ピース・ウォーズ・前編
早速ですが、この場を借りて御礼申し上げます。
ベーダーマンと選挙狂想曲を読んでくださった方がいらっしゃる様で、本当に感動しかありせん。
しかも高評価をつけてくださった上にブックマークまでつけてくださり、本当にありがとうございます。ただただ感激に打ち震え、感謝の念に堪えません。
いえ、私、実は友達いないんで、誰かに小説を読んでもらったという実感とか今までなかったですよ。だというのに、その日々を帳消しにするかのように、誰かに小説を読まれているという充実感がある。これも全て読者の皆様と、このサイトを運営されている方たちのおかげです。本当に大感謝。
今後も、少しでも皆様に楽しんでいただける様、精進する次第ですので、どうかよろしくお願いいたします。
さて、今回の作品ですが歴史ものと銘打っていますが、これは地球の歴史でなく、ある惑星の歴史です。その惑星の歴史の一部を紐解こうというのが、本作の趣旨です。
では、ヴェルパス・サーガ第三弾、開幕です。
序章
それは、かの人々の後日談。
その中にあって、戦争という大破壊を免れるべく奔走した、ある破綻者のお伽噺。
そうして、今日も彼女は師に寄り添い、その記録を克明に綴っていた。
1
それは、まだ中世期の事。
その夜は寒くも熱くもなく、ただ騒がしさだけが轟き渡っていた。
それも当然か。
其処の部屋には三十人を超える男性が集まり、酒を酌み交わして、肉を食らっている。数少ない女性達は給仕に追われ、息つく暇も無い。
平たく言えばその彼等は盗賊で、その賊達の世話をしている彼女等は〝戦利品〟だった。
彼女達はある村から彼等にさらわれてきたのだ。その彼女達は自身等の命を繋ぎ止める為、彼等に酒や料理を振る舞いどうにか生き長らえていた。
「……てか、何だあの村? なんだって女が二人しかいねえ? あれじゃまるで、事前に女共はどっかに匿われていたみてえじゃねえか?」
そう。今日、彼等が襲った村には金目の物こそあったが、女性といえばたった二人しかいなかった。村長が言うには残りの女性達は皆、領主の館に招集されたとの事だ。
幾ら彼等でも、武装した騎士を何人も抱える領主の館を襲撃する訳にもいかない。以上の理由から、彼等は渋々その二人の女性だけを拉致してきた訳だ。
「ま、いいじゃねえの。寧ろ運が良い位だぜ? その残りもんの二人が、こうまで上玉なのはよ。あの村長、絶対領主にさし出すのは惜しいから、この二人は自分の屋敷で囲っていたんだぜ」
彼等がそう思うのも、無理はない。確かに二人の女性は〝上玉〟と言って良い。
金の髪をした女性と、黒髪の少女。
両者共に長髪で、前者は若干ウェーブがかかり、後者はストレートヘアをしている。
金髪の女性は見るからに怯え、言葉数も少ない。対して黒髪の少女は、明らかに何かを噛み殺す様な表情をしていた。その身長百六十五センチ程の、黒髪の少女の臀部を、盗賊の一人が触る。
「ちょっと……いえ、何でもありません」
その瞬間、何か不穏な空気が流れたが、黒髪の少女は笑顔を浮かべる。
やがて夜は更けていき、話は一気に進んだ。
「と、俺の勝ち。じゃ、美味しい思いはまず俺がさせてもらおうかね」
ポーカーで勝利をおさめた男性が、金髪の女性に目を向ける。
それが何を意味するのか察している彼女は、余計に怯えた。
「と――そろそろか」
いや、怯えながら淡々と村からさらわれてきたとき持っていた袋から何かを取り出す。黒髪の少女も同じようにソレを取り出した時、彼等は漸く気づく。
自分達が居る部屋に、何か異臭が漂っている事に。
いや、そう気付いた時には、全てが手遅れだった。
「ヒぃ……ッ?」
「はぁ――っ?」
その瞬間、その部屋は――爆発した。
もう何の容赦もなく――大爆発を起こした。
お蔭で、彼等は壁際に吹き飛ばされ、意識を混濁させる。この余りに唐突すぎる展開を前に彼等の理解は追いつかない。
その中にあってただ二人、あの女性達だけが無傷だった。
何故なら、彼女等はそれだけの用意を整えていたから。
「どうやら、実験通りの様だね。しかし、暗いな。サアシエ、何か明かりになる様な物はないか?」
「……ある訳ないでしょ、師匠。というか、師匠が言ったんですよ。今の状態で、火をつけたら化学反応とやらで、部屋が爆発するって」
「だっけか? しかし、計算通り頑丈な盾だ。あの爆発にも、耐えきるとは。ワザワザ重い思いをしてまで、持ってきた甲斐はあったな」
「……盾? 私にはどう見ても、足が短い机にしか見えませんけど?」
それこそが、彼女達が無事な理由だ。二人はこの部屋に〝特殊大気〟と呼ばれる物が充満するのを見計らい、火元に向け盾を構えた。その盾を以て爆風をやり過ごし、彼女達はこうして無傷でいる。
種を明かしてしまえば、ただそれだけの事だった。
「とにかく今は換気だ。さっさと〝特殊大気〟を抜かないと、今度は中毒死しかねない。サアシエ、アルセイサを呼んでくれ。外の見張りは、彼が片づけている筈だし」
ホースを使いこの部屋に〝特殊大気〟が流し込まれたという事は、そういう事だろう。アルセイサなる人物が、忠実に任務を果たしたに違いない。
現に、この読みは当たっていた。
「うお……? マジか? これが〝特殊大気〟ってやつの威力かよ? 俺にはただ、屁みたいな臭いしかしねえ役たたずだとばかり思っていたが!」
呼びに行くまでもなく――アルセイサ・スオがサアシエ等の居る部屋に顔を出す。
身長二メートルという屈強な体つきをした彼は、反射的に盗賊達の身を案じた。
「てか、これ、みな死んでいるんじゃねえ? 誰一人として、ピクリともしねえぜ?」
「いや、心配ない。何度か人を雇って、実験したから。あの程度の〝特殊大気〟の量での爆発なら、命に支障は無い筈だ。実際、ほら、この通り。一番火元に近かった人間でさえ息の根がとまっていない」
「……いや、オマエ、今さらりととんでもない事いっただろ? 人を雇い、何だって?」
「んん? だから貧民街に住む人々に金を掴ませ、実験しただけ。勿論、事前にどの程度の量でどれだけの爆発が起こるか実験済みだったので、死者はゼロ。頭に兜を被せて、鎧まで着せたしな。その甲斐あって、このような成果をあげたと言う訳だ。……にしても割に合わない仕事だったな。危うくサアシエが、またブチ切れる所だった」
「……そう思うなら、私まで動員しないで下さい。第一、なんでこんな仕事を引き受けたんです? これ、どう考えても私達が受け合う様な仕事じゃありませんよね?」
見るからにプンプンしながら――サアシエ・ラブラクスが問う。
対して金髪の人物はというと、後ろ髪をヒモで縛りながら彼女を見た。
「ああ。まだ説明していなかったかな? 実はこの盗賊の中に、貴族の子息が居てね。その親御さんから、頼まれた訳だよ。〝どうかやさぐれてしまった不肖の息子を、悪の道から救って欲しい〟と。なら、善の申し子である私としては――引き受けざるを得ないだろ?」
「……どうせまた、報酬に目がくらんだだけでしょう? だったら当然、私達にも分け前があるんでしょうね、師匠?」
「うん。無くも無いがいい加減その師匠というのは止めないか、サアシエ? 私の事は常日頃から、呼び捨てで良いと言っているだろう?」
「ええ、ええ――マハリオ・ルペル・ルクス。邪道なる〝皇家鎮定職者〟にして我が師。今夜の一件で、またその悪名は轟き渡る事でしょうね」
言いつつ、サアシエ・ラブラクスは心底から重い溜息をついていた―――。
◇
ではここで――〝皇家鎮定職者〟なる職種について語ってみよう。
その職業が成立したのは、フォートレム皇国が衰退し始めた頃だ。
今から二百二十八年前、戦乱の只中にあったロウランダ大陸を高祖――フォートリア・フォートレムが統一。フォートレム皇朝を立ち上げた彼女は、十五に及ぶ国々を従えた。各国の王達は、フォートリアこそを唯一の〝皇帝〟と認め、彼女の軍門に下ったのだ。
ただフォートリアは未婚のまま生涯を過ごし、直系の世継ぎを設ける事はなかった。その為かの皇朝は一代で終わると多くの人間に思われていた。
しかし実際はそうはならず、多くの良将賢臣に支えられ、かの皇朝はその後二百二十八年も継続。長期にわたりフォートレム皇朝は、大陸の実権を握る事になる。
だが時が変われば、人もまた変わる。多くの政権がそうであった様に、時間が進むにつれ、かの皇朝も腐敗が進行。モラルは低下し、汚職が横行して、ほかの国々に対する影響力も低下していった。
その中にあって、最も中央政府の官僚を悩ませたのが、国家間の諍いである。皇朝が衰え始めると同時に、十五に及ぶ国々が牽制し合う様になったのだ。
ある時は、領土侵犯。ある時は、鉱物資源を巡る争い。更にある時は、明確な侵略行為。
ソレ等の無視できない問題を――フォートレム皇朝は全て治める事は出来なかった。影響力を失したかの皇朝の命令では、ほかの国々も軽んじるだけ。それは露骨とまではいかないまでも、それに近しい態度と言えた。
事実、今から三年前フォートレム皇朝が最も恐れていた事態が起こった。
何の前触れもなくフォートレム皇国の首都オーザムが――十万もの軍に囲まれたのだ。
それはオーザムから最も近い国、ラジャンの兵団だった。彼等の言い分はオーザムの警護訓練という事だったが、彼は首を横に振る。
「ま、体の良い口実でしょうな。彼等の目的は――明らかにオーザムの制圧です」
フォートレム皇朝の〝政務公〟――ユバ・ラーアントはあからさまにそう言い切った物だ。
現〝皇帝〟――ルーゲン・フォートレムはその進言を聴き、最早苦笑しか出来ない。
「確かに笑えますね。一万程度の兵なら、私一人で追い払ってごらんにいれるのに」
〝皇家守護将総将〟――ガシャラ・スカニはそう言って喜悦。さっさと抜刀し、ほかの将を従え、ラジャン軍の面前に立つまでに事態は進行する。
が、この一触即発の状況まで至った時―――一人の人物がラジャン軍に接触した。
それは金の髪を後ろで纏めた、十七歳ほどの若人で、一見した限りでは性別がわからない。左半身だけ袖が広い衣を纏い、右半身は如何にも貴族の男子といった服を身に着けている。背は百六十七センチ程で、その顔立ちは極端に整っている。男にも女にも見えるその人物は、声を聴いてもどちらなのか不明瞭だった。
わかった事は、二つ。
第一に、その人物は己を〝鎮定職者〟と自称した。
第二に、かの者はフォートレム皇朝を差しおき、ラジャン軍と勝手に交渉を開始した。
あろう事か己をフォートレム皇朝の代理人と断言し誰の断りもなく彼等と話を進めたのだ。
この噂を聞きつけた〝皇帝〟ルーゲンは、さすがに激昂した物だ。
けれど――事態が動いたのはその直後である。
「……な、に?」
ラジャン軍にとっては悪夢であり、フォートレム皇朝にとっては奇跡に近しい事が起こる。
笑える事に、オーザムを包囲するラジャン軍を、更に別の軍が取り囲み始めたのだ。
それはラジャン国の近辺にある四つの国々の連合軍で、明らかにラジャンに敵対する行為だ。ラジャンがオーザムを攻撃すれば、その背後を衝き彼等を滅ぼそうとするのは明白だった。
事実、金髪の人物はそうなるであろうと言い切る。
「……きさま、一体どんな魔法を使った? なぜこうもきさまにとって都合よく話が進む? まさか、我らの動きを読んでいた、とでも言うのか?」
噂ではラジャンの将軍は、金髪の人物にそう問うたとされる。
金髪の人物は、しれっと告げた。
「動きを読んだというか、ただの推理だよ。君の主君、ベルナーマ・ラジャンの事は良く知っているからね。そろそろ、オーザムの侵略でも考えると思っただけ。その前にそう言った噂を四つの国に流し、斥候を放たせ、それが事実だと確認させた。なら、ラジャンにばかりおいしい思いをさせたくないであろう他の国々は、どう動くか? 答えは既に出ていると思うが――どうだろう?」
「……きさま」
それは……オーザムを奇襲する事を選択したが故の、根回し不足の結果。他の国々と事前に交渉していれば、違った事態を迎えていたかもしれない。
いや、こうなるとラジャン軍の選択肢は三つだ。
第一に、四つの国々と今から同盟を結び、共にオーザムを攻める。第二に、四つの軍を敵に回してでも、オーザムを制圧する。第三に、このまま、おめおめと引き下がる。
そして、彼等が選択したのは――以下の通りだった。
「だろうね。ベルナーマの目的は、飽くまでラジャン一国による大陸支配。その為には同盟も辞さないだろうが、今の状態でソレを行えば足元を見られかねない。彼女としてもそう言った事態は避けたいだろうから――そうするしかない」
続けて、更なる奇跡は起こった。オーザムを取り囲む十万の兵は、事もなく故郷へ帰還したのだ。
彼等の言い分は以上の通りで〝これはオーザムの警護訓練。それも済んだので、引き上げる事にします〟との事である。
そうなると四つの国も、軽々にラジャン軍に攻撃は出来ない。彼等はラジャン軍に退路を譲り、こうしてフォートレム皇朝に多大な貸しをつくるに至る。それを手土産に、四つの国々の軍もまた故国への帰路についていた。
かの情勢を――〝皇帝〟ルーゲンは、唖然としながら見届ける事になる。首都に居る多くの民草の命が奪われなかったこの結末に、彼は素直な喜びを覚えた物だ。
ただ、それで済めばこの話は美談だったのだが、またも空気が一変する事が起きた。
「ああ。報酬なら、金貨千枚で構わない。子供の使いではあるまいし、無論、その程度の用意はあるのだろう?」
件の金髪の人物は、笑顔でそう〝皇帝〟に対し言い切る。傍若無人にも、〝皇帝〟に面と向かってそう断言したのだ。
だが、ルーゲンの美点は、その忍耐強さだ。自分はその器量を買われ〝皇帝〟に選ばれた訳ではないと理解していた点である。
故に内心では業腹だった彼は、その金髪の人物を許し、要求通りの褒美を与えた。更に〝皇帝〟はかの人物に問い掛ける。
「んん? 本当に自分のもとで〝鎮定職者〟なる物をやってみないか? 成る程、それも悪くはないが、私はちと高いぞ? それに、もう一つ条件がある」
ソレこそが――自分と同じ〝鎮定職者〟の育成だった。
金髪の人物は皇家規模の権限を持った〝鎮定職〟を設け、他の国々の争いを収めるよう進言する。〝そうすれば、今よりもうちっとマシな世の中になるだろう〟と大言を吐く。
これをルーゲンは、作り笑いと共に了承した。
「わかった。いいだろう。では、その育成もそなたに任せるべきかな?」
「いや、それは止めておこう。私はこれいじょう政には関わらない。子飼いの人間を増やし、国を乗っ取る気とか思われたくもないしな。あなたも本当はそう望んでいるのではないか、ルーゲン皇?」
「ほ、う?」
かくして是と唱えた瞬間、かの人物を斬るつもりだったルーゲンの企みは潰える事になる。実際、ガシャラ・スカニあたりなど、既に抜刀寸前だった。
そこで、彼は漸く気づく。
「と、今思い出した。確かそなた、数年ほど前にも、予に謁見した事があったな?」
「ああ。私は――マハリオ・ルペル・ルクス。そうか、成る程。私が余りに美しかったから、記憶に残っていたのだな――?」
これが、〝皇家鎮定職〟の始まり。
その知恵と情報力を以て、国々の争いを鎮める役職の誕生。
ただ、その始まりの人物だけが――余りに邪道だった。
2
いや、誕生と呼ぶには、些か早いかもしれない。
何故ならルーゲン皇が〝鎮定職〟の育成に着手してから、まだ三年しか経っていない。この三年という短い月日では、未だに人が育たない。志願者こそ多い物の、その彼等もまだ勉強のただ中にある。その為、実質〝皇家鎮定職者〟とはマハリオ・ルペル・ルクスだけだった。で――そのマハリオといえば、現在、思いっきりだらけている。
「というか、何です〝特殊大気〟って? マハリオはなんでそんなこと知っているんですか?」
「あー」
あれから一晩明かし、隠れ家に戻った頃、サアシエ・ラブラクスが訊ねてくる。
マハリオは自分の机に付属された椅子に腰かけながら、気の無い返事をした。
「アレは私が以前、金の発掘を生業にしていた時、偶然掘り当てた物でね。あの時は大変だったよ。洞窟内で〝特殊大気〟を吸った仲間が数人ほど意識を混濁させ、私も頭が朦朧とした物だ。あのまま行けば――間違いなく私はアノとき死んでいただろう」
「………」
「んん? 何だ? その、〝そのとき死んでればよかったのに〟みたいな目は?」
「いえ、まさか。私にそのような他意はありません。それより話の続きをお願いします」
この弟子の促しに、師は素直に応える。
「ああ。で、私は自分の爪を剥がして何とか意識を保ち、皆を避難させたという訳だ。話としてはそれだけのつまらないオチだな。というか、私達が脱出して五秒後にその洞窟、爆発しやんの。それで気付いたのさ。あの〝特殊大気〟という物は火に反応して起爆するものだって。古文書にも似たような記述があったしな」
「つまり、後五秒遅ければ、師の命は無かったと言う事ですか? なんて運が悪……いえ、何でもありません」
「ああ。運が良かったな、お互い。私は今日という輝かしい未来を迎え、サアシエは私と言う奇特な師を得る事ができた。正に、ウイン・ウインな関係と言える」
「……これは驚きました。私が好きで、アナタの下についていると認識されていたとは。というか、マハリオって基本、私に〝鎮定〟について教えた事とか無いですよね?」
引きつった笑顔で、問い掛ける。逆にマハリオは、本物の笑顔を浮かべた。
「そうだな。私はサアシエに〝鎮定〟について教えた事はない。だが〝鎮定作業〟には必ず同行させているだろう?」
「要するに、そこでアナタの業を盗め、という事ですか?」
しかし如何にも学徒といった紺のローブを纏う弟子に対し、マハリオは首を横に振る。
「いや、逆だ。私の真似だけは、絶対にするな。寧ろ反面教師にしろ。君を連れ、各方面を行脚しているのはその為なんだから。それが出来ない様なら――君はこの仕事に向いていない」
「………」
いや、そんな事、改めて言われるまでもない。サアシエ・ラブラクスはこの職種だけは向いていない。その理由は明白で、嗤える事に彼女は非常にキレやすい性格なのだ。
事実、皇立の学部で鎮定の模擬実習をしただけで、彼女は激昂した。模擬戦の相手がちょっと挑発しただけで、冷静さを失った。
いや、頭の片隅に〝これはただの訓練〟という情報があったからこそ、被害はアレだけですんだとも言える。同級生のアバラを、五本折るだけで。
そんな人間を実地訓練に行かせる訳もいかず、彼女は僅か一年で皇立学園をクビになった。
その後、民間で育成している鎮定学部に入門するも、結果は同様である。五件目を回った頃には、サアシエ・ラブラクスの名はブラックリスト入りされる事になった。こうして彼女はこの業界では、鼻つまみ者として扱われる事になったのだ。
それも当然か。最も暴力から遠い立場に居なければならない〝鎮定者〟が、直ぐキレるというのだから。
そんな彼女を拾ったのが、件のマハリオという訳である。
「……というか、前から訊こうと思っていたんですけどね。なんでマハリオは、私の師を買って出たんです? 私の実家が、裕福だからですか?」
確かにラブラクス家といえば、貴族の中でも指折りの存在である。二百数十年前、高祖フォートリアの懐刀として戦場を駆け巡ったのが、彼女の祖先だ。
その武勇は、二百年経った今でも語り継がれる程である。体のいい尾ひれまでついて、今では伝説じみた存在とさえ言えた。
舞台化までされ、その収益の一部をラブラクス家は得て悠々自適の生活を送っている。
だが、その武門の家に生まれたサアシエは、その家柄とは真逆の道を選んだ。誰かを傷付けて栄誉を得るより、争いその物を失くし、命を繋ぐ事を目指したのだ。
その理由を多くの人間、特に彼女の父親は問うた物だがサアシエは何も話さなかった。師のマハリオにさえ、彼女はその訳を口にした事が無い。
いや。だからこそ、謎なのだ。なんでこんな〝鎮定不適合者〟である自分を、マハリオは無条件で受け入れたのか?
