意を前にし、この裂帛の気迫に圧倒されながら、マハリオは遂に決断を下す。

「わかった。なら私もそんな君の決意を――心から尊重しよう」

「なッ?」

 その言葉の意味を為す様に、マハリオの動きが変わる。

 かの者は初めて前に出て、剣を掲げる。

「実は私に剣才という物は無くてね。故に逃げ足と――コレだけをひたすら磨き上げた」

 ソレは――ただの袈裟斬り。

 正面に振り上げた剣を、ただ斜めに振り下ろすだけの業。

 だが――たったそれだけの業が、颶風となって彼女を襲う。

 あろう事か、フォートリア二世には、その業が見切れずにいた。

「……くっっ!」

 一撃目は何とか防げた。だが、たぶん次は無い。馬鹿げた事にこの凡庸な業によって、自分は倒されるとフォートリア二世は確信する。

 ならば――せめて相打ちに持ち込むのみ。

 彼女がそう決意した瞬間――ソレは終わった。

「アルセイサぁあああ―――ッ?」

 雷もかくやという速度で迫ったパルバインの一撃が――アルセイサの胸部を貫く。

 そのまま彼の剣は壁さえ貫通し、アルセイサを串刺しにしていた。

 その様を見て……マハリオは息を呑む。

「と、業に耐えられず刃が折れたか。では、悪いが彼の剣を拝借する事にしよう」

「パルバイン……っ!」

 アルセイサの剣を手に取ったパルバインが、マハリオに迫る。一方マハリオは、今初めて目を怒らせながら剣を振り上げる。だが、その不可解は――このとき起こった。

「な……ッ?」

「フっ!」

 彼が彼女を盾にしたのなら、わかる。けれど実際は違っていて、あろう事か彼女は自分から進んで彼の盾になっていた。

 サアシエ・ラブラクスがパルバインに背を向け――マハリオの前に立ちふさがる。

 この光景を見た途端、マハリオの動きは初めて止まる。

「……え?」

「は――っ?」

 故にパルバイン・シャーニングの剣は――サアシエごとマハリオの脇腹を貫いた。


     ◇


 恐らく、彼女は平凡な少女だった。

 生来より気性こそ荒かったが、そんな自分を恥じる分別も弁えていた。口より先に手が出る性格だったが、何時だってその後は自己嫌悪に陥っていた。そんな自分の性格は、本当に父親譲りだと彼女はひたすら思った物だ。

 ならばこれも一種の宿命だと、彼女は半ば諦めかけていた。自分もきっと父の様な人間になり、誰かを傷付ける事で名誉や金銭を得る。自分は何れそう言った職種に就くと、彼女は確信していた。武門の家に生まれた彼女は、だから力を以て物事を収める術しか知らなかった。

 その実感が変わったのは、果たして何時の事だったか?

 その日、彼女は知る事になる。

 あわや戦争になりそうな状況で――誰一人犠牲も出さずソレを阻止した人物の存在を。

 自分が槍や剣で武装していた頃――ただの話し合い全てを解決した人物が居た事を。

 何時しかその人物は――〝オーザムの奇跡〟とまで呼ばれていた。

〝……鎮定職者? それが、あの人の……職種?〟

 彼女の中である衝動が芽生えたのは、この時だ。自分とは真逆の方法を以て争いを鎮めたその人物に、彼女は何故か興味を持った。いや、この時、彼女は確かにその人物を心底から羨望したのだ。

 あの人なら、自分の殻を破ってくれるのではないかと感じた。他人を傷つける事しか知らなかった自分を、変えてくれるのではと彼女はユメみた。

 だから、彼女はその人物の背中を追いかけた。どれだけ資質が無いと講師達に言われながらも、ただひたすらに。その果てに直接その人物に教えを乞う日が来るなど思いもしないまま。

 だからそういう事で、彼女にとってマハリオを師事できる日々は正にユメの様な事だった。

 その事を、いつか彼女はマハリオ本人に伝えたかった。

〝でも、それでも、私は貴方の弟子になれて――本当に幸せでした。私も何時か貴方の様に誰一人傷付ける事なく――争いを収めてみせます〟

 そう胸を張って、言いたかった。それは紛れもなく、彼女の本心だった筈だ。

「……なのに、なん、で?」

 いま自分達はこんな状態にあるのか、彼女は理解出来ない。脇腹を刺されたサアシエ・ラブラクスは、そのまま床に伏していた。

 その傍で彼女の師も片膝をつき、吐血する。

「そうだな。気持ちはわかる。こんな意味不明な事になって、些か興ざめだろう。だが、人ならざる者を最小限の被害で倒すには、こういった非現実的な方法しかなかった」

「……な、に?」

 マハリオは自分の服を破って、サアシエの腹に巻きつける。

 自分の傷はそのままにして、何とか彼女の止血をしようとマハリオは足掻く。

「だが酷な話かもしれないが、君にはぜひ私の策を見破ってもらいたかったな。そう出来ていれば、正に及第点だった。いや。それともこの程度の策を見抜けなかった君では、私と戦う資格など無かったと言うべきか?」

