手記#3 エンジン
ここはアウターフロンティアとの境界の目と鼻の先で、都市はおろか、様々な種族においても生存可能な星自体が少ない。既に地球からは1.4光年離れている。外灯などなく、何億光年も先の恒星の光にだけ照らされた深宇宙である。数日前には親子2頭で遊泳する宇宙鯨を目にした。紫と緑の色をしたガス雲の中に動くものを感じ、とっさにスキャナーを確認すると、地球の月ほどの大きさをした何かが2つ映っていたのだ。恐怖を感じながらコクピット窓から雲を覗いたが、それを見つけた瞬間に恐怖など吹っ飛んでしまった。美しいものだった。親子はぴったりと寄り添いながら、大きな体をゆっくりと波打たせ、雲の隙間から現れた。動き自体はのんびりして見えるのに、実際の宇宙泳速度はこの船の最高速度と同じくらい速く、ものの数分で視認できなくなってしまった。しかし、その余韻は凄まじく、しばらく俺は船を止めたままにし、もう何もいない星雲を見つめていた。俺は何度もその星雲の間を泳ぐ宇宙鯨を想像したのだった。
それ以来、生物はおろか、行き交う船も見ていない。ただひたすらにまっすぐ飛んでいる。次の回収物はそもそもこの方向にあるのだろうか。地球から受信した情報では、先に見つけた左主翼とエンジンから直線距離にまだ部品が転がっているらしい。でも、それはすでに約2年前のスキャナー情報であり、実は別の宇宙船や衛星だったとか、あるいは別の誰かが偶然それを見つけ、既に回収されしまっているかもしれない。疑い始めたら何も信じられなくなるから、ただただ宇宙を進むのだ。そう決めているのは間違いなく俺だ。
地球を出発してから22ヶ月後、船のスキャナーに反応があった。ゆっくりと慎重に船を近づけると、それは左エンジンだと見分けがついた。最初に回収した主翼と、8ヶ月前に回収した倉庫との間にこのエンジンがあったはずだった。宇宙を彷徨うこのエンジンには胴体の船板が張り付いている。どうやら、胴体から剥がれた後もその推進力で遠くまで来てしまったらしい。損傷はひどかった。何箇所にも亀裂が入り込んでいるし、どうやら破壊時の熱が宇宙空間で一瞬にして冷やされたために、カーボンの劣化が進んでいる。
俺は格納庫ハッチを開け、牽引機を作動させた。庫内を一気に減圧させることで、格納庫入り口周辺の空気の潮流を生み、近場にある物体を引き寄せる仕組みだ。しかし、今回の獲物は些細な衝撃にも脆かった。エンジンが大きくきしみ、亀裂が広がった。複数の破片が宇宙に拡散した。俺は慌てて牽引機を停止させた。しまった、慎重に作業しないと衝撃で何もかもが遠くに放り出されて、何も回収できないなんてことも考えられる。牽引機は使えない。直接、外で作業する他ないようだと反省し、作業服を着る。新たに作業用ツールボックスを携え、宇宙に飛び出した。
エンジンが見えた。噴射機が取り付けられている肘の位置を調整してエンジンに辿り着いた。左手でエンジンを掴んだまま右手でエンジンと自分の身体をベルトで固定する。ヘルメットの外部ライトをオンにして部品がよく見えるようにした。
損傷は激しいようだ。エンジンの噴射口はメッシュ状になっているが、ど真ん中から一方の弧まで亀裂が走っている。噴射口の上部には小さい箱がついている。これは陰イオンの発射口、つまりこれはイオンエンジンだ。しかし、その陰イオン発射口と中和器を担った箱は今にもエンジンから外れそうだ。工具箱からレーザーバーナーを取り出し、箱を担持する支柱を切断した。まずはこの箱から解体していこう。
俺は船を解体するのが好きだ。小さな部品が何百も集まり、一つの機能を担っている。個々の小部品にも必ず役割があるのだ。その役割を理解しながら本体から取り除いていく。ひとつ、ひとつと本体から外すうちに個々の部品は、もうその役割を果たすことができなくなるのだ。そして、本体に最後に残った部品も、結局は既に機能を失っている。個々の部品だけでは何も生まないのに、それぞれが役割を達成したときに、部品は一体となって仕事をする。
そして、個々の部品に思いを馳せるのだ。ネジ、お前はお前以外の何かを固定する役割を持つ。ケーブル、お前はイオンを伝える大事な役割を持つ。こうしてすべての部品を理解することができれば、本体の機能すべてを理解することと一致する。理解することとは、ひとつひとつ構成する部品を剥がすことなのだ。
それに、本体を解体し、構成する部品を知ることは、すなわち再構成可能なことを意味する。もう一度本体を組み立てることができるのだ。いや、一度だけではない。何度も解体と再生を繰り返すことができる。それが俺が解体屋をしている理由。俺は理解者なのだ。
イオンエンジンをあらかた解体し終えた。陰イオン噴射機と中和口は既に収納バッグに入れ、俺の身体を固定するケーブルを通して船に送った。イオン源の噴射口の方も、はじめの1層目は大きく亀裂が入っていたが(だからといって捨てはしない)、2、3層目のアクセル、スクリーングリッドはほぼ無傷な状態で回収できた。イオンをプラズマ化するチャンバーもそのまま収納バッグに入れてある。作業中に宇宙を漂ってしまった支柱やケーブル、ネジ類などを最後に回収して別の収納バッグにしまい込み、それを片手に俺は船へと帰還した。
作業ジャケットを脱いで、回収してきた20もの収納バッグに入った中身を格納庫に並べた。どれも感慨深い。粉々に破損したものや黒ずんだ部品もあれば、新品同様なものもある。各部品がそれぞれの役割を果たしながら長い間宇宙を旅してきたことを用意に想像させる。それに、どの部品も俺の手で一度は触って収納バッグに入れたのだ。格納庫で部品をまず回収順に並べてみた。この順に組み立てれば、また再びイオンエンジンを組み立てることは可能だ(破損が大きいので動きはしないだろう)。次に、部品を素材順にまとめ直した。カーボン由来の部品は溶融釜へ投げ込み、他の金属部品などは再度収納バッグに戻した。
俺は満足した。さあ、コーヒーでも飲もう。