「もしかして、私には内緒で、父から謝礼とか受け取っています……?」
「まさか。オリビア・ラブラクスにタカるつもりなら、君に内緒にする気はないよ。その理由も無いしね。なので講師料は〝君が我が家の家事一切をする〟という事だけに留まっている」
「じゃあ、なぜ?」
「んん? そうだな。あまりにつまらない理由なので、言いたくなかったのだが、まいいか。理由は――余りに君が不出来だから」
「……えっと、そこは、笑う所ですか?」
「いや、いや、いや」
と、マハリオは右手を左右に振る。
「今のは本心。私は君が、余りに出来の悪い生徒だから、弟子にした。そういう事で、間違いない」
「……アノ、殺シテモ、良イデスカ?」
「だから、そういう所。笑顔でそういう事を言う所が君の面白おかしい所なんだって。いや、他人がそう注意して簡単に直る様なら、苦労はないがね。ま、いい。講義を続けよう。私としては――教師とは三種類いると思う訳だよ」
「……はぁ」
「第一に、出来のいい生徒を、更に伸ばす事ができる教師。第二に、自ら反面教師となり、生徒の自立心を養う教師。第三に、出来が悪いからこそ、その僅かな可能性を伸ばそうと足掻く教師。言うまでもなく――私は第二と第三だな。そう。出来る生徒を伸ばすなら、普通の教師で十分だろう。だが本来教師とは、出来の悪い生徒を一人前に育て上げる物だと私は思っている。それには多大な忍耐と努力が不可欠だが、元々教師とはそういう職業なのだよ。非常に面倒で、そのクセ実りが少なく、成功率も低い。だからこそ、私はルーゲン皇の講師の誘いを断った訳だ」
そこでマハリオは一度言葉を切り、サアシエを一瞥する。
「要するにただの気まぐれだよ。私が弟子をとった時、ソノ弟子はどう成長するか知りたかった。しかもそれが資質の無い人間だとすれば、尚の事その行く末に興味を引かれる。私の想像通りになるのか、それともそれ以上の存在になるのか大いに気になる。今更ながら訳を話せばそんな所だな」
「確かに、今更、ですね」
既に半年近く、マハリオを師事するサアシエは苦笑いする。
この如何にも困っている様な表情を見て、マハリオは尚も続けた。
「そうだな。これは決して褒め言葉ではないのだが、君は余りに直情すぎる。感情をすぐ行動や表情に出しすぎるんだな。それでは、何時か良くない物に付け込まれるぞ」
珍しく深刻な様子で、マハリオは告げる。
が――彼方からソレを否定する声が、部屋に響いた。
「そうか? 俺はサアシエのそういう裏表がない所、割と好きだぜ? どっかの誰かさんは裏しかねえからよ。余計、際立って見えるのかもな」
「誰かと思えば、アルセイサか。私の計算より三分も帰りが遅かったが、またナンパでも失敗した?」
「当たりだ。ウケケ。本当、俺の雇主は頭でっかちで困った物だよな、サアシエ?」
と、山奥の隠れ家に入ってきた亜麻色で長髪の男性が、マハリオ達の傍に歩み寄る。
「そう言えば、アルセイサはサアシエに手を出した節が無いな? 私の読みでは彼女も君の守備範囲の筈だが、これはどうした事だろう?」
「……本人を前にして、そういう事を真顔で語るじゃねえ。ま、確かにサアシエも俺好みだがオマエの弟子だからな。将来、どんな目に合わされるかわかったもんじゃねえから、遠慮してんの」
「何と? 遠慮? まさかアルセイサの口からそんな言葉が出るとは。私の見立てもまだまだ甘いか。それで、一応訊いておくがルーアン・ラッテ嬢は? 彼女も君に同行した筈だが?」
「ああ。めんどいんでまいてきた。あいつが居ねえほうが、オマエも動きやすいだろ?」
「やはり、そうか。ま、君と立場は同じだが、彼女の本分は異なるからな。否定はしないよ。彼女は少し、真面目すぎる」
クスクス笑いながら、マハリオは椅子に背を預け、アルセイサに目をやる。
「で、今日は何か動きが? あ、いや、やっぱ言わなくて良い。多分、グオールグ国がカシャン国に圧力を強め、いよいよ中央政府に泣きついた、という所だろ? それを何とかしろという話ではないか?」
「……毎回思うんだがオマエって何なの? なぜ最新と思しき情報を先回りできる?」
「別に。ただ、グオールグ国の王ハーケン・グオールグはそういうやつだから。だが、そうか。いよいよカシャンの尻に火がついたか。ま、よかろう。カシャンではそれほど報酬は望めないが、これも仕事だ。サアシエ、アルセイサ、出かける準備をしてくれ。私の計算では往復で十日ほどの旅になるが、念のため食料はその倍持っていってくれ」
明らかに特定の人物を見ながら、マハリオは要求する。彼は露骨に顔をしかめた。
「……ソレ、俺に言ってんの? オマエの用心棒である俺に、荷物持ちもしろと?」
「これも毎度のやり取りになるが、任務外の仕事だと言いたいのか? なら選べ。給金のアップか、私が君に女性を紹介するか。私はだんぜん前者をすすめるが?」
「は。これだから金にしか興味がねえ守銭奴は始末に負えねえ。俺としては断然、後者だね」
「本当、懲りない男だと言いたい所だが、了解だ。では契約成立という事でいざ行かん、我らが求められしかの地へ。そういう事で良いかな――サアシエ・ラブラクス?」
「勿論です。寧ろ――望む所だと言っておきましょう」
ソレで話は決まったとばかりに、マハリオは立ち上がる。
ブツブツ何かを呟きながらかの者は歩を進め――その後を件の二人も追ったのだ。
◇
「では、ここで基本的なおさらいをしておこう。サアシエ。このロウランダ大陸にある国を、面積が大きい順に言ってみたまえ」
と、馬上で馬を歩ませるマハリオが、唐突に質問する。
同じ様に馬上にあるサアシエは、目を細めた。
「そうですね。先ずは、フォートレム。それからシャーニング。ラジャンにリグレスト。キーファ。ミストリア。ガナック。パナカッタ。アルベナス。マーニンズ。ヌウベスト。グオールグ。シーナ。ストックゲイ。カシャン。最後にナマントの筈ですが?」
因みに国の並びは東から、フォートレム、ラジャン、カシャン、グオールグ、マーニンズ、ストックゲイ、シーナ、アルベナス、キーファ、ミストリア、ヌウベスト、ナマント、パナカッタ、ガナック、リグレスト、シャーニングである。
「正解。以上の様に、この大陸は現在十五の王国と一つの皇国によって成り立っている。そして、多少の例外を除き〝国の大きさ=国力の高さ〟という事にもなり得ている訳だ。因みにその例外の一つは言うまでも無く――フォートレム。あそこは現在、国の大きさの割に、国力が低い。原因は一種の驕りと、時代に適応しようとする意欲の欠如。二百数十年前の伝統と誇りを今でも第一に掲げている、あの気風だろう。ラーアント公達がその意識改革に勤しんでいる様だが――反対勢力も多い。既得権益を守りたい一心で、多くの貴族達は彼の改革案に乗り気じゃない訳だ。全く、国が亡びれば既得権益もクソも無いというのにね。尤もその彼等に〝再就職先〟が用意されているなら話は別だが」
「……〝再就職先〟? つまり、フォートレムの貴族の中に、他国と内通する者がいると?」
怪訝な表情で問いかけるサアシエに、マハリオは肩をすくめた。
「やはり鎮定作業以外の事になると、サアシエは勘が鋭いな。そうだよ。勿論、まだほんの一部ではあるがね。その為、彼等はフォートレムから利益を搾取する事に余念がない。とことんまで祖国を食い潰してから、他国に売り渡す気なのだろう。ある意味、リアリストと言うべき考え方だな。三年前〝フォートレムの主力が軍事演習のため遠出する〟という情報をラジャンに売ったのも、恐らく彼等」
「典型的な売国奴、ですね。同じ貴族であるラブラクス家の者としては、にわかには信じがたい話ですが、何か根拠が?」
明らかに怒りを噛み殺しながら、もう一度サアシエが訊ねる。
マハリオは、しれっと言い切った。
「いや、物証はない。ただの、勘」
「……勘、ですか?」
「そ。その勘を元に、裏切りそうな面子をリストアップして、既にラーアント公に報告済み。後はその情報を、彼がどう使うかだな。事と次第によっては、今後、大粛清もありうるかも」
「ただの勘で言いがかりをつけられた上、粛清までされてはたまった物ではありませんね。もしかして、ラブラクス家の名もそのリストとやらに、明記されているとか?」
明らかに含みのある笑みを浮かべながら、三度サアシエが質問する。
マハリオはフムと頷き、断言した。
「ああ。だとすれば面白かったのだが、アレは駄目だな。オリビアは、堅物すぎる。裏切り者が彼を仲間に引き入れようとした時点で、彼はその人物を叩き斬るよ。全く、誰に似たのだろうな? あ、いや、〝誰が彼に似たのか〟と言うべきか?」
「……最高にご機嫌な皮肉を、どうも。でも、覚えておいてください。私、父に似ていると言われるのが、なにより厭だって事を」
「あ? その歳でまだ思春期を引きづっているのか、オマエさん? いい加減、ファザコンを卒業しないと嫁の貰い手がなくなるぞ?」
アルセイサの揶揄を前に、サアシエは当たり前の様に憤慨する。
「――五月蠅いです。というか、私はまだ十七です。それ以前に、アルセイサさんは黙っていて下さい。私達はアナタと違い、政治的な話をしている最中なのだから」
「いや、俺だって政治の話くらいできるぜ? アレだろ? グオールグ人は皆、気功の達人って話だろ?」
「――断じて違います! そういうゴシップネタは、余所でして下さい。ルーゲン皇は、決してカツラとか被っていませんから!」
「がっちり食いついているじゃん。そっか。ルーゲン皇はカツラだったのか。マハリオ、今度本人に会ったら訊いといてくんない? 〝サアシエという鎮定職見習いがあなたの事カツラだと言っていたのですが、事実ですか?〟って」
と、サアシエが本気で焦る。理由は、あの師なら本当にやりかねないから。
「わー! わー! アルセイサさんは、私を不敬罪で投獄する気ですかっ? 私は断じてそんなこと言ってませんよッ?」
「いや、大丈夫じゃねえ? 師があの態度で許されるなら、弟子だって似たような物だろ? 俺は絶対、真似しねえけど」
「私だって同じ思いです! ……というか、今更だけどなんでマハリオはアレで許されているんです? 私初めてアナタとルーゲン皇に謁見した時、死を覚悟したんですよ?」
けれど、その当人は何も答えない。代りに、別の事を口にした。
「で、ここからが本題な訳だが、サアシエ的には今回の件はどう思う?」
「ああ。グオールグとカシャンは温泉の名地という事だし。俺的にはそれだけが楽しみかね」
「……いえ、そうではなく。そうですね。要は、国力が高いグオールグが国力の低いカシャンを併合しようとしている、という事では? ソレをカシャンは、頑なに拒否したがっているという話ですよね?」
ただ一人、徒歩で道を行くアルセイサを半ば無視して、サアシエが答える。
ソレをマハリオは首肯した。
「そうだね。南の小国カシャンは、現在グオールグとマーニンズという中堅国家に挟まれた状態にある。マーニンズはそれほど重要視していない様だが、グオールグの認識は違う様だ。カシャンの国土を食い潰してでも、自国の国力を上げる気らしい。その辺りは人道を重んじるマーニンズとは、考え方が違うな。尤もマーニンズも人道というか、自国民の人命を重んじる余り、カシャンを擁護する気は無い様だが。要点だけ上げるなら、今回の件はそんな所か」
「というか、これって私が弟子入りしてから初めてする、国と国を〝鎮定〟する仕事ですよね! 今までは村と村の諍いを〝鎮定〟したり、貴族のボンボンを更生させたりしていましたけど。でも、そっかー。私や師匠は漸く本職に立ち戻れるんですね?」
珍しく嬉しそうに、サアシエが告げる。それから彼女は、ふと疑問を抱いた。
「そういえばアルセイサさんって、私より長くマハリオのもとに居ますよね? じゃあマハリオの国家間における〝鎮定作業〟とか、目の当たりにした事がある?」
この素朴な疑問に、大剣を腰に帯びた大男は正直に答える。
「いや、俺も国同士の奴は初めて。つーか、出来れば関わりたくねえってのが本音かね」
「……関わりたく、ない?」
「ああ。というのも、そもそも俺がコイツに雇われる事になったのは……あ、いや、何でもない。今は少しでも長く、若者にユメを与えるのが吉だろうしな」
「はい?」
意味不明なアルセイサの言動に対し、素直に疑問符を並べるサアシエ。
その謎が明らかにされぬまま、三人は順調に旅を続ける。
「おお、見えてきた、見えてきた。アレが噂に聞くカシャンのラプント山脈かね。いや、絶景かな、絶景かな」
丸三日ほど経った頃、マハリオ一行は国境を越え、遂にカシャンへと辿り着く。
その大自然に囲まれた緑の小国に、三者は足を踏み入れていた。
「いや、物見遊山は後だ、アルセイサ。今は先に仕事を片付けてしまおう」
が、この極真っ当な意見を聞いて、アルセイサは眉をひそめる。
「随分とオマエらしくねえ意見だな? てか、こういう時はまず国内を回って調査し、情報を集めるのが先決じゃねえ?」
「……うわ。アルセイサさんにしては、真面な提案ですね? 正直、驚きました。私もその通りだと思うのですが、マハリオ的にはどうなんです?」
この両者の意見に対し、マハリオは腕を組む。
「というか、仕事についての話とか、三日前したきりじゃないですか。それ以外は一切プランを立てていませんけど、本当にソレで大丈夫……?」
マハリオの答えはというと、余りに意味不明だった。
「ああ。ぶっちゃけ問題ない。というか、問題なら既に片付いている。ま、私の頭の中では、だけどね」
「は……?」
「いや、先ずはソレが正しいか、カシャン王――レミトフ五世に会ってみよう。話はそれからだ」
そう告げながら、マハリオは馬の進路をこの国で最も大きな屋敷に向ける。その後を、アルセイサとサアシエは顔を見合わせながら追いかける。
「にしても、カシャンにグオールグか。実に五年ぶりになるな」
マハリオ・ルペル・ルクスは――感情の無い声でそんな事を呟いた。
◇
それから、マハリオ一行は何ごとも無くカシャンの首都――メルクラン入りを果たす。
三人はレミトフ五世の宮殿に向かい、やがてソコへと行き着く。
「そう、そうだ。私がフォートレムから派遣された〝皇家鎮定職者〟――マハリオ・ルペル・ルクス。後ろの二人は、私の弟子と従者だね」
フォートレムの家紋が入った印籠を門番に見せながら、マハリオは馬から下りる。
それを見て、直ぐに門番の一人はこの屋敷の主に伝令する為、駆け出した。
「ふむ。門番でさえ、ああも慌てた様子とは。どうやら、カシャンは真剣に切羽詰っているらしいね」
同じく馬から下りたサアシエに、マハリオはそう耳打ちする。
彼女は平然と言い切った。
「というか、単にアルセイサさんを怖がっているだけじゃ? この人、明らかにカタギに見えませんし」
「成る程、面白い。そういう見方もあるか」
クスクス笑いながら、マハリオはアルセイサに視線を送る。
対して顔だけは端正なアルセイサは、気にした風もなくアクビをしながら伸びをした。
「で、温泉はいつ入れるんだ? 俺、今日の為にこの三日間風呂に入ってないんだよね」
「やっぱりアルセイサさんは、一度、人格矯正所に入所した方が良いと思います……」
そんなやり取りをしている間に門番が戻ってきて、話は一気に進展する。三人は、レミトフ五世との謁見が許される事になった。マハリオ達は屋敷の執事に案内され、レミトフ五世のもとへと向かったのだ。
三人はレミトフ五世と、その護衛官が五人ほど居並ぶ大広間に顔を出す。
その上座には、黒い髪をポニーテールで纏めた褐色の女性が居る。砂漠の国の民族衣装に似た服を着る彼女を見て、マハリオはこう声をかけた。
「やあ、レミトフ。実に五年ぶり」
この余りに馴れ馴れしいマハリオの挨拶を聞き、サアシエの心臓は一瞬とまりかけた。
「――って、マハリオっ? 一国の王に対して、その態度はないでしょ!」
現に、レミトフ五世の護衛官は、マハリオに鋭い瞳を向ける。その内の一人等、既に剣の柄に手を伸ばしかけていた。
一方、齢二十五のレミトフ五世も、また不機嫌な表情を浮かべていた。
「何が五年ぶりだ、この悪党。お前アノ日、自分が何と言ったのか、覚えてないのか?」
マハリオを睨めながら彼女は告げる。そのまま、レミトフは続けた。
「〝後二年もしたらまた会いに来てやる〟とかぬかしておいて、これほど私を待たせるとは。しかもよりにもよって、お前が〝皇家鎮定職者〟だと? 冗談にしては余りに面白すぎて、逆にタチが悪すぎる」
「え、あれ? ……これって、怒られているんですか? それとも、その逆?」
今度はサアシエが、マハリオに耳打ちする。この間に、レミトフは口角を上げた。
「ま、いい。とにかく歓迎するぞ、懐かしき友よ。ましてや、お前が我らに救いの手を差し伸べに来た〝鎮定者〟とくれば、尚の事だ」
「だ、そうだ。良かったな。サアシエ。どうやら我々は不敬罪で投獄される事はないらしい。いや、持つべきものは、器の大きい小国の王と言った所か」
「だから、マハリオ! そういう事、言っちゃダメ!」
今度は耳打ちせず、半ば絶叫する様にサアシエは声を上げる。因みにアルセイサは既にマハリオ達から、十歩は離れていた。この部屋唯一の出口まで、後五歩と言う所まで迫っている。
「良い。そやつの皮肉は常の事だ。一々頭に来る方が、バカらしいわ。それより仕事の話をしよう。まず私としては――お前が男なのか女なのかハッキリさせたいのだが?」
「アハハハ」
何を思ったのか、マハリオが乾いた笑い声を上げる。
「……えーと。正直言えば、私もそれはちょっと気になっていまして。本当はどっちなんですか、マハリオは?」
サアシエさえこの話に食いつくが、当人は苦笑するだけ。
その体のまま、マハリオは上座に座するレミトフにおどけてみせる。
「本当に変わっていないな、君は。その調子で、今日までハーケンともやり合っていた訳だ。さぞ彼も、業腹だった事だろうね。心中、お察しするよ」
「そういう事は、ハーケン本人に言え。私に言われても、困る。これも皆、生来からの性分故な」