「……だから、何の話だ。君は、サアシエに、何を……?」

 愕然とするマハリオを前に、パルバインは普通に告げた。

「簡単な事だ。〝彼女も私の一部〟――というだけの話だよ」

「……な、にっ?」

「いや、正確には私の脳の一部を分離し彼女の頭の中に寄生させているというべきか? そうだな。事の起こりは、十五年前。私が何れフォートレムを降し、シャーニングを宗主国にしようと図った時から始まった。その時に備え、私は手を打つ事にした。人の身では決して見破られないであろう、策を講じようとした訳だ。それが――自分の脳をフォートレムの有力者に寄生させる事。その人物に土壇場で主を裏切らせ、私の仕事をやりやすくする。これこそが――私の最後の策だ」

「……その為に、君は、サアシエを……?」

「そういう事だ。尤も当時の私は、彼女はガシャラあたりの側近になると思っていたが。彼女さえ倒してしまえば、シャーニングの勝利は間違いない。そう確信していたのだが、実際は違ったな。どうも彼女は、ガシャラより君を危険視したらしい。ガシャラより、君を消去した方が全て上手くいく。そう判断し、彼女は君の弟子となった。可能な限りそうなるよう努力し、こうして全ては私の思惑通り進んでしまった様だ。……いや、こう上手くいってしまうと、逆に面白味の欠片もない。こんな非現実的な方法が成功してしまった、というのは興が殺がれる思いだ。なので、現実的に考えるならこう解釈して構わない。私がサアシエ・ラブラクスを買収し――マハリオ・ルペル・ルクスを裏切らせたと」

 そして、マハリオは思い出す。

〝だから、私はアナタから逃げません〟

〝でも、それでも――絶対に貴方は、この大陸を救ってくれます〟

「そう、か。彼女は時折、私の予想を超える行動をとる時があったが、だからか?」

「かもしれないな。彼女には何があろうと、君の傍にいてもらう必要があったから。つまりはそういう事で、彼女が君に対して行った行為全てが――ただの幻だ」

「……ああぁ」

 その時、マハリオは初めて俯く。

 かの者はただ、自分から流れる血だけを見つめた。

「……違う。違い……ます」

 けれど、彼女は床に伏したまま、奥歯を噛み締めていた。

「……私は何時だって、自分の意思で行動してきました。誰かに操られていたなんて事は、一切、ありません。今だって、これ以上、マハリオに誰かを、殺して欲しくなかったから止めただけです」

「ほう? では、その手にした短刀は何かな? それは一体、誰に対して向けられている?」

「くっ、つっ」

 サアシエがマハリオに向かって、刃を振り上げる。それを、彼女が制止する。

「――パルバイン。もうおよしなさい。それ以上は、本当に人道から外れた行為です」

 フォートリア二世が肩を怒らせ、彼を窘める。けれど、彼は平然と言い切った。

「ですね、陛下。ですが、臣下とはもとよりそういう存在です。皇の為なら、どれほど汚い真似もこなしてみせる。皇の暗部を一手に引き受けるのが、私の役割だと認識しております」

「その忠義は、胸に刻みましょう。でも、だとしても、これ以上貴方が手を汚す必要はありません。それとも、貴方はただ楽しんでいるだけですか? 彼女を駒にして、マハリオを傷付けるその様を娯楽にしている?」

「いえ、まさか。ですがこの者の最期に限って言えば、弟子の手による物が相応しいかと」

 故に彼はサアシエに、手にした短刀を振り下ろさせる。

 それはマハリオの太もも目がけて放たれたが――パルバインは眉をひそめた。

「ぐっ!」

「ほ、う?」

 何故なら、その刃が貫いたのは彼女自身の掌だったから。

 そのまま彼女は、かの人に語りかける。

「……ね? 言ったでしょう、マハリオ。私は、絶対に、貴方を傷付けない。私は、何時だって自分が思った事を、そのまま口にしてきた。あの時の、憎まれ口も、あの時の、悪態も。だって、貴方は―――私の、誇りであり、憧れなのだから」

 手から感じる激痛を物ともせず、彼女は微笑みさえ浮かべて、言い切る。

 手に刺さった刃もそのままにして、サアシエ・ラブラクスは師に笑いかけた。

「……ああ、ああ」

 この余りに小さな虚勢を、惨めなまでの強がりを、マハリオはただ眺める。

「……そうだった。ムーベンバッハで、君は、自分の命がかかっているあの状況で、私の命令を徹底して拒んだ。本当に、馬鹿げた弟子を、とった物だ。ホービット砦では、こんな私が皆を救ってくれると、そう言い切った。本当に、彼女は、馬鹿な弟子だ。けど、それでも、君が言うその幻こそ――私にとっての真実だよ、パルバイン・シャーニング」

「つ――?」

 瞬間、マハリオの姿は掻き消える。

 ソレはパルバインにして、そう思わせる程の速度と気迫だった。

(アノ傷で、この動き? まさか――常に脳の処理速度が加速された状態なのに、更に脳を加速させた?)

 ならばパルバインは、マハリオの一撃を剣で受けながら後退するしかない。

 この時、マハリオは余りにバカげた事を告げた。

「今だっ――アルセイサッッ!」

(なに? よもやそんな手に、私が引っかかると?)

 パルバインの刃が刺さった場所は、紛れもなくアルセイサの心臓だ。最早ただの死体と化した彼に一体なにが出来るのかと思った瞬間――それは来た。

 アルセイサ・スオは――右手で自分の胸に刺さった剣を引き抜く。

 あろう事か――彼はそのままパルバインの背中に斬りつけた。

「ぐぅう……ッ?」

 この光景を見て、フォートリア二世に初めて隙が生まれる。

「パルバインっっっ?」

「今だッ――サアシエっっ!」

 サアシエは油が塗られたその短刀を床に擦りつけ火をおこし、標的に投げつける。

 フォートリア二世目がけて、彼女は刃を投擲した。

「つ!」

 そしてソレを彼女が避けた時には、全てが決していた。

 フォートリア二世が避けた途端――ソノ刃は彼女の背後にあった件の球体に突き刺さる。

 同時に〝特殊大気〟が詰まった球体は爆発し――フォートリア二世を吹き飛ばしていた。

「陛下ァ……ッ!」

 それはフォートリア二世が初めて聞いた、パルバインの感情的な声だった。

 が、次の瞬間マハリオの剣が振り下ろされ――フォートリア二世の戦鎚も炸裂する。

 後者の一撃はマハリオの左肩に決まり――前者の剣はフォートリア二世の左肩に直撃する。だが、間合いを詰める事で鎚の部分から逃れたマハリオは、ほぼ無傷の状態で彼女に剣を叩き込む。

 結果――フォートリア二世は糸が切れた人形の様にその場に跪いた。

「……ええ、私は、知っていましたよ、パルバイン。貴方には、何も無いと。貴方には人間らしさなど微塵も無いと、わかっていました。でも、そんな貴方だからこそ、私は貴方を愛してしまった。私の様に空っぽな貴方だから、私は貴方の心を埋めたかった。なのにそんな貴方が初めて興味を持った他人は、マハリオだった。私はそれが本当に悔しかったけど、マハリオなら貴方を変えてくれるのかもしれない。……いえ、貴方にとっては本当に、勝手な話ですね、マハリオ。でも、それでも、もし貴方の目から見てこの人が邪悪ならば、私の代りに――どうか止めてあげて下さい」

 涙と共に告げながら、フォートリア二世は、床に倒れ伏す。

 最後に彼女は、心底から自分以外の誰かに詫びていた。

「……本当にすみません、皆。叶うなら私は、貴方達の〝皇帝〟でい続けたかった」

「……陛下?」

 そしてフォートリア二世の意識は――世界から断絶されたのだ。


     ◇


 確かに彼には何も無かった。生まれた時から人ではなかった彼には、本当に何も無い。

 あるのはただ己の中にある〝自分達〟だけで、彼はその時点で完成されていた。他人に頼る必要がなく、彼は自己完結していたと言って良い。

 必要な知識は本から学び、ソレを多角的に考察して、人ならざる結論を得た。人心を操る術を身に着け、ソレを以て〝自分達〟の様な〝異物〟を周囲に容認させた。何れ王になる事を約束され、彼の人生は正に順風満帆だった。