「知っている。だからこそ、事態が深刻なのもわかる。まさか誇り高い君が、中央政府の介入を許すとは。それほどまでに、カシャンはいま苦境だと?」
「おや。無駄口は、もう終わりか? 私としてはもう少し、おまえの軽口を楽しみたかったのだが?」
「ああ。この後も、予定が詰まっていてね。今は、話の要点だけ聴いておきたいんだ。積もる話は、カシャンの主権を守り抜いた後にしよう」
「……ほう? つまり、勝算はあると?」
「さてね。誰かさんが協力的なら、ちょっとは出てくるかもな」
「フン。相変わらずなのはそっちではないか。尊大かつ、自信過剰な奴め。良いだろう。家臣にさえまだ話ていないのだが、教えてやる。実は、後三日以内に併合に応じなければ――軍を送り込むと通告してきた、あの無礼者は」
深刻な話の内容とは裏腹に、レミトフは笑みさえ浮かべる。
逆に、サアシエは半ば唖然とした。
「軍? ……まさか。中央政府の〝戦争禁止〟の意向を無視して、話がそこまで飛ぶ?」
それからマハリオは、平然と言い切る。
「ま、口実があれば、するだろうね。先に手を出したのは、マギャン将軍あたり?」
この唐突な問いかけに、さすがのレミトフも眉をひそめる。
「そこまでお見通し、か。そうだよ。グオールグの露骨な挑発にマギャンが遂に爆発してね。グオールグの使者に、斬りつけおった。これを敵対行為と見なしたハーケンは、これ幸いとばかりに侵略を決意した訳だ。それでもマーニンズは傍観する気なのだから、世も末だな」
「だろうね。仮にグオールグがカシャンを併合しても、まだマーニンズの方が国力は上。自国が安全圏にあると認識しているなら、マーニンズはやはりカシャンの為に動かない。だが私の考えだと、恐らくこうなるな」
が、そこまで告げながらもマハリオは、話を変える。
「マギャンの事だから、自分の首一つで事を収めようとはしたのだろう? その事は、グオールグ側にも伝えた?」
「そんな無駄な事はしておらん。マギャンの首一つで収めるつもりなど、向こうに無い事は容易に見通せるからな。マギャンの奴め。それでも自害しようとしたので、今は手枷をつけ地下牢に放り込んでいる。それが何か?」
「いや――ただの確認作業だから気にしなくていい。成る程。ここまではアレか。わかった。ではいったん失礼するよ、レミトフ。そうだ。ついでに確認しておくが――カシャンはグオールグに降る気はない?」
本当に、明日の天気を訪ねる様な気軽さで、マハリオは問う。
この態度に内心ドギマギしているサアシエを尻目に、レミトフは鼻で笑った。
「無論だ。私達は――何があってもグオールグにだけは降らない。あの侵略者共にだけはな」
威厳に満ちたレミトフの宣言を受け、マハリオは頷く。
「結構。じゃあ行こうか、サアシエ、アルセイサ。次は――グオールグだ」
「はい……?」
いや、ソレは至極当然の流れと言えた。何せこれは、カシャンとグオールグの二国間における〝鎮定作業〟である。一方の国の話だけを聴いて、何かを決めるという事はあり得ない。
改めてそう気付いたサアシエは、大きく息を吐き出す。
「ええ、行きましょう、マハリオ。きっとここから先が、私達の正念場です!」
この僅かな認識のズレと共に、サアシエはマハリオを追ってその場を後にした。
◇
で、マハリオ達三人は国境を越え、あっさりグオールグに辿り着く。
「それにしても感じが良い人でしたね、レミトフ王は。私なら完全にキレてる所なのに、マハリオの暴言も聞き流していたし」
けれど、馬上のマハリオは首を傾げる。
「そうか? アレでも必要となればレミトフは――私達をグオールグに売る位の事はするぞ」
「……は?」
「そう。彼女は王だ。だったら自国の利益を守る為に、その位の事はするさ。それが王の正義であり、王の義務だ。その王の悪行を、クリーンに見せるが臣下の務め。尤も、今回はその家臣が国の苦境を招いてしまった訳だが」
「あの、冗談に聞こえないんですけど?」
「ああ。冗談では無いからね。それよりアルセイサは、レミトフに恋とかしちゃってないだろうな? アレでも、彼女は一国の王だぞ? そういう立場の人間と、ただの傭兵がつき合うとか禁断の恋も甚だしい」
「……オマエは、俺を何だと思っている? いくら俺でも、そんな事まで考えてねえよ。ま、確かに良い女ではあったが」
サアシエが呆れ果てたのは、その時だ。
「というか、その一国の王に対して無礼な態度をとったのは、誰です? 人のこと言えないでしょうが、マハリオは」
「そうかな? 私としては必要最小限の会話だけで、終わらせたつもりなのだが。と、それはそうと、見えてきたぞ。アレがグオールグの首都――セイグレムだ。それと、予め言っておくが、ハーケンは三十過ぎのおっさんでレミトフより怒りっぽい。無礼な態度をとったら、すぐブチ切れるからそのつもりでいてくれ」
「………」
「待て。何故、そこで黙り込む?」
「別に、何でも。じゃあ、さっさとグオールグ側の話も聴きに行きましょう」
無駄話はそこまでだとばかりに、馬上のサアシエは馬の足を速める。
マハリオ達もその後に続くが、かの者は些か深刻そうな顔で、サアシエに告げた。
「いや。それ以前に、君、ハーケンの城が何処にあるか知らないだろ? こっちだ、こっち。そっちじゃなくて、もっと西」
「わ、わかっていますよ! ああ、もう!」
かくして件の三人は――グオールグ王ハーケンとも謁見する運びとなったのだ。
◇
そして、マハリオは告げた。
「やあ、ハーケン。実に五年ぶり」
「………」
やっぱりこういうオチだったかと沈黙する、幼気な弟子その一。
このマハリオの軽薄な態度に、サアシエは思わず眩暈を覚える。
片や典型的な西洋の王と言った服装をしている金髪の人物は、その美貌を微かに歪めた。
「はて、誰だったか? 予の知り合いに、そなたの様な者は居なかった筈だが?」
それでも笑みを浮かべるハーケンを、サアシエは意外そうに見つめる。
「そうかね? あの時も今も態度を変えた覚えは無いのだが、それでも印象が薄かった? 私の美貌を以てして、尚これとは。実は男色家という噂は、事実かな?」
「成る程。さすがは宗主国、フォートレムの〝鎮定職者〟だな。仕事熱心なだけでなく、ユーモアも兼ね備えている訳だ。それで、何の為にこんな辺境の国にまでやってきた?」
そう謳うハーケンに、マハリオはおどけてみせる。
「辺境? 皇都オーザムからそれほど離れていないこのグオールグが? もし本当にそう考えているとしたら、私は君の認識を疑うよ、ハーケン。正に――宝の持ち腐れとね」
「フム。今のは冗談のつもりだったが、どうやら上手く伝わらなかった様だ。それで、繰り返しになるが今日は一体どういった用向きかな〝鎮定職者〟殿? 予には、全く覚えが無いのだが?」
「んん? 覚えが無い? アレほど露骨にカシャンを無理やり併合しようとしているのに?」
しかし、ハーケンは淡々と言い切る。
「それが、何か? 先に言っておくが、併合の件を先に言いだしたのはカシャンの方だ。〝自国をぜひグオールグに組み込んでもらいたい〟とな。だというのに〝鎮定職者〟がやって来るとは。何か行き違いでもあったのでは?」
「それは本気で仰っていますか、ハーケン王……?」
「本気だが、それが?」
サアシエの問いに、はてと首を傾げる、ハーケン。
ソレを前に、サアシエは眉をひそめた。
「では、武力を以てカシャンを占領する気は無いと、そう仰る?」
「……武力で、カシャンを? まさか。ただこの三日後、カシャンと合同軍事訓練をする予定はあるな。実は数日前、カシャンの将軍が酔った勢いで予の使者を傷付けてしまってね。その詫びとばかりに、カシャンからそう申し出があった。嘘だと思うなら、カシャン側に確認してみるといい」
「………」
この時、サアシエは言葉に詰まる。
彼女はそのまま、マハリオに目を向けた。
「了解した、ハーケン。では、その様にとりはからう事にしよう。また会う事もあるだろうがその時も今の様な協力姿勢を見せてくれるとありがたい」
こうして、ハーケン王との謁見は終わった。
ただ、マハリオ達が退出した後、彼は中空を一瞥する。
「ああ――また会う事があればな」
クツクツと笑いながら――ハーケン・グオールグはそう呟いたのだ。
◇
「では、ここまで情報が出そろった所で、そろそろ可能性を潰していこう」
「可能性を、ですか?」
グオールグの城から出て、馬に乗りながらマハリオは提案する。
同じく馬に乗るサアシエは、怪訝な様子で目を細めた。
「ああ。例えば、実はハーケンが言っている事こそ事実だった場合について」
「グオールグ王、が? 確かにカシャンとグオールグの言い分は食い違っていますが、まさかそんな事が……?」
カシャンはグオールグが武力を以て、カシャンを併合する気だと主張した。一方グオールグは、カシャンこそがグオールグに併合される事を望んでいると言う。
この真逆の意見の応酬を前に、サアシエとしてはやや混乱気味なのだ。
「ああ。その可能性があり得るとしたら、レミトフが私を殺したがっている場合だな。その為にグオールグと通じて国家間の争いがある様にみせかけ、私をおびき出した。その上で包囲網を敷き、私を抹殺する。レミトフに利があるとすれば、そんな所か」
「……は?」
マハリオは平然と、そんな事を言ってのける。お蔭でサアシエは、素直に慄いた。
「……えっと、マハリオって、そんなにレミトフ王に恨まれているんですか?」
「いや、だから仮の話だよ。ま、話としては、こちらの方がよほど面白いかもしれない。私と言う邪魔者を消した後、カシャンとグオールグが手を結ぶ、というのは意外性があって」
「その場合、当然アナタの弟子である私も、消されるんですよね……?」
「消されるな。笑える事に」
「………」
いえ――全く笑えません。
「だが、安心していい。本件の実情は、それほど面白い物ではないから。話の構造としては実に単純だ。カシャンは本当に困っていて、グオールグはカシャンを本気で占領したい。大筋をあげれば、それだけのつまらない状況だな」
「でも、じゃあ、なんでグオールグ王はあんな惚けた事を? 私達がカシャンに戻り、レミトフ王に聴取すればすぐ嘘が露見するのに」
「そうだね。だから、それが彼の目的。と言う訳でこっちだ、サアシエにアルセイサ。今日はグオールグに泊まる」
「カシャンに戻らないんですか? 一応、レミトフ王からさっきの話の真偽を、問い質さなければいけないのでは?」
この至極真っ当な見識を、けれどマハリオは些か回りくどく否定した。
「うん。普通はそう考えるだろうな。だが、国の使者が道中で行方不明になるのは、よくある事だ。カシャンに進路をとれば、待ち伏せしている兵に行きあう事になる。そうしてカシャンの兵がした様に見せかけ、グオールグは私達を暗殺するだろう。なので、作戦会議はここグオールグでする事にする。いかにハーケンとて、自国の領地で宗主国の使者を殺める様な真似はしないだろうしな。首都で使者が行方不明になったなんて不手際を起こせば、自分達の責任問題に関わる」
「ちょっと、待って。じゃあグオールグ王は、本当にそのつもり……?」
が、マハリオはサアシエの言葉を遮る。
「そうだな。時にサアシエ的には、本件の解決難易度はどの程度だと思う?」
「その、五段階評価で言えば、レベル四位でしょうか?」
「根拠は?」
「中堅国家のグオールグと、小国カシャンの国力差は明白です。そのカシャンの自治権を守り抜くのは、容易ではありません。いえ、それよりマハリオはなぜ、前者の可能性を消したんです? 机上の空論でいえば、ソノ線もありだと思いますが?」
かの者の答えは、以下の通り。
「んん? それはあのハーケンの態度が――私の知る彼ではなかったから」
「アナタの知る、ハーケン王ではない?」
「そ。然るべき者がああやって穏やかに応対する時は、大抵なにか企んでいる物なんだよ。逆に強気でいる場合は、兵を撤退させるタイミングを窺っている場合が多い。少なくとも古来の兵法書には、そうあった」
「何だ。マハリオ独自の考えじゃないんですか?」
「ああ、違う。が、ここからは私の考え。あのハーケンの態度でハッキリした。グオールグの本当の目的は――マーニンズ、延いては――フォートレムの攻略にあるのだろう」
「は、い?」
この突拍子もない論理の飛躍に、サアシエは素直な驚きを見せる。
「……なぜ急にそんな話に? グオールグがフォートレムの攻略とか――意味がわかりません。大体衰退しとはいえグオールグ一国でフォートレムの制圧は不可能だと思います。あの中堅国家が宗主国を落せるなら、ほかの大国が既に行っている筈です」
「ああ。だからその為のカシャンと、マーニンズな訳だよ」
マハリオの指摘を受け、サアシエは思わず仰天する。
「そう。仮にグオールグがカシャンとマーニンズを併合すればラジャンに近い国力をつける。そしてまた少し話は飛ぶが、この三年間ラジャンが何の動きも見せなかったのは何故だと思う?」
「まさ、か。グオールグとラジャンは、裏で繋がっている?」
「うん。ラジャンとグオールグは、皇都オーザムから三日と言う近隣にあるからね。仮にグオールグがラジャンに匹敵する力を持てば、ラジャンも仕事がし易くなるだろう。この三年間の沈黙は、その計画を実現する為の準備期間だと思う」
「……で、でもカシャンを併合しても、まだマーニンズの方が国力は上だって言っていたじゃないですかっ?」
唖然としながらもサアシエは、正論を口にする。マハリオは、真顔で反論した。
「正面からぶつかればな。けど、奇襲をかければ話は別だ。というのも、他でもない。マーニンズの王ルネッザは決して暗愚ではないが、平和ボケしている所があってね。今は軍事より、経済や飢饉の対応を優先している訳だ。更に言うと軍事力が低いカシャンと同盟を結んでも、ただの足手まといになるだけ。ルネッザとしては、そう思っている。グオールグとしては、彼のそういう認識に付け込んでいるのだろうな」
「じゃ、じゃあ、私達が失敗したら、この一帯やフォートレムは……?」
「――戦地と化すだろうね。グオールグが短期間でマーニンズを落せば話は別だが、仮に戦争が長期化すれば、泥沼だ。目も当てられない状況になる。ソレを回避する為の策がラジャンにはあるのだろうが、はてさて、どうなる事か。いや――どう転んでも戦争になった時点で、私達〝鎮定職者〟の存在意義はなくなるな」
「……なら、一体、どうすれば?」
いや、それが全て事実だとすれば、レベル四所の騒ぎではない。五を通り越して、六にさえ至る状況と言える。サアシエにしてみれば、もはや絶望的ともいえる話だった。
しかもその〝鎮定作業〟を行うのは、実質二人。アルセイサは戦力外なので、自分と師であるマハリオだけだ。
たった二人で、ラジャンが三年間練り上げてきた策を潰す?
そんな事は、凡そ不可能だ。
そして、マハリオは言い切った。
「ま、私に言わせれば――この件の難易度はレベル一程だが」
「は、い?」
今……この人は、なんと言った?
これだけ入り組んだ話を纏めなければならないのに、その難易度が、レベル一?
「……それは、なぜ? まさか、何か、策が?」
「無くもない。というか、グオールグの目を覚まさせるには、これしかない。我々も、グオールグが一番困る事をしよう。そう。私達はこれよりグオールグの重要拠点――ムーベンバッハを落す」
「は?」
この言葉を聴いた時、サアシエは今になって漸く――マハリオの正気を疑った。
◇
「……えーと、今何と? 何をどうすると、仰ったんです?」
笑顔を浮かべながら、サアシエは訊ねる。マハリオは、普通に謳った。
「だから、ムーベンバッハを落すと言った。というのも、ムーベンバッハは対マーニンズの橋頭保だ。ここ王都セイグレムやマーニンズの首都――ロッタリカから半日とかからない距離にある。つまりこの砦を落されれば、グオールグは大打撃を受ける訳だよ。それこそ、マーニンズを制圧するという作戦が潰れかねない程に」
「あの、ちょっと待って下さい? それって、どう考えても〝鎮定職者〟にあるまじき考えですよね? もちろん師匠は、本気でそんな事を言っている訳ではないんでしょ?」
「いや――本気だけど」
心外だとばかりの表情で、マハリオは断言する。
お蔭でサアシエは、今度こそブチ切れた。
「――アホですか、アナタはッ? それが〝鎮定職者〟のする事っ? 第一、どうやってそんな砦を落すって言うんですッ? ……まさか、カシャンの兵を動員する気っ?」
「いや、それは無い。カシャンの力を借りれば、それこそ戦争状態になるしな。第一カシャンでは、ムーベンバッハは落とせない。如何にムーベンバッハの意識が、マーニンズに向いていると言っても」
「……じゃ、じゃあ、どうやって? まさか、また〝特殊大気〟とやらを使う?」
「いや、〝特殊大気〟を溜めこんだ容器は置いてきたし。第一――一度や二度、砦内を爆破した程度ではあの堅固な砦は落ちないよ」
サアシエが重要な事に勘づいたのは、この時だ。
「……いえ、待って。カシャンの力を借りないと言う事は、まさか私達三人だけでその砦を攻略するつもり?」
「うん」
「………」
いや、〝うん〟じゃないだろ?
「但し、マーニンズ側には、カシャンが実力でムーベンバッハを落した事にする、でないと、後々困るからな。私からは以上だが――まだ質問が?」
「し、質問なら腐るほどあります! 大体そんな暴挙、本当に実現できるとマハリオは思っているんですかッ?」
「思っているも何も、ほかに代案が無い。それとも、サアシエには何か良い考えが?」
「……そ、それは」
そこでサアシエは今自分が持っている情報をフルに使い、何か策がないか熟考する。その一方で、彼女はどうしてもハーケン王を籠絡させる術が見つからなかった。
それも当然か。仮にマハリオの読み通りだとすれば、ハーケンはラジャンと共にこの大陸の覇者となる。それだけの偉業を前にし、果たして何を言えば彼は思い直してくれると言うのか?