 けど、それでも彼の心は満たされる事はなかったのだ。

 ならば自分がするべき事は、誰もが不可能だと思う事のみ。普通にそう考え、彼は何れフォートレムを落す算段を整えた。外様のシャーニングが宗主国であるフォートレムを落せば、何か感慨を得るかも。そう期待し、彼は人では思いつかない準備を為して、時を待った。

〝ほ、う?〟

 そして、それが一つ目の驚き。今から十年前、彼は初めてかの者と出逢った。シャーニング城で、マハリオ・ルペル・ルクスという人外と遭遇したのだ。

 マハリオも彼との邂逅は驚きだっただろうが、彼の驚愕はそれを上回った。初めて見た自分と同じ〝異物〟と出逢い、彼の計画はここから狂いだす。大陸全土を相手に戦争をするつもりだった彼は、マハリオのみを意識する様になったから。

〝……薄気味悪い? 私が? それは何と言うか、面白い感想だ〟

 けれど、件のマハリオは彼にそう悪態をついた物だ。その理由に気付かぬまま、マハリオは彼をこの大陸の脅威と認識した。何れ決着をつけなければならない相手だと、覚悟を決めた。

 彼も何れそうなるのだろうなとおぼろげに感じ――それでもやはりその感覚がつきまとう。何か、何処かが乾いている感覚が、彼の心から離れない。

 いや、初めて出逢った同族に敵視された時、その感覚はより強くなった。彼は自分が何を望んでいるかわからないまま王になり、やがてその転機を迎えたのだ。

〝今、何と……?〟

 彼は、二度目の驚愕に遭遇する。

 そんな自分を置き去りにして、突如自分の前に現れた彼女は平然と告げた。

〝だから私は――フォートリア二世。これからあなた達の――主君となる者です〟

 見た瞬間、わかった。彼女も、マハリオと同じだ。彼女の寿命もまた、あの者と同じ様に限られている。人としては余りに短く、儚くて、そこだけが自分と違っていた。恐らく殺される事さえなければ、自分は永遠に生き続けられるのだから。

 だが、彼女はその事を微塵も感じさせない自信に満ちていた。それは彼の目から見れば強がりとも言える虚勢だったが、彼は彼女に別のモノも感じたのだ。

〝ああ。そうか。人外でありながら、それでも必死に人らしく生き様とする者達もいるのか〟

 そう感じた時、彼は漸く一つの答えを得た。

 そうだ。心の何処かでわかっていた。例えば、人外であるフォートリア一世が生きていた時代に自分も居たとしたらどうしていた? 彼女に仕えていたら、自分は一体どうなっていただろう?

 もしそうなっていたら、自分はもっと人間らしく生きる事が出来たのでは? あのマハリオの様に、この少女の様に、限られた生を人として謳歌できたのではないか?

 彼はその願望の象徴ともいえる少女に、出逢ってしまった。その時、彼は漸く気付く。

 自分はただ、自分達と同じ存在に認められたかっただけだと。〝仲間〟だと、〝友〟だと、ただ一言そう言って欲しかっただけ。彼はただ――〝自分達〟以外の誰かを、求めていただけだった。

 そんな自分をマハリオは拒絶し、彼女は肯定した。

 自分の存在を認め、その上で〝皇帝〟になると宣言したのだ。

 ならば――彼の答えは決まっている。

「それは誤りだ。確かに私にとってマハリオは特別だったが――貴女の事も愛していた」

 倒れ伏すフォートリア二世に向かい、彼は謳う。ソレは感情が無い響きだったけど、彼にとってはこれ以上ない恋慕の現れだった。

 ついで彼は、パルバイン・シャーニングは、笑みを浮かべて背後を顧みる。

「そうか。臓器の移動さえ出来るのか、アルセイサ・スオは?」

「……お蔭様でね。脳の弄れるようになってから、こういう真似も出来る様になった」

「成る程。なら首か脳を潰しておくべきだったな。本当に笑える。今日の私は失敗ばかりだ」

 本心からそう呟いた後、彼は正面に立つマハリオを見据えた。

「で、私の所業に対する返礼がこれか。なら、感謝するしかないな。君は、陛下を殺さなかったのだから。だが、何故だ? 君は私を憎んでいた筈なのに?」

「いや、だって君はフォートリアの身が危うくならない限り、あの手は使わなかっただろう? 私と遊びたかった君が、サアシエを盾にしたのは、私がフォートリアを倒しかけていたから。違うか? それに、彼女は私に万が一の事があった時の切り札だ。そう簡単に死なれては困るし、何よりこの剣では人は殺せない。なにせ――両刃とも峰だからな」