どう考えても、サアシエにはソレが思いつかない。
「そう。だからこその、荒療治だ。……本当、ハーケンにもこの切なる想いがしっかり伝わればいいのだが」
天を仰ぎ、爽やかに微笑みながら、マハリオは言う。
サアシエはそんな師を、死んだ目で見つめた。
「……えっと、私達ぜったい殺されますよね、アルセイサさん?」
「さてな。だが言ったろ。できればコイツの〝鎮定作業〟とか死んでも関わりたくねえって」
「あー」
この地獄の様な状況を前に――サアシエはただ自分達の行く末を嗤うしかなかった。
◇
それからセイグレムにある宿屋に泊る事にしたマハリオ達は、その宿泊所に入る。
「そう。『フォートレムの使者御一行、宿泊中』だ。金は払うから、宿の外にそう垂れ幕でもかけてくれ。ああ、かといって、私達に対し特別なもてなしとかする必要はないから。後、私達に会いたいという者が来ても、断る様に」
「……ん? それはもしかして、ハーケン王対策?」
依然、冷めた目で師を見るサアシエが訊ねる。マハリオは、フムと頷いた。
「仮に私達の存在をここまでアピールしているのに、尚暗殺する気なら大した度胸だ。けど、ハーケンはそんな真似はしないよ。彼にとっても、今は大事な時期だからね。これ以上、問題になる様な事は起こさない。少なくとも、彼のお膝元である、このセイグレムでは」
「……そ。では今日はもう、何もする気が無い? ムーベンバッハとやらを、落しには行かないんですか?」
通された部屋のベッドに腰掛けながら、サアシエは首を傾げる。
マハリオは、またも首肯した。
「ああ。今日は日が悪い。仕事は明日から。そうしないと、この作戦は失敗しかねない」
「はい? 明日になると、何か起こるんですか? ……というか、マハリオは本当にムーベンバッハを落せると思っている? 一個の国家がつくり上げた砦を、たった三人で?」
乾いた笑いを浮かべながら、彼女はそもそもの前提を問い質す。
マハリオは、大きく伸びをした。
「普通に考えれば、無理だろうな。重要拠点だけあって、ムーベンバッハは難攻不落だ。マーニンズは勿論、カシャンに対しても万全の守りを固めている。ただ、それは軍を相手にした場合に限る。そして私達は今、グオールグ側に居る。つまり守りが集中していないムーベンバッハの裏側から、堂々と攻め込めるという訳だ。ま、攻め込むつもりはないけど」
「攻め込むつもりは、ない? じゃあ、密かに忍び込むとか? いえ、マハリオは、その砦の司令官をそれほど無能だと思っている? 軍に頼る事なく、集団レベルの力で落せると確信できる程に?」
が、今度は、マハリオは首を横に振る。
「いや、ムーベンバッハの領主である、コーバック・カルタリカは超有能。文武両道で洞察力に長け、想像力も豊か。ハーケン最大の美点は――彼にムーベンバッハを任せた事だろうな」
「……え? 私達、そんな傑物が守る砦を攻めるつもりなの?」
「ま、そうだね」
よって、サアシエはまたもブチ切れる。
「――じゃあ、勝ち目なんて微塵も無いでしょうッ? 私達、死にに行くような物じゃないですかっ? なら、いっそう私がアナタの息の根をとめて上げましょうかッ? そうすれば死ぬのは三人じゃなく、一人ですみますしっ?」
「ああ。その発想は実に素晴らしい。〝一人を殺して二人を救う〟という考え方自体は。或る意味〝鎮定職〟の奥義とも言える意見だ」
「そ、そんなの冗談に決まっているでしょう。第一私がしたいのは、もっと別の事です」
けれど、サアシエはそれ以上続けない。彼女はただバツが悪そうに、マハリオから視線を逸らす。
そんな弟子の様子を気にした風もなく、マハリオは続けた。
「安心したまえ。そんなコーバックにも、三つだけ弱点がある。その一つが君だ――アルセイサ・スオ」
「俺が? 何? そいつ、野郎が趣味なの?」
「ある意味そうだな。ま、そこら辺は会ってみればわかるよ。で、サアシエにも、重要な任務を担ってもらう事になる。君の仕事は――こうだ」
「は? それは、本気で言っている――?」
師の指示を聴き――サアシエはもう一度己の耳を疑った。
◇
マハリオ達が件の宿を裏口からこっそり抜け出したのは、翌日の朝。
三人は人気のない裏通りを使ってセイグレムを後にし、予定通りムーベンバッハへ赴く。常に尾行されていないか警戒しながら、マハリオ一行は順調に歩を進める。
「見えてきた。アレが――ムーベンバッハだ」
マハリオの見立て通り、半日ほど歩いただけで、三人は件の砦に辿り着く。
正確には、ムーベンバッハから二百メートルは離れた岩山に、身を隠していた。
「では、計画通り夜まで待とう。話はそれからだ」
「その前に、もう一度だけ確認させて下さい。マハリオはこれさえ上手く行けば、この状況でも〝鎮定可能〟だと思っているんですよね?」
「んん? では、もう一度逆に訊こう。サアシエには、ほかに何か手がある?」
普通にマハリオは訊いてくる。
サアシエはもう一度だけ深く考え込んだ後、結論した。
「……わかりました。私も腹を括ります。初仕事の時点で逃げ出したなんて知られたら、父がどんな顔をするかわかりませんし」
「成る程。コンプレックスを、起爆剤に使うか。若さの特権だな。悪くない気持ちの切り替え方だ」
クスクス笑いながら、マハリオが評する。当然の様に、サアシエは憤慨したが。
「しっかし、さすが南の国。日陰だってのに、あっちいな。なあ、お二人さん。熱ければ別に服とか脱いでも良いんだぜ?」
「アルセイサさんも、ほとほと何かが壊れていますよね? この状況で、そんなセクハラ口に出来るなんて。今の、訴えれば私が勝てるレベルの暴言でしょ?」
「かもな。私が、証言台に立てばの話だが」
「ああ? 女ってのは熱い所に行くと、解放的になるんじゃねえの? ガキの頃みたエロ本には、そう書いてあったぜ?」
「……あの、すみません。私、アルセイサさんとは、口をきく意欲がなくなりました」
実際、それからサアシエは無言を貫く。高鳴る鼓動を押さえる様に彼女は胸に手をやり、ただ時間が流れるのを待つ。
アルセイサは昼寝を始め、マハリオもただ空を仰いでいた。
やがて日は完全に落ち、マハリオは視線を下ろす。
「そろそろ、頃合いか。では行こうか、二人とも。いよいよ、仕事の時間だ」
「……はい!」
この師の促しに応えながら、サアシエ・ラブラクスは大きく息を吐き出したのだ―――。
◇
マハリオ達が堂々とムーベンバッハの裏口に向かったのは、夜が更けて間もなくの事。髪を下ろし、ドレスを纏って、女装(?)したマハリオはかの砦の裏門に行き着く。
「ん? 何じゃ? この夜更けに、ムーベンバッハ砦に何か用か?」
と、其処には一人の老兵が居て、門を守っていた。五十は疾うに超えているだろうその門番は、マハリオ達を見て素直に眉をひそめる。マハリオは、堂々と断言した。
「はい。実は、私達三人はハーケン王より遣わされた者です。常日頃より激務に従事するコーバック将軍の労を少しでも労う様にと」
「労を、労う? それは、つまり、そういう事……?」
「ええ。将軍が奥様を亡くされてから、もう数年が経ちます。その間、独り身を貫いておられた将軍ですが、ハーケン王はそんな将軍を気にされていまして。こうして私を派遣された、という訳です」
「……成る程。それは羨まし、いや、もったいないお気遣いじゃな。だが、何かそれを証明する物はあるかのう?」
が、そこまで老兵が言い掛けた時、マハリオは何の躊躇もなく言い切る。
「ええ。私はコーバック将軍にご挨拶するよう命じられています。ですが、其処のアルマなる娘は、兵士の皆様のお相手をするよう仰せつかっています。その時は、どうか可愛がってやってくださいませ」
「――な、なんとっ?」
よって、老兵は身を乗り出す。
「それは、その、ワシ等もご相伴にあずかれるという事かッ?」
「はい、勿論。見かけ通りまだ拙い娘ではありますが、皆様にご満足してもらえるよう誠心誠意努力する所存です。ね、アルマ?」
「……はい」
因みに、そのアルマとは言うまでもなく、サアシエの事を指している。加えて、話が話なだけに彼女は本気で赤面していた。
このウブな様子がえらく気に入ったのか、老兵は見るからに態度が変わる。
「――わかった。では通って構わんぞ、お主ら。……と、その男は?」
「ええ。このムーベンバッハまでの道中、私達を護衛してくれた者です。彼もコーバック将軍の旗下に加わる予定なので、私達と一緒にご挨拶をと思ったのですが?」
「おお。構わん、構わん。三人共、通れ。今、門を開けてやるからの」
老兵は、躊躇なく門を叩く。
「ワシじゃ。ネメントじゃ。今、首都からコーバック将軍にお客人が来ての。将軍にご挨拶をしたいとの事。身元はワシが確認した故、開門を頼む」
ついで、あっさり門は開いた。それはもう、何かの罠ではないかと疑う程あっさりと。
「ありがとうございます、ネメント様。では、失礼いたします」
こうしてマハリオ達は、あっさりムーベンバッハ砦に入る。
三人はネメントに見送られながら砦内に通され、人気の無い通路に行き当たる。
それから案内役の兵士に、アルセイサは後ろから殴打を加える。
彼を気絶させた後、サアシエは思わず呆れていた。
「……え? 嘘でしょ? まさか、本当に、こんな手が通用するなんて」
「ああ、そうだな。けど、これがコーバック一つ目の弱点。あの老兵はコーバックが若い頃、世話になった人物でね。義理人情に厚い彼は、ネメントが女好きでソレが短所だと知りつつも尚職に就かせているのさ。あの老人も、あの癖さえなければ良兵なのだが」
後ろ髪を纏め、白い服を脱いで、何時もの姿に戻ったマハリオが説明する。
かの者は、微笑しながら続けた。
「で、その彼が門番をするのが、今日だったと言う訳だ。サアシエの言う通り、もし彼以外の人間が門番をしていたら、こんな手は通用しなかったな」
「だから、作戦実行を今日まで待ったと……?」
「ああ。一種の賭けではあったがね。仮にあの老人が私を覚えていたら、その時点でアウトだった。だが夜も更けてよく顔は見えなかったし、あの時と違って髪も下ろしていた。それで彼も、私を見誤ったのだろう」
「……はい、はい、ご高説痛み入ります。じゃあ、一先ず作戦通りという事で良いんですね?」
サアシエの問いかけに、マハリオは笑みを以て答える。
「だな。では、予定通り二手に分かれよう。私とアルセイサはあの老兵に言った通り――コーバックに〝挨拶〟に行く。サアシエも、指示した通り動く様に」
「ええ、わかっています。それでは、後ほど」
「よろしい。では、後ほど」
示し合わせながら、マハリオ達は西へ、サアシエは東へ向かう。
かくして砦への侵入を果たした三人は――早々に次のステージに赴いたのだ。
◇
マハリオ達がある部屋の前で立ち止まったのは、あれから十数分は経ってから。
扉の前に立ったマハリオは、目を細める。
「私の読み通りなら、コーバック・カルタリカは今もこの部屋で執務中の筈。だが、後一時間ほどで彼も寝所に入るだろう」
「が、それまで待つつもりはねえと? 何だ。オマエがそいつの、夜伽の相手をするんじゃねえの? 俺はてっきり、本気だとばかり思っていたぜ?」
「期待に添えなくて悪いが、それは無い。彼には一度、自分の価値観を崩壊させてもらわなければならないからね。その間隙をついて、一気に勝負をかけるのがこの作戦の趣旨。と言う訳で――いよいよ出番だぞ、アルセイサ」
「……あー、正直、気が進まねえな。ほら、俺、ケンカとかからっきし弱いし」
「アハハハ」
と、マハリオはひとしきり笑った後、真顔で告げた。
「では、そんな君に一つだけ忠告だ。コーバック・カルタリカは――本当に強いぞ」
「……だから気が進まねえんだろうが。なあ、この仕事が終わったら、報酬にサアシエのケツとか触って良い?」
「本当に笑えるな、君は。が、悪いが、それはちょくせつ彼女と交渉したまえ。私の立場では確約しかねる。では行こうか。有言通り――領主殿に〝ご挨拶〟だ」
マハリオが、静かに執務室の扉を開く。
その部屋の中では、確かに一人の男性が筆をとっていた。
豹を連想させる野性的なその人物は、マハリオ達を見て首を傾げる。
マハリオ達と目が合った瞬間、彼は笑みさえ浮かべてこう問うた。
「ほ、う? 見慣れねえ顔だが、俺の砦にてめえ等の様なやつは居たか?」
「いや、夜分に失礼する」
「ああ。名乗る必要はねえ――マハリオ・ルペル・ルクス」
「………」
苦も無く自分の正体を見抜いたかの領主を前に――マハリオは思わず沈黙する。
「覚えているぜ。五年前フォートレムの使者として、各国を回っていると話していたやつだろ? そのてめえが〝鎮定職者〟を名乗り、オーザムを救ったという話は語り草になっている。ハーケン王はそれほど重視しておられなかったが、俺は何時かこんな日が来る気がしていた。てめえがこういう形で――俺の前に再び現れる日が来ると」
「へえ? それはどんな形かな、コーバック?」
「恐らく、カシャンが中央政府に泣きついたんだろ? その依頼を果たす為に知恵を絞ったてめえは、ある種の賭けに出た。このムーベンバッハを落す事で、一気に形勢を覆そうとしたんじゃねえか? いや、仮に立場が逆なら、俺でもそうする」
こうも容易くマハリオの策を読み切るコーバックを前に、アルセイサさえも押し黙る。
「但し、人手は今少し集めておくべきだったな。たった二人で領主の部屋を襲撃するのは余りに愚策だ。俺が兵を呼べば、てめえの企みは即座に潰える事になる」
実際、コーバックは直ぐ傍にある鐘をならすため手を伸ばそうする。
だが、その前に――かの者の声が響いた。
「――〝アルセイサ・スオ〟」
その名を聴いた瞬間――あろう事か、コーバックの手が止まる。
「そう――〝アルセイサ・スオ〟だ。この名に聞き覚えはないかな、コーバック?」
「そう、か。つまり、その大男が――?」
「ああ。そのアルセイサ・スオだ。これこそ私が君に示せる、精一杯の誠意。率直に訊こう、コーバック・カルタリカ。彼と――剣を交えてみたくはないか?」
喜々としながら、マハリオが問う。対してコーバックも喜悦しながら、立ち上がった。
「で、俺が負けた時は、このムーベンバッハを差し出せと?」
「そう言いたい所だが、素直に応じる君ではあるまい? なので、その時は君を人質代わりにでもしようと思う」
「ほう? それはつまり、俺が自分の命惜しさに主を裏切ると思っているという事?」
「私としてはそうである事を願っているが、どうだろう? いや、ハッキリ言ってしまえば、私の目的は君のプライドをズタズタにする事なんだ。これはその為の、余興に過ぎない」
この正気とは思えないは発言を聴き、流石のコーバックも唖然とする。
「……余興ね。五年前も感じたが、やはりてめえはどこか壊れているな。他人の命どころか、自分の命さえ度外視している。だが、ソノ提案はおもしれえ。世に聞くアルセイサ・スオと手合せできる、というのは――」
コーバックが――両端に巨大な刃がついた矛を手に取る。
身長百八十センチ程の彼は、そのままマハリオ達に向け歩を進めた――。
「では契約成立だ。この決闘が終わるまでは、私には手を出さない。――そいう事で良いかな?」
「了解だ。……しかし、ネメントの爺さんにも困った物だな。恐らくただの色仕掛けで籠絡され、敵を招き入れるとは。だが、今日はそんな爺さんに感謝するぜ。お蔭で俺はかの大敵と殺し合える、この瞬間に立ちあえた――」
これこそが――コーバックの二つ目の弱点。彼は〝強い〟とされる兵法者と――戦いたがる悪癖がある。それほどまでに――彼は一対一の戦いを好んでいた。
「……あー、漸く出番か。正直、待ちくたびれたぜ。このまま逃げ帰りたい位にな」
今の言葉に――嘘は無い。
そう感じたからこそ、コーバックは疑念の目をかの男に向ける。
「話に聞く、アルセイサ・スオとは思えねえ事を言う。今一度確認しておくが、こいつは本当に本物か?」
「ああ。私の命を懸けて誓おう。彼は、本物のアルセイサだよ」
「命を懸ける――か。それは、こいつが敗れた時は、大人しく投降するという意味?」
答えるまでも無いとばかりに、マハリオは笑みを浮かべる。
それからコーバックは、無造作に二人へと歩み寄った。
「ここでは、少しせめえな。砦を出た所に、中庭がある。其処で――やろう」
アルセイサ達が答えを返す前に、彼は一人外に出ようとする。
それをマハリオは追い、アルセイサは平然と問うた。
「なあ、マハリオ? 本当に、逃げ帰ったら駄目か?」
「……うん。悪いが駄目だ」
ただ一人その場に留まるアルセイサは……マハリオとそんなやり取りをした。
◇
三人はコーバックの提案通り、砦内の中庭へと赴く。
その途中、数人の兵とすれ違い二人は敵視された物だったが、コーバックは断言した。
「問題ねえ。こいつ等は俺の大切な客人だ。そのつもりで、お前達も敬意を払え」
そんな彼をマハリオは楽しそうに眺め、アルセイサは感情が無い目で見つめる。
三者はいよいよ件の広場に到着し、アルセイサは一人嘆息した。
「……てか、兵法者ってのは、どうしてこう好戦的かね。俺なんぞの相手をして、楽しいか? 因みに俺は、全く楽しくねえ。これなら婆さんのケツを追っている方が、まだマシだ」
「ほ、う? やはり俺が考えていたアルセイサ象とは、だいぶ異なるな。てめえも何か目的があって剣を取り、今日まで練磨してきたんじゃねえのか? その自分に誇りを感じないと、てめえはそう言いたい?」
「……誇り?」
アルセイサが露骨に顔をしかめながら、首を傾げる。
「生憎、俺は好きで剣をとった訳じゃなく、必要に駆られこの道を選んだだけだ。いや、剣を手にした目的なら既に果たしたというべきか。だから、俺が剣士である意味は既に死んだも同然だった」
その言葉にも、偽りは無い。彼はほぼ完全に、剣士である自分を否定している。
「だというのに、不運にもちいとばかり面白いヤツに出会っちまってよ。もう少し、剣を握っても良いかと思っちまった訳だ。いや、本当、早まったぜ。お蔭であんたみたいな強いのと――やる羽目になっちまった」
「は。まだ構えてもいないのに、そう直感するか? 成る程、確かに少しは出来るらしい」
ソレで無駄口は終わりだとばかりに、コーバックは臨戦態勢をとる。
そんな彼を見て、アルセイサは憂鬱そうな様子で抜刀した。
「なあ、俺の知り合いにガシャラ・スカニって愉快なやつが居るんだが。そいつを紹介するから、ソレで手を打たねえ?」
「ククク。てめえが面白い男である事はわかった。だが俺もガシャラ・スカニを相手に出来ると思う程、自惚れてなくてな。さしあたってはアルセイサ・スオを叩き斬り、自信をつけた後やつに挑む事にしよう」
アルセイサもコーバック同様、剣を構える。
その時、今まで雲に隠れていた月が顔を出す。
それが――五分にも満たない戦いの始まりとなった。
◇
先手をとったのは、アルセイサ・スオ。
あろう事か、彼は手にした剣を天高く放り投げる。コーバックが居る方角へと、自身の剣を投げ飛ばす。
彼がその奇行に目を奪われ、中空にある剣へ一瞬視線をやった隙に、アルセイサは駆けた。彼は刹那の間に、コーバックの間合いへと入る。
「はっ!」
それをコーバックは手にした矛を薙ぎ払い、迎撃する。
十メートルは離れているマハリオの髪さえ揺らす、破格の一撃。
けれどアルセイサは頭を下げ、ソレさえ何とか避ける。
(……成る程)
ついで彼は落下してきた自分の剣の柄の端を、蹴り上げる。
剣は一直線に――コーバックの首目がけて放たれる。
「そういう事か!」
ソレを、彼は首を傾げる事で何とか避ける。だが、アルセイサの攻勢は続く。
「つっ!」
アルセイサは即座に剣を横に蹴る事で、剣を右に薙ぎ払いコーバックの頸動脈を狙う。この奇術じみた業を、コーバックは頭を倒す事で何とか避ける。
「フッ!」
だが、アルセイサは中空にある自らの剣を手に取り、今度は左に振るう。頭を下げ、視野が利かなくなったコーバックの首を狙う。
(ほう――?)
が、並みの使い手ならば間違いなく首が飛んでいる筈の一撃を、コーバックは躱す。
正確には――一瞬にして後ろに下がり、アルセイサの一撃を避けていた。
「成る程――速いな。そんなごつい矛を得物にしている割には」
「だからこそだ。この馬の首も刎ねられる斬馬刀を以てなお俊敏に動けるよう鍛錬したのがこの俺、コーバック・カルタリカだと知れ――」
「ああ、見直した。俺は余程の事がない限り、男の名は覚えねえ主義なんだが。あんたの名は記憶しておいてやる――コーバック・カルタリカ」
アルセイサが剣を手にしたまま、再度コーバックへと突撃する。よって彼は些か呆れた。
「何だ? さっきの曲芸はもうお終いか――?」
コーバックが手にした矛を回転させながら、ソレを縦に振う。
膂力に遠心力が加わったその一撃を前に、アルセイサは目を見開く。
彼は体を横に向ける事で、コーバックの一撃をやり過ごす。
「は! 今のを躱すかよ!」
しかし――今度はコーバックの勢いが止まらない。
「……おい、おい」
コーバックはその超重量級の武器を駒の様に回転させ、アルセイサ目がけて打ち放つ。その太刀を、彼は剣で受けずに体術を以て躱し続けた。
(だろうな。この斬馬刀は受けに回った時点で、その剣ごと持ち主を粉砕する。得物の時点でそれだけの差がある以上、てめえはただ俺の業を躱し続けるしかねえ。だが何時まで凌ぎ切れる、アルセイサ・スオ――?)
コーバックの思惑は的を射ている。
確かに受けに回れば、剣ごと折られかねない。その為、アルセイサはコーバックの太刀を避け続ける。いや、いよいよコーバックは、アルセイサの動きを見切りはじめた。
(ああ。これで終わりだ――アルセイサ・スオ!)