 この暴言を聴いて、パルバインは口角をつり上げる。

「やはり、君は面白いな。そんな剣で、この私達とやり合っていたとは。……にしても、そうか。君と同じで、私も自分に対する好意には鈍い質か。そんな所まで私達は似かよっている。いや、決して褒め言葉ではないのだが」

「……こんな時に、そんな感想か? 本当に自由な男だな、君は」

「そういう君は、本当に人を愛しているのだな。この私以外は」

 しかし、マハリオは首を横に振る。

 其処に居るのは、自分を否定し続けてきたマハリオ・ルペル・ルクスではなかった。

「いや、たぶん、違う。やっと気付いた。君の何処が薄気味悪かったのか」

「ほう? いや、いい。そろそろ決着をつけよう。私にしては少し無駄口がすぎた様だ。だが最後にもう一つだけ訊いておきたい。君は何故、そこまで戦争を憎む?」

「……さてね。そんな事は、もう忘れた」

 いや、そんな筈はない。あの日の記憶を、自分は生涯忘れないだろう。

 件の役割を負ったマハリオの一族は、ロウランダ大陸から離れた場所に住んでいた。某所にある、小さな国の辺境に居を構えた。

 だが、ある日、その国に蛮族が攻めてきたという情報がもたらされた。敵の数は多く、その国は正に絶体絶命の危機に晒されたのだ。当時十歳だったマハリオも、その渦中に置かれた。だが、かの者はここでも冷静だった。

 当時マハリオは神童と呼ばれ、それ故大人達に対しても発言力を持っていたから。そのマハリオは王に秘策を進言し、切羽詰っていた王はマハリオの策を用いてしまった。いや、お蔭で確かにその国は救われたのだが、問題は以後の事である。

〝……は?〟

 マハリオは、初めて自身の目を疑った。あの温厚で情に厚い王が、虐殺を始めたのだ。捕えた捕虜を、彼は容赦なく殺戮した。殺して、殺して、殺しつくし、それを見せしめとした。

 この時になって、マハリオは漸く気づく。戦争というモノが、何なのかを。

 戦争とは殺す側も殺される側も、皆、人ではなくなる。殺す側は悪鬼羅刹と化し、殺される側は人としての尊厳を奪われる。

 殺される側を物の様に扱い、生きたまま焼き尽くして、生き埋めにする。

 殺す側は笑みさえ浮かべてそれらの非道を為し、それが当然の様に行われる。

『人間が――人間でなくなる』

『人間が――人間として扱われない』

 それこそが、戦争の真実。

 ソレがどれほど醜悪な事か、当時のマハリオは考えてもいなかったのだ。

〝ああああああああぁぁッッ、あああああああああぁぁ………ッ!〟

 だからその日、マハリオは物心がついてから、初めて泣いた。

 人間と言う物のあり方に対し、戦争と言う物のあり方に対し、自分の所業に対し、初めて涙した。

〝そして、多くの人が、死んだ。私は、ただ、それを見ているだけだった。いや、それどころか、彼等を殺したのは、紛れもなく、私だった―――〟

 ソレが、自分にとっての原風景。マハリオが、生涯、背負っていく事になる過去の欠片。

 それを――忘れられる筈もない。

「だったな」

 そこでパルバインは剣を構え、そしてマハリオは告げる。

「そうだ。私は、誰よりも自由な君に――ただ憧れていた」

 そこでマハリオは剣を構え、そしてパルバインは告げる。

「ああ。私は、誰よりも人を愛している君に――ただ憧れていた」

 故に――両者は結論した。

「ならば私はそんな君を――全力を以てこの場で倒す」

「ならば私はそんな君を――敬意を以てこの場でぶちのめす!」

 互にそう告げながら、パルバインはマハリオに突撃する。

 全ての筋力を足に集中させ、その上アルセイサとの戦いで脳の処理速度の加速も学習した。

 彼は人をまた更に一歩超え、マハリオに止めの一撃を打ち放つ―――。

 ソレは正に、先ほどマハリオが見せた動きを遥かに凌駕する機動性だ。

 現にその剣の切っ先はマハリオの額に刺さり、この時、マハリオはサイゴに己に埋没した。


 ……そう。戦争で利を得るのは、極限られた人間だ。その数万倍もの人達が死地に送られ、支配者達を生かす為に、自分達を殺す。

 なら、仮に小数を殺す事で多数を助けるべきなら、私がするべき事は一つだけ。私はその死地に送られるであろう人達を、生かしたかった。ずっと、ずっと、そんな彼等の味方でありたかった。

 それはもう、私には語る事が出来ない綺麗ごとだけど、君ならまだ間に合う――サアシエ。


 マハリオの額に剣が突立てられる。なら、終局だ。マハリオはこのまま頭蓋を貫通され間違いなく死亡する。

 けれどその寸前――パルバインは確かに聴いたのだ。

「誰が――」

「――な?」

「誰があれ以上――脳を加速できないと言ったぁあああああ―――ッ?」

「に――っ?」

 ソレは正に、喜劇にも似た一撃。既に額に刺さった剣を超速で避け、マハリオは振り上げた剣を振り下ろす。ソレは、自身の頭部を破壊するより速く炸裂した。

「ぐっつ………ッ!」

 マハリオ・ルペル・ルクスはパルバイン・シャーニングを――事もなく打倒したのだ。


     ◇


 勝敗は、速やかに決した。

 件の一撃でパルバインの臓器は幾つか破壊され、脳にも深刻なダメージを受ける。

 彼は片膝を地面につけ、いま理解した。

「……そうか。私には陛下しか居なかったが、君は違ったな。サアシエ・ラブラクスにアルセイサ・スオ、なにより君が今日殺してきた人々が味方した。なら私が勝てる筈もなかったか」

「かもな」

 短くそう告げるマハリオの脇を、パルバインは通り過ぎる。

 彼は、徐にフォートリア二世の体を抱え上げた。

「なら、これはその報酬だ。今日の所は私も引きさがり、シャーニングからも退こう。この条件を以て、我が軍をこの地から追い払うといい。……だが、次は無い。今度はヒマつぶしではなく、本気でフォートレムを落しにいく。陛下と共にな。ああ――こんな愉快な事は他にないだろう?」

 笑みを浮かべた彼は、先の爆破で空いた穴から外に出て、地上へと落ちていく。

 その様を追い掛け、マハリオは駆け寄ったが、その時には既に二人の姿は無かった。

「……そうか。君とフォートレムの腐れ縁は、まだ続くか。全く、迷惑な話だ」

 そしてマハリオは最後の力を振り絞り、高らかに宣言する。

「シャーニング軍に告ぐ! 君達が頼りとする〝皇帝〟と宰相は、君達を見捨てて逃亡した! 君達はこの時点で敗北したんだ! 事実、これより襲来するであろうフォートレム軍を、主を失った君達は防ぎ切れないだろう! なら、どうするべきか君達ならわかる筈だ!」

 続けてマハリオは、別の場所に隠していた最後の球体を空に投げ、火がついた短刀を投擲して爆破する。それを――フォートレム軍を呼び寄せる合図とした。

 現にこれを見たクン・スカニは軍を動かし、ホービット砦へと急行する。ソレを確認したノウビスは半ば呆然としながら、奥歯を噛み締めた。

「……確かに、陛下や閣下の無事が確認できないこの状況では、勝ち目はない? いや、陛下方と共にあの部屋に閉じ込められたあの女が、ああ大言を吐くと言う事はそういう事か? 陛下方は、あの三人に、敗北なされた……?」

 最早彼女はそう疑念を覚えるほかなく、その為ノウビスは決断する。

「退け! いったん、兵を退け! 我らはこれより、フォートレムの防衛線の外まで一時撤退する!」

「……で、ですが、それでは陛下方お二人が!」

「陛下方は私の隊が残り、救出活動を続け、何としてもお救いする! だが、その前に軍を失っては陛下に申し訳が立たん! 故にお前達はなんとしても、落ち延びろ! 今は生き残る事だけが、自分達の最重要任務だと思え!」

 かくしてシャーニング軍の撤退は始まり、この日、フォートレムは滅亡の危機から脱した。

 マハリオ・ルペル・ルクスは、多くの犠牲を生みながらも自身の責務を全うする。

 大陸を二分する大戦を回避して、その〝鎮定〟を成し遂げたのだ―――。


     ◇


 マハリオの意識が戻ったのは、彼女の声が聞こえた頃。

「……ええ、そう。夢を砕かれたと言ったのは嘘です。貴方はやっぱり、私が思った通りすごい人だった。私がユメ見た人その物でした。……だからお願いだから負けないで、マハリオ・ルペル・ルクス……」