「つ……っ!」
彼が僅かにバランスを崩した途端、コーバックの矛が縦に振われる。
それを、アルセイサはボウとした目で眺めるしかない。
「なっ、はッ?」
いや、思いがけない事に、アルセイサはその一撃を剣で受け止める。いや、正しく言えば彼はその矛を受けたと同時に支点をズラし、横へと受け流していた。
そう。今まで彼がコーバックの矛を受けなかったのは、見せかけ。コーバックが自身の矛は受けられないと思い込んだのと同時に、アルセイサは彼の矛を受け流す。
それは正に、コーバックの発想には無い動き。この一瞬の隙を衝き、アルセイサは手にした剣で突きを放つ。
それはただひたすらに――必殺の一撃だ。
例え剣の達人であろうと躱せぬ――殺人剣である。
「はっ!」
「なっ?」
だが、コーバックは自身の体を回転させる事で、それさえ躱す。いや、それどころか、同時に彼は矛を薙ぎ払う。
「つッ!」
故に、アルセイサは咄嗟に首を仰け反らせ、何とか回避しようと試みる。けれど、虚を衝かれた彼の頬を大剣が霞め、アルセイサは後退する。
初めて彼は――自ら大きく後ろに下がっていた。
お蔭でアルセイサは息を吐き、直ぐ後ろに居るマハリオに毒づく。
「おい、こいつ、想像より遥かに強いぞ……!」
「ああ。だから言っただろ――強いと」
「あのさ、正直に言って良いか? 今のを躱せるあたり……勝てる気がしねー」
この心底からの感想を、コーバックはつまらなそうに受け止める。
「まさか今ので限界か? だとしたら些か興ざめだ。そろそろ終わりにさせてもらおう」
けれどアルセイサは、彼の強さの根源を見抜く。あの大矛を手にしながら、何故ああも俊敏に動けるのか、彼は看破していた。
なんという事もない。実に単純な話だ。コーバック・カルタリカ最大の武器は、その下半身の強靭さ。あの巨大な刃を二本も携えた矛を持って尚、よろけもしない足腰にある。アルセイサの見立てが正しければ、彼の膂力はこうだ。
「……あんたもしかして、馬、五頭と綱引して勝った事があるじゃねえ?」
「ほう? よく見抜いたな。正確には――六頭だが」
「おい。やっぱ、こいつ人間じゃねえぞ……」
果たしてどう練磨すれば、その域に達するのか? アルセイサが感じている通り、既に彼の下肢の強靭さは人の域を超えていた。
その様をマハリオは嘆息混じりに眺め――コーバックは喜々として睥睨する。
「何だ。アテが外れたか、マハリオ・ルペル・ルクス? 俺を見くびっていたか、そいつを過信していたかは知らねえが、どうやら勝負はあったみてえだな。てめえにムーベンバッハは――落とせねえよ」
彼の宣言を――あろう事かマハリオは素直に認める。
「だな。私に、ムーベンバッハは落とせそうにない」
いや、マハリオは今こそ堂々と、口角を上げた。
「というか、本当の事を言えば、私の目的はムーベンバッハを落す事じゃない。仮にムーベンバッハが落ちるとしたら――それはついでだ」
「なん、だと?」
……ついで? ムーベンバッハが? こいつ、何を言っているのかと思った途端、コーバックは鋭利な視線をマハリオに向けた。
「そうだ。その通りだ。君はもう少し――自分に素直になった方が良い」
「はっ。自慢の策を破られた分際で、何をぬかす。それとも、アルセイサ・スオの首が飛ばない限り、てめえの負けを認められねえか? なら、今すぐにでも――終わりにしてやるぜ?」
だが、マハリオはコーバックの言葉を遮る。
「そうだな。今すぐにでも決着をつけろ、アルセイサ。いい加減――君と彼とのじゃれ合いを見学するのは飽きた」
この傲慢を前に、コーバックは心底から喜悦した。
「ソレは挑発のつもりか――ルペル・ルクス?」
けれど、マハリオは答えない。
マハリオはただ呆れた様な視線をアルセイサに向け、彼はもう一度憂鬱そうに応対する。
「ああ。確かにあんたなら……一つの戦場で剣士五百人は叩き斬れそうだ」
この発言に、コーバックは眉をひそめる。
「だが、俺を殺したければ――騎士千人は斬れなければ、無理だ」
目の前のナニカが、歯を食いしばる。
目の前のナニカが、口元を吊り上げる。
目の前のナニカが、見慣れぬモノに変わる。
「つっ!」
いや、コーバックがそう感じた時には、アルセイサ・スオは彼の間合いに入っていた。
「なっ――?」
彼を迎撃する為、コーバックが掲げていた矛を振り下ろす。
ソレをアルセイサは手にした剣で、アッサリ叩き割る。
「……にッ?」
もう一方の刃を、アルセイサに向かって打ち放つが、結果は変わらない。
「バカ、なっ?」
彼が気付いた時には、もう一方の刃どころか、矛の柄さえも両断されていた――。
この圧倒的とも言える初動の差を前にして――今度はコーバックが後退するしかない。
「なん、だっ? 今のは、人の動きじゃなかった。一体、何を……っ?」
「知らん。知りたきゃ、俺の師にでも訊け」
いや、今のは戯言に過ぎない。アルセイサ・スオは、厭と言うほどその訳を知っている。
それは、思考力が低下する薬を飲み、その状態で普通の生活ができるよう修練した結果だ。その果てに、彼の脳は常人とは構造が変わった。
バカげた事にアルセイサ・スオは、一時的に脳の処理速度を高める技術を身につけたのだ。
その為この業を使った彼は、他者の運動速度がスローモーションの様に見える。この超感覚に見合う運動能力を脳内から強引に引き出すのが、彼の奥義だった。
但し、この業は数秒程しか体がついてこない。故に、ソレは秘技中の秘技である。彼にして日に十回ほどしか使えぬ業だ。
「だが師は、日に百以上使えるとほざいていたな。その間に、一万の騎士を屠れると言っていた。認めたくねえが、恐らくそれは事実だ。あの女なら――本当にやりかねない」
「脳の、処理速度、を……?」
よってコーバックは背筋に悪寒を走らせる。彼は戦慄と共に、呟く様に吐露した。
「……本物の化物。やはり、噂は本当だった。一日で百五人もの盗賊を叩き斬った、男。あの〝クーパラ刀帝〟の直弟子。今の二つ名は……確かこうだったな」
「そう――〝太刀割りアルセイサ〟だ。敵の得物だけを破壊し、戦闘不能に追い込む大男。それが彼の正体だよ。ああ、ついでに言っておくと――〝日に百十五人〟の間違えだな」
「なる、ほど」
今度はコーバックが大きく息を吐きながら、尚も後退する。
「確かに、騎士としては俺の負けだ。だが、領主としては、まだ負けた訳じゃねえ」
同時に彼は懐に忍ばせていた、笛を取り出す。その笛を吹けば、瞬く間にムーベンバッハ中の兵士が集まってくるだろう。その数は、一万三千に及ぶ。いかなアルセイサ・スオと言えど相手に出来る数ではない。
ならば、詰みだ。彼の言う通り、決着は既についている。
「だな。コーバック・カルタリカ。君は既に――負けている」
「なに?」
その時――マハリオの背後から一人の少女が駆けてくる。
それは当然の様に、サアシエ・ラブラクスという名の娘だ。
「……って、なんです、このワイルドな人? まさか、この人がコーバック? 何か、私が考えていた領主象とはだいぶ違うんですけど?」
「ああ。アレは単に、三十路を過ぎてもヤンチャなだけだ。気にするな。で、首尾は上々の様だが?」
「ええ。ここまで来る間に五回兵士に出くわしましたけど……何とか。マハリオの言う通りこの砦の一番奥に居ました」
「てめ、え――?」
サアシエの腕には――意識を失った三歳ほどの幼女が抱きかかえられていた。
◇
「では時間も無い事だし、さっさと詰めの作業に入らせてもらおう」
そう告げながら、マハリオは改めてコーバックを視界におさめる。
件の彼は奥歯を噛み締めながら、途轍もない殺気を撒き散らした。
「ソイツの存在は、一部の人間しか知らねえ筈。なのに、なぜ――?」
そうだ。サアシエが抱くあの幼女は、紛れもなくコーバック・カルタリカの娘――ユーカリカ・カルタリカ。
彼の娘がこのムーベンバッハに居る事を知る者は、極限られている。
「いや。私としては、あの健康だった君の奥方が亡くなった理由がわからなくてね。そこで、産後の肥立ちが悪かったのではと想定した訳だ。それならとうぜん君には、娘か息子が居るんじゃないかと思った訳だよ」
平然と断言するマハリオだが、コーバックは己が耳を疑う。
「けど普通、砦を守る領主は、親族を人質として王に差し出す。なら、彼女はハーケンのお膝元である首都セイグレムで暮らす事になった筈。だが恐らく君に限り、ハーケンはソレを一時免除したんじゃないか? 君の娘が一定の年齢に達するまでは、傍において良いと言って。但しほかの領主の手前、大手を振ってという訳にはいかなかった。そんな贔屓をすれば、ほかの将軍達の不平不満を買う。故に――彼女の存在は可能な限り秘匿されてきた訳だ」
マハリオの指摘を聴いて、コーバックは明らかに顔色を変える。
「何でそれがわかった? グオールグ人でもねえてめえに、何故そんな事まで……?」
「いや、単にハーケンの思考を読んだだけ。彼ならば、奥方を失った君を慰める為にそれ位の判断を下すと思っただけだ。それほどまでに、ハーケンは君の事を買っているとね。いや、そもそも君が私の行動を先読みできたのは、ある種の自覚があるからだろう? 自分さえ決断を下せば――祖国を救えると。そうだな。私はそんな君を、後押しに来た。私の本当の目的はムーベンバッハではなく、それなんだ」
「……つまり初めから俺の娘を人質にして、俺と交渉するつもりだったと? 俺がてめえの要求を拒めば、俺の娘を殺すとそう言っている?」
けれど、マハリオは首を横に振る。
「いや、普通には殺さない。指先から徐々に、細切れにしていくだけ」
「なっ?」
「はッ?」
かの者の宣告を前に、コーバックどころかサアシエさえも愕然とする。
やはりマハリオは、普通に続けた。
「それ位の事をしなければ、君も目が覚めないだろう? なら、私は私がとりうる最大限の手段をとるだけだ」
「……て、てめえ」
「いや、話を戻そう。話は、グオールグとラジャンの密約関係に遡る。だが君は元々マーニンズの侵略やラジャンとの協力関係には、反対だったじゃないか? 何故なら、君はラジャンの意図を見抜いていたから。まずラジャンは先にグオールグに皇都を攻めさせる。その後、グオールグを討伐するという名目で、ラジャンは皇都を制圧する気だ。即ち、ラジャンはグオールグをトコトンまで利用するつもりだろう。君はその事に気付いていたんじゃないか? その事を王にも忠言したが、ラジャンに先手を打たれ聞き入れられなかった。そんな所だと思うが、どうだろう? だったらソレを食い止める手段は一つしかない。そうではないかね――?」
マハリオが言っている事に、誤りはない。コーバックはその洞察力を以て、ラジャンの真意を看破した。
だが、それ以上にコーバックはハーケンの〝皇帝〟に対する執着を知っている。加えてその推理に確信はあっても、確証はなかった。その為、彼もアレ以上ハーケンに進言できなかったのだ。……ならば、どういう事になるか? 答えは一つだろう。
けれど、コーバックにはソレ以上にわからない事がある。
彼はその思いを、簡潔に言葉にして表す。
「……さっきから、意味不明だぜ。なぜ、てめえにそんな事がわかる? なんで部外者であるてめえに、陛下や俺やラジャンの意図がそこまで読めやがる? てめえは、一体なんだ?」
一方、マハリオは、やはり平然とした様子で告げる。
或るいはアルセイサ以上に狂気に満ちた己が所業を――かの者は告白した。
「それはわかるさ。何せ私がこの二十年で話をした人間の数は――二百万人を超える。その時その人物達の性格や行動力は大体把握した。後はその人々がどう動き、どう考えるかを思考実験していけばいいだけ。だから私にはわかる。君達がどう動き、どういった思惑を抱くかが。どこぞの王が、どこぞの〝皇〟を始末したがっている事も、明確に」
「は――っ?」
「……なんですって?」
そう。それが、この人物の正体。
これはという人間には必ず接触し、どういう為人かを探る。どういった嗜好を持ち、どのような考えの持ち主か看破して、自身の推理の材料に加える。その彼等が誰と接触し、何を話して、どんな影響を与えるかまで推理し切る。
それを二百万回以上続けたのが、このマハリオ・ルペル・ルクスという人間だった。つまりはそういう事で――マハリオ・ルペル・ルクスとは常に脳の処理速度が加速されているのだ。
「ああ。そして、私が君の説得に失敗すれば、数千に及ぶ人間が死ぬ。生きたまま火刑に処され、親族の目の前で首を飛ばされると言う言語を絶する世界が生まれる。戦争と言う名の地獄がまた生み落とされる事になるんだ。ソレを避けられるなら――何でもするのが私の正義さ。私が外道、非道と罵られるだけですむなら、喜んでそうする。このやり方が気に食わないなら君の娘が死んだ後、君が私を細切れにすればいい」
現にマハリオは腰にさした剣を抜き、それをコーバックへと放る。
それを彼は、確かに受け止めた。
「私からは、以上だ。では答えを聴かせてもらおうか――コーバック・カルタリカ?」
「………」
しかし、彼は答えない。コーバックはただ、眉間に皺を寄せる。
「そうか。なら、仕方ない。やれ――サアシエ」
「……で、出来ません、師匠」
「もう一度だけ言う。やれ――サアシエ・ラブラクス」
「マ、マハリオ・ルペル・ルクス……っ!」
その様子を横目で眺めていたアルセイサ・スオが、割って入る。
「退け、サアシエ。俺が代わる」
だが、この時になって、コーバックは漸く口を開いた。
「待て」
彼は表情を消したまま、ただ静かに問う。
「もう一つだけ、訊きたい。てめえは本当に――陛下を説得できるんだな?」
「ああ。君さえ、此方の条件をのめば」
「わかった。良いだろう。ムーベンバッハは――降伏する」
「なっ、は……?」
ならば、サアシエとしては驚嘆の声を上げるしかない。あの好戦的な男が、自分の娘を人質にされただけで、降伏する? そんなバカな事があると?
いや、確かにコーバックは戦いを好むが、それは個人レベルでの戦いである。規模が戦争レベルとなれば、話は別だった。
一人の剣士としては誇り高い彼は、その実、決して戦争を望んではいない。
ましてや――それが故国を滅ぼす戦争となれば尚更である。
「ああ。その君がムーベンバッハの領主だったのは、私達にとって幸運だったな。では――君達にはカシャンに降ってもらう。でなければハーケンは折れないし、君にはマーニンズにグオールグの企みを証言してもらう必要もある。グオールグの将軍である君の口から真実を聴けばいかなマーニンズ王とて目が覚めるだろう。いや、目が覚めるのは――ハーケンも同じか」
言いつつ、マハリオはユーカリカを抱きかかえ――コーバックに引き渡す。
代りにマハリオは自分の剣を――コーバックから手渡された。
「……これで交渉成立、か。皮肉だな。忠臣である事だけが誇りだった俺が、祖国を裏切る事でしか、祖国を守れねえとは」
「ああ。だがその君が裏切るからこそ、意味があるのだよ。誰が何と言おうと――私はこの裏切りに心から敬意を表そう」
話は――今度こそ終わった。マハリオはコーバックに背を向け、ムーベンバッハから出て行こうとする。それを呆然としながらサアシエは追い掛け、マハリオは最後に告げた。
「では、カシャンでまた会おう、コーバック。今度会う時は手土産に――グオールグとカシャンとマーニンズの平和を持参する」
この余りの傲慢さを前に――コーバック・カルタリカは心底から苦笑した。
◇
では全ての決着をつける前に、彼の物語を語ろう。様々な物が混濁した、彼の半生を。
彼にとって自分の母親は、厄介者だった。王の妾としての身分を得ていた彼女は、それなのにほかの男達とも通じていたから。
王の妾と言う立場だけでは満足できなかった彼女は、本当に様々な男達と関係を持った。それこそ、実は彼の父親は、あの王ではないのではと疑われる程に。
ソレを彼の父である王は黙殺した。その奔放さも彼女の魅力の一つと捉え、見逃してきた。いや、或いは、いつの日かそんな彼女の心を自分にだけ向ける自信があったのかも。
が、ある日その前提そのものが崩れさった。あろう事か、彼の母は使節としてやってきたマーニンズの将軍とも情を交わしたのだ。
それはまだ世界の均衡が保たれていた時代の出来事だったが、その時点で全ては終わった。
〝陛下。これは幾ら何でも、度を超えております。ほかの妃の立場もあります故、どうか御裁断をお下しくださいませ〟
彼女の事を疎ましく思っていたその臣下の一言で、彼女の運命は決定した。他国に自国の情報を漏えいした疑いで、彼女の処刑が決まったのだ。
それでも彼は、何も感じなかった。元々、自分の事を愛しているかさえわからない彼女の事である。そんな他人が処刑されようと、何も感じる訳がない。
だが、火の粉が自分にまで向けられるなら、話は別だ。妃の一人はこの際だから彼の事も纏めて処断するよう王に意見し、彼の命も危うくなる。
彼と母は王の前に引き出され、まだ十歳である彼をどう処すべきか検討される事になった。
〝は……?〟
そして、彼は、自分の耳を疑ったのだ。
〝陛下。この子に、非はありません。私が処罰されるのは、仕方がない事です。ですが、この子が罪に問われる謂れはないのです。何故なら、この子は、紛れもなく私と貴方の息子なのだから。そのご自身の子に――貴方は死を与えると仰るのですか?〟
〝な、なにを、言って?〟
〝私の乱行は、もはや病気の様な物でした。でも、この子は幸いにも、私に似る事は無かった。王である貴方に似てくれた。私はそんなこの子を、心から誇りに思っています。その、私の唯一の誇りを、どうか奪わない、で〟
〝だ、だから、何を、言って……?〟
それは、彼が初めて見る母の姿だった。アレほど色欲に狂っていた彼女は、今この時、初めて一人の子の母となったのだ。
〝……ああ、感謝します、王よ。どうかそのご慈悲が、末永くこの子に続きますように〟
彼女はその身を以て、自分の息子の命を勝ち取っていた。
それから、彼女は最期にもう一度だけ彼を抱きしめる。このとき彼は初めて気付いた。彼女はただ、より多くの人愛されなければ不安なだけだったと。そういう寂しい人であったのだと彼は漸く悟るが――その時にはもう全てが手遅れだった。
〝そ、う。貴方は、私の誇り。私の全て。私の希望。貴方はきっと、何時か王になり、やがて皇帝へと上り詰める。私には、そんな貴方の姿がはっきり見えるわ。だから、貴方は――ハーケンは、胸を張りなさい。例え、私のような母親を、もとうとも〟
〝……ああ、……ああ〟
ソレが、彼にとっての、原風景。ただ一度だけ、母を母として認識した瞬間。誰よりも他人だった彼女が、誰よりも愛おしい人だと感じた刹那だった―――。
なら、そんな彼女の願いを叶えない訳にはいかないではないか。
そこから――彼女の死から、彼の人生は一変する。王の座など興味は無かったが、彼はその高みに達する為なら手段を選ばなかった。腹違いの兄を毒殺し、腹違いの妹を謀殺して、漸く王に達した。
「……だが、それでも、まだ、足りない」
そう渇望する彼は――彼女がユメ見た物を現実にする手段を遂に得る。
ラジャンと手を結び、かの国を利用して、本当に〝皇帝〟の椅子を我が物にする。
やっとそのユメに手が届く所まで、至ったのだ。
「そうだ。それが彼女の願いであり――俺の望みだ」
今は亡き先王の肖像画に目を向けながら、彼、ハーケン・グオールグは言い切る。
その時――歴史は動いた。
ムーベンバッハの使者を名乗る三人の人物が、この場に現れたのだ。
「いや、その望みだけは叶わない、グオールグ王」
「きさま。何故――きさまがここに居る?」
その使者――マハリオ・ルペル・ルクス等を前に、彼は思わず息を呑む。
かの者の返答は、決まっていた。
「ああ。だから言ったろ? 〝また会う事もある〟と。そんな君に吉報だ。ムーベンバッハに駐留する一万三千もの兵が、砦ごとカシャンに降伏した」
無造作に放たれたこの言葉を前に、彼はただ茫然とした。
「……な、に? ――バカなッ? あのコーバックが、予を裏切るなどありえんっ!」
「ありえるさ。いや、聡明なるコーバックだからこそ、彼は君を裏切った。自分さえ裏切れば君はマーニンズを落せないし、その先に進む事もなくなるから。いや。それどころかムーベンバッハを落したカシャンの実力を知れば、マーニンズも掌を返すだろう。マーニンズの方からカシャンに同盟するよう持ち掛けるかも。それだけの価値が――コーバックとムーベンバッハにはある。そうなると君はだいぶ追い詰められる事になるが、そんな君にチャンスをやろう。コーバック達は返さないが、ムーベンバッハは返上しよう。その代りに、カシャンやマーニンズと同盟したまえ。この三国同盟を以て――手打ちとするがいい」
「……なん、だと?」
「ああ。それで一応、其方の目的も叶ったのではないか? 君が望む通り、カシャンとマーニンズを味方に出来たのだから。尤も、他の二国は死んでもフォートレムを攻めようなどとは考えないだろうが」
「………」
マハリオがそこまで断言した時、彼は手を上げ部下に抜刀を命じる。
ソレをマハリオは静かに一瞥する。
「ほう? まさか君が、マギャンと同じ過ちを犯すつもりか? フォートレムの使者である私達を殺せば、フォートレムに宣戦布告した事になるぞ? フォートレムにマーニンズ、カシャンの連合軍が組まれ、グオールグは袋叩きにあうだろう。いや、更にラジャンもそこに加わるか。当然だな。ラジャンとしては、グオールグの口を封じたい所だし。喜んで参戦する事だろう」
「きさ、まっ」
「後、コーバックが言っていた事は本当だ。ラジャンは飽くまでグオールグを捨て石にする。大方ラジャンからは人質を送ると言われているのだろうが、そんな事は無意味だ。ラジャン王ベルナーマは実子の命より、己の野望を優先する女。人質など、何の担保にもならない。ラジャンは君達を踏み台にして、皇都を制圧するつもりでいる。あのコーバックが君を見限ったのが、何よりの証拠だ。だが、もし君がラジャンに対し脅威を覚えているなら、手は一つだけ。この三国同盟を武器にして、ラジャンに対抗するといい。そうなれば、ラジャンも軽々にグオールグには手を出せなくなる」
目を怒らせる彼に対し、マハリオは更なる追い打ちをかける。
「そうだ。自分の本質を誤るなよ、グオールグ王。君は激しやすいが、それ以上にリアリストの筈。その君が、他国の王の甘言にのって国を滅ぼすのか? コーバックが祖国を捨てて守ろうとしたこのグオールグを、世界地図から消滅させる気? 一体、どこの誰がそんな事を望んでいると言うんだ――?」
そこで彼は――ハーケン・グオールグは心底から呆然とした。
「……待て、待て、待て。所詮、俺は道化だったと言うのか……?」
「ああ。今の君は王でも〝皇帝〟でもない――ただの道化だ」
この辛辣な答えに、彼はただ中空を眺める。ついで、彼は思わず問いかけた。
「まさか、俺の母の事を、おまえは知っているのか? 俺がその為に王になり〝皇帝〟を目指していると、ソノ事さえおまえは見通している?」
「ああ。その事もよく知っている。恐らくラジャンのベルナーマも、それは看破しているだろう。君はその掛け替えのない想いを、彼女に利用されているんだ。彼女は君のバックボーンをこの上なく侮辱した。そんな女性に従い、君は何を得ると言うんだ?」
ソレが――止めとなった。
今度こそハーケンは言葉を失い、項垂れる。
「……そうか。そういう事、か。……いや、いい。忘れろ。どうやら俺は、やはり、ここまでの、男らしい」
「いや、それで十分すぎるだろう。これは絶対、内緒にしてもらいたいのだがね。私から見れば君の方がよほどルーゲン皇より偉そうで――〝皇帝〟らしい」
「ハハハ」
思わず、乾いた笑いを漏らす。それで、終わった。グオールグ王ハーケンはソレ以上何も告げられず、王座に深く身を預ける。
その様子をもう一度だけ視界に収めた後、マハリオは踵を返しこの王宮を後にした。今まで無言だった、サアシエとアルセイサもその後を追う。
「ああ。これで私の仕事は――全て終了だ」
天を仰ぎ、まるで誰かに報告する様に――マハリオ・ルペル・ルクスは呟いた。
◇
〝鎮定作業〟を終えたマハリオ達が、カシャンの首都メルクランに戻る。
そんな三人を待ち構えていたのは、ちょっとした祝宴だった。
「待ちかねたぞ、マハリオ。話は全て、お前から言伝を頼まれた者から聴いた。どうやら本当にやりとげおった様だな?」
「ああ。完全に事後承諾になったが、さっきハーケンと話をつけてきた。今後は、カシャンとマーニンズとグオールグが三国同盟を結ぶ事になりそうだ。レミトフとしては、それで何か不服かな?」
マハリオの問いに対し、レミトフは如何にも不機嫌そうな顔をする。
「ああ、最高に不服だ。あの、高慢ちきなハーケンと手を結ぶというのは。だが特別に許す。わが友が命を懸け成し得たこの張りぼての平和を、私はこれから何より尊ぶとしよう」
「そうか。なら、後は世継ぎだな。そろそろ君も身を固めた方が良い、レミトフ」
「フン。相手も居ないのに、何が世継ぎか。けど、そうだな。お前の子供なら、生んでやっても良いと思っているのだが?」
「ハハハ」
「……笑うな。本気で言ったのに、冗談になり下がってしまうではないか。だが、ま、いい。人の命は短い様で長い。気が変わったら、何時でも私を訪ねてこい。こちらも抱かれる用意くらいはしておいてやる」
「……で、コーバックの件だが」
「んん? そうだな。其処の猛将については、それなりの地位につけさせるつもりだが。何か不満か、コーバック・カルタリカ?」
この場に佇む、元ムーベンバッハの領主にレミトフは目を向ける。
彼の返答は、如何にも挑発的だった。
「まさか。だが私の扱いには注意した方が良い、レミトフ王。一度裏切った者は、二度裏切る事も多々あるので」
半ば本気で、コーバックは告げる。ソレを、マハリオは真顔で否定した。
「いや、裏切らないさ。古来より良将は、一度は主を変えても二度は変えない。その主が死にでもしない限りはな。だからレミトフは一日でも長くコーバックより長生きする事。いや、何にしても今回一番被害を受けたのは紛れもなく君だ、コーバック。ならせめて君の娘が嫁に行くまで傍に置き、可愛がるといい。彼女を殺そうとした、私が言うのもなんだが」
「確かに、それは笑えねえ話だ」
本気でそう思いながらも、コーバックは口元を吊り上げ、杯に注がれた酒を口にする。
祖国を想って――彼は遥か遠くを眺めた。
「そういや、あの娘はどうした? てめえの事を師と呼んでいた、あの奇特な娘は?」
「ああ。彼女なら、どっか行った」
「……どっかって、アバウトだな。もしや、見限られでもしたか?」
「かもな。では、私は少し失礼する。代りにこのアルセイサを置いていくから、煮るなり焼くなり好きにするといい」
「……おい。俺は一応この件の大功労者だと思うんだがな? なのにその雑な扱いは何だ?」
だがコーバックは喜々として、この提案を受け入れる。
「あー、そいつはおもしれえ。いっちょ飲み比べと行こうじゃねえか、アルセイサ・スオ。剣では不覚をとったが、こっちではそうはいかねえ。ノリが悪い〝鎮定職者〟殿の代りに、酒の席を盛り上げてもらおうか」
「酒にはあまり良い思い出はないんだがなー。ま、いいだろう。酔いが回れば、レミトフ王の心にも隙が生じるかもしれんし。存外、面白いかもしれねえ」
アルセイサも腰を下ろし、侍女から渡された盃に酒が注がれるのを待つ。それを一口で飲み干す彼の姿を横目で見ながら、マハリオはこの場を後にした。
それから、マハリオはあっさり目的を達する。
「ここに居たか。やはり君は、わかりやすいな」
「………」
レミトフの屋敷のすぐ外で、サアシエ・ラブラクスは膝を抱え正面を見つめている。
マハリオが声をかけても、それは変わらなかった。
「……そっか。アナタは、人の行動が読めるんでしたっけ? じゃあ、私が何処で何をしていても、お見通しなんだ……?」
「一応。特に君は、素直すぎるから」
マハリオも、サアシエの横に腰を下ろす。そんなマハリオに、彼女は問うた。
「……あんな小さな子の命まで奪おうとして。これのどこがレベル一の仕事です……?」
「いや、私達が命を懸けるだけで済んだんだから、十分レベル一だろう」
けれど、そんな詭弁に惑わされるサアシエではない。
彼女は依然、憮然とした表情で中空を睨んでいる。
「それに言った筈だ。私の真似は、絶対するなと。君に対する私の存在意義は、反面教師以外の何物でもないのだから。だが、この世は所詮――正義の押し付け合いだ。今回の件も、グオールグ側の正義を無視して、私の正義を押し付けたに過ぎない。そして――正義とは一種の凶器だ。人によっては、時と場合によっては、大量虐殺の免罪符になりかねない。……そう。古来、殺戮を是とした人間達の多くは、己を悪とは認識していない。大量虐殺さえ、自分の正義を貫く為の代償だと考えている。慈善家から見れば、明らかに悪だと言い切れる行為だというのにね。〝正義〟とは本来、それぐらい危険な思想なんだよ。仮に私がコーバックの娘を殺していたら、君は深くそう実感しただろうな」
「……正義の、押し付け合い? ……大量虐殺の、免罪符? ……つまり、この世に正義は存在しない、という事?」
「いや、正義は、存在する。ただ――〝万人が認める正義〟は存在しないだけだ」
「そう。やっぱり、本当に、あの子を殺すつもりだったんですね……?」
「ああ。本当に殺すつもりだったさ。それ以上に、コーバックの聡明さに全てを懸けていたとも言えるが」
本心を打ち明けながら、マハリオは立ち上がる。それからマハリオは、表情を消した。
「で、どうする? この件を機に私を見限るか、サアシエ・ラブラクス?」
マハリオはサアシエに向かって、手を差し伸べる。
彼女はその手に視線をやり、頷いた。
「はい。それもありかと思っていました。アナタは本当に高慢ちきで傲慢な人でなしだから。アナタのやり様は人として最低だとさえ私は感じた。……でも、気付いたんです。今の私にアナタを責める資格はないと。今の私には、どう考えても思い浮かばないから。アナタのやり方以外で、アナタ以上の成果をあげる方法が。だから――私はアナタから逃げません。私は自分の頭でアナタ以上の成果をあげる方法を考え付くまでは、アナタについていきます。私が胸を張って自立するまでは、アナタが何を積み上げ、何を残すのかソレを見届けたい。だから私は――アナタの全てを己が記憶に刻み付けます」
今、彼女は胸を張ってその手を取り、自分の足で立ち上がる。
笑みさえ浮かべ――サアシエ・ラブラクスはマハリオ・ルペル・ルクスを見据えた。
「結構。では、その時までつき合ってもらおうか――サアシエ・ラブラクス」
「ええ。でも一つだけ。〝オーザムの奇跡〟とまで言われた人が、こんなのとは。正直、ユメが粉々に壊された気分です」
「ハハハ」
この彼女の悪態を、マハリオは素直に受け止め、思わず微笑む。
それから――マハリオはその悪夢の様な聴いていた。
「――ほう? 君にしては珍しく楽しそうだが、お邪魔だったかな?」
「……パルバイン・シャーニング」
「ああ。暫くぶりだな――マハリオ・ルペル・ルクス。実に、十年ぶりか」
見れば背後には、両目を仮面で被った、痩身の男性が居た。
身長は百八十五センチ程で、黒色の服を纏っている。
黒い長髪を無造作に背中へ流したその人物を見て、マハリオは眉をひそめた。
「なぜ……君が此処に?」
「んん? 風の噂でカシャンが危急にあると聞いてね。私が何か力になれないかと思い、レミトフ王に会いに来たのだが。どうやら私の出る幕は無いらしい。既に決着はついた様だな。君の手によって」
「……成る程。カシャンの異変に気付きながら放置し、私のやりようを高みの見物か。相変わらず悪趣味だな、パルバイン」
「まさか。私にそんな知恵はないよ。この出会いは、本当にただの偶然さ。では、失礼する。せっかくここまで来たのだし、レミトフ王のご機嫌伺いでもしておくさ」
そう告げながら、仮面の男性はマハリオ達とすれ違う。その背中にマハリオは問うた。
「一つ訊く。君は、本当に人間か――?」
「では、私も訊いておこう。君こそ――本当に人間か?」
だが、両者とも答えない。
彼等はただすれ違ったまま、遠ざかる。
「え。あの不審者も、師匠の知り合いですか?」
「……いや、即位したてとはいえアレでも一国の王なんだか。君も聞いた事位ある筈だ。かの大国シャーニングの国王が没し、新たにパルバインという王子が王になったと」
「ああ……アレが」
「そうだな。丁度いいから、忠告しておこう。パルバイン・シャーニングと、スワン・クワンには気をつけろ。あの二人は私を以てしても、思考が読み切れなかった」
「スワン・クワンって〝政務公〟の首席補佐官の?」
「そうだ。私がこうして安心してオーザムを離れられるのは、一月前、彼女がソノ地位に就いたから。ラーアント公が、スワン・クワンをナマントから引きぬいたからだよ」
マハリオの瞳は、嘗てないほど鋭い。こんな師を、彼女は見た事がない。
かの人の様子に触発され、サアシエは思わずある疑問を口にする。
「じゃあ、もう一つ訊いても良いですか? マハリオにとってレベル五の事態というのは、どういう時……?」
真剣な面持ちで、サアシエは問い掛ける。
マハリオは彼女の顔を見ず、彼方を見据えながら言い切った。
「それは勿論――人ならざる者を相手に〝鎮定作業〟を成さねばならない時だな」
こうして――〝グオールグ事変〟は終結した。
だが、マハリオですら未だに気付かない。
確かにかの者は人ではなかったと言う事をマハリオ達はこの数ヶ月後、思い知る事になる。
時にして皇歴二百二十八年、三月二十日の事であった―――。
3
そして、彼女は吼えた。
「――って、そんな事は不可能です!」
「んん? そうかな?」
アレから二月ほど経った五月のある日、マハリオは弟子からそんな指摘を受ける。
隠れ家の一つに身を置くマハリオは、首を傾げた。
「サアシエはこう言っているけど、本当に不可能かな、アルセイサ?」
「いや、俺に振るな。俺は飽くまで、暴力担当。切った張ったが俺の仕事だから、それ以外の事はオマエ等で勝手にやれ」
「尤もだ。では議論を続けようか、サアシエ?」
「望む所です」
サアシエは、机に置かれている大陸の地図を指さす。
「よりにもよって、シーナとストックゲイですよ? この大陸でも指折りの犬猿の仲である、シーナとストックゲイ。この両国を和解させるなんて、何をどうすれば良いんです? またどこぞの砦でも落しますか?」
「いや、それ以前に君はちゃんと自分の頭で考えたか? ハナから、不可能という先入観にとらわれているのでは?」
「……そ、それは」
「まあ、普通に考えれば、確かにサアシエの言う事にも一理ある。シーナとストックゲイは、笑えるほど仲が悪い。何せ高祖フォートリアが最後になって、漸く休戦させた国々だからな。その血塗られた歴史は、凡そ二百五十年前まで遡る」
然り。今から二百五十年前の事。ストックゲイの王子、ワービン・ストックゲイが、使節として隣国シーナを訪れた。
この当時は、良好な関係だった二つの国の事である。シーナは諸手を挙げて、ストックゲイの王子を歓迎した。
「ああ。だが、どっかで聞いた事がある様な話だが、あろう事かワービンはシーナの姫に手を出した」
しかも、シーナの姫ミチェルダには婚約者がいた。ソリッド・アークという大公家に連なる大貴族で、その為プライドも高い。この王子と姫の秘め事が公になった時、彼は当然の様に激昂した。アーク家を率いて、ストックゲイに宣戦布告したのだ。
けれど大公家とはいえ一貴族に過ぎないアーク家とストックゲイでは戦力差がありすぎる。アーク家はストックゲイに惨敗し、敗走する事になった。問題は――その後の事である。
〝私はこの戦いを、ミチェルダ姫を懸けた決闘だと思っている。故に、この戦争の勝者である私こそがミチェルダ姫の――真の伴侶と言えよう〟
調子にのったワービンは、そう宣言した。
彼はシーナ国にミチェルダ姫の身柄を引き渡す様、要求したのだ。
これを受け、今度はミチェルダの父であるシーナ王ローゼフが激怒した。これをシーナ国全体に対する宣戦布告と捉え、彼もまた兵を挙げてしまったのだ。
短慮と言えば短慮な話だが、ローゼフにしてみれば姫とソリッドの縁談は良縁だった。重要な政略的な意味があり、それを根底から覆したワービンの所業は許せる物ではない。
それでも今まで彼が動かなかったのは、ワービンがそのうち謝罪に来ると思っていたから。ワービンは何れ、誠意に溢れた態度を示すと信じていたからである。
しかし、ローゼフの期待は大きく裏切られる事になる。
〝成る程。シーナ王は己の国を――ストックゲイの属国にするおつもりか〟
勢いづいたワービンは、ここでも調子に乗った。年老い、名ばかりの王となった父の意向を無視して、ストックゲイの兵を勝手に動員したのだ。
かくして一王子の不始末で起こった争いは、国家間の戦争にまで発展する事になる。
更に、あろう事か、ストックゲイはまたも勝利を収める事になった。
それは小規模な争いで、犠牲者も少数な戦いだったが、彼にとっては違っていた。
〝……ああ。正義無き者に、二度も勝利を与えるとは。神は疾うに天に召されたか?〟
この一報を聴き、ソリッドは心底悲嘆にくれた。その衝撃の余り、遂に自ら命を断ってしまうほどに。それ程までに、彼の自尊心は高すぎた。
加えてこれを機に、被害は尚も拡大する。
〝ああ、ああ。私は決して、そんなつもりでは―――〟
その責任を感じたミチェルダ姫も毒を飲み、自害する事になったのだ。
この二人の死に、シーナ王は心底から絶望しながら憤怒した。
だが、それでも彼は変わらない。
〝……なんと、バカな事、を。私は心からミチェルダ姫を愛していた。その私に姫を輿入れさせていれば、こんな事にはならなかった物を……。そうだ。全ては、私と姫との間を引き裂いたあなたに責任がある――シーナ王〟
ワービンのこの発言が、シーナ王の怒りを更に助長させた。人に不快感を与える事に関して言えば、ワービンに勝る者は居なかったのかもしれない。
現に、彼のこの言動が更なる抗争を招く。
〝我等が望みは――ワービンの首一つ!〟
シーナの兵は、みな口を揃えてそう合唱しながら進軍を開始。
シーナとストックゲイは――再度激突する事になったのだ。
しかも今度は前回とは違い、両国は正面から衝突した。二つの国は、死力を尽くして軍をぶつけ合う。その果てに、ローゼフ王は天を仰ぐ事になった。
〝ああ。ソリッドの言う通り、だというのか? かの者を三たび勝利させるとは、この世の正義は潰えたと――?〟
多くの犠牲を出しながらも――ワービンは三度目の勝利を勝ち取る事になる。あまつさえ、彼はミチェルダ姫の亡骸の引き渡しなど様々な物を要求してきた。
けれどシーナは当たり前の様にその求めに応じず、両者の関係は悪化の一途を辿った。ストックゲイは件の要求を二百五十年間続け、シーナはソレを拒み続けた。
この両者の関係は、絶える事なく今日まで継続してきたのだ。
「で、この度――両国ともに国境付近に兵を集結させたと、そういう訳だ」
これがシーナとストックゲイの因縁で、二世紀半にも及ぶ憎しみの連鎖である。
その二つの国がいよいよ戦争を開始しそうだという一報を、今朝マハリオ達は耳にした。
「……というか、部外者から見れば、これって余りにアレな話ですよね?」
「ああ。確かにアレだな。ぶっちゃけワービンさえさっさと死んでいれば、こんな事にならなかったのに。よりにもよって、被害者二人が死を選ぶとは」
「……え? ミチェルダ姫って被害者なんですか? 私的には、彼女も十分加害者だと思いますけど?」
「かもな。彼女さえ生きていれば、もう少しマシな展開もあったろうから」
自身の言葉に得心を覚えながら、マハリオはフムと頷く。
「何にしても、これは十分私達の仕事の範疇だよ。ましてや〝政務公〟自らの依頼とあっては動かざるを得まい?」
「形式的には、そうですね。ですが、何か策はありますか? ……いえ、それ以前に、これもまたラジャンの仕掛けた罠では?」
サアシエの懸念を前に、マハリオは首を振る。
「いや、それは無い。君も知る通り、シーナとストックゲイは小国だ。その両国を競わせた所で、ラジャンが利を得る事はないだろう。ま、私に対する嫌がらせ、という可能性は捨てきれないが」
「ですね。何せマハリオは二度にわたって、ラジャンの邪魔をしてきた訳ですし」
一度目は三年前の〝オーザム事変〟で、二度目は二カ月前の〝グオールグ事変〟だ。
マハリオ・ルペル・ルクスは以上の通り、二度に渡りラジャンの妨害をしてきた。ラジャンの、フォートレム侵攻を阻止し続けてきたのだ。
だとすれば、成る程、ラジャン王ベルナーマの心中も穏やかとは言えまい。
サアシエがそんな事を考えていた時――彼方から聞き慣れない声がする。
「それはそうと、今回は私も同行させてもらえるのでしょうね、ルペル・ルクス殿?」
「んん? それは勿論だよ、ルーアン・ラッテ。中央政府が私の護衛役として派遣した君を、邪険にする訳がなかろう?」
笑顔で応対する、マハリオ。短い茶色の髪をしたルーアンも、笑みを以てこれに答えた。
「ええ。前回は、非常に残念でした。まさか私だけ、置いてきぼりを食うとは」
「ああ。そこら辺は、ちょっとした行き違いだな。恨むなら、アルセイサを恨んでもらえると助かる」
「――何で俺ッ? 俺、なんかしたっ?」
マハリオの返事は、惚けた物だ。
「いや、一番ヒマそうだったから、適任かと思って」
「……てめえ、いい加減、縁を切るぞ?」
「何だ? そんなに女性には嫌われたくないのか? まるで、ワービンみたいな立ち振る舞いだな?」
「いや、俺はそこまで酷くねえし。それより話が横道に逸れてんの気付いているか?」
「うわ。まさか、アルセイサさんにツッコまれる日が来ようとは。でも、確かにそうですね。何時の間にか私達、現実逃避していたのかも。その位、この案件は難題です」
サアシエが思わず、溜息を漏らす。それに対し、マハリオは首を傾げた。
「いや、割と簡単だけどな、この両国を何とかするのは」
「は……?」
「ああ。例によって、難易度はレベル一だ。と言う訳で、さっそく作戦開始といこうか」
「って、まさか本当に、勝算がある?」
「ほう? では、今から現地に向かいますか?」
ルーアンが椅子から立ち上がると、マハリオはまた首を横に振る。
「いや、現地には後十日ほど経ってから赴こう。今日の所は、筆と紙が唯一の武器だ」
「は、い?」
実際、マハリオは羽ペンを手にし、紙に何やら文字を書き込んでいく。
この様子を――サアシエとルーアンは訝しげな様子で眺めた。
◇
では、ここで少しだけ、ルーアン・ラッテなる人物について語ってみよう。
ルーアン・ラッテとは騎士階級の家柄の娘で、文より武に優れた人物である。父も現役のフォートレム騎士で、実直な人柄と言って良い。それは例の〝裏切り者リスト〟に、その名が記載されなかった事が証明しているのかも。
この著者であるマハリオも、彼をこう評価している。
〝彼に欠けているのは人間的な面白味だけだ。後はまあ、模範的な騎士と言って良い。いや、悪い。私としても、彼に関しては面白コメントとか思い浮かばないなー〟
と、そのぐらい真っ当だとマハリオも認識している。
その娘のルーアンを、サアシエやマハリオはこう評している。
〝ええ。私以上に真面目な人、初めてみました〟
〝成る程、面白い冗談だ〟
〝ちょっとそれ、どういう意味です……?〟
という会話が成立する程、生真面目な性格だった。なにせ彼女がマハリオのもとに護衛役として派遣された時、ルーアンは開口一番こう告げた。
〝はい。私は嘘がつけない性分です。なので、打ち明けてしまえば――私の任務はあなた方の監視も含まれています〟
〝………〟
彼女の馬鹿正直な宣言に、流石のマハリオも一瞬言葉を失った。
〝だが、成る程。私は大抵の人間の噓は見ぬいてしまうからな。それならいっそとばかりに、嘘がつけない人間を宛がってきたのだろう。スワン・クワンが考えそうな事だ〟
そう評して、自分を得心させた物だ。その一方でマハリオも、彼女の扱いには些かの思案が必要となった。
何せ彼女を手元に置くと言う事は、自分の所業が中央政府に筒抜けになるという事。反面、彼女を護衛役から外せば、次にどんな人間が送り込まれてくるかマハリオも読めない。この辺りの事情が半ば妥協めいた納得を生み、ルーアンを許容する事になった。
で、生真面目でもそれなりに愛嬌があるルーアンなのだが、その日の彼女は違っていた。
「――大変です! ダナトール地方に動きがありました!」
何時もはマイペースなルーアンが血相を変え、マハリオ達の隠れ家に入ってくる。
彼女はマハリオの机に近寄り、身をのり出して、声高に告げた。
「シーナとストックゲイの国境付近に――アルベナス軍が布陣したとの事! 同軍はシーナ軍、ストックゲイ軍と睨み合いとなり一触即発の状態だそうです! アルベナスの意図は不明ですが、これで話がより複雑になったのは間違いありません!」
「……アルベナス? なぜ、あの金満国家が? あの財政も経済も安定した国が、何の利があって、シーナ、ストックゲイ抗争に横やりを?」
ルーアンの報告を前に、サアシエが眉をひそめる。アルベナスが豊かな国だからこそ、サアシエには今かの国が軍を動かす理由がわからない。
で、彼女の師であるマハリオと言えば、実に呑気な物だった。
「んん? 大方、シーナかストックゲイに金鉱でも見つかったのでは? ソレを狙って、アルベナスは動いたんじゃないかな?」
「まさか。だとしたら、それはれっきとした侵略行為です。フォートレムとしては、とても認められる所業じゃない」
更にルーアンが、マハリオに詰め寄る。マハリオを責めた所で無意味とわかっていながらも彼女は冷静さを欠いていた。
その様子を無表情で眺めながら、マハリオは首を横に振る。
「と、どうやら冗談が過ぎた様だ。その件なら、安心していいよ」
「……安心して、いい? アルベナスの国力は、シーナやストックゲイより遥かに上です。戦況次第では、アルベナスが両国を占領する事だってあるかも。そんな情勢下にありながら、安心していいですって?」
「うん」
「………」
意味がわからない。理解不能である。今、自分の目の前に居るのは〝鎮定職者〟だ。国と国の諍いを、鎮める者である。この責任ある立場の人間が、安心していいとは一体どういう事なのか?