 そんな事を、気を失っている筈のサアシエは漏らす。

 サアシエと共にアルセイサの脇に抱えられたマハリオは、苦笑した。

「……ああ、勝った。勝ったよ、サアシエ」

 ただ短く、それだけ告げる。それからマハリオは、アルセイサに向き直った。

「……アルセイサ、か。その体で、君も無茶をする」

 何せ、心臓こそ破壊されなかったが、彼の体は穴が空いた状態だ。そんな体にもかかわらず、自分とサアシエを両脇に抱えアルセイサは駆けだしている。きっとフォートレム軍に合流する気なのだろう。

 マハリオは虚ろな意識でそう感じ取り――彼もまた短く告げる。

「――アルでいい。だから、死ぬな」

「ああ―――」

 それを聴いて、マハリオは一度だけ目を見開いた後、納得した。

「……そうだな。今、死んだら、またサアシエにバカだと怒られそうだ。それにまだまだ私にはやる事が残っている。パルバイン達の今後も気になるし、スワン・クワンとの決着も、ついてない。……それに、黙っていたが、サアシエの料理は、絶品だ。今まで言えなかったが明日あたり、礼の一つも言っておきたい」

「ああ、そうだな」

「なあ」

「あ、なんだ?」 

 そうして、マハリオ・ルペル・ルクスは、いま心から微笑む。

「……ほんとうに、ありがとう、アル、サアシエ」

 この上なく、満足そうに、そう告げていた。

「……バカ野郎っ! 今、そんな事を口にするんじゃねえッ! 礼をいいたきゃ、サアシエが起きてからにしろッッッ!」

 けれど、マハリオは眠る様に瞳を閉じて、ただ想った。

〝では、良い人生をおくるといい〟

(……ああ。わたしにしては、じょうできなじんせいだったよ、亜父)

 マハリオ・ルペル・ルクスの意識は、そこで完全に途絶えていた―――。


     終章


 それから一月程の時が流れ、彼女はその高台から眼下の国を見下ろした。

「そう。アレが、シャーニング」

 短い黒髪をした少女は、感慨深そうに呟く。彼女の背後には二人の人物が立っていた。

 一人は、アルセイサ・スオ。もう一人は、ルーアン・ラッテ。

 黒髪の少女――サアシエ・ラブラクスは、後ろを振り返る。まるで、もう其処には居ない誰かの面影を探す様に。

 でも、やはり、其処には二人の男女しか居ない。何処を探しても、この場に居なくてはならないあの人の姿は無かった。

 それでも、サアシエは笑顔を浮かべる。

「えっと、私、何か変な所とかありませんか?」

 この問いに対し、アルセイサとルーアンは、容赦なく指摘する。

「つーか、髪が変だ。お前が短髪とか、ちょっとありえねえ」

「……そうですね。同性としては非常に言い辛いのですが、やはりサアシエ殿は長髪の方が似合うかも」

「髪を切ってもう二十日も経つのに、まだ市民権を得ていないんですか、私ッ? どんだけ不評なんです、この髪型っ?」

 思わず絶叫する。だというのに、サアシエはやはり微笑した。

 まるで何かを期待する様に、彼女は遠くを見つめる。

「でも、良いです。これは願掛けだから。元の髪の長さになれば、きっと私の願いは叶うっていう」

 サアシエ・ラブラクスは――まるでユメ見る様に告げていた。


 全ては一月前、ホービット砦を後にしたとき起こった。あの後マハリオやサアシエだけでなく、アルセイサの意識も黒く染まったのだ。彼としては、体力はまだ持つ筈だったのに、アルセイサはそこで昏睡した。

 いや、それどころかマハリオ達三人は――其処で消失したのだ。

「……え? ……は?」

 ソコに辿り着いた時、唯一意識を取り戻したのが、サアシエだった。

 彼女は今まで見た事が無い部屋に居て、其処にはマハリオとアルセイサの姿もあった。二人は自分と同じ様にベッドに横たわり、意識を失っている。

 二人の傍らには、一人の女性が居た。

「ああ、気が付いた? もう大丈夫だから、安心して下さい。パルバインの脳も排除しておいたので、あなたはもう自由です」

「ここは? まさか……?」

 ついで、サアシエはマハリオが言っていた事を思い出す。

 師が口にした最終目標の事を、彼女はこのとき連想する。

〝そう。私は三国志や応仁の乱と呼ばれる文献は発見したが、それ以上先の書物は見つけられなかった。まるで、その先の世界は存在していないかの様に。だとしたら――可能性は二つ。本当にその先の世界は、存在しないか。それか、存在しながらも隠さざるを得ない事情があるかだ。私は――後者だと思っている。我々はその未来を失った世界から、この星にやってきた移民ではないか、とね。その移住者の一部が、これ以上文明が発展しない様、影でコントロールしている。私の最終目的は、母星からこの星に辿り着いた技術力を手に入れる事だ。ソレを使い、影からこの大陸を支配する。そうすれば、私が望む世界が手に入るかも―――〟