その意図が掴めず、思わずルーアンが眉を吊り上げる。
その時――サアシエが成長の兆しらしき物を見せた。
「……って、まさか、マハリオ?」
顔をしかめながら彼女は問いかける。椅子にこしかけているマハリオは、喜々とした。
「ああ、お察しの通り――それは私の仕業だ。シーナとストックゲイに――アルベナスを差し向けたのは、私」
「は……?」
そこまで聴き、ルーアンは一瞬忘我する。
「あなたが、アルベナスを動かした……?」
ただの一役人に過ぎないマハリオが、あの経済大国を動かす?
そんなバカげた事が可能なのかと、彼女は自問した。
いや、それより早く二歳年上のルーアンに、サアシエは解説する。
「あ、いえ、私もつい最近知ったばかりなんですけど、この人はそういう人なんです」
半ば呆れながら、彼女は肩をすくめた。
「……で、今回はどんな手を使ったんです? まさか本当に、アルベナスに〝金鉱云々の噂〟を流した訳じゃないでしょうね?」
「まさか。だとしたら、アルベナスは金鉱の話が事実か否か確認するまで兵は退かないよ。そうなっては元も子もないので、別の手を使った」
「別の手、ですか?」
「そ。シーナとストックゲイが何れ緊張状態になるのは、子供の頃からわかっていたからさ。その前に、アルベナスにちょっとしたコネをつくっておいたんだ。今から十五年ほど前、アルベナスから同国内で金鉱を掘り当てる許可をもらってね。その時二十個ほど見つけた金鉱を、ほぼ無償でアルベナスに提供した。アルベナス王ニーヴァは、これで気を良くしてさ。一度に限り私が言う事なら何でもきくと約束してくれたわけだ。ならばという事で、このたび軍を派遣してもらった訳」
「……まさか。それが十日前、あなたが書いたあの手紙の内容……?」
「ああ。ニーヴァにその旨を伝える為の物だ。書簡を以て私はアルベナスを動かした訳だが、そこで問題だ、サアシエ」
「はい?」
「これによりシーナ、ストックゲイ抗争はどうなると思う?」
サアシエは、よもやといった心持で目を細める。
「……え? 嘘でしょ? まさかマハリオは、アルベナスに対抗させる為、シーナとストックゲイを同盟させる気?」
「正解」
微笑みながら、拍手さえする。この師の様子を、やはり死んだ目でサアシエは眺めた。
「……これまた、とんだ茶番ですね。しかも、リスクも高い。シーナかストックゲイがアルベナスを攻撃したら、本当に戦争状態になりますよ?」
が、マハリオは、やはり平然と言い切る。
「ソレは無い。ルーアンが言っていた通り、アルベナスの国力は他の二国を遥かに上回る。そのアルベナスを完全に敵に回す様な真似を、今の二国はしないだろう。ただでさえ、かの二国は緊張状態にあるのだから」
「……確かに、どちらかの国がアルベナスを攻撃したら、それまで。残った国はその隙を衝いて、その国を攻撃するでしょうね。例え次にアルベナスに狙われるのが、自国だと認識していても」
そう。シーナにせよストックゲイにせよアルベナスを敵に回したら結果は同じだ。かの国々はアルベナスの味方はしても、対立している国には組する事はないだろう。その程までに、シーナとストックゲイは互いを敵視している。
「ああ。現状ではそうだろうな。要するにアルベナスが介入した事で、かえって事態は均衡を保った訳だ。だから、こっからが私達の仕事という事だね。ルーアン、この件を機にシーナとストックゲイは中央政府に泣きついてきたのでは? 〝アルベナスを何とかしてくれ〟と」
「……え、ええ。至急、軍を送ってアルベナスを撤退させるよう、要請がありました」
「けど、自国の戦力を裂きたくないルーゲン皇に、その気はない。全ては私達に一任する。そういう事で構わない訳だ?」
頬杖をついてクスクス笑いながら、マハリオは椅子に背を預ける。
それから、かの〝鎮定職者〟は満を持して立ち上がった。
「では、早急にかの地へ向かおう。なに、馬を目一杯とばせば五日ほどで着く。精々それまでシーナとストックゲイが交戦状態にならない事を祈ろうじゃないか。ま、アルベナスが間近にいる以上、それも無さそうだが」
然り。アルベナスが傍に控えている以上、シーナもストックゲイも戦端は開けまい。その隙を衝かれて、アルベナスが攻撃を仕掛けてくるのは明白なのだから。少なくともかの二国はそう考えているだろう。
故にルーアンは唖然とした後、思わずこう漏らした。
「……なんというか、思った以上にとんでもない人ですね。ルペル・ルクス殿は」
「そうですか? 私としては単に――頭のどこかが破綻しているとしか思えないんですが?」
この軽口を聞き、ソファーで横になっていたアルセイサは、躊躇なく爆笑した。
◇
「と、その前に、もう一つだけ重大な用がある」
隠れ家を後にしたマハリオはそう言いつつ、皇都オーザムに向かって歩を進める。
「はい? 今度はどんな悪だくみをする気です? よもや、私の心証まで悪くなるような事じゃないでしょうね?」
「まさか。これも、れっきとした仕事だよ」
サアシエの悪態にこたえながら、マハリオは某氏に会いに行く為、ソコへと足を運んだ。
オーザムの皇宮に着いた四人はそのまま、ある一室に向かう。
その部屋で仕事に勤しんでいたのは――一人の少女だ。
「――あら、珍しい。わたくしに何か御用? マハリオ・ルペル・ルクス?」
かの者達の目前では、ウェーブがかかった白い髪の少女が、微笑みを浮かべている。
身長は百五十五センチ程で、髪だけでなく服さえ純白だ。
だからこそマハリオに同行してきたアルセイサは、愕然とした。
「……はっ? なにこの子ッ? めっちゃ俺の好みなんだけど!」
「それは光栄ね――アルセイサ・スオ」
「俺の事、知っているんすかッ? 何で、何でっ?」
「それはきっと、あなたが御自分で思っている以上に、有名だから。ましてやマハリオの用心棒となれば、尾ひれがついた噂も絶えない。……と、ごめんなさい。まだ、挨拶もしていなかったわ。はじめまして、アルセイサ・スオ。わたくしは――スワン・クワン。ラーアント公の補佐官を担っている者です」
机に設置された椅子に座る、十七歳程の少女が手を伸ばす。
それが握手を求めている様だと、アルセイサは漸く気づく。
「よ、よろしく、スワン・クワン嬢」
「スワン・クワンで結構よ。代りに私も、アルセイサと呼ばせてもらうから」
「あ、ああ。それで構わねえ」
彼はスワン・クワンの手を握って、屈託のない笑みを浮かべていた。
「……というか、こんなアルセイサさんは初めて見ました。私達とは余りに態度、違いすぎません?」
「そうか? 私と初めて会った時は、大体こんな感じだったが?」
「――うるせえ! アレは俺にとって、人生最大の汚点だ! そういう事を、気軽に喋ろうとするじゃねえ!」
「ほう? それは知らなかったな。一度でいいから私を抱かせてくれと土下座までしたのは、誰かな?」
「だからうるせえって言っているだろうが! あー、あー! なんでもねえっすよ、スワン・クワン! 今のは単に、バカがバカな妄言を口にしただけだから!」
慌てふためくアルセイサとは対照的に、白い少女はどこまでも冷静だ。
「ええ。わたくしの事は、どうかお気になさらず。それと、サアシエとルーアンはおひさしぶり。サアシエはマハリオと、何か進展があって?」
「……はッ? なに言っているんですか、あなたっ?」
「いえ、グオールグから帰って来てからこっち、マハリオってばあなたの事ばかり話すじゃない? だからつい勘ぐってみたのだけど、これって下衆の勘繰りかしら?」
「成る程。あなたとまともに喋ったのは初めてですが、こういう人ですか……?」
「あら? それはどういう人、という意味?」
やはり微笑みを絶やすことなく、スワン・クワンは首を傾げる。
サアシエはソレ以上なにも告げず、代りにマハリオが口を開いた。
「サアシエの事ばかり、ね。そんな事は一度も口にした覚えがないのだが、君の目には違って見えていた訳だ?」
「いえ。だから言ったでしょう? ただの勘ぐりだと。わたくしとしてはお似合いだと思うのだけど、本人達が否定するならそこまでの話だわ」
クスクス笑いながら、指を絡めて両肘を机にのせる。
その様を、マハリオは観察する様に見つめた。
「ま、いい。本題に入ろう。実は、用立てて欲しい物がある」
「用立てて欲しい物? それってもしかして、コレの事?」
スワン・クワンが、指を鳴らす。
ソレに応え、傍に控えていた黒衣の男性が動く。
彼――カース・テッドは、隣室から四角い箱が幾つも積み上がった荷台を運んできた。
「ほう?」
「ええ。多分これでイケるのだと思うだけど、何か問題があって?」
マハリオはソレを一瞥しただけで、首肯した。
「流石。此方の策をもう読んだか。願わくは、シーナとストックゲイに君の様な化物がいない事を祈るばかりだ」
同時に、スワン・クワンの護衛官であるカース・テッドが眉を動かす。
その気勢を殺ぐように、スワン・クワンは穏やかな声で問うた。
「わたくしの様な? ご自分の様な、の間違いではなくて、マハリオ? それに、もうソレは確認済みなのでしょう? シーナとストックゲイに、あなたの裏をかける人間は居ない。あのパルバインが、関与でもしていない限り」
「何だ? あの仮面の優男が、裏で糸を引いているという情報でも掴んだか?」
「いえ。それも勘ぐりよ。しかも、根拠も確信も無い。わたくしとしてはそうね、寧ろ彼は別の事にかまけている最中だと思っている」
が、それだけ言い掛けてから、彼女は首を横に振る。
「いいえ。今は関係ない話ね。では、後の事はあなたに一任します。責任は全てわたくしがとるので、どうか思う存分才をふるってちょうだい」
「結構。じゃあな、スワン・クワンにカース・テッド。次は、吉報と共に訪れる事にしよう」
ヒラヒラと手を振りながら、マハリオは踵を返す。
その後を、サアシエとルーアンは何の疑問も持たず追いかける。
「……って、まさかこの荷台、俺が一人で運ぶのか?」
ただ一人――アルセイサだけがその場に残されていた。
◇
それから、今度こそ事態は動いた。
「そう言えば実に笑える話なのだが、どうも昔の人間は男と女に筋力差があったらしい。女性の方が男性より、貧弱だったとか。今はそんな力の差など、皆無だと言うのにね」
「……そう思うなら、サアシエあたりに手伝わせろ。俺一人に荷物持ち、させるんじゃねえ。あー、何か俺、最近こんな事ばっかしてねえ? 大体やたら重たかったが、何なんだよこれ?」
馬車の荷台こしかけるアルセイサが問う。馬上のマハリオはやはりしれっと告げた。
「さてね。何せ、私ではなくスワン・クワンが用意した物だ。私が関知する所ではない」
この無責任な物言いにアルセイサ等は唖然とした物だが、彼女は違っていた。
「そう。中身も見ずに引き取ってくるとは。ルペル・ルクス殿は、スワン・クワン首席補佐官を信頼しておいでなのですね?」
大きな荷台がついた馬車を走らせながら、ルーアンが訊ねる。
が、マハリオは舌を出し、言い切った。
「ああ。信用はしている。だが、それ以上に警戒もしている。できれば、失脚させたい位に」
「………」
「と、そう言えばルーアンの直属の上司はスワン・クワンだっけ? ではこの私の心証も彼女に報告するかね?」
「いえ、思いの外馬の嘶きが五月蝿くて、よく聞き取れませんでいた。今、何と?」
「賢明な判断だ。今、私をスワン・クワンの政敵とするのは、よろしくないからな。私もできれば、彼女とは上手くやっていきたい。……と、今度はちゃんと聴こえたかな?」
「ええ。しっかりと。その旨、首席補佐官にお伝えしておきます」
「ああ。私も安心したよ。君が生真面目なだけの騎士ではないと、知ってね」
事実、マハリオは頬を緩め、微笑する。
その様を横目で見ながら、アルセイサは問い掛けた。
「つーか、オマエがスワンちゃんを揶揄した時、あの黒髪の兄ちゃんえらくキレかけていたな? アレは――半端な殺気じゃなかったぜ?」
「だな。主人と違って、彼の優先順位は実にわかりやすい。カース・テッドとは正にスワン・クワンを守護する為に生まれてきた様な男だ。アルセイサも、少しは彼を見習うといい」
「いや、俺、真面目に仕事しているぜ? サボった事とか一度もねえぜ? 現に、俺をはべらせてからコッチ、傷一つ負ってねえだろ、オマエ?」
「だったかな? 良く覚えてないが」
「……そういや、俺まだ、オマエに女紹介してもらってねえんだが?」
確かに二ヶ月前、荷物持ちを頼んだ時、マハリオはアルセイサにそう約束した。
この指摘を受け、マハリオはおどけた様子で眉をひそめる。
「んん? だから、今日紹介したろ?」
「……は?」
「だから――〝スワンちゃん〟だよ。想像以上にいい女だったんで、気が動転したか?」
「………」
「というか、カース・テッドの前でぜひ〝スワンちゃん〟と呼んで欲しい物だ。果たしてどうなるか? これは見ものだな」
「あー、つまりあの難物そうなのも、セットと言う訳か? それはなんとも、口説きがいがあるお話で」
アルセイサ・スオは――嬉々としながらオーザムがある方向に目をやった。
◇
そしていよいよ四人は――シーナとストックゲイの国境に入る。
その時、マハリオは告げた。
「ではここで基本的な事を、確認しておこう。わかっていると思うが〝鎮定職者〟なんて物が成り立っているのは、フォートレムが健在だから。宗主国であるあの国が後ろ盾になっているからこそ、我々は己の権利を振るえる。同時に私達が一つでも多く〝鎮定〟を成功させれば、当然フォートレムの権威も安泰となる。つまり我々が職務を果たせば、その分だけ自身の職種を守る事に繋がる訳だ。私達とフォートレムは、とうの昔に一蓮托生なんだよ。その事は理解しているね――サアシエ?」
マハリオが隣で馬を走らせる弟子に問う。彼女は一間空けた後、挑む様な表情で頷く。
「はい。勿論です、マハリオ」
「結構。では、いよいよ仕事の時間だ。といっても、今回は前回より遥かに楽なので、さっさと済ませてしまおう」
この不遜な態度を前にして――サアシエは最早苦笑するしかなかった。
ついで、マハリオ達はまずストックゲイに向かい、軍が駐留している一角に辿り着く。
「そう。私達は、フォートレムの使者だ。至急、ストックゲイの王に目通りしたい」
例によってフォートレムの家紋がついた印籠を近くに居た兵に見せ、要求する。
これを受け、兵はその旨を王に伝令するべく、駆け足でその場を後にした。
この間に、マハリオ達は下馬する。
「で、何を企んでいるんです、マハリオは? シーナは放置していて良いんですか?」
「ああ。今の時点で、二国の代表が顔をつき合わせた所で、ケンカ別れするのは目に見えている。なら、ここは個別に説得工作をした方が、得策ではないかな?」
「つまり、まずはストックゲイから落す算段だと?」
「いや、正確には違う。ストックゲイから落さないと、私の計画が狂うんだ」
「……計画が、狂う?」
やはり意味不明と言った感じで、サアシエは眉をひそめる。
そんなやり取りをしている間に、件の兵が戻ってきた。
「お待たせしました。陛下は、お会いになるとの事です」
「了解した。では、さっそく案内を頼む」
こうして――マハリオ等の調略戦は始まりを告げたのだ。
◇
陣中に通されたマハリオ達の前に、ストックゲイの王――カマストロフが姿を見せたのは数分程経った頃。彼は明らかに不機嫌な表情のまま、マハリオと同じ様に椅子に腰かけた。
「これはどういう事だ? ワシが要求したのは、フォートレム軍だぞ? それが、何ゆえお主らの様な若造ばかりガン首を揃えておる? 一体フォートレムはどう言った了見なのか?」
「ほう? それが七年ぶりに再会した知人に対する態度かな、カマストロフ?」
「……再会?」
促される様に、カマストロフは目を細める。彼は即座に思い出した。
「ああ。あの時の無礼な若造か? マハリオなんちゃらとかいう、フォートレムの使者の?」
スキンヘッドで身長が高く、いかつい顔をした王が毒づく。
このマハリオにも引けをとらない尊大な態度を見てサアシエは思わず苦笑しそうになった。
「そのマハリオ某がなに用だ? これはフォートレムが軍を送るという、意思表示ととって構わんのか?」
一方、マハリオは平然としながら首を横に振る。
「やはり随分と忙しそうだな、カマストロフは。では早急に話を進めるとしよう。結論から言うといくら待ってもフォートレム軍は来ない。アルベナスは君達だけで対処してくれたまえ」
「君達? 君達、だと? ……きさま、何を言っている?」
カマストロフの瞳が、更に鋭くなっていく。
成る程。相変わらず冗談が通用しない男だと納得したマハリオは、微笑した。
「だからそういう事だよ。アルベナスと戦うのは――シーナと同盟したストックゲイ。私が言っているのは、そういう意味だ」
「なに……?」
逆に、カマストロフは遂に立ち上がり、眉を吊り上げる。
「――バカを言うな! なぜ我らが、あの賊軍と手を結ばねばならん! あやつ等と同盟する位なら、アルベナスに降伏した方がマシだ! きさま、そんな我等の事情も知らずこの場にノコノコやってきたのかッ?」
この怒声を前に――素知らぬ顔でマハリオは耳を塞いだ。
「相も変らぬ声の大きさだな。そんな大声を出さなくても聴こえているから、安心したまえ。ついでに言えば、ストックゲイとシーナの因縁についても、私は熟知しているつもりだ」
「……ほう? 全て、知っている? つまり、きさまはわざわざワシを愚弄しに来たと、そう解釈して構わんのだな?」
カマストロフが、腰にさした剣を引きぬく。
ソレを前にして、壁に背を預けていたアルセイサも、身を起こす。
「愚弄? まあ、そうだな。これから私が提案する事に異を唱えるなら、私は喜んで君を愚弄するよ、カマストロフ」
「……だから、きさまは何を言っている?」
マハリオは右手をあげてアルセイサを制する。それからかの者は一気に切り出した。
「そもそも、ストックゲイがなぜこうまでシーナにこだわるのか? その理由は、二百五十年前に遡る。そう。あのワービンが三度目の戦いで勝利した後、シーナに要求したアレだよ。それこそが、今になってストックゲイが兵を挙げた理由だ。君が軍を使ってまでシーナと対峙している所以だろう? 違うかな――カマストロフ?」
「――きさま」
堪りかね、カマストロフはいよいよマハリオに剣を突き付ける。
これを前にしても、マハリオは朗々と続けた。
「ああ。ストックゲイの王族というのは戦争は強いが、どうも浪費家らしいね。先代もその例に漏れず、随分国費を流用したようだ。七年前この国を訪れた時、何人かの家僕がそう零していたよ。つまり、ストックゲイがいま一番欲しいのは――シーナに要求していた物の一つである――賠償金。君の目的は、そういう事なんだろ?」
確かにストックゲイはあの戦争で勝利した後、ミチェルダの亡骸の他に件の物も要求した。戦勝国である自分達が、敗戦国であるシーナから賠償金を得るのは当然の事だとばかりに。
この指摘を受け、カマストロフの顔色はますます険しくなっていく。
「その反面、面子を重んじた君は、大手を振ってその事を喧伝出来ずにいる。確かに敵国に対し、金に困っているからケンカを売りますなんて言えんよな。故に、もう一度シーナに戦争で勝った後、満を持してシーナにそう切り出すつもりでいた。話としてはそれだけの、簡単な構造だ」
「だから、なんだ?」
「んん?」