「……まさか、その『管理者』が、あなた?」

「やはり、この人の弟子だけあって飲み込みがはやいんですね。そうですよ。私はこの星を影から管理している者の一人です。あなたの師はそんな私達の存在に、薄々気づいていた様ですね。ま、そんなこの人だからこそ、私も助ける気になったんですが」

「……助かる? マハリオが―――?」

「ええ。この人は、今のこの世界には必要な人物だと判断したので。それに、これはお詫びの意味もあります。本来なら彼女が動くべきだったのに、その彼女は全てをこの人に一任してしまった。……全く、あの腹黒白髪娘は相変わらずなのだから」

「それって……まさか?」

 が、嘆息混じりで呆れ口調だった彼女は、真顔となりサアシエに向き直る。

「でも、それでもこの人の容体は正直悪いの。今すぐ完治といはいかない程に。だから暫く、あなたの師匠はここで静養してもらう事になります。あなたとアルセイサ・スオは、今すぐお引き取り願う事になりますが」

「……そ、それは、何故?」

 サアシエは本当にわからず、ただ茫然とする。女性は、力強く断言した。

「だってあなた達はまだ、あっちの世界でやることが残っているでしょう? この人が、やり残した事が」

「……ああ」

 彼女の言う通りである。確かに自分にはまだ、やらなくてはならない事があった。

「ね? では、この人に伝言があれば、言ってください。次に意識を失った後はここでの記憶はなくなるので、今思いつく限りの言葉をこの人に伝えて」

 なら、是非もない。サアシエはただ思った事を、口にするほかなかった。

「……後の事は、私が絶対、何とかします。だから、待っています。必ず、帰ってきて。傲慢で、性格が悪くて、破天荒で、生意気な――私の大好きな先生」

 最後にもう一度だけ涙しながらも、彼女は笑顔で師に向かい合う。そう告げた瞬間、彼女の意識はまた遠くなり、次に気付いた時には何も覚えていなかった。

 彼女の傍にはアルセイサしかおらず、マハリオの姿は何処にもない。

 この日、彼女が大好きだったあの人は――彼女の目の前から消えた。

 でも、それでもサアシエは胸を張って、断言する。

「ええ。きっとこの髪が元の長さに戻った頃には、あの人も帰ってきます。だから、私はあの人がするであろう事を、熟していく。さしあたっては、フォートレムとシャーニングの仲を取り持つ事にしましょう」

 今の自分に、出来る事。

 それはマハリオが帰ってくるまで 自分がマハリオの意思を継ぎ〝鎮定作業〟に奔走する。なんとしても国同士の諍いを鎮め、戦争を止めて、平和を勝ち取る。

 それは決して、安楽な道ではないだろう。

「けど、私はあの人の唯一の弟子だもの。だから、あの人が当たり前の様に熟してきた事を、私も当然の様に熟さないと。そうでしょう? アルセイサさん、ルーアンさん?」

 対してアルセイサは鼻で笑い、あの日と同じ言葉を漏らす。

「アルでいい」

「ええ。アル」

「私も、ルーアンで構いません」

「はい。ルーアン」

 今、サアシエはその難題に立ち向かおうとしていた。

 そんな彼女はふと思う。恐らく自分も、マハリオも、アルセイサも、フォートリアも、パルバインでさえ家族と言う群体を求めた。孤独である事より誰かと共にある道を選ぼうとした。その連なりが膨れ上がったものこそ、きっと国家と言う物。絶対に一人では形勢出来ない、得体のしれないナニカだ。

 その正体は、彼女にはまだわからない。

 けど、それでも、彼女は笑顔で言い切った。

「はい、マハリオ。貴方の様に其処から逃げない事だけが――今の私の誇りです」

 耳に響くのは、あの不遜な声。

 その声を唯一の道標にして、彼女は今その戦場に足を踏み入れた―――。


               ピース・ウォーズ・後編・了

 という訳で、ピース・ウォーズ終了です。

 マハリオ、最悪の愚策が炸裂したわけですが、実は次の話の主人公(女子)はもっと酷い人です。ぶっちゃけ、ピース・ウォーズ・ゼロの主人公(女子)も酷い人です。

 酷い人ばかり主人公になっていますが、どうか今後もよろしくお願いいたします。

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