「だから何だと言うのだ? 仮に今の話が事実だとして、ワシ等が金に困っているとしてもきさまに何が出来る? きさまのような若造に――?」
カマストロフが、喜悦しながら問いかける。事と次第によっては本気で切り捨てるという気概と共に。
この渾身の気迫を前に、マハリオは微笑みながらフムと頷く。
「いや――出来なくもないのだが」
「なん……だと?」
「だから――シーナの賠償金を立て替える用意はあると言っている。確か、金貨二十万枚だったかな?」
「きさま……本気か?」
当然の様にカマストロフは眉をひそめたが、マハリオは普通に続けた。
「ああ。本気だとも。かといって私がソノ金を用立てても、今度はシーナとフォートレムが納得しないだろう。君等が兵を挙げた所為でシーナもいきり立っているし、今更兵は退くまい。なによりシーナとストックゲイには――アルベナスが迫っている。この状況を打破するには最早ストックゲイが賠償金を得るだけでは収まりがつかない。その事は理解してもらえるかな、カマストロフ?」
「かもな」
実際、カマストロフは剣を鞘に納め、彼はそもそもの前提を問う。
「では、我らにどうしろと? きさまの望みは、一体なんだ?」
「ああ、それだけはハッキリしている。なんて事もない。私の望みは――このダナトール地方の平和だよ。その為にも、君達に一つだけやってもらいたい事がある。さっき言った通り金は私が出すんで、ある物を売って欲しいんだ」
「……ある物?」
「いや、表向きはどこぞの好事家が金と引き換えに、盗掘した事にでもすれば良い。それで君達の面子も、いくらか保てるだろう。そうだな。実際の所、ストックゲイはシーナをそれほど恨んでいない。何せ加害者か被害者かでいえば、明らかに前者だから。寧ろ恨んでいるのは、シーナの方だ。そのシーナを納得させ、ストックゲイと同盟させる方法は一つだけ。〝ソレ〟をシーナに売り飛ばすしかない。ここまで言えば、大体見当はつくだろう――?」
「きさまッ、まさか……っ?」
よって――カマストロフはもう一度激昂したのだ。
◇
全ての役者が揃ったのは、その日の夜半。
彼女は数人の騎士を引き連れ、マハリオ達のもとを訪れる。
「やあ。ひさしぶり、マーダック。では始めようか」
「………」
それからマーダック・レナンタは――その一部始終を見届けたのだ。
マハリオ達がシーナに入国したのは、夜が明けてから数時間後の事。
サアシエ曰く、〝やっぱり仕事中に限って言えば、マハリオは休日の子供の様に忙しない〟との事で、マハリオ等四人は徹夜で職務を遂行した。寝る間も惜しんで、マーダックと共にシーナの陣中へ向かう。
そこで待っていたのは、渦中の人物だ。
「マハリオ・ルペル・ルクス。まさかそなたが〝皇家鎮定職者〟とはな」
強行軍とも言える勢いで、マハリオはシーナ王――トラストスに謁見する。
王座に座するかの王は、目を細めながらマハリオ達を出迎えた。
「ああ、七年ぶりだね、トラストス。相変わらずの若々しさだが、その美貌を保つ秘訣は何なのだろう?」
「そなたも、相変わらず無礼だな。頼りなげに見えるかもしれないが、私はこれでも一国の王だぞ?」
「知っている。でも、安心していい。ちゃんとカマストロフの前でも、こういう態度で接しておいたから」
「……なんの言い訳にもなっていないが、ま、良かろう。それでわざわざマーダックを、よりにもよってストックゲイに呼び寄せた理由は何だ? 身の安全はフォートレムの名に懸け保証する、というので派遣したがな。彼女は我が国の大臣だぞ?」
カマストロフとは対照的に、線の細い印象を持つトラストスが訊ねる。
齢二十七の王の質問に対するマハリオの答えは、決まっていた。
「だからだよ。この国の大臣であればこそ、証人としては打って付けだからね」
「……証人としては、打って付け?」
意味不明とばかりに、トラストスは眉を曇らせる。
それから彼は、美貌の大臣に視線を送った。
「一体どんな悪だくみの片棒を掴まされた、マーダック? 私としては吉報である事を願ってやまないが?」
「はい、陛下。吉報と言えば、吉報です」
一間空け、長身の大臣はそう報告する。
同時に、マハリオは箱を持ってトラストスへと近づいた。
「……きさま」
ソレを見て王の護衛官五人が一斉に抜刀する。
対してトラストスは手をあげ、彼等を制止させる。
「ああ。安心していい。私に王を害する意思などない。私がしたいのは、寧ろ商談だよ」
「先ほどから解せない事ばかり言う。そなたの目的は、アルベナスをどうにかする事ではないのか?」
「だね。ついでに言えば、シーナとストックゲイの関係も改善させたい。これはソノための布石さ。ではご覧いただこうか。これが二百五十年間――シーナが求め続けてきたモノだ」
「まさか――?」
マハリオが手にした箱を開ける。其処にあったのは、ある意味一つの骨董品だ。
「そう。これは正しく――〝ワービン・ストックゲイの首〟だ。尤も、今は当然の様に骸骨と化しているが」
「ワービン……の?」
マハリオが、素知らぬ顔で言い切る。
トラストスは半ば呆然としながら、もう一度マーダックに目をやった。
「はい、陛下。わたくしが、保証いたします。それは確かに、ワービン・ストックゲイの墓から掘り起こされたモノです。その遺体の指に、ストックゲイの王族しかはめる事が許されない指輪があるのも確認いたしました」
現に、ワービンの頭蓋骨と称されるモノの横には、指輪も置かれている。
金製の輪にダイヤが埋め込まれた、工芸品としても逸品とも言える物が。
「そういう事だ。シーナは元々、ワービンの首が目当てで兵を起こしたのだろ? ならそのワービンの首さえ手にしてしまえば、君達がストックゲイと敵対する理由はない。逆にかの国と同盟を結んでも良い位だ。その同盟を以てアルベナスに対抗すれば、かなり有利に戦況を進める事が出来ると思うが――違うか?」
「確かに、それは。……いや、だが待て。あのカマストロフが、己が祖先の首を無条件で敵国に送った、というのか?」
と、マハリオは、明らかに何かを企んでいるといった風に微笑む。
「いや、正確には違う。この首は、私がカマストロフから買った物だ。表向きは、私が盗掘した事になっているが。なので、私も君達にこの首を買い取ってもらいたい。少し値は張るが、どうだろう?」
「その首を、買い取る……? つまり、それは、まさか?」
「お察しの通りです、陛下。実質的に言えば、それこそが――ストックゲイに対する賠償金にあたるかと」
「―――」
マーダックが表情を消し、そう進言する。トラストスは、やはり言葉を失った。
「いや、それも違うな。これは飽くまで私の所有物を、シーナに買い取ってもらうというだけの話だ。そこにストックゲイが入り込む余地など、微塵も無い。ましてや、賠償金とは一体なんの話だと疑問に思うばかりだよ。つまりシーナがストックゲイに対し、賠償金を払ったなんて事実は無いわけだ。それでシーナの面子も保てるだろ?」
「そなた」
「それともこの条件でもまだ不服かな? 二百五十年前の恨みを晴らす為、尚もストックゲイと抗争を続ける? 今度はカマストロフの首でも要求するかい? その死者を尊重する気概は敬意に値するがね、あの戦争はもう二百五十年も前の話だ。関係者はみな当然の様に死に絶え、残ったのは彼等の恨みを引き継いだ君達だけ。なら、その君達が次世代にその恨みを継承さえしなければ、ここで憎しみの連鎖は途切れる。だというのに、飽くまで先人達に倣い更なる犠牲者を生みだすつもりか? 過去の幻になりつつある憎悪をこの現に引き戻すつもり? 故人の憎しみを、今を生きる君達が受け継ぐと言うのかい? それで、誰が何の得をするっていうんだ?」
この無遠慮な指摘を受け、ついにトラストスは玉座から立ち上がる。
「……我らの心情を、推し量ろうともしないそなたが、何をヌケヌケと。第一、なぜ私達が金を払う必要がある? そのワービンの首は、それこそ無条件で我等に送られて然るべきモノなのではないか?」
トラストスにしては珍しく憤慨しながら、問い掛ける。
一方、マハリオはやはり普通に口を開く。
「いや、ソレは違う。何故なら確かに原因をつくったのはワービンだが――戦争を始めたのはシーナだからだよ。三度ともシーナが主導して、あの戦争は始まった。例え君達がどう言おうとも、あの戦争で死んだ人々は半ばシーナが殺した様な物だ。残念ながらその責任を、君達はとらなくてはならない」
「な……っ?」
「但し、この首の値段は半分の金貨十万枚で良い。ワービンの所業に関しては、カマストロフも些か負い目を感じているらしくてね。さんざんごねたが、カマストロフも最後はそれで納得した。もしこの条件で折れないなら、君達はストックゲイと共にアルベナスに滅ばされるといい。存外シーナには――相応しい最期かもしれない」
「そなた……は」
「だが、シーナはワービンの首を手に入れ、ストックゲイは私から金を受け取った。更にストックゲイは武力に長け、シーナは経済力が豊か。なら、この両者が組めば、それで両国の関係はウィンウィンじゃないか? 恐らくアルベナスにも、引けをとらない程に。私が言える事はそんな所だな」
事実、マハリオはソレ以上何も言わない。
マハリオはただ、トラストスが口を開くのを待つ。
「……成る程。ワービン並みの悪党が、ほかにも居るとは思わなんだ。いや、或いはワービン以上の子悪党かもな……そなたは」
「今のは、お褒めの言葉と解釈していいのかな、トラストス?」
それも余りに不遜な返答だ。その上で、美貌の王はマハリオに詰問する。
「……もう一度、確認しておこう。本当に我が国とあの賊国が手を結べば、アルベナスを追い払えるのだな?」
「ああ。フォートレムの名において、保証しよう。その条件で私なら、アルベナスを撤退させる事が叶う」
「いま確信した。やはりルーゲン皇は、暗愚だ。なぜこの様な奸臣に、この様な権限を与えているのか?」
それからトラストスはどこかの王の様に、深く王座に身を預ける。
「そなたの言い分は、よくわかった。故に、カマストロフに伝えよ。〝同盟の証し足るワービンの首は――確かに受け取った〟と」
「いや、それは無理だな。ストックゲイも、面子があるからね。ストックゲイは、祖先の首を敵国に送った事実など無いと言い張り続けるだろう。寧ろワービンの首がシーナに渡ったと知れば、その返却を求めてくるかも。無論、今のも全て表向きの話で、ストックゲイにはそんなつもりはないが。シーナ国としても、そのつもりでいてほしい」
「一々此方の揚げ足をとるやつめ。やはり口封じの為、四人共ここで始末するべきか?」
けれど、マハリオはおどけた様に、口元をつり上げる。
「それは困るな。私にはまだアルベナスを〝鎮定〟する役目が残っているからね。私のほかにまだ〝皇家鎮定職者〟が居ない以上、この仕事を熟せるのは私だけ。なら答えは一つだろ?」
「……ああ、もうわかった。それ以上口を開くな。そなたの屁理屈など二度と聞きたくない。速やかにアルベナスと話をつけよ。それで――この件は終わりだ」
トラストスが乾いた笑みを漏らしながら、席を立つ。
「では、早急にケリをつける事にしよう。さしあたっては、この首の料金が支払われた後にでも」
ソノ後ろ姿に――マハリオは容赦なく言い放っていた。
◇
事態が一気に進んだのは、それから数時間後の事。
マハリオ達は、今度はアルベナスの陣中に向かい、かの人物に謁見した。
「やあ、ニーヴァ・アルベナス。実に、十五年ぶりか。お互い歳をとったな」
四人は早々にアルベナス王――ニーヴァと接触する。
齢七十五の老王は、眉をひそめた。
「何をぬかす。相も変わらず、いい女の癖に。本当にお主こそ、一体幾つなのだろうな?」
「ほう? 私が何時、女だと言った?」
「ぬ? では男なのか?」
「……やはり少し惚けたな、ニーヴァ。このやり取りは、十五年前もしたぞ」
「お主は十五年も前の事を、よく覚えておるな? わし等、昨日の事もよく覚えていないというのに」
カカカと大笑しながら、ニーヴァは胸を張る。その彼を前に、マハリオは目を細めた。
「そんな貴方が、私との約束を律儀に守ってくれたというのだから、驚きだな。今回に限っては、私も素直に感謝するばかりだよ」
「ああ。良い女の頼みだけは、何時までも覚えているタチでね。お蔭でまたお主と会えた」
と、サアシエがマハリオに耳打ちする。
「……何だか、アルセイサさんみたいな人ですね?」
「だな。だがかの王こそが、アルベナスをここまで発展させた功労者だ」
「ぬ? そこのべっぴんは、もしやお主の弟子か何かか? だとしたら、驚きだ。まさかお主の様な人格破綻者が、他人の世話を焼くとは」
「ああ。実は――私自身が一番驚いている」
「カカカカ」
もう一度、老王が楽しそうに笑う。
頬を緩めながら、ニーヴァはマハリオへと近づく。
「恐らく、お主に会うのはこれが最後だろう。故に少しでもお主と共に居る為、もう少しこの場に陣を構えたい所だが。もしそう言ったら、お主はどうする?」
「それは、困るな。うん――凄く困る」
マハリオにしては珍しく、心底から苦笑する。逆に、ニーヴァは心から満足した。
「そうか。困るか。いや、お蔭で、良い死に土産が出来たと思っておるよ。最後にお主の困った顔が見られて。では、引き続き良い人生を送るといい。このわしの様にな、マハリオ・ルペル・ルクス。我が――最後の友よ」
かくして――その日の内にアルベナスは兵を退いた。
表向きは〝シーナ、ストックゲイ同盟〟に怖れをなしてという形で。
その老王の背中を、マハリオは最後まで見送る。
「ああ。私は今まで数多くの人間と接してきたが、友だと言ってくれたのは本当に数える程だったよ」
この翌年、ニーヴァ・アルベナスは崩御する事になる。
その事実をマハリオは確かに予感しながら――天を仰いでいた。
◇
では、最後に彼の事情を語っておこう。
それは、二百五十年以上前の事。彼には、婚約者が居た。その少女は利発な反面、気は小さく、引っ込み思案な貴族の娘だった。幼い頃から何度も顔を合せ、他愛もないお喋りをして、それなりに意気投合していたと思う。
実際、自分と接している時、彼女はただの一度も厭な顔をした事が無かった。そんな彼女を彼は一途に想い続けてきた。彼女を世界一幸せに出来ると、彼は自惚れてさえいたのだ。
〝は……?〟
だが、ある日、その訃報が彼のもとに届く事になる。
何故かその少女が――自殺したという訃報を、彼は知った。
この時ほど、彼が恐慌した事は無かっただろう。
理解が、出来ない。意味が、わからない。昨日まで幸せそうに笑っていた、あの少女がたった十五歳で自ら命を断った? 一体、何故……?
ソノ理由が、彼はずっとわからなかった。いや、もしかすると自分の所為で彼女は自殺したのではと思い悩みさえした。その疑念はおさまる所か、大人になるにつれ膨らみ続けた。
〝ああ〟
そんな彼は隣国に使節として訪れた時、ある出会いを果たす事になる。
そう。彼はその日、その少女に似た姫と出会ってしまった。性格こそ違えど、容姿は瓜二つな姫に彼は邂逅したのだ。
彼はその姫に婚約者が居る事は知っていたが、胸裏に走る衝動を押さえられなかった。その姫なら、あの少女が自分を拒絶した理由を知っているのではないかと彼は夢想したから。
だから、彼は姫を口説き落とした。彼女がなぜ死んだのか知りたかった彼は、自分の何が悪かったのか理解する為に。
この不適切な行為は、けれど実を結び、姫は彼と情を通じる事になる。その後、彼は姫に問うたものだ。〝自分とこういう関係になって後悔しているか?〟と。
だが、彼女は微笑みながら、言い切る。
〝本当に――貴方が私の婚約者ならよかったのに〟
そう告げ、彼は初めて思い知った。それに類する言葉を、あの少女の口からずっと聴きたかった、と。今日までの己の人生は、彼女に自分を認めてもらう為にあったのだと理解する。
〝んん? なんで、泣くの? 本当、おかしな人ね〟
そして彼女は、やはり、微笑みながらそんな事を口にしていた。
それこそが、彼がずっとずっと夢見た答え。
あの少女にずっと言ってほしかった、彼にとって唯一の救いだった。
だからきっと、彼が道を踏み外したのは、その所為。
こうして、彼は後の世に悪名を轟かせる事になる。
〝……ああ、それでも、君に会えて、本当に良かった――ミチェルダ〟
姫と過ごした晩、彼はやはり涙しながら、そう告げていた―――。
◇
いや、最後に、もう一つだけ。
「でも、あれでシーナとストックゲイは上手くやっていけるのでしょうか、マハリオ?」
「さてね。何せ、恩は三日で忘れても、恨みは死ぬまで忘れないのが人間だ。いや、国家間レベルの恨みとなれば、それこそ世代を超える。先代等が己の憎しみを子供達に引き継がせ、果てと言う物がない。仮に今回の件がワービン健在時に起こっていたら、私はもう少し苦労しただろうね」
「はぁ。というか、普通に〝鎮定不可能〟だったのでは?」
サアシエの何気ない問いかけに、マハリオはフムと頷く。
「確かに人は己の憎しみを殺人という形で晴らそうとする時自己を正当化させる傾向にある。〝自分はこんなに苦しんでいるのだから、ソレを解消するのは決して間違じゃない〟とね。集団になるとその想いは更に膨張し、歯止めが効かなくなる。それこそが人間のサガであり、宿命だろう。そう行動する人々の方が、真っ当とさえ言えるのかも。大多数の人間がそうやって生きている以上、そう言わざるを得ないだろう。はたから見れば、憎しみの継承ほど愚かな行為はないと思っている筈なのに。……でも、それでも、シーナとストックゲイはその憎しみを断ち切る勇気を持った。そんな彼等に、私は心から敬意を表するよ。例え、それが万人の考え方とは外れた物だとしてもね」
「……なんか、マハリオらしくない意見ですね。ま、別に良いですけど」
何故か拗ねたように、サアシエはマハリオから視線を逸らす。
その様をキョトンとした顔で眺めるマハリオに、ルーアンは唐突ながら告げた。
「そういえばわかっていると思いますが、一応言っておきます。ルペル・ルクス殿、あの金貨二十万枚はちゃんと国に返しておいてくださいね」
「えっ?」
「……いえ、〝えっ?〟じゃなく。当たり前でしょう。アレは、スワン・クワン補佐官が国費から貸し出したお金なんですから。まさか……本気でねこばばする気だったとか?」
「……いや、まさか。そんな訳が」
だが、後にサアシエは語る。
〝アレほど悲しい顔をしたマハリオは、見た事がなかった〟と。
「……やはり君は、生真面目だな。サアシエは、黙っていたのに」
「いえ、私も後でちゃんと言うつもりでしたよっ?」
そして、今日も今日とて、そんなやり取りは継続。
「あら、ちゃんと返しに来たのね、マハリオ。やはりルーアンをお目付け役にしたのは、正解だったわ」
「………」
今度こそ本当に〝シーナ、ストックゲイ抗争〟は終焉を告げたのだ―――。
ピース・ウォーズ・前編・了
という訳で、前編終了です。
この物語も前作と同じで、キャラと外見だけは十年以上前から決まっていました。ただ設定だけが決まっていただけで、具体的な事は何も決定していない状態でした。
なので、例によって構想に十日ほどかけ、二か月ほどで書き上げたのですが、思わぬ副産物が出現したのです。あるキャラのスピンオフ的な話を思いついてしまい、それも書き上げる事に成功しました。
それは今後、別の形で発表できると思うので、どうかお楽しみに。
その名も、ピース・ウォーズ・ゼロ。